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2025-01-12 20:11

令和七年睦月の回「だいたいの日本史2」2

ガチャを回して出てきたお題について語る「文ガチャ」

令和七年も、どうぞよろしくお願いいたします。

今月のお題は「だいたいの日本史」です。


ざっくりざっくり、苦手な人に向けて「だいたい」で説明する日本史のお話。

今回はらい堂さんの挑戦で「下調べなしで幕末の歴史!」です。


2週目の今回は『狂乱の京都編』です。

幕末といえばこの頃!という方も多いのではないでしょうか。

ゆっくりのんびりお聴きくださいませ。

サマリー

このエピソードでは、京乱を中心に安政の大国や十四代将軍の徳川家持、ひとつ橋義信の選択について語られています。また、長州藩や新選組、桂小五郎の動きと共に、長州藩の苦悩や計画の崩壊が描写されています。明治維新を背景に、長州藩の活動やその影響について詳しく解説されています。特に、禁門の変や吉田松陰の思想が重要な要素として取り上げられています。

京乱の京都編
はい、ということで、2週目は京乱の京都編です。
はい。
京で陰を踏んでますね。
そうですね。
で、乱っていうのは1回目の遭乱ともかかってますね。
はいはい。
ということで京都が舞台になってきます。
はい。
先週は江戸が舞台でした。
はい。
江戸城とか浦賀とか、江戸っていうか関東辺りの話だったんですけれども。
はい。
安倍政宏とかの影響もあったり。
はい。
いろんな要素があるんだよね、これ。
安倍政宏が割と、政府としては弱腰の対応ですね。
みんなの意見も参考にするよ、みたいなことを言っちゃったのが1つと、
先週の頭の方で言ってる孔明天皇が異人嫌いっていうのも1つの要素だし。
はい。
で、この結果、安政の大国で状況が変わってるんですけど、
安政の大国のときに言い忘れたのは、
十四代将軍が徳川家持になるか、ひとつ橋義信になるかって揺らいだのも、
いい直助の力で十四代将軍が家持になってたりするんですけれども。
結果的に十五代将軍になるひとつ橋義信は貢献的な役割をしてたわけですよね。
はい。
で、その義信は水戸出身なのでやっぱり尊能色が強いんですよ。
へー。
てなことがあって、天皇がどう考えてるのかとか、
貴族がなんて言ってるのかっていうのが重要になってくるので、
話の舞台が江戸から京都に移ってくるということですね。
長州藩の動き
はい。
で、そんな中でめちゃめちゃ早いタイミングから、
いい位置についたのが長州藩です。
あと、戸瀬も多分割と良かったと思います。
戸瀬っていうとどうしても坂本龍馬っていうのがパッと思いつくと思うんですけれども、
坂本龍馬が大活躍する以前に、戸瀬と言えば戸瀬勤納統というのがあって、
竹地藩平太、竹地隋三っていう人が活躍してました。
はいはい。
竹地隋三が活躍する背景で、
反対勢力の要人なんかを切ってたのが岡田勲っていう人で、
よくいわゆる人切り勲って言われる人ですけども、
あの人なんかは竹地の支持で、
そういう大物?
反対勢力の大物なんかを暗殺するみたいなことをしてたと。
ちなみに長州には人切り勲と言われる人はいないんですね。
漫画の世界では人切り抜刀祭がいますけど、
嘘でした。
長州に人切り勲って言われる人がいないから、
あえてそこに置いたんじゃないかと思うんですよね、漫画的にも。
薩摩は2人ぐらいいるし、
田中新兵衛と、誰だっけ?
中村半次郎だっけ?
っていう人切りがいたりするし、
全然薩長の日とかじゃないけど、川上玄才とかも人切りですね。
川上玄才はちなみに佐久間翔さんを暗殺した人なんですけど、
そんな感じでいろんな暗躍する人たち。
こういう例えをするのも微妙ですけれども、
学生運動的に若い人たちがいろんな暗躍を始めるわけですよ。
新しい時代を作ろうとするような人たちが。
長州は藩自体がそういう傾向だったので、
苦行に取り入って苦行から天皇に上層するとかして、
いろんなことが起こっていくんですけれども、
その結果として将軍の上落とかいうことにもつながってきますね。
要するに天皇に命じられて将軍が天皇のもとに来るっていう状況が起こるので、
新選組の介入
世間的に見て、やっぱりなんだかんだで天皇は偉くて、
将軍とはいえ徳川家なんて天皇から見れば、
言われたら言うこと聞くしかない立場だっていうような印象を与えたんですよね。
これはわりとプロパーガンダ的な意味合いが強かった。
吉野の行行家なんかに、
つゆ払いじゃないけど、
家持が先導したのかな?みたいなことがあったりしたっていうのもあります。
一方で、後の徳川義信、一橋義信も京都に入ってます。
義信はもともと頭もいいし、
このぐらいの頃はイエス・イライノって言われるぐらいの評価だったみたいですけど、
しかも勤納、尊納っていうタイプなので、
孔明天皇にめちゃめちゃ気に入られてたんですよね。
そんな信頼を得てると。
吉野部は割と天皇に直に近い形で信頼を得てて、
長州藩は苦行を通して天皇にいろんなものをお願いしたりしてるというような状況がありました。
嫌な状況じゃないですか、徳川方からすれば。
もう一つ、長州がやりたいほどやってる状況をよく思ってないところとしては、薩摩藩があったんですね。
薩摩藩は、五健康会議とか四健康会議とかにも藩主とかが名を連ねてるぐらい。
割と幕府寄り。幕府とのパイプがあるけど、
解明的な、革新的な思想を持ってるけど、幕府とともにやってるみたいな感じ。
だった薩摩藩は、徳川と手を組み、8月18日の政変というのを起こします。
これにより長州藩は京都にいられなくなります。
政権側がクーデターを起こしたような状況になっていて。
だんだん勢力を上げていった長州側は、もう京都に居場所がないというような状態になってしまったと。
長州と天皇のパイプ役をやってた七郷って、三条三根富とかいろんな九郷がいるんですけど、
この辺の人たちはもうやっぱり、京都というか都にはいられなくなって、長州藩主たちと一緒に長州に落ちていきます。
これを七郷落ちと言います。七人の九郷がね、京都から長州に逃れていったので七郷落ちと言います。
長州としては大ピンチなわけですわ。
で、何とかしないといけないと。どうする?ってなった時に長州藩主の吉田利丸とか、
比古だったかな?宮部邸蔵って言ったかな?とかっていう、クーデター的に旧神的に政権を転覆させようというような雰囲気のある人たちが計画したのが、
京都に火を放ってその隙に天皇を連れて天皇を長州に持ってって、長州に都を置くっていう計画だったんですね。
大胆な計画なんですけれども、この計画を練っているということ自体が新選組にバレます。
急に出てきましたけれども、新選組。黒骨雷光当時は江戸の方にいました。今でいう新宿区あたりにいました。
で、剣道道場にいたんですけれども、ちょっと話が複雑になっちゃうけど清川八郎っていう人が動いて、乗せられて京都に来て、
最初言ってた話と違うってなって、いろいろゴタゴタするんだけど京都に残ることになると。
結果的には藍津藩の中に組み入れてもらったような感じかな。外部組織みたいな感じかな。
になります。ということで、実際にやってたのは、よく言えば警察的な動き。反乱分子みたいなのを取り締まる。
みたいなのは初目的ですが、できた当時の頃は、こっちの親分もヤクザみたいな人だったんで、借金踏み倒したりとか、
相撲取りと喧嘩したりとかいろんなことをしてたんですけども、その人は親戚組織の中で粛清されて、もう少しまともな組織になって、
いろんな市中見回りとかをしてる中で、そういうことがあるらしいよってことを見つけて、会議してるところに踏み込んでいって、
吉田俊丸なんかを殺害したり、ほとんど殺したんじゃないかと捉えたって話はあんまないと思うんですけれども、
クーデターを計画してた人たちを退治したのが、俗に言う池田矢事件ってやつですね。
この時、実は桂小五郎っていう長州藩の割と上の方の人、明治維新の三英傑と言われる後に木戸孝義という名前になる人ですけれども、
この人もこの会議の場には来ることになってたらしいんですよ。
この辺も話が本当なのってところがあるんですね。小説だったり、もしくは講談みたいなもので語られてることなのかもしれないんですけど、
1回来たんだけど、時間を間違えたのかたまたまなのかわからないけど、とにかく早すぎたみたいなんですよ。
じゃあ出直すかって言って、出た後で一旦帰って、その間にみんなが集まって、そこに新選組が入ってきて、結果的に桂小五郎は南を逃れたと。
だからまともな時間にいたらそこでもしかしたら切られてたりすると、維新の三英傑に名前が残せなかったかもしれないと。
そうですね。
いうようなことがありました。
まだ長州の苦悩は続きますね。
ちょっと無謀気味な計画だった吉田敏丸の計画が崩れて、これはさすがに孔明天皇もお怒りになるわけですよ。
我が都を焼いて、自分をどうするかはともかくとして、自分の命を取ろうとしたわけじゃないにしても、お住まいになってる皇居とかも焼き払うっていうような感じなわけだから、許せるわけないじゃないですか。
そうですね。
で、もう完全に長州は圧倒的な不利な状況になります。
はい。
もう何とかしなきゃダメじゃないですか。長州側からしたら。
はいはい。
長州って、話を遡らせると1600年とかまで話が昇るわけじゃないですか。
はい。
1600年は関ヶ原の戦いなんですけれども、その時の西軍の形式上の対処が毛利ですよね。
はい。
西軍に敗れて、もともと中国地方の10ヶ国を所領としていたのを長州、正確に言うと長都。
はい。
長州藩の活動
長都と州の2ヶ国に、5分の1にされちゃうみたいなことがあって、それでも命が助かっただけましか、家が残せただけましかっていう状況で250年ぐらい過ごしてきたと。
ええ。
ずっとやり返したいわけですよ。
そうですね。
で、これも柴良太郎の小説からの受け売りなんで嘘かもしれませんが、お正月の挨拶、これ多分嘘だと思うんですよ。
嘘だと思うんですけど面白いんで言っておくと、お正月の挨拶みたいなのするじゃないですか、みんな。
都の様のところにみんながいてね、偉い人たち。割と武士の中でも上の方の人たちがいて。
で、それこそ柴良太郎が、都の今年はいかがしましょうっていう話があるんですよ。
はい。
で、それに対して、いやまだ早いっていうような感じのことを都の様が返すっていう議例が毎年行われていたと柴良太郎は書いてるんですが。
はい。
柴良太郎は何のことを言ってるかっていうと、徳川を倒すための決起をするのは今年じゃないのかっていうのに対して、まだ時期早生だよっていうのを250年くらい言い続けてるっていうふうに小説には書いてあります。
えー。
で、やっぱりそういう思いはあったはずで、明治維新がなってしまうと、天皇の下、市民平等みたいな話になってきて、全然思ったのと違う世界ができてくるんだけど。
はい。
刀をつけていて、ちょまげ打っててっていう人たちにとって、徳川政権が崩壊したら誰が次の幕府を開くのかっていう考え方だったはずなんですよ。
そうですね。はい。
なので、そこにチャンスがあるんじゃないかって長州藩は長州藩としては思っていても全然不思議じゃないと。
はい。
そんな中で、この1回ね、京都で割といいようにやってたのがピンチに陥って、もうだからって諦められる話ではないんですよね。
えー。
それで、一部の長州藩士が軍隊としてもう一度京都を目指します。
はい。
で、この時には長州でいうと、吉田松陰ってさっきちらっと名前出した、学者といえば学者だし思想家みたいな感じの人なんですけれども、
この人が開いた松下尊塾っていう塾があって、そこの弟子の中で始天皇と言われた、松下尊塾始天皇と言われたのが、
はい。
ちらっとだけ名前を出した高杉晋作とか、池田家事件で死んだ吉田俊丸とかがいるんですけど、
はい。
他の2人が久坂玄瑞と入江久市っていう人なんですけど、
はい。
この2人はこの禁物編っていうのに参加しています。
えー。
もう1人、松蔭とは関係ないおじいさんですげえ威勢のいいおじいさんがいたんですけど、名前忘れました。
はい。
で、その禁物編っていうのは事実上の戦争というか戦ですかね。
はい。
薩摩、藍津、桑名、徳川家あたりが、
桑名。
徳川というか将軍家が皇居を守る側。
はい。
で、長州藩は皇居に攻め入る側という形になります、図式としては。
えー。
でもこの時点で逆属は逆属なんですよね。
そうですね。
皇居に弓を引く、もしくは大砲を撃つという感じになるので、
はい。
これで勝てばまだなんとかなる、それこそ勝てば官軍かもしれなかったんですけれども、
えー。
勝ちきれないというか負けてしまいますね。
あー。
この時のエピソードでこれも口談ネタみたいな話なんですけれども、
はい。
えーと、守備側でめちゃめちゃ反応が早かったのが一橋義信で、
はい。
何かあったってなってもすぐ馬に乗って動き出したと。
えー。
で、一方で長州藩のすごい早めに仕掛けた名もなき武士、
2人ぐらいいるらしいんですけど、
はい。
すれ違ったらしいんですけど、
はい。
あまりに相手が早すぎるので、お互いに味方だと思ってスルーしたっていう話があるんですよね。
ね。
こんなとこまで攻め込んできてるはずないと思ってるのが義信で、
えー。
こんな早く対応できる相手がいるわけないって思ってるのが長州の藩士。
えー。
で、味方だと思ってお互い斬り合ったりとか攻撃したりとかすることなくすれ違ってしまったっていう嘘みたいな話があるので嘘だと思います。
はい。
はい。
まあそんな感じで、えーとそうですね、いい感じですね、時間的にも。
はい。
まあこの後ももうちょっと京都が動いてはいるんですけれども、
まあ一旦京都の騒乱っていう意味ではね、
はい。
やっぱり長州が調子良かった時と悪かった時があって、
まあまあ本当はね細かいこと言えば竹内アンペ太も調子良かったのかどうにかなっちゃったとかいう話もいろいろあるんですけれども、
えー。
えー。
えー長州の、まあエコ精髄みたいな流れと、その間に新選組が絡んできたよっていう感じの、
はい。
京都編でした。
吉田松陰と禁門の変
はい。
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