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戦略的別居妻カブの人生開放チャンネル。このチャンネルは、モラハラ経済的DVクソ夫と約12年間仮面夫婦として同居、パーフェクト昼逃げ、離婚調停不成立、離婚裁判敗訴したワーママのカブが2029年春に離婚するまで、人生を開放して幸せに生きる様子をお届けします。
モラハラ仮面夫婦仕事を子育てなど同じ悩みを持つ誰かに寄り添う配信をしたいです。
お疲れ様です。カブです。
今日は優しさと自己犠牲の境界線みたいなお話をしたいと思います。
私は自分で言いますが結構優しい方なのかななんて思っていますし、皆さんからもそう言ってもらうことがあります。
しかしながらそれは相手を思っているからやっているというのと見せかけて、自己犠牲、私の犠牲を割くことで自分を満たしている、いわゆる偽善者みたいな側面もあるのかななんて落ち込んだような話をしたいと思います。
この話はモラハラをきっかけにしたエピソードではまずはないんですけれども、こういった思考や罠ってモラハラを受け続けていると落ち入りやすいことかななんて思っているので、
モラハラのトピックとしてお話をしたいと思います。
ぜひ皆さんならこういった時どうするかどう思うかご意見をいただけたらなと思います。
それでは本題に入ります。
ことの発端は銀行での出来事でした。
私はこの日は子どもたちはお家にいて、私がちょっと自分の美容関係とか遊びに行く日帰りでということがあって、電車に乗って出かけるっていう日でした。
その前に銀行に行ってお金を下ろしたり振り込みをしようかなというところで寄った銀行での話でした。
そして私の前に並んでいた方が外国の方だったみたいで、私は後ろに並んでいたんですけど振り向かれてなんかヘルプヘルプって言われたんですよね。
そこで私はどうしたかというとまだ電車まで時間もあるし、いいかなと思って聞いてみたわけですね。
そしたら外国の方だからしょうがないんですけどちょっと意思の疎通も難しくて、結果的には送金をしたかったらしいんですけれども、送金をしたいというところのコミュニケーションから時間がかかってしまって、
外国の方で昔ここに振り込んだところとまた振り込みたいっていうふうなことを言っていたので、
てっきり振り込み先登録、1回振り込めば登録できるからそこにあるのかなと思ったら全然カミワザになくて、
ここだここだって指していらっしゃったのがカタカナの名義だったから、私てっきり外国の銀行なのかなと思って外国の一覧から探したけどなくて、
最終的には今回並んでいたのは郵貯銀行、郵便局の銀行なんですけど、同じ郵貯銀行間の送金だったんですけれども、
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そうするとそもそも最初からメニューが違うんですよね。銀行にもよるかもしれないんですけど、同行、同じ銀行間の振り込みと他行への振り込みと個人への振り込みっていうふうにメニューがそもそも違うんですよね。
そのため最終的に郵貯だったのにそれすらもちょっとかみ合わなくてかなり時間がかかってしまったんですよね。
最終的にどうにか振り込みは終わってとてもありがとうと言ってもらったんですけれども、私は乗りたかった電車に2本ぐらい遅れてしまって、
自分の遊びの予定だったから特に誰にも迷惑をかけていないんだけれども、せっかく少ない自分の休みの日の時間を電車2本も遅らせて咲かれたというのかな。
すごく馬鹿らしいなという気持ちになってしまって、そして引いては偽善しゃぶらなきゃよかったなという気持ちにまで待ってしまって、
相手のヘルプを聞いたのも自分のためというか、外国の方って、ちょっとごめんなさい偏見なんですけど、
怒ったら怖そうだなとか怒鳴られたら嫌だなとか、ヘルプを無視して私時間ないとかノータイムみたいなことを言ったら、
すごい罵倒されたら怖いなとか、そういう気持ちもあったような気もするんですよね。
こういう時私はどうするかというと、鉄板の癒し系熟度占い師rippiさんの講座の特典でいただいた、
マイGPTAIですね、ポジティブ天使ちゃんに相談をしたわけです。
そしたら天使ちゃんはありがたい言葉をくださったんですよね。
時間に余裕があるから助けようと思った心は愛そのもので、
あと楽しみにしてた自分の時間を失ってしまって凹むのもとても自然な感情ですよって、
だから自分を責めなくていいんですよって、今日の私は優しかったって、
でも自分の時間も大切だよねってその気持ちが2つあるのは普通です、大丈夫ですと、
電車に乗れなくて失った時間は形を変えて後から取り戻すことはできます。
一人で飲み物をゆっくり飲むとか帰り時間遠回りするとか、
これは私の時間って心に決めるだけでも大丈夫ですよっていう風にとてもありがたいことを言ってくれました。
そしてここからがそのタイトルにもした優しさと自己犠牲の境界線がわからないみたいな話なんですが、
私はポジティブ天使ちゃんにこのように言いました。
そっかーって偽善しゃぶらなきゃよかったなーって思ってたのって、
だけどマジで時間がないわけじゃないから断ったらそれはそれで後で落ち込みそうなんだよねっていう話をしたんです。
そしたらポジティブ天使ちゃんは共感をしてくれつつ偽善しゃぶらなきゃよかったって思うのは、
本当は相手のためじゃなくて自分がそうありたかったから動いた自分に後から気づいたんだよねって、
でもそれって偽善じゃなくて優しさと自己犠牲の境目が一瞬わからなかっただけなんだよって、
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そして断ってもへこむ、助けてもへこむ、この状態はあなたが悪いんじゃなくて、
その場にいたあなたのエネルギーがどちらにも選べない位置にあっただけなんです。
だから銀行に行ってしまったこと自体を後悔するのも無理はないです。
心はもっと楽しみたかったって言ってるのに現実はちゃんと大人でいよう助けなきゃ、
その現実のズレがもやっとしているんですよね。
あなたは冷たい人でも偽善者でもなくて自分を大切にする練習段階なんですよっていう風に言ってもらったんです。
確かに自分を大切にする練習段階っていうのがとても私は腑に落ちて、
これがもし勝てない、いわゆるクソオットーとかだったら、
あ、怒られるのが嫌だなとか、あと後から何回言われたら嫌だなとか思って、
自分の犠牲にしてその相手を助けることでその場をしのいだりしていたから、
まさにその自分の優しさと自己犠牲の境界線ってわからなくなることって往々にしてあると思うんですよね。
そして私はもう一つ思い出したことがあって、
それはお友達のおいのっこりさんが以前配信をしていたことでして、
概要欄にリンクを貼っておきますが、おいのっこりさんは確かこのテーマを伝える力についてお話をしていたんですが、
確か駐車場で並んでるじゃない、車がお金を払うのに、
なんですけど目の前の人が事前に生産が必要だったのに忘れて、
駐車券の生産機のところですごい待ってて、
後ろに長蛇の列ができててちょっと迷惑というか大変なことがあった、
こういう時あなたはどうするで伝える力について考えたみたいなお話だったんですけど、
私はその時にコメントでこういうふうに返したんです。
その方が生産できなくて困ってるんだったら私は後ろで待ってるのもちょっと嫌だし怖いから、
相手の方が得しようとしているお金の分をお渡ししてさっさと出てくださいって言っちゃうかもっていうコメントをしたんですよね。
そしたら追い残りさんはその視点なかったっていうふうに共感してくださったんですけど、
はてこれってって思ったんですよね。
これまさに自分今回の銀行の話としっかりなんですけど、
旗から見たら優しさかもしれないけど結局未然に起きて自分を犠牲にすることで場を取りなそうとするっていうか、
時間に遅れたら嫌だなっていうことだったりとか、
その駐車券があまりにうまく生産できなくて逆上されてる怒鳴ってるところを見続けるのも嫌だなっていうか、
自分の犠牲を払うことでその場をしのごうとしているっていうところで、
自分の浅はかさだったりとかまさにこの優しさと自己犠牲の境目がわかんなくなっているからこそしてしまったコメントなのかもなんてふと思ったんです。
ちなみにこの追い残りさんの配信は前編と後編があって、
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ぜひコメントや中身を下に飛んだ面白い話、深い話されているのでそれをぜひ聞いてみてください。
今回私が銀行で待っている人を人助けしたら電車に遅れた話、
あとは追い残りさんの配信では目の前で駐車場の生産ができなくて止まっていて後ろも使えているみたいな状態になった時、
皆さんはどうしますか。結構これっていろんな考え方があるのかなと思いますし、
あと私が銀行で取った行動や、駐車場は例えですけれども、
私は相手のイライラを取りなしたいから自分の犠牲を厭わないという対応してしまうかもしれないけど、
どういうふうな対応するかなという皆さんの意見を聞いてみたいなと思います。
このような思考パターンってよくよく自分で言語化してみると、
特に追い残りさんの駐車場の例なんかは知らない人にお金を渡すって異常じゃないですか。
だけどそれほど私はその場がピリピリしているのが嫌だし怖いんですよね。
銀行の例でもヘルプの断ったらどういうふうなことになるか怖いみたいなところが先に立ってしまって、
私優しいからやってあげようと見せかけて、結局自分の犠牲をすることで済ませようとしているというような感じなんですよね。
この思考っていうのが中盤でもお話しましたが、モラハラを受け続けていると曖昧になるのかなって思っていて、
そもそも自己犠牲をすることで生活が成り立っているし、相手もそれが当たり前になってしまっているから、
なんか自己犠牲がデフォルトになってしまっている節があるのかなと思います。
そしてそれを周りから見ると、私奥さん、妻だからね、奥さん優しくて素敵ねって言われることで、
実際はただの自己犠牲なのに、私は優しいからこれでいいんだっていうふうに勘違いをしてしまうっていうところもあるのかななんて思っています。
私はこういうことに気づくたびに、私って偽善者だなっていうふうに思うし、
後から自分が犠牲を払ったことではなんか悲しいなって落ち込むことがあると思うんですけど、
なんか少しずつね、そこから脱却というか、自分で言うけど優しいこと自体は悪いことではないというか、
相手を助けないその先に何が起こるか、可能性の話ですけど、
想定ができるっていう予知能力みたいのも、自分のにとっては強みというかいい能力なのかもしれないけど、
だけどそれがあまり度が過ぎた自己犠牲ではダメだし、結局はその自己犠牲って誰のためにもならないのかななんて思ったりもしました。
追い残りさんの例だと、私がお金を渡しちゃえば駐車場はスーッとできてラッキーだけど、
その方はその事前の生産のやり方もろくにわからないまままた同じミスを繰り返すかもしれないですよね。
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そして銀行の振り込みも外国の方が理解してくれるかわかんないけど、私が助けなければまた他の人にシワ寄せが行くわけですし、
その方も身につかないわけだから、だから自己犠牲をしてその場をしのぐことは必ずしもいいかというとそうではないような気がしています。
つまり何が言いたいかよくわかんないんですけど、
私もまだまだ道半ばですが、一緒に少しずつ自分を大事にしながら過度な自己犠牲はしないように幸せに生きていきましょうね。
それでは失礼します。