家族との関係性
こんにちは、友達、美しい魂。
本気で入って撮るってことはしないんですけど、近所の人からしたら迷惑ですかね。
でもあれ、もう永遠とやってないといけないから、すいませんって感じで、寛大な目で見守ってもらっています。
今のところね。
息子が学級閉鎖でして、息子自体はインフルエンザではなかったんですけど、全然元気だったんですけど、クラスが結構お休みが多かったので学級閉鎖でした。
なので、子供がいるとこういう毎日録音したいなって思うことも全然私はできないんですよね。
よし撮ろうって思った時に撮りたいっていうのと、コンディションとかもあるので、ちょっとボソッと撮れればいいんですけど、今後はそういう隙間でちょろっと撮るだけでもやっていこうかなって思っていて、
何言いたいのか、何言ってるのかすらわからなくてもとりあえず撮って出すっていうのもいいのかなーなんて思ってるんですけど、
ちょっとあのね、なんかやっぱり比較してるのかもしれないですね。すごい上手にうまく話せてる人とか、いいなーって思ったりするから。
そもそもこれを始めたのもあれなんですよね。話はまとまっていなくても、コンテンツとしては全然できてなくても、自分の思いを自分の生きた生の声で残しておくっていうのはいいよってメンターの人にも言われたり、
割とその私がメンターのコミュニティに一応入っているんですけど、結構彼らもみんなやってるんですよね。
で、みんななんか上手に話せて、コラボレーションとかもして、上手だなーすごいなーなんて思うんですけど、私はこんな感じでね、ぶつぶつ、ほんと独り言で、正直聞いてもなんか意味はないだろうなーみたいな風に思ってるんですけど、
でもまあ、それが誰かの元気になったり、エネルギーを与えられるような、そういう力にいつかなれたらいいなーとか思って始めました。
もうすぐ11月が終わってしまうので、もう気がついたら、もう終わってしまうって感じで、あっという間にわーっと流れてしまって、11月何してたんだろうって思っちゃうくらいあっという間だったんですけど、
そうだ、ムーミンダリの11月を読んでないわと思って、さっきあの本棚からムーミンダリの11月の本を出して、これをちょっとね、11月中に読みたいなって思っています。
このね、すごく好きなんですよ、このムーミンシリーズのムーミンダリの11月っていうシリーズがほんと素敵なんですよね。
一番最初のスナフキンのね、スナフキンが一番最初に出てくるんですけど、この一番最初の冒頭の文がすごく、もうここからすごい素敵で、ちょっと読みますね。
第1章 スナフキン 旅に出る
ある朝早く、スナフキンはムーミンダリのテントの中で目が覚めました。あたりはひっそり静まり返っていました。しんみりとした秋の気配がします。
旅に出たいなあ、っていうね、もうこの、ここがもうすごく素敵だなあって思って、いやあ、私も旅に出たいなあって思っちゃう。
いいですよね、秋もみじ狩りだ、秋の紅葉のシーズンだってやってるけど、あんな人混みに私は行きたくないので、行かないんですけど、どうなんだろう、損してるかなあ。
なんか行っても渋滞と人混みでなんかもう全然情緒もね、なんもないっていうか、浸れないし、すんごい人でね、うん、なんか疲れちゃうかなあって。
絶対疲れるよなあって思って、結局行ってないですね。もうだいたいあの落ち葉が、もうね、葉っぱが落ちて、紅葉シーズンが終わったくらいに、一気にこう、お客さん観光客がサーッと引いたくらいに、ああいうところ行ってみると、
あの、紅葉はないかもしれないけど、でも人がね、少ないっていうだけでね、かなり違うんですよね。
人のね、いるいないって結構、私にとっては大きくって、あの、やっぱうじゃうじゃうじゃうじゃいて、車もノロノロノロノロ止まっちゃって、ちょっとずつしか進まないような、なんかそういう感じでもう、気持ちも落ち込んじゃって、疲れちゃって気づかれ?して、
ああ、みたいな感じでね、紅葉見に行ったよって言っても、なんかね、ちょっとそれは心の豊かさが、うーん、どうかなって思ってしまうんですけど、たまにね、あの、このスナフキンみたいに旅にね、出たいなあって思うことあるんですよね。
しかも一人で、日常から離れて一人で、ちょっとどっか行ってみたいなあっていうのは、たまにあります。
家族といってもね、やっぱね、たまに離れたくなるもんなんですよね。
ずっとこう、べったりっていうのは、やっぱりね、家族だからこそ、まあ時々離れた方がいいんじゃないですかっていうね、お互いのためにも。
うーん、まあ特に私はね、自分はそう、家族だからってべったり、いつも一緒にいなくちゃいけないっていう風には思っていないんですよね。
いいんじゃない?たまには離れてもとか、同じ屋根の下にいなくても、家族っていう絆があるっていう、その事実だけで、絆、つながりっていうのは、なんかキープできるって思ってるんですよね。
うん、集まる時に集まるみたいなね。
普段は離れていても、そういう気持ちがいつも近くに寄り添っているっていう、そういうのも全然家族としてはありなんじゃないかなとは思います。
みんなどういう風に思うんだろう?家族感ってね、人それぞれで全然それでいいと思ってて、えーって思うようなそういうのもね、いますからね。
あのー、なんだろう、もうずーっと長いこと離れてますみたいなね。
それでも家族関係をね、だから妻と言ったらこの人ですし、子供って言ったらこの人ですし、家族、私たち家族ってこう、みんなが思っていられれば、まあ確かに一緒に住んでいなくても家族であることは可能だよねって思ったりします。
変化への抵抗
今日ちょっと話したかったのは、残そうと思ったのは、大きな変化はついていけないよねっていうところで、
これは私がコーチングのセッションを受けた時にも言われたんですけど、やっぱステップっていうのはベイビーステップっていうんですかね。
小さいステップ、小さい目標を立てて一歩ずつクリアしていくっていう、ちょっとずつクリアしていくっていうのかな、が、それをこう蓄積、積み上げていくのがいいよっていうことで、
体とか自分って急激な変化って耐えられないみたいで嫌がるんだよね。やっぱりこんなんだったら戻りたいって思ったりしちゃうみたいで、ものすごい大きな変化をした時になんか拒否反応っていうのが出るんだよね。
私が20年近く働いた職場を退職するかしないかってすごく葛藤があった時って、もう退職するっていう、退職に至るまでのそのあれはちょっと省くんですけど、
退職するって意識がもう退職するって決めた時に、でも結局退職するって言わなくてはいけないじゃないですか、上司にね。
で、その、それができなかったんですよ。で、なんでできなかったかっていうと、ずっとそこにずっといて、当然のようにいて、通ってたわけですよね。
お給料もバッチリ安定していて、下がることはなかったし、ガンと上がることもなかったんだけど、下がることもなかった。
ちょっとずつ、ほんと少しずつ上がっていたし、来年再来年って続けていけばまたちょっとずつ上がっていくだろうなっていう中で、それを一気に手放すっていうのにどうしてもそこを手放せなかったんですよね。
でも、もうね、体がね、もうほんと後ろ引っ張られるような感覚がずっとあって、やっぱり行きたくなかったんだと思うんですよね。
で、私はミッドライフクライシスの入り口、もうちょっと片足突っ込んでるような状態だったなって思ってるんですけど、あれ以上はやっぱり正直、続けたとしても、続けることはできたのかもしれないけど、ただただしんどくって、
もう苦しいしかない。で、それこそメンタル、これはやばいなって思って、もしかしたら病院に行くような状態になったかもしれないし、
退職の決意
病院に行ったらね、きっとうつですねとか、適応障害ですねとか、何かしら言われてお薬とか出されるっていうのが想像つくので、それをもやっぱり捨てきれなくって、もうやめるっていう風に自分の頭では決めてるんだけど、実際に上司に、
今言えないわ、いやもう全然言えない、今日も言えなかった、なんてうだうだやってるうちに年が明けそうになって、で、チャンスが来たんですよ。で、そのチャンスは上司との面談。みんなやる面談で順番にこうやっていくんですけど、面談あるってなったときに、よしそのときに言えるって思って、
で、上司とね、オンラインなんだけど、二人で、個室でね、二人で話す機会が来たので、そこで思い切ってすいませんちょっと私からいいですかって言って、話を持ち出すことができたんですよね。
ゆっくり冷静になって、説得するようなそういう気持ちではなくて、自分の思いっていうか、なんかそういうもう多分続けるのはちょっともう無理だと思うんでっていうのを伝えて、で、やっぱり驚いてはいたし、なんか極力やっぱり続けられる方法を出しては考えてはくれるんですよね。
そう、なんかほんとみんな人が良くて、ただやっぱり私の中での問題で、そこはちょっとどうしてももう一回考え直しますっていうのはなかったんですよね。
もう決めてた、やっぱり頭で決めて、体は動かなかったけど思い切ってそのチャンスに乗っかって、言ってみたらもうあとはもうそれを貫き通すだけっていう、なんかそういう感じで。
で、納得してもらって、一応その期末っていうのかな、3月いっぱいで退職をしました。
これもね、いきなり退職じゃなかったから結局、考えてちょっとモヤモヤみたいな変な違和感みたいなのを感じてから、いろいろ自分の内面、内省をしたりとか内面のワークっていうのかな、自分を知るとか、マインドセットとかそういうのも初めてやってみて。
2年ぐらいかけたかな。2年ぐらいやって、マインドもこういろいろ自分の中で知らなかったところを学んで、一個一個丁寧に勘違いみたいなところを整えていったっていうのかな。
で、辞める、辞めるになった時も結局言うのに何ヶ月もかかった。いきなりはやっぱりならなかったんですよね。
だからもう辞めるなっていうのが自分の中でもうあったから、イメージもできてたし、もう来年はいないなとかね、そういう感じにはなってたから、いきなり今日で辞めますとか、来月で辞めますとかそういうのではなかったので、私としては急激な変化ではなかったと思うんですけど、やっぱりすごく体が抵抗感を出すんですよね。
20年いたところから、よしじゃあ辞めるって、そんな簡単にいきなり辞めるってなったわけじゃないんだけど、いろいろ過程があって、2年ぐらいかけて辞めるっていう風に決めたんだけど、
変化に向き合う
やっぱり抵抗があるっていうのは、私の場合だったら、いやいや、給料手放すの?20年もいたのに辞めるの?みたいなそういうのとひたすら向き合ってたっていうか、そういう抵抗を受けてきたんですよね。
でも本当ね、自分を救いに行ったって感じがするんですよね。あのままやっぱり続けられなかった。自分が破滅っていうか、ぶっ壊れちゃうと思ったんですよね。
その前にも、そこから動いた、移動した、できたっていうのはすごく大きなことで、今そういう仕事とかしているんだけど、年齢的にも違和感が出やすい時っていうのがあると思うんですよね。
30歳前後とか40歳前後とか、そういう節目というかステージの切り替え時っていうのかな。やっぱり20代はいろいろやってみて失敗したり嫌だなって思ったり、
先輩からのアドバイスとかそういうのを聞いて吸収するような、体力も元気もあるから、いろんなプライベートもそうだけど、いろいろやっていろいろ経験してっていうところから、
今度は後輩にがでついて教えたりとか、ちょっとこう自分の自立みたいなところにつながるのかな、社会で。それが30歳前後ぐらいに訪れた時とか、あとは40代。
40代前後もすごく悩みがいきなり、はっきりした悩みじゃなくて、しかもこれもなんかよく原因のわからない違和感みたいなところが出てきたりするんですよね。
なので、そういう時もね、急激な嫌になっちゃったからやめるって決めるんじゃなくて、ちょっと一回整えてみるっていうのも、ちょっと時間をかけて取り組む。
自分と向き合うっていうのかな。ちょっと自分を見てみる、内側を見てみるっていうのが、ちょっとずつ小さい変化っていうところから持っていくっていうのが、体にも心にもあまり負担のかけない変化のやり方なんじゃないかなって思います。
急激な変化を体が抵抗しますよ、必死で抵抗してきますよっていうことでした。
はい、ありがとうございます。