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意思決定を手放すな
2026-09-05 44:29

意思決定を手放すな

感情は変数/前頭葉的アラートと爬虫類脳的アラート/AIに意思決定を肩代わりさせる危険性/もう一度、アントレプレナーシップを/意思決定コストを下げるだけでなく腹を括る力が必要/メンタルだけでなくソマティックなアプローチを

感想

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サマリー

このエピソードでは、現代社会における意思決定の重要性と、AIの台頭によるそのリスクについて深く掘り下げています。感情は常に変動する「変数」として捉え、それに対応することの重要性が説かれます。また、人間のストレス反応には、高次の認知能力に関わる「前頭葉的アラート」と、生存本能に関わる「爬虫類脳的アラート」の二種類があり、これらに対処するためには、認知行動療法のような精神的なアプローチだけでなく、身体的な「ソマティックアプローチ」も不可欠であると論じられています。 特に、AIが意思決定を肩代わりすることの危険性が強調されています。AIに頼りすぎることで、人間が本来持つべき判断力や責任能力が著しく低下し、人間の尊厳に関わる問題になりかねないと警鐘を鳴らしています。現代の教育システムが、効率性ばかりを重視し、子供たちが自ら意思決定し、腹をくくる経験を積む機会を奪っている現状への危機感が示されています。最終的に、意思決定能力は人間の生きる意味そのものであり、これをAIに委ねることなく、主体的に鍛え続けることの重要性が訴えられています。

定数と変数としての感情、そしてストレスアラート
はい、始まりました、ケアラジです。 ということで、今日も配信していきたいと思いますが、
今日9月の4日ですかね、金曜日になります。
ちょっと天気がね、全国的に悪いです、今日は。
大阪は、1日雨かなと思ってるんですけど、そういう予報ですね。
まあ、とはいえ、パラパラと小雨が降ってるっていう感じの朝ですかね。
今日は、長女は実力テストみたいなので、
頑張ってね、ということで送り出して、
事情は、もうフニャフニャしてましたけど、朝から。
はい、とりあえずご飯も食べさせて、送り出しが終わったっていうところでね、
いつもこうやってケアラジを配信してるわけですが、
前回からの続きをちょっと話してみようということと、
ちょっと僕も、いろんな日々生活の中でまたちょっと気づきがあったんで、
ログ的にね、残しておこうということで、
これはもう、ケアラジはね、しゃべるジャーナリングなんで。
前回が、定数と変数と時間みたいな話をしてたんですけど、
生きていく上でね、何ていうかな、可変値の部分と、
あとはこれは固定しとこうっていう部分がやっぱりあって、
そこを見定めて生活を設計することが大事かなっていう話をしました。
今の時代、やっぱり自由でいろいろ選択できるっていうふうに言われてはいるんですけど、
例えばこう、自分の体であるとか、
もちろん変数的に扱うこともできるんですよ、自分の体っていうのは。
筋肉は鍛えれば育つし、脳も最近は過疎性があると言われてて、
使えば使うほどまた機能は伸びますと年齢を重ねてもね。
とはいえ、枯れには限界があると。
やっぱり僕も30代後半になってきて、
全然昔のようにはいかないですよね。
当然20代ぐらいの時のもう体力というのはないんで、
40代、40代なりの振る舞いをしていかないといけないし、
生活もそれに合わせてやっぱり変えていかないといけないと思うんですよね。
あとは人間の感情とかっていうのもそうですよね。
やっぱり常に揺れ動くし、場面によっても変わるしっていうところで、
自然に近いですよね、人間の体っていうのはね。
なのでそういうのを、どの部分を変数にしてどの部分を定数にするっていうのは、
考えたほうがいいかなって思うんですよね。
特に感情の部分を、これは僕も直近までっていうか、
今もそういう思考の癖は抜けないと思うんですけど、
本とかでもね、ブレない心の作り方みたいなのが売ってたりしますけど、
心っていうのはブレるんですよね。
ことわざでもね、何でしたっけ、ことわざの内容を忘れちゃったけど、
心っていうのはお猿さんみたいな感じで飛び回るんだということわざも、
昔のことわざがあるぐらいなんで。
でも揺れ動くっていう変数として捉えとかないと、すごくしんどいよなぁと思うんですよね。
こんなちっちゃいことで動揺してしまう私ってダメだみたいなとか、
そうじゃなくて、動揺っていうのはするんだと。
心っていうのは変数なんで、どんどん揺れ動くし、
その揺れをちゃんと感知して対応していくっていうほうが、
精神衛生上もいいし、実際的にちゃんと対応できると思うんですよね。
こういう理由で揺れたんだなぁみたいな。
定数として捉えちゃってると、それができないんですよね。
問題化しちゃうっていうほうがいいかもしれないですけど、
なんで揺れてしまったんだっていう問題として捉えてしまうので、
そういう認知をしちゃうと、
たぶんアラートが上がっちゃうんですよね、脳の中でね。
で、コルチゾールが出るみたいなストレスになっちゃうっていう。
いかに脳のアラートを鳴らさないかというと、
やっぱり認知の仕方っていうのは結構大事。
アラートの話になったんで、もうちょっとだけこの話を進めると、
たぶん今の話で、人間の結構高次の認知能力についてですよね。
だから前頭腰的ストレスっていうのがかかる場合があると。
だからこんな場面で自分は本来こうすべきじゃないんだみたいな、
ちょっと判断が入るっていう。
もう一個は、前頭腰的というよりかはどっちかっていうと、
爬虫類脳的っていうんですかね。
大脳神秘質じゃなく、古い脳ですよね。
が、なんか危機感を感じてしまう。
それはたぶん体からくるものですよね。
とか、物理的なまん延遺伝者とか、生物的にありえない状況っていうのが
人間界にはたくさんあるんで。
あんなこう、言ったら道俗であっても、
ああいうまん延遺伝者、東京のまん延遺伝者みたいなことって基本ないわけですよ。
だから体はもう危機を覚えますよね。
ああいう社会的な環境も、荒々と働かしてしまう要因だと思うんですよね。
僕もまん延遺伝者乗ってましたけど、東京時代は。
まあ、SEのキャリアの時はずっとまん延遺伝者でしたね。
よく耐えてたなと思いますけど、品川に最初勤務してたんで、品川まん延遺伝者でしょ。
その後、移動して小台場に行ってたんですけど、
中央線まん延遺ですと。
で、そこから新宿から最強線に乗り換えるんですけど、
最強線は本当に名前の通りね、牛々なんですよ。
そりゃおかしなるわって感じですよね、今普通に考えるとね。
で、仕事の中でも農機であるとか、
よくわからなく政治力学みたいなのがあるんで、
そのプロジェクトの中でね。
もうアラートなりっぱなしみたいな。
でもなんかこう、前頭用的なものと、
その爬虫類の的なもののアラートがあるっていうのは、
最近、きっとそういうことあるよな、みたいに考えてるとこですかね。
認知行動療法っていうのは、最近流行ってますけど、
認知行動療法は前者へのアプローチなんですよ。
要は大脳進出的なものに対して、認知を変えていくことでストレスを緩和するっていう。
自動思考ってこう考えちゃうっていう思考の癖を、
自分でメタ認知してそれを変えていくっていう手法なんですけど、
これはこれで効果があるんですけど、
生物的なアラートとか、
青木さんと一緒に合気道的体作りっていうのをさせてもらってるんですけど、
そういうちょっとこう、フィジカル的なアプローチもしていかないと、
そのアラートっていうのは取り切れないのかなっていうのが今考えてるところですよね。
そうですね、そういう心理学的に言うとソマティックなとかって言いますけど、
そういうソマティックアプローチみたいなものもやっぱりすごく必要で、
でも、そういう前頭用的なものもあるので、
両面アプローチするほうがいいだろうなって今思っているとこですね。
意思決定疲労とAIによる意思決定の危険性
アラートの話は今日しようと思ってたわけじゃないんですけど、
なんかポロポロ出てきたんで、
皆さんもよかったら、
僕も今絶賛治療中なんでずっと治療を続けてて、
やっぱりアラートがすごいなってる気がします。
日々日々観察すると。
結構観察疲れが起こらんようにしてるなと思うんですけど、
自分のこと観察し続けてると疲れちゃう、それはそれで。
もう脳をオフにしてね。
そういう時間も大事だと思うんですけど。
やっぱりね、一個は判断疲れなんですよね。
意思決定疲労みたいなのがきっとあって、
それによるアラートは結構なってる気がしますよね。
どうアプローチしようかちょっと分かってないところはあるんですけど、
相談員の現場でもずっと管理職をやってるんですよね。
20代後半も何回もケアラジで話してる通りに、
介護施設の管理者をやってたので、
ずっと判断してるんですよね。
判断するのが仕事なんですけど、
空き堂的体づくりに来てる方もね、
管理職の方来てて、
そういう大変さ分かち合えるのは僕としてはすごく嬉しいんですけど、
判断すごい疲れるっていうか脳のリソースめっちゃ使うんですよね。
いろんなことを考えてジャッジを下すので、
すごく脳のリソースを使うんですよね。
例えば、この基準を崩すと支援は、
この組織全体としての支援の質が下がっちゃうからとか、
あとは組織のバウンダリーの話もあるし、
プラスやっぱりその方の対象のスタッフの教育的側面から見て、
これは踏ん張ってもらった方がいいとか、
そういうすごく実は脳を回転させてジャッジしてるっていうのがあって、
そういう判断疲れみたいなものはあるよなって思っているってとこですね。
この意思決定コストっていうのをどう考えるかっていうのは、
割と現代的テーマだなと思って、
それを今日話したかったっていうのがあるんですけどね。
これは実は管理職じゃなくても意思決定っていうのはあるっていう。
それは何かというと、やっぱり日々の行動ですよね。
何をするかとか、今この時間何しようとかって意思決定をしてるんですよね。
そこを今は選択肢がありすぎるので、
その意思決定コストをいかに下げるかっていう視点で考えると、
ちょっと楽になる人いるかもなと思ったんで、こうやって話してるんですけど。
例えば僕が対象としてる方って、
引きこもり状態の方とか多いんですよね。
そうじゃなくても無業状態の人、就労してない人が多いんで、
自分で生活を組み立てないといけないんですよ。
これは非常に大変。意思決定が必要。
なので結構ルーティン化していくんですよね。最初、相談の序盤って。
それは1週間に1回コンスタントに家に来てもらうっていうところから始まり、
それが土台ができてきたら、家でやることを一緒に考えてみたり。
ってやると脳が回復していく気がしますね。
で、同時に体を動かしてもらうようなプログラムに参加してもらうとね。
これをいきなりにいろいろ乗せちゃうと、まだ回復しきってないのでバーンとしちゃうので、
まずこの前頭腰的な部分を楽にしていくみたいなイメージかもしれないですね。
全然今この引きこもり状態の子って本当に今の自分を責めてしまうので、
そういう前頭腰的な認知みたいなものを変えていって、
少なくとも僕のとこ来てくれたらね、そういう否定感っていうのは薄まると思って、
そういうのをやりながら自己否定をやめる時間を作っていって、
で、それが終わったらさっき言ってたみたいなソマティックなアプローチをしていくっていうか、
ちょっと歩いてみたらとか、散歩してる子も多いですよね。
多いんですけど、夜とかにね。どうしても人目が気になる子も多いんで、
夜涼しい時間帯に散歩するとか。
ってやるとちょっとずつこうエネルギーが溜まってきて、
回復していくっていうのが近いと思うんですけど。
で、ルーティン化していくとやっぱり意思決定のコスト下がっていくんですよね。
で、脳が回復していくっていう気がしますね。
で、ここからちょっと話は進んで、今AIが出てきてますよね。
で、言ってしまったら、AIが選択肢をいっぱい出してくれるんですよ。
で、もう本当にね、特に20代前半ぐらいの子とか10代の子たちの行動変容は結構起きてて、
やっぱり先にAIに相談するんですよね。
これは良いか悪いか置いておいて。
それはそうなっちゃいますよ。便利だもん。ショートカットできるもん。
でもこの思考のショートカットは僕は非常にまずいと思ってるんで、
自分でジャッジする力がなくなっちゃうんですよね。
その意思決定力みたいなもの。
なのでこれは非常に良くないと思ってて、
良くないっていうのは、さっき言ったみたいに管理職みたいな仕事をするってなった時も、
これはね、AIにはできないですよね。
もちろんAIに相談することもあっても、最後こうするっていうのは結局人間の責任によってジャッジするわけですよね。
で、それをAIが言ったからっていうことじゃ仕事にならないんで、
そこの責任を背負うっていう能力が著しく減退していきますよね。
特にそのAIが進むにつれて、人間に残されたものって責任を取るっていうことしかなくなっていくんですよね。
その責任って法的な責任とか社会的責任っていうこともあるんですけど、
自分の人生の時間をこれにコミットして使えますよっていう、そういう意味の責任もあると思うんですよね。
だからそういう責任能力みたいなものって、やっぱり日々の一個一個のそういう意思決定をするっていう能力と言っていいかもしれないですけど、
そういう意思決定能力に裏付けされてると思うんですよね。
それをまだ自分で育てる前に先にAIによってショートカットしちゃうっていうのは、
僕はもう人間の尊厳に関わる話なんで、むちゃくちゃまずいと思ってるんですよね。
10代の子たちがもうAIバンバン使って、それでAIが提案した方を選ぶっていうのは、
まだまだハルシネーションの問題ってあるし、うまく使わないとAIも、要は嘘つくわけですよね。
それっぽい答えを出すときもあるし、精度上がってるとはいえ、これ嘘やんみたいな、嘘つくなやんみたいなの普通にあるわけですよね。
それ嘘やんって言えるのは、やっぱりある程度の自分の事業領域。
のドメインの知識があるから嘘やんって言えるわけで、
だからそこはすごく考えないといけないんですよね。
せめてこのケアラジ聞いてる方は、意思決定はAIに任せないっていうのはやったほうがいいと思いますよ。
ただ、じゃあ全部が全部AIが悪いかってそんなことはなくて、
そうやって意思決定のコストっていうかは、最終は人間が下すとしてもコストは下がるんですよ。
選択肢を出してくれるから。
自分で選択肢を列挙するみたいなところはAIに代替させてもいいのかなって思うんですよね。
でも最終やっぱり決めるっていうところは自分でやるっていう。
なんかこれがちょっとAI時代の要定かなと思いますね。
意思決定は手放さないっていうか。
生きてる意味ないですからね。
こっちの決断っていうか、こっちの選択肢にコミットしますってことなので選択っていうことは。
それを捨てちゃったらロボットと一緒ですからね。
じゃあもう機械でいいやんって話になるんですよ。
アントレプレナーシップの衰退と教育の課題
でもこのABCっていう選択肢があって、いろんなメリットデメリットあるし、
かかるコストも違うとか。
でも俺はAを選びますっていうことを手放したらもう人間生きてる意味あんまないじゃないですか。
そこは手放さないでほしいし、
だからそこを支援したいんですよね。
最近経営者の支援したいなと思って、
ちょっと中断してた中小企業診断士の勉強また再開して、
来年8月なんでテストがね。
これは頑張れるかなっていうか合格できるだろうというところでスタート切ったんですけど、
キャリコンは僕筆記は受かって、面接は実技試験は受からずで放置しちゃったんですけど、
逆に自分のこだわりみたいなのが僕の場合は邪魔してるわけですけどね。
実技に関しては僕はスクールに行って勉強したとかっていうわけじゃないんで、
画流で能弁でいって落ちてるので、それは落ちるやろって話ではあるんですけど、
なんか多分勉強したところで、いやこっちの方が良くねみたいな風に思っちゃうんですよね。
だからちょっとキャリコンはねもうしんどいなとあれなんですけど、
勉強したらいいだけの話なんですけど、
中小企業診断士は結構テキスト選択式と筆記試験がメインで、面談はほぼ99%受かるみたいなことなんで、
これは良いぞと。勉強にもなるし、森本さんも受験したということで、
急に森本さんの名前がしますけど、ちょっと僕もやってみたいなーみたいな、めっちゃ勉強になりますよとか言ってたんで。
話がめっちゃ飛んだんですけど、
意思決定は手放せないでねっていうこと。
経営者の支援をしたいって思ってるのは、やっぱり経営者の人って、
今言った俺はこれをやんねんとか、私はこれをやるんですっていうことでしかないんですよね。
経営者ってコミットメントをしてる人のことなんで。
そうじゃない人もいますよ。もちろん既存事業をやってる人も多いですから、そこで起業するっていうのは、
経営者としてはすごくまっとうない私判断ですよね。市場があるところで事業を起こすっていうのは当たり前の話なんで。
僕が応援したい経営者っていうのは、市場が置いといたとして、
自分の人生の中の意思決定として、こういうことやりたいって言ってる人なんですよね。
世の中にこういうことないやん、やらなとか、私の地域にこういうことないやん、やらないとか。
そうやって意思決定をしてる人を増やしていかないといけないと思うんですよね。
その人って何かっていうと、内田達郎さんがセンチネルって言い方してますけど、保平ですよね。
世の中、実はこういう課題があって、たださっきのいわゆるビジネス的な既存市場があって、
その市場の中でシェアを拡大していくとか、そういう事業戦略があるわけですよね。
それは間違ってはないんですけど、ただこれだけ社会が変動してきて、人口が減っていっててっていう中で、
国際情勢もすごく変わってきてますよね。
こういう中で、ずっと既存市場の中で、日本ってそうなんですよ。
ずっと内需の国でやってきてて、でも既存市場が結局すごく衰退してきて、
どうしようってなって、じゃあコストが安い海外で作ろうとかってなって、
車とかも海外を拠点にしてるわけですよね、トヨタとかも。
そういう企業には消費税がキックバックされるみたいな、キックバックではないんですけど、実質キックバックに近い。
そうやって自民党がずっと政権を握ってるので、そういう大企業っていうのは表現なわけですよ。
大企業有利な政策をずっと推し進めてきてて、既存事業をずっと温存させるような政策を取ってきたっていうことですよ。
今のこういう現状もインバウンドだより、コストカットの発想なんですよね、日本がやってきたことって。
既存のものをずっと温存させてきて、それで全体の利益が減ってきたら、
上の年代の人たちの雇用を守るために、下の人たちの雇用をちょっと改変していって派遣にしたりとかしてきたわけですよね。
で、氷河期っていう問題が生まれたりしてるわけですけど。
新しいことをやっていくっていう、本来やる企業化精神みたいなものを復活させないと意味がないと思ってて。
アントレプレナーシップってそういうことだと思うんですけどね、本来。
これは今言ったみたいに企業化だけじゃなくて、別に全員が企業化になれっていうわけじゃないんですけど。
やっぱりこれっておかしくないとか、社会的に見たときに、今このままでいいんだっけって思う人を増やさないと、
ほんまに日本終わっていくと思うんで、というか終わりかけてるじゃないですか。
高井さんなんていうのはほんまに今の日本の象徴で、働いて働いて働いてとか、巨像でしかないです。巨像も巨像。
働いて働いてって働いてないじゃないですか。もう勘弁してくれみたいな。
で、為替介入したりとかしてますけど、結局また円安になっていってみたいな。
そういうことずっとやってるんですよね、日本の政権っていうのは。金融緩和してみたいな。
金融緩和するのはいいと思うんですけど、やっぱり成長できる市場であるとか、
そういう投資を本当にちゃんとできてない。やっと経験がある人がいないんですよね。
戦後はそういうアントレプレナシップを持った企業家っていうのがいっぱい出てきてて、
しかもそれが世界規模になったわけですよね。ソニーとかホンダとかトヨタとか。
でもそうなって安定してきた結果、ちょっと衰退してくるわけですよね。
その衰退してきた時に、もう一回やり直そうって言って、
舵を切れたらよかったんですけど、日本はそういう選択をしなかったんですよね。
雇用を流動化させてないんですけど、これがまた日本の特性だと思うんですけど、
派遣とかフリーターみたいなのも結構、世論を操作するっていうか、フリーターブームみたいな。
あんなのメディアを使ってますから絶対。経済界とか含めてね。
そうやって雇用を守る方向にはいかなかったんですよね。
僕は本当に危機感を感じていて、若者支援をしてても要素が変わってきたんですよね。
本当に働けない子がめっちゃ増えてて、これはその子たちが悪くないんですけど、
距離が遠すぎ働くまでマインドが消費者マインドでしかなくて、
正直ちょっともう難しいなっていう。個別にはいろんな子がいるんですけど、
全体観として見た時に、これはもうさすがに無理かもみたいな風に、
僕ですら思うようになってきてしまって。
あと5年ぐらい別のスクールみたいなの作んないと、働くまでにラダをかけられないですよね。
もちろんいい時代ではあると思うんですけど、権利が守られるとか。
多分最初の話に戻って、子どもたちの意思決定力みたいなものをめちゃくちゃ奪ってると思いますね。
とりあえず、もうめっちゃアホなんで、多分国の人ってね。
アホなんか頭いいかよくわかんないですけど、いかに単位時間あたりに効率よく学習させるかみたいな話しかしてないでしょう。
だからその意思決定みたいなものをさせないと、
ほんまに死ぬっていう日本。仕事ってちっちゃい意思決定の連続なんで。
しかも不確定でしかないんですよね。世の中の出来事って。
不確定な中、自分で能動的に情報を集めていって、わからなかったら人に聞いたりして。
で、意思決定をしていくっていうのが代償はいっぱいあるって感じなんですよ。
仕事をモデル化するとね。何するにせよ、実はそういう構造を持ってて。
だからそれができないんですよね。だからもちろんこうジェネレーションギャップとか、
価値観の違いとかあるんですけど、これはやっぱり僕はこの能力が育ってないことで働けない子が増えてるんだと思いますね。
で、うつになっちゃうみたいな。その子たちが悪いってよりかは、
そうやってちゃんと育ててきてあげてない教育環境にすごく問題があると思ってるんで。
自分を取り戻すっていうところですよね。
その自分を作るにはみたいなのはちょっとまた長くなるんで別途話そうかなと思うんですけど、
やっぱりある種の自分っていうのは肩は必要なんですよね。
じゃあ最近までもてはやされる、ゆとり教育がまさにそうですけど、
自由にさせたらいいみたいな議論がちょっとおかしくて、
積み上げがないのに意思決定はできないですよね。
だからさっきの前半の方の話で言うと、やっぱりそのドメインの知識があるからこそ判断力ってつくじゃないですか。
教育ってそういうことだと思うんですけどね。
数学があって国語があってとか、社会があってとか、
これは結構意味はあるなと思うんですよね。
数学的にやっぱり物事を考えないといけない瞬間があったりとか、
当然国語の力ですよね、ドキュメントを読むとか、
それって日本語が読み書きできるとかっていうことって、
得られる情報量が全然変わりますよね。
動画動画っていう時代ですけど、それもマジで危ないと思ってて、
効率で言うとテキストの方が数倍効率いいですからね。
単位時間あたりに取れる情報っていうのは。
動画見てるとか本当になんだろう、テキストにしてくれって思いますし、
授業とかもちょっと書いてることを読むだけやったら帰りたくなるみたいな。
もちろん人の話は聞きたいなっていうのはあるんですけど、
そういうのを根本的に考えないとまずいですよねっていうのが、
ひしひし感じてまして、ちょっと何かあつがたりしてるんですけど、
思いますね。どうすんねんこれからっていう。
ほんまに働けないですよね。
それを言ったところでパワハラになるわけでしょ。
能力がないっていう話をしたわけなんで、僕の言ってることって。
でもそれって鍛えられるんですよ。
積み上げていくしかないっていう現実は待ってるんですけど、
厳しい時代やなと思いますね。
どっからどう再駆動していくかっていう話なんですけど、
腹をくくる力と身体的・認知的アプローチの必要性
ちょっと頭抱えてるって感じですね、現場で。
個別で見ていったらね、
全然いろんなバリエーションはもちろんあるんですけど、
全体のトレンドとしてはそんな感じですかね。
自分で意思決定することをしてこなかった子がどんどん増えてるので、
あれなんでこれやってないの?みたいな。
最後の腹を据えるじゃないですけど、
腹をくくるとか言いますよね。
そういう体験ほんとしてないから、やっていいかわかんないんですよね。
これって情報の精度をいくら上げてもしゃあない話で、
最後腹をくくってやるわけですよ、みんな。
ちっちゃいことでもね。
やろうって言って。
やるその力が育ってないっていうのは厳しいですよね。
だから動けないんですよ、みんな。
で、鬱になるんですよ。
これは恐ろしい話ですよね。
物事が進まないので、腹がくくれないと。
やっぱりそこに僕は何をしてるかというと、さっき言ったみたいに、
まず認知的負荷を下げて、心理的安全性を確保して、
日々の日常設計をしたりして、身体的にもアプローチしていって、
最後何するかというと、やっぱり自分を思い出すことなんですよね。
自分のベクトルをやっぱりいないと、道を示されても進めないんで前に。
だから○○くんはどうしたいのっていうのを、
一個一個やっぱり吟味して決めていくところからやらないと、
腹をくくるっていう力がつかないんですよね。
それをやり直すのに早いも遅いもないんですけど、
私今までもそういう支援をしてきたんですけど、
さすがにそういう子が増えすぎてるっていう気がしますね。
忙しすぎるし、情報が多すぎるんで、
意思決定どころではないんですよね。流れていくしかなくて。
そこをね、三摩の創出とかも言いますけど、
いかにそういう子どもたちが、
まず基礎的な素養を身につける、
弾力と体をやっぱり身につけ、
鍛えるっていうか、育ててあげること。
ちぐはぐなのは、これがいきなり自分が意思決定するっていう方に行っちゃうんで、
日本の教育機能してないと思うんですよね。
やっぱりとりあえずやってみなっていうことを、
義務教育の中ではしないといけなくて、
そこすら授業が成り立たなくなってるでしょう。
そこはやっぱり、なんだろうな、教育。
心理師が多すぎる気がしますよね、日本の教育現場はね。
心のアプローチみたいなのが多すぎて、
もうちょっと生物的に育てていくっていうアプローチがないと、
体を鍛えるとか、やっぱり体力問題もめっちゃあるんで、
そもそも仕事通えないですよね。
で、もちろん昨今集合多すぎるとか、
僕も集合働きすぎって言うんですけど、
でもちょっと集合多すぎるっていうのを、
体力的側面から言ってる人と、
技術的にはそんな働かなくていいっていう、
ちょっとそっちで言ってて、
そんな働く必要ないのに集合っていうシステムが残ってるっていう視点と、
もちろん僕も鬱とかパニック障害やってるんで、
そういう状態の人は集合厳しいっていう話は別途あるとして、
もう体力がないんですよね。
相談に来るとかっていうことすらできないんで、
やっぱり体力的なところ、子どもたちの体の育ちだったりっていうところが、
いかに国として支えていくかっていうのも必要ですよね。
いや、どこからどうするのかわかんないですけど、
とりあえず僕の人生の時間の使い方としては、
何だろうな、そういう再度駆動しようっていうエネルギーがある人に、
やっぱり自分もコミットしていって、一緒に新しく何かを始めていきたいなって思っているんで、
そこに時間を使えるんだったら、僕はこんな嬉しいことはないなと思っています。
ちょっと3分的に、これジャーナリング、喋るジャーナリングなんで、
でもこの危機感を、KRRadiリスナーの方とは共有したいなと思っている次第です。
はい。
単純に自分を大事にっていう話でもないというか、
やっぱり修行みたいなものがないと、苦しいって意味じゃないんですけど、
自分の中で情報判断する、経験値とかの情報とそれができる身体ですよね。
その両面、全東洋的なものと爬虫類の的なものと言いましたけど、
心も身体、体の方も両面アプローチしていくっていうのが、今の教育で欠けてるんだろうなと思うんですよね。
全東洋的アプローチしかないっていうか、教育の側面において。
教育で不登校問題とかの時ですね。
その子の心の中で解決しようとしすぎみたいな。
だからケースワークがないんですよね。
この関係者が何人いてて、ここがちょっとまずいからこの人に連絡してみたいな。
ソーシャルワークもやらないでしょ。そこまで、権限ないから。
そういう物理的にケースワークも必要だろうし、
やっぱり子どもたちの身体っていうのはすごく気になるなと思うんですよね。
僕も子育てしてて、やっぱり時間がないんですよね。
なるべく自助とか連れて公園行こうとかって思うんですけど。
それができてない。後ろめたさみたいなのすごくあるんですけど。
そういうことを考えておりますんで、
皆さんも一緒に考えていけたらいいなと思います。
僕も考え続けたいと思うので、
そんなところで今日は厚語りしてしまいましたが、これで終わりたいと思います。
それではご視聴ありがとうございました。
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