00:03
国分寺のあの人とつながるぶんじブリッジ。 今回のゲストは、国カレ2期生、
国フェス発起人の冬木義郎さん。 国分寺に住んで27年。
これまで国分寺は、寝に帰るだけの町だったという冬木さん。 そんな日常が変わったのはコロナ禍。
テレワークで生まれた時間の中で参加した国分寺カレー地こと国カレ。 国カレの活動として、
元気のない町を音楽で盛り上げたいという思いから動き出します。 ロックが大好き、イベント企画のプロとしての経験と、
町への思いが重なって生まれたものとは。 国フェス開催までの背景をじっくり伺いました。
じゃあ早速ですが冬木さんが、皆さんにお聞きしているんですが、 冬木さんが国カレに参加されたきっかけを教えてください。
ちょうどコロナが始まったのが2020年だったと思うんですよね。 それまでは毎日都心の方に電車に揺られて行ってたんですけど、
コロナでいきなりエンタメ業界で働いているので、 いきなり仕事がなくなった。
だって全部中止中止ってなっちゃいましたよね。 特にエンタメ業界は人が集まるところなので、
ほんと何ヶ月も仕事がなくなってしまってですね。 最初は暇からビールでも飲んでいいなみたいな感じだったんですけど、
なかなか長くなっていくにつれて、 時間も持て余してきてですね。
そんな時にたまたま見つけたのが国カレの動画を見たんですよね。
募集のネットで流れて。
フェイスブックなんかで見て、面白そうだなと思ったのがきっかけですね。
国カレに探した。
それですぐに応募されて。
そうです。確か夏頃に始まったのが2020年の夏頃に1回目だったと思うんで、
参加して、別に具体的にっていうのは何もなかったんですけれども、
2回目か3回目の時に市の人が北口で、ちょうど区分寺の北口で工事やってたんですよね。
今の北口広場ってできたと思うんですけど、
そこでイベントもやれるような場所にしたいみたいな、そんな話を聞いて。
それだったらそこでイベントをやってもいいのかなと思って。
なんとなくそれだったら音楽のイベントとか面白いかなと思ったんですよね。
やっぱり国分寺っていうのが僕の中で音楽が魅力の一つの街だと思っているので、
03:04
そんなことから音楽イベントをやれないかなと発想したっていうのが最初ですかね。
2020年にコクカレに参加をされて、そこでコクフェスの構想を練られて、
1回目はもうその時ちょうどコロナ禍の時期だったと思うんですけど、
スタートされたのはいつからなんですか?
実際に1回目は2022年の5月なんですけど、
もう実は2021年の5月にもうやろうと思っていて、
もう2020年の年末頃からいろんな会場とかを押さえ始めてですね、
やろうとしてたんですよね。
年明けて2月頃になって、やっぱり緊急事態宣言とかがポツポツと出たりしてですね、
もうちょっとこれ以上無理にやってもなと思ったので、
結構もう骨組みはできてきてたんですけれども、
2021年の2月3月頃にも一旦延期ということにして、
2022年に改めてもう1回目をやろうというふうに思いましたね。
その1回目の企画っていうのは、北口広場だけが会場だったんですか?
いや、もう公民館とかリオンホールとか泉ホールとか、
結構いろんなところを押さえましたね。
何箇所ぐらい?
どうだろう、5、6箇所ぐらい押されてるのかな。
いろんなお店とかにもね、声かけたりとかして。
じゃあ、第1回目からその1箇所、
数箇所、2、3箇所でやるっていう形ではなくて、
もう第1回目からもいろんなところを会場にしてやる構想っていうかは、
骨組みはできてたってことなんですね。
そんな構想は最初からありましたね。
というか、もともと1箇所にたくさん人が集まれる場所って、
北口ってないんですよね。
ないと、外だったらあれですけれども、なかなか少ないので、
それだったら同時多発的にいろんなところでやるのもいいかなとは思いますね。
本当に北口でフェスが楽しめるって、名前の通りですよね。
いろんなところ回ってっていう。
しかも同じ日にあっちこっちでやってるっていうのが、
本当にフェスっていう。
そうですね。そんな方向にうまくいったのかなって感じですね。
でも初め1回目からそれをやろうと思って、
もうすごい企画が大変じゃないですか。
でもそれが本当にお仕事の経験があるからこそ、
06:04
彼とくゆきさんのもともとのお仕事のスキルがうまく掛け合わさったのが、
無文字にストンってハマったっていうかね。
そんなイメージですね。
でもすごい大変だったんじゃないですか。
そうですね。
イベント作りっていうことに関しては多少は知識はあったので、
そういったところでは少しメリットもあったと思うんですけれども、
やはり全員ボランティアでやってますし、
こんな取り組みはもちろん初めてですし、
そもそもこの名前なんかただ家に帰るだけの町だったので、
地元で何かやろうなんてことも思いもしなかったので、
本当そういう意味では全く初めてというようなことではありましたけれども、
1回目、結局その年2022年に1回目ということになるんですけれども、
幻の1回目を経てもうちょっと肉付けもできて、
形としては結局幻の1回目よりもちゃんとしたものが、
1回目としてできたのかなというふうには思ってますね。
ただ場所を押さえたはいいけど、出る人どうするんだったりして、
出演者。
だから1回目はこちらからもいろんなところに電話かけまくってですね、
今週ある人いるんだけど出てもらえませんかみたいなことで、
いろんなところに電話とかしましたね。
それは国分寺在住の方とかは限らずお知り合い中心に。
ただプロとかも出てもらってますけど、
アマチュアの人なんかにもたくさん出てもらいたいと思っていたので、
それこそ学校とか、学校の吹奏楽部とか先生とかにも電話しまくりましたし、
あと吹奏楽とかダンスチームとかそんなところもこちらから声をかけたりとかして、
なんとなく集まり始めてみたいな感じですかね。
プロなので、遠くからそういったいろんな人に出てほしいと思ってたので、
なんとなく街明けが集まり始めてきて、
やはり国分寺の観光大使の荒川健太郎さんもやはり出てほしいなと思いましたし、
もちろん名刺くんも何もなかったんですけれども、
DMかなんかしてたら会ってくれるということで、
会ってこんなのやるんだけどどう?って話をしてですね、
もうやりますみたいなこと言ってくれたりとか、
あと国分寺で育った今野清志郎さんっていうのがいるんですけど、
09:02
やっぱり国分寺の音楽フェスだったら清志郎さんのエッセンスは欲しいなと思っていて、
ちょうどおさむちゃんっていう青森の清志郎と呼ばれる人がいてですね、
本当にすごいんですよその人、ただのモノマネレベルを超えてきてですね、
本当にすごいパフォーマンスの人なんですけど、
そんな人も青森なんですけどね、連絡したらすごい興味持ってくれて、
だから一人分ぐらいの青森の香水日ぐらいは何とか出せないかなって思って、
何とか出そうということで、結局来てもらうことになるんですけれども、
やっぱり一人分ぐらいしか出せても出せないなと思ってたので、
ソロでやってもらえますかなんて聞いたら、
バンドでやりたいんですよみたいな話で、
そんなバンド全員は呼ぶなんて無理なんですよね、
そしたらたまたまバンド全員東京にいるんだって話で、
本人は青森だけど、
それでバンドでやってくれることになったりとかして、
そんな感じで一つずつ集めまくったっていう感じがもう一回でした。
じゃあもうふゆきさんの熱意が人を集めたっていうことで、
本当に暇でしたからね。
でもだってフェスって言っても、フェスって何って言う人も、
だって国分寺でフェスを開催するっていう発想が、
今回ふゆきさんで初めてじゃないですか。
だから多分国分寺の人たちフェスって言ってもわからないよっていう方たち、
行ったこともないよっていう人たちもたくさんいらっしゃいましたよね、初めは。
そうやって何とか形をつけていって、
もう一つ何か足りないなと思ってたんですけれども、
やっぱりそれをまた国分寺ということで考えたときに、
70年代ヒッピーが発祥のうちだったっていうことが国分寺って言われてるんですよね。
そのヒッピーたちがどんな音楽を聴いてたかっていうと、
フォークとか聴いてたんですよね。
やっぱりそのフォークの一人が欲しいなと思って、
小室ひとしさんという人に相談したら出てくれることだったんですよね。
それが決まったのが本当に3ヶ月くらい前で、
それが決まって最後のピースが、
揃った。
ちょっと嬉しかったですね。
ちょっと話戻るんですけど、
先ほど寝に帰るだけの街だった国分寺っておっしゃってましたけど、
国分寺と住み始めたきっかけとかご出身だったとか。
いやいや全然出身は福井ってとこなんですけれども、
大学で出てきて東京に。
ずっと最初後編寺に住んで、
12:00
次駅は三鷹だったんですけど武蔵野市に住んで、
国分寺、だんだん西に下ってきて、
でもずっと中央線ですよね。
中央線だということはずっと変わらなくて、
結局国分寺に今も27年くらい暮らしてるんですよね。
ほんとほとんどは毎日都市に帰ってただけなのっていう。
でも27年だったらもうなんか、
第二の国分寺みたいな。
そうですねだから完全にホームタウンだと思ってますけどね。
フォーク発祥の地なんですね。
フォーク発祥じゃないヒッピー。
ヒッピーが聴いてた曲がフォーク。
だから当時のカウンターカルチャーといえば、
日本でいえばフォークがカウンターカルチャーの音楽だったんですよね。
それが今もその時の雰囲気を残す、
ほんやらのってお店がありますけど、
そこのお亡くなりになってしまいました、
中山ラビさんっていうフォークシンガーもいますし、
ラビさんなんかもね、
まだ国フェス1回目の時にはまだお元気で、
ラビさんにもこんなこと今度やるんですよなんて話をしにとってあるんですよね。
本当にね、最初はえ?こんなの?って言われて、
あんまりこんなのに興味ないのやねって言われて、
そういうタイプの人なんでね、
何回か通ってくどこうと思ってたんですけれども、
そんなこともできなくなってしまいましたが、
でもやっぱりラビさんのスピリッツみたいなことは、
国フェスにもエッセンスとして、
まあ旧城もそうなんですけど、
かけているつもりではあります。
ありがとうございます。
今年で2026年で5回目ですかね?
2022年スタートなので、
ちょっと後半ではですね、
今年2026年の国フェスについてお聞きしていきたいと思います。
ありがとうございました。
いかがでしたか?
ぜひチャンネル登録、そしてインスタグラム、
フェイスブックでも最新情報を発信していますので、
フォローをお願いします。
それではまた。