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2024-05-25 07:10

はぢめも 53|討論 debate/discussion

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はじめのめも。はぢっこめも。noteの切れ端にちょこっとめも。

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reference

ディスカッション:Wikipedia

ディベート:Wikipedia

ディベートの歴史 ー十六世紀~明治時代~大正時代ー岡山洋一さん

「言論」「討論」ではハードルが高い..."参加資格"を広げて、もっと多くの人がしゃべれるように:郭 晃彰さん(「ABEMA Prime」チーフプロデューサー)|中央公論

サマリー

討論とディベート、ディスカッションの違いについて基礎的な説明を行った後、討論という言葉について考察し、福沢諭吉が日本で普及させたことなどについて話しています。

討論とディベート、ディスカッションの違い
ちょっと討論という言葉が引っかかっちゃったので、一応、基礎的なことをはぢめもっておきたいと思います。
英語で言うとDebate Discussionということなんですが、討論の何に引っかかったかというと、討論の「討」の字ですね。
これは、討つっていう、殺すの意味なんですよね、討つ。
論を戦わせるのが討論。そして相手をやっつけるという意味合いが強いんですよね、討論っていうのはね。
それで英語で言うとDebate Discussionあたりなんですが、これ一応Wikipediaで基礎的なことをちょっとメモっときたいということなんですが、
Discussionという英単語が生まれたのは14世紀半ばだということですね。
ディスカッションとディベート、何が違うのかっていうと、ディベートっていうのは意見の対立があることが前提で、相手の意見を論破することを目的としたのがディベート、勝ち負けがある。
ディスカッションはむしろ相手、両方を擦り合わせるみたいな、別に意見の対立がなくてもディスカッションは成り立つし、そこで何か、意見を擦り合わせて何かを生み出すということなので、
私ディベートはあまり好きじゃないんですが、これ後でディベートのところでまた触れますね。
とにかくディベートとディスカッションっていうのはいろんな違いがあると言われてますね。
いろんな人がいろんなことを言ってますし、いろんな使われ方もしてるんで、一つの意味、一義的なものがあるわけじゃないんですが、
広く議論することをディスカッションと言い、少し意見の対立を前提に賛成反対を明確にした上で、どっちが勝つかを争うのがディベートということなんですが、
だから討論という言葉は実はディベートに近いということなんですよね。
議論という言葉はまだディスカッションに近いということなんですが、これどっちも使われているということです。
ディベート、これWikipediaですけど、リンク貼っておきましたけど、やっぱりディベートもディスカッションも似てるのは、どちらもパブリック、ソーシャルなテーマについて議論するということですね。
そんな話です。
私が一番こだわってるのは、やっぱりこの討ち負かすの討論、討の字以外に。議論っていうのもなんとなくね、ちょっと面白くないなということなんですね。
もう1個は、古代ギリシャにやっぱり遡って、これはレトリック、弁論術と、もう1個は弁証術という、問答法という、この2つにやっぱり大きく分かれるんですよね。
レトリーケーとディアレクティケーに分かれて、レトリーケーよりもディアレクティーケーの方にやっぱり僕は可能性を感じるし、
プラトンなんかは結構、明確にレトリーケーの問題性を指摘し、ディアレクティーケーの優位性を言ってたっていうふうにも言われてるんですけれども、
明らかに問答法ですよね。ソクラテスなんかもプラトンの著作では出てきて、そこで産婆術 なんてね、
何か新しいものを生み出すんだ、新しい命を生み出すのが弁証法、問答法、弁証術であって、レトリーケーっていうのはそれとは違った、詭弁にもつながるような部分が出てくるんだみたいな話とかもあったりするんですが。
討論の起源と普及
1個ちょっと討論という言葉ね、これ漢字、誰が作ったんだろうということで、実は定説としては福沢諭吉なんですね、やっぱりね。
やっぱり福沢さんはいろんな欧米の言葉を日本語に置き換えた人なので、討論っていう言葉をディベートに当てたのが福沢諭吉だと。
それを日本でも普及させたということなんで、やっぱりまあそういう意味では福沢諭吉なんですが、それ以前にも討論って言葉は、実は論語ですね。中国の論語にも討論って言葉はすでにあるっていう指摘もあったりします。
福沢諭吉が言ったのは、やっぱりディベート=討論という持ち込み方をしたので、そういう意味では論破するというね、福沢さんかなり血気盛んな人だったので、そういう形で討論っていうのはもう戦わせるんだと、賛成反対でどっちかをやり込めるんだっていうイメージがやっぱり強いわけですよね。
そうすると、ちょっとやっぱりいわゆる弁証術とか弁証法とか問答法みたいなね、何かをこうお互いにいろいろ議論し合う中で何か新しいものを生み出すみたいな、
ディスカッションがやっぱりそれに近いんだけど、討論っていう日本語はやっぱり当てはまらない。
議論でもいいんだけど、何となく議論しましょうっていうのも何となく面白くないなってことで、ちょっと考えたのが交わす論ですね。
交論っていう交通の交に、交わすって言葉で交流の交に論ですね。
論が飛び交うイメージで、交論っていう言葉をちょっと使おうかなと勝手に思ってるんですが。
こういう交論なんていうのをね、LISTENでやろうかななんて真面目に思ってるんですけども。
それで結構ね、参考になったのがこの岡山洋一さんっていう方で、この方はなんかディベートで、大学でもちょっと非常勤で教えてたりするってことで、
このディベートの歴史がよくまとまってるなっていうことで、これもリンク貼らせていただきましたので、気になる方は。
明治期、福沢諭吉が定説だけど、その前に1回入ってきてんだなんていうことですね。
それが1回ブームになった、それが1回消えちゃったのかな。
わかんない。レトリックの話とかも書いてあるので、ちょっとこれ参考までにリンク貼っといて。
はぢめもですね、福沢諭吉の話も出てくるということで、やっぱなんかいい言葉ないかなということですね。
この方はディベートの方に行くわけですが、私はディベートじゃない方に行きたいなと思って。
ということで、よくわからないはぢめもですが、討論っていう言葉を使わずに何か別の、問答法を表現する
日本語を作りたいと。福沢諭吉じゃないけどね。福沢諭吉が討論つくって、それがここまで普及するのには理由があったんだけど、
私は、交論っていう言葉で、どこまで普及するかわかんないけど、やってみようかなっていう。どうでもいいはぢめもでしたね。
ということで、以上です。ではまた。
07:10

このエピソードに言及しているエピソード

コメント

chatGPTくんに「交論って?」と聞いたらなかなかよいお返事をくれました ・議論を深めていく過程を表しています ・単に相手を論破することではなく… ・感情に頼らず、論理的な根拠やデータを基に… などなど

goo辞書によると「討」の意味は: ①うつ。せめうつ。「討伐」「追討」 ②たずねる。しらべる。きわめる。「討論」「検討」 ということなので,討論はかならずしも闘うという感じでもないのかなあと思っていたのですが,どうでしょうか? ただ,言葉の響きは「闘」を思い出させますね。私は「議論」という言葉をなるべく使っています。

この辺りはどうなんでしょう。討論という言葉がポピュラーになったのは福沢諭吉以来という事ですので、「きわめる」は後付けなのかなぁという気もします。 それ以前の討伐などの用法の方がずっと歴史が古いように思います。 肘から来ているみたいですね。 https://gaus.livedoor.biz/archives/21641794.html https://okjiten.jp/kanji930.html

たな たな

別の漢和辞典でも調べてみました(新選漢和辞典Web版): とう(たう)ろん ①たずねしらべる。「討-二論墳典一(ふんてんをとうろんす)」(書物を調べる。)〈孔安国(こうあんこく/ぐあんこく)・尚書(しょうしょ)序〉 ②多くの人が、めいめい自分の意見を述べあい議論する。 あまり,闘うというイメージはないようです。

なるほど。中国まで遡る必要がありますね。笑

確かに,元の意味は「討つ」という意味だとは思うのですが,そこから派生した意味と見ることもできるのかなと思いました。

「交論」は意味的にはとてもいい言葉だなと思う反面,声に出すと「口論」と同じになってしまうようにも思い,微妙な感じがしています。

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