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おはようございます。heldio 英語史ラジオの堀田隆一です。今回は、花を意味するflowerと小麦粉を意味するflower、この二単語が実は同語源だった、という話題をお届けします。
花を意味するflowerは、つづり字で書くとf-l-o-w-e-rですね。一方、小麦粉を意味するflowerは、カツオことカツオが、つづりとしてはf-l-o-u-rと書きます。
カツオは一緒でも、つづり字が違うということは、見栄えが違うわけですから、二つの異なる単語だろうと我々は認識しています。
しかし、歴史をひも解くと、この二つの単語は同一語源に遡り、つまり共通のところから二手に分かれた単語であるということが判明します。では、その歴史、由来をひも解いていきたいと思います。
この単語は、ラテン語で花を意味する、植物の花を意味するfloren、イサカのゴリ。これがフランス語を経由して、13世紀に英語に入ってきました。
実は当初より、花の意味と小麦粉の意味が共存していたようで、その全くの意味を持ち、フランス語から英語がこの単語を書いたということになります。
その時の綴り方は、どっちの意味にしても、だいたいflourの方で、wが入っている綴り字というのは使われなかったものなんですね。
同じ綴り、同じ発音で、意味としては花と小麦粉、両方の意味を持っているということです。
ここで疑問は、なぜ同一単語にこんなにも異なる意味ですね。花と小麦粉、だいぶ離れていると思われるが、それはどのようにして接点が認められるんだろうということが気になっています。
花と言いますと、標語で考えても植物の花という意味と、そこから派生して花々木の花ですね。中華の花、繁華街の花、花々の木、きらびやかなという意味での花というのがありますね。
これは理由的に、花の都といったり、今が人生の花だといったり、花を持たせる、これは栄養、栄華を持たせるということですよね。他には社交会の花といったり、家事と喧嘩は江戸の花といった時のあの花です。
このように、優れたもの、立派なもの、最良のもの、花々しいものという意味が花には日本語でもあるんですね。非常に似ていることが西洋の言語でもありまして、ペルー言語、そしてプラント語もこの最良のものという意味で植物の花をですね、自由的に用いるというような花なんです。
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そして、粉末、食べられる粉ですね、穀物の粉、粉末の中でも最良のものというのが小麦粉だったんです。中世においては、なかなか小麦粉というのは高価な粉で買うことができない、食べることができないということで、粉末の中の最良のもの、粉末の中の花であるという言い方ですね。
そのような発想で、フランス語では、fleur de farine、粉末の花という言い方ですね。いわば、flower of powderと言っているようなものです。
それが包まって、単にflowerだけ、花の部分だけを取って、小麦粉と言っても使われるようになったということです。
結果的に、植物の花と粉としての小麦粉が同じ単語ですね、flowerという単語で表されるということになりました。
さあ、このような経緯で、英語に入ってきた当初の13世紀より、この2つの意味が共存してきたわけなんですが、だんだん近代になってきますと、さすがに意味は離れている、といえば離れている。
異なる方法と考えてもおかしくないくらい離れているというので、せめてスズリ字くらいでは区別できるようにしようという発想が芽生えてきます。
そして、花の方ですね、flowerという新たなスズリ字が近代に向けて生み出されて、これが植物、花の方を担当し、もともとのflowerのようなスズリ字は小麦を担当するというふうに徐々に分化していくんですね。
ですが、この分化していくということは、個人によっても使わないというわけをしたりしなかったということで、例えば、1600年頃のシェイクスピアは、比較的現代風にこの2つのflowerをスズリで分けていたんですね。
ところが、それから150年以上経った1755年に出版されたジョンソンの辞書というのがあるんですね。
ジョンソン博士の辞書というのが1755年出ますが、そこではまだこのジョンソンは見出し語として分けていないんです。
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flowerの方で2つの意味があるとして記載しているんですね。花と小麦粉。
つまり、人によっても個人差があって使い分けになるんですね。なかなか使い分けというのは定着しなかったんですが、その後、さすがにですね、近代の後期になり、そして現在にかけてこの2つの方がしっかりと書き分けられるようになり、今に至る。
このように、もともと同じ単語、1つの単語だったんだけれども、途中で分岐してズリ打ちをちょっと変えてみたり、あるいは発音をちょっと変えてみたり、何らかの形で少しずらしてですね、別の単語として認識される、共存しているという例が実はこの中にはたくさんあります。
フラワーだけではないんですね。我々が知っている、よく知っている単語の中にもたくさんあります。
例えばですね、オフとオフ。これ両方とも前置詞、あるいはオフは副詞、副詞としても使われますが、Fが1つか2つかの違い。
フ、握るフか、あるいは握るフの濁らないフかという違いで、ほんのちょっとした違いですね。これは実は全く同じ1つの単語から派生した2つの前置詞ということです。
意味もですね、ある程度、かなりカラーという意味で、似ているといえば似ているわけですよね。
それから、ザン、もはザンとはザンですね、と、それからその時を意味する副詞ゼンというのも、驚くことに1つの共通の語源に遡ります。
さらには、前置詞トゥ、トゥですね、それから副詞のトゥ、何々もっていうのがトゥですが、これも全く同じ発音です。
綴り字としては前者がもう1個だけ、後者がもう2個だけという微妙な違いですけれども、実はこれ同じ語源に遡ります。
それから、シェイルとシャドウという関係であるとか、エクサンプルとサンプルであるとか、他にはヒストリーとストーリーであるとか、このように探すとたくさんあるんですね。
専門的にはこのように同一語源で、後に微妙に意味であるとか、綴り字、発音などが変わって、見事して認識されてしまっている。
だけど本当は同一語源なんだよというのを二重語と呼びます。
ダブレット、二重の語ですね。
英語の中には、場合によっては35、45というものはゴロゴロ転がってきます。
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こんなことを知っていると、例的にビクトリーの動きはないでしょうか。
ではまた。