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2022-07-10 20:02

文月の回「朔人一首3」2

ガチャを回して出てきたお題について語る「文ガチャ」


今月のお題は「朔人一首」です。 今月は「天皇が詠んだ和歌」をテーマに8首をご紹介いたします。 

2週目の今回は「陽成院」「光孝天皇」が詠んだ和歌です。 お時間のある時に、のんびりとお聴きくださいませ。

00:13
では、今度は時代がちょっと下ります。
57代天皇、養成帝、養成天皇、です。
歴史的にはほとんど出てこないですね。
聞いたことないという方も多いのではないでしょうか。
ピンとこないですね。
そうですね。
869年に生まれて、949年に亡くなっているので、
時代としては、藤原さんたちがかなり強くなってきた頃。
なるほど。平安京の前世紀みたいなもんですかね。
そうですね。
この人も激動です。
生後3ヶ月で皇太子になって、9歳で上位されています。
9歳で天皇陛下です。
でも上位だから、先代が生きてはいるんですよね。
そうですね。
よく譲りますよね、そんなちっちゃい子に。
そうなんですよ。しかも先代有名人なんです。
そうですね。
清和天皇、清和源氏の元とされる清和天皇ですね。
9歳ですから、藤原さんたちがなんとか潜り込もうとして、
摂生・観伯などを務めるわけですが、
最初は良かったんですけれども、だんだんと不中になっていきます。
在位8年というので、17歳ぐらい。
病気を理由に上位した。
すごいな。
ただし、これはかなり怪しい感じです。
当時、宮中で天皇の馬の子供、目の都子が殴り殺されたという事件が起きました。
しかもその犯人が養成帝ではないかと。
おまけにかなり性格がよろしくないというか。
荒々しいというか。
刀剣を好み、代理で馬を乗り回し、
密かに動物を飼うなど異常な行動の噂がたくさんありました。
その辺を理由に、大位させられたのではないかという噂もあります。
そうか、なるほど。
03:00
ちょっとヤンキーっぽいですよね。聞いた印象としては。
そうですね。精神的に病んでいらっしゃるのではないかという。
という見方にも当然出てくると思うんだけど。
そうでないにしても、そういう喧嘩早かったり、戦うみたいなことに対して興奮する立ちだったりとか。
戦国時代とかでもそう思うんですけど、
馬乗り回すのが好きな人って、今でいうとオートバイ乗り回すのが好きな人と近いのかなってよく思うんですよね。
なるほど。
そう思うと、いわゆるヤンキーっぽいイメージになるなーなんて思いながら、お話聞いてましたけど。
なるほど、そうかもしれません。
そんな方が作った歌は、かなり色気がある歌です。
なるほど。
つくばねのは、つくばさんですか?
つくばさんですね。
つくばさんって関東にあるあのつくばさんでいいんですか?
そうです。今の茨城県ですね。
あそこ古くから結構出てきますね。
そうなんです。山頂が如泰山と南泰山という2つに分かれているので、万葉の頃からよく歌に読まれています。
なるほどね。
時代下って平の正門とかもあの辺で拒閉したりしますよね。
そうですね。
もっと時代が下ると江戸川が関東の中心になってくるけど、あそこら辺は湿地帯でどうにもならなかったという時は、
わりとその辺、茨城県から千葉県、今でいう県境辺りぐらいが、わりと関東の一つの中心。
神奈川の方は神奈川の方でまたあったんだろうけど、みたいな気はしますよね。
つくばさんはよくそういう意味でも話題になる気がして、そのつくばさんはその壇上に分かれているっていうのは、そこでいわゆる色恋の例えにしやすい山ってことですよね。
はい。
三丁の方から出てくる、南の川。男女の川と書いて南の川と読みます。
それはやっぱり三丁からの話のつながりで、男女男女できているっていうことですもんね。地名というか川の名前としては。
はい、そうですね。
そのまんまもう恋とつもりで、もうダイレクトにそういう話になってますよね。
06:00
そうですね。恋心がだんだん募っていって、細かった川の流れがだんだんと太く強い流れになってくるというイメージと重なってきます。
なるほどね。
ストーリーというか歌としてはシンプルな感じなのと、恋愛の話という意味でいうと、色恋的に情熱的な感じもして、
僕がさっき勝手に立てたヤンキーっぽさともいい感じで相性良さそうな歌のような気がしてますね。
そうですね。はい、確かに。
そんなお色気のね、ちょっとあるというか。
そうですね。
でも具体的に誰がどうって話でもないんですよね。特定の人がいる雰囲気があるわけでもないですよね。
わけではないですね。
いわゆるあの人がみたいな感じの言葉は出てこないですもんね。
そうですね。一般的な感じですかね。
ですね。
かなり若くして退位させられたんですが、させられたというか上位したというか。
そこから先、上校歴65年。かなり長生きをされました。
上校として65年ってこと?17からだからというか。
はい、そうです。
82年くらいか。82歳くらいってことか、去年は。
はい。
まあでもそんなに実験はなかったようです。
ないんだ。
ないんです。まだ藤原さん家がとても強くて。
強いから。子供の時はしょうがなかったけど、年齢重ねて何だかんだで実力が伴ってきたりとかするのかなと思ったけど、ただただ長く生きたっていう感じなんですね。
そうなんですよ。
まあいいんじゃないですかね。長生きはいいことですし、生きられるのであればそれなりに幸せな人生な気もしますね。
まあまあね、それはそうです。ただ65年はちょっと長かったようで、2位が50年なので、かなり長かったという感じです。
退位後は何度か歌合わせも催しているそうです。
火災はあったらしいのですが、残された歌は一首のみ、この一首のみとなっています。
でもやっぱり文化人みたいな生き方がそれなりに楽しめてたような雰囲気はしますよね、自分でもそういう歌の会とか開くみたいなね。
ええ、そうですね。
そんな感じですね。
ではその次、養成帝の後は、こちらは天皇で呼ばれますね。皇后天皇。
皇后天皇。何代になるだろう。
58代です。養成帝の後を継いだ方です。
09:03
ああ、ほんとだ。なるほど。
この方、17歳、18歳の養成帝の後を継いだのが55歳の皇后天皇。実は養成帝のおじいちゃんの弟になります。
はいはいはい。
だいたい第一史が継いでいくものですので、弟たちは不遇の日々を。
一旦外れますよね、どうしたってね。
そうなんですね。それがやっと戻ってきたというか、俺の番が来たという感じでしょうか。
でも55歳で継いで、即位後も辛かった時代を忘れないようにと、自分が数字をしてすすがこびりついた部屋をそのままにしていたそうです。
いわゆる次男というか、着男の弟という位置にいて、不遇にいて、いろんな要素があって結果的にお鉢が回ってきて、天皇になれて、ただ苦しかった時のことも忘れないという気持ちもあって。
でもやっぱり藤原が強かったから、政治的に何かができたというわけでもないんでしょうね。
そうなんですよ。この方もちょっとかわいそうな感じの方ですね。
天皇家って割とこのぐらいから貴族の時代から封建制の間ずっと、実権を握る機会というのは極めて少ないですもんね。
そうですね。
割とどうしても、その下にいる人が実際の権力を握っているという形になりがちな。
道乱の時代には多少、要は天皇に誰が気に入られるかという要素は出てくると思うんですけど、実際に国の指揮を取るみたいなことはなかなか、この後出てくる方もあまりそういう体験をしている人は少ないのかなという気はするけど。
そうですね。
養成帝を退位させたとも言われる藤原さんの藤原元恒さんが、やはりこの人にも感覚としてついていましたので、名ばかりの天皇だったかもしれません。
自分が天皇の系統でないこととか、あと藤原の元恒が、もっとこの人に継がせたいっていうのがすごく見えていたようで。
どうやら養成帝の弟に継がせたいのだろうというのを感じ取っていたようですね。
自分の息子娘は全て親戚公家させてしまいました。
天皇家から外したということですね。
要するに子供たちに継がせたいというように見られたりすると、藤原家から警戒されたり、下手すれば暗殺されたりみたいなこともなりかねないから。
12:07
そうですね。
公族じゃなくなっても生きながらえる方がいいだろうみたいなことを判断されたってことですよね。
はい、そうですね。
ところが3年後には病気になってしまいます。
あらあらあら。
55歳で即位して58歳で病死してしまいます。
短いな。
はい、短い。
焦ってしまって病死される直前なのか直後なのか、同じ日に息子が心脳に復位して宇田天皇となっています。
へえ、すごいな。結局自分の子供が天皇になったってこと?
そうですね。なってしまったなのか、なれたなのか。
なんかちょっとわかんないですけどね。
藤原氏が継がせた方、養成帝の弟っていう人はもう出てこないのかな?
はい。継いでないですね。天皇になってないです。
ああ、そうなんだ。へえ、不思議な縁ですね。
そうですね。
かなりこっちの方は歌というよりは楽器が上手な方だったようで、
天皇のイケメンですね。
養成帝の弟さん。
そうです。
割とだから、才能的にも文化面の方にあって、藤原氏が政治的に何やろうがそんなに頓着しなさそうな人って見えたのかもわからない。
あと天皇として見栄えがいいっていうのも藤原氏にとってはメリットかもしれないけど。
はい。
なるほど。面白いですね。
はい。そんな方が読んだ歌。
うん。
君がため、春の野に入れてワカナ積む。
我が衣袖に雪は降りつつ。
うん。
あなたに差し上げるために春の野原に出かけてワカナを積んでいる私の着物の袖に雪がしきりと降りかかってくるよ。
という歌です。
こちらも情景ですね。
情景ですけど、季節感が。そういうこともあるのはわかってますけど。
複雑な、春になったのに冠の戻りみたいなことなんですか?この雪は降りつつっていうのは。
そうですね。当時の春は。
あ、もうちょい冬寄りなのか。
そうですね。ここは春の七草ではないかと言われています。
ざっくり言って、いわゆる旧正月って2月ぐらいですもんね。今で言う2月ぐらいとかですもんね。
15:05
そうですね。
そこからはもう春とカウントするということからすると雪が降ってもおかしくない。それはそうですね。2月だったらむしろ一番降りそうな時期だから。
そうですね。
新春にワカナを食べると邪気を払って病気が退散すると考えられていて、七草がやなんかはそこから来ています。
春の野って言ってるけれども、それもやっぱりどちらかというと、実際のシーズンの今で言う春みたいな感覚よりかは新春っていう意味の。
本来は同じ意味だとは思いますけど、でももうちょっと寒い時期。春の中でも本当に最初のまだ冬に近いような春みたいな頃のことってことですかね。
はい、そんな感じです。
これも時代によっても違うだろうけど、天皇が読むにしては自分で春の野に出てって言って、ワカナも積んでるんですよね。多分積ませたんじゃないんだろうなって気はするし。
自分の衣で雪が積もるぐらいだから。
若い頃に苦労された方ですから、そういう時期の歌ではないかなとは言われていますね。
なんかそんな感じはしますよね。それこそ天皇の地位にいたのは3年しかなくて、しかも晩年でっていうとその頃読んだ歌というよりかはもっと若い頃に読まれたのかなって気はしますね。
コキン州に載ってる歌なんですけど、言葉書きがついて、注釈がついてまして、
忍名の御門、御子に御足増しける時、人にワカナ賜いける恩歌と書かれているそうです。
まだ新納だった頃に、女性か男性かはわからないけれど、大切な方の長寿を願ってワカナを送った歌。
ワカナを送った時に添えた歌。
なるほどね。だからまさにあなたのためにワカナを取ってきましたよっていうのを和歌にしてるってことですね。
そうですね。
いい時代ですね。ストレートな感じでね。
そうですね。
こんな優しい方だとやっぱり藤原家のドロドロには関わりたくはなかったかもしれません。
そうかもしれないですね。そういうのは気頃につながったかもしれないですしね。早くなくなってしまうの。
日本三大実力という本では、皇后天皇を、天皇を若くして聡明、好みで啓示を読むなどとベタボメをしているそうです。
やはり良き方だったようですね。
本当にそのいわゆる着難、着手が後を継ぐっていうのは日本の古来からの天皇家もそうだし、侍もそうだし、一般市民も基本的にはそうで、その才能とかは問われないことが多いですもんね。
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そういうところで不遇にも2番目だったというだけで。
機械を失ってしまった人は他にもいっぱいいるんだろうけど、その一つの例なのかもしれないですよね。
もっと早い、若い時に天皇になってたらまた全然違ったかもしれないですしね。
そうですね。何か大きなことをなさったかもしれませんね。
そうですね。
という57代、58代の対照的なお二人の話でした。
そうですね。はい。
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