カタラジオの始まり
カタラジオ!
はい、始まりました。
医師と企画者がよく語らう、
エセインというイベントの実験、
カタラジオ番組の72時間がやってまいりました。
医療振興担当のミントと、
メシャギ担当のヤマガミです。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。
久しぶりです、ミントさん。
久しぶりでしたね。
収録だけで行くと、たぶん、
1月くらいになっちゃったのかしら、もしかしたらね。
だって今まで週2から週3でやってたから、
久々にブランクが。
はい。
ほんまにバタバタしちゃいました、私のほうが。
そうだね、お忙しくされてたそうで。
これだけシュシュシュしようって言ってたんだけど。
そうそう。
蒸発しちゃったかと思った。
久しぶりの収録と旅の話
大丈夫かと思った。
生存、ほんとにね。
まず生きてるかどうかみたいなところ心配したもん。
あれ、もしかしてキャンプとかで
流されちゃったかなみたいな。
そういう、1回あったじゃん。
連絡途絶えた時さ。
キャンプで山の中で連絡取れないみたいな。
あ、あのパターンで
結構命の灯すびが
消えかかってるのかなみたいな可能性を
考え、非常に心配しておりましたが、
生きててよかった。
覚えてます、何やってたか。
えっとね、
意識はいつ生まれるのかっていう
ジュリオ・トンノーニとマルチュラ・マスミーニさんの本を
読んでたんだよね。
そうそう。
そういう中でね、
またそこの話も触れてきたと思います。
懐かしいね。
一応俺の中の記憶は、
もともと収録しようぜって言ってた
これ京都に行ってたんだよ確か
学会で。
で、京都に帰って
帰った日にもともと収録するかって話をしてて
なんか旅の話とか
しようかなみたいな話を
今急に記憶が蘇ってきた。
そうかそうか京都に行ってたよと。
そうそう。
で、旅ってなんだみたいな。
俺は旅行先で
ベタな観光地に行くのは嫌いで
現地人がするようなカフェとかに行って
ちょっと本読んだりするのが好きだぜみたいな話を
しようかなみたいなことを
考えてた記憶が今急にね
インストールされた。
ちょっといい話だね。
あれ学会予党だったんですか?
あ、そうそう。
サウナと意識の灯すび
心臓病のちょっと学会
みたいのがあって
学会一日だけで主にサウナに入って
一泊二日で
三軒サウナに行くという
またサウナ旅をしてきたんだけど
そうそうそうそう。
で、サウナいる以外は
基本的にカフェで
要はこの意識の本を読んだりとか
あと適当になんか
携帯作ってたりとか
してて
で、友達になんで
観光不思議な日とか行かないのみたいなこと聞かれて
いや、結局その
俺の旅の目的って
住むにふさわしいかどうか
みたいなことを検証することが
俺の旅の目的だと思ってる
ここは住めるのかと
そうそうそうそう
その気持ちはすごい分かるな
今まで住める認定した
場所がいくつかあって
それこそ横浜図志のあたりとか
あと沖縄の元部のエリアとか
いくつかあるんだけど
結局それはやっぱ
そこだけしてても気づけないじゃんっていう
なるほどね
意識的に観光地に行くんじゃなくて
現地時間を過ごすための
時間の
使い方みたいな
でも
それだけだったらもったいないじゃん
せっかく来たのに
結局その土地安いこと
何もせずに帰るのかって言われた時に
結局そこに
しっかり現地安さを盛り込んでくれるのが
サウナなわけよ
サウナっていう完全に
現地の空気をぶつこんでくる
サウナっていう究極の施設があるから
俺は別にそれでいいかなって
思えるっていう
やっぱサウナはあれですか
サウナ行きたいとか見て調べてくる
見る
サウナ行きたいっていう
サウナ達が作った
サウナの紹介サイトみたいなのがあるんだけど
ポータルサイトみたいな
水温とかね
混雑具合
水風呂の温度
みんなの感想が結構書いてあるから
あれ見るとだいたいどんなサウナかわかるんだよね
そうだね
どう基準で選ぶんですか
行くところ
押さえておくべき
今日サウナで調べたりとかして
最後に行ったところが
ルーマプラザっていう
ギヨンの空を見上げれる
すごいいいサウナって一回行ったことあるんだけど
そこに行こうと思ったらまさかの回送中で
もういいやと思って
タクシーに乗り込んで
もうタクシーの運転手さんに
京都のタクシーの運転手さんすごいじゃん観光のプロだから
なんかいいサウナないですかって言ったら
山城温泉っていう
すげーコアなサウナ紹介してくれてさ
北の天満宮の横にあるサウナっていう
へー
これまた面白いと言ってますね
学問の神様に会わずに
サウナの神トントゥーと触れ合ってきたわけだけど
トントゥーいるの?
トントゥーはいるのかね
サウナ知らない人全然知らないでしょ
トントゥーは神様みたいなね
元々フィンランドの文化なんですよね
そうそうそう
トントゥーって何でしたっけ
トントゥーってサウナの精みたいな
うちの向こうにはいるらしい
日本でいうザスキワラシみたいな
存在な気がする
ちょっとなんか
スナフキン的な世界観
そうそうそうまさにまさに
あの人と触れ合って
水風呂が7度っていう結構いかれたサウナで
マジ?
入れない
あの一瞬入って
もう体動かなくなってすぐ出るみたいな
はいはいはい
そうそう
なんか前あの
福岡の回があったじゃないですか
あったあった
カプセルホテルのさ
ウェルビーの深めの水風呂もね
冷たくて
あそこも冷たいらしいね
ちょっと怖いね
怖いよ
そうやっぱ冷たい水入ったら
体動かなくなるんだって思った
はいはいはい
本当に
危ない危ないと思ってすぐ出たんだけど
やっぱね冷たいとすげえ体閉まって
あのもう
1セットでもう
ガンリーマリだよもう本当に
そうだよね
すげえ整った
結局なんか整い具合と言いますか
我々の過去のラジオから引っ張ってくると
脳拒絶の状態
結構大きな分岐で
水風呂がどれだけ冷たいか
というかね
すごく大事だよね
脳拒絶どころか
意識の灯すびが消えそうになってた
マルチェラマスメニューの
言葉を書いてると
俺意識の灯すびが
情報を統合できねえってやってた
整いながら
いいですね
でもかなり整ってる状態
統合されてない
そうだね
情報すら遮断されてるから
結局その意識を
消しかけてるような
ファインの値を下げるってのが
整うってことなんじゃないかな
ちょっとすごい雑ですけど
雑に言われてもいいだけです
この雑なまとめは
九州でやってもいいのか
九州的な
そうそう
そうかいいですね
そんな感じ
京都から帰って
そしたらミンティが
蒸発して今に至るみたいな
蒸発してないからね
蒸発はしてない
そして忙しいよ
ってところに
ラジオやめてないですからね
マイペースにやってますので
必ず続けてまいりますので
嬉しかったのが
1ヶ月くらい更新しなかったじゃん
結構ね
コアなリスナーたちに
コアっていうか普通に
俺の好き嫌いのリスナーさんたちに
最近更新してないじゃんとか
上がってなくないって言われるようになって
ちゃんと聞いてくれてる人たちいるんだ
もちろんいるとは思うんだけど
やっぱりこういう風に言われると嬉しいな
なんかすごいモチベーションになったな
っていう
そうね
という中でね
実はこのしれっとぽやぽやしてた
1ヶ月のうちにですね
ラジオ始めてから
ちょうど半年が経ちましたね
6ヶ月ですかね
6ヶ月は
このぽやぽや期に迎えたってことか
そう最初の収録は
多分12月末だったので
6月なので
ほぼ6ヶ月
丸6ヶ月経ちました
おめでとうございますだねこれは
半年
YouTubeの立ち上げの
いつからやってるか見れるよね確かに
12月22日に登録
多分6月22日が
半年
いやいやいや
続けてる状態で半年経ちましたわ
って言いたかったですけど
まあまあでも今日収録してるからこれは続いてる
っていう感じに入りますよ
そうだね実はね
ショーツ貯めたりは出さなかったしね
まあまあまた編集してたらそうだね
ショーツは結局いつも言ってるけど
ショーツはやっぱこう自流というか
アップデューデートでないといけないから
1ヶ月だいたいショーツの活用は結構
下がっちゃうかもしんない
まあまあショーツまだ撮ろうよ
まあちょっとやっていい?
はいはい
久しぶりでございますけれどもね
ラジオ辞めてないので
お互いぜひぜひいい気持ちしておりますのでね
気持ちと感想として
よろしくお願いします
我が輩は
NOである
か
はい
久々ですね
NOであるのかよ
そうだね
大事に大事に読み上げました
始まりましたけれどもね
こちらはですね特集
我が輩はNOであるかということで
今回は5回目ですね
はい
これまでずっと本を読んできたんですけれども
この特集では
物質であるNOが
なぜ自分を認識したり
感じたり考えたりする
意識を持つことができるのか
という本について読書を通じて
追っていきたいということでですね
冒頭初めにの部分でも
触れましたけれど
ルリオ・トノーニさんと
マルツラ・マッスミニさんという方が書いた
意識はいつ生まれるのか
という本ですね
俗に言う意識の情報統合理論
IITと呼ばれている理論があって
これは一般向けに解説した
サイエンス本ですね
一般書ですね専門書で
というものを読んでおりますよ
というところでしたね
どうですか?この1ヶ月読んでました?
今日
久々に読んだ
一旦読み終わっている状態で
独りをして
しかも幸い
この9章がまとめみたいな
回だったじゃん
今までの1章から8章までどんなことを
してきたかっていうのを
まとめる側面が強い回だったから
それを思い返しながら
確かにこんな内容だったな
というのを
またリメモライズしながら
そうだよね
手のひらに乗った脳
何かニューな情報があるというよりは
全体を総括しながら
この本を
閉じた後にみんなが
持っておくべきと言いますよね
残されているような
そんな感じの9章ですかね
逆にこの8章まで読んで
俺たちで一緒に読んできたじゃん
読んでそれを
つけ物とかじゃないけど
つけておいて
8章までの内容を頭の中に入れる状態で
最後9章まとめに入る
逆に熟成されていい話が
できるかもしれない
間違いないですね
もうすでに
ちょろちょろ出てますけどどこを読むのって
話だけさらっと確認しておきますと
これは毎回出している
やつがありますけれども
この本は全体で9章から
なってますよと
面白いのがこれ真ん中
5章の鍵となる理論これがまさに先ほど
お伝えしたIITという理論なんですけれども
これ境にね
前半が問いの4章
後半がそこに対するアンサー
答えの4章ということで
今回はその最後
ということでですね
全体を締めくくる章になっておりますよと
いうところで
ございますね
いやーなんかちょっと
あれだねさらっと始めたけどさ
結局5回になったじゃないこれも
そうだね
なんかさ
進化論の時はさ結構さ
頑張って頑張って
6回とかで終わったじゃない
6回長いな
とか言ってたけどさ
これも結局5回になってる
元々3回くらいの予定じゃなかったっけ
1章から4章と5章で
6から9
みたいな感じで3回の予定が
どこだ7章あたりが
重すぎたのか
そうだねだから元々だから
問い鍵
アンサーで締めるって言ってたんだけど
それぞれ対応してるからね
そういう作り方むずいよね
そう
懐かしいねあの5章で結構
屈指に散々捨てた我々
ファイの統合が分からねえみたいな
そうなんですよ
この本なんかすごく
美しいのでね書かれ方がね
読んでるとなんかこう分かった気になるんだけど
いざ説明しようとするとなかなか
難しいよねと言いながら
やってましたけれどもね
どうですか改めて
情報統合理論って何だったのって言われたら
説明できるこの1ヶ月ちょっと寝かしましたけど
これなかなか難しい質問だけど
9章にさ
何か書いてあったよね
情報統合理論とは何かみたいな
結局意識っていうものが
今までは
その測れなかったものを
意識があるっていうものに対して
説明を与えるいつになる性質っていうのが
多分情報統合理論で与えられた
概念なんじゃないかっていう
デジカメの例えで
出すとデジカメってのは
たくさんガソフィルムがあるけど
それぶった切っても結局1個1個は同じ仕事をしてるから
統合はしてないみたいな
意識しないものではないよみたいな
そうそうそう
確かにまさに
9章の中にも書いてあったけど
脳が他の物体と違うことが
なんで正しく理解されてないのか
っていうそういう問題提起を
フィッシャーがやってましたけど
この本を通して
追加できた新しい
新しいというか
提言できた性質っていうのはこの1なることと
つまり一つである
大きな全体であるよっていうこと
これがまさに統合理論の統合の部分
になっているところだと思うんですけど
この統合されているものなのか
そうじゃなくて
単なる要素部分の集まりなのか
っていう基準で
物あるいは組織システムを
定義してやろうと
そういうことを言った人はこれまでいなかったんだと
この本の内緒は
IITっていう理論が
果たした役割なんだよということが
改めて確認されるわけですよね
確かにこれぐらいのトーンでさ
情報統合理論を言ってくれた方が
もしかしたらうんってなったかもしれないね
そうだね
5章6章当たりは
中途半端って言ったら申し訳ないけど
なんか踏み込み
かかってる状態に
俺らも行っちゃってるから
なんかスースキーとか出てきたけど
そのスースキーがちょっと中途半端だったかな
みたいなところがあったよね
本当の式は出してくれないからね
ちょっと理系の人間としては
ちょっとなんかもどかしいところがある
まあ論文読めよって話なんでしょ
そうだね現聴当たれよって話だよな
これもうある意味
小説というかさ
日記じゃん随筆じゃん
それを読んで
ブーたれてんじゃねーよっていうのは確かに
ごもっともではあるけど
でもすりたくなっちゃうのが理系の差だね
いやそうなんですよね
でもねこれは
今言ったことがまさにね本書の一番のテーマだった
そうだね
その意味ではそれをがっちりね
僕らの中にインストールすることができたんじゃないか
確かになんか
知らない人に意識があるってどういう状態だと思う?
って話を振って
色々考えてそれに対する自分なりの答えを
多分返すことができるようになった気がする
その情報と統合の例えを出して
感情と身長の例えを出して
なるほどって言わせること
ぐらいはできるようになった気がする
はいはいはいはい
思い返してみるとね
この本の構造でいくと超痛害状だよって
言ってるのさ
1章に対する9章があるわけじゃん
それでいくとさ僕らこの本読み始めた時のさ
やっぱその熱量がすごい高かったのは
1章という入り口がやっぱり
すごく面白いものだったじゃないですか
面白かったね
手の上に乗っかってる脳の中に
意識が宿っちゃってるの
っていう
このセンセーショナルな体験
まさにこの著者の2人はね
解剖学を経て
医師になるわけですけれども
その中での体験
マジでこの中に意識入っちゃってるの
っていうそこのね
インパクトをいかにこう
そのまま咀嚼して
ちゃんと説明可能なものにするかっていうプロセスが本章だったわけですから
我々はそこに
セレブルという名前を付けたわけだよね
あんまり本収録でこの言葉は使ってないけど
セレブルという
セレブルにもっと迫りたかったよね
それでいくと
具体の実証の話になっちゃってたんで
それでいくと多分この9章はね
セレブルの感覚に少し戻ってくるような
そうそうそうそう
1つさこの9章の
テーマになってくるのって
脳もそうなんだけど宇宙じゃない宇宙
なんか9章
1章が
さっきその9章は1章に対応してるって言ったけど
1章が
まず宇宙の話し方入るじゃん
宇宙飛行士が宇宙から
地球見てその地球って
すっぽけたら宇宙やべーっていう感覚
でも9章では
今度その宇宙を
意識という計りにもって全否定してるじゃん
はいはいはい
宇宙ってかなりでかいけど
宇宙は情報を投稿できてないから
意識の方が俺たちの方がやべーんだぜ
って地球の方が
宇宙より輝いてるんだぜってことを
言ってるのがちょっとセレブった
これはすごいと思う
確かにね面白かったよね
だからさ要は1章のことを思い返してみると
1章のタイトルは
手のひらに乗った脳なんだよね
手の上に脳みそが乗っかってんだけど
その感覚ってどんな感覚
っていうのを説明するための
道具として
初めて人類が宇宙に行った時の
宇宙飛行士たちが宇宙から
地球ってものを要は外の視点から
見るみたいな
まじかあんなかに俺らの生活
全部入っちゃってるわけっていう
地球は青かった
とかさその手の言葉を使って
その感覚を説明してたんだけど
9章のタイトルはこれ転倒してんだよね
手のひらに収まる宇宙っていう
タイトルになってて逆に
宇宙をどう認識するかって
ことさえもこの意識の内側で起きてることじゃん
っていうこの
全く逆の方向からね
宇宙と意識の関係を捉えるみたいな
そういう転倒があるのが
面白いよね
コペルニクス的
展開というか
宇宙の見方に関するよね
そうだよね
この章のタイトルについてはどう
なんでこんなタイトルなんだっていう風に
理解しました
一章は手のひらに乗った脳じゃん
手のひらに乗った脳の中にさらに
宇宙収まってるから
だから宇宙と脳の大なり関係は
脳大なり
宇宙なんだよってことを
最終的に手のひらの
手のひらに乗ったのは例えだけど
その一章の手のひらに乗った脳に対応して
その脳の中に宇宙入ってるから
俺たちは宇宙すらも
セレブル
包含してるんだぜっていう
頭の中で包含してるんだぜってことを
言いたかったんじゃないこの
収まってるの
そう
でも面白いのが
手のひらに収まる宇宙
宇宙を包含するって
宇宙に対する脳の優位性を
2個
2つの観点から言ってる気がして
1つは
脳が
俺たちは考えてるから
宇宙の存在すら脳で考えないと
生まれないぜっていう
主観的な
イメージ的な
考え方が1つじゃん
途中で詩が書いてあるじゃん
脳は飲み込むみたいな
詩的なイメージ的な側面と
もう1個は
普通にちゃんと情報統合理論で
宇宙っていうのはファインを持たないから
情報を統合できないから
そういう意味で
地球にいる人間の脳の方が
情報を統合できてるから輝いてるよっていう
手のひらに収まる宇宙
2個のイメージ的な側面と
数学的な側面で
両方で宇宙を
無力化してるなみたいな
おもしろいなと
その話ちょっとさ
今回の
9章から若干ずれちゃうけどさ
今回
我々というか読者含めた
人類一般が
統合っていうものを
扱う時に
一方で情報
あるいは情報の偏在性
差異があるってことを
扱ってるんだと思うんだけど
差異と統合って2つの概念で
情報統合理論を語ってたじゃない
全ての脳のあらゆる部分が
それぞれ別々の情報を持ってたら
それ別に統合されてないよと
だけど同じように
ある場所で起きた
パルスが他のとこにも繋がって
全体に対して
共有されてる状態になると統合されてるよ
みたいなそういう説明が
あったじゃないですか
その話は確かにそうだな
と思っていて
その時に何が統合されてるのかを
測るもので
結局その
パルスというかさ脳を離すわけじゃん
そうだね
っていうそれをツールとして
宇宙の統合と重力
見た時に統合されてんじゃないのっていう
要は脳の中の伝達物質だからね
そうだね
例えば
これは全然別に
脳が違うとか言いたいわけじゃなくて
宇宙は統合されてないのか
っていう
議論もあっていいなってちょっと思ったのよ
今の山上くんの話
なるほど
宇宙は統合されてないって言ってるけど
例えば宇宙全体で統合を測るための
装置もないわけだし
それは客観的に見ることもできないから
統合されてるかどうかということも
できないけど
例えば重力場とかさ
重力って
脳タイムで伝わるじゃん
基本的には
例えばある物質量が増えたら
その質量
その物体の持っている重力場って
全然違うところに伝わるじゃんみたいな
伝わるってことがあるってことは
それがある種
統合を生む因子になる可能性あるじゃんみたいな
ある意味宇宙は
8章か7章の例えで言うと
心臓ではあるのかもしれない
意識モデルの多様性
統合はされてるけど
情報があるのかって言われたら
宇宙って結局
すげー宇宙に
宇宙の専門家に怒られそうだけど
宇宙って最終的に見たら膨張してるだけじゃん
それは間違ってるから
心臓がその
収縮と拡張を繰り返してるだけじゃん
っていう風にこの方言ってたけど
心臓の専門家からしたらもっと
いやいや違うよって言ったことあるけど
宇宙の専門家には言われそうだけど
宇宙はただ
俺の目からすると膨張してるだけだから
統合してるけど
情報はないんじゃないかな
みたいな
ケンツで物を言いたい
そういうことね
僕が言いたかったのは
結局その情報統合
っていうものを
測るスケール
規模とか
そのフックになってる情報が
何なのかとかによって
もしかしたら全然違うレイヤーで
同じような議論ができる可能性が
あったら面白いな
っていう
この情報統合理論ってある意味
人間が施行するっていう
前提のもとに作られてるから
情報とかいう概念も
俺たちがこうやって考えてるっていう
この情報
情報というか
この状態がなければ成り立たないから
人間向けに作られた理論ではあるよね
それね
何章か忘れちゃったけど
コウモリであることとは
どのようなことかみたいなのを
話しながら他の生物では
とかもっと半信論って
いろんなところに意識がある
っていうのを理解してる人たちもいるよね
とか多分そういう話につながって
いってしまうと思うので
動物にはその情報統合理論は使えませんよ
っていうのが発祥の確か半分ぐらいの
テーマじゃなかった
使えませんよというか
動物において何か人間と同じようなノウハウが生じていることが
動物にとって意識があるということと
イコールで語れるのかどうか
語れる方法がないっていう
ことなんだけど
それが例えば動物で確認できないんだったら
イコールでは絶対確認できないし
宇宙でも確認できない
そういう話やなと思いながらだいぶ脱線してしまいましたけど
そうだよ
そういう話は面白いな
この9章面白かったのは
いくつかもちろん全体振り返りとして
ノウの性質意識の性質みたいな話を
説明してくれたのもあったし
後半いくつか
サブセクションサブタイトルがついてて
面白いなと思ったので
いくつかピックアップして
話したら面白いかなと思ったんですけど
天界革命とかその辺
そうそういくつかあって
最初は基本的な性質っていう
要は完全にこの本の振り返り
のセクションがあって
その後に内側と外側ってやつと
情報と因果関係っていう話と
最後天界と革命
っていうやつあって
それぞれ項目ごとに
詰まって話したら面白いかなと思いました
内側と外側のところは
これは実はこの本の
通想提案じゃないけど
ずっとテーマになってたことなのかなと思って
今のまさに話題にも
関わるところなんですけど
意識経験って他人からアクセスできないよね
っていう話についての
全体を振り返った総括みたいなことが
書いてあったかなと思ったんですよ
別にこの
マステミーニさんたちが
トノーニさんたちが
この本の中で答えを出してるわけじゃないんだけど
なんかこう問題提起として
すごい面白かったなっていうのが
まさにその手のひらの上に乗った脳に対して
ちゃんと栄養供給されてたら
この脳って
夢を見ることさえあるじゃんみたいな話題って
実はレージとして上がってたじゃない
あったねあったね
意識体験って脳の内側だけでも生じるよね
っていう話だと思うんだけど
そこに対して
彼らは試験官の中で
仮に脳を培養することができて
外界から
何の刺激も受けてない脳
っていうのは
どんな夢を見るんだろうかという問いを
ポーンと投げてるんですよ
これは結構
ロマンティックなというか
問いだし
ある種すごく残酷な結論を引き出す
問いでもあるなと思いながら
見てるんですけど
覚えてます?そこの辺りの2人って
母親の刺激だったりも全く受けない状態で
試験官の中で育った脳を
ポーンと外に出すとどうなるか
っていう
これと意識体験は起きるんだろうけど
その意識体験ってどんなものなの?
みたいな話だよね
っていう問いが実は
あるんですよ
これは僕すごい想像力働く問いだな
そうなんだね
俺これですごい面白いなと思ったのが
結局
他人の意識には
俺はこうやってミントと仲良く喋ってるけど
俺はミントの意識に関して
意識の構成状態に関して全く
情報を持ってないってことなんだよね
俺が
ここにも書いてあるけど
世界はこうであるはずだっていうモデルを
生まれた瞬間から今まで
俺たちはこう
いろんな経験から構成してきたわけじゃん
だから俺も
ミントもおそらく独自の
世界はこうであるはずだっていう
モデルが頭の中にあってそれが多分意識の
根底にあるあれだと思うんだけど
だから我々こう
人間みんないるけどさ
大体同じような共通の見解を持ってると思いきや
おそらくとんでもない
違いを我々
持ってるのかもしれないって考えた時に
こう喋ってるだけでもロマンがあるな
みたいな全くこう
全く違う
オリジナルの意識モデルを持った
バックグラウンドを持った者同士がこうやって
ラジオをやってるってなんかすげえ夢がある
なんていうかこの状態が
もうすでにすげえ面白いって思っちゃった
確かにね確かにね
全く独立に山上の脳も
脳の発達とモデル形成
僕の脳も発達してきたわけですから
そうそうそう
その中である時間は共有してるから
共通体験として語れるけど
でも実はほとんどの経験は
全く独立にしてきてるっていう
ことが面白いよね
しかもその同じ体験を受けても
もはやその時点で
ミントと俺が会った時点で
それまでに形成されてきた俺とミントの
回路が脳のスナップスの回路が
違うから同じ経験を得ても
全然別のアウトプットが
頭の中にされてさらに次の方向に行くわけじゃん
そうなんだよね
だから学校とかもみんな同じような方向を向いてても
全員多分別々の
あの
こと考えたり別々の
方向を向いたりしてるの面白いな
みんな違ってみんないいじゃないけどさ
結局素敵な方向に行っちゃうんだけど
いやもうそうなんだよね
それでなんかすごい面白いのは別にその多様性が
多様性を称賛しようぜみたいな話じゃなくて
例えばさ
例えばある学校でもいいや
学校で共通の体験をしました
なんかインターナルな
意識体験があって
それを外側にさ表現するわけじゃん
はいはいはい
仮にさそのインプットが一緒で
アウトプットも同じように
例えば拍手をしますとか涙を流すとか
アウトプットが共通だったとするじゃん
そしたら同じ気持ちだ
っていう風に思っちゃうけどそれさえ分かんない
ってこと言ってんだよね
そういうことそういうことそうなんだよ
みんな人間は同じようにさ
感動したら拍手するよねとかさ
なんか嬉しかったらハイタッチするよねとか
って思ってんだけどその時に
内側に起きてる意識体験さえ
もはや押し測ることができんっていう
絶対違うんだよね
意識モデルは違うから
絶対違うんっていうのが
面白いなっていう
それがなんか
この9章を読むことによって人間活動に
深みが増したというかすげえ
俺たちって面白えみたいな
俺たちって面白えって面白いけど
いや分かる分かるそうだよね
そうなんかこの下りの中で
僕ちょっと面白いなと思ったのが
多分この本書のメインテーマではないんだけど
こうやって多分発達心理学
みたいな領域でも多分ある
考えよる領域だと思うんだけど
その赤ちゃんがどう発達していくんだよ
脳が発達していくってどういうことなのみたいな
ちょっと触れてるところがあって
だからすごく本当に端的に一行だけ
脳が発達するっていうのは繋がりが消えることだ
って書いてあるんだよね
これなんかすごくいいなと思ってて
要はそのモデルさっきその
脳の理解のモデルっていうのを
発達するに従って作っていくんだよ
っていうこと書いてあったって山上くんが言ってくれたけど
それが脳の中でどう起きてるかっていうと
もともと脳は
全然そのフラットですよと
特定の繋がりみたいなものが
残ってるわけじゃなくて
あらゆるものをこう無分別に見てるみたいな状態から
少しずつこう
この繋がりいらんわこの繋がりいらんわ
っていう風にやることで残ったものが
モデルだっていう風になる
っていうプロセスなんだって書いてある
これがすげえなと思ってて
脳のシナプスって繋がってくるのが動いてる
そうそうだから新しい回路を
開拓するみたいなイメージがあるじゃん
人間にとっての成長のイメージってそっちじゃん
なんか目が出て膨らんで
鼻がさ
要はより大きくなっていくっていう
その
ヒールで物事を捉えるけど
逆で脳は物質的にはもう
最初から完全にあって
それがだから要は
あれかもしかしたら
ちょっとこういう風に言ってなかったけど
脳は生まれた時点で一なるものなのかもしれないね
多様性の増加
なるほどね
その中で情報の
偏りがだんだんできてくるみたいな話なんじゃない
はいはい
こういう繋がりは残しておくけど
この繋がりはもう消すとか
同じこと
多様性が増えていく
どんどん削って
作品を作り上げてくるような
削り出しみたいな
削り出しの作品がどうなってるか
そういう話なのかもね
削り出しの作品
うつ像掘る人みたいな感じだよね
そうそうそう
ひたすら木村から削り出してみたいな
我々は意識の掘り師なのかも
意識の掘り師はやばいですね
それは面白いなと思っていて
だから例えばさ
名前を覚える
とか物に名前を付ける
っていう感覚
で
分けるってことだよね
AというものとBというものを
一緒に認識するときに
それぞれに違う名前を付けるとか
そういうことすると思うんですけど
世界をどんどん分けて理解していく
みたいな感覚と
脳の中の発達
ある特定の繋がりを残してある特定の繋がりを消す
みたいな感覚が
僕の中から勝手にリンクして
続け面白いなと思ってね
なるほどね
チャットGPTの動作
どんどんでもそれが
面白いのが今言うとさ
選択肢がどんどん狭まっていくかのように
知識の情報自体がどんどんどんどん増えていく
っていうのが面白いよね
そうねそうね
そうなんだよね
それ何なんだろうね
その脳で見ると
どんどんどんどん
削ぎ落としていって
一本の物作っていくっていう
その進路選択じゃないけど
どんどん狭い方向に行きそうなもんだけど
逆じゃん人間って年寄りのつゆ袋じゃないけど
どんどん脳をとし取るにつれて
世界のことが分かっていくようになるわけじゃん
それはただ自分なりに
説明できるようになっているだけなのかね
実は別に知識が増えているという
確かにね
実は体験のレパートリー
というかさ
人間が生涯で解くべき
タスクないしは
課題のさ
多様性って実は結構低いのかもね
脳がもともと持ってる多様性に比べると
ああそういうことね
例えばさ人の顔色を見て
判断する必要があるみたいな
ある特定の状況があったとしたらさ
こういう状況のときはこういうふうに
動いた方がいいなとかさ
そういうのってやっぱさ経験の蓄積で
判断するじゃない
九章にも書いてあったよね
経験や勉強懸命の努力によって
もう何千かの選択肢を
加えることなど全体から見れば
わけないことだみたいなことが
そうそうそう
実は結構パターン化された
日常を生きている可能性があるってこと
そうだね
生まれたものがすごすぎて
なんか俺ら日々のタスクにアクセクトしてるけど
実はその生まれ持ったものからすると
大したことないことなのかも
その使用摩訶なのかもしれない
確かにね 意外と
これちょっとさっきのさ
試験管の中で生まれた脳の話
にちょっとだけ戻ると
全然違う文脈で
あの僕らこれまでもさ
GPTの回とかちょこっとやったじゃないですか
やったやったやった
ジェネラティブAIの画像生成系のやつとか
あの流れで
最近なんか面白かったのがね
チャットGPTは
リンゴを食べたことがないっていう特集があって
なんだそれ
ニュースピックスってアプリがあるじゃないですか
あるんですけど
なんかそれで
言語学者だっけな
いまいむつみさん
って方と
あとメディアアーティストの
おちゃいおいさんって方が
お話をするっていうやつがあって
すごい面白かったんですよ
たまたまテーマ的に面白いなと思って
それ何かというと
チャットGPTみたいなものがさ
あの言葉を
操ることができるじゃない
我々が理解できるいわゆる自然言語
っていうものを喋っているよと
でそのチャットGPTがやってることが
何なのかみたいな話を
言語学的に話そうみたいな
回があったんですよね
その時にその象徴的な
スローガンが
チャットGPTはリンゴを食べたことがない
っていうことを言ってて
ちょっとよくわかんない
チャットGPTに例えばさ
リンゴって何ですかって聞いたら
赤い赤色してて
こんな形で
甘酸っぱい食べ物ですとか
チャットGPTにとって
赤いってことが何なのかとか
甘酸っぱいってことが何なのかとか
リンゴの表面の質感がどんなものなのかとか
どんな重さをしたものなのか
っていうことを直接
経験したことないじゃん
だけど答えられるじゃん
それってあれか
この本でいうと2章くらいにあった
中国語の部屋みたいな
何か聞かれたら
その中に小人がいて
めちゃくちゃ沢山のネバートリーがあるから
それに合う文脈をポンポンポンって出してるのが
究極形がチャットGPTになってるってこと
っていう話に繋がるんだけど
この時に
キーワードとして出てきたのが
記号設置問題っていうのがあって
この言葉を別に今日
説明したくて使ってるわけじゃないんだけど
記号って例えばリンゴって言葉が
何を意味してるのかっていう
進化論の最後の回でも
シニフィーの回をしたと思うんだけど
あそこに繋がるんだけど
その記号ってものが設置っていうのは
実体形と繋がることを設置って言うらしいんですよ
言語学の中で
要はスニフィーとスニフィーが
閲するような状態のことを設置を呼ぶと
で赤ちゃんがものを理解してるときに
例えばリンゴをパチって掴んで
食べたってやってガブって噛んでみたら
味がしたみたいなとこで
お母さんそれリンゴだよって言われたら
リンゴだって言われたみたいな
これがリンゴにまつわる設置体験
なわけですよ
さっきの試験科の中で
生まれた脳もそうだし
それからチャットGPTみたいな
言語モデルからをベースに生成された
AIもそうだし
それぞれは
外界から何の刺激も受けず
直接的な体験を
得ることなく
そのことについての事実情報だけを
知ってる状態になるんだよね
要はオンリースニフィアの方に
どう頑張ってもいけない
そうそうそう
それって
この本のボードで出てきた
ゾンビとすげえ似てるっていうか
哲学的ゾンビつまり内部の体験は
一切ポッカリ穴が空いてるんだけど
表面的に
表現として
どういう風に返すべきか
どう説明するかということを知ってる
っていう状態それはさっき山上が
話してた
同じことを経験しても
内部体験でどういう風な
意識経験があるかどうか
分かんないけど泣くとか
拍手とか同じようなアウトプットを
してるっていう時にそのアウトプットだけを
模倣することは実は簡単に
簡単にって言うと語弊があるけどできて
でも本当の意識体験というか
動きとそのアウトプットが
繋がってる人と繋がってない人がいたり
繋がり方が一律戦争判別だとか
そういう話題に結構繋がるなと思って
AIにおける経験
まさにそうだね
今の試験科の中の脳の話は
シンクロするなーって思いながらね
でもそれって何が問題になるかというと
とりあえずチャットGPT
使ってても別に問題にはならないじゃん
結局本人が楽しめるかどうか
ってことでチャットGPTは
チャットGPTっていう個体は
あいつらは楽しめてない
わけじゃん結局
俺たちはチャットGPTと同じような
答えを返しながら楽しんでるっていう
その上で偉いとか
そういう問題じゃないけど
そこに差があるよね
意識体験が豊かだよねとか
そうそうそう
逆にチャットGPTにスミフェイを
付与することでできるのかな絶対無理か
でも多分インプットを
繋ぐことはできると思うんですよ
それこそ脳のさ
どこまでが意識の範疇
みたいな図あったじゃない
シナプスの模式図みたいなやつ
六角形のやつがあって
脱脂が生えてるやつ
これはインプット回路ですよ
5章とか6章とかで知ってたと思うんですけど
あそこでやってたような
足の部分に例えば
カメラつけましょうとか
サーモセンサー入れましょうとか
そういうセンシングするための
アウトプット機構を外部から
調達することは
おそらく時間の問題でできるし
今すでにやれると思うんですよね
でも
結局それは
情報が増えるってことなんだけど
それと経験が何が違うのか
っていう話になるよね
それは
図で言うと結局末端のとこは
ファイを上げるには
寄与しないってところに
関与してくるのかね
そうかだから
今ちょっと若干話題を
反らしてしまったけど
AIの問題でいくとそもそも
高くないんだよね
そもそもが
結局次に何の言葉が出るかを
予測して最も確からしいものを
選び続けてる
っていう作業をしてるだけだから
ちょっと思うのは
人間がやってることって
それと何が違うのって言われたら
僕はあんまり似たようなこと言ってるんじゃないかと
思う気もするんだよね
全然不勉強なまま言ってるから
確かにそうかもしれない
例えばさ
ラジオすることで
会話を楽しんでるわけですけど
これさ最初からこういう全体の
ことを言おうとしてるから
一言目これにしますみたいな話からしてないじゃん
話し出しながらさ
何を言うかを考えてるじゃん
藝術辞辞抜きカタラジオの会で
取り扱った話だよね
最初の言葉が何かによってさ
次に出す言葉が変わるみたいな
チャットGPTじゃねえかよ
やってることはチャットGPTと一緒でさ
確率論的モデルを
やってるだけじゃんみたいな
でも俺たちは
そういう意味で言うと
チャットGPTは最も確からしいものを
意識の選択肢
繋ぎ出すだけで俺たちは確からしくないものを
あえて提示することもできるってことだ
まあできる
選択肢を持ってるみたいな
中国語の選択肢を持ってるって話だね
それが情報があるってことなのかね
いやいやじゃなくて統合の方だと思うんだよ
統合か統合か
選択肢があるのは確かに情報がある
って話だけどチャットGPTもね
溜まった情報を与えることがあるっていう意味では
選択肢があるから
その選択肢をメタに理解したりとか
してるわけじゃないし
この選択肢を取ることを
全体として
一なるものとして理解してるっていう感じ
じゃない気がするなあと思うんだけど
ちょっとごめんね
全然深く考えずに話してしまった
いやいや俺もすげえ気になってる
だからこの本を
始めるにはどっかの収録で
俺たぶん言ってるんだけど
そのチャットGPTに好きがないっていうことは
できるのかみたいなことを
どっかで俺ミンティーに
問いかけた気がするんだけどそれに対する答えって
俺結局
チャットGPTはファイア低いんだよね
低いんだよね
機械だし
ああそうだね
ワトソンくんみたいなものってことか
というか
あれみたいなものじゃない?カメラの
画素と同じような感じ
シリコンチップが
いっぱい並んでいて
そのシリコンチップの一部を取っても
別に同じように絶対飽きない
そういうものとして見ちゃうってことね
そうそう
その結果演算処理をして
アウトプットしてるっていう
そっかチャットGPTの一部を
切り取るっておかしいけど
切り取ってもたぶん同じ作業は
できるからってことね
あれはものだもんな
ちゃんと知ってる人に
話聞いてみたいね
ちょっとこれに関しては
情報と語彙論を知ってる人に
チャットGPTはファイってどうなんですかね
って話を振ってみたい
そうだね
確かに
むしろ普通のコンピューター
とかよりはチャットGPTの方が高い
っていう結論が返ってくるのかもしれないね
うんうん
情報と因果関係
その話が実は一個発展できるのが
この9章の次のセクション
今内側と外側っていうセクションで
他人の意識でアクセスできないよね
だからみたいな話だったんだけど
その次に
情報と因果関係
っていうセクションがあって
ここで扱ってるテーマって
覚えてます?
還元主義って言葉出てきたの覚えてる?
出てきたこれ難しいよね
難しくってさ
パーツパーツにどんどん区切っていって
どのパーツがどういう役割を持ってるのかっていう
要は
物質の構成
原理にも続いて
そのパーツに意味だったり機能を
還元して考えましょうね
つまり心とか意識っていうものは
こいつが生み出してるんですよ
っていう1対1の対応関係を目指そうみたいな
すごく雑に説明すると
多分そういう意味だなと思うんだけど
意識において
なんで還元主義が問題だったのかみたいなことを
この情報と因果っていうセクションではやってると
これ何が問題だったか
実はなんかズバッと書いてあって
確かにそうだなと思ったんですけど
要は脳のシナプスとかさ
シナプスの発火の連鎖みたいなところに
意識の根源を
還元していくと
何に行き着くかっていうと
僕らは自由な意思決定なんかしてないことになっちゃうと
そうだね
シナプスの連鎖
連鎖反応による
揺らぎもあるかもしれないけど
ある種確率論的なモデルになってしまうんだ
っていうことですよね
そういう言い方してなかったけど
現代的な言い方すると多分そういうことだ
化学反応の連続じゃんっていう
それって結局
部分の話で
整理できちゃうから統合がいらないじゃん
っていう風に
つまり
僕らが全体を認識する
かつそこに対して
主体的に関わることができる
存在としての意識を
維持するために
必要なのが統合っていう概念じゃん
っていうことを言ってるのかな
意識の統合
って思いながら
僕はこのセクション読んでたんですよ
一方でさっき山上くんと話してた
内容にもリンクするところだけど
僕らも実は
この言葉を発するときに
その確率論的なモデルに従って
喋ってる可能性って別に
ないとは言えないよねっていう
気持ちもするし
例えばね
今日僕が何を喋るかを
どれくらいコントロールできてるのかよく分かんないし
例えば
だってその次
喋る言葉として最も確からしいもの
って話してるけど
確からしくないものを選択したつもりでも
それが多分結局確からしい
大きな原理で見たら
それを喋る可能性が一番高かった
ってことになるかもしれないからね
そうなんだよね
それをどういうモデルで
やってるかっていう
モデルをたまたまデザインする側に
いなかっただけで
僕らはそれを所有のものとして与えられているから
そういうものだという風にして
使うしかないんだけど
それを例えば
GPTもそうだし
今の大規模言語モデルを持った
対話型AI
みたいなものは
それを作る人がいるから
すべからくその意図をもって
設計せざるを得ないじゃないですか
どういうモデルで
そのAIを駆動させるのか
やっぱり関わる必要があるから
なんか
そこがまず大きく違うよね
フラットになかなか
対比させられないよね
っていうのはすごく思う
それともすると
自由意志ってないじゃん
みたいな話とかって
よくこの手の領域の
話だとあったりするじゃないですか
何かやろうっていう
意識が芽生える前に
すでにもう運動神経の方に
発科が進んでたよみたいな話とか
よくあったりする
聞いたりすると思うんですけど
そういう話とか踏まえてた時に
意志をどこに置くのか
みたいな話
大事だよね
すごい平べった意気込んであるんだけど
そこに落ち着くし
ともすると因果関係ってものが
どこから生じているのかみたいな
そういう話になる
ですよね
例えばさっきの
同じ授業を受けて
例えば涙を流す
みたいなことがあった時に
その涙は意識が
原因となって涙という
結果を生んだものなのか
涙が勝手にまず流れてきて
そこに対して悲しいという気持ちを
想起させたのか
コロンブスの卵みたいな問題になっちゃう
卵が先かニナドリが先か
だけど
一応便宜的に
内面があって外面にそれが
表出するって考えた方が
理解しやすいよねってことになってるし
そうしないと例えば
イスキーモデルだよそれが
そうそうそう
確かにそうしないと
例えばなんだ
殺人の責任とか
個人で問うこともできなくなるよね
確かにね自由意思ではない
というかもう勝手に
価格反応で人が
殺されちゃった人を殺しちゃったから
それは意思じゃねえっていう
俺の脳の調子が悪かった
いいことができない
そうそうそう
そうだね
それにも繋がっていく
難しい
言い始めるともうこの世界の
世界が
ぶち壊れるような議論だよね
そうなんですよ
法なんてあってないようなものになっちゃう
でもそこに到達
する可能性あるんじゃないかって
最後の展開と革命
っていうセクションなのかな
と思って
コペテンが起きる
展開
まさにね僕らが読んできた
これの一個前に読んでたね
主の起源ですかダーミンの主の起源における
進化論っていうのもそうだったし
このコペルニクス的展開は
人間は宇宙の中心にいたはず
なのが宇宙の外側に行っちゃったと
元々ね
天動説地球は止まっていて
天体が動いている
天体だけが動いていると思ったら
いや逆でしたと
自分たちも動いてたし何なら自分たちは
世界の中心になかったと
コペルニクス的展開と呼ばれているね
次の進化論も
前の章を聞いてもらえば分かりますけど
元々は人間がね
最も高貴な存在です
っていうデザイン論っていうのが
はびこってたのが
実は違いますよと
人間も
たくさんの生物の中の一つに
過ぎませんよっていうのが
進化論で出た結論
そこまでは
僕らは過去の理論として
知ってるわけですから
確かにねと
意識理論について
我々は意識理論を
我々はどこに追いやってしまうのか
っていうのが
今残されている
これは面白いよね
これはともするとさ
コペルニクス的展開も
これ全部コペルニクス的展開だと思うんだけど
コペルニクスの時代の展開は
宇宙という
世界の中での人間の居場所が
中心だったところから端っこに行きました
進化論は
生物種としての
立ち位置が
生物種トップみたいなところに
いるはずだと思ったのが
実はそうじゃないよと
単なるワンオブゼムだったみたいな
それでいくと
この構造でいくとだよ
人間の素朴な
頭だと
自分たちのこと
考えている主体のことを
中心に置きやすい存在でありそうだし
人間は
自分たちを中心に考えやすいし
自分たちが一番偉い
強いと思いがちな
すごく上れがちな
存在であるというのが
過去2つの事例から分かると
さっきの
自由意志本当にあるのかみたいな話にも
僕は繋がるなと思いながら
このままいくと
理性が
人間を司っているものだ
みたいなアイディアを
明け渡すことになっちゃうんじゃないか
ってすごく思ったんだよね
やっぱこの流れから
自由意志の存在を否定される
自由意志なんて存在しねえっていう
結論になって
それもう人類ORなんだこれがもし
本当にジェットされるならさ
もう
ねえ
やばいね自由意志
自由意志の存在を否定されてしまうってことでしょ
だから自由意志って
言うべきなのかどうなのかは
分からないけど
例えばさ今ちょっと意識の話そうだけど
もうちょっと前のさ経済学系の
理論の中でもさ
結構そういう展開があった
という風に僕は理解していて
経済学って
基本的に人間は
合理的な生き物であると
かつ自分の得になる
ものを
自分たちの利益になるものを
より好むだなみたいなさ
経済学的なんだっけ
ホモエコノミックスみたいな
の前提に
ミクロのやりとりだったり
とかマクロの経済だったりとか
という風に理解してきて
おおむねそれは正しいんだけど
でも実はそうじゃないよねみたいなことがさ
次思うかって言った本の
候補に曲がってたファストアンドスローっていう
ダニエルくんの
これノーベル賞として
書いた本があって
人間がすごく
非合理的である
っていうことを説明した
人たちなんですけど
実は経済学でもすでにそういう
一派が
大動し始めてるし今実際そういう
行動って全然合理的じゃないよねとかさ
文明的にめちゃくちゃ依存してるよねとかさ
物の特性に依存してるよねみたいな話がある
という中で意識の話に
まで今ようやく到達してるから
なんか少なくとも
意識だったり
自由意識がどうかは分からんけど
なんかその人間の
合理性ないしは
理性みたいなものが
いろんなものを使い辿ってる
みたいなところはもうなんかすでに半分くらい
否定されてるんだろうなと思ってた
これは
結構大きな話だなって
やっぱ思いながら最後の章を
読んでたよね
意識の話への到達
これが本当に最後のテーマなんだけどね実はね
はいはいはい
でも一方でっていう話で
いくと例えば
天動説から地動説になった
ことによって
例えば
なんだろう
宇宙に行きたい人の
研究だったりとか
一気に進んだだろうし
人工衛星打ち上げたい人の研究がめちゃくちゃ進んだだろうし
とか
例えば
気象予報系のことやってる人たちの
研究めちゃくちゃ進んだみたいなことあるかもしれないけど
なんかよくよく考えてみると
僕らの日常生活において
天動説か地動説かを
大きく気にしなければいけない意思決定って
そんなにないなっていう気もする
そういうことが進化論でも言えるなと思ってて
人間が
全生物種のトップであるかどうか
みたいな話って
実はそんなデイリーの意思決定に
影響ない
気もするじゃない
でもやっぱり生物種の理解の上ではめちゃくちゃ
大事なポイントらしい
今の遺伝の研究とかにもさ
進化論が明らかな影響を与えてる
確かに大事なんだけど
僕らが日常生活を送る上での
意思決定にはあまり大きな影響がないな
と思ってて
じゃあ意識どうなのっていうのが
僕は結構興味があるところだなと思った
要は専門家が
研究する上でこういう風に世界を見るんだって
見方の合意が取れている
ものとしてね
専門家の予算にはなるけど結局我々の
日常生活には大して影響を及ぼさないんじゃないかと
及ぼさないかもしれないし
今回が初めて及ぼす
領域になる可能性があるんだとしたら
面白いなっていうのもあるし
そういうのが最後ちょっと
思ったところだね
なるほどね
面白いね
これはやばい本だよね
やばい本だね
確かに
最後の理論が本当にね人間の自由意志
犠牲なんてないっていうのが
明かり通ってきたら結構恐ろしいことになりそう
本当ですよ
まあでもちょっとそれも
面白いけどね
そうだね
そうだったとしてなんか困るのかね
何で困るんだろう
どうだろうね
一番影響あるのは法律じゃない
法律もだし
打つみたいになる人が増えそうじゃない
結局俺がどうしようと
もう全部決まってんだからみたいな
でも全部決まってるわけではないんだよね
決定論とまた違う
これちょっとどっかの話
はいはい
なるほど
決まってるわけではないが状況によって
チャットGPTと一緒でさ
入力があったらそこに対して答える
メカニカルに決まるんだけど
でもその入力すら
全ては出力の結果だから
結局もう生まれた瞬間から
全部出力出力出力で
ドミノダオスでもう全部決定されちゃってんじゃないか
意識の決定性について
って考える人がさ
その各出力のさ
入力に対する出力の結果はさ
確率的でしょ
どんな結果が出るかに関しては
はいはい
1位に決まってるわけじゃない
10パターン
10パターンは少ないと思うけど
仮に10パターンがあるバトルがあるとしたら
その入出力の連鎖が
因果関係みたいなのが10パターンずつ
10の
2乗3乗4乗5乗って
どんどん劇場的に増えていくっていう
自分で介入できる余地は一応あると
介入余地はあるが
アンコントローラブルであるみたいな
いや面白いね面白いし
なかなか理解できないよね
今こうやってコントロールして
喋ってるラジオやってることすら
実はアンコントローラブルだってことなんだよね
うんでもこれなんかすごく
古くて新しい
問いですよね
なんかもうアリストテレスさんとかの時代から
なんかそういうことを考えてた人がいた気がするし
ああ
考えるのは容易だけど結論出すのは
めちゃくちゃ難しいとこだよねこれ
そうなんだよね
確認のしようがない
うん自分でこうやって
要は結局その俺たちがもう意識の中で
動いてる以上それが
コントロールされてるかされてないかっていう
意識の外のレイヤーから見ることができないんだよね
そうなんだよね
どうですかこの山上さん
このセレブった結果
うん
山上の行動に何か
変化はあったんだろうか
セレブった結果
どうだろうね
結局
なんかでもね結局セレブったことによって
うん
なんだろう
棚と
棚取らなくなった気がするなぜか
ああ
死との関連が
そう
なんか
脳って脳だけで
生きれるって話を
聞いたじゃん
もしかしたら夢見てるかもしれないって
話
だから俺の意識って
将来的に
その俺の脳を
保存しとけば
再構成可能だし
むしろまたマッドなこと考えちゃって
自分死ぬときに自分の脳をホルマニンつけといて
ずっと一生夢見させておこうかな
みたいな
死なずに
脳だけふかふか浮かべて
ずっと脳の中で語らせちゃっても
面白いんじゃないかなみたいな
そんなまたマッドなことを考えてしまいました
私は
死ねない怖さみたいなのが
克服されたんですか
森 結局
死ねないことができるんじゃないかっていう
むしろ不死に
近づけるんじゃないかってことを
逆に死ねない怖さというより
なんかもう
死ななくていいんじゃないみたいな
終わりなく別に
夢見続けて何が悪いのって発想になってしまってる
なんかちょっと
想像状態みたいな感じだけど
そうそうそうそう
そういう風に
そうだけに
思ってしまいました
それ面白いですね
そうそうそう
あとね全然関係ないのこれこそまた
死の話だけど
ミンティがさ死ぬときに
全勤してって結局
死ねないって話はしてたじゃん
ようやく俺それがなんとなく
腑に落ちるようになって
別に何かあったわけじゃないんだけど
結局俺たちの生っていうのは
死んだ瞬間
俺たち死を経験できないわけじゃん結局
生がどんどん終わりに近づいていってるだけで
結局死ぬこと
死を体験できないわけじゃん
俺たちって死なないじゃん
っていう風に
思って
死の恐怖
意識と全然関係ないはずなんだけど
それを最近ちょっと考えるようになって
死の恐怖が突然なくなった
それはもう完全に
棚取り界の僕の
スタンスに近づいていくじゃないですか
そう 確かに経験できない怖さみたいなのもあるけど
結局
ミンティが
言ってることが自分の肌感覚で
分かったっていうか
なんかトリガーがあったの?
ないないない
俺死ってないなと思って
結局生
結局生っていうフォルダが
どっかでボンと保存されて
だから俺の生っていうのは終わらないんだ
っていう 俺は
生きることはできてるけど死ぬことはできないんだ
みたいな発想に
今はなって
死ぬの怖くなくねっていう
だって俺死なないじゃんっていう
発想に今なってる
なぜか
面白い
そういう感じにはあんまならないですか
ミンティ そうだね
ノックトインから一層
上にいけた気がする
面白い
ミンティ 棚取り感が変わったね
いいじゃないですか
いいのか分かんない
ミンティ ちょっとした変化が起きましたね
面白いですね
ミンティ そうそう
どうミントさん
セレブって
何か変わったことある?
いや僕結構その
本当に自由意志あるのか
論者みたいな
ところはあって
全然ないとしても
おかしくないなって
思ってたんですよ
結構素朴にね
である時
あの
誰の研究だったか
忘れちゃったんですけど
自由意志があると信じている人と
自由意志がないと
信じている人の
行動みたいなのを
意識の実体
調べたものがあって
そうすると
自由意志があると信じている人の方が
何の要素だったか
忘れちゃったんだけどポジティブなんだよね
そうなんだ
ミンティ 例えば成功するとか
何かを成し遂げるとか
さっきの山上が
鬱っぽくなるんじゃないの
みたいな話を言ってたけど
自由意志があるって
信じている人の方が
生きることに対してポジティブ
当たり前だよね
コントロールできるんだから
自己効力感みたいなものじゃない
っていう話を
読んだ時に
これはもはや
何が僕らの実態を
正しく説明しているかっていう
サイエンスの領域の
話じゃなくて
何を信じるのがいいかみたいな
宗教的な
宗教的な世界だなって思ったんだよね
なるほどね
ミンティ 自由意志に対して自分がどういう
スタンスを取るかみたいなことでさえ
もはや
哲学
ミンティ 哲学ってだって別に
信じるとかじゃないんじゃん
そうかそうか
自分の考え方の問題だよね
ミンティ 信念の問題だから
哲学ってどっちが正しいか
やっぱりなると思うんで
自由意志ないですねってなったら
ないことを受け止めるんだと思うんだけど
哲学だとね
でもうちょっと実用面を
考えると
自由意志があると思った方が
ポジティブに
哲学と信念
活動できるんです
で統計学が言ってます
ってなった時に
何を僕らは選ぶんだっけ
って思う
っていう
すごいこう不思議な問いに
絡められたなって
ちょっと今回のね
本題と若干ずれるかもしれないけど
まあまあまあそうね
ミンティ だからその
意識が生まれるのかって話と
自由意志だったりとか
自由意志決定ってどこで起きるのかみたいな話と
ちょっと似てるじゃない問いの成果ね
そういうものが
とはいえこう
物理的な脳の中で起きていて
さっき山上さんが言ったみたいに過去の経験の蓄積だったりとか
どの繋がりを残しているのか
っていうその人の
脳内の構造によって
選択が変わるんだと
言われた時に
なんかちょっとまた
一個違う次元に
問いたいことの
重心がこうずれたなっていう
そんな感じは
あるよね だからなんかあのちょうど
進化論の最後の方を読んだ時に
結局さ
自分という個体が生き残るってことと
その種が生き残るってことって
あんま接続されてないじゃない
そうだね
僕が死んでも種が生き残ったらいいよね
みたいなことが
進化論的な目線でいうと
別に僕自身の人生に
全くそうやって
益にもならなければ損にもならんみたいな
そういう事件結構あったじゃない
あったあった
結構さ
そういう側面あるじゃない
個人に対して
残酷であるみたいな
あったね だからその種の保存を
ずれたすることによってしか
我々は喜びを感じることができない
そうそうそうそう
俺自身が長生きしたいんじゃ
っていうことは別に
どこでも回収されないという
種にとってはどうでもいいことだ
それで生き残っているやつが
残るっていうだけじゃん
みたいな世界観があって
それと似たようなものを今回も
感じたというか
実は
僕の意識体験ではこう思っている
ことは
取り扱おうとしてくれているんだけど
それ自体が
自分のコントローラブルなものかそうじゃないか
みたいなことは
また別の話だよね
生きてるって
すごい不思議なことだよね
そうですね
なんで俺たちこうやって
生きてラジオやってるんだって
すごい不思議になってくるけど
本当ですよ
面白いよね
そうなんなんだろう
俺たちの生って
そうなんだよね
あと世代みたいなのもすごい面白いよね
ああそうだね
意識みたいなのもそうだし
面白い
確実に俺たちが生きてたことは
嘘じゃないから
全部
有名な可能性もまだある
試験館の中の
可能性もある
面白いよね
だったら
マトリックスじゃないけど
マトリックスもね
あの世界自体は
みんな見せられてる
虚構の世界の中に生きていて
それに気づいたやつが
ザイオンでしたっけ
ネブカネザル号の中に
乗ってることに
推して
実際のリアルワールドの方を
なんとかするっていう
本を読むことの効果
話だけど
どっちが幸せなのか分からない
そうだね夢見てる方が
幸せなのかもしれないね
だからやっぱ自由意志はあるって信じてた方が
幸せなのかもしれない
一緒じゃない結局
でもそれを一回知ると
知ってる側から
選ぶってすごい
難しいよねっていうさ
真実ではない方を
選ばざられない瞬間が出てくるから
ちょっとそれを押しようとしてるのが
旧正のザイオン
恐ろしい世界に
片足突っ込んじゃってるから
だから
本を読むってことは
恐ろしいことだっていうことなんだね
なるほど
新世界の真理
真理に近づくっていうのは
今結構情報がどこにでも
偏在してるような感じがするし
本だってね1000円2000円とかで
買えちゃう世界ですけど
昔はやっぱ本って焼かれてたわけじゃん
まあ確かにね
それぐらいインパクトのあることだったんだな
っていうのは今すごい
改めて思うよね
だってこうやって本読んで我々がどんどん
新しい概念をインストールして
なんかね
いろんなことを考えるようになるわけじゃん
確かにすごい本って
すごい
本だけじゃないかもしれないけど
本ってやっぱ読みながらさ
考える時間があるからね
結構能動的に読むってことで
考えながら読むってことだからさ
それがなんかやっぱり
自分の中で新しい思考の畑を作るのに
すごい寄与してるのかもしれないね
本を読むっていうことが
自分の脳の中のね
回路を動かさないと本って
そうそうそうYouTube見てるのと
わけが違うよね
聞くだけでいいんじゃない
やっぱ本読むって結構ハードワーク
それなりの能動的な体験だからさ
そりゃ
思想も生まれるよね
実際に脳を手で
切開して持ったことがある
山上さんの経験は
より解剖度が高い
そうそうそれはそうだね
セレブルは割とスッと踏み落ちたね
あー確かに
当時セレブラなかったらしい
当時ね熊爪医学生だったのかもしれない
それは
もう一回解剖したいな
語らずよ
お疲れ様でした
なんか思いのほか
あれだね
タイムギャップがあったとは思えない感じで
そうです
すぐ軌道に乗ったね
意識すげえな
意識すげえ
テーマ面白いし
どうでした?読んでみて改めて
読んでみて
すごい面白かったのもあるし
新しいのがすぐ軌道に乗るなってとこがね
俺たちももうラジオ職人として
本当ですよ
自転車と一緒で
リーバーサイドスタジオに来れば
語らずよはヤマガミと語らずよはミントになれるんだな
っていうとこに喜びを見出しました
経験的な体験
なんだっけ
ピアノを弾く体験
小脳
語らずよは半分小脳の
作業になっちゃってる
よく思われて
良い
読んだ本としては2冊目
本当だね
何が小脳だよって感じ
どうですか
2冊読んでみて
明らかに
これこそまた小脳だけど
自分が
本読む速度だったり
理解吸収するスキルが
すごい上がってるなって
感じるのと
やっぱりこの本
新カラオケで
この本に関しては
書いてるのが一冊ってこともあって
すごいなんか
自分のICUの話やったりとか
リスキーのレベルの話とか
すごいなんか
日々の仕事とリンクするような
内容だったから
自分事じゃないけどね
めちゃくちゃ
これもミンティが教えてくれた本だけど
すごい良い本を紹介してくれてありがとう
これは本当に
読み物としてかなり面白かった
面白かったですね
僕も実は読むのが
これ出た当時買ってるんで
2015年に買って読んだ
大学生くらい?
大学院生かな
ああはいはい
だからもう7年近く前ですね
その時の
読んだ記憶とか覚えてんの?
読んだ時何思ったかみたいな
全然覚えてない
その時すげーやばいこと言ってる本だな
っていうのはやっぱり思ってたし
あと当時も
似たような関心を持っていたから
やっぱりそのなんだ
自由意志の話とか
最後着地するところは
すごい覚えてたなと思ったんだけど
でもやっぱりその何というか
当時読んだ時に持っていた情報と
今持ってる情報も違うし
それからまさにヤマガミと対話するっていう中で
新しく発見することも
多分あるじゃないですか
だから読み方が
違うと結構違うなって思って
10年経てば
我々の持っている
意識モデルも変わってるってことだよね
逆に癖強くなってる可能性もあるけど
さらに剃り落とされてくるわけね
要らない回路がなくなってるから
また同じこと言ってるこいつみたいになってる
だからもし語ろうとしても
10年後にまたこの本を読んだら
全然また別の収録できるかもね
みたいな
それは確かにね
例えば人工意識とかも当たり前になってる
俺らの内面だけじゃなくて
世代も
世界も変わってるし面白いね
そのあたりは楽しみながらやるといいね
次は
どうしようかね
これで一応
意識という本が一つ閉じちゃった
宇宙とファスト&スローについて
無事独立したわけでございまして
一応
扱おうみたいな
宇宙だったり
さっき言ってた
ファスト&スロー
宇宙系確かに
話題に挙げてるわけに
やってないから
あとは
棚斗収
棚斗収
棚斗収の企画について
企画としては棚斗収
っていう
ものが
でかい方が残ってはいい
あとあれですよ
存在消滅
はいはいはい
存在消滅はな
高村さん
高村さんに来ていただける
これ素敵だ
ちょっとまた次の案を練りながら
それ自体がもしかしたら
そうだね
またブレスト界になる可能性がある
それが語らずような面白いところだよね
はい
ということで
終わりましたけれども
ナチュラルにつながったかな
いつも通りだね
ではではまた来週お会いしましょう
おやすみなさい