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戦略的別居妻カブの人生開放チャンネル。このチャンネルは、モラハラ経済的DVXオットと約12年間仮面夫婦として同居、パーフェクト昼逃げ、離婚調停不成立、離婚裁判廃訴したワーママのカブが、
2029年春に離婚するまで、人生を開放して幸せに生きる様子をお届けします。モラハラ,仮面夫婦,仕事,子育てなど、同じ悩みを持つ誰かに寄り添う配信をしたいです。
お疲れ様です。カブです。今日は娘に下の子がお友達とちょっと遠い公園に行きたいということで、公園に車で来て、この公園の駐車場で収録しています。
そのため、子供さんの声とかがもし聞こえたらすみません。
下の子が小学3年生ともなると、月切りで優遇についていなくてもむしろいいというか、子供の方もママがそんなにべったりはいついたら恥ずかしいよなんて来なくていいみたいな感じになるので、
子供の月齢が大きく成長するにつれて手が離れていくなという実感があります。そういう隙間時間に私はこういうふうにスタエフを取ったりもできるのでありがたいです。
本題に入る前に、今月の熟女スナックについてご案内させていただきます。本来ですと、熟女スナック、リッピーさんとのアーカイブなしの18禁ライブですね、そちらは毎月第1土曜日の夜10時からやっているので、本来であれば3月7日の土曜日にやる予定かなと思います。
しかしながら、今月は私の予定がどうしても都合がつかず、そして調整をちょっとするにもお互いrippiさんの都合が合わないということで、今月の熟女スナックはお休みとさせていただきます。
次回は4月の4日土曜日の夜10時からの予定です。ネタが2ヶ月貯めているということで、てんこ盛りになるかと思うので、ぜひ来月遊びに来てください。
はい、そして今回はアウトプットというシリーズの配信をさせていただくんですが、こちらは私が学んだり見たり感じたことを発信するアウトプットシリーズなんですが、今回はテレビ番組で若年性認知症の方がかわいそうねって周りから言われるっていうことに対していろんな話をされていて、そちらのアウトプットとか、
あとちょっとそちらとは直接関係ないんですが、私が日々の体験経験を通じて、私って偽善者なのかもしれないなとか、うんどうなんだろうみたいなそういったお話をアウトプットします。
なおこのアウトプットの配信についてはハッシュタグがありまして、ハッシュタグ、カブ、カタカナ、アウトプットは英語でありますので、ぜひ過去のシリーズというか過去のものを聞いてみたい方はハッシュタグからたどってみてください。それでは本題に入ります。
今回アウトプットするきっかけになった番組というのは、NHKのeテレ教育系のトイトイというアルファベットのTOI-TOIのものです。
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このトイトイというのはもう終わっちゃったんですけど、私が好きだったバリバラ、バリアフリーバラエティ、バリバラの後継というか、続きというかその後の番組みたいな、私はそういうイメージを持っています。
トイトイは元スマップの稲垣五郎さんがナレーターをしていて、さまざまな立場の方がQを投げかけて、それに対していろんな立場のマイノリティやマジョリティの方が車座、丸くなって議論をするそういった番組になっていて、私は好きで時々見ています。
今回取り上げるのは概要欄にリンクを貼っておこうと思うんですが、私ってかわいそうという番組でした。
今回は若年性認知症の方が、認知症ってかわいそうだよね、しかも若くなるなんてかわいそう。
その方は子供もまだ、小さくはないけどまだ育ち盛りな猫がいてかわいそうみたいなこと言われるけど、それって本当にそうなのかなって、私は自分のことかわいそうとは思っていないっていうようなお話でとても下に飛んだお話でした。
実はこのテレビ番組トイトイはやっているんですけど、この私ってかわいそうっていうお話については、確かもう半年とまでいかないかな、3、4ヶ月ぐらい前の話で、ネタ通して頭の片隅にあったんだけど、話すの忘れてたんですけど、今回それをね、この話したいなって思い出すようなきっかけになったことがありました。
それは私がプライベート普通にお出かけをしているときに、目が悪い、目が見えない人を助けたというか、何かお手伝いをしたっていうことがあったんです。
単的に言うと、私が駅を歩いていたら、すいませんって、どこどこに行きたいんですけど、エスカレーターはどこですかっていう感じですね。
その方は白状、白い杖っていうのかな、ついていて、同じく目が見えなそうな方と手をつないで歩いていらっしゃって、2人連れで目が見えない、悪いのかなっていう方でした。
私は時間もあったので、以前に概要欄に貼っておこうと思うんですが、自分が人助けだと思って助けたつもりがうまくいかなくて、自分の時間をすごい削られて、
私って自己犠牲をしているのかもしれないみたいな配信を、369回モラハラで、優しさと自己犠牲の境界線みたいなお話をしたんですけど、その時は自分の偽善ぶりみたいなものに嫌だなーなんて思った話をしたんですけど、
今回は時間もあったし、全然いいですよっていう感じでご案内をしたっていうので、ちゃんちゃんって言ったら、とてもいい気分というか、相手もすごく喜んでくださった。
私もとても気持ちが良かったんですけど、そこでハタと思うことがありました。
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私はこの出来事をピュアライフダイヤリー手帳で、今日の良かったことみたいなことを日記で書いたりするんですけど、この目の見えない人を助けた、とても幸せな気持ちだったみたいなことを書いたんですけど、
助けたっていう意識がすごく傲慢というか、上から目線な感じがしてすごく嫌だなと思ったんですよね。
そしてこのワードが無意識に出ちゃうというか、困っている人に手を差し伸べるというのは、時間があれば、余裕があれば、人として当たり前なことというか、
自分の子供が、助けてあげようとかじゃなくて、手を差し伸べるじゃないですか、無意識に。
そういう感覚じゃなくて、目が悪いって明らかにわかる出立ちだから、かわいそうだから助けてあげようみたいな、そういう自分の偽善ぶりというか、透けてみえたというのがすごく嫌な気持ちになったんですよね。
この日記の一文から、また私は今回は時間があったから、方をお手伝いというか、助けたいという思いでやったつもりではあるんだけど、
結局助けてあげてとてもいい気持ちになったっていうこの感覚が、結局偽善というか、人助けをすることで自分のマスターベーションというか、自己満足をしている感じが嫌だなと思っちゃったんですよね。
かといって、今回は向こうから声をかけてきて、どこどこに行きたいっていうことに対して手を差し伸べることは、それだけではいいと思うんですけど、それを自分が助けてあげたっていう感覚になってるっていうのが嫌だなって思ったら伝わるかな。
そのモヤモヤってしてるところに、3,4ヶ月前に言ったトイトイの話を、ああって思い出したっていう感じですよね。
私は無意識に、お相手の方をかわいそうだから助けてあげようみたいなことを思ったっていう感じなんです。
ちょっと前置きが長くなったんですけど、ここからはそんな私が偽善なのかなって思う中で、そのトイトイという番組を思い出して、どういう反応を持ったかという過去のメモから少しお話をしたいと思います。
まずですね、私が今回目に見えない人は、大変そうだから道案内してあげようとか、大変そうっていうのは、未経験で私ができないからそう思うだけなのかなっていうところですね。
今回は目が見えない方が道に迷われてしまって、私に助けを求めてきたっていうのは事実ではあるんですけど、
それ以前に多分この方々は途中までは目が見えなくてもそのお店にたどり着けるだろうと思って外にお出かけをしているわけだと思うんですよね。
だから出かけることや、どこか目的地に行くこと自体は大変ではなくて、彼らにとってはそれは日常なわけですよね。
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それを私が白状杖をついて、うろうろしているところを見て、かわいそう、大変そうっていうのは私の思い込みなんですよね。
そしてこのかわいそうに派生してなんですけれども、これも思い込みなんですよね。
私が今目が見える状態で急に目が見えなくなっちゃったら、かなり生活に支障が出るし、うわーなんてこったってなると思うんですけど、
生まれた時からその方々がもしそうであればそれはそれで普通なんですよね。
この話をした時に思い出したことがあるんですけど、子供の頃に耳が聞こえない子がクラスにいたんですよね。
その子は補聴器とかをついて耳つけて、つけてるとボヤーってなんか音がするなっていうのはわかるらしいんですけど、
でもその子は生まれた時から耳が聞こえないっていう子だったから、
その子にとっては聞こえない世界が普通だから、かわいそうともなんともないんですよね。
だってそれがその子にとっては当たり前だから。
自分ができないことやないものを背負っている方に対して、そのかわいそうっていうのはすごい思い込みなのかなって思って、
今回私が目が見えない方に当たった時も、そういう気持ちをまだ持ち続けているんだなっていうことが透けてみて、すごく自分で嫌だなって思ったんです。
でも確かこの番組で言っていたことは、無意識に見下して、この人かわいそうだなっていうのと、
このかわいそうだなを抜きにして、この人は目が見えない、耳が悪い、足がある、いろいろある中で、
もしかしたらこの人はこういうことをすることで困るのかなっていうことで、想像力を働かせて、
働きかける優しさっていうのはまた違うっていうふうにおっしゃってたんですよね、番組の中で。
私は今回助けてあげたっていう一部からはちょっと無意識な見下しがあったかなという反省はあるんですけど、
だけどそういう気持ちはもしなくてというか、私この目を見えない人に助けて手を差し止めてよかったなって自分で思うことがあるんですけど、
どこどこに行きたいですっていうことで言われたら、下りのエスカレーターはどこですかって聞かれたんですよ。
手を繋いでご案内して一緒に行くじゃないですか、その後に下りのエスカレーターを降りるだけが彼の目的ではないなと思って、
どこに行きたいんですかって、行きたいところありますかっていうふうなことをプラス一言言ったんで、
そしたらこういうお店に行きたいって言ってきたからそこに案内したんですけど、それは手前味噌ですけど、
多分私の想像力による優しさなんですよね。
下りのエスカレーターを登っただけでチャンチャンではなくて、きっと行きたいところがあるだろうというのは、これは想像力なんですよね。
そしてトイトイの番組の中で出ててとてもよかったなっていうことが、
よかれと思ってこちらが手を差し伸べるにしても、断る余地を与えるっていうのは大事っていうことを言っていて、とてもそうだよなと思いました。
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先ほどの想像力による優しさを働かせるのはいいことなんですけど、それを押し付けになっちゃダメなんですよね。
結構私の母がそうなんですけど、よかれと思って、私が夫がいないから、シングルマザーでかわいそうだから、
子どもたちはかわいそうな思いをしているはずだから、よかれと思って遊びに連れて行ってあげようと思ったのに、
お泊まりに来ればいいと思っていたのに、なんであなたたちは来ないのみたいなことがあったりとかするんですよ。
それは断る余地がないわけですよね。
そしてこのお話からわかる通り、母は本当にかわいそうだと思っているかもしれないんですけど、
自分の寂しい時間の隙間を埋めるために私は子どもを利用しようとしている節もあるわけなんですよ。
そういうのは嫌だなって思ったりもするんですけど、
なのでよかれと手を差し伸べること自体は悪いことじゃないんだけど、
もしいらないとか嫌だったら断ってくださいねっていう余地を与えるのは重要だなと思いました。
今回私は下りのエスカレーターの後に目的地はどこですかって聞いたんですけど、
もし向こうがそれでそこまではいいですって言ってきたならば、
そうですかってあっさり引き下がればいいというか、
そこでいやいやどっかに行きたいんですよね、連れて行ってあげますよみたいな言うのは良くないなということですね。
またその番組の中で印象的だったのは、
視覚的に困っているって思い込んでる人いませんかっていうことを言っていてそうだなと思いました。
今回私は白い杖白状でしたけれども、番組の中では車椅子に乗っている方は、
見てばってわかるじゃないですか、インパクトも大きいし、
自分の目線より下にいたりする、車椅子に座っているから当たり前なんですけど、
その時点でこの人は車椅子だからかわいそうだなとか困っているんだなという思い込みを持っていませんかという問いがあって、
そうかも、思い込みがあるなと思いました。
少し前にもうそれに慣れていればその方にとってはそれが普通なんですようにもつながるんですけれども、
別にパッと見自分と違うものや見た目をしているからって、
その人が困っているかというと必ずしもそうではないんですよね。
今時車椅子はいろいろ性能も向上していますし、全然Uターンとかカーブとかもできるし、スピードも出せるというか何だろうな、
車椅子スポーツとかもあったりしますもんね。
だから車椅子とか何か視覚的に私と違うイコール困っているというのはちょっと安直というかそういうことではないということですね。
とはいえ困ってない、問題ない人もいる一方で、問題ある、困っているという人もいることは事実あるので、
世間に課題を訴えていくこと自体はいいというふうに番組にも言っていて、それは本当にそうだなと思いました。
本当に日本で多分世界に比べてそういう障害や犯例を持っている人は街中であまりいなくないですか。
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私も今回目が見えない方を結構久しぶりに見たっていうか、街で車椅子の方とかもあまり見ないんですよね。
だから日本は多分そういうのの課題があるからっていろいろ諦めてしまっている方っていうのもいるのかななんて感じていて、
そのため困っていない人はいいけれども、困っている人に向けてこういう課題があるかもっていうことは発信をしていく必要があるわけですね。
こんな感想を数ヶ月前の私はメモにしたためていたんですけれども、
改めて今回私が目が見えない人に遭遇して感じたのと番組の感想を総合すると、困っている困ってない白黒どっちかではなくて何だかグラデーションなのかなと思ったんですよね。
グレーというか、今回の方だと自分で外に出ることはできるけれども、
雑談の中でわかったんですけど、この建物の構造がちょっと想像と違ってわかりにくかったっていうことをおっしゃっていて、
そのためお出かけ自体に全て困っているというよりは突発的なアクシデントがあったときに困る。
あと今回その建物がその展示ブロックってありますよね、床に。
そういうのが何か行き届いてないっていうか、なるほどわかりづらいなっていうところもあったりして、そういう場において困るっていうことだったりということですね。
この人は困っていないだろう、困っているだろう、ビシバシみたいなのではなくて、そういうことではないなというのは私今回結構自分が白黒思考になりがちなので、結構気がついたというか発動した点ですね。
そしてまとめになりますが、私は以前のモラハラの配信ではその優しさと自己犠牲の境界線みたいなものは自分で考えていきたいなというふうに思ったんですけど、
今回は優しさと自分がまあ偽善というか助けてあげたというか、私っていいやつみたいなことですね。
なんかそこに関しては境界は曖昧でいいのかもなぁなんて思いました。
先ほどの困っている、いないがグラデーションになっているのと同じで、この優しさと偽善、その良かれというか私いいやつっていうのが曖昧であってもそれは特に誰も困らないっていうか、
過去も話したモラハラの自己犠牲はねちょっとしんどいんですけど、私が偽善で何かをやったとしてもその相手の方が喜んでくれてるなら、それはそれでいいのかなっていうか、
事実今回はお目当てのお店に行けてとても感謝してもらえて、それがたとえ私が助けてあげたんだわーみたいなのでも、まあいいかもいないな、なんかそういうふうな気持ちにもなったんですよね。
そのため私はこれからは、自己犠牲はしないことは前提でありながらも、助けてあげたいなっていう偽善みたいなものは押し付けにならない範囲であれば、これからも続けていきたいなぁなんて思いました。
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皆さんは今回のお話、優しさとか偽善みたいなところってどういう感想をお持ちになったでしょうか。
ぜひコメントとかで教えていただきたいですし、コメントとはいわずとも頭の思考の引き出しっていうのかな、考えるきっかけになったら嬉しいです。
それでは失礼します。
私は今回、自分が人に優しくしたことで、自分を助けてあげたんだっていうことを満たしているような気もしたものの、でもこういう気持ちが循環をしていくと、いい世の中というかね、みんなが幸せになっていくのかなぁなんて、おこがましいんですけど思ったりもしています。
あなたももし心に余裕がある時とかは、困っている方に手を差し伸べてみたりとか、あと街に落ちているゴミとかね、拾ってみたりとかすると、なんだかいつの間にか感謝の循環がするような感じがします。
できることからやってみませんか。
それでは失礼します。