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本日は2月6日の朝ですね。
今日もちょっと散歩でメイジングの中を来てますが、今日はちょっといつもと違って、林の中っぽい道を歩いています。
前回ですね、自然と庭ということで、
茶の湯の席の前に僕が
お庭をお手入れしたりしている時に感じることなどをちょっと話させていただきましたけれども、
その時にちょっと語りきれなかったというか、これ話し出すとちょっと終わらんなと思って、実はちょっと切り上げたみたいな部分がありまして、
前回の続きというような感じで、今回はお話をさせていただこうかなと思います。
もしよろしければ、この一つ前のですね、自然と庭というエピソードから聞いていただけましたら幸いです。
さて、前回のエピソードの最後で、
庭というのは人の願いを具現化したようなものなんじゃないかと思ったりしていますというようなお話をしました。
人は人の中でしか生きられない、そういう社会的な動物ですけれども、
でも時にはそういうものから解放されたいというような意味合いもあり、自然と触れたいと。
でも本当の巣の自然は非常に過酷で、
人はなかなか直接そこに触れ合うことができないと。
なので、触れたい、でも直接は触れられないということで、
中間的な庭というものに、ある意味願いを込めてそばに置いているんじゃないかというような話をさせていただきました。
これ自体は本当にそう思っているんですが、そこからもう少し話を進めて、
実は僕らが言っている自然というもの自体が幻想なんじゃないかと、非常にイマジラリなものなんじゃないかというようなのが今回のテーマになります。
このお話をする前に、まずちょっと触れておかないといけないことが一つありまして、
それは、花は野にあるようにという言葉になります。
これは何かというと、茶の湯には離宮七則と呼ばれるものがあります。
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離宮は仙の離宮の離宮ですね。
七則というのは、七つの則は規則の則ですね。つまりルール。
ここでルールというよりは心得みたいなものですけれども、
つまり離宮が茶の湯においてこれが大事だよというふうに説いたと言われる七つのルールというものがありまして、
そのうちの一つに花は野にあるようにというものがあります。
ここでいう花というのは茶花と呼ばれるもので、
お茶席で床の間には軸をかけたりもするんですけれども、花を置いたりもするんですね。
花入れに花を入れて床の間に置きます。
ちなみに茶の湯では、花はいけるではなく入れると言います。
積んできたものをそのまま、あまり意図的にいじらず、
ポンと、ただ花入れに入れただけというようなことでやりますよというような意味合いですね。
この茶花を僕ら茶人は入れるわけですけれども、それぞれの茶席で自分自身で。
その時の心構えが花は野にあるようにというようなことがよく言われたりします。
じゃあ花は野にあるようにってどういうことですかみたいなのがあるわけですね。
花というのは枝も使ったりするんですけれども茶花では。
元々は自然にというか、基本的には自分のところの庭ですとか身の回りに生えているものですね。
そういうものを自分で取ってきて、部屋の中の花入れに入れて飾るということになるわけですけれども、
なんと言いますか、そこいらの野から積んできて部屋の中に持ってきてる時点で、
もはやそれは野にないじゃんみたいなのがあったりするわけですね。
ただそんなのは美宮も百の承知のはずで、
じゃあそれであえて花は野にあるようにというのを心得として述べたと言われているというのはどういうことなのかなと。
これはですね、もちろんなんというか100%の答えっていうのはないと思っていまして、
僕なりに考えているところもあれば、もちろんですねうちの師匠とか、
もうずっと何十年も花をされていらっしゃる方が思われる花は野にあるようにという解釈というのがそれぞれあるかと思いますが、
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今からお話しするのはあくまで現時点の僕の解釈というか思いということになります。
僕が思ったのはですね、野ということがそもそも想像上の産物なんじゃないかということですね。
例えば、ここで言う野というのはいわゆる自然と置き換えてもいいと思うんですが、
花が自然の中で咲いているようにっていうふうに言うのを考えて、
例えば花入れに花を室内で入れようとしたときにですね、じゃあ野とか自然って何なんだろうってホワンホワンホワンってイメージが湧くわけですね、自分の中に。
でもそれは例えば田んぼのあぜ道に花が一輪ですね、咲いているものとか、朝の住宅街の散歩道のどこかのお家の生垣にこういう花が咲いているとかいうようなシチュエーションを浮かべたりするわけですね。
あるいは人が全然いないような山奥深くにひっそりと咲く花みたいなイメージもあるかもしれません。
でもこれって結局人がイメージできている時点で現実のものではないとも言えるんですよね。
あくまで僕の経験上から導き出した野というイメージであって、本当にそういうようなシチュエーションをもちろん見たことがあるから思い浮かべるというのもあるんですが、
それが絶対的な野ではなく少なくとも人が思い描いているものであるということには違いないということになります。
つまり自分が思う野とは自分が思う自然とは何なのかということをこの花に込めようというような意味合いがあったりするのかなというようなことを考えたりしています。
この時にその庭の話ですね。
庭は自然には直接触れ合えない、つまり火には直接触れ合えない人間がいろんな形で火を、明かりだったり熱源だったりして用いてきたように自然に触れ合えない人間が作り出してきた、
自然への理想形というか願いを込めたある意味の道具とかイマジナリーな想像上のものを具現化したものじゃないかという話をしましたが、
そもそも自然というものも非常に幻想というか想像上のものだと思うんですね。
たぶん僕らが今自然と考えると一番わかりやすいのは本当に人っ子一人足を踏み入れたことないような山奥の自然みたいなものが本当の自然みたいなイメージを思い浮かべることあるかと思います。
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でもそれって本当に人の影響を全く受けてないんですかね、みたいなところはあったりするわけです。
これはですね、僕の自身の考えというよりは、エマン・ワリースという方が書いた、この方は海外の方なので、もとはもちろん英文で、それを日本語訳されたものなんですが、
自然という幻想という、まさに今回のエピソードのタイトルは実はこの書名から付けさせていただいたんですが、そういう本があります。
この著者の方は、いわゆる自然保護活動みたいなことをされている方なんですが、もともと前回もちょっと触れましたが、
アメリカの方での自然保護っていうのは、本当に国立公園みたいな形で囲って、人の手をもう入れない、触れないということこそが自然保護だというのが長年の主流だったそうです。
でも結局、先ほどのエマン・ワリースさんの言によると、もはや人の手がついていない自然など、地球上に存在しないというような論調なんですね。
つまり、例えばある奥深い森、そのものには例えば誰一人人間が入ったことがないかもしれないですけど、
もちろんこの生態系の中では、水も空気も循環しています。
ということは、人間活動によって影響を受けた水だったり空気だったりというのを、結局人が踏み入れたことないような森も使っているし、影響を受けているわけですね。
そういうことを言ったら、オゾン層がどうこう、温暖化がどうこう、みたいな話もすれば、もう地球環境自体が今全体的に人の影響を受けていると言われてますので、
そういうことまで考えると、本当に地球上に手つかずの自然があると思うこと自体がちょっと違うんじゃないかっていうのがその本の主張で、僕は結構本当にその通りだなっていうふうに思ったんですね。
じゃあ、どうしたらいいのかというと、むしろ人間も結局のところ自然に関わっているもの、人間も自然の一部なんだから、
人がいかに関わって自然を良いバランスの方向に持っていくかとか、都市の中にももうベランダとかいうレベルでもいいので、どれだけスポット的に多様な自然を作り出そうとしていくかが、
今後の地球全体としての自然の在り方として重要なんじゃないかみたいなことを述べている本なんですね。
僕はその本を読んだときに、先ほどの花は野にあるようにという茶花の考え方と、
庭をやって自分が感じた庭というのは、そもそもが非常にイマジナリな、創造の産物だというような思いが全部つながったような感じがしたんですね。
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つまり、僕らが考える自然というのも、僕ら的に捉えたイマジナリな産物であって、絶対的なものではないと。
つまり、人とは遠く離れたところにある存在ではないんだというようなことを感じましたし、今はそう思っています。
僕がいる、実はこのメイジングーの森というのも、これ意外と知られていないことのような気がするんですが、
メイジングーというのは非常に豊かな森に囲まれていて、僕の友人とかでも、あそこってすごい豊かな森を切り開いて作られてるよね、みたいなことを言ったりするんですが、
実は順番が逆で、メイジングーを作るぞというふうになった後に、実はこの森は作られたんですね、人の手によって。
メイジングーを作るぞとなった時に、全国から樹木とかが寄進されたんですね、非常に大量のものが。
これを、いわゆるメイジングーの園内に植えていこうという時に、結局、作者さんたちがいろいろ考えて、もう100年スパンで、どうやってこれらの木を植えて永続的な豊かな森にしていこうかということを考えた時に、
まずは、草とか、背の低いものから生え始めて、そこからもう少し背の高いもの、そして最終的には、大木も、中木も、背の低いものも全部混在して、多様な生物たちが生きていけるような森にしていこうという計画の下、本当にその通りに作っちゃったというのが、実はこのメイジングーの森なんですね。
でも今やですね、もう人造林の面影なんて一切なく、本当にこれはこれで、もう本当に最初に見たら誰しもが、あ、自然の森ですね、みたいな、豊かな森ですね、というふうに言うと思います。
でもこれは先ほどの通り、ある意味作られた森なんですが、これを僕は人工物とかいうことは全然ないと思います。
人の手によって整えられたものではありますが、もちろん森の中では、いろんな草木とか、虫とか、動物たちが、今も鳥の鳴き声がすごいあちこちから聞こえますけれども、そういうものが、言ったら人間のことなんかお構いなしに、勝手気ままに生活をして、この森の中で生態系を作っているわけですね。
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でもそこには人間も確実に関与している。
こういうようなことがですね、いわゆる自然というもののあり方だし、多分、おそらくこれから僕たちが感じていったり大事にしていかなきゃいけないようなものなんじゃないかなと思ったりしています。
はい、ということで今回は以上とさせていただきます。ここまでお聞きいただきありがとうございました。