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文ガチャは、ガチャを回して出てきた番組についてのんびりおしゃべりするポッドキャストです。
はい、文ガチャ神無月の回、椿雷道です。
さくやです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
えーと、前月、神無月の回の最後にガチャを回して出てきた番組が、「しょうわがたり」でしたね。
はい、満を持して。
ということです。
そうですね、「しょうわがたり」は、ある意味では僕のライフワークなのかもしれん。
はい。
けれども、「しょうわがたり」っていうのをやっていこうと思います。
はい。
一応、「しょうわがたり」そのもののコンセプトとしては、
昭和の最後の10年ぐらい、にありイコール1980年代のことについて話すというテーマで。
ちなみに昭和の終わり10年っていうのが、1979年の1月7日から1989年の1月6日までかな。
ちょっと1日ぐらいずれてるかもしれないけど。
はい、そんなもんですね。
89年はほぼほぼ入らないんだけど、79年はほぼほぼ入ってるんだけど、
だいたい80年と1年ずつ前後するっていうだけなので、
80年代と考えてもらってもいいですよっていう感じの話ですと。
はい。
で、今回その中でも何の話するかっていうので、テーマとして僕が選んだのが、
テレビのクイズ番組です。
最近はね、東大王とかそういうのがブームになって、またクイズ人気っていうのが上がってると思うんですよ。
はい。
で、その前は、いわゆるおバカキャラみたいな形でのクイズブームっていうのがあったんだけども、
もっともっと遡ってこの昭和語の時間帯に行くと、結構な数のクイズ番組がやってたんですよ。
そうですね、はい。
まずざっくりと、順番としてはテレビ局順なんですけど、関東の東京エリアの当時のチャンネルの順番で言うので、
NHKから始まってっていう感じになるんですけれども、
Wikipediaでさらった感じなので、ちょっと微妙によくわかんないところがあるんですけど、
だいたい各局ごとは古い順だと思うんですね。
はい、そうですね。
若干違うところもありますっていうところもあるので、そこはあんまり考えない、気にしなくていいかなと思ってます。
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では早速紹介していきます。
各局で、ない局もありますが、だいたい番組かは選んでるんですが、
まず1個目、NHK。NHKは1個だけなんですが、クイズ面白セミナー。
おー懐かしいですね。
ご存知ある。あるよね。1981年から88年なので、
ちっちゃい頃でも見て面白い番組だし、80年代がほぼほぼまるまる入ってる感じなので。
日曜日の19時20分から20時ということで、これが終わるとタイガードラマが始まるっていう感じだったんですね、当時はね。
そうですね。
鈴木賢治さんっていうNHKの名物アナウンサーの方がいて、独特な語り口でやっていて、
あとあれなんですよね、ゼミナールっていうテーマタイトルでやってたので、
一応鈴木賢治さんが先生役みたいなニュアンスがあったので、
割と口調が命令口調みたいなスタイルでやってたのが、ちょっと批判を浴びたりしたってことがあったような記憶があります。
そうなんですね。
何々しなさいとかっていう言い方を先生っていうキャラとしてやってるんだけど、見てる方では不快に思う人もいてっていうようなことだったんだと思います。
そんな感じのクイズ面白ゼミナールがありまして、続きまして日本テレビ系列、読売テレビとかそっち系の系列からは2番組で、
1つがクイズ世界は商売商売。これは結構昭和の方では本当に終わりの終わりで、1988年のスタートで、
終わったのは平成に入っている1996年まで。
当初はね、いつみさん、いつみまさたかさんが司会をしていて、途中で亡くなってしまって、ちょっと名前が変わったりして続いたというふうな経緯もあるんですけど、
水曜日の20時から21時。こういう言い方はしないんですけれども、世界系のクイズが流行ってた時代でもありまして。
それで日テレでは、日本テレビ系列ではクイズ世界は商売商売。世界はって入ってるってことは世界の各地のことを取り上げるという意味で、
商売商売。商はステージの商の商に倍。BYで、その後の商売がカタカナ表記で商売なんですけど、こっちのカタカナ表記の商売の方が要するに売り買いするの商売の意味ということになっているので、
お金とか商売に関する問題で、ルーレットがあって、各問題ごとにルーレットみたいなのを回して、
出た数字っていうのが正解した時にもらえる金額が変わるみたいなシステムだったのかな。
回答者にジャイアントババさんがいたのもちょっと話題のところで。
そうでしたね。
ルーレットを押す力が強くて、回答者席のセットが壊れるみたいなことも起こったりしてて。
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ありましたね。
さすがだなってところだったんですけど、そんな懐かしい。
あと横取り40万とかがこの番組の肝でしたよね。
50万とか10万とかっていう金額が出る中に横取り40万っていうのが入っていて、
ルーレットでそれが出て正解すると、単に40万点がゲットじゃなくて、人の点数を奪えるっていう形。
そんな精度もあるっていうところが独特な感じでやってましたね。
そうですね。ミリオンスロットっていうのが。
ああ、そうだ。そういう掛け声でしたね。懐かしい。
懐かしいです。
そうだね。いつみさんと一緒に副支配人的な、他でも副支配人みたいなことをやってる渡辺正幸さんが一緒にやってたりしたんですよね。
続いて日本テレビ系もう一本は、クイズ笑って許してが笑って許してに変わって、
ずっといって最終的には今の笑ってよろしくに繋がってる枠ですね。
クイズ笑って許してと笑って許してに関してだけで言うと1983年から1986年かな。
その後名前が変わったりして続いてるという感じで。
これが火曜日の7時から7時半。
わりとシルエットクイズ的なこともやってたりしたし、
あと司会が所定さんなので、その所定さんのバイタリティであったり、
アレンジの仕方で大胆にヒントを出すこともあれば、
シブく出すこともあるしみたいなその辺のかさじ加減を、
司会者に委ねてるっていう色がわりと濃い番組だったかなという印象で。
今やってる番組に繋がってったらダーツの旅とかにもなってってるんだけど、
わりと普通にスタジオで答える普通のクイズ番組でしたけどね。
笑って許して自体は。
そうですね。
次がTBS系なんですけど、僕が好きなのもあるかもしれないし、
子供の頃親が好んでチャンネルを合わせてたのかもしれないんですけど、
ここはちょっと数が多いです。
まずはクイズ100人に聞きました。
1979年から1992年月曜日の放送で夜7時から7時半ですね。
関口博史さんが司会で。
基本的には家族で1チームのチーム対抗戦。
1チームが5人構成かな。
まず100人にインタビューした答えに基づいた、
100人が答えた答えを当てるっていう形で、
一番回答数が多かったものから、
1、2、3とランキングというか順位がついていて、
その人数分が点数になってたんだっけな。
あまり覚えては、詳しいことを覚えてはいないんですけど。
そうですね。ランク外のもの、答えが不正解だった場合、
ランク外だった場合は×印がつくんだけれども、
これが3つつくと相手チームに回答権が移るというスタイルで、
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最後にハワイ旅行か何かのクイズに挑戦するっていうのが
お決まりのパターン。当時すごく多かったんですよね。
海外旅行が商品になっている素人参加型クイズバージョンが非常に多くて。
その中の一つの答えで、形で、
これはワードとしては、あるあるあるあるって観客が言ってるっていうのが特徴的なところ。
入ってる入ってるっていう意味でね。
そうですね。パネル、これ100人に聞いてるけど、
少数意見は入れてないので、実際には全部を足しても90ちょいぐらいしか
いかないことが多いんですけど。
そうだったんですか。
そうそうそう。答えが4つとか言ってるんだけど、
その他が1人しか答えてない少数意見が5個とかあると、
5個っていうか6個とかあると入れられないじゃないですか。
9つの枠に収まらなくなっちゃうとかもあるので、そんなこともあったんですけど。
それで答えたものが、答えは4つって言ったら4つの中にあるぞっていう意味のあるあるあるっていうのは、
応援席から観客席からコールがかかるという。
後にね、関口博史さんに繋がると言うと、
フレンドパークでパジェロコールが起こるのとちょっと雰囲気似てますよね。
確かにパジェロってやつですね。
そんな感じがありましたね、クイズ100人は。
だからクイズ100人に聞きましたは、面白ゼミナールもそうかな。
素人参加型ですね。
で、クイズ100人も素人参加型という形です。
で、商売商売とか笑っている人はタレントさんが回答者になってる時代ですね。
クイズ100人に聞きましたが、月曜日の夜7時から始まった、その同じ年から始まってる、
月曜日の夜7時半からが人生ゲームハイ&ローなんですね。
こちらはやってた期間が非常に短くて3年ぐらいで終わっちゃって、
なんか全然違う時間帯に移動したりしたみたいなんですけど、
こちらがサラリーマン設定で平社員、係長、課長、部長、専務常務社長だったかな、
なんかそんなような感じになってて、
サラリーマンとして10何末とか進むと係長に上がるみたいな形になっていて、
それをクイズの答えでランキングが、ランキングというか階級が上がっていくというスタイルの問題だったというところと、
あとは一定の、まあハイ&ローってそのまんまで今でもね、
いろんなバラエティ番組とかでも使われるけど、一定の数値に対して、
例えばあり得ないぐらいイージーな問題の例になっちゃいますけど、
スカイツリーは650メートルより高いか低いかみたいな、
そういうような意味の基準値をつけて、それより上か下かを当てるというスタイルのクイズ形式というかどうですかね。
さらにさらに、その頃にはすでに始まってた番組は、月曜日が今2ついたじゃないですか、7時と7時半があったじゃないですか。
火曜日の7時半からはぴったし間隔。
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これは1975年なので、さらに4年遡った時から始まっているけれども、1986年まで続いているので、
100年に聞きましたとか、ハイ&ローがやってる時にはもうやっていたという感じ。
だから本当にここまでで、7時から8時っていう時間帯に2日間で3番組やってるっていうTBSのクイズ力。
そうですね。
すごい集中させてやっているっていう感じなんですよね。
75年。
75年から86年まで。
今ね、あずみさんがやってるピッタン交換官の元と言えば元。
そうですね。
司会が久米博史さん。
問題文とか長いセンテンスのうちの一部を隠す時の隠す部分、
クイズ問題文とかだと四角で書いてあってハテナとか書いてあるような部分のことをホニャララって言い出したのは久米博史さんがここで言い出したのが多分始まりだったと思います。
ホニャララがホニャララしてこうなりましたとかそういう言い方をされていて。
これもやっぱりシルエットクイズじゃないけどゲストの方は当てるような問題があったり。
あと回答席が特殊で、2チームのチーム戦なんだけれども、キャプテンは固定でコント55号の萩本錦一さんと坂上二郎さんで、
坂上二郎さんのチームはタレントさんがパネラーで二郎さんのほかに3人かな。
おひょいさんとか藤村隼士さんとかなんかがいたんですけれども。
一方の金ちゃんの方は金ちゃん以外に3人いるのが一般の方。
なので芸能人対一般人で戦ってるような図式になる。
一般人の方が間違ったりまごついたりするのをフォローするのが上手いのが金ちゃんなので、金ちゃんがそこのキャプテンをやってるっていう感じの形式になってましたね。
やっぱりクイズ100人に聞きましたとちょっと近いスタイルなんですけれども、回答権が回答者、チームの回答者が順番に答えていって、
不正解が一定数たまると相手チームに答える権利が移る。
ちょっと野球っぽいんじゃ野球っぽいんでしょうね。
この番組馴染みがなくてですね、私見てなかったんじゃないかと思うんですけど。
でもそうですか、86年までだから100人に聞きましたとかに比べると終わったのが早いといえば早い感じですね。
割とわちゃわちゃしていて、知識系クイズとかとは違ってちょっとバラエティ番組的なテイストは強め。
おひょいさんとかは特に天然ボケっぽい答え方です。答えが多いようなキャラクターっていうのもあったので、そんな感じですね。
その次、これは時代があんまり、さっきまでの100人に聞きました、ハイ&ロー、ピッタン、シー、カンカンとはかぶったりかぶんなかったりぐらいのタイミングなんですけど、
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1983年から始まって1992年までやっていた水曜日の夜8時の番組。
クイズ番組としては変化球かな。ワクワク動物ランド。
それは見てました?
動物の紹介の方がメインっぽいけど、形式としてはクイズ番組の形をしていたので、クイズ番組になるんですけれども。
おそらくエリマキトカゲが、エリマキを広げて二本足で走るっていう映像は、この番組で取り上げられて話題になって、車のCMとかでも使われたりとかっていう形で話題になっていたっていう感じでしたね。
これも関口さんですね。
そうですね。
やっぱりすごいTBSのクイズといえばっていうところがあるのかもしれないです。
続きまして、これはちょっとまた古めの時代からの番組ですが、日曜夜7時から。
1963年から1985年までやってました、アップダウンクイズ。
知ってる感じが、知ってはいるけどぐらいの感じなのかな。
知ってはいます。見てもいました。
なるほど。じゃあまあ知ってる方ですね。
一本みたいな座席に乗って、上がっていったり下がっていったりしてましたね。
一本正解することに、ゴンドラっていうのかな、二人乗りの回答席みたいなのが箱状になっていって、それがレールというかレーンのところを一段ずつ上がっていって、十問正解すると勝ち、優勝みたいな。
で、間違い何回でダメだったかわかんないけど、間違いが重なる以降でもダメだったか忘れましたけど、7段目とかまで上がってても一気にゼロまで戻っちゃうみたいな制度もあって。
急降下はしないけど、やっぱりちょっと怖い感じも子供の頃はイメージとしてはありましたけどね。
そうですよね。
っていうクイズ番組で、これは完全に素人参加型クイズ番組だったので、
しかも二人組とかでやってたと思うんだよな、回答席のイメージとして。
で、わりとガチ目なクイズ番組。
一般の方の参加だけれども難易度も高かったりするので、後のね、初期のクイズ王的な人たちが出てきたときに、アップダウンクイズでの経歴っていうのを一つの、他にもある中で一つの指標にはなっていたと思うんですよね。
で、順番がごちゃごちゃしてきましたけれども、TBSKではあと残り二つですかね。
どちらもあの方、大橋巨仙さんの番組ですね。
一つが1976年から92年までやっていた土曜日の夜7時半から8時、クイズダービーですね。
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そしてもう一つが1983年から1990年までやっていた木曜日の夜8時から9時、どちらかというとちょっと深めな時間帯の方で、世界丸ごとハウマッチと。
この2番組が巨仙さんがやっていたクイズ番組としては名高いですね。
クイズダービーの方は、クイズに答えるのはタレントさん。
タレントさんというと語弊があるんですけれども、1枠が大学教授、2枠がアイドルとかタレントか、3枠が漫画家、4枠が女優、5枠がゲストっていう設定だったと思うんですけど。
その人たちの回答が当たるかどうか、誰が当たるかを予想する側が2人1組の一般の人が出ていて、その枠がだから2人1組が3組出ている形。
これもネタ的によく使われるのは原平さんに全部とか竹下恵子さんに3000点とかっていうのが元ネタというかね。
元はこれですよっていうやつなんですけど。
さくやさんも見てました。
見てました。
さくやさんが見てた頃はどんなメンバーでした?
えっと。
1枠が大学教授。
篠沢教授。
篠沢教授。で、2枠が竹下恵子さんで。
竹下恵子さんはずっと4枠です、多分。
あ、そうですか。で、3枠が原平さん。で、4、5があやふやなんですよね。
4が竹下恵子さんで。
あ、そうですか。
えっとね、2が、僕が知ってる一番古いのは南田陽子さんで、その後は宮崎義子さんで、その後は井森美雪さんかな。
へー。じゃあ2枠があやふやなんですね。
そうですね。宮崎さんが長かった気もするけど。
で、今みたいな漢字女王みたいな漢字じゃなくて、どっちかというとできないキャラとして出てた。
だからオツの高い方のキャラクターでしたね、当時の宮崎。
なので僕も、原平さんと竹下恵子さんはずっと変わらなかったのでそのまんまなんだけど、
篠沢教授がずっと長くやっていらして、その後、それこそハウマッチが始まった後ぐらいに北野さんに、北野…マサルさんか。
はい。
ビートたけしさんの、北野たけしさんの。
はい、マサルさん。
マサルさんがやられて、お勤めになられて。
で、2枠はさっきも言ったように、南田陽子さんで、長戸ひろゆきさんの奥さんだって。
奥様ですね、はい。
から始まって、僕は知ってる範囲ではね、始まって、その後宮崎由子さんの時代があって、
現役女子大生グラビアアイドルみたいなことをやってたような時代のちょっと後ぐらいの話だと思うんですけど、
まだまだアイドル感がある感じで出てた頃で、でその後は井森美雪さんになって、
井森美雪さんの時は、1枠が北野マサルさんだったのかな、ぐらいのイメージで、
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北野さんになって、後に巨仙さんがセミリタイヤされて、
徳光和夫さんに司会も変わってるのかな。
なるほど。
ちょっとウロ覚えなので、タイミングは微妙ですけど。
はいはい。
で、一方で、世界丸ごとハウマッチは、司会はもちろん巨仙さんのままなんだけど、
回答者にクイズタービーとは違うタイプの人を並べようということで、
ビートたけしさんであったり石坂浩二さんであったりというところが並んで、
で、あと問題の読みが小倉さん。
小倉さん。
徳種の司会の。
へー、そうでしたか。
小倉智明さんだっけ。
はい。
ずっと徳種やってた小倉さんが問題文読みをやってたの。
問題文とかレポート?VTRにナレーションつけるようなやつ。
クイズ世界は商売商売の方は、立川忍さんがそういう同じようなことをやってたんですけど、
その辺で小倉さんが当格を表すきっかけにもなってるっていう側面もあったりします。
なるほど。
というところがTBSで結構やっぱり長くなったんですけど、ここが一番。
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