1. 文ガチャ
  2. 師走の回「近代文学の夕べ2」1
2022-12-04 35:00

師走の回「近代文学の夕べ2」1

ガチャを回して出てきたことについて語る「文ガチャ」

師走の回のお題は「近代文学の夕べ」
らい堂さんが近代文学を読んでの読書感想文を書いて、それについて語っています。

今回の作品は江戸川乱歩の『赤い部屋』
青空文庫さんにも掲載されていて、気軽に読める作品です。

今回はらい堂さんの読書感想文の中に物語のギミックの鍵が含まれていますので
朗読の方から先にお届けいたします。

1時間という長い朗読ですので、今週と来週の2回分となります。

底本:江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者

出版社:光文社文庫、光文社

初版発行日:2004(平成16)年7月20日

入力に使用:2012(平成24)年8月15日7刷

校正に使用:2004(平成16)年7月20日初版1刷

底本の親本:江戸川乱歩全集 第七巻

出版社:平凡社

初版発行日:1931(昭和6)年12月

入力:門田裕志 校正:岡村和彦

00:08
文ガチャは、ガチャを回して出てきたお題についてのんびりお話しするポッドキャストです。
文ガチャ師走の回、椿雷道です。
咲夜です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回のガチャを回した結果、2回連続で近代文学の夕べが出るということがありまして、選んだ作品が赤い部屋という作品で、江戸川乱歩の短編ですね。
2つ言いたいことがあって、1つは、短編とは言いながら、前回やったレモンとかヤブの中に比べると、まあまあ長いということなので、今回は朗読が2回分になりますよ、2回に分割しますという形になっておりまして、
1作品で朗読が2回になるということは、僕にとってラッキーなのは、感想文を書くのを1作でいいということなんですね。
1作分で済むという形になりました。
先ほども言いました通り、江戸川乱歩の小説で、まあ広い意味でのミステリー小説に入りますので、いわゆるネタバレというのが結構重要な要素になります。
感想文の方でもネタバレしてるんですよ。ネタバレしてるというか、結末を書くと、みたいなぐらいの勢いで書いちゃってるので。
もしね、この感想文を聞いて読みたいと思った人には申し訳ないことになっちゃうので、今回に限り逆のパターンで、
咲夜さんによる朗読2回、1週目、2週目にわたる朗読を先に持ってきて、12月の3週目に感想文を読んでそのお話をすると。
4週目は空いてしまうんですけれども、ちょっとお便りがね、たまってると言っても数としてはそんなに多くないですが、
すごくお待たせしてしまった人もいたりするので、お便りを紹介していこうというのを4週目という構成でやっていきたいと思います。
ということで、咲夜さんは朗読、前々回は朗読のやつって朗読だけだったので、完全に。
朗読してみてどうでしたという話が一切聞けてないなということもあったので、今回はこういう形をとったので、
咲夜さんが朗読してみた感想みたいなのをちらっと、朗読そのものの感想というのかな、ストーリーの内容というか。
その辺をちょっとお聞きしたいんですが、どうでしょうか。
03:00
とにかく長い作品、1時間ちょっとぐらいかかると思います。
思いますっていうのはまだ半分しか読めていないんですけど、
ただちょっと今バタバタしていてまとまった時間がとれていなくてですね。
ちょっとずつギリギリにとればいいやって思って、とれるときにちょっとずつとか3ページ分ずつぐらいとかっていう感じで読んでいたんですけど、
途中までのところをまとめてくっつけてみると、声のトーンが全然違っていて、その時の調子とか時間帯とかで声のトーンが全然違うっていうのに自分で気がついて、
あ、撮り直しだって今ゼロにしたとこです。
なるほど。なかなかこれから大変ですね。頑張ってもらわないと。
そうなんです。プロってすごいなって思いました。
まっすぐ読んで1時間ぐらいかかるのに、たぶん例えば使えちゃったらそこからもう1回読み直したりとかみたいなことも入るとなると結構長時間キープしないといけないですね。
そうですね。たぶん読み直し含めて1時間半から2時間ぐらい読み続けることになると思います。
すごい。お仕事含めて朗読する機会あると思うんですけど、この1時間クラスっていうのは初めてですか?
いえ、趣味で気が向いて銀河鉄道の夜を一気読みしたことがあって、その時は2時間半でしたね。
それはすごいな。そういう経験も持っているということで、大変ですけれどもやりきれそうな確信は得られたというところかな。
はい、頑張ります。
ということで、今話している我々は完成形を知らないわけですけれども、皆さんはこの後その完成形をまず前半部分ですね、お聞きいただけるということになります。
それではお聞きください。どうぞ。
赤い部屋 江戸川乱歩
異常な興奮を求めて集った七人のしかつめらしい男が、私もその中の一人だった。
わざわざそのために失られた赤い部屋の、日色のビロードで貼った深いひじかケースにもたれ込んで、
今晩の話し手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待ち構えていた。
七人の真ん中には、これも日色のビロードで覆われた一つの大きな丸テーブルの上に、古風な彫刻のある食材に刺された三丁の太いろうそくがゆらゆらとかすかに揺れながら燃えていた。
06:09
部屋の刺繍には窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真っ赤な重々しいたれぎぬが豊かなひだを作ってかけられていた。
ロマンチックなろうそくの光が、その蒸脈から流れ出したばかりの血のようにも、どす黒い色をしたたれぎぬの表に、われわれ七人の異様に大きな影帽子を投げていた。
そしてその影帽子は、ろうそくの炎につれていくつかの巨大な昆虫でもあるかのように、たれぎぬのひだの曲線の上を伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。
いつもながらその部屋は、わたしをちょうど途方もなく大きな生物の心臓の中に座ってでもいるような気持ちにした。
わたしにはその心臓が大きさに相応したのろさをもって、ドキン、ドキンと脈打つ音さえ感じられるように思えた。
誰もものを言わなかった。
わたしはろうそくをすかして向う側に腰かけた人たちの赤黒く見える影の多い顔を、なんということなしに見つめていた。
それらの顔は不思議にもおのうの面のように無表情に微動さえしないかと思われた。
やがて今晩の話し手と定められた新入会員のT氏は腰かけたままでじっとろうそくの火を見つめながら次のように話し始めた。
わたしは陰影の加減で骸骨のように見える彼の顎が、ものを言うたびにがくがくともの寂しく合わさる様子を、機械なからくり仕掛けの生人形でも見るような気持ちで眺めていた。
わたしは自分では確かに正気のつもりでいますし、人もまたそのように汲み取ってくれていますけれど、全く正気なのかどうかわかりません。
狂人なのかもしれません。それほどでないとしても何かの精神描写というようなものかもしれません。
とにかくわたしという人間は不思議なほどこの世の中がつまらないのです。
生きているということが、もうもう退屈で退屈でしようがないのです。
はじめのうちは、でも人並みにいろいろな増落にふけた時代もありましたけれど、それが何一つわたしの生まれつきの退屈を慰めてはくれないで、
かえってもうこれで世の中の面白いことというものはおしまいなのか、なんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。
09:02
で、だんだんわたしは何かをやるのが億劫になってきました。
例えばこれこれの遊びは面白い、きっとお前を右頂点にしてくれるだろうというような話を聞かされますと、
おお、そんなものがあったのか、ではさっそくやってみようと乗り気になるかわりに、まず頭の中でその面白さをいろいろと想像してみるのです。
そして散々想像をめぐらした結果はいつも、なーんにたいしたことはないと見くびってしまうのです。
そんなふうで、いっときわたしは文字通り何もしないでただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮らしていました。
そして頭の中だけでいろいろな空想をめぐらしては、これもつまらない、あれも退屈だと片端からけなしつけながら死ぬよりもつらい、
それでいて人目にはこの上もなく安易な生活を送っていました。
これがわたしがその日その日のパンに追われるような境遇だったらまだよかったのでしょう。
たとえ強い労働にしろ、とにかく何かすることがあれば幸福です。
それともまたわたしがとびきりの大金持ちででもあったらもっとよかったかもしれません。
わたしはきっとその大金の力で歴史上の坊くんたちがやったような素晴らしい贅沢や血生臭い遊戯やその他さまざまな楽しみにふけることができたでありましょうが、
もちろんそれもかなわぬ願いだとしますと、
わたしはもうあのおとぎ話にある物草太郎のようにいっそ死んでしまったほうがましなほど、
さみしく物多いその日その日をただじっとして暮らすほかはないのでした。
こんなふうに申し上げますと、みなさんはきっと、
そうだろうそうだろう。
しかし世の中の事柄に退屈しきっている点では我々だって決してお前に引き劣りはしないのだ。
だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。
お前もよくよく退屈なればこそ今我々の仲間へ入ってきたのであろう。
それはもうお前の退屈していることは今さら聞かなくてもよくわかっているのだとおっしゃるに相違ありません。
本当にそうです。
わたしは何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。
そしてあなた方がそんなふうに退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、
私は今夜この席に列して私のヘンテコな身の上話をお話ししようと決心したのでした。
私はこの開花のレストランへはしょっちゅう出入りしていまして、
12:03
自然ここにいらっしゃるご主人とも心安く、
だいぶ前からこの赤い部屋の会のことを聞き知っていたばかりでなく、
一切ならず入会することを勧められてさえいました。
それにもかかわらず、
そんな話には一も二もなく飛びつきそうな退屈屋の私が今日まで入会しなかったのは、
私が失礼の申し分かもしれませんけれど、
皆さんなどとは比べ物にならぬほど退屈しきっていたからです。
退屈しすぎていたからです。
犯罪と探偵の遊戯ですか。
高齢術その他の心霊上の様々な実験ですか。
アブセンスピクチャーの活動写真や実演やその他のセンジュアルな遊戯ですか。
刑務所や風天病院や解剖学教室などの参観ですか。
まだそういうものにいくらかでも興味を持ち得るあなた方は幸福です。
私は皆さんが死刑執行の隙をくわだてていられると聞いたときでさえ、
少しも驚きはしませんでした。
と言いますのは、私はご主人からそのお話のあった頃には、
もうそういうありふれた刺激には飽き飽きしていたばかりでなく、
ある世にも素晴らしい遊戯、と言っては少し空恐らしい気がしますけれど、
私にとっては遊戯と言ってよい一つの事柄を発見して、
その楽しみに夢中になっていたからです。
その遊戯というのは、突然申し上げますと、
皆さんはびっくりなさるかもしれませんが、
人殺しなんです。本当の殺人なんです。
しかも私はその遊戯を発見してから今日までに、
百人に近い男や女や子供の命を、
ただ退屈を紛らす目的のためばかりに奪ってきたのです。
あなた方は、私が今その恐ろしい罪悪を介護して、
懺悔話をしようとしているか、と早がてなさるかもしれませんが、
ところが決してそうではないのです。
私は少しも介護などはしていません。
犯した罪を恐れてもいません。
それどころか、あなた方は、
私が今その恐ろしい罪悪を介護して、
懺悔話をしようとしているか、
ああ、なんということでしょう。
私は近頃になって、
その人殺しという血なまぐさい刺激にすら、
もう飽き飽きしてしまったのです。
そして、今度は他人ではなくて、
自分自身を殺すような事柄に、
あのアヘンの喫煙にふけり始めたのです。
さすがにこれだけは、
そんな私にも命は惜しかったと見えまして、
我慢に我慢をしてきたのですけれど、
人殺しさえ飽き果てては、
15:00
もう自殺でも目論も他には、
刺激の求めようがないではありませんか。
私はやがてほどなく、
アヘンの毒のために命を取られてしまうでしょう。
そう思いますと、
せめて辻道の通った話のできる間に、
私は誰かに、
私のやってきたことを打ち明けておきたいのです。
それには、この赤い部屋の方々が、
一番ふさわしくはないでしょうか。
そういうわけで、
私は実は、
皆さんのお仲間入りがしたいためではなくて、
ただ、私のこの変な身の上話を聞いてもらいたいばかりに、
会員の一人に加えていただいたのです。
そして幸いにも、
新入会の者は必ず最初の番に、
何か会の趣旨に沿うようなお話をしなければならぬ決めになっていましたので、
こうして今晩、
その私の望みを果たす機会を捉えることができた次第なのです。
それは、今からざっと三年ばかり以前のことでした。
その頃は今も申し上げましたように、
あらゆる刺激に飽き果てて、何の生き甲斐もなく、
ちょうど一匹の退屈という名前を持った動物ででもあるように、
のらりくらりと日を暮らしていたのですが、
その年の春といってもまだ寒い自分でしたから、
たぶん二月の終わりか三月の初め頃だったのでしょう。
ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。
私が百人もの命を取るようになったのは、
実にその晩の出来事が動機を成したのでした。
どこかで夜更かしをした私は、もう一時頃でしたろうか。
少し酔っ払っていたと思います。
寒い夜なのに、ぶらぶらと車にも乗らないで家路をたどっていました。
もう一つ横丁を曲がると、一丁ばかりで私の家だという、
その横丁を何気なくひょいと曲がりますと、
出会い頭に一人の男が、何か狼狽している様子で、
慌ててこちらへやって来るのにばったりぶつかりました。
私も驚きましたが、男はいずれも、
驚いたと見えて、しばらく黙って突っ立っていましたが、
おぼろげな街灯の光で私の姿を認めるといきなり、
この辺に医者はないか、と尋ねるではありませんか。
よく聞いてみますと、その男は自動車の運転手で、
今そこで一人の老人を、
こんな夜中に一人でうろついていたところを見ると、
多分不老の輩だったのでしょうか。
引き倒して大けがをさせたというのです。
なるほど見れば、すぐ二三軒向こうに一台の自動車が止まっていて、
そのそばに人らしい者が倒れて、
うー、うーとかすかにうめいています。
交番といってもだいぶ遠方ですし、
それに負傷者の苦しみがひどいので、
18:02
運転手は何はさておき、
まずは医者を探そうとしたのに相違ありません。
私はその辺の地理は自宅の近所のことですから、
委員の所在もよくわきまえていましたので、
さっそくこう教えてやりました。
ここを左のほうへ二丁ばかり行くと、
左側に赤い剣刀のついた家がある。
ME院というのだ。
そこへ行って叩き起こしたらいいだろう。
すると運転手はすぐさま助手に手伝わせて、
負傷者をそのME院のほうへ運んでいきました。
私は彼らの後姿が闇の中に消えるまで
それを見送っていましたが、
こんなことにかかわりあってもつまらないと思いましたので、
やがて家に帰って、
私はひとりものなんです。
バーヤの敷いてくれたとこへ入って、
酔っていたからでしょう。
いつになくすぐ寝いて、
実際なんでもないことです。
もし私がそのまま、
その事件を忘れてしまいさえしたら、
それっきりの話だったのです。
ところが、
翌日目を覚ましたとき、
私は前夜のちょっとした出来事をまだ覚えていました。
そして、
あの怪我人は助かったかしら、などと
ようもないことまで考え始めたものです。
すると、
私はふと変なことに気がつきました。
いや、
俺は大変な間違いをしてしまったぞ。
私はびっくりしました。
いくら酒に酔っていたとはいえ、
決して正気を失っていたわけではないのに、
私としたことが、
なんと思って、
あの怪我人をM.E.I.N.などへ担ぎ込ませたのです。
ここを左のほうへ2丁ばかり行くと、
左側に赤い剣刀のついた家がある、
という、
そのときの言葉もすっかり覚えています。
なぜその代わりに、
ここを右のほうへ1丁ばかり行くと、
軽病院という外科専門の医者がある、
と言わなかったのでしょう。
私の教えたM.E.I.N.と言うと、
M.E.I.N.は、
M.E.I.Nは、
私の教えたM.E.I.N.と言うのは、評判のやぶ医者で、
しかも外科のほうは、
できるかどうかさえ疑わしかったほどなのです。
ところがM.E.I.N.とは反対側の方角で、
M.E.I.N.よりはもっと近いところに、
軽という外科病院があるではありませんか。
むろん私は、
それをよく知っていたはずなのです。
知っていたのになぜ間違ったことを教えたか。
そのときの不思議な心理状態は、
今になってもまだよくわかりませんが、
おそらくどう忘れとでも言うのでしょうか。
私は少し気がかりになってきたものですから。
ばあやにそれとなく近所の噂などを探らせてみますと、
21:01
どうやら怪我人は、
M.E.I.N.の診察室で
死んだ塩梅なのです。
どこの医者でも、
そんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは嫌がるものです。
まして夜半の一時というのですから、
無理もありませんが、
M.E.I.N.では、
いくら戸を叩いても、
何のかんのと言って、
なかなか開けてくれなかったらしいのです。
散々暇取らせた挙句、
やっと怪我人を担ぎ込んだ自分には、
もうよほど手遅れになっていたに相違ありません。
でも、
そのときもしM.E.I.N.の主が、
私は専門医ではないから、
近所の軽病院の方へ連れて行け、
とでも指図をしたなら、
あるいは怪我人は助かっていたのかもしれませんが、
なんという無茶なことでしょう。
彼は自らその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。
そして、
しくじったのです。
何でも噂によりますと、
M.E.I.N.はうろたえてしまって、
不当に長い間怪我人をいじくり回していたとかいうことです。
私はそれを聞いて、
なんだかこう、
変な気持ちになってしまいました。
この場合、
かわいそうな老人を殺した者は、
果たして何人でしょうか。
自動車の運転手とM医師ともに、
それぞれ責任のあることは言うまでもありません。
そしてそこに、
法律上の処罰があるとすれば、
それはおそらく、
運転手の過失に対して行われるのでしょうが、
事実上最も重大な責任者は、
この私だったのではありますまいか。
もしその際、
私がM.E.I.N.ではなくて、
軽病院を教えてやったとすれば、
少しのヘマもなく、
怪我人は助かったかもしれないのです。
運転手は、
単に怪我をさせたばかりです。
殺したわけではないのです。
M医師は、
医術上の技量が劣っていたためにしくじったのですから、
これもあながち、
咎めるところはありません。
よし、また彼に責を負うべき点があったとしても、
その元は、
といえば、
私が不適当なM.E.I.N.を教えたのが悪いのです。
つまり、
その時の私の指図次第によって、
老人を活かすことも、
殺すこともできたわけなのです。
それは、
怪我をさせたのはいかにも運転手でしょう。
けれど、
殺したのは、
この私だったのではありますまいか。
これは、
私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、
もしそれが過失ではなくて、
その老人を殺してやろうという、
私の恋から出たものだったとしたら、
一体どういうことになるのでしょう。
言うまでもありません。
私は、
事実上、
殺人罪を犯したものではありませんか。
しかし法律は、
たとい運転手を罰することはあっても、
事実上の殺人者である私というものに対しては、
おそらく疑いをかけさえしないでしょう。
24:02
なぜといって、
私と死んだ老人とは
まるきり関係のないことが
よくわかっているのですから。
そしてたとい疑いをかけられたとしても、
私はただ、
下界員のあることなど忘れていたと
答えさえすればよいではありませんか。
それは全然、
心の中の問題なのです。
みなさん、
みなさんはかつてこういう殺人法に考えられたことが
終わりでしょうか。
私はこの自動車事件で初めて、
そこへ気がついたのですが、
考えてみますと、
この世の中は
なんという賢論至極な場所なのでしょう。
いつ私のような男が、
何の理由もなく
故意に間違った医者を教えたりして、
そうでなければ取り留めることができた命を
不当に失ってしまうような目にあうか、
わかったものではないのです。
これはその後、
私が実際やってみて成功したことなのですが、
私はその後、
私が実際やってみて成功したことなのですが、
田舎のおばあさんが電車線路を横切ろうと、
まさに線路に片足をかけたときに、
まさに線路に片足をかけたときに、
もろんそこには電車ばかりでなく、
自動車や自転車や馬車や人力車などが
もろんそこには電車ばかりでなく、
人力車などが
おるように行き違っているのですから、
そのおばあさんの頭は十分混乱しているにそういえありません。
そのおばあさんの頭は十分混乱しているにそういえありません。
その片足をかけた刹那に、
急行電車か何かが疾風のようにやってきて、
おばあさんから二三元のところまで迫ったと仮定します。
その際、
おばあさんがそれに気づかないで
そのまま線路を横切ってしまえば
何のことはないのですが、
誰かが大きな声で
「おばあさん!危ない!」と
どなりでもしようものなら
パチパチ慌ててしまって
そのまま突き切ろうか
一度後へ引き返そうかと
おばあさんが言うと、
おばあさんが言うと、
おばあさんが言うと
おばあさんが言うと
しばらくまごつくに
そういえありません。
そしてもしその電車が
あまり間近いために
急停車も出来なかったとしますと
おばあさん危ないという、
たった一事が
そのおばあさんに大怪我をさせ
悪くすれば
命までも取ってしまわないとは限りません。
さきも申し上げました通り
私は
ある時この方法で
一人の田舎者を
万マと殺してしまった事がありますよ。
D氏はここでちょっと言葉を切って、気味悪く笑った。
この場合、危ないと声をかけた私は明らかに殺人者です。
しかし誰が私の殺意を疑いましょう。
何の恨みもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味のためばかりに殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。
それに危ないという注意の言葉は、どんなふうに解釈してみたって、行為から出たものとしか考えられないのです。
表面上は死者から感謝されこそすれ、決して恨まれる理由がないのです。
27:05
皆さん、なんと安全至極な殺人法ではありませんか。
世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ、相当の処罰を受けるものだと信じて、愚かにも安心しきっています。
誰にしたって、法律が人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。
ところがどうでしょう、今申し上げました二つの実例から類推できるような、少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が、考えてみれば、いくらもあるではありませんか。
私はこのことに気づいたとき、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、
そういう罪悪の余地を残しておいてくれた、増物種の余裕をこの上もなく愉快に思いました。
本当に私はこの発見に凶器しました。なんと素晴らしいではありませんか。
この方法によりさえすれば、対象の生涯に、この私だけは、いわば切り捨て御免も同様なのです。
そこで私は、この種の人殺しによって、あの死にそうな退屈を紛らすことを思いつきました。
絶対に法律に触れない人殺し、どんなシャーロックホームズにだって、見破ることのできない人殺し。
ああ、なんという申し分のない眠気覚ましでしょう。
以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみにふけて、いつの間にか刺し物退屈をすっかり忘れ果てていました。
皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑のように、あの百人斬りを、
もちろん文字通り斬るわけではありませんけれど、百人の命を取るまでは決して中途でこの殺人をやめないことを、私自身に誓ったのです。
今から三月ばかり前です。私はちょうど九九人だけ済ませました。
そしてあと一人になった時、先にも申し上げました通り、私はその人殺しにももう飽き飽きしてしまったのですが、
それはともかく、ではその九九人をどんなふうにして殺したか。
もちろん九九人のどの人になって少しだって恨みがあったわけではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、
私は一度も同じやり方を繰り返すようなことはしませんでした。
一人殺した後では、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのがまた一つの楽しみだったのです。
しかしこの席で私のやった九九の異なった殺人法をことごとくお話しするいとまもありませんし、
30:04
それに今夜私がここへ参りましたのは、そんな九九の殺人方法を告白するためではなくて、
そうした極悪非道の罪悪を犯してまで退屈を免れようとした。そしてついにはその罪悪にすら飽き果てて、今度はこの私自身を滅ぼそうとしている。
世の常ならぬ私の心持ちをお話しして、皆さんのご判断を仰ぎたいためなのですから、
その殺人法位についてはほんの二三の実例を申し上げるにとどめておきたいと存じます。
この方法を発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。
私の近所に一人のアンマがいました。 それがフグなどによくあるひどい強情者でした。
他人が親切からいろいろ注意などしてやりますと、かえってそれを逆さにとって、
目が見えないと思って人をバカにするな、それくらいのことはちゃんと俺にだってわかっているわい、という調子で、
必ず相手の言葉に逆らったことをやるのです。 どうして並々の強情さではないのです。
ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向こうからその強情者のアンマがやってくるのに出会いました。
彼は生意気にも杖を肩に担いで鼻歌を歌いながらひょっこりひょっこりと歩いています。
ちょうどその街には昨日から下水の工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、
彼は盲人のことで片側往来止めの盾札など見えませんでしたから、何の気もつかずその穴のすぐそばをのんきそうに歩いているのです。
それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。 そこで
「やあ、エヌ君。」とアンマの名を呼びかけ、 あ、よく領事を頼んでお互いに知り合っていたのです。
「そら危ないぞ。左へ寄った。左へ寄った。」と怒鳴りました。 それをわざと少し冗談らしい調子でやったのです。
というのは、こういえば彼は日頃の性質からきっとからかわれたのだと邪髄して、左へは寄らないで、わざと右へ寄るに相違ないと考えたからです。
案の定彼は、「へへへへ、ご冗談ばっかり。」などと、こわ色めいた口返答をしながら、
谷庭に反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、 たちまち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、あっという間に一錠もあるその底へと落ち込んでしまいました。
私はさも驚いたふうをよそおうて、穴の縁へ駆け寄り、うまくいったかしらと覗いてみましたが、
33:04
彼は打ち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横たわって、 穴の周りに突き出ている鋭い石でついたのでしょう。一ぶがりの頭に赤黒い血がたらたらと流れているのです。
それから舌でも噛み切ったと見えて、口や鼻からも同じように出血しています。 顔色はもう蒼白で、うなり声を出す元気さえありません。
こうしてこのあんまは、なあでもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、 ついに絶命してしまったのです。
私の計画は見事に成功しました。 誰が私を疑いましょう。私はこのあんまを日頃悲喜にしてよく呼んでいたくらいで、
決して殺人の動機になるような恨みがあったわけではなく、 それに表面上は右に落とし穴のあるのを避けさせようとして左へ寄れ左へ寄れと教えてやったわけなのですから、
私の行為を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意が込められていたと想像する人があろうはずはないのです。
ああ、なんという恐ろしくも楽しい遊戯だったのでしょう。 巧妙なトリックを考え出した時の、おそらく芸術家のそれにも匹敵する歓喜、
そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、 そして目的を果たした時の言い知れぬ満足、
それにまた私の犠牲になった男や女が殺人者が目の前にいるとも知らず、 血みどろになってくらいまわる生妻の有様、
最初の間それらがどんなにまあ私を右頂点にしてくれたことでしょう。
35:00

コメント

スクロール