1. バンジー中毒
  2. #58 バンジージャンプは社会に..
2025-05-30 18:03

#58 バンジージャンプは社会に役立つのか?

今回は探検家の書籍から着想を得て、「バンジージャンプは社会に役立つのか」というテーマを深掘りしています。社会還元や生産性向上といった外的な価値観に縛られがちな現代において、個人的な探求や内発的な動機に基づく活動の意義について議論を展開しています。バンジージャンプと探検を比較しながら、見返りを求めない行動や、多様な人間の営みが社会の豊かさにつながる可能性についても語っています。

▼番組へのお便りはこちら
https://forms.gle/xnpVDfi89dMeJyCu6
▼LINEオープンチャット「実はバンジーやってみたい」
https://line.me/ti/g2/ijenrCOKXacw7UupLiKPyxvEtKb_TKaeGxTgFg?

サマリー

ポッドキャスト『バンジー中毒』では、バンジージャンプが社会に与える影響について探求しています。角畑雄介の著書『書くことの不純』を基に、探検や冒険の目的、ならびにそれらの社会的な価値について議論されています。また、バンジージャンプと探検の違いを通じて、これらの活動が社会にどのように役立つかが考察されています。現代における目的意識の高まりの中で、無意味な行動や多様な活動の重要性も論じられています。

バンジージャンプの魅力と議論の発端
この番組、バンジー中毒では、一度は空を飛んでみたいあなたへ、バンジージャンプの魅力をご紹介していきます。
パーソナリティは、移動式VRアクトラクション、どこでもバンジーVRをプロデュースし、50回以上バンジージャンプを経験している野野村と友人の私、松村です。
今回はですね、バンジージャンプって社会に役立つんですか?というテーマでお話をしています。ぜひお聞きください。
はい、では本日のトークテーマに移りたいと思います。トークテーマは、バンジージャンプって社会に役立つんですか?前編になります。
どんなテーマなのよ。
いやこれですね、バンジージャンプ、社会に役立たないんじゃないですか。
いやいや、前提がそっち?バトル界ですか?
バトル界。役立たない派と役立つ派。
リベート?
野野さん役立つと思ってるから、ある種ビジネスというかね、会社も立ち上げてるからそうなんだろうけど、役立たない派もいるんじゃないかと。
今の顔気に食わんわ。
そうね。
いやえっとですね、このちょっと俺は探検家の人の本を最近読んで、書くことの不純っていう本なんやけど、
はい。
角畑雄介さん。
角畑雄介さんの本の書くことの不純?
そうそうそうそう、書くばっかり出てくるけどね。
で、探検家の人が。
探検家で極東の北極圏に単独で旅行したり、旅行というか探検しに行ったりとか、
そこで現地でね、実際犬とか山小屋とか行って2ヶ月とか3ヶ月ずっと滞在するとか、
そういう人で、プラス書くこともやってる、冒険家の人なんやけど。
ネイライターもやってるみたいな感じなのかな。
で、その人が書くことの不純っていう本を出版されて、
それを別のポッドキャストでやってて面白そうだったから読み始めたんだけど、
このね序章のところで、なんかすごいバンジージャンプと探検って重なるんじゃないかなと思ったところがあって。
なるほど、その人が書いてるわけではなくてね。
俺がそれを読んでそう思ったんだけど、
序章一番初めのところが、探検って社会に役立ちますかっていうところから始まっていくのよ。
その人は探検をずっとしてるから、インタビューとか取材に答えた時があるんだけど、
ある時その若い女性の記者から、
いろいろこれまで何で探検をしてきたのかとか、
大分市とか大学時代の探検部だったらしいけど、探検部の活動をいろいろ聞いて、
一番最後に、ところであえて意地悪な聞き方しますが、
角畑さんの探検って社会の役に立ってないんじゃないかって言われませんかって聞かれたんやって。
想定外の質問で、角畑さんも探検しまくって、
探検のもうめちゃくちゃ、数30年とかそれぐらいのレベルでやり始めたのに、
えーみたいな。
そんなこと言われたことなかったわと。
探検って社会の役に立ってないんじゃないですかって言われませんかって言われて、
ゼックしてやや間を置いて、本当にそんなこと考えてるの?と思わず反論したと。
すると女性の方は、自分たちの若い世代っていうのは、
社会への還元だとか生産性の向上に寄与すべきだというのが、
圧力をすごく感じているという返事をしましたと。
そういうやり取りがあったらしいですと。
そこから角畑さんはいろいろ考えて、その質問が何で来たのかっていうところで、
基本、登山とか冒険って動機は、社会とか時代の価値観には決して還元できない個人的なものだと。
だからそれをやったからといって社会に役立つものではないというのは、
そもそもそういうもんだろうと思ってたんだけど、
なぜ山に登るのかとか、なぜ冒険するのかみたいなのは、
だからすごい愚問だというふうにパッと思ったんだけど、
いや何で伝わってなかったんだろうなーって思ったら。
やっぱり今の世の中って、見返りのない行動っていうのが、
特に若い世代にとっては理解できなくなっちゃってるんじゃないかっていう疑問を持ったと。
見返りのないことっていうよりも、何か社会に出て仕事とかあるいは活動を含めて、
世の中に認められるためには、世の中の明確に機能的に役に立ってるっていうものじゃないとダメなんじゃないか。
そう、世の中の役に立つことっていうのを外から与えられて、
それに対して何かやるっていうことが、社会の活動としての認められてることであって、
っていう圧が特に若い世代が強いと。
役に立って役に立たないことを何でやってるんですかみたいな、そんな質問が来たんだって。
僕もさ、会社作って最初の方にさ、投資家の人と話してさ、
僕がVRバンジー作ってるんですよとかって言ったらさ、その投資家の人はさ、エンジェル投資家の方はさ、
社会のペインの何を解決するのかって言われたことがあってさ、要するにそういうことでしょ。
まあ確かにそれは近いね。だいぶ近いな。
社会の何か役に立たないといけないっていう風潮は、
外部の理屈というか世の中、社会の原理によって生み出されているもので、
それに従って生きることって本当にいいの?ということがまず一個、疑問として提出されていてて、
世の中の人から求められていることっていうものは、
ことをやって社会に認められるっていうことだけじゃなくて、
ことは外部から求められたことをやるってことやんか。
それで生きてるっていうことだけど、
内在的に自分の内側から込み上げてきたものを従って生きるべきじゃないかっていうことを書いてるのよね。
それは単なる思いつきでやり始めたっていうよりも、
もっと深い自分が人間として生きていきたいという風に思う理屈とかではなく、
内側から突き動かす行為みたいなことが世の中忘れられてるんじゃないかという話を書いてるからね。
なんかよく哲学者とか哲学っていうものも、何のために、社会の何の役に立ってるんだとかって言われたりするけど、
だけどそれって一人一人の生きる自信とか、
それこそ内発的なその人の価値観みたいなものを作ったりするものであるから、
資本主義的に何か課題解決とかではないけども、人類のためにはなってるんじゃないかみたいな。
バンジージャンプと個人の内発的動機
人類のためになっているっていうのも、誰かのために、世の中のためになっていると思ってやってるから、
それよくそういうもんで動いてるんじゃないと、角畑さんは言ってて。
自分が内発的に本当にやりたいと思ったからやってるだけであって、
自分のために自分の内側から出てきたものを出してるだけであって、
その外側からこうやって生きるとか、こういう風に文化とかカルチャーとかこうだからこういう風にした方がいいとか、
そういうことで探検してんじゃねえんだよと。
なるほどね。そうか、その角畑さんの結論はそこなんやね。
そうそうそう。ということが序章に書いてあったっていう感じかな。
本の内容はまだ全然違うんだけど、
じゃあ内発的に俺はやってんだと言いつつも、書くことの不純っていうのは、
とはいえ冒険なくた話をさ、書き留めてるわけよ。
そうか、伝えようと思って、誰かに何か残そうと思って書いてるわけだもんね。
そう、ジャーナリストとして、例えばすげえ北極の危ないところにさ、
二つ通路があって、こっちはちょっと安全そうかな、こっちは危険そうだけど、
なんかちょっと物語できそうだなって一瞬思っちゃう。
それってやっぱ書くことを生業としてて、一応書くことでお金もらって、
探検とかやってるから、その瞬間純粋な探検家じゃなくなってるみたいな、
その辺の迷いとかが書いてた。
めっちゃ面白いやん。
面白い。
割と僕は共感するよ。
まあ、全然違う話。全然違う話やし。
だけどまあそういうふうに思うってとこあったとして、
バンジージャンプは社会に役立つのかっていうところに。
忘れてたテーマ。
そのテーマに戻るとすると。
だから角畑さん理論で言うとバンジージャンプにそもそも
飛ぶ人目線で、あ、違うか。
バンジージャンプ飛びたい人は別に誰かのために飛ぶとか考えなくてもいいし、
バンジージャンプを提供する人も、別にそれが社会に役立ってるかとかっていう
なんか壮大なことを考えなくていいんじゃないかと。
バンジージャンプと探検の違い
自分が面白いと思うアトラクションを目の前の人に提供して喜んでもらってるっていう
それだけでいいじゃないかと。
そうだね。だから例えばSNSで映えるためとか、
世の中から認められたい、自分がこんなすごいことをやったっていうのを認められたい
みたいな目的でやってるっていうのが違う感じになるかなと思うな。
でもそういうのをやって、そういう行動を起こして、
外部からの目とかも含めて行動を起こすっていうことはすごいと思うけどね。
僕今話しながら、バンジージャンプと探検の違いを
喋って気づいてるけど、バンジージャンプって
誰からもサービスとして提供されてなくて、
格旗さんが自らやばさを持っている人たちが
探検をしているときに、
探検をしている人たちが、
探検をしているときに、
探検をしているときに、
探検をしているときに、
格旗さんが自らやばそうなところに一人で突っ込んでいくことが
探検になっているっていう構造だから、
ちょっとバンジージャンプと探検を横並びで
社会に役立つか役立たないか話すのってちょっと違う気がしたかな。
探検はもう完全に北極とか南極、北極圏に
犬ぞりでどんどん突き進んで一人で2、3ヶ月住んで
どういうことがあるかみたいなのを見に行くことだから
ちょっとアトラクションではないか。
アトラクションを超えまくってるよね。
そこに最初に気づくべきだったわ。
まあね、ただある種の冒険というか
挑戦というかいうことだし、
無意味なんじゃないすかっていうのは近い
共通してる気がするんだけど。
まあ世の中が目的ベースになってるっていうところ
例えばスマホがすごいそれを加速してると思うんだけど
何々をするためにグーグルマップを開いて
レストランのお店を探してそこで評価を見て
その評価がどうかっていうので決めて動くみたいな
目的意識に世の中の人がどんどんなっていって
目的がないこととか無意味なことっていうのを
なかなか世の中が理解してくれなくなっているんじゃないか
っていうことも共感はしたかな。
共感する。
じゃあ全部世の中、外からの要請に従うだけが人生なのかというと
そうではない気がするけどね。
そういう風潮とか世の中の人が
自分はこういうことがしたいって
勝手に突き動かされるようなものが
もっと増えるっていうか
そういうのがないと何がダメなのかな。
世の中の要請に従って生きてることは全然いいと思うんだけど
それはそれでちゃんと頑張ってるねって
偉いねって言われると思うしね
何がダメかっていうところは
世の中の要請に従うだけでは
人生に満足できない人の生き方っていうことを
受け皿にすることができるとかね
そういう探検家とか
そういう色々な好奇心で生きていくような生き方が認められていくと
世の中の要請に従って生きていくっていう生き方を
受け入れられない人が自分らしく生きていく
なるほどね
それは確かにあるかもしれないな
他の生き方があるんだろうなみたいなことを見せるっていうところね
生き様を見せる
けどまだ繋がってこないんだよな
社会とその生き様を見せてから
社会とどう繋がっていくのかみたいなところが
あんまり綺麗に繋がってないんだよ実はね
俺の中で
冒険って社会に役に立つのかとか
バンジージャンプって社会に役に立つのかっていうところで言うと
活動の多様性と社会の豊かさ
活動ってそもそも
その人の人生が喜ぶ以外に
世の中のために活動って存在するべきなのかなとか
活動って言っても色々な活動があるじゃないですか
探検だったりバンジージャンプだったりとか
国の研究とか神社にお参りするとか
いろんな活動があると思うんだけども
それってたくさんあればあるほどジャンルがあればあるほど
世の中って豊かだって言えるようになるかとか
っていうような考え方もできるかもしれない
植物とか生物が絶滅すると多様性が失われると
地球はより多様性に満ちているべきだっていう考え方って
すっと理解できると
それと同じように人間の営みとか活動も
いろんな多種多様な活動がある方が豊かなんだっていうのが
みんなすんなり来るようにやったらいいんじゃないかな
それは確かにそうなんだけどって思うよね
そうはなぁなるほど
ちょっとじゃあまだ答えはないんですけど
後編行く方が
後編に行く勇気がない
後編はすぐ次回やらないといけないっていうわけじゃないし
またこれ考えが煮詰まってきたらやりたいと思います
では今回はですね
バンジージャンプって社会に役立つんですか
前編になります
ありがとうございました
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました
18:03

コメント

スクロール