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2023-11-12 1:25:03

『読んでいない本について堂々と語る方法』について、読まずに堂々と語ってみた。【後編】

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特集シリーズ「読んでいない本について堂々と語る方法」について、読まずに堂々と語ってみた。の後編です。

著者のピエール・バイヤールさんよろしく、「読んでいない本について堂々と語る方法」という本の本編を全く読むことなく収録した前編、今回はその答え合わせの後編となっております。

前編の収録で出てきた「インプットとアウトプットの方程式」、「他人から聞いた本はすなわち色眼鏡」などの"キー概念"は、果たして本編に登場するのでしょうか?

前回収録後、不遜にも「この読み絶対当たってるでしょ」などとのたまっていたメンバーは、読了後何を感じたのか?

カタラジオは何を「語って」いたのかを知る、珠玉の後編!?ぜひご笑覧ください

カタラジオの二人に「読まずに」語ってほしい本ってある?感想・お便りは「⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠お便りポスト⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠」まで


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  • 企画: 『読んでいない本について堂々と語る方法』について、読まずに堂々と語ってみた。 - どんな企画だったっけ? / どんな本を読んでるの? / 実際に読んでみて / 「目次」をながめる / 「序」を読む / 第1章「未読の諸段階」 / ぜんぜん読んだことのない本 / ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本 / 人から聞いたことがある本 / 読んだことはあるが忘れてしまった本 / 第2章「どんな状況でコメントするのか」 / 大勢の人の前で / 教師の面前で / 作家を前にして / 愛する人の前で / 第3章「心がまえ」 / 気後れしない / 自分の考えを押し付ける / 本をでっち上げる / 自分自身について語る / 「結び」を読む / カタラジオと創造的批評論

📻カタラジオとは📻

ひょんなきっかけで、突如ラジオをやってみたくなってしまった中高時代の同級生の二人。医師と企画者という異色で異職の二人が、ゆる〜く語らう、似非インテリジェントな実験型ラジオ番組です。


🤝出演 🤝

ヤマガミ:金沢在住の医師、不遜な方、ベシャり担当。

ミント:東京在住の企画者、横柄な方、ゆる進行担当。

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📚参考文献📚⁠⁠⁠⁠⁠⁠

サマリー

カタラジオの後編では、医師と企画者が読んでいない本について堂々と語る方法を実践しています。彼らは本のタイトルから新たな読書の概念を獲得し、批評の重要性とその実践に感動しています。また、未読の本についての考察が行われ、読書の定義や未読のステータスに対する問いが提起されます。この本では、本を読むことは忘れていく過程であり、自分の判断に近しいことのみが残り、読まずに語る方法論が重要であると述べられています。『読んでいない本について堂々と語る方法』について、彼らは読まずに堂々と語ってみました。【後編】では、内なる図書館と共有図書館の概念の対峙や内なる書物の不一致が探求され、作家や愛する人の前で本について語る場面の面白さが描かれています。さまざまな切り口から語られる読んでいない本についての方法と内なる図書館の関係性についても触れられています。また、本をデッチしてあげることや他者が本について知っていることを考えることをやめて自由な批評をするということも伝えられています。堂々と語る方法についての本を読まずに語ることをネガティブに捉えず、批評という行為についての見解が語られています。また、読んでない本について語りたい場合には、自分が創作することが大事であり、教育の文脈で本を読むだけでなく、読んでない本を語ることを教えることも重要だというメッセージが語られています。カタラジオのライブ配信を続けることは、山上氏の推奨する堂々とした本を語る方法を実践することです。

00:00
スピーカー 1
【後編】読んでない本について堂々と語る方法。
スピーカー 2
カタラジオ。
スピーカー 1
はい、始まりました。医師と企画者がゆるく語らうエセインテリジェントな実験型ラジオ番組。
カタラジオの時間が今週もやってまいりました。
スピーカー 2
ゆる信仰担当のミントと、ペシャリ担当のヤマガミです。
スピーカー 1
はい、今日もやっていきましょう。
スピーカー 2
はい、お願いします。
スピーカー 1
いやいやいや、前回やっちまいましたね。
スピーカー 2
いや、最高だったね。
頭フル回転で、おもろい作品作り上げたね。
スピーカー 1
読んでしまいました。
スピーカー 2
はい。堂々と語っちゃいましたね。
スピーカー 1
いや、語ってしまいましたよ。
ねえ、それで、この内容が合ってんのか、間違ってんのか、はたまたっていうね。
スピーカー 2
いや、ワクワクですよ。これ答え合わせだからね。
いや、そうなのよ。
あの、久々に思い出した感覚としては、
あの、高校とかのさ、模擬試験を解いて、
さあ、丸付けどんぐらい合ってるかみたいな、あのワクワクがね。
スピーカー 1
なるほどね。
その感覚だよね。
だから、読みながら、あれ、俺らの読みってどうだったって感じになってるわけですよね。
スピーカー 2
一通りやり切ったぜって感じであったからさ、こないだ。
はいはい。
さあ、どうだって感じだよね。
スピーカー 1
いや、もう早速いってみましょうかね。
スピーカー 2
いきましょうか。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
読んでいない本について堂々と語る方法について、読まずに堂々と語ってみた。
スピーカー 1
後編です、今回。
ということで、改めて企画タイトル読み上げますが、
読んでいない本について堂々と語る方法、
括弧閉じる、について読まずに語ってみた後編でございます。
スピーカー 2
本のタイトルがね、長い。
コツカメみたいな感じだよね。
スピーカー 1
ああ、確かにね。
こちら。
スピーカー 2
亀上、公演前、発出上、みたいな。
スピーカー 1
雑やな。
スピーカー 2
的な感じですよっていう、ノリ的には。
スピーカー 1
ってことですね。
ちょっと改めてね、企画趣旨を説明しておきますと、
カタラジオではね、特集っていう形式でテーマ本について掘り下げていくというスタイルがもう当たり前になってきてますけれども、
当たり前ですけどこれね、本を読むってなったら、
時に一章ずつみたいな流度でじっくりじっくり読んでね、収録に臨むというのが、
これまで状態化してたわけですけれども、
今回は、読んでない本について堂々と語る本っていうのが実在するんですよね。
で、この本を読まずに語ってみようじゃないかっていうぶち上げ企画でございます。
スピーカー 2
メタ的な企画ですごくね、面白いよね。
スピーカー 1
そうなんですよ。
で、これを語ってみた結果、内容どれぐらい合ってたの?どれぐらい違ってたの?っていうのをですね、
目明かしするというのが、今回後編のテーマでございます。
スピーカー 2
前回撮り終わった後はさ、なんかほら、方程式の出現に興奮して、これもう俺たちこのしゃべった内容さ、
もうほぼこの本に書いてあることともう同じなんじゃねえの?みたいなテンションじゃなかったっけ?
スピーカー 1
いや、そうなのよ。発展じゃねえ?っていう感じになりましたよね。
ちょっとね、簡単に前回どんなルールで読んだかっていうのをね、振り返っておきましょうか。
スピーカー 2
そうね。
スピーカー 1
前回どうやって読んだかっていうと、この本だよね。このタイトル改めて読んでない本について堂々と語る方法っていう本について、
これ通読してる前提で、いつもの特集スタイルで話しましょうっていうのが前回のね、取り扱ったテーマだったんですよね。
スピーカー 2
ですね。
スピーカー 1
で、もう一個ルールがあって、メタ視点。つまり、あ、俺読んでないんだよねっていう自分は一旦封じ込めて、
メタ視点を出さずにあくまで読んだ人を振る舞うっていう、そういうやり方で前編デッチ上げましたというのがですね、前編の企画の内容でしたと。
スピーカー 2
これぜひね、聞いてない人は前編から聞いてほしいよね。
スピーカー 1
いかに僕らがアーティストっぽいことを言ってたのか、もしくはそれでもグッとくることを言えてたのかっていうね。
スピーカー 2
すごいスリラスラすいよね。ここに書いてあったじゃん。おうみたいな流れも結構あるよね。
スピーカー 1
ありましたね。
スピーカー 2
知らねえよ。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
ちょっとあれを見ながら突っ込む回っていうのなんか面白い。
いいねいいね。
そんなこと書いてないでしょみたいなね。
まあまあまあ、それはさておきというところ。前回は前回で面白かったんですけれども、
もうちょっとやりきった感もあったんだけれども、今回は改めまして、我々二人がこの本を実際に読んでみて、
僕らのね、前編での読みと、どれぐらい近くてどれぐらい遠かったのかという答え合わせをしていきましょうというのがですね、この回の趣旨でございます。
いやあ、読んできましたか?
スピーカー 2
もちろん読んできました。さすがに今日魅力決め込むのはね、あのちょっとね、勇気ありすぎるでしょ。
スピーカー 1
いやいやいや。
スピーカー 2
まあでも、たぶんまさに今回みたいな状況が、ちゃんと本読まなきゃいけない状況じゃん。
スピーカー 1
そうだね。確かに。
スピーカー 2
さすがに前回読まなくてもいいけども、その企画として。
はいはいはい。
PLバイヤルさんは、今回みたいな二度目の収録のときに読んでくるなみたいなスタンスなわけでしょ。
スピーカー 1
そうなんだよね。本気語りするときにもう読まんでええやんっていうことを言ってるんですよね。
スピーカー 2
そう、だからミンティー、今日俺が魅力だったらどうするみたいな、そういうノリでしょ、たぶん。
スピーカー 1
そうだね、これ魅力で来てんじゃねえんだよ、ヤマガンみたいな。
スピーカー 2
そこはご想像にお任せします。
スピーカー 1
そうなんですね、これ永遠にわかんないですからね。
スピーカー 2
そうそうそう。っていうのが書いてあるよね。
スピーカー 1
そこは面白かったですね。ということで、早速本編入っていきましょうかね。
はい。
はい、ということで本編入っていきましょう。
改めて、いつもは特集の形式で紹介できたら比較しやすいかなというところで、特集に則ってやっていきますけれども。
今回の本のタイトルからいきますと、改めてですけど、読んでない本について堂々と語る方法ということでね。
なかなかおもろい匂いがプンプンしてくるタイトルですよね。
面白いね。
いやもうこれを手に取ってよかったなっていうふうにね、思えるといいなというわけですけれども。
これ書いた人がピエール・バイアールさんっていう方ですね。
この方フランス論談の記載と呼ばれてまして、パリ第8大学の文学教授なのかな。
そうなんだね。
精神分析家っていう形を持ってるよというところですね。
で、「何やってんの?」ってところでいくと、文学をめぐる様々なパラドックスに着目し、創造的批評論を展開すると。
スピーカー 2
新しい概念の。
スピーカー 1
批評をするために創造するってことだよね。
創造的な批評をやってこうぜっていうようなことを言ってる人ですよということですね。
でも結構たくさん本書いてる人だよというところなので、ちょっと他の著書実は僕は読めてないんですけれども。
今回初めてのね、バイアールさんの本というところでございます。
で、これね前回も紹介しましたけれど、出版社の紹介文というところでいくと、本は読んでなくてもコメントできる。
いやむしろ読んでない方がいいくらいだっていうね、半語が本の帯にベロッと書かれてるわけですよね。
スピーカー 2
すごいキャッツいるよね。
スピーカー 1
いやいやこんなことをぶっこんじゃっていいの?みたいな。
スピーカー 2
え、マジ?
スピーカー 1
でもなんかこう歴史的な文学者たちが、いかに鮮やかに読んでフリをやってのげたかっていうのを霊唱していくんだっていうことをね、言ってるわけですよね。
で、こういうことを通じて、そもそもねこの本を批評するってどういうことなの?とか、まさにね創造的批評論っていうことを言いましたけど、それの真髄だよね何ならね。
そう。
この本通じて語っていくと。
スピーカー 2
この本、そうだね創造的批評論が多分この本のテーマだよね。
スピーカー 1
うん、そうなのよそうなのよ。
っていうのでね、これも前回もまた触れましたけど、一応改めてこれが正式な特集だというところでいくと、帯にね、世界の六書家がこっそり読んでいる第一ベストセラーって書いてあってね、これ最高だよねこのコピー。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
みんなこっそり読んでるからこそ静かにベストセラーになるというね。
スピーカー 2
でもこれをさ、改めてこの本読んでこの帯見ると、どっちかというとこれ読んでいるのは世界の読書家というよりなんか批評家の方々が読んでそうだなみたいな。
スピーカー 1
そうだね、だからその読書家っていうよりは、やっぱりこの本続くして感じるのは力点はさ、読むか読まざるかって話じゃなくて、語るか語らざるかって本に力点がある。
スピーカー 2
そうそうそうそう。
スピーカー 1
そうそうっていう意味でいくと確かにね、読書家というよりは批評家かもしれないね。
これはちょっと文脈に若干ね、語弊があるかもしれないですね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
まあまあまあそういったところもね、今日ちょっと実際に読んでみた上でという話をできればというところでございますがね、ちょっと今日はいつもみたいにつらつらと全体の話をしていくのも面白いんだけど、
まずもうざっくり、今日はね、もう読み終わってるってことなんで、読んでみてどうだったってところからいきましょうかね。
スピーカー 2
そうだね。
新たな読書の概念
スピーカー 1
いやいやどうですかね、もはめさん。
スピーカー 2
読めました?
読みました読みました。
スピーカー 1
読んで、今回俺新しい概念を獲得したんだけど、何の概念だと思う?
何の概念?
スピーカー 2
この本を読んで、俺が獲得した新しい概念は、読書。
スピーカー 1
ほう。
スピーカー 2
読書っていう概念が。
スピーカー 1
読書そのもの。
そう、読書って概念が大きくアップデートされた。
スピーカー 2
いいですね。
スピーカー 1
読書って。
その心は。
スピーカー 2
読書って俺ただ本読むことだと思ってるの。
しかも、俺本読まない人間って言ってたじゃん、ずっと自分で本読まない人間を語ってたじゃん。
それはこの本の言葉限ると俺は、読書は結構神聖なもんだと思ってて。
そんな気軽に本なんて読めるもんじゃないというかさ。
すごい重いもんだと思ってたけど、あ、そうじゃないんだって。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
読書は本読むことじゃなくて。
読書ってのは読書にまつわるいろんなコミュニケーションだったり、読書周りのことを含んで、読書という一つの体験なんだってことを概念アップデートした。
スピーカー 1
いいですね。
だから本読むっていうことって何なのっていう話が確かにアップデートされるよね。
そうそうそう。
スピーカー 2
そういうことなんだっていう。
スピーカー 1
確かに確かに。
スピーカー 2
僕らが漠然と本を読むっていう言葉を聞いた時に思い描くのは、それこそ文章を一文ずつ頭の中に取り込んでいって、そこに何が書かれているのかを理解するみたいな営みじゃんって思ってるけど、果たしてそれが読書なんだっけっていうことだよね。
批評の重要性と実践
スピーカー 2
あと、結局その俺たちが喋った内容とこの書いてあることが、一つ捨てるかって話でいうと、結論あんまり一つは捨てないっていうのが多分答えになると思うんだけど、最初に言っちゃうとね。
でも逆にそれでもいいじゃんっていうのをこの本が言ってくれた。
スピーカー 1
そうなんですよ。この本のすげえところは、僕らが去年の冬、12月からやってきた営みそのものを諸手を挙げて背中を押してくれてる本だってことに気づいちゃったんだよね。
これはちょっと僕マジで感動したな。
スピーカー 2
感動したね。
スピーカー 1
すごいよかったですね。
スピーカー 2
なんかすげえ背中を押されてる。
いやほんとそう。
俺たちのバックにはPLバイアルさんがいるみたいな気持ちに。
スピーカー 1
いやほんとっすよ。マジでこの人が言ってることをやってたやんっていうぐらいの話だよね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
ちょっとそれどこなのって話はすごい気になってきてると思うんですけど、ちょっとその前に僕の方からの感想を言うと、
これ前回の僕らのまさに勝手に堂々と語った回前半ですよね。やった切り口というか捉え方は結構ハウツーっぽい切り口の想定で語ってたんじゃないかなと思うんですよ。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
つまり語る方法だからそのための問題を分解してどういうふうにそれを実現するのかっていうことをやってました。法定式みたいな話もあったよね。
で、それをイメージしてたんだけど結論めちゃくちゃ骨太でいわゆる批評だよね。批評の香りが漂ってる本だったっていう感じ。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
読んだ印象でと。結構なんていうのかな。語り口結構軽妙なんですよ。実際読んでいただくと分かると思うんですけど。なんだけど結構ラディカルなこと言ってて。
スピーカー 2
言ってるね。
スピーカー 1
かつその構成の中で本をどんどん引用しながらなんていうの進めていくのね。これがすっごい素敵なのよ。
スピーカー 2
そうだね。おしゃれだよね。
スピーカー 1
1章のまず1個目を読み終えた時点で僕もうすでに感動してしまっていて。ちょっとグッときてましたと。
スピーカー 2
いいねいいね。
そうなんですよね。これ第一さっきも批評の本だよって言ったけど何の本かというと文学批評の本なんだよね。かつもうちょっと言うとメタな文学批評だと思います。
スピーカー 1
そうだね。
文学を批評するってことを1個上のレイヤーに上がって批評してる人の本なんだよね。っていうスタンスの本なんだっていうのがまず僕にとってすごく新鮮な事実で。
スピーカー 2
分かりやすく言うとこの本で文学の批評してるのはピエール・バイアルさんじゃなくてその引用された本の中の登場人物が批評してるんだよ。
スピーカー 1
そうなんですよ。この形式はめちゃくちゃ面白くて。自分がいろんな本のあそこであれ言ってたんだって引用しながらそれぞれが本を読むっていう行為についていろんな切り口が語ってんだよ。
さらにおもろいのがその引用してる本の読書ステータスを全公開してるんですよ。
これマジでふざけてて。
例えば有名なユリシーズとかの本をこの人は読んでないんだって明らかに書いてるんだよね。
スピーカー 2
書いてあるね。
スピーカー 1
書く本に対して見えるこの略号一覧っていうのがあって、未読の未ですよね。全然読んだことない本。流、流れるって書いて流れるって書いてざっと読んだ流し読みをした本。
聞くっていう漢字を書いて人から聞いたことがある本。忘れる、忘却の某って書いて読んだことあるが忘れてしまった本っていうのを書く本に書いてあるんだよね。
かつ本に対して評価書いてある。これがもうめちゃくちゃ面白いやんと。
読んでない本を引用しながら、本を読むってどういうことなのってのを語っていくっていう、この構成自体がめちゃくちゃオシャレだなと。
スピーカー 2
オシャレは面白いと思ったけど、俺この略号のところで思ったのがさ、全然読んだことない本未に対してさ、全然ダメだと思ったっていう評価を受けてるのがさ。
真夏だなと思って。
スピーカー 1
タイトルからダメだみたいなね。
スピーカー 2
それはすごい面白かったけど。
スピーカー 1
いやーそうね。でもなんかちょっと感想もうちょっとだけ続けると、全体の中で、そもそも一部二部三部みたいな構成なんだよね。
なんかその一部の中で未読ってどんなものがあるかみたいな話があるんだけど、その中でね、僕らが毎回特集のときにこの本ってどんな本かとか、誰が書いた本かとか、本の構成どうなってるかみたいな。
あれとかめちゃくちゃ大事だってことがさ、改めて確認できたなとかさ。
スピーカー 2
あの作業に名前つけてるからね。
スピーカー 1
そうなんですよ。っていうこともすごい面白かったし、なんかちょっとこれまで僕らが読んできたある種ちょっとサイエンスっぽい文脈だったりとか、
分析的な本、実証的な本とはちょっと経路が違ってすげえ面白かったね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
初めて読むタイプの本だと思った。
初めて読むタイプだし。
文学批評なんだけど。
スピーカー 2
しかもまさに俺のやってる活動とすごく深く関わってくる本で。
そうなんだよね。
なんか面白かったよね。
スピーカー 1
っていうのがちょっと内容にあんま触れずにざっくり語った全体像って感じなんですけど。
スピーカー 2
確かにハウツー本ではなかったけど、長い目で見ると俺たちの語らずようなハウツー本というか。
スピーカー 1
そうだね。だからめちゃくちゃラディカルなハウツー本だよね。
ハウツー本だよね。
そうそう。
そうそう。なんか今日明日何しましょうってことは一切書いてないんだけど。
うん。
どういう姿勢で臨むのかね。
スピーカー 2
そうそうそう。そうだね。
スピーカー 1
なんかそういう本でしたね。
うん面白い。
はい。ということでちょっともう具体の内容に入っていきたいんですけど。
入ってこう。
改めてねちょっと全体の構成、前回も触れたんだけども、一回全部読んだ状態でどんな小立てになってたかっていうのをちょっと整理しておこうかな。
はい。お願いします。
この本はまず序っていういわゆる始めにみたいなところから始まって、ここでこの本のスタンスだったりとか何を課題に、何を解決しようとしてこの本を書いてるのかみたいな構成の説明みたいなところもありますよと。
で大きくその後1部2部3部と続くんですけど、1部が未読の初段階っていうことで、要は読んでない状態の考察をやるための部になってますよってことですね。
ここでは全然読んだことない本とか、ざっと読んだことがある本とか、さっき略語でも挙げてたような読書のステータスに対してそれってどういうステータスなのっていうことをちょっと考察していくということをやりますね。
でその後続く2部ではどんな状況でコメントするのかっていうテーマ、まさにこの本が言ってる語る方法のその語る場面ってどういう状況なのってことについての考察というのをやっていくというところですね。
でこれも大勢の前にとか教師の直前でとか、サッカーを前にしてとか愛する人の前でとか様々なケースが考察されると。
で最後にその上で語らされる状況になった時に、それをどう上手に解決するかっていうこれ自体がこの本を書いた筆者の動機だよっていうふうに任されてるんだけれども、
スピーカー 2
これ要は心構えですよね。どういう心構えで読むべきなのかっていうその本を読んでない本を堂々と語るための方法に関する問題、これに取り組む性ってのを最後にやってきて、でまとめの結びかっていうところで結論を締めると。そんな構成になってる。
スピーカー 1
でここまで言うと前回見た見立てとそんな変わらんやんってなるんだよね。
スピーカー 2
ここまで前回も見てたからね。
スピーカー 1
目次とその最目にあたる部分だから変わらんやんってなるんだけど、何が違うのかっていう話からだよね。
スピーカー 2
前回はだからこの目次を見て俺らはこれを完全にハウツー本と関係して、4つのインプットと4つのアウトプットに分けてその間の編集がありますよみたいな簡単なアルゴリズムに当てはめようとしてましたって感じだったけど、けど、けどだよね。
スピーカー 1
けどってとこだね。
でなんかそのけどの部分のスタンスが化されるのが毎度の如くですけれども、このジョの部分だよね。
スピーカー 2
ジョ。
スピーカー 1
ジョの部分、ジョの部分がすごいよって。
これ最初にさ、すごい正直にヴァイアルさん言ってるんですけど、ヴァイアルさんって多分文学教授なんだけど、本を読まない環境に生まれて、読むことが好きでもなく読書に没頭する時間もないのに、本についてのコメントを求められる文学教授っていうふうにすごいこう自分を客観的に比喩して見ていてめちゃくちゃ面白いなと。
スピーカー 2
なんで文学教授になったんだろうね。
スピーカー 1
そうね。って話もあるけれど、その彼が読まずにコメントするっていう体験について論じた本であるよということが明かされてるんですよね。
今説明したような経緯から、この読まないである本についてコメントするっていうことについて、自分ほど責任なものはいないだろうみたいなことを意識しつつ、この主題がタブーであろうなということを理解しつつもですね、論を進めていくという非常にスリリングな入り口になっているというのがね、このジョで語られるところなんだよね。
ここでさっき山上くんが言ってくれてたみたいに、読書ってものに対する捉え方がちょっと偏ってんじゃないかって話がこれ提示されるんだよね。
三つ規範があるって話があって、ジョの中で。ここで書かれてるのは読書義務。これ何かというと読書は神聖なものである。本を読むということがとても大事なのであるみたいな規範だね。
もう一個が通読義務。これ何かというと本は通読して叱るべきだみたいな規範。最後に三つ目が、これちょっと名前ついてないんだけど、語るとき、本について語るとき、その本のことをちゃんと読んでないといけないっていうこういった規範があるだろうということを言っていると。
なんだけど、この規範嘘じゃねっていうのを言うのがこの本の趣旨なんだよね。これがさっきのオビにも書いてあったメッセージと交互するんだけど、読んでなくてもおもろい会話できると。なんならある本について比較に語るには読んでない方がいいんだ。開いたことすらなくていいんだみたいなことを言うわけですよ。
どうだったミンティ通読義務とかやっぱ思ってた。 通読義務は僕は結構早いタイミングで通読義務なんかないんだってことに気づいた口だったかもしれないね。 だよね。ミンティだから横読みするみたいな話してたじゃん。いろんな本をさ。 そうそう何冊か積んでね横移動しながら読むって話をね。
スピーカー 2
そうそう。俺なんてそんなことできないというかさ、なんでそんなことするのっていう発想だったから、ようやくこれを見ながらミンティがやってるつんどくみたいなのってこういうことなんだって思ったりとか、読書ってそんな深刻化して片筆でやって読まなくていいんだって気持ちに慣れたね。
スピーカー 1
ああそうだよね。あとここでさちょっと面白かったのはこの語り口というか、読書について神聖化されているところを覆したいみたいなモチベーションが前のシリーズで扱った反共感論とすげえ似てるなと思って。 なるほどね。
そうそう共感って当たり前にみんないいと思ってるし、そんなことないよっていうあの前回のテーマ本とのなんかちょっとこうシンクロも感じましてね。 だからこそ今回はやっぱ読書っていうのは概念なんだね。概念としての読書に対してアンティテーズをぶっこんでるっていう。
今なんかその規範の話をしたけれど、これがなんか学者にとってこの規範が結構呪縛になってるみたいな話をこの序ではあのヴァイオリさんぶちまけるんですよね。この規範があるせいで学者はみんな嘘をつくんだと。どんな嘘かっていうと本読んでますって他人に対して言うっていうのも当然あるんだけど、どちらかというともうちょっと重たいという構造的な嘘で、それはもう自分に対しての嘘だって言うんだよね。
だから学者自身が本を読まずに語ってるともう自分で認められなくなってると。それぐらいのタブーがあるんだと。で彼はこの本を通じてこの山下を解明したい。そう言ってるんですよね。これはなんかすごい面白いアプローチだなと思うし、みんなこっそり読みたくなるっていうのはすごいよくわかるよね。
まあある意味学者さんたちにとってこの救済というかさ、救いの意図を差し伸べてるような本かもしれない。
その上でこのバイアルさんが一個提案してるのは、この本でも採用されてるように本の中で何かある書物を引用するときにその引用した書物に対する自分の読書の程度、どれだけ未読なのかっていうステータスを開示してもいいじゃんっていうことを提案してるんだよね。
でこの人は積極的に未読の本も未読ですって言いながらこんなこと言ってるんだとかって言い張ると。そんな構成になっているというところで、自ら率先して未読っていうステータスに対して前向きに向き合っていこうじゃないかと。そういうある種の決意表明になっているというのがこの最初の書なんですよね。というのがこの入り口のお話でございましたけれども。
一部どうだった?一部がまず最初にやってくるのが、ジョナートにやってくるのが一部の未読の初段階ということで、さっきもちらっと出てきた通り未読には全然読んだことない本とざっと読んだことがある本。人から聞いたことがある本。最後読んだことあるが忘れてしまった本ってあるんだけど、ここの語り口めちゃくちゃ面白くなかったですか?
未読のステータス
スピーカー 2
ここいきなりすごい大事だよね。いきなりここで読書を定義してくるじゃん。読書は本を読むことじゃなくて、本の持つ、ざっくり俺の言葉で言い換えると、位置情報みたいなのさ、決定する行為だっていう座標を決める行為だみたいなのが読書だっていうのが、この章で言わんとしていることじゃない。
スピーカー 1
この一部でのテーマって、つまり読むっていうことをみんな正しく理解しているかっていう、そういう問いが向けられるわけだよね、読書に対して。
未読の初段階というか、読むの定義だよね、この一章のテーマは。 その中でも特に1-1、一部の第一つ目の方かな、全然読んだことのない本っていうところから始まるんですけど、この書き出しとか僕すごい最高だなと思ったんですけど、全然読んだことのない本っていうステータスは全ての読者が置かれている状況とほぼイコールであるっていう。
これ合わせたかったね。 そう、つまり読者はほとんどの本に対して未読っていうステータスなんだと。つまりこれは書物に対する人類の基本的なスタンスであると。
スピーカー 2
結局だからこの数百冊読んだとこで、全本の数に比べればもう全員がゼロに均一できるってことだよ。
スピーカー 1
そうそうそうそうなんだよね。
スピーカー 2
お前ら100冊1000冊読んだぐらいで読んだ気になってんじゃねえぞっていう。
スピーカー 1
そうそうそう。これを語る上ですごい象徴的なのが、これ早速なんだけど彼は特徴のない男っていう本ですよね。を引用しながらこれを紹介するんですけど、特徴のない男っていう本の中である図書館司書が出てくるんだよね。
この司書が言ってることが面白くて、ある人物が重要な思想がいっぱいあるけど大事な思想を取り込まないとみたいな思いで、体系だって本を読もうっていうモチベーションで図書館に行ったと。
毎日本を読みながらこれ全部読もうというふうに考えてたんだけれども、そこに収蔵されてる本の冊数をその司書に聞くんだよね。そしたらその人は気づいてしまったと。これを全部毎日読んでいったとしても全部読み終わるのに1万年かかるということに気づいちゃうわけなんですよね。
で、ここからあることが分かったと。これ何かというと、ある本を読むってことはある本を読まないことを選ぶということが表裏一体なんだと。つまり全ての本を読めないっていう事実をまずここで突きつけるわけですよ。
大事大事。 これこの始まりすごいよね。こんな始まりになるとは思わなかったよね。
本の全体の見晴らしと共有図書館
スピーカー 1
すごいセンシテーショナルなんだけど、これがめちゃくちゃ僕グッときて、これって教養と無限の関係性を考えなければいけないみたいなことを言ってたの覚えてる?
スピーカー 2
教養に関してはこの本結構触れてたけどね。ここでも教養に触れてたっけ?
スピーカー 1
そうそうそう。あらゆる知識が一言一句頭の中に入ってるってことが教養じゃねえんだってことだよね。つまりね。知識ってものの全体を定義しようと思ったらもう無限に広がってんだけど、そうじゃないということなんですよね。
そこでこの全部読もうと思った人が師匠に対して聞くわけですよ。どうして私が全部の本知ってるのか知りたいとおっしゃるんですね。そこに対してつまり一冊も読まないからですって師匠が回答するんですよ。これなんと洒落た師匠なんだって話ですね。
スピーカー 2
洒落だね。
スピーカー 1
この師匠が面白いのは平らで一冊も読んでないわけじゃないんだって言うんだよね。わざわざ注意して本を読まないようにしてるっていうことを言うと。で、このことをこの本全体に通ずる概念として全体の見晴らしっていう概念でこの人が定義するんですよね。
この全体の見晴らしってどういうことかっていうと本っていうのは一冊で存在してるんじゃなくて図書館の中のある場所に存在してるものだと。で、ある本とある本の関係の中にしか本っていうのは存在しないんです。で、ここでさっきの教養の無限性の端が出てくるんだけど真の教養っていうのは網羅性を示すんですよと。
ある事実についてめちゃくちゃ深いっていうのが教養なんじゃなくてここにも本があるしここにも本があるしでもその全体ってこうだよねっていう関係性を把握してるってことが真の教養なんだということを言うんですよね。僕はこの入り口でこの本を語り始めるのめちゃくちゃかっこいいなと思って。
いやーおしゃれだよね。本がどこに位置するのかっていうのを知るってことが本の中身を知ること以上に大事なんだ。それがこの全然読んだことがない本に対するスタンスだよと。
スピーカー 2
その本を読まない未読にも全く本を読まない人にも2種類いるって形じゃん。わざと読まない人と師匠さんみたいなと本当に読んでない人。それは違いますよ。読んでない理由が膨大な書物の海に飲み込まれないように自分をディスするためにあえて読んでないんであればそれはOKですよっていうことをここで定義してるよね。
スピーカー 1
そうだね。積極的に読まない、能動的に読まないっていう選択があり得るんだっていうことをここではね紹介されるわけですけど、これはなんかなんというか、なんというかだよね。それこそさタイパとかの話で出てきたさ、なんとかしてこの映画をインプットしないと明日のおだねついていけないみたいなさ考え方と全く真逆なことが出てきた。
なんていうの、現代のさ人間が陥ってるものと全く逆張りしてるよね。
スピーカー 2
この発想はなかったね、でもなんかなるほどと思った。
スピーカー 1
これを突きつけられたときになんというかその、教養の幹の太さというか深さというかガツンってやられる感じがありまして、なんかこう僕らがペラッと喋って伝わるようなもんじゃない気もするけど、ぜひ読んでほしいけどね、これはね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
本当にこの1-1がめちゃくちゃ良くて僕はグイグイ引き込まれちゃった。
スピーカー 2
言ってたよね、1-1良かったって。
スピーカー 1
そうそうそうっていう感じでしたね、この本のスタンスをやっぱり示されたって感じだよね。
でこの中つながっていくんだけど、この時にキーになるのがね、さっきも出てきた全体の見晴らしっていう話がね、結構キーになってね、次に続くよね。
全体の見晴らし概念は、さっきは図書館の中で本の位置関係を把握するために全体の見晴らしっていうのが大事だよって言ったんだけど、続くね1-2。
1-2、ざっと読んだことがある本っていう説かな、章かな、説家の中では全体の見晴らしっていうのをライブラリ全体、図書館全体じゃなくて一冊の本の中でも適用することができるんだよっていうことを説明してくれるのがこの1-2ですよね。
スピーカー 2
結局ロードマップをすっかりね、この全体でも本の中でも各本の間でもしっかりつけてあげることが大事ですよっていう話だね。
ここで言う全体の見晴らしっていうことは、つまり何を言ってるかって言うと通読意がねえよって話なんだよね。
スピーカー 1
一言一句全部読まなくても、僕らが毎度さ、冒頭にやってるような全体の構造が分かってたりとか、そういうことができれば本を読むという上では有効なんじゃないのってことをね、言ってくれてたね。
この辺りはすごい良かったですね。1-2なんかおもろいとこあった?
スピーカー 2
1-2というか、この1-1と1-2でよく出てくる共有図書館っていうキーワード。
スピーカー 1
出てきましたね、共有図書館。
スピーカー 2
これがすごい大事だと思ってて、結局全体の見晴らしが大事で、その本の座標を定めろっていうことを、この人は本を共有図書館の中で位置づけろっていうふうに書いてて。
スピーカー 1
そうだよね。これ面白かったね。
スピーカー 2
この後ね、実はなんちゃら図書館なんちゃら図書館って2個出てくるんだけど、その第1のに出てくる架空の図書館が共有図書館だから、この共有図書館っていうのは、全体の本の中の本の位置情報を位置づけるための頭の中のロードマップのことを共有図書館と定義しますよっていう、まずそれを定義した大事な章じゃんここって。
スピーカー 1
そうだね。しかも今ちょっと山上くん頭の中でって言葉が出てきたから若干だけ補足しておくと、その共有図書館っていうのはAさんにとってもBさんにとっても同じものが見えてるっていう意味での共有図書館であることがすごい大事なんだよね。
本のスクリーンとしての役割
スピーカー 1
そう、図書館全体の中で例えばインデックスみたいなのがあって、アギオン、イギオンみたいなのがあって、その中でここにあるとかわかんないけど、例えば西洋哲学史っていう棚にあるんだでもいいけど、その棚の構成みたいなものはみんなの中で同じような絵を持ってるっていうことがすごい大事。
そうそうそう。対比されるものも出てくるからね、後から。っていうのが大事かなと。 大事か確かにおっしゃる通りですね。ここで面白かったのはね、その本の内容自体もそうだけど、例えばこうザッピングみたいな見方したときに、ザッピングするその断面断面で面白い本もあるみたいなさ、話がちょろっとあったじゃない。
作品とか批評の方法論の話があったと思うんだけど、テクスト独自の活動それ自体が面白いみたいな、そういう感想の言い方もあるんだみたいな話がね、これ本当にハウの枝葉の話だけだとなんかあって、そういう表現とかをとってみてもすごい面白い。
要は読んでない人が批評するためのテクニックってことでしょ。 そうそうそう。流し読むという行為の中にも、例えばその本の内容っていうアプローチもあるけど、表現そのものあるいは文体そのものっていうところも批評の対象になるんだみたいなね。そういう言い方をしてるのもすごい面白かったかなと。
これが自分で読んだことあるって話なんだけど、次の1-3は人から聞いたことがあるってことね。 これは大事だよねここ。 これすごい大事ですね。これさっきの1-1あるいは1-2を踏まえると、自分自身が何かの本を必ずしも手にしてなくてもいいじゃんってことがわかるよと。その延長線上にあるのがこの人から聞いたことがある本っていうことなんですよね。
スピーカー 2
ここで出てくる言葉が、スクリーンとしての書物っていう言葉が出てくる。結局だから、ここは俺割と前編の収録でもつかしいことを言ってるなと思ったんだけど、俺たちが本っていうのは結局その人の色眼鏡で見た情報を、人から聞いた本っていうのはその人の色眼鏡で見た情報を得てるっていうふうに俺は言ってたじゃん。
そのことをこの3章ではスクリーンとしての書物っていうふうに言ってて、要は本というスクリーンを通してそこに映った、色眼鏡を通して映った影を我々は見てますよっていう。だから本そのものより、誰かが本を通して見たその感想だったりそういったものの方が大事になってきますよっていうことが3章では書いてあるよね。
スピーカー 1
そのスクリーンに投影されるものができるプロセスの説明の中で面白い言い方があって、内的プロセスを経て一つの想像上の書物を作り上げるに至るプロセスだって記載があって、もうここまで言っちゃうかって感じなんだけど、そもそもその本そのものが何でもいいんだみたいなことさえ言っちゃってるわけだよね。
それで言うと面白かったフレーズがさ、本は二人で同じ本を読んでるんだけど、二人の幻想を受け止める器となるっていう表現もあったんだけど、やっぱ本ってそういう役割として生き付けられてるんだなっていう。
ありましたね。だから何かしらの本を媒介にして他の人がどう思うかみたいなことも踏まえて、ある種本の巨像みたいなものを作ることができるんだって言ってるわけだよね。
現実の本は巨像としての役割、スクリーンの役割を置いてしまったら消えていくんですよっていう。現実の本は遠くに追いやられて永遠に家庭的なものとなるって書いてあるけども、本はもうあくまで職場的な役割しかなくて、それ終わっちゃったらもうあとは現実の書物はどうでもいいんですよってことが書いてあるよね。
このセクションの最後の締めのところ結構大事なこと書いててさ、我々が語るのは現実の本ではなくて、その本についての言説や意見だけだっていうことを言ってるんですよ。本そのものを語るということが原理的に無理なんじゃないかみたいなことさここで言ってるっていうのはちょっと面白いですね。
スピーカー 2
すごいよね。確かにね。
スピーカー 1
僕らのやってることもあるしね。本を媒介にしてその本にまつわる僕らの意見だったりとか建設やり取りしてるだけですから、そういうアプローチだというふうに説明すれば確かになるほどって思うよね。
スピーカー 2
すごいその概念的な話です。読書もそうだけど、後から出てくるけど、本を書くって作業すらもう概念じゃんっていう。その人の人物像とかバックグラウンドを知ってるか知らないかでまず読書のスタンスも変わってくるから、だからその本に書いてある正確な情報を捉えることは無理ですよって話。だからこそ意見とかが重要になってくるって話ね。
スピーカー 1
このあたりは実は後半でも結構触れられたりするところではあるかなと思いつつ、一旦本のステータスのところ最後まで言っちゃうと、1-4これは読んだことがあるが忘れてしまった本。実際は一回触れたことがあるってことなんだよね。だけど忘れちゃった本に対する考察というところですが、ここはね、面白いと思ったところは、
本を読んだっていうことは言い換えでしかないんだ、勧誘でしかないんだみたいな言い方があってこれちょっと面白いと思いましたと。
これだけ言うと何のこっちゃって感じだと思うんだけど、本っていうのは単にテクストに触れて知識を得るプロセスじゃないんだと。読んだ瞬間から忘却が始まるんだっていうこと。
スピーカー 2
これ面白いよね。
スピーカー 1
この忘却っていうのは番人と避けられないプロセスだから、どこまでその忘却のプロセスが進むかっていうと、あれ?この本読んだことあったっけ?本読んだことないよなって感じられるところまで忘却は進み続けるんだと。
詰まるところ、本を読んだと言っても、その本を読んだ瞬間から本を読んだことを忘れていくんだから、本を読んだって言えなくね?みたいな、そういう辺理屈をぶち分けるわけですよね。これはね、でもね、結構おもろいなって思って。
この辺理屈が面白いのが、結局この辺理屈が何の役に立つかというと、結局読んでない本について語るときの大きな寸技的な言動力になるっていうふうに書いてあった。結局忘れるんだから別に適当に語ってもいい、適当というか読まずに語ったっていいじゃんっていうモチベーションになりますよっていうのが、この忘却が始まることの大事な繋がりかなと思って。
かつこれすごい大事な忘れるに関するポイントで言うともう一個あって、何を忘れて何を忘れないかって話に行くと、自分の判断力にとって有益と思われたこと以外忘れてしまうと。
残ってることっていうのは自分の考えに近しいことが残ってる。自分がこれが正しいと思ったことが残ってるんだっていうことを書いてあるんですよね。そうすると詰まるところ忘れていった暁に残ってるものはあるし自分の考えそのものじゃんみたいな。
スピーカー 2
先の時みたいな感じで振れ落として残ったものみたいな。
スピーカー 1
確かに確かにフィルターかけてフィルターかけて。結局残ったものが大事じゃんみたいな。
スピーカー 2
でいろんな本読んで残ったものを集めて自分を形成していきましょうみたいなそういう感じで。
スピーカー 1
あとは自分がその本を読んだこと自体忘れていることだってあるし、何ならかつて自分が読んだ時に書いたコメントをそれを忘れている自分が読むっていう分裂した読書体験。読書の二重性みたいなことがあるんだみたいな話もあって。
スピーカー 2
しかもこれは危険だって書いてある。
スピーカー 1
危険だって書いてあった。
スピーカー 2
二重性みたいになっちゃうから危険だみたいな。
スピーカー 1
そうそうそうっていうのはありましたけれど、ここでね、そうじておもろいなと思ったのは、読書っていうのは何かを得ることではなく失うことかもしらんと。そういう命題で最後締めてるっていうところなんですよね。
というところでね、これなんかそうじて結構文学的な表現で書かれてるかなっていう印象があったんですけど、どうですか?一部全体通じてなんかおもろかったなみたいなあります?
スピーカー 2
方法論が来ると思ってたから最初俺は。だから共有図書館とかいう考え方のインストールがまず面白かったし、でもこの一の四でついに方法論につながるのが来たなと思って。
内なる図書館と共有図書館
スピーカー 2
ようやくこの忘れていくってことを心理的言動力で語るそのモチベにしていこうみたいな、ついにそういう方法論的アドバイスが来るのかなと思いながら俺はこの時読んでたね。
スピーカー 1
確かに確かに。これさ、今もう方法論って話もあったし、あと未読の初段階っていうもんだから、初段階について定義していくみたいなイメージかなと思ったけど、むしろそこから一歩先に進んでて、その読んでいない状態とは何なのかっていう考察になってんだよね。各段階に関する。
そこがちょっと想定と違ったところであり、かつこの本の魅力だったりとか深みをこう作ってる部分だなというところでね。非常にインパクトの強い第一部っていう感じでしたね。
スピーカー 2
面白いよね。
スピーカー 1
いやいやいやこれね、結構やっぱグッときたな。
スピーカー 2
いやグッとくるし、この後始まる第二部のいろんな図書館だったりさ、この共有図書館がしっかりつながっていくところとかもすごい綺麗なロジックで感動するよね。
スピーカー 1
確かに確かにそうですね。
じゃあという流れでもう早速第二部に入っていきたいなとこですけれども、第二部はタイトルがどんな状況でコメントするのかということで、この本自体は読んでない本について堂々と語る方法ということで、語るっていう場面についても一個分析しとこうじゃないかというのがこの二部のモチベーションですというところですね。
で二部では大きく大勢の前でと教師の面前で作家を前にして愛する人の前でというような四つのパターンが考察されるわけですけれども、まず早速ここでいくと、二部の一個目大勢の前でというとこなんだよね。
これ結構その引用が面白かったかなと思ってて、グレームグリーンの大差の男っていう本は引用されてるんですよね。この本の主人公なのかな、登場人物がとある三門作家なんだけど、とある大作家と混同されちゃうよって話なんだよね。
この誤解を解きたくないとなってたら、門無しでウィーンに行ったからっていう話なんだけど、ある操作をする人なんだよねこの人は。その操作をする上で門無しにウィーンに行って、とある大作家と混同されるっていう中なんだけど、要はとはいえ混同されてるのが大作家と三門作家っていうので、作家っていうキーワードは共通なんだけど全然アプローチが違うと。
そこで、そんな中で祭り上げられちゃって、実際のその大作家のファンの前で講演する羽目になるっていうね、結構とっぴなストーリーが紹介されるんですね。この時に何を言っても何を話しても、とっぴなことであろうとそうじゃなかろうと、かえって深いことを言ってるように受け取られたりとか、っていう様がすげえ滑稽に描かれるっていうのがね、そんなストーリーが紹介されると。
あるいは逆に受け入れられないようなとっぴなことを言うと、それは独創的な解釈ですか、もしくはユーモアですか、みたいな。そういう話を片付けられるって話があって、これは単的に人の前で知らない情報について語るってことの面白さあるいはユーモアをなんかこう描いてて、おもろいなっていうとこなんですけれども、ここでのテーマがあれなんだよね。
うちなる図書館。それから共有図書館。この2つの概念が対峙されて語られるってところがね、ここでちょっとキーになってくるポイントなんですよね。
スピーカー 2
そう、第2の図書館が出てきましたね。
スピーカー 1
これうちなる図書館ってどういうことなんでしたっけ。
スピーカー 2
うちなる図書館っていうのは結局自分の性格だったりバックグラウンドを形作る経験、書物との関わりによって得られた経験のことで、結局うちなる図書館は共有図書館の階と見なされてはいるけど、自分とは切っても切り離せない。今まで自分が書物と関わってきた経験の集合体がうちなる図書館。
スピーカー 1
たださっき冒頭第1部で出てきた共有図書館っていうのが、みんなにとって認識が共有されている本と本との関係性だったりとか、そういうものが共有地として存在している、まさに司書が言ってっていう共有のライブラリーみたいなものだとすれば、そうじゃなくて自分が読んだ本に関する知識がプロットされているような図書館が共有図書館とは別に存在していると。それのことをうちなる図書館って呼んでいる。そんなイメージだよね。
そうそうそう。
これがあれなんだよね。例えばさっきの聞きに来ている文学ファンが持っているうちなる図書館。あるいはこの登場人物、主人公が三文作家なんだけど大作家のフリをしているっていう人のうちなる図書館。このうちなる図書館同士の経験の違いだったりとか、物事の解釈の違いみたいなものっていうのがここでバトルを始める。そういう話をここでは紹介しているという話なんだよね。
スピーカー 2
大勢の前で話す時の方法ではないけど、結局自分の立場とかをしっかり認識して話すことが大事って書いてあるけど、これが結局自分のうちなる図書館を認識した上で話すことが大事だってことだよね。
スピーカー 1
そうだね。これ裏を返せばうちなる図書館は何であればいいんだよね。うちなる図書館がないとこの堂々と語るってことを制御しないってことは結構大事なポイントで、じゃあうちなる図書館が正しいですか間違ってますかみたいな議論っていうのは実はここでは無効化されてるっていうのは結構大事なポイントだよね。なぜならそれは自分の主観的な経験でしかないから。
スピーカー 2
誰もそれを否定はできない。持ってるってことが大事。
スピーカー 1
持ってることに対して堂々と語るってことが大事。そういうことが少しずつあぶり出されていくって感じ。
スピーカー 2
持ってないなんてことは多分ないんだよね。誰しも一冊本読んだことあるわけで、一冊さえ本読めばそこから読書にまつわる経験がどんどん積み重なってくるから、誰にもうちなる図書館はあるっていう理解でいいんじゃないかな。
スピーカー 1
そうかもしれないね。というのが大勢の前でというセクションでした。その次に続くのが教師の面前でということで、これ端的に状況を説明すると自分よりも情報量たくさんある人の前で語るっていうことがどういうことなのかっていうのを説明してるんだよね。
スピーカー 2
これ面白かったね。
スピーカー 1
これもあれだよね。例が面白いパターンだよね。
スピーカー 2
ティブ族の話。
スピーカー 1
そうティブ族っていうある種族が登場するんですけど、この種族に対してある人がシェイクスピアのハムレットを説明しないといけないっていう状況に陥ってて、ちょっとこの前提自体が僕らにはにわかには受け入れ難いんですけども、面白いですよね。
である種族に、要はハムレットって西洋世界でおけるとある種の普遍的な文学であるわけですから、この普遍性を示すためにティブ族にハムレットを説明するんだと言うんだよね。これ説明しようとするんだけど、例えばハムレットに登場する亡霊という概念とか、家族の血縁関係とか、いわゆるヨーロッパ人が読んだらスッと受け入れられるようなものが受け入れられなかったりとか、
なんかちょっと謎なディテールに対してすげえツッコミがあったりとか、思ってるように読んでもらえんということなんだよね。この時にさっきの教師って誰なのって話したんだけど、このハムレットについて知っている人が教師って位置づけで、ティブ族の人々はある種学生の位置づけなんだよね。つまりハムレットを知らない人たち。
っていう状況において、例えばティブ族の人たちってハムレットについて全然知らないんだけど、彼らは彼らの価値観で持ってハムレットに対していろんなツッコミを入れることができるじゃないかと。その構造自体を見てみれば、別にそのハムレットについて知ってるか知らないかってこと大事じゃないじゃんみたいなことをここで紹介するっていうのがこの2-2の面白いところですよね。
スピーカー 2
でも意外とこの解釈が読んでない、全然ハムレットのことを知らない人だったりの方が意外と本質に近いことを一周回っていったりするみたいなことも書いてあるんだよね。
スピーカー 1
みんな擦られた解釈みたいなのの中でみんなハムレットを理解してるんだけど、実はそういう理解とは飛んだところから、それってそもそもありえなくねみたいなツッコミを受け入れることによって、むしろさっき言ったその内なる図書館みたいなものの、さらにその中の今回は内なる書物っていう概念が出てくるんだけど、これはさっきの図書館と違って1個の書物の中の概念整理の話だよね。
この内なる書物っていうものを例えばアップデートしたりとか、それからその想像上のハムレットがこの内なる書物の中に収まってるんだみたいな言い方で、ハムレットっていう体験をそれぞれ知識の多い少ないに関わらず持つことができるんだよってことを紹介してるのがこの教師の面伝でというセクションですね。
スピーカー 2
まあ要はもう好きじゃなくてもハムレットについて語りますよってことじゃない?
スピーカー 1
そういうことだね。この内なる書物って言葉が導入されることによって、ある本についての見方の相対みたいなものをそれぞれの人が持ってるんだっていうことをこの人が言おうとしてるんだよ。これはちょっと面白いポイントだよね。
で、この後に続くのが作家を前にしてというところですけれども、ここはどうですかね。
スピーカー 2
ここはなんかほら前話した赤川二郎が選択権間違いを話すとかの結果みたいなアンサーになってるかなと思ったんだけど。
作家を前にして・愛する人の前で
スピーカー 1
はいはいはい確かに確かに。これも端的にあれだね。作家自身も自分の本のことについては分かってねえんだって話。
スピーカー 2
そうそうそう。
スピーカー 1
でこのその分かってなさっていうのがまさに今ハムレットのところでも登場した内なる書物っていう話と重なるわけだけれども、
例えば作家がいたとして作家の中にも内なる書物がありますと。読者の中にも内なる書物がありますと。でも内なる書物はそれぞれ共有の図書館とは一部は交わってるかもしれないけど共有の図書館ではないからそれぞれの見立てによって構成されてるんだよね。
でこの内なる書物と内なる書物同士のこの見方の違いとかかみ合わなさみたいなところがある種その本について語るときに不安を起こしたりとか。
なんか自分の本について言われてるはずなのに思ってることをこうしないみたいな。なんかそういうことが起きる。なんだと。何をすると。
スピーカー 2
自分が書いたはずのことと自分の本について言われてることの底って書いてあるけどさ。これ内なる書物が違うからそこが過ぎ合わせるはずがないんだよ。
そうなんだよね。
だから結局作家を前にしてコメントするときはどうすりゃいいかっていうともうかみ合うはずがないからとりあえずその作品褒めとけみたいな。
スピーカー 1
そうこれ面白かったよね。なんか面白いのはそのある作家の作品についてさ、その作品が好きであれば好きであるほど好きな人ほどちゃんと読み込んでる人ほどその作品の読み方に自分の見方が投影されちゃうから
より作家の書き手のその内なる本、内なる書物とギャップがでかくなるんだってこと言ってるんだよね。これすげえ面白いなと思って。
スピーカー 2
面白いよね。
スピーカー 1
そうそう。評価すればするほど作家は傷つく可能性がある。これなんか逆説的なこと言ってましたけど。だから裏を返すとその作家の本を知らなければその作家の本に対してベタに褒めることができる。問題なくちゃんと評価することができるというか。むしろ読んでる方がしんどいんだねっていう。
細部までたついちゃダメなんだよ。作家の前で喋るときは。 そういうことを書いてますね。これもなんか面白かったですね。
スピーカー 2
確かにね。
スピーカー 1
今は内なる書物の不一致っていうところがテーマになってきたのが、作家を前にしたいって話とその1個前の教師の面前でもまさに同じようなアプローチだったと思うんですけど、2-4では愛する人の前でということで、この内なる書物が似通ってるパターン、あるいは重なりが大きいパターンっていうのも考えてみようじゃないかと。
スピーカー 2
これ面白かったよね。
スピーカー 1
面白かったですね。
スピーカー 2
これ愛する人の前って家族だったりを想定してたら、これ好きな人を落とすみたいなスタンスで書かれてるよね。この愛する人の前っていうのは。
スピーカー 1
そういう書き方になっていたし、あとそもそもね、例えば好きな人のことを理解できるためには、その間に共通の書物があるってことはすごい大事だよねみたいな話とか。
そう、内なる書物のすり合わせこそが恋愛料理大事だよみたいな。
そうそう。だからこの内なる書物っていう言葉は、ある種今回は文学秘評っていう文脈だからこそ、書物っていうメタファーが登場してるけど、これなんかある種価値観だったりとか、その人が持ってる世界観みたいなものにもね、なんか言い換えられそうな概念だよね。
そのことを端的に言ってるのが最後の方にありましたけど、内なる書物とは二人の内的宇宙そのものなんだと。なんだけれども、この内的宇宙というものを一致させるためには、すり合わせのために無限の時間が必要だと。だからこの内なる書物が完全に交わるということはファンタジーなんだってことがね、最後に書かれてる。
スピーカー 2
そうね。この章、実は一つ一つね、小説だったり作品が引用されてるんだけど、実はこの4章ではアメリカの映画のグラウンドホッグデイっていう、毎日24時間たったらその日がまた朝から繰り返すっていうタイムリープする男の話が書かれてる。
人がある好きになった女の子のことを理解するために毎日女の子にいろんな情報を聞いては、少しずつ情報を得て最終的に付き合うみたいなね、話が引用されてるけど。そういうファンタジーの世界じゃないと、その内なる書物のすり合わせは無理ですよっていう話だよね。
スピーカー 1
普通に生きてたら時間が足りんぞって。 そうそうそう。
キーワードの語られ方
スピーカー 1
はい、というところで、だからこの内なる書物みたいな、それぞれが持ってる世界観、あるいはその内的宇宙みたいなものが違うってことがおもろくない?それを活かしてこうよっていうのがこの最後のね、第3部に移る。
スピーカー 2
心構え。
スピーカー 1
心構えというところで、この心構えが、まあ要はこの本のアンサーと言いますね。
スピーカー 2
ここがたぶん一番言いたい。
スピーカー 1
語らされるときにそれを上手に解決する方法というのが書かれてるところですね。でまあこれも方法と言ってみたものの、じゃあ実は蓋を開けてみるとどうなってるかっていうと、具体的な方法というよりは心持ちという。
そうだね。
アティチュードという。
スピーカー 2
アティチュードだけど、アティチュードだけどまあいろんなものからこう解放されていく感じが小気味いい章ではあったね。
スピーカー 1
これ実は4つに分かれてるんですけど、ぶっちゃけ全部言ってること一緒なんだよね。
スピーカー 2
一緒一緒一緒。
スピーカー 1
同じような主題を様々な切り口から語ってるっていうのがこの3章の語り方なんだよね。
その中で結構なんか大事なキーワードがポロポロ出ながら語られてるっていうのが結構面白かったかなというところで。
そうそうそう。
1個目のスタンスからちょこちょこっとかいつまでいくと最初が気遅れしないということで、これはもうね1の1からずっとこの本で通じてるテーマだけど、ある本について語ることはそれ読んでるかどうかとはあんまり関係がないんだと。
むしろある本について語るためには全体の見晴らしが取れることが大事なんだということを改めて強調するわけですよね。
スピーカー 2
3の1で面白かったのがさ、教養に対するこの教養っていうのは完璧なんだっていう概念がさ、教養神話が崩れるというか崩していこうぜっていうのが3の1で大事なことで。
スピーカー 1
ありましたね。
スピーカー 2
ここで3の1でバーチャル図書館という新しい概念が出てくるんだけど、何かというと人と人が本について語り合うときに曖昧に語り合う空間というか、本について語り合うときに2人とも完璧に覚えてるわけじゃなくて、なんとなく曖昧さを残した状態で語り合ってるわけじゃん。
スピーカー 1
その語り合う空間の電脳空間のことをバーチャル図書館とこの人は言ってて。今は俺はこれ教養っていう概念のバッファー空間みたいなところかなと思ったんだけど。
スピーカー 2
本当そうだと思う。 教養とは個人の無知や知の断片化が隠蔽される舞台というふうにこの人は言ってるんだけど。だから完全に本を理解した状態でこの会話に臨んじゃうとバーチャル図書館という空間にはいられない。
すごい居苦しく思苦しくなっちゃうから、この欠陥なき教養っていうイメージから自分を開放してやることが記憶にせずに本について語ることができますよっていう話になってるよね。
スピーカー 1
あったねあったね。あとおもろい言い回しがさ、この書物について語るこの空間が遊戯の空間だっていう言い方がなかった? 遊戯。
遊ぶ遊戯。お遊戯の遊戯。つまりその本について本というものを真ん中に置いてその周辺の情報を交換するっていう行為自体がある種の遊びなんだと。
いうことを言っていて、それをするための空間がさっきのバーチャル図書館っていうような概念だったりとかっていうのがありますよと。これはなんかその正確な事実が何かどうかってことじゃなくて、その解釈だったりとか意見だったりとかそのコンテクストに対する理解だったりとかっていうのを交換しながら遊ぶんだと。
それはつまりその正しさとか完璧さみたいな教養のイメージとは全然違うところにあって、だからこそスタンスとしては気遅れせずに読んでない本について語れよっていうそういうメッセージになってるんだけど、なんかこの辺りの言い回しとかすごい素敵だなと思いましたね。
スピーカー 2
まさにリバーサイドスタジオだよね、バーチャル図書館って俺らが。
スピーカー 1
そうなんですよ。そういう話に徐々になっていくわけなんですよ。僕らがやってることまさにこれじゃんって思ったよ。
スピーカー 2
思った思った思った。
スピーカー 1
そうそう。だとなんかねもう一個ね、前半の方にちょろっと出てたキーワードで感主観的な関係って言葉が出てて、これもなんかキーワードとして僕結構大事だなと思いました。
感主観。
いわゆる主観の前に間っていうのが挟まる。感主観的な関係っていうので、これまあ要はあのさっきの言葉で言い換えると内なる図書館と内なる図書館っていうものがそもそもそれぞれの主観みたいなものなんだよね。
この内なる図書館同士の関係性っていうところがその本そのものよりも大事だっていうことを言ってるのがなんかこの一文で表現されてて。
本について語るときに問題となるのはその本そのものじゃなくて感主観的な関係のことですよと。
スピーカー 2
要はその内なる図書館同士は完全にすり合わないって話をさっきしたけど、完全にすり合わないとこうちょっとバッファーのある空間ですり合わせようみたいなのがこのバーチャル図書館になるってことなのかな。
スピーカー 1
でもなんかすり合わせようとも実は言ってないんだと思うんだよね。
スピーカー 2
まあすり合わせるってこの差分を楽しもうみたいな。
そうそうそうそう。
スピーカー 1
差分で言う。
その主観同士違うよね。あ、そんな風に見てたのおもろくない?っていうその交換行為みたいなこと自体を楽しむっていうのがある種の批評の一個面白いあり方なんじゃないのっていう。
スピーカー 2
だから記録入れせずにそのバーチャル図書館で遊べよっていう。
スピーカー 1
そうそうそう。
お前の切り取ったその見方っていうのはたとえ一文字しか読んでなかったとしても語るに値するんだ。
そうそうそう。
スピーカー 2
それぐらいのことを言ってるわけだよね。これは非常に背中押される。
押されるよね。
最初ミンティ語らずをやるときにさ、ミンティ台本書いてくるから山紙は全く読まなくていいよみたいなスタンスだったじゃん。
あのことを思い出してさ、確かに俺なんかいいのかこんなんでって思ってたけど、いいんだって思った。
スピーカー 1
いいじゃないですか、いいじゃないですか。めちゃくちゃ背中押されてますもんね。
そうそうそう。
スピーカー 2
強要。欠陥なき強要は言わないって。
このスタンスをさらに過激化していくっていうのはこの3部、第3部の基本的な方針ですね。
スピーカー 1
3の2はもう一個過激化して自分の考えを押し付けるということですね。
これは一番最初に結構問題的さってこれいいなと思ったのは、本を読む上での真の問題というのは一冊の本そのものじゃなくて複雑な言語状況にあるということから始まりますよと。
この複雑な言語状況っていうのは何かというと、その本にまつわるいろんな人がいろんなことを言ったりいろんなことを感じたりいろんなことを感じなかったりするっていう、
要はさっきの言うとこのバーチャル図書館の中で行われているその取り巻きの状況の方が本にとって重要な問題なんだっていうことを最初に定義するんだよね。
この中で結構おもろかったのはね、バルザックの幻滅っていう本が引用されてました。
この中で、読んだことない本について書評を書くっていうプロセスがたまたま出てくるんだよね。
その時に手慣れたルストーっていう人がその書評を書くんだけど、ほとんど読まずに書くと。
たとえば流し読みして目に入った情報を面白おかしく茶化したりとか、
連れ合いの女優の反応を参考にその人が青臭いっていうことを言ったらいい本だって書評を書いたりとか、
これもさっきの他の人の関係性の中で他者の意見を参考にしながら自分の書評を書くみたいなことになりますけれども、
そういうある種の未読の書形体みたいなものがね。
スピーカー 2
お実践する人たちがいるみたいな。
スピーカー 1
そうそう。どんどん登場するっていうので。
そもそもだから読まずに書くってことって別に変なことじゃないじゃんみたいなことを字でいくキャラクターが登場したりするんですね。
この時に悪作家が大事だって言ってたのがコンテクストの重要性だみたいなことがここで指摘されてましたけど、
このコンテクストって言い換えるとさっきの共有図書館における本の並びみたいなことなんじゃないかなと思い出したんだよね。
でもこれ文脈っていうふうに日本語では訳せるけれど、要はどういう位置づけの中にその本が位置してるのかとか、
その位置づけっていうのは誰の反応によってこう変わるものなのかとか。
共有図書館って言ってしまうとなんか本の並びってちょっと固定的なのかなと思うんだけど、
図書館でもさ新しい本が来たら本の並びちょっと変わるじゃんみたいなところから、
実はこの本っていうのは動的な対象なんだってことをね、この著者の人は言うんだよね。
スピーカー 2
これは結構面白い指摘だなと思いながら見てましたね。
スピーカー 1
本自体が動的だってことはどういうことかって言うと、その本がどういうふうに評価されるかとか、
批評空間と未読の書形体
スピーカー 1
誰がその本読んでるかとか、そういうことによってさえその本の位置づけ、意味、評価っていうのは変わるんだと。
この本を鏡に自分たちのことを改めて見つめてみると、僕ら自身も非常に不安定な存在であって、
非常にうつろいやすさと向き合わなきゃいけないんだと。
でもこの事実を本に対しても自分たち自身に対しても認めることで、もっと自由に作品解釈して良くなるんじゃないですかっていうね、
そういう問題提起をしてますと。
いうのがこの3の2の内容でしたね。
たぶんさっき山上くん言ってくれたけど、本を媒介に自分のものの見方の正しさをただ言えばそれでいいんだっていう。
もう端的にそういうことを言ってるんだよね。
さらに3の3に行くと、もう一歩は感激化が進みますよというところで、今は自分の考えを押し付けるぐらいだったんだけど、3の3は本をでっち上げるというところまで行っちゃいますね。
これただね、実はさっき2かどっかにもあったよね。
そもそももう作り上げちゃえばいいじゃんみたいな話がありそうだけれども。
本っていうのはさっきもちょろっと触れたけれども、本そのものじゃなくて、その周りを取り巻く言語状態の相対なんだよっていうことも改めて確認するという中で、問題は本そのものじゃなくて、本を取り巻く環境なんだが、
このことをね、この人改めて、この人の専門領域に引き付けて、本が介入して変化を止まない、批評空間の方が問題なんだっていうことを改めてこれ宣言するんですよ。
これなんか初めて批評って言葉が出てきたんじゃないかな。
つまり本を取り巻く環境のことを批評空間って言うんだってことを、この人改めてここでぶち上げてるなというところがありましたね。
スピーカー 2
ここあれだね、曹石の引用とかがあったよね。
スピーカー 1
ワガハイは猫であるの。
何中登場人物だったっけ?作品を読んでない登場人物同士がね、作品について語り合ったらみたいなシーンが描写されてましたけどね。
スピーカー 2
読んでない人が語ってるのを見て、読んでないもん同士で語ってて、読んでない人がその本についてコメントしたのを読んでない人がお前読んでないだろってわかるっていう状況があるっていう。
スピーカー 1
そんなときに相手がその本を読んでないってことが本当にわかるんだろうかみたいな、そういう問題提起をこの人はしてたよね。
スピーカー 2
すごい面白いなと思ったのが、3章の最後に書いてある。
しかし私は取り上げた作品について嘘をついていると感じたことはいつでもない。
作品から感じ取ったものをできるだけ正確に記述しつつ、自分自身に忠実に、またそれらの作品を引用する必要を感じた瞬間と、
ずっと状況に配慮しながら、いつも一種の主観的真実を述べてきたと自分では思っているという記載があって。
この本の3章のテーマが本をデッチしてあげるんだけど、デッチしてあげてもそれは嘘じゃなくて、それは嘘から出たまことって表現がおかしいけど、
結局その本を読んでその読者が作り上げた巨像というか物語のわけだから、それもまたその本から出た作品、結局要は原影としての書物っていうふうに表現してるんだけど。
自分がその本を読んで出てきた、自分から出てきた感想だったり反応だったり、要は中までデッチしてあげるみたいなものも原影としての書物っていうふうに定義されて、
それも他の人と語り合う上では大切なツールになってくるから、多少デッチしてあげてもそれは別に否定を感じることはありませんよっていうふうに言ってらっしゃる。
スピーカー 1
それをするための方法論として他者がある本について知っているっていうことを考えるのをやめようぜっていう提案してるよね。
スピーカー 2
知ってたね、知ってたね。
スピーカー 1
さっきの総席の話の下りの流れから、相手が読んでないってどうやってわかんのっていうところから、そもそも他者が本について知ってるなんてことは考えることをやめようと。
それもっと自由な批判ができるんだと。
スピーカー 2
それを持っちゃうと萎縮しちゃうから、結局最初の切り送りはしないと思って繋がるけど、誰も知らない、みんな知らないと思って語ればいいんだぜっていう。
スピーカー 1
そこから一歩進めて書物についての議論っていうのは審議の概念の有効性が失うような、そういうことなんだよっていうのを言ってたよね。
書いてあった書いてあった。
このセクションの最後、山上くんが引用してくれたところと前後して僕がいいなと思ったのは、書物において大事なことは書物の外側にある。
詳しくなることで書物の意味を狭めるのではなくて、むしろ本の内容を知らずに自由に捜索し解放せよっていうメッセージがありまして、このあたりは非常に勇気づけられましたね。
スピーカー 2
そうだ、書物は自分を解放するためのツールだっていうような考え方だよね。これ次の4でも出てくるけど。
スピーカー 1
そうなんだよね。このままだから4に入っていこうかなっていうところだよね。
この3の4がこの3部を締める、そしてこの1,2,3部の最後にもあたるような場所なんですけれども、ここのテーマが自分自身について語るということだと。
読んでない本についてのネガティブな捉え方
スピーカー 1
まずこのセクションの最初に宣言されるのは、読んでない本について語ることというのをネガティブに捉えてはいけないと。不安や後悔は無用であると。
これを支える議論として、批評という行為についてこの人の見解が語られるよっていうのがこの3の4の他とは違う特徴的なところかなと。
それは何かというと、要はこの批評って何かってあれだよね。この本がテーマにしている堂々と語る方法のこの堂々と語るっていうのはつまり批評するってことなんだよね。
で、この批評って何かと。批評はそれ自体が一つの芸術なんだと。書物から独立してますと。だから、だからじゃないなっていうことを言いながらこの人がすごい大事なことを問うていて、
スピーカー 2
それは何かというと、つまりあるところ作品について語るっていうこのついてっていう言葉の意味が違うんじゃないかと。ついてっていう言葉のスタンスの是非が問われてるんじゃないかみたいなことをこの人は言ってるんですよね。
スピーカー 1
結局批評も作品であると。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
別に作品はむしろ批評がないと作品ってあり得ないし、結局批評ってのは作品から作った作品だから別に批評がそんなに悪いもんじゃないよっていう話だよね。
スピーカー 2
そうね。その時に何か本について語るとか、読んでない本についてって言ってるこのついてっていう態度は、実はその読んでない本を媒介に自分の考えを述べようっていうぐらいのものにしちゃっていいじゃないかということを言ってるんだよね。
俺ここですごくこの章で感銘を受けた引用フレーズがあって、その読書は自分自身に至るためには書物を経由しなければならないが、書物はあくまでも通過点でなければならないっていうフレーズがあって。
スピーカー 1
結局読書を通じて自分自身に眠る、真の自分を解放してやることが大事なんだなっていうことなんだよ。
スピーカー 2
究極的に批評とは作品を媒介に自分について語るという行為なんだって思いましたね。
スピーカー 1
結局ここにもう一個書いてあったのが、いろんな読書をして、いろんな本をパパパパッと流し読みして、その中で必要なパーツを少しずつ、自分の何かを解放してくれるものを少しずつ各本から摂取して、最終的に自分を形作っていけばいいよみたいなのを書いてあって、なるほどと思って。
これを読むについて、これはなんか僕がずっと気遅れしていた部分でもあるんだけど、僕の読書スタイルはここにすごい近いんだっていうことを改めて確認したんですよ。
スピーカー 2
僕はなんかその本読むのは嫌いじゃないとかむしろ好きだなと思ってんだけど、なんかその本から得た知識みたいなやつがさ、どっかにきれいに格納されてるような人たちが、すごい人たちなんだ読書家だ、あるいは学者だみたいに勝手に思っていたんだけれども、そうじゃなくていいんだっていうことを明らかんと言うじゃないこの人は。
スピーカー 1
で、そこについて僕は結構すごいその通りだって思っちゃうところがあったなっていうのがね、この第3部、非常に良かったなっていうところだね。
スピーカー 2
語らずよというよりはミンティー個人の読書スタイルでもこの割とアドースされてるというか。
読んでない本の語り方と創作の重要性
スピーカー 1
そんな感じもあるし、でそもそもこのさっきのバーチャル図書館とかさ、さっきのその本について語らう空間は遊戯の空間であるみたいなスタンスとかさ、そのあたりはまさに語らずよであろうとしてたことそのものだよなっていう感覚があるよね。
スピーカー 2
そうだね、読書の本来の、本来って言うとすごいまた不尊になっちゃうけど、楽しみ方ってこれでいいんじゃないかな。
スピーカー 1
いやそうなのよ、そうなのよ。だからなんか、なんていうの、この人はこういう思想の人で、こういう系譜にあってみたいな、そういうある種なんていうか公釈をたれるみたいな読み方もあるけれど、
素直にその本に向き合って自分がどう考えたかとか、ちょっと隣にあった本との対比をしながら読んでみるとか、そういう本当遊戯だよね、遊ぶように本を読んでいくっていうスタンスが、この読書においてはもっと受け入れられていいんじゃないかっていう提案をこのバイアルさんはしてるわけじゃないですか。
スピーカー 2
そうね。
スピーカー 1
これすごい革命的なことだなと思った。
スピーカー 2
革命的だよ。
スピーカー 1
確かに山上くんが冒頭言ってくれてたみたいに、この本通じて獲得できた概念があるというのは読書だ。
スピーカー 2
読書なんだよ、そうそうそう。
スピーカー 1
本当にその通りだよね。
スピーカー 2
このカタラジオの毎回の振興が共有図書館を我々で共有して、このピエールバイアルさんこんな人ですって共有どういう本ですって、なんちらがくの対価だみたいな共有図書館で読み進めながらお互いの内なる図書館を開示して、レーダー情報をぶつけるとこれがバーチャル図書館の中でお互いの原因の書物をぶつけ合うという、
まさにこの本に我々カタラジオの振興方法が書いてあるんじゃないかという。
スピーカー 1
いや本当ですよね。僕らはなんというか非常に横島なスタンスで、この本の個誌をそのまま読んでいけばコンテンツになるんじゃないかみたいな不純な動機で読み始めたわけですけども、計らずもう全く違う角度からこのラジオの進め方についての指南を受けるという。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
そういう格好になりましたよね。というところでここまで3部まで読んでいきましたけど最後にちょっとねまとめも兼ねてムスビを簡単に触れておきましょうね。
はい。ムスビではこの1,2,3部通じてね語られてきたことの内容も整理しながら改めてこの本のメッセージが語られますというところですね。
要はこの読んでない方について堂々と語るために必要なのは、読んでないということについて追い目を感じるみたいな心理的な方向転換というのをちゃんと受け入れましょうぜということが書かれているわけです。
スピーカー 2
それは書いてあるね。
スピーカー 1
でその中で僕ちょっと好きな引用を2箇所引かせてくださいというところで一つが読書とは読者の主観性と彼のこれ読者のですね他人との対話から声明を得ていると。
でこれをやるためにこの準備のために特別な感受性を磨かないといけないということが書かれていてこのあたりは堂々と語っていいんだよというところを背中押しながらも逆にその読者に対して一つ釘を刺している部分として僕は受け止めたいなと思って
つまりそのなんかどれぐらい雑に本を読もうとなんだろうといいんだけどその時にどういう感性でどういう感受性でそれを受け止めるかっていうそっち側の今度は精度の話になってくるぜって話でもある。
確かにね。
なんかそのあたりの部分がすごい大事なんだよこれはつまりうちなら図書館の良さをもっと上げていかないといけないみたいな話だと思うんだけど。
なんかこのあたりのこと書かれたら僕はすごい良かったなと思いましたと。でもう一個はその読書が新生化されてしまってるがためにそれこそ教育の文脈で本を読むってことばかりが教えられてるけれど読んでない本を語るってことをもっと教えろって書いてるんだよね。
スピーカー 2
あ、それ書いてあったね。
スピーカー 1
俺これすげえいいなと思って。で読んでない本を語ることを教えると何が起こるかっていうと創作しないといけないと。だから読んでない本を語るってことを教えることはそれすなわち創作を教えることにつながるんじゃって言ってる。
でこの教育が読書の新生化っていうのをやり続けた結果学生は自分の本を書く権利があると思えない世界になってると。そんなんじゃダメだと。受導的読者になるなと。平常心で読んだことない本について語り上がれというメッセージをねこのむすびでバイオルさんが語ってるわけでこれはなんか非常に力強い本ですねっていう感じだね。
スピーカー 2
そうだね。クリエイターになれと。自ら創作者になることが大事だと。
スピーカー 1
読まずに語るということが非常に尊い創作活動であり、それ自体がある種小芸術と同等のレベルが求められるような創作活動なんだということですね。
スピーカー 2
いや面白いね。これからも読まずに語ってこいよって思った。
スピーカー 1
いやそうだね。だからなんかもっと読み終えてなくても語ればいいやって思いましたね。
スピーカー 2
進化論の時とか特にそうだったけど、すごいちゃんと読み込まないとダメだと思って。だからほら、よく俺たちさ、本文読みすぎてミサラジオになっちゃうみたいな話をしてたことがあったじゃん。
ありました。
ミサラジオになるなよって話をして、結局軽く読んでその本の上で自由に踊るスタンスで十分じゃんって話をしてたと思うけど、まさにそういうことなんだよね。
スピーカー 1
いやそうなんだよね。このラジオでやりたいことは、もしかするとこの、何でしたっけ?想像的批評なんだよね。
スピーカー 2
そうなんだよね。
スピーカー 1
想像的批評っていうのがこのバイアールさんの専門分野だっていうことなんだけど、カタラジオはなんなら想像的批評をするためのラジオなんでしょうね。
スピーカー 2
そう、俺思ったんだよこれ読んでるとき。あれまさにこれ我々じゃんと思って。
スピーカー 1
カタラジオのカタルの部分は、本は媒介だって言ってたけど、カタラジオのカタルは元々カタリストから来てるじゃない?媒介。
スピーカー 2
はいはいはいはい。
スピーカー 1
で、あとそれをするために対話をして語らわないといけないっていうところのカタルもかかってるじゃない?
スピーカー 2
ついにトリプルミーニングになった。
スピーカー 1
いやーっていう感じがすごいあって、なんかすごいこれ1周年ぐらいのタイミングで読めたらよかったなってちょっと今若干後悔しますけれども、めちゃくちゃ落ち着いた感じはあるね。
スピーカー 2
1周年まで待ってもいいけどね。さすがに遅いから。
スピーカー 1
寝かせすぎる気がしますけどね。
スピーカー 2
さすがに遅いね。
スピーカー 1
秘密ですからね。
うん。
というところで、本編なんとなく全体像掴めましたかね。ではではエンディングに行きましょう。
スピーカー 2
はい。
語らずよ。
スピーカー 1
お疲れ様でした。
スピーカー 2
お疲れ様でした。
スピーカー 1
いやー初めての試みでしたけれどもどうでしたか。
スピーカー 2
いやー面白かったね。後編はさ、軽く読んで答え合わせのつもりで行こうぜっていうそういうスタンスだったけど、本自体が面白すぎて。
そうだね。
そうね。
ゴス病いただいてる感じになっちゃって普通に読み込んじゃったね。
スピーカー 1
1回で終えたくないぐらい厚みのある本でしたね。
スピーカー 2
そうそうそう。
スピーカー 1
いやーこれでもすごい良かったのは、前編読み終えた瞬間のタイミングでは、俺らこれ読めたねって感じだったじゃん。
そうだったね。
なんならこの読み絶対当たってるっしょって感じで。でこのコーナーがさ、いくつもいくつも連なっていくであろうみたいなことを想像しながら言ってたじゃない。
スピーカー 2
言ってた。
スピーカー 1
だけどさ、この本を読んでしまったことにより、むちろんかえって今までの特集のスタイルをもっと自由にやればいいじゃんって方向に何かカジキリが変わりそうな気がしたよね。
スピーカー 2
思ったんだよ。ちょっと言い方が悪いかもしれないけど、前編はちょっと軽すぎたね。軽すぎるというか、あれじゃねえわと思った。
そう今のミーティーが言ってることを繰り返しになるけど、シンカロンとかミスキーの本でやってたらあれで良かったんだっていう。
スピーカー 1
そうだね。いや、そうなんですよね。
スピーカー 2
だから、すごいね。別の方向に行こうとしたのをクスキュもこの読んでない本について堂々と語られる方法に引き止められたっていう。
スピーカー 1
いや、そうね。だから、なんというか、もっと素直に読んでない状態で進めていいなと思いましたし。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
なんかその辺りのセッションというか、もうちょっとアドリブな感じをもっと取り込んでいっても楽しいなと思ったかな。
スピーカー 2
ミーティーとか結構そういうアドバイスをさ、序盤から俺になんかしてたなと思って、別にそんな読み込まなくていいよみたいな話をツヤッとしたこととかもあって。
スピーカー 1
確かにね。君らで一行だけ引っ張ってこいぜとか言ってたもんね。
スピーカー 2
そうそうそう。
スピーカー 1
問いだけ取ってこいぜとか。
スピーカー 2
そうそうそう。だからそれって割と最初から徐々に語らずでもそういう形質を獲得してきてたんだなっていう。
スピーカー 1
確かにね。でもそういう読み方ができるように僕らも徐々になってきてるよね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
だって初期の頃考えたら結構真面目に全部読んでたし。
スピーカー 2
確かに。
スピーカー 1
いい意味でちゃんと読み飛ばせるようになったというか、そういうところも含めて、何と言いますか、僕らのラジオの1年間を少しずつ総括するにあさわしい一冊。
そうなんだ。
スピーカー 2
また1年記念につなげちゃうっていう。
だって俺らも何なら別にイスキーの本とかハンキーの他のも読んだけど、結局ちゃんと読んでる人と比べたらざっと読んだ流し読みをしたことがある本じゃん、多分。
そのざっと読んだことがある本をこの大勢の人の前で語る状況なわけじゃん、語らずよって。
スピーカー 1
そうね。
カタラジオの目的とバーチャル図書館
スピーカー 2
まさにこの本にもある状況なわけ。だから結局俺ら毎週やってたことって割とこの読んでない本について堂々と語る方法を実践し続けてきたのかもしれない。
スピーカー 1
そうだね。だから僕らいつもこの領域について専門家じゃないですよって断り入れたりとか、雑に語るけどとか、王兵な態度で語るとかっていうのは基本的に彼が推奨している語り口の態度なわけじゃないですか。
スピーカー 2
なんならあの前置き言わないでみたいな。
スピーカー 1
確かにね。
スピーカー 2
もっと堂々とするよみたいな。
スピーカー 1
これ俺の考えたことだけど何かつらいのね、態度でむしろ言った方がいいということですよね。
いやーこれはなんかちょっと考えさせられたなぁ。
そうだね。
スピーカー 2
そして間違ってないと言うとあれかもしれないけど、正解言い間違いの話じゃないけど、この読み方、ザッピングするかのように本を読んでいくっていう読み方は一理あるというか。
そうだね。
スピーカー 1
そういう感覚になって。
スピーカー 2
まあこの本がリーダーだよね。ちゃんと一つスッカリした理を作ってくださったので。
スピーカー 1
だし僕らが一年前に言語化できなかった、なんであの時一緒に喋ってこれを続けようと思ったのかってことを、なんか彼はすごく上手に言語化してくれてたんだなと思った。
スピーカー 2
だから俺たちはこの本を最初から読んですごい楽しいと思ったように語らずよは、今はこの創造的批評論って言っちゃうけど、もうこうゆっくり最初から上昇から学び続けてその学びが楽しかったってことなんだよな。
スピーカー 1
そうそうだね。その学びのプロセスっていうふうに確かに言うこともできるなって今言われて思ったし、そうじゃなくて僕が思ったのは、例えば一番最初にカフェで話したときに山上くんはあるAI診断みたいなことに対して意思としての見解を出してくれたけど、
僕はそれを作る人側の見解としてこういうふうに面白いんじゃないかって話をしたりとか、そういう要はあれは内なる図書館あるいは内なる書物っていうものの差分を開陳することによって、そこでバーチャル図書館がやり合うわけじゃないですか。
その批評の目的ってそこに結論を出すことではなくて、ああでもないこうでもないってやり合うその空間自体が彼の言葉で言うとこのバーチャル図書館だし批評空間だしっていうことじゃない。
そうかだってこれ俺たちがカタラジオと始めた理由は、あのバーチャル図書館を終わらせたくないっていうのがカタラジオの目的じゃん。 そうそうそうだからある種のその彼が言うとこの批評空間あるいはバーチャル図書館をやり続けるための空間なわけだよ。
スピーカー 2
そうだからバーチャル図書館をこのリバーサイトに移してきたわけじゃんこう。 そういうことですよね。本当にバーチャルに対面せずにオンラインでやってるわけですから。 すべてが繋がってきたね。
終わりと感慨
スピーカー 2
いやーちょっと繋がりすぎて気持ち悪いけど。 やばいこれ一周年記念だこれ。記念放送だこれ。
ちょっと寝かしてもいいですかね。 いやでも早く出したい。
スピーカー 1
いやーそうだね。というところであの話が尽きないと言いますかなんかこれはちょっといろんな思いが滲み出てしまうような回になった気もしますね。
そうだね。 ちょっとまたアフタートークでも喋りましょうかねこのあたりはね。 はいお願いします。
スピーカー 2
ではでは今回の企画はこのあたりで終わりにします。 おやすみなさい。
01:25:03

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