でですね、その悪は存在しないにちょっと話戻したいと思っていて、
閉塞感があるかっていうのも雰囲気の話なんで、
ただ、こっからじゃあ日本どうしていくみたいな、
意味での手詰まり感はありますよね。
思ってて、
それってなんなんやろうっていうのを、
もう考えなくてもいいことをこうやって考えたりするわけなんですけど、
そこでやっぱり、悪は存在しないっていうことにつけるなと思ってて、
うん。
でその、なんていうんですかね、一つは、
まあ、これってソーシャルセクターの中では、
インパクト投資とかって言って、っていう議論もありますよね。
このインパクトって言葉あんま良くないなと思ってて、
その内実はいろいろあると思うんですよ。
でもこのインパクト投資っていうワーディングが、
まあ、良くないなあと思ってて、
その、
まあ、なんかものすごいクリティカルな施策があって、
それが多分インパクトってことだと思うんですけど、
どれぐらいこう社会に対して効果があるかみたいな。
で多分、そういう課題、
解決しているようなNPOとかに向けて、
まあ、投資をしようじゃないかっていう。
僕もちょっと文外観がわかんないですけどね。
でもそういうニュアンスがあるじゃないですか、
インパクト投資って。
インパクト評価とか。
でもそのやっぱり、なんかこの世の中にはクリティカルな
解決策があるっていうことが、
がそもそもの語尾なんじゃないかって思ってて、
それがあったとしたらもう、
多分世の中の問題って解決されてると思うんですよね。
だし、僕は見てる、
NPOつぶさに見てるわけじゃないですけど、
やっぱりなんか、
なんだろうな、
それが実際クリティカルかどうかわかんないけど、
やっぱり、なんていうか、
候補が上手い団体に結局はお金が集まっているっていう、
それはそれで大事な力ではあると思うんですけど、
候補とかロビング、
それはそれで大事なんですけど、
それだけじゃないよなっていう気もするというか、
そういう、
ここがクリティカルな課題やってるから、
投資を集中させようとすることで、
結局なんだろう、その一団体に、
大きな一団体にお金が集まってしまうっていう構図はあるよなと思って、
そうすると別になんか社会が良くなるっていうか、
その団体自体の活動がドライブされることってすごく良いことだと思うんですけど、
それってほんまにインパクトなんか良いっていう感じがするというか、
それはそれでありなんですけど、
なんか、
なんだろう、界隈が盛り上がってるとか、
もちろん支援的な意味はすごくあると思うんですけども、
ちょっと違くないっていうのは思うっていうかね、
そういうことをボヤボヤ考えてるわけですよ。
で、これはもう何回もケア味でも言ってることなんですけど、
いろいろな社会課題ってあると思うんですよ。
なんだろう、
僕の領域で若者支援の問題とか、
障害者の権利の問題とか、
高齢社会になっているとか、いろいろありますよね。
それはもちろん、
なんだろう、
法律を変えていくとか、
最近だと医療的ケア児の本当に問題っていうか、
その、
適した枠組みがないんですよね。
それはやっぱりこう、
なんだろう、ALSの方とかもそうですけど、
とか、
医療技術の進歩っていうのがすごくあって、
そこに社会制度が追いついてないっていうことなんですよね。
これは、
なんていうんですか、
個々に見ていくといろいろ構造があるんですけど、
結局何に集約されるかっていうのを、
僕はこういうメタ思考をすぐしちゃうっていうか、
そういう中、
最近思うのは自分ってそういう脳の構造にあるのかなと思ってて、
だからこそちょっと浮ついてるっていうんですかね。
常にメタで考えるので、
ちょっと地面から浮いてる感じがあるんですよね。
ずっとあって、昔から、子供の時から。
自分が何かやりたいとかあんまりないっていうのもそうなんですけど、
すぐそういうメタな構造で考えてしまって、
だからこそね、合気道的体作りってすごく意味があると思ってるんですけど、
それはそれでも能力かもしれないなとは思うんですよね。
実際使ってるし、仕事で。
でも、これ自分ごとじゃなくて、
とあることを話してた時に、
すごく自分と同じような感じを感じたんですよね。
で、決められないみたいな感じで、
それはもうメタに見すぎてしまって、
じゃあどれを選択するかみたいなっていうよりかは、
どれを選択しても一緒のような気がする。
その感覚ってわかるなぁと思って、
ここは流れ流れて、今こういうよくわからんキャリア送ってますけど、
あんまりメタすぎるとね、道が選びにくいとか、
何かにコミットしづらいとかっていうのはすごいわかるなぁと思って、
だからサイコロでも振った方がいいんちゃうみたいな話は、
そういうタイプの方にはするんですけどね。
何やっても結局、どうやって何を選び取って進んでいくかっていうことなんで、
それは自分にも言えるっていうか、
偶然性を引き寄せていくっていうか、自分の人生の中に。
ちょっとまた話、飛びましたけど、
結局その社会課題と言われているもので、
要はその短期的メリット、
短期的メリット、その医療技術に関しては短期と言えるかわかんないですけど、
要は何かの解決策、これは別に良かれと思ってやったことなんですよ。
例えばその医療技術の発展っていうのはすごい目まぐるしいものがあって、
それこそALSの方の人工呼吸器がすごく発達したので、
発達したと言っていいかな、性能が上がっているので、
前だったら呼吸がだんだん止まっていくので、
そうなるとやっぱり行動も制限されたりとかっていう方が多かったんですけど、
そういうのもある程度呼吸器の性能がすごい上がったので、
活動できる期間が伸びたとかね。
喫緊のことで言うと、僕の知り合いが心臓病になっちゃったんですけど、
それも人工心臓って言って、本当に心臓機能が弱っちゃったんで、
人工心臓に切り替えるんですけど、それも保険適用になって、
多分10年前だと本当になくなってた可能性がある。
結局その保険適用されてないから、その手術も適用できずにいたと思うんですけど、
それも人工心臓によって寿命も伸びてるし、
その間に心臓移植を待つみたいなことなんですけど、
それって絶対的に悪いことじゃないじゃないですか。
むしろ人類として本当に素晴らしいことで、喜ばしいことであるし、
僕も人工心臓になったことで、その人に会えたわけなんで、
これは絶対的に正しいことと僕は思ってるんですけど、
ただその社会課題と言われるものって何なのかというと、
あるメリットと、例えば社会制度のタイムラグのことなんですよね、
僕はちょっと最近考えて思ったのは。
そこが、いわゆるこういうのを合理性の語尾とかっていうらしいですけど、
合成の語尾。
よく言うのが、ケインズの節約のパラドックスみたいなのがすごくわかりやすいと思ってて、
不景気になると、個人的な活動としては節約するわけですよね。
でも節約すると結局市場にお金が回らなくなるので、より不景気が促進するみたいな。
だから短期的なとか個人的なメリットを考えて行動することが、
全体として見たときにデメリットになるっていうことを合成の語尾って言うんですけど、
世の中こればっかり起きてるやんみたいな、まさに悪は存在しない。
みんなそれぞれいいことやろうと。
それは特に利己的とかっていう感じでもなく起きてしまうんですよね、合成の語尾っていうのは。
だからインパクト投資みたいなことを戻ると、
インパクト投資を別に世の中悪くしてやれと思ってやる団体とか、
資金分配団体とか、いわゆる投資、投資家って言っていいんか。
投資会社の人とかっていないと思うんですよね。
世の中よくしたいと思って、そういうスキームを作るわけですけど、
それが結果的に、1個のNPOのやり方をまずそこにバーッと投資して、
よかったら横展開していきましょうみたいな話になって、
でもそれって横展開されたことってあるんですか?みたいな。
結局スクール事業的な感じになったりとかして終わりみたいな。
全然意味ないとは言わないけど、社会課題は解決されるのかしらっていうところですよね。
とか最近、それもだいぶ変わってきてると思うんですけど、
三角車のレポートでおさようになったトキさんっていらっしゃるんですけど、
ソーシャルセクターの中でPMに近い動きをされてて、
組織に入ってプロジェクトを推進していくみたいな。
資金分配団体が、なってたかな。
僕はFacebookの投稿を見ただけですけど、
資金分配団体が中間支援的なこともやれるようになるんやったかな。
なんかそんな発信もされていて、
それはトキさんがされてきたことだし、
むちゃくちゃ意味のあることなのかなと思うんですけど、
変わってきてはいると思うんですよね。
ユースセンターの議論で言っても、
これはTSUTOMIさんが言ってることですけど、
この前、ユースワークキャンプやったかな。
何年かされてて、
天ヶ崎ユースの元所長になるんかな。
片岡さんが最初やってはって、
僕もやってはるんやぐらいで見てたんですけど、
そこでTSUTOMIさんが話してた内容のスライドを公開してくださってて、
それ見てそうだよなと思ったりとか、
ああいう場で、あの場でこういう話するのはさすがやなと思ってたんですけど、
要はユースワークっていうのは何なのかっていうことを、
TSUTOMIさんはずっとそこを混同してはいけないと。
居場所とかユースワークとかそういうもの。
自分たちが何をやってるのかっていうことを指し示すことなんで、
何でもかんでもユースワークと呼ぶんじゃないよということなんですよ。
で、そのユースワークの起こりから考えていくと、
これはスウェーデンのことを多分念頭に置かれて、
ユースワークってそこから、やっぱりオシの考えなんですよね。
考え方なんですよね、ベースが。
やっぱり世下の保障なんです。
若者に対して世下を、国家が保障していくっていうのがそもそものユースワークの起こりで、
日本で言うと多分児童部間に近いんですよね、ユースワークって。
ユースセンターって。
で、日本で言うと、京都ですよね。
僕も視察に行きましたけど、京都のユースセンターっていうのは、
世下保障に近い形でされてるのかなと思ってて、
なんですよね。
どっちかというと、やっぱり国家が権利を保障するっていうところなので、
松富さんの資料によると、スウェーデンではそういう地域地域にしっかりあって、
そのユースワークというのは、
その民間、日本だと当たり前のように民間委託されてますけど、
これも一概に、ここから話出てくると思うんですけど、
一概に、今の、じゃあ日本が悪いって断罪できないっていうか、
国家のサイズの話があるんでね。
サイズの話と結局予算、バジェットの分配の話なんで、
じゃあ、ここからリアルに考えたときに再国営化していけるのかみたいな、
そういう議論は絶対した方がいいと思いつつも、
なんていうか、
それはそれでどうなんだろうみたいな、スウェーデンってやっぱ小国なんで、
だからこそ、国民がまとまりやすいし、
っていう背景を無視して国営化がいいんだとはなかなか言い切れないところはありますけど、
でも、やっぱりそもそもユースワークっていうのは、
なんていうかな、新自由主義にこうするものであるというのが、
ツトミさんのお話の中にあって、
これもほんまにそうだなって思うんですよね。
その辺を丁寧に議論していかないと、
いろんな実践でユース、若者が来る場所を、
単純にユースセンターと保障しているだけなんで、
別にそれはそれでいいじゃないですかっていう議論もあって、
議論というかそういうご意見もあって、
それは確かにそうなんですけど、
なんていうの、
別にそれを国家予算っていうか、
自治体予算とか使わずに勝手にやるんだったら勝手にやらなければいいと思うんですけど、
やっぱりそういう日本のこと、制度のことみたいなのを活用して、
ユースセンターとか、あとは居場所事業みたいな、
居場所っていう言葉もいろいろ議論がありますけど、
そうなんだよな。
やっぱりそういうのは整理していかないといけないよなっていうのをすごく思いますよね。
で、新自由主義に向こうするものなので、
澄さんがもう1個Facebookで投稿されてて、
どっかの団体がユースセンターを作ることで、
進学格差をなくすんだみたいな話をされてて、
ちょっと唖然としましたみたいな。
で、1個論文を載せてたんですけどね。
その論文を僕もちょっとバーって見ましたけど、
ちょっと難しい、統計の話が多かったので読み解けないんですけど、
その論文の主張はやっぱり経済格差っていうのが、
関係しているとものすごく、統計的に見てもやっぱり、
経済格差っていうのが進学率につながっているということなんですよね。
で、そういうことを抜きにして、
じゃあユースセンターを作って、
そういう進学率を上げるんだっていう議論が、
ちょっとストミ先生からしたら多分、
ちょっと浅はかであるということだと思うんですよね。
なんでそういう経済格差が生まれているのかとかね。
ユースワークの話でも、
やっぱりその良化を保証するんだっていうことから、
本来は始まっている言葉なのに、
そういう場所が悪いと言ってるわけじゃないですけど、
やっぱりこう元気な子が行く場所ばっかりできてしまうとなると、
それはユースワークなのかっていう話なんですよね。
それが良い悪いっていう価値論じゃなくて、
それは本来的にはユースワークではないよねっていう。
ユースワークをやりましょうっていう話だと思うんですよ。
そういう言葉の概念整理っていうのは僕はすごく大事だと思っているので、
ユースワークやりましょうみたいな感じで、
今ユースセンターを作っていこうっていう流れがあるので、
それが国とか自治体の予算を使ってやる事業として、
どうなみたいな話ですよね。
これは僕もどっちかというと、
ツトミさん寄りの考えはあるかなとは思いますね。
若干風がひどくなってきた感もあるな、
なんで撮ってんねんって話ですけどね。
言いたいのは、
合成の語尾っていう視点がないと、
ぐるぐるぐるぐる回るだけなんじゃないっていう話ですよね。
その根っこがやっぱり人口源なんですよね。
新しい、
お金の話じゃないっていうのが僕の今のところの結論で、
もちろんお金だけじゃないんですよ。
お金が大事っていうよりかは、
新自由主義って、
結局は止める人は飛んで、
お金のない市はどんどん貧困になっていくっていうところが、
すごく問題であって、
みんながお金を持てばいいとかっていう意味ではなく、
お金の、結局さっき言ってた権利問題の話とかも、
最終的にやっぱりそれを続けていくってなると、
お金が必要なんですよね、今の社会だと。
だし、お金っていうのは色がないんで、便利なんですよね。
そこの利便性を使わん手はないっていうか、
もちろんお金じゃない価値っていうかね、
そういう考えは大事なんですけど、
お金自体は悪いっていう必要はないなと思ってて、
もちろんファイナンスの問題、
いかにお金をうまく分配するかっていうところは、
実はめっちゃクリティカルな問題なんじゃないかなと思って、
さっきのインパクト投資の話、一つとってもそうですよね。
ここから日本の経済を良くしていくんだってなった時に、
長期的視点に立って投資ができるかとか、
そういうスキームとか文化みたいなものがないと、
どんどん新自由主義的に言うと短期利益ができる、
例えば不動産とか、そういう陶器的な活動ばっかりが盛んに行われて、
それが新自由主義の正体だと思うんですけど、
これも新自由主義も、別に誰かが悪ってわけじゃないんです。
ここが問題の難しいところで、
悪い奴がいた方が簡単ですよ、問題は。
だってトランプが倒れて社会が良くなるんだったら、
もうトランプを倒せばいい話じゃないですか。
でもトランプっていうのは、別に自分がやって出てきたわけじゃないですよね。
民衆が投票したこともね。
だからトランプを倒してもしゃあないんですよ。
やっぱり僕は人口減の中で、いかに再分配を行うかということですよね。
それが一つと、あとはやっぱり、
元の予算が減っていくとしたら、
より国家依存度が高まるわけじゃないですか。
それで委員会という議論も他方でしないといけなくて、
さっき言ったみたいに、
ツトミさんの議論というのはめちゃくちゃ正しいんですけど、
でもやっぱりスウェーデンモデルであることに変わりないんじゃないかなと思っていて、
小国でみんな団結してやっていこうぜ、みたいな。
デンマークとかスウェーデンとか、幸福祉国家ですよね。
あれは誰かに聞いたんですけど、
スカンジリアンビアモデルとかって言って、
みんなで一致団結してやろうぜ、みたいな国家的な風土があると思うんですよね。
だからこそ、そういう国民的なコンセンサスがあるので、
税金がむちゃくちゃ高かったりしても、
みんな納得感も、実際国の中でいろいろあるんでしょうけど、
でも成立はしているわけですよね、少なくとも。
だからスウェーデンのやっているユースワークを、
ちゃんと、なんていうか、系統的に引き継いでいくというのが大事だと思いつつも、
やっぱりそこは日本だとうまくいかない部分もあると思うんですよね。
ただでさえ、ちょっと新自由主義的な流れを、
今日本っていうのはかなり組んでいるので、
っていうのとやっぱり国家サイズが全然違うので、
人口規模もスウェーデンのも何十倍とかでしょう、多分。
しかし、実は日本って国土が結構広いんですよ。
で、島国でちっちゃいみたいな。
あれは地図の整図技法の影響で日本がちっちゃく見えちゃうだけで、
ヨーロッパがでかく見えるんです。
でも実寸で比較すると日本ってむちゃくちゃでかいんで、
大国なんですよね、ある意味で。
人口から言っても、実は面積から言っても結構でかい国で、
その中でコンセンサスを取って、
ああいう福祉施策を、幸福祉な国家を作っていくっていうのは、
今の日本を見てわかるように結構むずいわけですよね。
そういう世論を起こしていくっていうのは大事だと思うんですけど、
世論かセロンか知らんけど、どっちなんでしょうね、いつも迷うけど。
でもそういう議論は大事だと思いつつも、
日本の今に合わせた再分配っていうのは考えないといけないですよね。
結局その少ないパイを奪い合うことになっちゃうんで、
やっぱりそれだけじゃない。
地域なのか、やっぱりもう少し適正サイズに。
だからミニュシパリズムみたいなことがいいのかもしれないですけど、
やっぱり手の届く範囲でのエコシステムみたいなものも合わせ持たないと、
これまでみたいに権利運動っていうのはうまくいかないだろうなっていうのが、
僕の考えていることをメタに。
それでもやっぱり強いNPOみたいなものは必要だと思うんですよね。
それすらなかったらやばいやんって話なので。
でもやっぱり何かしらのメリットの短期と長期のズレっていうのが、
先進国の問題のコアなんですよ。
僕の見たてでは。
言ったら当たり前なんですけど、
新自由主義というか資本主義で先進国がなぜ豊かになったかというと、
やっぱり水産みたいなものを利用しているわけですよね。
資本を拡大させていくと。
それはやっぱりグローバルサーフスとかって言われるように、
発展途上国のリソースを使って、
例えば国の中のお金の仕組みでいうと、
人均というのが上がっていくとどんどん経済成長していくんで。
ってなった時に、日本なんかまさにそうですけど、
海外の安い労働力を入れて利益を確保するわけですよ。
そういう水産が必要ってことなんですよね。
実は経済成長には。
と僕は思っているんですけど、
それがいよいよ発展途上国もかなり経済成長を遂げてきて、
インドとかも日本をGDPで追い抜いたし、
ドイツとかも生産性上がってるから追い抜いたんでしたっけ。
日本は6位とかその辺にちょっと陥落したわけですけど、
だから世界全体で見た時に、
ちょっとそこのバランスが崩れてきているっていうのがあるということですね。
とはいえ、そういう水産を利用しつつも、
先進国はのきなみにリベラル。
本当の意味でのリベラルっていうか、自由な社会になっていったわけですよね。
それはなんだろう、
ちょっと結構働くっていうこととひも付くんですけど、
女性が社会進出をしていくとか、
障害があってもいろんな技術が発達したので活動できるとか、
そこも働くと接続しちゃうところあるんですけど、
障害があっても働けるとかね。
そういうかなりリベラルな価値観っていうのは、
会社していったわけですよね。
でもその資本主義の根幹っていうのはやっぱり水産なので、
そういうディザイア的なものが必要なわけですよね。
で、経済成長していって、利子を返してみたいなことです。
このシステム自体はね、今から書き換えるって結構難しいと思うんで、
あれですけど、とにかく社会はリベラルになっていったと。
いわゆるあれですよ、ウハーサハーみたいな話、
確信と保守みたいな話ではなく、
いろんな人の権利が保障されるというか、
それがいいことだよねっていう価値観がどんどん会社していったわけですよね。
それはいいことだと思うんです、僕も。
ものすごい性的な役割に縛り付けられるとかではなく、
女性も別に好きに生きていいし、
障害があっても、例えばどんな性的指向であっても、
もちろん差別されることなく生きていくといいじゃないですか、それで。
ただその短期と長期のずれっていうのはどうしても起きてくるわけで、
その社会制度が追いつかないわけですよね。
やっぱり法制度っていうのはスローなんで、
でも意外と人の価値観っていうのはクイックに変わっていくんで、
そこのずれはあると。
で、あともう一個人口減のでかい要因としてはいろいろ言われるんですけど、
やっぱりリベラルな価値観が進んでいくと、
自分は自由に生きたいと。
ってなって、その指標としてやっぱり経済的なもの、
特に経済成長が鈍化してくるとですね、
やっぱり自分が自由に生きていくためのお金っていうのは少なくなっていって、
それを自分のメリットを考えると、
それは悪いと言ってるわけじゃなくて、
悪いと言ってるわけではないし、
ある種賢い戦略としては、やっぱり子供を持たないっていうふうになる人の割合が増えるのが当然ですよね。
だって子供、今かなり消失化対策もあるし、
そこもね、またいろいろ絡まり合ってきて悪は存在しないんですけど、
学校ビジネスにバンとお金が流れていって、
教育というのは必要なんでいいんですけど、
なんかそっちばっかりにお金が流れていってるような気もしてはいますが、
メガなんとか構想みたいなICTとか、
いっぱいお金が投下されて、
業者がいっぱい入ってきたわけですよ。
iPadが配られる。
あれって、例えば短期的に見たら良さそうじゃないですか。
でも長期的に見たときに、やっぱりデメリットがあるのが分かってきてて、
欧州とかはタブレット教育はやめます、みたいなことになってきてるわけですよね。
そうなんですよ。
そういう感じのことが見えてきますよね。
短期と長期のずれっていうのを見ておくと。
で、今日本全体を見ると、
そういう意味でちょっと話をまとめますと、
子供を生まないという選択を当然のようにすると。
自己利益の探検のために。
でもトータルで見たときに、人口減ってるやんっていう話です。
で、人口減っていくと内需もなくなりますということで、
当然経済成長は鈍化するわけですよね。
で、日本はどうしようと思っているかというと、
漫画とかアニメとかのIPを世界に売っていくと。
これは別に日本の政策動向というよりかは、
ちゃんとエコシステムがあるからだと思っているんですけど、
作家が成功できるようなプラットフォームと、
なんかジャンプシステムみたいなのがありますよね。
あれ面白いなと思うんですよね。
新人賞があって、みたいな。
で、ジャンプって投票制度じゃないですか。
で、人気漫画ほど前にあって、
不人気なやつはだんだん後ろに回されていって、みたいな。
ああいうエコシステムがあるんですよね。
ちょっと漫画家さんはハードワークすぎるんで、
ちょっとその辺が何とかなったらいいなとか思いつつも。
何の話でしたっけ。
あ、そうそう。日本の経済戦略としては失敗してるやんと思うんですけどね。
クールジャパンとか言って。
国がああいうことやらない方がいいんですよ。
別にあんなことしなくても、日本の漫画業界って別に、
ビジネスとして成立してるわけなんで、
めちゃくちゃ高い票書いてるし、
だから余計なことしない方がいいのになって思うんですけどね。
サポートしてくれるんだったらいいんですけど。
もうやっぱりああいう外資を呼び込むみたいな戦略しか取れなくなっていくわけですよね。
コロナ前の日本がまさにそうで、インバウンド戦略ですよね。
観光立国にしていくっていう。
それはそれでやっぱり一つの手段でしかないですけど、
短期的な施策ですよね。
日本っていうのはすごく文化資産があるから、
それを切り売りしているわけですよ。
でもそのことによって、
日本が何千年て培ってきた文化資本自体の価値っていうのが、
多分既存されていくと思うんですよね。
だからやっぱりそういう文化みたいなものって、
本当に長年時間をかけて作ってきたアセットなんで、
例えば日本の接客業とかってかなりハイクオリティだと思っていて、
そういうホスピタリティみたいなところで喜ばれているところもあると思うんですけど、
僕も最近ほぼほぼ外食しないんですけど、
チェーン店行っても別に、
チェーン店だったらチェーンであってくれって感じですよね。
僕の感覚的に。
これは僕は日本人だからかもしれないですけど、
なんかすごい相性悪い感じの接客とか、
なんとなく増えてきているというか、
オペレーションが回ってないですよね。
なんかちょっとお店にいると不安になってきて、
おいしいものもまずくなるみたいなね。
だからやっぱり、
なんでしょうね、そういう感じっていうかな。
やっぱりそれも長期的なメリットを既存しているような気はしますよね。
短期的なメリット取るがゆえに。
経済合理性考えたら全部ロボットにしたほうがいいわけなんで、
でもその店行きたいかなっていうのをすごく思いますけどね。
安かったら行くっていう人もいるんでしょうけど、
そうやったらもう自炊したほうがいいや、
こういうふうになるんですけど。
友食い民、
なんて言ったっけ、
友食い資本主義家、ナンシー・フレイザーという人が、
そういう議論をしてますけど、
リベラルな世の中になってみんな働けるっていうのは、
一見良さそうに見えるけど、
そういう意見ですけど、
そういうフェミニズムの流れも、
結局は人権だ権利だっていう話だったけど、
やっぱり新自由主義の労働力として取り組まれてるっていう見方も、
ナンシー・フレイザーが言うようにできると。
でもお金を得ることで自由な生き方ができるっていう見方もあれば、
結局は資本に動員されてると見えるというのは、
確かにそうだなと思う。
そうなんですね。
だから何が言いたいか、
ほんまにあれなんですけど、
そこでやっぱり日本がまた難しいのは、
サイズがでかいっていう話で、
小サイズだと、
適切に分配するのどうしたらいいだろうかみたいな議論ができるんですけど、
日本ぐらいでかくなっちゃうと、
やっぱりイデオロギー闘争になっちゃうんですよね。
右か左かみたいな。
結局それは、
エコシステムっていうかジャンプのエコシステムとは違って、
漫画って面白ければ読むんで、
でも政治って、
面白けりゃいいってもんじゃないんですよね。
ほんまに専門家集団に、
国家運営というのを任せないといけないんで、
ただその政治投票、
政治的な、
投票っていう仕組みで議員を選ぶっていうことになってるので、
政治家の腐敗っていう問題もありつつも、
そういう仕組み自体がやっぱり、
イデオロギー闘争を生んじゃいますよね。
そこも短期と長期のずれで、
やっぱりこの人良さそうかもみたいな、
短期的なメリット。
そういう仕組みですよね。
投票者の選考ですよね。
好き好みによって投票するっていう仕組みで、
あとはどちら側かみたいな、
左派か右派か、
自民党推薦か、
共産党推薦か、
みたいな話になってくるんで、
その実が問われないんですよね。
どっち派かっていう、
それを問うものになってしまっているので、
本質的な議論は実はできていない気もしますよね。
っていう問題も一つある。
僕はそこも踏まえた上ですけど、
プラグマティックに、現実的に、
こういう問題を解いていかないといけないなと思うというか、
今話したような国家構造を変えるみたいなのが、
難しいと思いつつも、
やっぱりそこでお金の話したほうがいいなっていうのはすごい、
今日は議論として一貫していると思うんですけど、
要は苗字を変えるか変えないか。
あるじゃないですか、夫婦別姓か、
同性がいいのかとか、
すごく割れてますけど、
僕はどっちにも利があると思うんですよね。
日本の伝統的な家制度みたいな、
それをリベラルにどうしても、
左派は否定しちゃうんですけど、既存の構造っていうのも。
でも、それがいいっていう人たちもいるわけですよね。
それをやっぱり革新側っていうのは、
構造指摘して、
それはダメだというふうに、
急断していくわけですよ。
でも、リベラルが嫌われている理由としては、
ダメだって言うけど、
じゃあその構造主義がそうですけど、
ダメだって言う割に、
じゃあ新しい軸を指し示すわけではないってことなんですよね。
じゃあ、どうしてもオルタナティブな立場に
いざらを得ないっていうか、
左派の方は、
それが政権脱出できない理由でもあると思うんですけど、
じゃあどういう発想で、
この国家運営をしていくんだってなったときに、
結局、
それが構造に現れてますよね。
別に政権脱出を本当はしなくてもいいみたいな、
雰囲気感だったり、
政党交付金の話になってくるみたいな、
そうなんですよね。
結局そういう、
価値論なんですよ。
夫婦同性がいいとか別姓がいいって価値論なんで、
どっちでもいいはずなんですよね。
だからそういう家制度とかウバ的な考え、
伝統を重んじる方々の考えを、
ほんまに断罪するような左派の人たち、
もちろんそこで苦しんでる人は別姓にすればいいと思うし、
でもそういう価値観で生きていくっていう人は別に、
保守として、保守的な考えでいいと思うんですよね。
それがリベラのほんまにダメなところ。
なった時に、
じゃあどうプラグマティックに解決できるかというと、
そこは分かりましたということでいいと思うんですよ。
そういう価値観なんですね。
分かりましたと。
でもこういうデメリットがあるんでっていう、
イデオロギー闘争じゃなくて、
価値論じゃなくて、
条件とコストの話にした方が進むんじゃないって思うんですよね。
だからそれをするにはこれぐらいコストがかかります、
みたいな話にしちゃった方が、
これは僕、これ合ってるかどうか自信ないんですけど、
夫婦別姓の話なんかもういつまでしてんねんって話なんですよね。
そんなどっちでもいい話を。
思います?皆さん。
多分大変だったと思うんですよ。
うちの奥さんとかいろいろ、
カードとか銀行口座とか名義変えてたの見てたんで、
それがテーマだから変えましょうっていう気持ちもあるし、
でもやっぱり子供からしたら、
お父さんとお母さんの名字違うっていうのどうなーみたいな。
それも分かりますよね、親としては。
分かる分かる普通に。
だってそれは短期と長期の話で、
そう言ってたら何も変えられへんやんってこともあるかもしれないけど、
やっぱりそういうお父さんとお母さん同じ名字であるっていう
蓄積があるわけですよね。
なった時に、なんでお父さんとお母さん名字違うの?
みたいな話になるのも、もちろんそれは分かる。
だし、別姓派の人が言うのは、
やっぱり仕事をしていく上で引き継いできた、
その名前に引き継いできたものっていうのがあるから、
それも分かりますよね。
ちゃんと仕事してたら、
名字変わったぐらいで、
別に影響ないんちゃうとかっていうのは、
ちょっと率直に思うんですけど、
どっちかというと、
僕が同姓にしてもらった側だから、
言いやすいっていうのはあるかもしれないんですけど、
ぶっちゃけどっちでもいい派なんですよ。
でも、この議論にいつまで時間かけてるんだろうっていう、
コストの方がもったいなくないっていうふうに思うっていうか、
何だろう、さっさと変えたらいいのになとか思うんですけどね。
価値観をぶつからせるというよりかは、
どっかで妥協して、
これぐらいにしとこうかがいいんじゃないかなと思うんですけどね。
そうですね。
でもやっぱり人類の問題根っこっていうのは、
農耕文化が始まった頃からやっぱり、
保有の概念が出てきて、
っていうのが資本の起こりみたいなところですよね。
それが影になっただけで、
どこまでいっても保有と分配の話でしかないんですよね。
僕の見たてで。
結局リベラルの社会も、
保有し続けるっていうことの推差を作るために、
そういう利子みたいなものが生まれ、
誰かに金を貸し、
貸す条件として利子つけて返せっていうことになり、
そこにはある種の権威性みたいなものが発生するわけですよね。
うん。
そういうのも根本的に保有と分配の話なんですよね。
で、どうなんでしょうね。
すごくプラグマティックに言ったら、
そういう別に階級さ、
言ったら王政みたいなものは、
君主制みたいなものはないけど、
それが資本を持っている人と持っていない人に分かれたとも言えるし、
ある種それはそれでいいっていう考えもありますよね。
そうそうそう。
全員フラットな社会がほんまにいいのか。
自由論みたいな話になってくるんですけど、
でもそこは議論を続いていくと思うんですけど、
うん。
だからその社会的共通資本みたいな話とか、
コモンズの話とかもそうですよね。
その保有の形態を変えましょうっていう話なんですけど、
なんかこれは僕から見たらあんまりうまくいってるようには見えないっていうか、
どうなんでしょうね。
わかんないけど。
なんていうか、やっぱりオルタナティブでしかないっていうか、
こういうコモンズ的な生活やってます?っていうのを
むちゃくちゃFacebookで乗っかって発信してるみたいな、
それはある種プラグマティックで、
使えるものを使うんやっていうのでいいかもしれないですけど、
なんかこう、カウンターとしてはすごくいいんだけど、
もうちょっとうまいやり方を考えないと、
ほんまのコモンズ的なものって難しいよなとか、
やっぱりハイブリッドで行った方がいいんだろうなとか思うんですよね。
なんかローカルなところはローカルで、
資本主義っぽいところは資本主義っぽくいくみたいな、
そんな感じがいいんだろうなとは思うんですけど、
あとはそうですね、
やっぱりその価値論をどうまとめていくかっていうときに、
女長くなって誰が聞くねんって話だし、
僕もちょっと議論が収束、
自分の話が収束しないんじゃないかと思い始めてるんですけど、
やっぱりなんか、
議事進行みたいなルールメイクの話になってくると思うんですよね、最終的には。
今はもうそういうデュープロセスがすごく軽視される時代なので、
そういう議事進行みたいな、
こういうルールでこういう議論はダメとか、
こういうことはしてはダメみたいなルールメイクをして、
価値論によらずに意思決定していくっていうような、
そういう割と地味なことになるんじゃないかなとは思うんですけど、
それがフラクタル構造になってて、
それは左派っぽい感じなのかもしれないですけど、
そういう市民レベルでのそういう意思決定期間があり、
それを吸い上げて、本来そうなのかもしれない、
それをまたさらに上位レイヤーの期間が決定し、
国レベルで決定しみたいな、
だからやっぱりトップダウンというよりかも、
ボトムアップの政治機構みたいなものを作った方がいいんじゃないかなと思うというか、
どうしても長期的短期的というメリットの合成の誤尾が起きてしまうところは、
やっぱりその訂正可能性みたいなものを、
いかに仕組みの中に入れておくかだと思うんですけど、
こう決まったからこうっていうのは議事進行する上ですごく大事だし、
簡単にそれが揺らいでしまうようだと意味がないんですけど、
だから憲法とかは国民投票みたいな仕組みがあるわけですけど、
またその左派が言うような救助を絶対みたいな、
その解約される恐れがあるからそういうリスクを発信するのはわかるんですけど、
やっぱりその適正にというプロセスを設計しておいて、
変えるべくところは変えないといけないと思うんですよね。
それは救助だけに絞っちゃうと、救助は変えない方がいいんじゃないかなという国民が大半だと思うんですけど、
でも救助も例外ではないっていうか、
やっぱりその時代に合わないものっていうのを適切なプロセスを通じてであれば変えられるっていうのは、
訂正可能性を含んでおくっていうのは大事なのかなって思いますね。
今、個人としての、これもフラクタルだと思ってるので、
個人だとか雇われてる部門では、
すごく非営利的な動きをしてて、
で、他方フェルマータでは、
おっしゃ、お金稼ぐぞ、みたいな。
そこは自分の自由も担保したいですし、
社員の子たちを養っていきたいんで、
頑張ってるっていうところなんですけど、
だからやっぱり、新自由主義、
批判だけ一辺倒じゃなくて、
それはそれで、
うまく使えるところは使うっていうんですかね。
だけど、やっぱりデメリットがあるよねっていう話なんですよね。
資本主義にもね。
だからそういうふうな構造になってるはずなんですよ。
だから国家が分配するわけですよね。
でも国家すらが、
国家が新自由主義的な考えのフレームワークになってしまってるっていうのが、
今、日本の実は大きな問題で、
そういうふうに目たり見ないと問題には見えないと思う。
し、なかなか目線が合わないのかもしれないですけど、
つとみさんが、
なんでこういうふうに考えるんだろうみたいなのを、
よくフェイスブックでごそっと言って貼るんですけど、
つとみ先生は統計学者であり、
多分社会学とかバックグラウンドも、
そういう学術的なバックグラウンドを持ちながら、
ほんまに学生さんと活動したり現場実践してるっていう、
ほんまに軽右な方だなと思うんですけど、
ちょっと僕から見るとすごくリベラルよりな方だなと思うんですけど、
それはもちろん世代もあるでしょう。
し、僕も100%、それはもう誰にとってもそうなんですけど、
100%つとみ先生のご意見に同調してるわけではないんですけど、
すごくそうですよねって思わせていただけるというか、
僕もどっちかっていうとつとみさんに近いと思うんですよね、
発想的に、土台になってるのが。
そこはそことして多分現場では普通に現場の実践をされてると思うんですよね。
すごく勢力的に、ほんまにスーパーマンやなと思うんですけど、
何を言いたかったかというと、
やっぱり営利非営利もうまく使い分けたらいいと思うんですよ。
NPOと営利企業っていうのも、
それを何ていうか、
営利の中で非営利なことをやろうとするのも変だし、
その逆もしかりですよね。
NPOで金稼ぐっていうのも変な話なので、
今回やっぱりやりたいことと組織形態を選ぶっていうところからですよね。
でも手段でしかないので、
なんかそれだったらNPOの方がいいんじゃないですか、みたいな。
なんか難しいと思いつつも、
若者支援の中でそういうワークを1個作ったんですよね。
新しく1個ワークショップを下したんですけど、今年。
ちょっとお金の部分がインプットが足らずに、
ちょっと難しいワークショップにしてしまったという反省があるんですけど、
働き方を考えようみたいなワークの中でそういうのをやったんですよ。
で、あなたの解決したい課題は何?とか言って。
それを仕事の種類っていうのは何個かあって、
何かを解決する仕事とか、何かを保つ仕事、新しく作り出す仕事みたいな。
この3つのカテゴリーはあるけど、それぞれ重なりもありますよね。
で、その仕事っていうのは自分にとって何なのか。
お金なのか、お金のためなのか。
自分を表現するのか。
あとはもう1個くらい用意したんですけど、カテゴリー。
これもまた同じく重なりはありますよね。
でもどれが強いですか?みたいな。
最終、じゃあどういう形態で課題解決したらいいでしょう。
どんな授業になりそうですか。
それをやるときに鋭利がいいのか、非鋭利がいいのか。
それを決めるのは受益者からお金を取れるかどうかです。
みたいなワークショップをやったんですけど、
とにかくイデオロギッシュにならないっていうことなのかもしれないです。
今日の結論は。
イデオロギッシュにならずに、
俺はNPOで生きていくんだ。じゃなくて、
この受益者からお金を取れないようなこの課題を解決するためには、
なのでちょっと寄付型にしてとか、簡易性にしてやっていこうかしら。
でもそれを立ち上げるとしたら、
さっきのお金なのか、役割なのか、
自分の自己表現なのかみたいなところで言うと、
ちょっとお金が足らないので、
どうしよう。じゃあお金の部分はちょっと雇われて働くか。
めちゃくちゃ自分のミッションというか、解決したい課題とはちょっとずれてるけど、
能力的にはやれそうだし、お金を稼げそうだみたいな、
なんかそういう感じでいいやんと思うんですよね、働き方って。
別に課題解決だけが仕事じゃないし、
何かインフラをずっと維持するっていう何かを維持するのも立派な仕事だし、
そう、それをいろんな人がそういうベースをちょっと作りたいなっていうのは思いますかね。
あなたの仕事って何なんですかみたいな。
それはすごく思っていて、
それを若者支援の中で実践してきたと思うんですよね。
どうしてもかっこいい企業家みたいな、課題解決みたいなだけが全然世の中の仕事じゃないし、
別に仕事で自己実現しなくてもいいし、
仕事は別に普通にできることでお金稼いで、別のフィールドで自己表現してもいいわけですよね。
そういうふうに何か働くっていうことの間口を広げていきたいし、
そういうふうに思っているんです。
だし、何だろう、イデオロギーじゃなくて、
やっぱり意外とみんなにつながるためには、えいりっぽい考えもいいんじゃないかなって思うんですよね。
特に佐藤は、もうとにかく誰にでも親切に、みたいな感じがするんですよ。
僕がそうでしたし、今もそうかもしれないし、全然顔も知らない人のことまで遠い国のこととかね。
それがいい悪いはあるんですけど。
でもそういう意味で言うと、じゃあえいり活動したらと思うんですよね。
えいり活動してお金を届けたら、遠くまで届くんですよ。
支援っていうのはやっぱり近くにしか届かないけど、お金っていうのは遠くまで届くわけでしょ。
だからお金を、これは効率的リタ主義でしたって言うと思うんですけど、
がっつりえいりでお金稼いで、社会的事業をするっていう。
だから日本がやってきたことはどっちかっていうと、効率的リタ主義なんですよ。
それがアントレプリナシップでもあり、日本の復興の礎にもなってるわけですよね。
だからそういうイデオロギー主になると、手法が選べないってことかもしれないですね。
これはでも保守自民党が言ってたからなとか、これは国民民主が言ってたやつやからとか、
だからちょっとカウンター側でとか、そういう話になるとどんどんどんどん選択肢が狭くなって、
それこそ課題解決領域が狭くなるんで。
っていう感じです。
だいぶ長くなりましたけど、2時間ぐらい喋ったんですよ。
という感じで、ただでさえ枯れてる声が、よりなんか枯れてきましたが、
でも、そうですね。
なんとなく整理できたんで、これはもう音声データを記事化しようかなと思いますけど、