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仮面夫婦でも幸せになりたい
カブの仮面夫婦人生模索チャンネル。このチャンネルは、どこ親育ち、仮面夫婦、仕事アザイスワークなわあままのカブが幸せに生きるために人生を模索する過程をお話しするチャンネルです。
仮面夫婦、親、仕事など同じ悩みを持つ誰かに寄り添う配信をしたいです。また、自分自身の話を通じて自己理解をしながら自己肯定感を上げたり、自分の気持ちを伝えるリハビリをしていきたいと思います。
お疲れ様です。カブです。
今日は昨日の話になるんですが、子どもの小学校のマラソン大会の参観に行ってきたんですけれども、そこで見たちょっとモヤモヤというか子育てについて考えたことがあったのでお話をします。
あらかじめお話をしますが、子育てにおいてはこうしなきゃいけないとか、正解っていうのはないし、各家庭それぞれということではあるんですけど、ちょっと思うところがあったのでアウトプットというか、今日お話しできればと思います。
それでは始めます。
昨日は小学校のマラソン大会で、小学校5年生上野子のマラソン大会の見学に行ってきました。
上野子は私に似て走るのはあんまり好きではないんですけれども、私に手を振る余裕も見せながら無事に走り切って頑張っていました。
若子の話はもう終わりで、今日勘違ったのはちょっと他の子を見てうーんと考えたことをお話をします。
ちょっと他の子のお話になるのでだいぶオブラートに包んでにはなりますがご了承お願いします。
マラソン大会においてはすごく早い子とか、まあまあ早い子遅い子っていろいろいると思うんですけど、娘の学年にも周回遅れになってしまう子とかもやっぱりいまして、その子たちもどうにか頑張って完走はしていました。
そんな中一人ですね、突然大きい声で泣き出して感触を起こしてしまって、コースを反れてコースの端でワンワン泣き出してしまった子がいたんです。
走行しているうちに他の周回遅れの子も全員ゴールしてしまって、あとはそのコースを反れて泣いている子のみとなってしまいました。
その子がワンワン大きい声で泣いていて、私はその子から100メートルぐらい離れていたんですけど、まあその子の思いもなんとなく伝わってきました。
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どうやら走ることが嫌だとかそういうダダをこねているわけではなくて、とある理由があってもう走りたくないみたいなそういうことを言っている様子でした。
どうするのかななんて思って見ていたんですけれども、先生が駆け寄ってあと少しとか頑張って伴奏しつつ、それでもまた道に逸れてしまってワンワン泣いて、最終的には他の子より10分15分ぐらい遅れてでしょうか、ゴールをして手を引っ張られという感じで終わりました。
無事に走り切って泣いて泣くほどいろいろ嫌なことがあった中、走り切った、完走したその子の努力は大変素晴らしいんですけれども、なんだかこの光景を見て少し違和感を感じてしまいました。
もし私があの子の立場だったら、辛い悲しい、あとはいつもと違って学校に大勢の大人知らない人が見ている、そんな状況でパニックというか困ってしまったら、もし私だったら一刻も早く逃げたいなぁなんて思ってしまいました。
だけどどうしたらいいかわかんないな、そうしたらちょっとコースを脱走したくもなる気持ちもわかるなぁなんて思ってしまったんです。
もしこういう気持ちだとしたら、思ったことが時間をかけてでも、手を半ば引っ張りながらでも完走するやり遂げる必要が果たしてあるのだろうかっていうのがちょっともやもやしちゃった点です。
例えば本人の中で前日とかその直前とかに、どんなことがあっても僕は走り切る、私は頑張るですとか、例えば先生や親御さんと絶対走り切るとか約束をしてたとか、そういう事情があるんだったら、頑張るっていうのでもいいと思うんですけど、
この100メートル先から聞こえる叫びっていうのは、その子の意思で走り続けたいようにはちょっと感じられない。第三者から見てなんですけど、そんな気がしてしまったので、そういった中で本人のもし意思がないのなら、もう時間をかけて何人もの知らない大人の目に晒されて最後まで頑張るっていうのが果たしてその子にとっていいことなのかなっていうのがもやもやしております。
またもう一つ、これはちょっと私の推測ですがもやもやしたところが、先生たちがマラソン大会を無事にちゃんちゃん全員ゴールしました、頑張りましたっていう尺子定義のゴールにちょっと囚われてるような気がして、その子のその時の気持ちをじっくり聞いてあげられてるのかな、その場ではっていう先生がちょっといないような気がしてしまったっていうのがもやもやしてるところです。
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私個人としては、当初はもしやる気が仮にあったとしても、もうそれたいぐらい逃げたい、泣きたいっていう時は、その子の気持ちを聞いてみて、途中でやめるっていうのもありなのではないかなって思ってしまったんです。
このマラソンの走り切った、何分もかけて引っ張られて泣きながら走り切ったその先に、その子に何がもたらされるのかっていうのも、なんだか疑問だなっていうところもあります。
もし、走り切るってお約束を親御さんや先生とかとしてるとかもあるかもしれないんですけど、だけどその子にしてみても、以前子どもの権利ってお話したかもしれませんが、子ども自身にも選ぶ権利、やるやらないの権利とか選択する権利っていうのがあるのかななんて思ったんです。
今日見学したマラソン大会では、その子が自分で選んで走り切っている達成感を感じている何かなし遂げたというか、得た感じがちょっとしなかったっていうか、逆にちょっと心配になってしまったというか、そういったもやもやを感じましたというのが、昨日の出来事です。
もしかしたらマラソン大会の目的って、私そもそもマラソン苦手なんでよくわかんないんですけど、みんなで走り切るっていうのが目的、達成するのが目的であれば、そういったやり方が正解なのかもしれないんですけど、昨日に関してはそういう感じのやり方でやり遂げるのがいいことなのかななんてもやもやしております。
多分この手の話っていろんな考え方があって、私がもやもやしているのに多分共感してくれる方もいれば、逆にそうじゃないというか、違う考えを持っている方もきっといると思うんですけど、それもそれでいいと思うんですよね。
ただ私が気になるというか思い通すと、子どもがその時に選んだという実感ができる方法で日々生活してほしいなっていう思いがあるのかなと思います。
もう一つ見極めが難しいなと思ったのが、ただ怠けてやっぱやめたっていうパターンもあるのかななんて思って、頑張った上でやめるっていう選択をするのはいいと思うんですけど、おさぼりというか怠慢っていうか、それはそれでいけないような気もするので、自分でこの話をしよって収録ボタンを押しておいて着地点が見えないなっていうのが正直なところです。
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まとまりませんが今日はこのへんで、それでは失礼します。