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2024-04-23 1:07:50

BC088『CHANGE 変化を起こす7つの戦略』

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今回はデイモン・セントラの『CHANGE 変化を起こす7つの戦略: 新しいアイデアやイノベーションはこうして広まる』を取り上げました。

書誌情報

* 原題

* 『CHANGE:How to Make Big Things Happen』

* 出版日

* 2024/1/25 (原著:2021)

* 出版社:

* インターシフト

* 著

* デイモン・セントラ

* ペンシルヴェニア大学のコミュニケーション学、社会学、工学の教授。

* 翻訳

* 加藤万里子

* 『アナログの逆襲』など

目次や今回の内容に関係する倉下の読書メモは以下のページにまとめてあります。

◇ブックカタリストBC088用メモ - 倉下忠憲の発想工房

「弱い絆」を再考する

昨今のビジネス書などでは、「弱い絆」が重要だとよく言われます。

弱い絆とは、日常の人間関係よりも少し「薄い」関係性のことで、そうした人たちは自分の日常と異なった環境で生活しており、異なる情報を持っていることが多いので、そこにアクセスしましょう、というわけです。

また、そうした弱い絆で人々がつながるSNSは、情報の拡散に貢献することはよく知られています。プロモーションなどで「発信力」のある人に仕事が集まるのは、そうした人たちならばより効果的に情報を拡散してくれるだろうと期待してのことでしょう。

そのような情報の拡散モデルは、「情報はウイルスのように広まる」という観念が前提にあるわけですが、本書はそこに異議を唱えます。たしかにそうした伝播の仕方もあるが、そればかりではないだろう。単に情報を広めるだけでなく、行動や信念を変えるような変化が広がっていくのは、「ウイルス」のようなモデルとはまったく違っているんだ、という議論が実例を通しながら検討されていきます。

本書において学べることはたくさんあるわけですが、「弱い絆」至上主義を再検討してみることはその中でももっとも重要なことかもしれません。

たしかに強い絆しかない状態よりは、弱い絆があった方がいい。しかしそれは、弱い絆が強い絆を代替してくれることを意味しない。むしろ、土台として強い絆があるからこそ、弱い絆の力が活かせるのではないか。そんな風に考えることができるでしょう。

その他、表面的なプロモーションではなく、より深くコミットした新しい動き(運動)を起こしてみたい人には有用な知見が多く見つけられると思います。



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サマリー

この稿では、『CHANGE 変化を起こす7つの戦略』について語られています。本書では、変化を起こすために必要なことや成功事例などを通して、大きな変化の実現について考えられています。SNSや家族・友達の参加がネットワークの盛り上がりに影響し、強い繋がりの中で変化が広がることが確認されています。また、グレープフルーツ問題のように相反する要素を同時に実現することが失敗の原因となることが指摘されています。社会的補強とネットワーククラスタリングの重要性、個人と組織の最適化の衝突、似た人の影響力、調整のジレンマ、ティッピングポイントについて考えます。ネットコミュニティの盛り上がり、技術ブログを書く、GPT-4の圧倒的な実力。弱い絆と強い絆の関係を考えながら、ミドルな絆を築くことが重要であると述べられています。

ネットワークと変化
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。 第88回の本日は、『CHANGE 変化を起こす7つの戦略』について語ります。
はい、よろしくお願いします。 はい、お願いします。
今回クラスターのターンということで、ネットワーク系の本なんですけども、第83回に、『ザ・フォーミュラーと残酷すぎる人間法則』ということで、人間関係どう作るかみたいな話がなされたと思うんですけど、
それがらみというか、ここで言うネットワークっていうのは、機械のネットワークということではなくて、人間の関係性をグラフ化したものの意味でのネットワークということで、
本書そのチェンジというタイトルがありまして、現代がチェンジで、How to make big things happenということで、大きな変化ってどう起きるのか、どう起こすのかっていうタイトルで、ちょっと日本語の翻訳とはニュアンスが違うんですけど。
結構違いますね。
変化を起こす7つの戦略っていうタイトルなんですけど、7つの戦略について語られるんかなと思うんですけど、目次を見てみると、そうではなく、全4部立てで13章なんですけども、7つの戦略が13章目に出てきて、12章まで語られてきた内容が。
13分の1が。
まとめとして、ここの本ってこういうこと書いてきましたけど、まとめとしたらこの7つの戦略になりますよねという形で出てくるんで、7つの習慣みたいな、7つを軸にして語るというよりは、変化を起こすためにどんなことが必要で、私たちはどんな事例がありましたみたいな話がざっとあった後に、
この7つの戦略がまとめられるという感じで、ちょっと日本のビジネス書向けにアレンジされたタイトルだと思いますし、ちょっとこのタイトルであんまり手が伸びにくい人もいるかと思うんですけど、これかなり良い本なので、タイトルに惑わされずに読んでいただけるといいかなと思うんですけど。
中心的な主題というかね、その弱い絆って言われてるものがありまして、社会学っていうことの強い絆に対して弱い絆ってのがあるんですけど、弱い絆っていうのをちょっと1回考え直してみようということが主となるテーマでございます。
人間関係と繋がりっていう言い方があったんですけど、どっちかっていうと、人間関係でいう、家族よりももっと遠い距離の人たちとの人間関係の考え方を考え直すっていうことなんですね。
で、本書、日本語翻訳版が2024年の1月に出てるんですけど、原著が2021年なんですね。だから、最新の知見を盛り込んだというよりは、ある程度最新からすると少し手前なので、知ってる話とも多いかと思うんですけど、
われかしね、日本のインターネット界隈では取り上げられないという感じがして、むしろその弱い絆ってすごいよねって話が多いじゃないですか。日本のインターネットという感じだと。でも、視聴者は本当にそうかなっていう本なんですね、これは。
弱い絆は確かに有用やけども、てんてんてんというところで、そういう意味で考え直すという本なんですが。概要について、タイトル通り変化についての本で、中心となる主張というのが、変化、大きな変化っていうのは、ウイルスのようには広まらないと言いたい本です。
ウイルスのように広まるというのは、人から人へどんどんどんどん伝播していって、そこからある境界線を越えると、爆発的に越えていくみたいな、そういうイメージがあるけども、そういうイメージがあるけども、そうやって観測できる現象もあるが、そればっかりじゃない上に、
より重要な本質的な大きな変化っていうのは、そんな風なモデルでは説明できないよということが、一冊通して語られている本ですね。
おー、なんかあの、興味深いというか、あれですね、複雑系ネットワークとかの、そういうので、この分野に最近興味が出てるんですが、なんかあの、良さそう、ちょうど良さそう。
そうですね。そういう感じで、ネットワーク系とか、人と人の結びつきコミュニケーション、コミュニティみたいな話、あるいは宣伝とかプロモーションバズみたいな話に興味がある人は、間違いなく言うような本だと思います。
各章ごとにざっと内容を追いかけていこうかなと思います。で、もう第一章。小題から面白いんですけど。インフルエンサーは変化を起こせないというタイトルでして。
で、ある時点までのこの社会的ネットワーク研究においては、さっきも言った変化はウイルスのように広まるという考えがあって、誰か一人がその情報を得たりとか感染したら、その周りの人にその情報が広がっていくという、そういうモデル、情報の流通モデルみたいなのがあったと。
インフルエンサーマーケティング
で、その考え方にとると、いわゆる今日本で言われているインフルエンサーマーケティングみたいなのが出てくると。つまり誰か一人に伝えると周り広がっていくということは、より多くの人と繋がっている人にピンポイントに情報を渡しさえすれば、そこからブワーって広がるじゃないのかという考え方ですね。
- 有名人に紹介してもらったら売れるってやつですよね。
- そうですそうです。で、これは確かに著者が言うには、シンプルなアイディアとか情報、単純なものであればこのモデルは成立すると。でも、それはある程度情報を受け取りました、回しましたっていうだけで、実はその当人は、言ったらRTしてるだけですね、ツイッターっていうところのバイパスになって、パイプラインの一端になってるだけ。
で、ある意味その人は、その情報を通過されただけで、何も本質的な変化が起きてないと。で、そのバズ的なものとは違う、その情報を受け取った人が自分の行動とか信念を変えるためには、そのさっき言ったインフルエンサーモデルでは足りないどころか、むしろ逆のことも起こり得るよということが、まあ今書では解説されています。
で、一応ごく導入しておくと、さっき言った情報をただ拡散していくだけのが単純な伝線というもので、その行動を変えるのが複雑な伝線というもので、本書はその複雑な伝線っていうのをターゲットにしていくということで、ツイッターの話が最初に0時で出てきて、面白かったんですけど。
ツイッターそのオプラウィンフリーという方がそのオプラウィンフリーショーというようなテレビ番組の中でなんか初めてツイート、番組なりに多分ツイートしたんでしょうね。そこからすげー大人気になったっていう、これがインフルエンサーモデルをそのよく説明するときに出されるモデルらしいんですね。
で、確かにその2009年にオプラがツイートしたとき、ツイートしたそのあたり4月あたりって、ユーザーが2800万人というとこで、2006年からスタートしたその弱小をSNSにしたすごい規模をやったんですけど、でもよくよく観察してみると、その彼女がツイートする直前の4月の冒頭ぐらいで既に2000万人ほどユーザーがいたんですね。
で、彼女がツイートした後で2800万人になったという感じ。で、さらにその4月の前の2月までで800万人やったんですね。だから2月で800万人で4月で2000万人やったんですよ。だからそのカーブが実はもうものすごいことになってたんですね。だからオプラが広めたというよりは、そのオプラはただもうすごい人気のツールを見つけて、それを紹介しただけである。
岡田 ああ、ははは。すごい人気のツールを見つけたか。
このインフルエンサー幻想みたいなのに引っかかってしまうよというのが第一の事例として出てきます。これ非常に面白いですね。
そうですね。やっぱり安易にこう考える気がする。
だから、一人の有名人が広めたおかげで人気になったというのは非常に構図としてはわかりやすいですけど。そういうのをうまく利用するプロモーションみたいなのもありますけど、実際背景にはもうすでにじわじわと人気が広まる期間があって、そこから大きく広がって、もうすでに人気がスタンバイされている状態で、ウィンフリーはそれに乗っかったと。
しかもグラフのカーブでいうと、ウィンフリーが紹介した後、むしろ若干落ち込んでらしいんですね。だから結構ピークの際ぐらいで彼女が紹介しただけやというところを踏まえた上で、インフルエンサーマーケティング、情報がどう伝わっていくっていうモデルをちょっと考え直そうという話。
もう一個ね、セカンドライフっていう、懐かしい。今はあんのかな?まだあんのかな?セカンドライフの話がありまして、これセカンドライフであることの意味が後であるんですけど、エアロスミスジェスチャーっていうのがあるらしく、どんなんか知らないですけど、エアロスミスのボーカルがするこういうポーズだと思います、きっと。
それは、セカンドライフってアバターの動きも購入できるんですね、結局。プラグイン的でしょうね、きっとね。で、そのジェスチャーを使って挨拶するっていう、他の人と会ったときにそのジェスチャーをするっていうことが一時期ちょっと広まったらしいんですよ。ただ、考えても欲しいんですけど、例えば誰かに会いました、そのジェスチャーをしました、相手何かわからずに困るっていうのは困るじゃないですか、基本的には。
こういうのって、ある程度最先端は行きたいけど、でも自分一人だけだとポツンとしちゃいますから、ある程度これを受け入れてもらえるという認識がないと、そういうのって乗っかりにくいんですね。新しいものに飛びつくためには、最先端であるよりはむしろちょっとみんながある程度は使ってるぐらいの状況でないと、そういう新しいもの、つまり挨拶を切り替えるっていうことがなかなかできない。
で、ここで問題となってくるのはその対抗影響力と本書で提唱されている概念なんですけど、新しいものを使うときに、例えば僕の周りに自分の身近な人が残り9人いて10人いたとするじゃないですか。で、僕の隣にいた人が新しいジェスチャーをしてますと。これ見ると新しいことを始めた人がいるんですけど、残り8人はやってないわけですね、それを。
で、対抗影響力ってこの8人が僕の行動に与える影響なんですね。やってない人がいるということ自体も僕の行動に影響を与えるわけですよ。だから、新しいことをする人が増えた、その人がやってることを僕が知った。ここは単純に情報がプラスになってますけど、でも周りの人やってないよねということも影響力の加算になってしまう。
このポイントがあって、例えばオプラみたいな繋がりがめちゃめちゃ多い人がいるとするじゃないですか。で、その人から見て、例えばツイッターみたいな新しいテクノロジーが使ってる人が、もしごく少数やったらあんまり紹介しようと思わないわけですよね。
だから、彼女がもし紹介しようと思えたとしたら、もう実はだいぶ周りの人で使っていたはずだろうと。だから、この対抗影響力っていうのを見せないと、人が新しい行動に切り替えるっていう行動を促せないというところが大正道。大きな主張ですかね。
対抗影響力
これはね、僕はあんまり確かに考えたことがなかったんですけど、自分の構想を考えてみても、確かに新しいことをしてる人がいるだけじゃなくて、それをしてない人がたくさんいるということも影響は確かにあるよなぁとはちょっと思いましたね、これは。
これは逆に言うと、これを聞いた上での戦略として、やっぱり一つのハブというか狭いネットワークの多くの人に一度に使ってもらえれば広まりやすいんじゃないか。
まさにそのことが本章で。ほぼ、その戦略としてはポイントはそこで。だから、それが実際どういう効果があって、実際自分たちはどうしたらいいのかっていうことが実例とともに語られてるんで。ここまで話して、その戦略が導き出せるんやったら、本章は参考になる。
でも、その原理性からそこは導き出せるのは本当にすごいなと思うんですけど。実際、ネットワーク科学っていうのがある程度古い時代っていうのは、インフルエンサーの前はオピニオンリーダーという言い方がされてたんですけど、誰か言うような人に情報を届ければそこから拡散していくっていう考え方があって。
マルコルム・グラッドウェルという方が僕、好きな書き手なんですけど、「少数者の法則」という、情報を伝えるためのハブになっている人を捕まえて、その人にさえ情報を渡せば上手くいくっていう、さっき言ったインフルエンサーマーケティングとかターゲットマーケティングっていうのが、その考え方から来たんですけど。そうじゃないということを、本章はさっきのほどの例などなどから通して語っていくと。
1994年に、ベルリンの壁が崩壊したというのがあって。それは当然、その前段階に抗議運動とかに参加した人がいっぱいいたわけですね。あの街とかに。で、壁が崩壊した後に、もうそのベルリンの街に乗り込んで、一人一人にアンケートを取っていった社会学者の方がおられたんですね。
で、もうすでにその方が発見してたことは、自分の家族とか友達が参加している人ほど参加する確率が高かったと。だから、強いリーダーがいたからそれに導かれたんではなく、周りの人がやってたから、自分のコミュニケーションの密な部分が参加してたから参加してたっていう、そういう構造は見えてたらしいんですよ。
見えてたらしいんですけど、よりそれがはっきりしたのが、さっき言った例えばセカンドライフとか、SNS、特にFacebookですね。なんですね。つまり、低量的にデータが取れるようになったんですね。人のコミュニケーションの動きが。特に、さっき言ったセカンドライフっていうのは、ある挨拶とかの動きそのものがどれだけ使われてどんだけ広がっていったっていうのがマッピングできるんで、新しいコードを取った人とそうじゃない人のデータがはっきりわかるんで。
だから、今まである程度社会学的な知見としてはあったものが、コンピューター上で行われるコミュニケーションによって、初めてデータ的に取れるようになってはっきりしてきた。だから、1994年ぐらいからわかってきたことが、今のインターネットと僕らのデバイスの使い方によってはっきりとした知見として確認されるようになったのが、近年だということが確認されてますね。
みんなやってるから俺もやろうっていうことだったってことなんですよね。有名人がやってるからではないっていうところを踏まえると、じゃあインフルエンサーマーケットってなんだろうなというところなんですが。そういうインフルエンサーっていうものの神話というか幻想がちょっと違うんじゃないかと。
ある特定の人というよりは、あるコミュニケーションの中で、あるポイントにいた人。人柄というよりは、そのコミュニケーション、ネットワーク上の場所が重要なんだというところが、第一章で確認されます。第二章が、弱い絆と強い絆、どちらが重要ということで。
このブックカタレストでも何度か出てきてますけども、ミルグラム実験で有名なスタンレイ・ミルグラムさんが、六地の隔たりということを、手紙を配達してもらうことで、だいたい人間のコミュニケーションって、6個隔たりがあればだいたい全員に届くよということを。
――誰にでも手紙が届くってやつ。 ――っていうことを言って、その実験を受けて、マーク・グラノベッターという人が、「弱い中退の強み」っていう、なかなかシャレたタイトルの論文を書かれまして。
ただ新しい、自分が仕事を変えたい、転職したいっていう時に、弱い絆、つまり家族とか普段会っているような人たちは強い絆と言って、たまにしか会わないような人たちを弱い絆と呼んだんですけど、弱い絆からもたらされる転職情報の方が、新しい職が見つきやすかったと。
これは理屈として考えると当たり前のことで、自分の身近な人は、自分と同じくような情報圏に触れているので、基本的に知っていることの範囲が狭い。でも、弱い絆の人たちは、自分とは違うところに生活して、違う環境にいて、違う情報を得ているので、自分が知らないことを知っている可能性が高いと。
だから、そういう弱い絆からの情報伝達って、新しい変化をもたらしてくれますよ、みたいな話がよくされますね。だから、強い絆は非常に情緒性が高くて、情報伝達効率は悪いんですね、基本的に。
――効率は悪いか。 ――情報の伝達効率は悪いんですけど、でも、やっぱり弱い絆にも限界というのがあって。基本的に、さっきも言ったけど、情報はただ知りましたというだけでは、大きな変化。つまり、自分の行動を変えるようなものにはならない。
例えば、はしかっていうのは、一回映ったらもうそれで終わりっていうか、映りますし、他の人にもまた映っていきますけど、アイディアとか、規範とか、つまりその人の信念とかは、一回接触しました、はい、変わりますっていうわけにはいかないと。で、ツイッターの広まりを定量的に分析すると、やっぱり地域ごとに広まるらしいんですね。
ツイッター社があった場所の近辺から広まり、おそらくツイッターに勤めていた家族とか友達とかがまず使って、その地域に地理的に隣接する隣のところに行く。さらに地理的に隣接する隣のところに行くっていうふうに、少しずつ横に移っていく感じがあったんですね。だから、これは弱い絆というよりは強い絆がある行為を広めていくモデルとして捉えられるわけですけど。
おもしろいのが、例えばサンフランシスコの次がね、ボストンやったらしいんですよね。 遠い。遠いですね。でも、結局そのサンフランシスコとボストンって地理的には遠いけど、大学と最先端企業っていう繋がりがあったと。
だから、そこの卒業者が、ボストンで卒業した人がサンフランシスコの企業で勤めるっていう人材的交流が非常に密にあったと。だから、そこから地理的に急にジャンプしたように見えるけど、実は強い繋がりがあったというふうに提案されてて。
人が自分自身の行動を変えていくのっていうのはやっぱりインフルエンサーモデル、弱い繋がりモデルじゃなくて、強い繋がりの中でじわじわと広がっていくことがそのツイッターの事例からも紹介されていると。だから、確かに弱い繋がりって、新しい知らなかったことをもたらしてくれる力はあるんですけど。
言ってもそれは変な話。強い繋がりがあってのことというか、その2つないといけないという話なんですね。基本的には。というか、強い繋がりは多分ベース?土台?のようなもの。で、多分こっちがあって、で、その上に弱い繋がりもあるといいよねっていう話だと思うんですけど、弱い繋がりがすごいからって言って強い繋がりを育てることをやめてしまうと、例えば自分の生活にとっても多分困りますし、
例えばそのマーケティングとかでも、例えばインフルエンサーばっかりに手を引きかけて、そのごく一般ユーザーをケアしないと多分困ったことになるみたいな、いろいろな教訓が出てくるんじゃないかなと思います。
そうだとすると、例えばそのユーザーコミュニティを育てるみたいなやつ。ああいうのはインフルエンサーよりも有効なんじゃないかっていう。
言えると思います。
情報伝達と弱い絆の重要性
言えますよね。
例えば新しい商品を試してもらうっていう時にインフルエンサーに調べて、バズるよりも実際の使ってるユーザーに渡して意見交流してもらう。
だからそれも多分1対1、企業とユーザーが1対1って繋がるよりは、ユーザーグループみたいなんで、ユーザー同士の交流を促すことの方が多分有効だな。
そこに強い絆をつくのが有効じゃないかなっていうのは、本書の後半の話でも繋がりますけど。
だからインフルエンサーマーケティングで広く早く周知するには便利やけど、結局知ってる人に新たな情報を伝えるだけであって、新しい変化を、例えば買ってなかったものを買うとか、そのブランドを新しく買ってみるみたいな行為にはなかなかなりにくいんではないかなとはちょっと思いますね。
家庭するなら、ものすげー商品力が強い商品ならインフルエンサーに広めて知ってもらえば売れそうな感じがして。
まあ、導入、参加が簡単な場合はそうですね。買って終わりとかの場合は多分そうだと思います。で、SNSとかは他の人が使ってないと意味がないじゃないですか。意味がないというか、あんまり面白くないから。
ネットワーク型の商品の場合は、より他のユーザーがどうしてるのか、他の知り合いがどうしてるのかっていう部分が多分影響してきて。
メタ社のスレッズっていうSNSあるんですけど、全然使ってないんですけど、やっぱり知ってる人がいないからなんですよね、僕の場合は。
知ってる人がどれだけいるかどうかっていうのが重要。だから、機能以前に、やっぱりユーザーがそこにどれだけいるかっていうのがこの手の商品では重要で、だから商品がどんな特性を持ってるのかを踏まえた上で広める必要があると。
第3章が、優れたイノベーションが失敗するわけというとこで、グレープフルーツ問題というのが提案されてまして。グレープフルーツって、ある種の薬と一緒に食べたらダメなんですね。
血圧系やったかな、心臓系やったか、なんか良くない効果を。 血圧とかは聞いたことがあるかもしれない。
だから、単独で摂取するにはいいけど、2つ合わせて同時にやると悪影響が出るっていうのを、著者はグレープフルーツ問題と言うんですけど。
Googleグラスですよね、Googleグラス。 Googleグラスって、プロダクトとしても優れてたと思うんですけど、結局失敗してしまったと。
で、著者が見るには、認知度と差別化っていう2つの異なるものを同時に実現しようとしたから失敗したんだと。
すごい宣伝をした上に、Googleグラスを持ってる人はなんか特別だなという感じになってしまったと。
Googleのマーケティングを見ると。そうすると、名前は知ってる。でも自分たちは使えていないから、その悪感情をそれに持ってしまうと。
だから、例えば、アウディとか、高級車ってそんなバンバンCM撃たないじゃないですか。
​​​ ​あー、そういうことか。トヨタはCMするけど、フェラーリはCMをしない。
​それだから、認知度を抑える代わりに逆に差別化ができてるわけですね。記録知られてもらわなくても変わらないと。
これを知ってるし、詳しいことがステータスだっていうことが差別化になってるのに、Googleグラスだと両方踏み当ててしまおうとしたから失敗した。
​Googleプラス、グラスじゃなくてプラスもありますよね。かつてのSNS。
で、これもあれもね、Googleのアカウントを持ってたら、即座にGoogleプラスのアカウントを持ってたことになるんですね。昔、生徒って言うと。
で、だから、で、しかもGoogleはバンバン高級車だから、Googleプラスっていうものの存在はみんな知ってると。もう周知されてると。でも、実際誰もやってないと。
だから、認知してるはずなのに、使ってないってことは良くないんだっていう。
​そういえば、イメージなんですけど、Googleプラスってずっと、みんな使わんよねってみんな言ってたっていう印象がある。
​だから、まだ全然知名度が低いツールが使われてないんやったら、それはただ知られてないだけやっていう話ですけど、みんな知ってるのに使ってないってことは、なんかあれ悪いんやってことになりますよね。
社会的補強とイノベーションの広まり
​だから、そういう風にプロモーションの施策としても、相反するものを2つ同時にしようとして失敗してしまった。だから、単に情報を広めたらいいっていうことにはならないというとこが、第3章で紹介されてます。
​うん、優れたイノベーションが失敗ね。Googleはほとんど全てずっとですよね。
​だから、そのプロモーションが悪いんでしょうね、その方法論が。おそらくは。
​で、ここまでで、大体この第1部、ここまでの話で大体本書の肝というかコアみたいなところを掴めてるんで、ここまで読めたらいいと思うんですけど、第2部からが、さっき言った複雑な電線インフラを作るということで、より実践的に、じゃあどうしたらいいのかっていうのを考えていこうというのが、2部以降で。
​第4章で、変化が起きる仕組みを知るということで、さっき言った複雑な電線っていうのがどう起こるのかですけど、複雑な電線っていうポイントは、単純な電線と違って人々に抵抗されるものであると。新しいから。
​で、新しい上に周りの人が使ってないから、なかなか普通では広まらないものをこの複雑な電線と呼んでて、そこで必要なのは社会的補強。補強っていうのは、パワーアップさせるみたいな意味の補強ですね。他に勘違いあるかな。つまり、さっき言った、例えば、周りの人が使っているということが一つの事実として社会的補強があるわけですね。
あるいは、信頼に足るものだと、誰かが嫌い好きしてるとか、正当性があるとか、あるいは使っててテンションが上がると、高揚感があるっていう、この連携信頼性・正当性・高揚感という4つの補強をすることで、広まっていくと。
逆に、さっき言った複雑な電線っていうのは、最初は抵抗されるけども、一回広まると、今度は定着すると。そういう力強さがあると。だから、僕らもSNSやめるということは考えづらいと思うんですけど、でもSNSを使う前はSNSを使ってなかったわけですから。
イノベートクが強いものほど広まりにくいけど、広まった後に定着する。だから最初の補強がすごく大切だと。弱い絆のネットワークっていうのは花火に似ていると。ハブネットワークで。これは非常に一箇所からバーって広がっていくと。
強い絆のネットワークっていうのは、漁をするときの網のようなネットワーク。これも僕ら、最近ネットワークに親しんでるから別に違和感はないですけど。ネットワーククラスタリングとかいって、非常に密な繋がりを持っていると。この密な繋がりが、さっき言った社会的補強とか、あるいは連携みたいなのを高めていく。
つまり、あるコミュニティの中で、12中6人が、この本面白いよとかって読んだって言ったら、やっぱりなんとなく読もうっていう。
それは著名な人が本を勧めている、はるかに強い社会的補強がなされていると思うんですよ。だから人が新しい行動を取るときっていうのは、そういうふうに周りの人たちがどうしてるかを見ていると。
で、それを無視して情報だけ伝えると、さっき言った対抗反影響力っていうのが強くなってしまうから、そのネットワーククラスタリングに注目しましょうというところが語られてますね。
だからもうすでにゴルフさんが言われてた視点が、もうこの辺で戦略が出てきてますね。5章は1回飛ばして、6章。ネットワークに広い橋を築くというのがあって、ここの章は結構面白かったんですね。
で、あるコミュニティとかグループとかネットワークがあって、それに近い場所でも別のコミュニティがあったとするじゃないですか。で、ある人がこの2つのグループの情報を繋いでたとしますよね。
Aグループの情報をBグループに伝えて、Bグループの情報をAグループに伝えると。これは繋いでるわけですけど、仮にこれがこの人が1人やったらこれは非常に狭い橋であると。
で、こういう1人じゃなくて、それぞれの中にいる人たちがある程度繋がっている場合、これを広い橋と呼んでるんですけど、もしその真ん中にいる人1人が自分の価値を上げたかったら狭い橋の方がいいんですよ。頼られますしね、明らかに。
でも、この場合、知識や信念っていう、より深い変化は起きないと、著者は言うんですね。例えば、Aグループで導入しているタスク管理ソフトウェアがあったとして、これは是非ともいいからBのところにもつたかってもらいたいとしても、その仲介する間の人がAでいいって言ってましたよって言うだけでは変化は起きないと。
でも、さっき言ったように、もしその2つのグループのコアの人と結構なメンバーがお互いに繋がってて、例えば昼食時に会話して、「あれっていいですよね?」って言い出すと、知識やノウハウみたいなのがAからBに移ると。だから、組織全体で見ると、広い橋の方がいいんですね。
ただ、個人が情報のブローカーと本書で言っているので、情報のブローカーになりたかったら狭い橋の方がいいんですね。だから、これは個人における利得の最大化と、組織における最適化がぶつかっている例なんですね。
【佐藤】なりそうな気がするな、確かに。 【岡田】やっぱりこれ、組織運営を考えた時に、あいつたりになるから任せとこうというのでは、実は伝言係としては良くても、ナレッジマネジメントとかノウハウマネジメントの観点で言うと非常に脆い組織になってしまうというところが、この章では確認されまして。ここは結構実際的、実用的な話かなと思いました。
【佐藤】やっぱり組織が、部署を変えたりだとか、転勤があったりだとか、そういうのをある程度多めにやっとかないと、会社の意思統一ができないというか、文化が共有されないのか。
ある部分の有用な知識者が会社全体に広がっていくというインフラみたいなのが成立されないから、部署を超えてとかチームを超えての交流みたいなのをどう促すのかが、たぶんポイントになってくるんだろうなと。
真逆なので、不動産屋みたいなのがイメージできて、オーナーと顧客をつなぐのがこの人しかいなくて、情報の価値が高く、結果的に闇に葬られることが多いというか。
だから、情報ブローカーにならなかったら狭い橋を意図的に設計すべきですし、組織全体を考えるにあったら広い橋を設計すべきというところで、教訓が多い話だなと思いますね、ここは。
似た人の影響力
で、第7章が自分に似た人の影響力ということで、これはもう非常にシンプルなんですね。新しい行動を取り入れるときにどんな人の影響を受けるのかと。すごいかっこいい憧れの人か、自分とよく似た人のどっちかと。でもこれはもう自分によく似た人なんですね、これは結局。
メディアがずっと考えてるのは憧れの人を作ることだと思うんですけど、違うってことなんですよね。
たとえばですけど、例えば、自分がちょっと太ってるとするじゃないですか。で、お医者さんに運動しましょう痩せましょうって言われた人で、そのおっさんがスラッとしてた人だったら、まず効かないわけですね、いうことも。
でも自分の友達で似たような体型の人がいて、最近こういう運動を始めてたらちょっと減ってんって言われたら、遥かに採用する率が高いと思うんですよ、心理的にも。これ実際、著者が実験してて、アプリケーションを配布して、健康系の情報を共有するミニSNSみたいなのを作ったらしいですね。
そこでどういうふうなコミュニティを作ると、新しい情報を得た時にどう変化するのかっていうのをリサーチした結果、やっぱりよく似た人の影響を受けると。よく似たっていうのは、健康情報だったら健康的に似てる人。太ってる人だったら太ってる人の方が遥かに強くて。
例えば、自分は白人やけど、黒人で太ってる人と白人でスマートな人だったら、似てる人はどっちかっていうと太ってる黒人なわけですね、これは。だからコンテキストによって似てるっていうのが変わってくるけども、ともかく影響を受けるのは親近性が高い人がした方が、より大きな影響を、行動を変えるぐらいの大きな変化は、やっぱりよく似た人の方から受けやすいというのが、第7章の話。
あの、テレビで何かやると、例えば何だっけ、納豆が健康に良いって言うと、納豆が世の中から消え去るみたいなのは、そういうのとは違う現象なんですよね、多分この本が考えている。
おそらく違いますし、あれもパッと終わるじゃないですか。
バッと広がると、一瞬で終わるんだ。 そういうことを、バズとはちょっと違う。その人が本当に変えようと思って何か変わるような変化を起こすにはっていうことですね、要するに。
うん、あの、ケイオンじゃなくて、音楽のやつ。アニメが流行ったら、同じギターがめっちゃ売れたとか。
ありましたね。 それも、その、それ憧れ方面のやつですよね。 憧れ方面ですね。
で、やるけど結局、音楽家になろうとはならないわけですね。だからやっぱりその場合は。でも、自分の友達が何人か実際にギターを続けてたら、その人が変わっていくかもしれないですけど、そこは。
逆に言うと、やっぱり周りにその影響を受けてギターを始めた人があんまりいないから、止めてしまって続かない。そして中古市場に溢れるみたいなことが起こる。
すごいオタクのグループで、あるオタクAがギターを始めて、あるオタクBがベースを始めて、じゃあ万能工具家ってなったら、それは多分長く続くと思いますけど。
なかなかそうはならないから、なかなか社会的補強が低いから、本質的な変化にはならないと。だから、やっぱりここでもインフルエンサーマーケティングの限界みたいなのが確認されますね、やっぱし。
長く続けようと思うんであればインフルエンサーではないみたいなのが大雑把なことは言えそう。
あるいはそれまで本人が取ってなかったような行動を新しく取ろうとかいうことを、本質的な変化を迫る場合にはおそらくそういうアプローチ。だからインフルエンサーマーケティングに頼ればいいというか、むしろそうなってしまうと逆効果になるかもね、というところが言えそうですね。
あれ思った。J松崎さんが、スクシューと100日チャレンジってやってるじゃないですか。あれはだから100日間の強い絆を一緒に作ろうとしてるんですよね。
だからあれグループでやってるから強いんでしょ。あれ多分1対1のセラピーじゃないな。1対1で教える人が100人いるよりは100人のグループと一緒にやるっていうことに多分効果があると思いますね。
強い絆も一緒に作ってしまって、続くようにしている。
だからやっぱり周りの人たちが今日もやりましたみたいな報告してると、社会的補強が積もるからやっぱり自分もやろうかってなるし、そういうのがないと、例えば自分以外の家族をやってないわけじゃないですか。
対抗勢力があるっていう。そうすると対抗その勢力に負けやすいから、やっぱりそれを上回る社会的補強っていうのを与えないと、やっぱりなかなか続けていけないっていうことでしょうね。
似た人を集めて仲間にするっていうかチームにするっていうか、そういうところも何かあるのか。
そこに多分成功の意義が、効果、エフェクティブなものがそこにあるんでしょうね、きっと。
調整のジレンマとティッピングポイント
第3部が、2部が終わって3部で、成功へのティッピングポイントということで、どこを注意したらいいのか。変化させる上でどこを注意したらいいのかというところで。
えーとまあ、調整のジレンマというのがありまして、調整のジレンマって結構難しいんですけど、
例えば、僕が近くにいる人にカバンって言ったとするじゃないですか。
で、向こうの人がフンっていう顔をしたら、カバン取ってって言い直しますよね、基本的には。
このように言って、相手の行動を見て、こっちの行動を調整するっていうことが、基本的にはコミュニケーションでよく行われてて。
その際に、相手がこの言葉をどう解釈したかっていう、相手の心を読むことが必要で、もしそれができひん場合はどうするかっていうと、
そのバーとか共同体に働いている社会規範がだいたい尊重されると。
相手が、他の人が何を考えているのか全くわからない場合は、基本的にだから、規範によって行動が決まってしまうし、だから規範性がどんどん強まっていくと。
で、こういうその規範があるから秩序っていうのがあると。で、規範を、規範があるからある程度の秩序があるってことは、
ある人の規範とか信念を変えるってことは、その一旦上手くいっていることを壊す必要があるってことですね。
上手くいかないかもしれないとこに行く必要がある。だから、そういう信念と調整ゲームが働いているぞっていうある種の言語ゲーム感がここではちょっと紹介されていて、
ちょっと難しいですけど、人間主体的な理解でいいと思います、ここは。
周りがやっていることを自然に人間は真似をしようとする?
で、ある程度、社会的通念みたい、共同体的通念が出てきたらそれに従って、それに従うからみんな上手くいくんやけど、
新しいイノベーションを導入するためには、その上手くいっていることを一旦変える必要があって、そこで新たな調整ゲームが始まる。そこをどうクリアするかっていうところで、
第9章がね、まあもうはっきり言ったんですけど、タイトルに書いてますけど、25%が変われば劇的に広まるってことで、これがティッピングポイントなんですけど。
さっき言った10人のうち25%だから、4人に変化を起きたら、あとは時間とともに全体に広がっていくと。
でも、このパーセンテージが25に対して24では行き地に届かず失敗してしまうと。
ここの実際どのくらい25が正確な数字かどうかわかりませんけど、ある行き地があって行き地を超えるまでは全然変わってないように見える。
けど行き地を超えだすと急に変わっていくと。これはティッピングポイントという現象の説明なんですけど。
調査ラバーソン25%って特定してるんで、ある程度正しさはあるんですけど、とにかくだから全体の割合を見て25%を変えることを目指そうと。
で、面白いんですけど、中国においてSNSで政府批判の声が上がってきたときに、それは例えば検閲で取り締まるってことをするんじゃなくて、
そのSNS上にしょうもないおしゃべりを大量に入れるんですって。どうなるかって言うと割合が変わるんですね。
25%未満になる。
だからどうでもいいものとして処理されていくという、言論を弾圧するんじゃなくて、言論を薄めさせるっていうやり方でティッピングポイントに至らないようにするという、
邪悪と言うとあれですよ、イビルな作戦があって。だから、調査が言うにはティッピングポイントを引き起こすためには、
整地である必要なくて、ただただ検診的に、つまり量を等価さえすれば良いと。ということはこれ、別にBotでもいいってことですよね、原理的に言ったら。
で、だからBot的なものが増えると、その25%未満の割合が変わってしまうと。そうすると、そこにあった規範性みたいなものの変化が起こりにくかったり、別の規範が生まれたりすると。
そう考えたら、コミュニティ運営ってあるじゃないですか。で、誰でもいいから参加してくださいってまずいなっていうのは、ちょっと僕らが経験して思ってることだと思うんですけど、これやっぱり割合の問題なんですね、きっと。
ネットコミュニティの盛り上がり
めっちゃね、同じことを考えていた。ちょっとずつ始めないといかないと思って。 そうだよね。一気に、誰でもいいからってマスを目指して、自分はこのでかいコミュニティ運営してるんだみたいな自負心のために、何でも間口を広げると、
自分たちが形成したい信念が形成される前に別のものがマジョリティになってうまくいかないから、この25%っていうものだから、あるチームがあって自分と似た価値観を共有している人たちが25%いればおそらく維持できるけど、そこの割合が変わってしまうとだんだん崩れていくから、
コミュニティを作る上でもある程度そのラインを引く。例えば100円でもいいからお金払ってもらうみたいな線引きをするとしないといけない。多分維持できる期間の長さみたいなのが、このティッピングポイントの考え方から言えるんじゃないかなとちょっと読んでて思いました。
そうですね。だからその薄い割合の人をいきなり入れてしまうと、何て言うんだろう、25%を超えれなくなってしまうというのか。そう。だから自分たちが新しいことをしよう、こういうことをチャレンジしましょうって言っても、えー、やだーっていう人たちが増えたらもうそれは望む変化は起きないわけですから。
なので少しずつ広めて、ちょっとずつ人を増やしていくっていうのか。 だからある程度、自身に近い人たちを選別する何かがあった方が、ある種クローズドになるつつもやっぱりそれはそこの生態系を維持するためには必要な線引きなんだろうなと思いますね。
そう。だから、なんか個人主義的な感じで言うと、人はどんなコミュニティにいても自分の信念の通り行動するだろうって考えてしまうんですけど、さっき言った対抗性とかこのティッピングポイントを考えると、いやそうじゃないよなと。どういう人の集まりを作ってどういう人を入れないかっていうそこのフィルターというか、中の維持っていうことが多分一番重要なんだろうなというのは思いますね。
と、最初のメンバー選びみたいなのがいかに重要かということですよね。 そうそう、誰でもいいわけではないというところは言えますね。その、才能とか言うよりは多分方向性とか価値観に興味を持つ、共感してくれる人でないと困るということかな。
で、第10章で雪だるま戦略というのが紹介されてて、ここはさっきゴリゴさんがおっしゃってくれた方向性そのままなんですけど、その前に内静的錯覚というのがありまして、これ非常に面白いですけど。ある人はだいたい他人の選択は同調圧力のせいだと考えるけど、自分については同じようには考えないという錯覚があるらしくて。
自分は自分の意思で決めたけど、あいつあんなことしてるのは周りに影響されたんだねっていうふうに思う。 まあまあ、想像はできるらしいんですね。で、そこから導かれるという一つの教訓なんですけど、自分の行動を、違う違う違う、自分が行動を変えた、これこれこういう影響で行動を変えましたっていう説明って間違ってることが多いんですね。
本来、社会的同調とかさっき言ったコミュニティの中の影響力で変えたはずなのに、さっき言った自分の錯覚があるんで、いやこれは自分でほにゃららしたって説明してしまうと。そういう時に自分を変えたい時にどうするかっていう戦略を間違ってしまうわけですね。
自分が一番影響を受けてるはずのものを見えてないから。自分の意思で変わったと思って言い続ける限り、自分が周りから影響を受けてるってことは気づきにくいと。だからこの内省的錯覚に陥ってる間って、セルフマネジメント的にも多分うまくいかない。これは。だから自分がそんなもの効果がないよと思ってるものが実は一番効果があったりするというのは、逆説的に面白い話ですね。
とみたけ めっちゃ有名なのが、結局環境を変えろっていうのもこれとまんま繋がってる話なんですよね。 そうね、だから環境を変えるっていうのは、お前の意思ではお前は変わらんぞっていうことなんですね。要するに。それは結構ね、もちろん環境を変えたらいいっていうのは知ってたんですけど、自分が一番そんなものの影響を受けてないんだと思ってるものの影響を受けてるというこのねじれた構図を知っておくと、結構役立つことが多いかなと思いますね。
GPT-4の圧倒的な実力
とみたけ ああ、そうか。結局環境を変えないと変えれんというか、自分では変えれんくって。 自分で変えられると思ってる人ほど、むしろそこは袋ゴージにハマっている可能性が高いので、自分にはこれが効果があってこれなんか効果がないって思ってる人は、一回考え直した方がいいっていうことがわかるのが前半部分で面白いところで、後半部分の変化を生み出す3つの戦略で、
三段柱モデルと特攻薬モデルと雪だるまモデルっていうのがあって、三段柱モデルっていうのは、もうやたらめったらとりあえず数打てと。例えば、街中歩いてる人全てにティッシュ配りするようなやつですね。とにかく数を増やせば広がるだろうと。で、これはまあうまくいかない。
特攻薬モデルっていうのが、インフルエンサーモデルに近いかな。ある人たちに集中的、ある人、例えばすごいグループがあって、Aのグループのインフルエンサー、Bのグループのインフルエンサー、Cのグループのインフルエンサーに宣伝してもらうみたいなのが特攻薬モデル。これもやっぱりうまくいかない。
で、雪だるまモデルっていうのがゴルフさんが言ってくださった、Aっていうグループに目をつけたら、とにかくそのAのグループの10人なら10人にとりあえずアプローチをかけろと。で、そこにアプローチをかけたらAの中で広まっていくから、広まったら今度はBにっていう風に重点的に雪だるまを少しずつ大きくしていくようにするのがいいというところが語られてて、これが本書の戦略の一番肝で。
インフルエンサーモデルに対抗するとしたらこのモデルしかないだろうなというところですね。
スノーボールとかは英語圏で好まれる言葉ですよね。
そうなんや。
なんかスノーボールなんとか、それもあれかな、アメフト用語とかかな、なんかいろんなので雪だるま式にって、ゲームとかでもよく言われますね。スノーボールになってしまうとつまらんから、ゲームの場合は。
あー、なるほど。
スノーボールをいかに抑制するかっていうの。
はいはいはいはいはい。
例えば、同じ事例じゃないかもしれないんですけど、マリオカートとかって、下位の人に意図的に強いアイテムが出るんですよね。
なるほどね。
それはスノーボールを防ぐためで、さらに言うと1位の人って障害物が少ないので、簡単に1位に維持しやすいんですよ。
なるほどなるほど。
2位3位って2位3位同士で順位争いをしているから、ほっとくと1位がどんどん先に行ってしまう。
うんうん。
で、そのスノーボールを防ぐためにゲームは、それを何らかの外的な要因によって、何て言うんだろう、阻害してやるっていうか、面白くするためにスノーボールさせない。
だから全員が勝てるっていう競争のモデルを崩さないために、雪だるまにならないようにしていると。
うん。有利な人がますます有利になるというのをスノーボールっていう表現で、結構いろんな業界で聞くような気がする。
雪だるま式に借金が増えていくっていう。
日本だとそれですね。
よくはないイメージ。だからそういうプロモーションのモデルを1つ持っておくと、マーケティングにも有効ですし、僕らみたいなインターネットで活動している人たちが、例えばどうコミュニティ作るのかっていうところでも多分役立つ考え方かなと思います。
うん、なんかすげー参考になった感じがする。
後半、ちょっとざっとですけど、4部がイノベーションを最適化するということで、イノベーションを最適化なんかできるかどうかわからないですけど、
ブロードウェイの話がありましたね。ブロードウェイって数々のヒット作を生み出しているわけですけども、いろんな劇を作るチームがたくさんあるわけですけど、
さっき言った花火ネットワーク、つまりハブ、ある一点からバーンって広まる情報を持って、あんまり良くないらしいんですよね。これは創作において。
創作において?
で、例えばこういうやり方いいよーっていうのがバッって広まると、みんなそれを知らすんですね。
あー、はいはい、そういうやつね。
で、例えばそのいいやり方が6割ぐらいいいと。
でも普通やってるやつよりは6割良くなるからいいやんってなって、例えばその6割のやり方と根本的に違う8割良くなるやり方が探求されなくなると。
で、情報がある程度つながってるけど花火型じゃなくてゆっくり電波していくような場合って、その電波が遅いところでは、その6割知らんから全然斬新な方法が試されて、8割とかが見つかったりすると。
だから、情報というか思想発想アイディアって言ってもいいですけど、ある種問題解決にいろんなアプローチが必要っていう時に、花火型のネットワークはむしろ不利になってしまうことが多い。
一番最初に発見されたほどほどのものが良いとされて、最適化とされて広まってしまう。だからある種の遅さが必要なんだなっていうところが第11章で確認されてます。
あの文明の攻防とか国家の流勢みたいなのも同じような話がある気がする。
だから、ある種、情報電波には良くても、探求とか研究においてはその花火ネットワークは効率的ではないと。効率性そのものの意味が変わってきますね、この場合は。
周知さればいいっていうことじゃなくて、より良い問題解決を発見するっていうことを効率性と言うんであれば、むしろゆっくりとした、じわじわ広がっていく情報ネットワークの方が良いということが11章で書かれてますね。
個人でもなんか言えそうですね。これが便利ですごいから、これをやるといいぞってやってみると、それよりもっと良い方法を見つからず、そればっかりやってしまう。
だからもうそこでフレーミングされてしまって、新たなことが考えられなくなってしまう。それは全体で見たときにやっぱ想像性というか問題解決が落ち込んでいるとはちょっと言えるでしょうね、きっと。
で、第12章。集団のバイアスをいかに取り去るかということ。これは結構政治的な話なんですけども。
強い信念を持っている人っていうのは、固く何かを、要するにイデオロギーな人は、自分の信念に反するような情報を見たとしても無視するわけですね。あるいは間違ってるとか言って。
その容易に変化が起きない。強い信念を持つ人に信念の変化をもたらすのは大体難しい人と。これは例えば最近ではエコーチャンバーとかも言われてますし、組織的な学問でサイロって言われるらしいんですけど、そういうものが形成されてしまうと。
で、これどう解決するのかっていうところで。で、例えばその相手方と意見交流したらいいみたいな、イノセントな意見があるわけですけど。まあ、ツイッターを見る限りそうはならないわけですね。むしろ逆に異なる考え方の人たちと安易に接すると、むしろお互いが信念を強めて、で、相手に対する反発感を生んでしまうと。
だからもうインターネットでそういうのって無理だよね、みたいな話が思いつくんですけど。まあ調査は一応その実験で、また実験で、実験的SNSみたいなの作って、で、アメリカなんで多分その民主党と共和党の人たちを一緒のタイムラインで意見を交換したけど、やっぱり意見的対関係が強まってしまったと。
で、最初の環境ではその別に意図したわけじゃなくて、それぞれのユーザーがどっちの党を支持しているのかがわかるアイコンがついてたらしいんですね。まあユーザーアカウントの横とかでしょうね、きっと。で、別のパターンで作ったやつはそれがたまたまなかったらしいですね。で、そっちの場合、案外敵対関係が広がりにくかったという話がありまして。
つまり、アイコンとか何か、私はこれですよという示すものがあると、その人のフレームが発動してしまい、こいつは敵だとなって、まあまともな意見が交わされないが、むしろそれがフラットな状態の場合は、結構聞く耳を持ってくれるようになるという話がありまして。
まあこれ、どこまで本番やねんと思うかもしれませんけど、やっぱりね、相手がどういう人なのかっていうフレーミングはね、強い影響を与えるんだろうなと思います。
なんかね、黄色いシャツ実験とかだったかな。子供を使って、なんかそういうふうにシャツを着せて違う色の人を敵だと認識しやすいとか、なんかそういうのがあった気がする。
それと、それの現実版というか、意図的にしなくても、例えばプロフィール欄に何を書いてるとか、アイコンをどうしてるのかっていうことで、フレーミングが発生してしまって、で、もう敵対関係という構図が生まれたら、もうそれは変えようがない。
弱い絆との比較
だから、そこを何か中和することができて、狭いネットワークじゃなくて、あるグループとあるグループの中に広い橋を架けることができたら、もしかしたら変えられるんじゃないかなということが、比較的良い希望を持って語られてますけど。
だから、確かにSNSとかで、お互いフォローした方がいいのにって人たちがいるのは確かですけど、でもそれは多分SNSの設計とかに問題があって、やり方さえ変えれば、見知らぬ人たちが自分の意見とかを交換することも、もしかしたら可能ではないかなというところは、ちょっとだけ希望に思いましたね。
【佐藤】そうか、そうか。今、自分の個人的な意見としては、SNSに果たして希望なんてあるんだろうかっていうのは思うんだけど、可能性は捨てたらダメですもんね。
今の形じゃない何かしらの社会的交流。SNSってソーシャルネットワーキングサービスだから、別にタイムラインに投稿することだけがSNSではないんで。何か別の形でそういうことができて。例えば、ある政党を支持してるって自分が表明してたとすると、アイコンとか何かしらの形で書いてたとすると、やっぱり自分たちの仲間の目を気にするようになると思うんですよ、きっと。
で、そうなると、やっぱり弱腰は取れないわけじゃないですか。で、強い意見になるっていうことが形成されると。それは、その人が真にそう考えているというよりは、ある種のパフォーマンスとしてそういう言説になっている可能性が多分あって、そこをプラットフォーム側でもし変えることができたら、インターネットよりも多少の希望はあるんじゃないかなという。
これはわかりませんけど。でも、ある種の実験ではバイアスみたいな信念を破らげられたこともあったらしいので、そこは期待していいんかなというところが12章で。で、13章はここまで言ってた諸々を7つの戦略の形でまとめ直している。これは本章を読んでいただければいいと思うんですけど。
全体を振り返ってまとめて言えることは、まず弱い絆は確かに強い絆とは違うネットワークを築いてくれるけども、まずやっぱり強い絆がちゃんとあってこそだよねということで、強い絆再考論っていうのが僕は改めて言えるんじゃないかなと。
例えば、今まで本を読んでなかった人が本を読むっていうのは、新しい大きな変化ですよね。それを例えば、なんか有名な本がバツってるから、じゃあ読書しようってならないと思うんですよね。だから、読書をするっていうのは、身近な人たちとかあるコミュニティの中で本を読む人の割合が25%を超えて初めて広がっていくようなものなので。
こう、地道な大きな変化っていうのを志す場合、ある種雪だるま戦略みたいなことを軸にして、極力インフルエンサー的なものとは距離を置いたほうがいいという。社会的本質的な変化を目指す場合は、強い絆とか広い橋をどう築くのかを考えたほうがいいと。
結構だから、いろいろ自分の戦略とか社会を見る目とかが大きく、変わったということではないけど、ある別の角度から見るようになれた本かなというのが僕の感想でございます。
めっちゃ思いつきなんですけど、例えばSNSの問題って一気にユーザーが増えすぎたことなのではないか。そういうのを思って。例えば、1日にフォローできる人数が限られていて、流れてくるタイムラインというのはその2時の隔たりまでの人しかないとか。
そうですよね。3人から招待を受けないと入れないとか。ある社会、デットワークの中でしか参加できないってなるとありにくいでしょうね。もちろん、バズマーケティングには全く使えないでしょうけど、ある人間交流を深めるためのものとしては、そういう制限とか制約があったらいいかもしれませんね。
問題はやっぱりサービスとして資本主義でそれを成立させるのがやっぱり難しく。間違いない。マストドンのシステムに近いことをやればいけるのかも。あるいはもうwikipediaみたいにそういう法人でやるしかないじゃん。
マストドンのサーバーには、まさに3人から招待されないと入れないサーバー? そういうのは確かに作れる。モンエルが作れたそこの中は、わきあいあいとまでは言わないけども、賢悪な空気っていうのは流れにくいんじゃないかなと思うね。
一ヶ月に10人までしか増やせないディスコード? そういうことがあれば、荒れにくいでしょうね。だから、荒れるっていう現象は基本的にはそうなんですね。
ティッピングポイントを揺らがしてしまうほどの規模の流入があると、そう荒れるっていうことになってしまう。だから、ゆっくり参加していけば、本来そんな行動を取らなかった人も、周りがやってるからってことで取りやすくなってしまうでしょうから。
そういう設計感。だからやっぱりインターネットは、成長の速度が速い方が偉いという信念があったから、やっぱりそこら辺が合わなかったんでしょうね、きっと。
そうですね。我々の直感より人間の数というのは多すぎると思うので、100人、1000人のオーダーまでは多分、視界に一望できるので、ギリギリ想像できると思うんですけども、満はちょっと無理になってきますからね。
そうだよね。だから、例えば1人の人間が5000人と繋がってるよりは、ある100人のグループが別の100人のグループと密接に繋がってた方が、何やろ、有益というか、変な話だけど、有益なんでしょうね、きっと。
うん。難しいな。確かに軍隊とかも5人組を集めて、その中のボスがいて、5人のボスの中のボスがいてとかって、確かそんなんですもんね、だいたい仕組みが。
そうやって階層構造作らないと、個人には扱えない、その全体像は。だから、基本的にインターネットは弱い絆に非常に相性が良くて、その恩恵を間違いなく受けてきた人間ではあるのですけども。
例えば、弱い絆か強い絆っていうふうに二分した時に、僕とグルゴさんって、弱い絆じゃないじゃないですか。まあ、言うてしまう。
ミドルな絆の重要性
2週間に1回ポッドキャストやってたら、十分強い絆だと思う。
だから、ミドルな絆か強い絆の領域あたりにはいるわけですよね。で、やっぱりインターネットで弱い絆の人って、情報をRTしてくれるのは便利やけど、じゃあ一緒にポッドキャストやりますかってならないわけですよね、それは。
そうですね。どっちが先かっていう話でもあるけど。
で、やっぱりポッドキャストやりましょうかっていう、その前段階にはお互いがお互いの記事とかを読んでたりとか、一緒に行動したりっていう、その弱い絆か強い絆に少しずつ強化されていく過程が、プロセスがあったはずなんですよね。
やっぱりだから、弱い絆は脆いんですよね、基本的に。大きな変化にはなりにくい。便利は便利やけど、それはやっぱりスタート地点でしかなくて、
そこからどうより少なくともミドルぐらいの絆を築いていけるのかっていうことが、バズって儲かるとかいうのとは別の話で人生に変化を与えるようなものっていうのは、そういうところからしか生まれてこないんじゃないかなと。
そうですね。サードプレイスは弱い絆よりはもうちょっと強くないとダメですよね。
だから、弱い絆理論っていうのよりも、もう少しミドル、サードプレイス的なものは、たぶんミドルな絆に。スタバのサードプレイスって言ったら、家でも会社でもない場所で、弱い絆よりも薄い場所な気がするんだけど。
スタバは、その意味で言うと何もサードプレイスではないと思う。
だから、本当の役に立つサードプレイスっていうのは、別の共同体を持つと参加するということだと思うから、そこはやっぱりある程度、ミドルぐらいの絆がそこにある場所っていうところで捉えて、それをどう作っていくのかっていうのを考えたほうが、精神的健全的な生活に近づくんじゃないかなと。
やっぱり情報が、今の伝達って、効率的、冗長性が仮になくて効率的やけど、昔のライフハックブログって非常に冗長的だったよね。みんなが同じような情報をある程度交流、書いてて、お互いに読んでたし。
弱い絆よりは、ちょっとあった感じがする。
そこで育まれたものが多分あって、でも今は多分ないんだよね、やっぱりそういうのは。SNSで流れてきた記事を読むというのだけでは、やっぱりそういうのは生まれにくいので、そこは代替していかんとなというのが感じてるところですね。
俺ね、コワーキングスペースみたいなものにね、今でも結構可能性はあると思うんだけど、あんまりそういうものを見なくなってしまった気がして。自分も面倒で行くかって言ったら行かないからそうではあるんだけど。
少なくともゴルゴさんは、自分の家族っていう強い絆とインターネットコミュニティっていう中ぐらいの絆はすでに持ってるから開拓する必要がないというのはあると思いますけど。
今の今、すごく必要だというわけではないかな、そういう意味で言えば。
インターネットによる絆の形成
もしそういうのがなくてインターネットを打とうとかいう場合に、コワーキングスペースみたいなところでっていうのはありだと思うんですね。
なんかその一週に数回行っていた時期を思い返すと、うまく行っていた時期はっていうのに非常にいい感じの、友達、他人以上友達未満みたいな。
一緒に遊びに行くではないけれども適度に世間話ができてぐらいのそういう感じ。それはなかなか良かったんじゃないかなって思いますね。
だからそういう感じの何かを、僕語り師の読書会みたいなのはほとんどそういう場所に近いと。
一緒に遊びに行くまでは行かんくってもいいけどぐらいの距離感が一番求めるところかな。
別にその人の詳細なプロフィールは知らんけど、好みみたいなのは大体ちょっと知ってるみたいな人間関係のグループっていうのは、弱くもないし強くもないというミドルな絆として。
インターネットによって初めてそれが作れるようになった。昔は多分だから強い絆しかなかったし。テレビが出てきたことで弱い絆的な情報伝達ができるようになったけど、
インターネットが短いなったことでそのミドルな絆っていうのが多分構築できるようになってきた、そういう時代なんじゃないかなと思いますが。
あれかな、アズマさんで言うね、固有名の距離感な感じがする。
確かに確かに。
その専門家ではなくて他人ではなくて固有名として認識できるぐらいの距離感。
そういう距離感があると安定するかなという感じですね。
ということで、Book Catalystは番組を支援していただけるサポーターも募集しておりますので、詳しくはポッドキャストの概要欄をご覧ください。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
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