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2025-11-03 13:04

♯76 「あの人よりマシ」という無意味な比較

自分の病気が発覚し、つい他人と比較してしまいました。でもこれ無意味だよね…。自分がどうか、という視点で考えていきたいです。

病気が発覚、落ち込む
大病患ってる人より恵まれている?
他人と比較して意味あるのか?
印象派展で感じたこと
辛さは他人と比較できない
他人よりマシだから何?
まとめ(ここだけ聞けばわかる😂)


#女性管理職 #中間管理職 #病気 #印象派展
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サマリー

このエピソードでは、他人との比較が病気に対する考え方にどのように影響するかが議論されています。病気の発覚を通じて、自分の状況を他者と比較することが無意味であると気づく過程が描かれ、社会的生き物としての人間の思考についても考察されています。

他人との比較の影響
こんにちは、ぶるはちです。
今日は雑談なんですけど、
私はこの人よりマシだなとか、
この人よりは恵まれてるから我慢しなきゃとかね、
そういう思考ってありません?っていうね、そういう話です。
人間、社会的生き物だし、
人と比較して自分の位置取りをするっていうのがね、
多かれ少なかれあるかなと思うんですけど、
最近、自分の病気とか体調とかで、
そのことに関していろいろ考えてたときに、
そういう発想になりつつも、
結局他人と比較するのはそんなに意味がないなというふうにもね、
思ったので、ちょっと自分の思考の整理がてら、
とっておこうかなと思いました。
病気の発覚と自己反省
はい、なので今日は完全に雑談会です。
このチャンネルはアラフォー管理職のゆるゆる修行チャンネルということで、
人生いろいろ修行している最中の私ですけれども、
はい、このそもそものきっかけはですね、
おとといですね、おととい病院で検査をして、
ちょっと病気が発覚したんですよね。
幸い命に別状がある病気とかではなくて、
ただ今後一生付き合っていかなきゃいけないし、
ずっと薬の服薬が必要だなっていうね、
そういう病気ですよね。
ちょっと今後悪化する可能性もあるしということで、
その病気がわかったとき、正直最初落ち込みましたよね。
やっぱショックで。
というのは、私まあまあもうすでに病気持ってるんですよね。
病気と付き合ってる人生といいますか、
生き物としてはね、結構弱い生き物でして、
もうすでに治病があるところに、
さらにもう一個病気が追加されたのかっていうね、
なんで私ばっかりこんな目にとかね。
正直すごいへこんなんですよね。
自分って不幸だなあみたいな、
いう思考にもなりましたよね。
ただまあ、だんだん考えていくうちに、
でも、今回私の病気って命に別情ないよなとも思って、
そう考えると、もっと大きい病気、
なんか命に直結するような病気とか、
すごい苦しい病気で闘病されている方とか、
そういう人が現実世界にいるって考えたら、
まず恵まれてるよねっていうふうに思いましたよね。
それは他者との比較で、そういう人たちに比べて、
私はまだ病気って言っても、
そんなに重病じゃないから恵まれてる、
ありがたい、感謝ですよねっていう、
そういう人と比べるっていうことをしたんですよね。
で、確かにそれはそうなんですけど、
たださ、なんか、だんだんそれもちょっと変かなと思って、
他人と比較して意味あんのかなっていうふうにもね、
思ったんですよ。
要はさっきの発想って、
他人と比べたらマシだから、だから我慢しようねとか、
納得しようねとか、感謝しようねとか、
なんかそういう発想なんだけど、
比較の無意味さ
自分の病気って他人関係ないんですよね。
なんか別にさ、
他人が私の病気を引き受けてるとか、
他人がいなかったら私に病気が降りかかってくるとか、
なんかそういう利害関係にあるとかでも全くないし、
まあどこまで行っても、
私と私の病気との一対一との関係で、
一対一の関係で、他者は関係ないんですよね。
病気に限らずだけど、
他者と比較するっていうのは、やっぱり、
人間は社会的生き物っていうし、
どうしても人と比べて自分がどうかみたいなね、
なんかそういう思考になりがちだなとも思うんだけど、
でも結局自分が生きてる上で、
他人がどうかは直接関係ないですよね。
あとちょうどタイムリーな話としては、
おととい病院で検査して、
病気ですっていうのが判明して、
結構ショックだったんですよね、その時。
ショックで何も考えたくなくて、
とりあえず癒されるところに行こうと思って、
予定になかったんですけど、
東京でやってた美術館に、
ちょっと足を運んだんですよね。
国立西洋美術館でやってる
印象派展っていう展覧会なんですけど、
それが19世紀かな、
印象派っていう、
そういうタイプの絵が飾られてたんですけど、
その中のテーマの一つが室内画だったんですよね。
部屋の中、室内の絵で。
室内画って、室内にいる人を描くから女性なんですよね。
その頃の女性って、
部屋の中で着飾って、
例えば読書したりとか、ピアノ弾いたりとか、
あとお裁縫、縫い物とかしたりとかしてて、
でもこれって、その時代の
良き母像とか、良き女性像、
上流階級の女性はこうあるべきとか、
あとこういう絵を描いてもらって、
うちの家庭はこんなに上流階級なんです。
だからうちの女性はこんな風に、
女性のたしなみがきちんとできてるんですっていうね、
そういうアピール画でもあるんですよね。
そういうのを見てて、
印象画として、絵は絵として面白かったんだけど、
この当時の女性めっちゃ生きづらいよなとかね、
思いましたよね。
それは、その当時の女性と今の私、
今を生きる私と比べて、
昔の人は不自由だったよな、
それに比べて今の私は自由があって、
そう、だから昔の人よりマシだよなっていうね、
そういう発想だから、やっぱり比較をしちゃってたなっていう風にね、
思ったんですよね。
でも、比較は無意味と言いますか、
当時の女性はつらかっただろうなとか、
不満だっただろうなとかっていうのは、
今の価値観の私が見て、勝手に推測してるだけなんでね、
本人が、本人たちがどう思ってたかなんて、
誰にも分かんないし、
つらさとか苦しさとか、
なんかそういうのって主観だから、
その本人がどう感じてるかって、
誰にも分かんないし、
それを他者と比較ってできないんですよね。
つらさとかもそうだし、幸せとかもそうですよね。
それを数字的にとかデータで、
他者同士を比較するっていうのは絶対に無理なんで、
そう、だから比較は無意味だなっていうのをね、
感じたんですよね。
病気も一緒で。
なんかその、客観的に見て、
明らかにこの病気のこの糖尿、この治療は、
きっとつらいだろうなとか、苦しいだろうなとかね、
まあそういうのは分かるけど、
でも実際にその苦しさ、痛さが、
本人の中でどの程度の痛みなのかとかさ、
本人の人生の中でそれがどの程度の苦しみの割合なのかとか、
そういうのはやっぱり本人じゃないと分かんないんですよね。
まあ比較できるとしたら、自分の中での今と昔で比べるとか、
まあ同じ計測、
なんだろう、自分の中で計測するしかないことだから、
勝手に他者と比較しても意味ないし、
他者との比較も結局、私がきっとあの人はこうだろうなっていうね、
憶測でしかないよなって思ったんですよね。
だから意味がないし、
まあ例え、
じゃあ私より辛い苦しい目にあってる人がいるって分かって、
分かってじゃあどうなのっていうとこですよね。
だから自分の病気は、
自分としては苦しいと思っても、
ただひたすら耐えなきゃいけないのか、我慢しなきゃいけないのか、
大したことないから、
ひたすら耐えましょうってことなのかっていうと、
それも違うよねって。
結局自分がどう感じるか、
自分と自分の病気とだけを考える、
他者との比較は必要ないよねっていう風にね、
思ったっていう、そんなお話でした。
いやすいません、全然まとまりがなかったんですけどね。
この3連休だったんですけど、ちょっと病気がわかって、
かなり落ち込んだりいろいろ考えたりしたんですけど、
最終的に比較は意味ないよねっていうことで、
自分が今実際どう思うかっていうことで、
ちょっと病気と付き合っていこうかなっていう風に思ったっていうね、
一応そういう結論でした。
今日はこれぐらいにします。
すいません、以上です。
ではでは。
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