1. ブックカタリスト
  2. BC062『習慣と脳の科学――どう..

今回は『習慣と脳の科学――どうしても変えられないのはどうしてか』を取り上げました。

本書は二人とも読んでいた本だったので、いつもとは違ったスタイルになっております。

書誌情報

* 著者

* ラッセル・A・ポルドラック

* スタンフォード大学心理学部教授。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校にてPh.D.を取得。2014年より現職。人間の脳が、意思決定や実行機能調節、学習や記憶をどのように行っているのかを理解することを目標としている。計算神経科学に基づいたツールの開発や、よりよいデータの解釈に寄与するリソースの提供を通して、研究実践の改革に取り組んでいる。著書にThe New Mind Readers What Neuroimaging Can and Cannot Reveal about Our Thoughts(Princeton University Press, 2018)がある。

* 翻訳・監訳

* 児島修(訳)

* 英日翻訳者。1970年生。立命館大学文学部卒(心理学専攻)。主な訳書に『サイコロジー・オブ・マネー』(2021)『DIE WITH ZERO』(2020、以上ダイヤモンド社)、『ハーバードの心理学講義』(2016、大和書房)など。

* 神谷之康 (監訳)

* 京都大学 大学院情報学研究科・教授、ATR情報研究所・客員室長(ATRフェロー)。専門は脳情報学。奈良県生まれ。東京大学教養学部卒業。カリフォルニア工科大学でPh.D.取得。機械学習を用いて脳信号を解読する「ブレイン・デコーディング」法を開発し、ヒトの脳活動パターンから視覚イメージや夢を解読することに成功した。SCIENTIFIC AMERICAN誌「科学技術に貢献した50人」(2005)、塚原仲晃賞(2013)、日本学術振興会賞(2014)、大阪科学賞(2015)。サーペンタイン・ギャラリー(ロンドン)でのピエール・ユイグの展示 「UUmwelt」(2018)への映像提供など、アーティストとのコラボレーションも行う。

* 出版社

* みすず書房

* 出版日

* 2023/2/14

* 目次

* 第I部 習慣の機械――なぜ人は習慣から抜け出せないのか

* 第1章 習慣とは何か?

* 第2章 脳が習慣を生み出すメカニズム

* 第3章 一度習慣化すれば、いつまでも続く

* 第4章 「私」を巡る闘い

* 第5章 自制心――人間の最大の力?

* 第6章 依存症――習慣が悪さするとき

* 第II部 習慣を変えるには――行動変容の科学

* 第7章 新しい行動変容の科学に向けて

* 第8章 成功に向けた計画――行動変容がうまくいくための鍵

* 第9章 習慣をハックする――行動変容のための新たなツール

* 第10章 エピローグ

* 簡単な概要

* 「習慣」とは何であり、それはどのようなメカニズムによって形成されるのか。脳科学や認知心理学の知見をベースにしながら検討される。また、その知見を元にいかにして行動変容を起こすのか、という科学的な視点からの提案もなされる。

* 随所に「科学的な知見とどのように付き合えばよいのか」という話題が差し込まれていて、ポピュラー・サイエンス的な読み物としても楽しめる。

ポイント

本書は「習慣」がいかにねばり強く私たちの行動に影響を与えるか、という話が主旨なのですが、それとは別に「二つの学習メカニズム」の話が出てきて、倉下の興味はそこに強く惹きつけられました。

一つは、この世界が固定的なものだとしてその世界と効率的に付き合う方法で、習慣が相当します。もう一つは、この世界の変化に対応する方法で、宣言的な(言葉によって表現される)知識として扱うものです。記憶の領域で言えば、前者は手続き的記憶で後者が宣言的記憶に相当するでしょう。

たしかにこの世界はほとんど変化しない部分があり、しかし変化する部分もあります。そして、人類が築き上げてきた文明は概ね変化する部分を増やしてきたと言えるでしょう。そうした状況は習慣的なものだけでは対応できないから、現代では「言葉」の扱いが重要になっている、とも言えます。

この話からは他にもいろいろな教訓が引き出せると思いますが、やはり重要なのは「固定に対応するもの」と「変化に対応するもの」という二区分で、しかもそれらを一つのシステムの中で組み合わせて使う、という視点です。

静的なものと動的なものの両方が必要で、しかもそれらを支えるメカニズムは違っている。そのように捉えると物事の構図はもっと立体的になっていくでしょう。

私たちはついつい単一の原理性で物事を片付けたくなりますが、解像度を上げればそこにはさまざまなベクトルが働いています。その観点は忘れないようにしたいものです。



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脳のメカニズムの説明
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第62回の本日は、「習慣と脳の化学。どうしても変えられないのはどうしてか?」について語ります。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
一応この本、僕が取り上げようと思ってたんですけど、goryugoさんも呼んでいただいて、非常に面白かったということで、2人でワイワイやろうという趣旨になりました。
はい、最近はそうですね、割とかぶっている確率が高いですね、最近出た本的なやつでいうと。
そうですね、新しい本を読むとそうなりがちですね、ちょっと。
ミスズ書房から2023年の2月に出た本、ラッセル・A・ポルドラックさんという方が書かれて、監修の方がついている翻訳の本ですね。
そうですね、著者は多分ラッセルさんは脳神経化学の方でしょうね、おそらく記述からすると。
ですね、あと本の後ろの方にも出てきて面白かったんですけど、オープンサイエンスと呼ばれる、科学をもっとみんなに開かれたものにしていこうということに関してもかなり積極的に運動をされている方みたいですね。
一応心理学部教授となってますね、だからメインは心理学の方か、でもちゃんと神経化学の方にも通じているという方ですかね、ということは。
そうですね、終盤の方にいろいろ出てきて面白かったのが、例えば実験をしようとする場合に事前にこういう結果が出るだろうということをちゃんと申告させて登録させることによって、
実験者による恣意的な結果の改ざんとまでは言わないんだけれども、そういうことみたいなのをできるだけ減らす努力みたいなこともすごいしているみたいで。
それ多分面白い話で、つまり僕たちはノホホンと科学の研究結果でこう出ましたって言うと、おーって思うわけですけど、実際その自分の主張に合わせてデータとかをいい感じに調整して、はいどうですかみたいなことを言い出しかねないことが実際に起きているということなんですね、そういう動きがあるということは。
めちゃめちゃ変わったって書いてありましたよ、一番最後の話なんですけど、10パーぐらいまで下がるんだったかな、そういうのをちゃんと初めに申告させるみたいなやつをしたら、今までは半分ぐらいがうまくいったって言ってたやつが1割にまで下がったみたいに書いてありましたね。
この本の面白いところって一応テーマとしては習慣と脳の科学なんですけど、ところどころにサイエンスってのはどういう営みなのかっていう説明もちょいちょい入ってくるんですよね。
その実験結果を僕たちはどのように授与したらいいのかっていう一般科学啓蒙みたいな要素も盛り込まれてて、その辺もちょっと面白かったですね。
個人的には面白かったんだけど、それによってすげー難しくって、例えばこうこうこうこういう話があるっていう話が出てきた後、っていうのは有名だったんだけど、最近はそうじゃなくなってきてみたいな話がちょいちょいあるんですよね。
難解な実験の説明
ざっと読んでしまうと見事に騙される。騙されるではないんだけど、結構注意して読んでいかないと、むしろこの本が意図したところと逆の理解すらもしてしまいかねないなっていうのは結構読んでいて思いました。
なるほどね。確かにこの続けて読んでほしいタイプの本ですね。つまみ読みじゃなくて。
そうですね。拾い読みするとたぶん2ページ丸々今とは違うみたいな、見開き全部そういう説とかが載っていたりするので。
あんまり気づかないかったけど、確かにそういう側面はありそうですね。
そう、たぶんラシタさんはいろいろ読み慣れているんですよね。この本を読んでいた時期がすごい読書スランプ的な時期に陥っていて、読んでいる本、読んでいる本が何かと頭の中に入ってこなくて。
それ花粉症のせいじゃない?
ひょっとしたらただそれだけかもしれない。
可能性はありますね。
何にしてもまず1回読んで、メモしながら読んだんだけどわからんくってもう1回読んだぐらいな感じで。
僕もこれ読書メモを取る時にちょっと通常では足りひんかったので、結構ガッツリ取り直しましたね。結構難しい本です。
あともう1個難しかったのが、今時の実験とかをすごい詳しく紹介してくれて、それを本気で理解しようと思うと本当に大変で。
そうか。だからそういうとこだよな。本気で理解しようとしない態度っていうのが読書においては結構重要で。
フフフンって読み飛ばすことができるかどうかって結構違いが生まれますね。
俺少なくとも2回目はその手のこの目字で言うとボックスなんとかって書いてある。あれは基本飛ばすようにしました。
そうそう。僕もボックスは地面を追ったぐらいで、おおむねこういうことなんかなっていうところを飛ばしようと、一応最後まで読んだけど、
どういうことかまでは、例えばカルシウムに読むイメージングって言われるのが出てきますけど、
今こうやって説明できるかって言うと無理なんですよね、これは。
なんかカルシウムを使うとニューロンを光らせることができるようになって。
それぐらいが理解しています。
でもそれで別によく、だからボックスになっているっていう、その本編に直接関係ないからボックスに入れられている、コラム化されているというところでもあるんで、
だからそこの陰影がついてるんですよね、要するにこの手の方は。
で、あれかな、それを読み慣れていないと非常に困難に感じるのではないか。少なくともその花粉症なのかによる読書スランプだった自分はものすげえ苦労しました。
久しぶりに全然わからんだって思いました。
そう、そこまでか。でも多分それは多少やっぱりその花粉症でバフがかかってたと思うよ。
一応頑張って何回も読んで、一応わかったと言えるんじゃないかなっていうレベルには達したんですけど、その一回目に読むときがとにかくわからなかったですね。
習慣に関する化学的なエビデンスの説明
一応本の内容としてはその習慣と脳の化学ってタイトルが、実際その人間の行動をどのように変容したらいいのか、変容させていったらいいのかっていうことに関する化学的なエビデンス付きの話なんですけど、
序盤に脳のメカニズムの話が結構がっつり載ってまして、そこが結構難しいんですね。
1、2、3あたりはすげえ難しかったですね。
2000年あたりからこっちに来るにつながって、新しい脳の検査方法じゃないけど実験方法が増えてきて、それによって脳化学の知見がかなりぐっと増えてきたっていう話があるんで、
結構現代の、最新のとまでは言わないけど、現代的な化学的な知見による行動変容の話が解説されてるとこは、改めてこの手の話を読む人にとっても面白いかなと思いますね。
知ってることばかりじゃなくて、へーっていうようなことは結構書いてました。
そうですね、自分も色んなことが繋がった、解像度高く繋がったっていう印象があって、
例えば細かな部分で言うと、今までにBook Catalystで紹介した本と関連することがいっぱいあるなと思って、
例えばWill Powerっていう意志力の話、Fast & Slow、これは直接Book Catalystで取り上げたわけではないですけれども、その話とかもものすごく絡んでいるし、
パーソナリティを科学するBig Fiveってやつですね、あれとかもその自精神の話とかがものすごく大きく絡んでいたし、
浄土はこうして作られるとか、農科学とか心の話なんかも割と関連していたりだとかもしていた印象かなと思って、
そういう意味でもあれですね、Book Catalyst的な意味でも関連度が非常に深い本ではないかなっていう印象で。
そうですね、だから取り上げようと思ったんですが、一応本の概要だけさらっておくと、大きく二部構成になっておりまして、
第一部が習慣の機械、なぜ人は習慣から抜け出せないのか、第二部が習慣を変えるには行動変容の科学ということで、
一部で各々メカニズムを解説する上で、第二部でそれを前提にした、どうのように人間が無意識で取っている行動、繰り返す行動を変えていったらいいのかという話が語られていて、
実演編的には第二部なんですけど、僕は第一部がだいぶ面白かったですね。
個人的な俺も意見なんですけど、第二部は割と知ってた話っていう印象があります。全体的に。
それはそうでしょうけどね、大幅に全く新しい方法論が出てくることはおそらくないでしょうけど、
第1章から第6章までが一部なんですけど、ここら辺の話、特に2,3,4あたりが面白かったかな。
同じですね、2,3,4ですね。面白かったのは。
この辺が面白かったんですけど、二人とも読んでるんで、改めて習慣とは何かみたいなことをいちいち説明するのはちょっとだるいわけですけど、
僕たちがよく話題にする習慣っていうのは、だいたい良い習慣ないしは悪い習慣であると。
増やしたいのが良い習慣で減らしたいのが悪い習慣。でも実際、僕たちの大抵の行動は普通の習慣で構成されてると。
よくも悪くもないという意味での習慣。ただし、ある程度繰り返されていると。
その繰り返されてる習慣の面白さっていうのは、一番最初は目的を持って始められたにも関わらず、
繰り返しているうちにその目的があろうがなかろうが、同じシチュエーションになった途端に行動が始まってしまうと。
抑制と興奮の関係性
しかもその行動は認知の積床を越えない、認知の積床を通らないその迂回路で実行されてしまうから、
自分の中でその判断が生まれていないというちょっと特殊な行動になっている。
その特殊な行動がどのようなメカニズムで生まれてくるのかっていうのが主な第一部の前半の説明ですね、おそらく。
たぶんビルパワー的な解釈をするのであれば、習慣じゃない行動をしようとするにはものすごく意志力が必要で、
ほっとくと習慣通りの行動しかしないというのか。
そうでしょうね。だから最初に別の行動をしようと強い意志を持たない限りは、
習慣的行動をとってしまうようになっている。それはだから、脳がそのように結合されている。
ニューロンが出来上がっているから、それはどうしようもないわけですね、これはもう。
あの進化の話を言うとあれですよね、無駄なエネルギーを極力使わないように、脳って結構いろんなことを考えているように見えるけど、
大半は意識に上らないレベルでほとんど自動処理をして、自動で動くようになっている。
そうですね、だからここでたぶん一番最初に僕がピッときたというか、システム1とシステム2の話に近いんですけど、
脳のエネルギーを最適化する上で、その習慣的行動をとるのは大切だが、しかし同じ行動ばっかりしていたのでは新しい環境に対応できない。
それ困ったぞという時に、脳は2つの学習のメカニズムを持っているのではないかという仮説があって、その考え方が最近主流になっているという、
この学習が2つのパターンを持つっていうところがたぶんこの本の中心的なテーマですし、僕が一番面白いと思ったところもそこですね。
学習って言ったら、例えば学校で社会で歴史の年号を覚えるみたいなことが世間一般で思われる学習なんだけれども、
そうじゃない学習っていうのが思ったよりというか、おそらくはそうじゃない学習の方が圧倒的に多いんですよね。
だから習熟とか熟練とかに近いかな、イメージとしては。
そういうもので僕たちは対応していることが多い。
特にこの世界が特に大きく1秒ごとに物理法則とか変わったりはしないから、そういうものについては安定系を意識した学習で、
駐車場でどこに車を停めたかっていうのは1日ごとに変わってしまうから、それを変化に対応する学習モデルも持っているっていう。
この2つのモデルで理解するっていうのは、システム1とシステム2と全く同じで、
何かを学ぶとか学習するっていうことを考える上で、この観点を持つのは結構大切なことかなと思います。
あともう一個ね、面白かったというか、脳科学の本ではもしかしたら当たり前なのかもしれないですけど、
抑制と興奮の関係なんですけど。
僕も今までずっとニューロン系は興奮と抑圧抑制っていう2つを持ってたのは知ってたんですよね。
行動を起こすときって、その興奮が働いて行動につながるとずっと思ってたんですよ。
でも実際これすごいひねった感じで、普段僕たちの行動は常にニューロンによって抑制されていると。
その抑制しているニューロンを抑制することで活動するっていう、
マイナスにマイナスをかけてプラスにするっていう構造になってたっていうのをこの本で初めて僕は知ったんですけど、
結構パラダイムがひっくり返った感覚がありましたね。
これをね、俺この仕組みを理解しようと頑張ったせいでめちゃめちゃ苦労してね。
結局今でもどのぐらいわかっているかっていうのがちょっとよくわかんないんですけど、
その図で書いてっていうやつですよね。
外部刺激に対する脳の反応
基本的に外部から刺激が入ってくると、この本で言うと直接漏・間接漏っていう呼び方をしてたやつですよね。
基本的には外部からの刺激はすべて直接漏を通って大脳皮質、おそらく意識のレベルに上らずに全部変えていってしまっている。
そこにドーパミンというものがあった場合になると、いつもと違うっぽいぞっていうので間接漏を経由してあれちょっと待てになるってことですよね。
多分、用語で言うと。
おそらくはね。
ちょっと待てっていうことで動きが発生するようになる。
ほとんど無視するが基本で意識しないと気づかないっていうのが脳の意識のレベルでも同じだっていうところですよね。
今説明しているのが大脳規定核っていうものの働きなんですけど、そこにある洗浄体とかの動きなんですが、ここは非常にややこしいメカニズムになっていて、
本書でも結構細かく図付きで説明されていて、ここを理解するためにわざわざ図書いて理解したんですけど、スクラップボックスのメモにもそこの流れが書かれているんですけど、
ゴルゴさんがおっしゃったように直接路と間接路っていうのがあって、2つによって動きがちょうどプラスとマイナスの反対になっていると。
通常僕らのニューロンは常に抑制されていて、行動を起こそうとするニューロンが抑制されているから何もしない。
その抑制を外すっていうマイナスの信号が送られてマイナスになっているものを取り外すから行動が動くと。
これを理解すると転換的なもの、急に動きが止められなくなってしまうっていうのがすぐ理解できるんですね。
つまり、普段僕たちは何もしなければ常に活動的なんですね。もう過剰活動。
あのあれですね、ピクピク震えるみたいなやつですね、手が。
そういうのが普段神経回路が抑えていることで止まっていると。
これ何がすごいかというと、僕らは潜在的に常に動こうとしてるわけですね。
あらゆる行動が実は選択肢にあるわけなんですよ。
ただその選択肢が抑えられてるから行動しないだけっていう、ゼロから行動を起こすんじゃなくて、
普段マイナスに抑えられているものを蓋を外すとプラスになるから行動になるっていう。
その行動は潜在的であるっていうのは結構面白い知見でしたね。
なのであれですよね、やっぱ止めることがいかに難しいかというか、
意識できてしまったら止めづらいんですよね。ほとんど全てはおそらく無意識で無視しているから。
そのあたりの抑制の難しさとかそういうところとかっていうのもこの辺の仕組みを分かると、
なんかこうちょっと深く分かったような気分にはなれるなっていう。
あとだから逆に抑制っていうのがある種地底の働きの典型なんでしょうね。
要するに抑えることっていうのがむしろ理性的な、理性的というか、つまりシステム2的なものの働き。
だからそこの辺を分かっておくと面白いのと、あともう一個そのドーパミンで、この本でもドーパミン結構出てきますし、
脳の抑制機能と行動の選択肢
ドーパミンという本はちょうどこの物価対策の第?
ゼロ回。
ゼロ回のときに出てきたやつで、この本でも大々的に取り上げられてるんですけど、
三因子ルールというのがありまして、これもね、僕の中では非常に面白かったんですけど、
ある結合が、ニューロンが同時に発火すると。
で、このときにドーパミンが一緒にあると、その結合が強くなる。
これは分かりやすいんですよ。これは僕もそうだろうなと思うんですけど。
で、ドーパミンがそのときにないと、その結合がむしろ逆に弱まるっていうやつなんですね。
この三因子ルールっていうのは。
だから、何かを行動する、そこでドーパミンが反応するようなことが起きると、人はその行動を強化すると。
で、この本を読むまで、僕はそのドーパミンがないと変わらないと思ってたんですよ。その結合って。
プラマイゼロだと思ってた。でも、ドーパミンがないと減るんですね、これ。
弱まっていってしまう。
だから、同じ行動をただ続けてるだけではダメなんですよね。
あいまいまにドーパミンが発生しないと、その行動って強化されないんです。
ただ、繰り返すたびに弱まっていく。
ドーパミンの作用と習慣の形成
このプラスマイナスゼロがないっていうのが、
強まるか弱まるしかないっていうのが三因子ルールなんですけど、
それを僕の知見にはなかった視点でしたね、これ。
あの、あれですね。ボリュームみたいなイメージだっていう感じのことを言ってましたね。
それで言うと、さらにドーパミンというのが。
多分、俺のなんとなくの理解なんですけど、
ドーパミンの量って1ゼロじゃなくって、
0.5ぐらいのドーパミンもあって、
その0.5ぐらいのドーパミンだと、おそらくキープぐらいになるんじゃないかと思ってるんですよね。
なるほどね、なるほど。
で、ほとんど習慣化する場合っていうのが、
実際にドーパミンの動きどうなってるんだろうっていうのは読みながら、
ちょっとまだわかんなかったんですけど、
多分ドーパミンゼロではないはずなんですよね、それで言うと。
なるほど。
行動した回数に応じてどんどん自動化されていってしまうから。
でもな、多分自動化するときにドーパミンの有無が関係してたはずやから、
ドーパミンが生まれてないものは多分自動化しないと思う。
でないと僕たちは、ハマってしまうものは何かしらの怪が生まれてるもんやと思うから。
例えば、机に手をぶつけるのって習慣化されへんと思うのよ。
変な言い方すると。
何かしちょっとでも良いという感触が返ってくるものやから強化される。
だから単純な繰り返しでも、例えば机を片付けて、
あ、片付いたなっていうちょっと感覚があるものは多分習慣化されやすい。
そもそもその怪が返ってこないものを続けるのは苦痛ですよね、きっと。
苦痛っていうのは要するにドーパミンがないっていうことだと思うんですよ、きっと。
なんかね、例えば自分の話で言うと、
ひげを指で抜くみたいなのが癖になっていたりしていて、
今はないかな、言われてみると。
それとかって、基本的に不快なんですよ。
分かる分かる。でも、さっき反論しちゃうけど、
その不快が起きた後って、マイナスがプラスにゼロに戻るやん。
ドーパミンと習慣化
痛いが痛くなくなっていくの感覚が、ここにドーパミンが生まれるわけよ、結局。
なんかね、手癖でこうやってやってしまっているんだけど、
まず、指が挟みすぎて痛くなってね。
分かる分かる。全体的に不快なのは分かんないけど、
抜いたときに絶対に何か怪的なものが生まれてると思う。
怪というか、ドーパミンを刺激するようなものが生まれてると思う。
本当に嫌なことしかないものは多分そうならないと思うよ。
でも、それあれじゃないですかね。ちょっと思うのが、
薬物、麻薬はそうか。飼いであるのか。目の前の飼いなのか。
瞬間的なドーパミンの抑制が絶対にあるから、
最終的に、トータルでプラスマイナスですごいマイナスであっても、
どこか最初の方にドーパミンを刺激するものがあったら、
それが脳が、この運動は強化するぞっていうメカニズムが働いてしまう。
その有無が多分大きくて。
だから、自分が対して意味づけを持ってないものを習慣化しようと思ったら、
やっぱり、いわゆるご褒美みたいなもの。
プラスになるものを意識的に置いた方がいいんだろうなというのを読みながら思った。
それがないと、それがないまま淡々とやってしまうと、たぶん続けられない。
で、習慣化するときに記録つけるといいって言うじゃないですか。
数字書くとか。あれもやっぱりあえて書くと、ちょっと嬉しくなるわけですよ、きっと。
感情的にプラマイゼルじゃなくて、やっぱりちょっとプラスになって、
それが動機づけにつながるんじゃないかなと、読みながら考えておりました。
頻度なのかな。
このドーパミンでめっちゃイメージしやすいのが、パチンコパチスロみたいなやつで、
我々が20歳ぐらいの頃、だいたい3,400回に1回ぐらいパチスロとかだと大当たりがある。
でも300回当たらないと、普通大抵嫌になりますよね。
なりますね、なります。
あ、違うか。そこにパチスロ業界は演出を加えることでドーパミンを出すのか。
そう。つまり当たりかもしれない演出で煽るわけやね、あれドーパミンを煽り続けてるわけ。
だから、道中、何も道中ってビッグが当たるまでに何の演出も発生しないやつってほんまにくついからね。
でも、ずっと当たったらやっぱりそれはそれでつまんないってことの証明でもあるんですよね、そこが。
ランダム強化が強いって言われるけど、それやっぱり期待に対してドーパミンが動くからなんだよね、要するに。
外れることを期待しているというのも、ある意味でドーパミンの作用と言えるのか。
おそらくは。
外れていても、そこはまたらしいことなのかどうか、いつもと違うことなのかどうかに反応するのか。
つまり、たまにしか当たらないことを僕らは知ってるわけやから、きっと。
その上でやってるから。
で、その上でもしかしたら当たるかもって、そのかもに僕らのドーパミンは動かされる。
うーん、そうか。
やっぱあれだな、改めて思うんですけど、やっぱ難しかったなっていうか、全部が俺理論だってきっちりやっぱ説明できるほど理解できてないかもしれないですね。
でも全体的にちょっと、ミスト処方のほうが大体難しいので、それはいいんですけど。
学習とコンテキスト
もう一個重要やなと思うのが、習慣っていうのは、一回悪い習慣というのを消したとしても、実際のところ全然消えてないんだと。
で、さっきの話で言うと、やめたかった習慣を抑えられるようになっているだけであって、回路そのものは残っているんだと。
で、学習っていうのはコンテキスト、状況によって変わってくるっていう話で、認知行動療法で、曝露療法っていうのがあって、
クモとかヘビとかでよく嫌いな人が慣れていくっていう実験というか療法があって、それを使った実験で面白い話がありまして、
例えば、ある部屋の中、ある教室の中でヘビになれようということをちょっとやってみると。
で、同じ2回目のその療法を同じ部屋でやる場合と、違う部屋でやる場合に効果が違うっていう話が出てくるんですね、この本の中に。
で、つまり、同じ部屋であったほうが、そのヘビに対する恐怖度の薄れ方は強いと。
つまりそれは、この状況でならこのヘビは大丈夫だという学習の仕方をするってことですね、要するに。
あらゆる情報を学習してるんでしょうね。その環境、あらゆるものを込みで。
でもこれ、トータルで見たときに、いろんな場所でやった人のほうが、総合的にヘビに対する恐怖心をする。
なぜならば、ヘビに出会う場所は、その教室内であるとは限らないからですね、要するに。
実際にヘビに会うのは、その林の中だったりするわけで。
だから、1つのコンテキストの中でヘビになれただけよりも、複数のコンテキストでヘビになれたほうが、実際のヘビに遭遇したときの恐怖心は減るっていう。
このコンテキスト込みで人間の学習が行われてるという話。
逆に言うと、僕らは、まずヘビが嫌いっていうのが正直的にあって、
最初、この部屋のヘビやったら大丈夫っていう部分的に上書きしていくっていう学びの進め方が行われてるというところが面白かったですね。
だから、ヘビが大丈夫っていう辞書の再定義が行われてるわけじゃなくて、
このヘビやったら大丈夫っていう部分的な改修しか行われないっていうのが面白かったです。
学び方で言うと、やっぱりちょっとずつっていうことですよね。そういうニュアンスで言うと。
ちょっとずつで、で、シチュエーションを変えてっていうのが多分重要で、
だから、何て言うの。例えば、なんか英単語を覚えたら、それで文を、いろんな文を作ってみることが重要っていう。
で、多分コンテキストを変えるですよね。だから、場所も変えたほうがいいし、相手も変えたほうがいいし、
方法も変えたほうがいいし、やることも変えたほうがいいし。
いろんな状況で使ってみるとか、遊んでみるとか、慣れてみるっていうことによって、
初めてそのものとの認知的な距離感が変わってくる。
同じことを繰り返してるだけでは、やっぱり学習として弱いんだろうなと思います。
抑制の話
これこのね、抑制の話だとね、車の右側通行、左側通行の話がね、
すげー面白いというか、すげーわかった感じがして。
俺たちは日本に住んでいると、車は左側通行なので、左側で走ることは当たり前にするんだけれども、
アメリカに行って、ビビりながらでも結構運転はできる。
アメリカは右側通行で、ただ意識していないと、ついつい左側通行になってしまって苦労するんだけれども、
例えば1ヶ月、2ヶ月いたら、意外とスムーズに右側通行になれてしまう。
で、日本に帰ってきた時に、またやらんといかんやんっていうのが、意外と素早く返ってくる。
それもその抑制っていう話とコンテキストっていう話を含められると、すごくね、こう、そういうことかっていう仕組みがだいぶわかったような気がして。
そう、だから結構学習についての理解が、そう、習慣の本やけど、結構学習についての理解が深まる本ですよね、この本は。
おぼえていたこと、覚えたことを忘れているわけじゃないっていうのは、かなり大きな発見だったというか、習慣に関してか、何にしても。
そうだね。だから、覚えるっていうか、覚えるっていいんやけど、脳のニューロンのメカニズムが出来上がってしまったものは、
壊れないわけですね、要するに。物理的に壊れたら知りませんけど。ネットワークそのものは全然残ってて、ただ普段は抑制されてて見えなくなっているっていう状況があるっていう。
だから、禁煙も難しいし、薬物はもっと難しいと。
タバコとか薬物をおやめるのが難しいっていう話で出てきたんですけど、例えば一回依存症になった人とかとは、タバコとか対象物がより強く受容されるという話が出てきまして。
目立つっていう。
サリエンシーが上がるって表現されてるんですね。
それはだから、どうしようもないなと。医師の力だけでは、だって他の人はボヤンと見えてるものがその人にはくっきり目に映ってアピールしてくるわけですから。
それは医師で抑えるのは難しいよなと思いますね。だからその世界の見方そのものが依存症の中では変わってしまうんだなっていうのもちょっと面白い発見で。
俺めっちゃね、タバコの話とかで実感があって、やめたのが大雑把に10年前。もうちょっと細かい数字は置いといて。
昔よりはるかにタバコの煙が臭くて不快なんですよね。
なるほど。
タバコをやめた直後はおそらくなんだけど、吸いたいなって思う感覚があったと思うんだけど。
今だとね、そこにね、不快が混じっているからおそらくもう一回吸うことはこのままではないだろうと思うんですけど。
そのね、すげえ過剰に反応している自分は確かにいて。
うーん、なるほど。
無視できひんってことだよね。
必要以上に臭いが気になってしまうんですよね。
あー、なるほどね。
ちょっと前までは、たとえばよくタバコ部屋に行って帰ってくると、お前タバコ吸ってたでしょって言われるって。
えー、そうなんだ、気づくんだ、すげえぐらいに思っていたんだけど。
むしろ今だとわかんねえわけねえじゃんぐらいに思うし。
はっきりわかるね、確かに。
っていうぐらいサリエンシーは実際に上がっているっていう実感もあるし。
あとそれで言うとここに書かれてたので、ストレスが高くなると昔の習慣を取り戻そうとしてしまう。
それもわかるというか重要なことだなっていう新しい習慣を取り入れようとする場合に。
ストレスが高い環境でそういうことをしたら多分失敗ですよね。
いかに難しいかというか、逆に言えば対策の仕方がものすごくあるなと。
ストレートな答えはやっぱり全然書いてなかったんですけど、この本に。
そこから学べることはすごく多かったんですよね。
いろんな習慣、学習に関しての解像度が上がることがすごく多い。
だから習慣というのは学習された行為やっていう、そこに無意識化に移行した行動のことっていう構図が提示されますけど。
それがちゃんと脳のメカニズムと共に紹介されてて。
そこが逆に読み手を選ぶ感じはありますが、そこのメカニズムを一回知っといた方がいいかなとはちょっと読みながら思いましたけど。
これを知っといたらいくらでも応用できる的な植物的ではない、もっと根本的なところからの話っていう印象はありますね。
ある行為が習慣になっているってどういうことなのかって説明できなかったですけど、今までは。
習慣の移行と抑制
今もう説明できますからね、僕は。
面白いんですけど、この本の中で人間はある目的を持って行動を始めると。
そのときその行動は認知のメカニズムでスタートする。
それを繰り返しているうちに、その認知の行動のニューロンのサイクルは、
インプットとアウトプットがループになっていると。
出したものが戻ってくるという形で循環するんですけど、
その認知だけに回っているんですけど、その認知のループが行動の方にも繋がっていると。
この行動の方のループも徐々に繰り返していくうちにニューロンが強化されていく。
しまいにそれが出来上がると、もう認知の動きは全くいらなくなるというシステムの移行が行われるんですよね。
このシステムの移行が行われているって初めて知ったんですけど、でも考えてみたらそりゃそうなんですよね。
だからこう、どうしたらいいんだろうな。
あるループが徐々に別のループに移っていくっていうのを頭に描けるようになりましたね、この本で。
さらにそこに最初は目的とか報酬があったのに、気が付けば目的と報酬が必要なくなってしまうというか、
ただトリガーがあれば反応するようになってしまう。
コンテキストをトリガーとして、後はもう行動が始まる。
しかもその行動の最初から終わりが脳の中でチャンク化されてしまう。
一連の行動、ひとまとまりになってしまう。
だからこの間に入ることは基本的にはできないし、やろうと思ったら相当注意力、意思力を発動しないと無理っていう止められないっていうところが、
でもそれは結局全て運動系の処理にアウトソーシングされてるからそうなってしまうんだなっていうのは読んでてよくわかりました。
対処法と通知の問題
もうね、めっちゃ、だからこれをやめればツイッターはやめれるんだなっていうのがすげえよくわかったっていうか。
対処法としてアプリを消すという方法は知ってたんですよね。
アイコンが目に入ってしまうと通知を、まずダメなのは通知ボタンですよね。通知ボタンというか通知マーク。
1って書いてあると、押したら報酬が得られることをわかりきっているので。
もう絶対押す。で報酬が得られてやったーってなる。
いや、強化されてしまう。認知の手から離れてしまう。離れてしまうというか、僕は離れてしまってますけど。通知バッジもないですけど。
そもそも例えばiPhoneを手に取って目を開いた瞬間にもう指がツイッターの。
場所に動くんですよね。
アイコンに伸びてる。もうここに僕の意思は一切介在してないですからね。
逆に言えば消せばいいってことだし、通知を無くせばいいってことだし。
もっと言うとiPhoneを目にしなければいいんですね。これ結局。
そうそう。だからあれなんですよね。iPhoneがあるだけで集中力が削がれるっていうようなやつが何かの本にあったけど、
ああ、そういうことなんだっていう。ずっと抑制してるんですよね。見えてるiPhoneは。
そういうことだと思う。だからそういうのもバカらしいなと思ってて、そこにちゃんと説明つけられんねんなっていうのは思いましたし。
何かを目にすることとか、その状況を。
習慣とコンテキスト
だから引っ越しすると人生を変えやすいっていうのも、まさにそういうコンテキストそのものを丸ごと一回リセットするという意味でやっぱり強力なんでしょうね、これ。
習慣なんてだって全くないはず。全ての行動に習慣がなくなるはずですからね。引っ越したら。
位置から認知的行動で始められるっていう。そこで自分が好ましい行動を入れやすいですね。
だから、今、日常を繰り返してる中で全く新しいことをするよりは、引っ越したからの方がレゴブロック1から作っていくようなもんやからやりやすいっていうのはある。
だから人間の自己支配ってそんなに強くないのはわかってましたけど、でもコンテキストを変えるっていうことそのものは自分の意思でできることなので、そこをどう使うかですよね。
これに関しても、例えば引っ越しが難しいだとしても、旅行とかっていうものがそういうのに対していかにリフレッシュというか、リフレッシュでいいのかな、有効なのかっていうのもすごく思うし、
習慣を変えるきっかけにもなり得る旅行みたいなやつとかで。
だから、職場の人は変えられへんけど、僕らみたいなのは普段と違う場所で仕事してみることで多分違うとか、普段と違う端末で仕事して違う環境になって違うことができるかっていうことは普通にあるでしょうね。
カフェじゃないと仕事がはかどらないとかっていうタイプの人っていうのは、そういう刺激がある方が、それすらも習慣かもしれないのか。
だから、カフェになったら仕事をするっていう行動が習得されてるだけだから。
【佐藤】そうか、周りがうるさいことがプラスというか、そういう習慣に働くのか。
【岡田】その人がただ、どんな経験を積んできたっていうだけの話やねん。だから。
序盤の、どっか仕事が行き詰まったときがあって、たまたまカフェに行ったら気分が変わって仕事がうまくできた。
で、ドーパミンが生まれて、それ繰り返しのうちに、もうそこでないと仕事にならないっていう感じになっていったって感じやろうね。
だから、ある種の依存症みたいな感じではあると思う。体に害のない依存症ですけども。
そこで今の話でめっちゃ繋がる話なんですけど、この本で個人的に一番面白かったのが、その中で出てくるモデルフリー学習とモデルベース学習っていうやつ。
モデルフリー学習とモデルベース学習
【佐藤】これもちょっと厄介な概念ですね。
【岡田】簡単に、すごく簡単に言うと、地図を俺ん家からラスタさん家まで歩いて、歩いてちょっと行けないけど歩いて行けるとして歩いていく場合に、
地図を見て、大体この辺だなって想像した上で適当に歩いてみるのがモデルベース学習。
地図も何もなしに来た道来た道曲がったり曲がったりして、気が付いたらラスタさん家にうまく到着できたっていうのがモデルフリー学習。
例えばスロットマシンが3台あって、どれが一番当たりそうみたいなやつっていうのは、どっちの学習をしても大体感覚的にはうまくいくんだけれども、
うちからラスタさん家に行くまでに曲がり角が何千個あるかわからなくって、そういう指数関数レベルではない複雑な行為をする場合には、モデルフリー学習では立ち打ちができない。
なんだけれども、我々は基本的に習慣というものはモデルフリー学習から身につけてしまう。
さっき言った話でいう、カフェでたまたま仕事をしたらなんかちょっとはかどった場合っていうのは、本当にカフェで仕事がうまくいったのかどうかはわからないんだけれども、俺たちはそれがうまくいったと思い込んでしまう?
思い込んでしまう。そのように感じする。そのように学習するってことね。
そうそう、そのように学習して習慣化されるっていうのはめちゃめちゃ面白いなと思って。
人間の執筆能力がどのような環境で発揮されるかっていうモデルを持ってるわけではないってことね、この場合で言うと。
たまたまうまくいったものを採用しているっていう、バータリ的にっていう感じね。
例えばなんだけど、ずっとこれまで睡眠不足で苦労してきた人が、たまたまその日は前日はよく寝てカフェに行ってはかどった場合、おそらく理由はよく寝たことなのに、
そうやね、確かに。
カフェに行けば俺はかけると思い込んで習慣化してしまう?
ありがち。
この罠というのは気をつけないといけないなってすごく思って。
モデル作りが、モデルフリーももちろん必要なんですけど、モデル作りっていうのが結構大切。
モデルって何かっていうときに、この本で認知的な地図とか構造化された知識みたいなことを言ってて、
これいろいろなとこに繋がるなと思ったんですよ、読みながら、認知的な地図っていうのは。座標ってことなんですよね。
座標っていうのはつまり、洗脳理論やったっけな。もうすでに忘れたけど。
で、出てきた脳は座標軸を使って情報処理してるっていう話と、全くこうするなっていうのと、
だから構造化された知識がどういうものかはわかりませんけど、
例えば僕らが最近ナレッジ系でやってるのって、ネットワークを作るっていうことをよく言ってますけど、
あれは構造化された知識ですよね。
それを元にすると学習が進みやすいっていうのは確かにあって、
むしろそれをしないと新しい知識って増えないんですよね、基本的に。
モデルフリー学習とモデル型学習
モデルフリー学習というのは、おそらく用語で言うなら丸暗記に近いんじゃないかと思いますね。
出てきた単語をそのまま覚えるだけのような、あるいは出てきた人の名前とかを単独で覚えていくような感じ。
たくさん名前が出てきたから、この人は重要な人だろうっていうような認識がおそらくモデルフリーな学習。
逆にその学問分野を一通り見て、歴史を追ったりして、論文の参照関係などを整理して、
この人は重要っていうのはモデル型の学習。
やっぱりモデル型の学習をしない学習は効率も悪いですし、正確ではないですし、あんまり良くはないなと思いますね。
人間は気が散ってたり集中できない場合であればあるほど、モデルフリーの制御をしがちになってしまう。
これも感覚的にはわかるんだけれども、いかに環境が大事なのか。
何かを学ぶという時に、その人の資質というものではないものがいかに大きいのか。
その人のニュースソースが全部ツイッターだったら、おそらくすべてモデルフリーで知識学習されますよね、きっと。
タイムラインという表示形式も問題ですけど、ツイッターが気が散るというものも問題で、その人の脳内にどんなモデルも構築されない。
知識の地図も埋まれないし、体系だったものも埋まれない。
現代で生活するとそういう風になりがちですよね、きっと。
そうですね。だから多様な学習というのが、多分モデルの構築にもやっぱり次元を上げないといけない。
体を使うだとか、その動く、場所を動く、環境を変える。
小学校が理科の実験をすることっていうのも、いかに機場の空論を学んでいるだけではダメだっていうのが本当によくわかる。
実際にやる実験はいろんな繋がりがありますからね。
例えば、マッチが閉めていたら火つけられへんっていうのも一つの物理的な事象ですからね、これ。
ほんと初歩的なレベルのことですらも、自分の手を動かしてやってみることが、いかにモデルフリーからモデルベースへの切り替えっていうのかな。
そうか。だからそういう事象を見たとき、人間はモデルを探そうとするわけだよね、本来は。
落ち着いた環境であれば、集中できる環境であれば。
環境であればそういうことなんですよね。だから気が散っている人、全く同じ能力の人でも気が散っているとなかなかモデルって学習されないし、そうじゃない環境で身を置くとモデルが学習される。
だから学校っていう場がああいう場であることも意義があるわけですよね。
多面的な学習の意義と効果
っていうと単純にオンライン授業では足りないっていうことでもあると思うし。
確かに。だって自分の家から環境が変わってないってわけですからね、そこが。
うん。小学校が郊外学習という名のお遊びみたいなことをやっているんだけれども、そういうのもちゃんと学習なんだなってことがなんか理解できた気がするし。
なるほど。まあそうか、世界を多面的に捉えるための。多面的に捉えることによってモデルが構築されやすくなる。
うん。小学校1年生の郊外学習とかね、学校から神社まで歩いて行って、葉っぱとか拾って見てみようっていうしょぼい学習だなって思ってたんですけど。
その一つの体験だけを取ればしょぼいはずやけど、それを統合的に見たときにやっぱ意味があるっていう感じよね。
そうそうそう。いかにそういうことを過論じてはいけないかというか。学校のテストで良い点を取るすら多面的な学習のほうがいいんでしょうね。
それはそう思います。
そうだな。やっぱり全般的に学習という視点でものすごくこの本はそうやって言われると読んでいたような気がするな。
このモデルの話をどう捉えるか。例えば自分がノウハウ書とかを書くときに、いかに読み手にこのモデルを作ってもらえるように書くのかっていう問題意識はちょっと芽生えましたね。
うーん。自分の場合そこで言うとやっぱあれだな。例え話、比喩みたいなやつ。というのはモデル形成にすごく役立つんじゃないかなっていうのは。
要するにその場合は相手が既に持っているモデルを禁止して構築してもらおうって感じだよね、多分。
そうそうそう。アトミックシンキングの最初の例え話で、将棋をさぞうとする場合に、頭の中だけでやる将棋っていうのがあるんだけど、
何も書かずに物事を考えるのって、そのぐらい難しいっていうイメージなんだよっていうようなことを伝えたくって思いついた話だったんだけど、
そういう自分が知っている場面とつなげていく。それもだからモデルとつなぐっていうことなのか。知っている。
モデルにつなぐ。だからその人は今新しく伝わってくる事象についてモデルを持ってないと。
ゼロから作るのは大変やから、そういうところが通じる例え話をすることで、あのモデルをベースにしましょうみたいな話ができるということだと思いますね。
高次元での処理と今後の展望
そうだな。と、非常に物事が理解しやすい。自分の場合、例えばとか具体例を見せてもらうとすごくわかりやすくなるっていうのはめっちゃあって、
そういう意味でも学べる点はすごく多い印象ですね。
確かに。だから一冊の本で多面的な情報をどう伝えるのかって考えた方が多分。
例えばコーディングとかでもそうですけど、うまく書き方の後にこう書くとうまくいきませんよって書いてあるとすごいわかりやすく感じるんですね。
それは結局情報の見せ方が多面的で座標が作りやすいっていうことなのかな。
座標なんでしょうね。しかも4次元より高い座標、3次元より高い次元なんて認識できないはずなのに、多分もっと高次元で認識してますよね、俺たちは。
まあだから認知はしてないけど、処理の段階でそういう構図が使われている可能性は大いにあるでしょうね。
そしてちょうどそれが強化学習の話とかとももろにつながっていて。
まったく最近のLLMだっけ、すごい大量のパラメーター使うのがベクトルを使ってるつまり座標でやってるっていう話が出てて、へーって思いながら聞いてましたけど。
チャットGPTでも学習させるなんだらっていうやつがあって、API使うとモデルを送ってあげると、パラメーターを学習していってくれるんですよね。
それもね、なんかね、2200次元だったかな、なんかその1回試しにやってみたんですよね、自分のやつで、そのノートを学習させてあげることによって、関連してそうなノートを教えてくれるっていうプラグインがObsidianの中にあって、
それをやるとノート1個1個にその200、忘れたんだけど200次元ぐらいのベクトルのパラメーターが与えられるんだったかな。
で、そのベクトルを比較して近いノートというものがそのノートの概念としてやっぱ近いものになるらしいと言われて試してみると確かに近いんですよね。
そうそう。ノートの近似性ってどうやって測るんかなってずっと気になったんですけど、ベクトルの角度を見てるって話を聞いて、だいぶ感心したんですよね、僕。
キーワードだけやと、例えば映画と、じゃあムービーとシネマっていうのは全然近似しないけど、ベクトルに置き換えるとほぼ同じ角度にお絵描くっていう話を聞いて、もう想像もつかへん世界やなと。でもまあ人間の脳はそれをやってるわけですからね、実際は。
もう実は俺たちが考えた強化学習ってまんま脳みそやったんじゃないかっていう話ですからね、今の段階で言うと。
ようやくそのテクノロジーが脳がやっていることに近づいてきたっていう感じなんでしょうね。脳に至れるかどうかと、脳とは違うことを処理した方がいいとは思いますけど、そのメソッドとしてようやく同じ土俵に立ちつつあるっていう感じが。
だから本当に簡単な会話をしている限りちょっとGPTは何の違和感もないですからね、あれ。
あそこで行われてる人よりは僕らがぼんやりと喋ってる時と多分ほとんど変わりないはずなんですね、きっと。
だからあの人たちは習慣なんですよね、そうやって考えると。
こう答えた方がうまいこといくっていうパターンを大量に知っている人っていうか、AIだけであって。
だから彼らは自身の出力に対して批判的にはまだなれないか、あるいはそれが制限されたかどっちかですけど、そうなってきたらより高度になるでしょうけどね。
もうやっぱね、どこが人間らしいのかっていうことを考えるのがすごく難しくなってきてますからね。
やっぱさっき言った一番最初に言うと抑制じゃない?止めること。ここが多分人間らしさに最後の砦な気がしますけどね。
止めること。
抑制すること、言わないと判断することとか、やらないと判断すること、考えないことを止めることとか、別の考え方にすることとか。
チャッターで出てきましたけど、要するに自分がこう考えてるっていうのがあって、いやこれはまずいぞ、こう考えようと思って促すためにはメタ認知が絶対必要で、現状チャットGPTにはそれがないんじゃないですか?
メタ認知はチャットGPTないな、その概念で言うと。
メタ認知は何のためにあるかって言うと抑制するためなんですよね、結局。よりゴーゴーいけいけっていう役割じゃないじゃないですか、メタ認知っていうのは。
メタ認知的な視点が一応境目という感じがしてて、僕らがメタ認知を持ってるのはおそらく進化で有用やったから生まれたと思うんですけど、チャットGPTは困ってないし、困ってたからって彼ら自身が進化の道のりを決めるわけでもないから、どうなるかはわからないですけど。
いやー面白いですね、テクノロジーがやっぱり合体してきている感じ、この脳神経科学の人たちが機械学習と実は密接にどころかイコールかもしれないぐらいの関わり方をしており。
これやっぱ知性についての理解が1段階か2段階が深まった感じはありますね。
これがね、そうだな、そうやって考えるとやっぱ習慣と脳の科学というタイトルだったけれども、必ずしも習慣と脳の科学の話だけではない。
そうですね。まあ一応習慣っていうのが、複大の方で言うか、壊すのが難しいっていうタイトルですけども、どうしても変えられないのはどうしてかっていうタイトルが非常に意気なんですけど、僕は気に入ってますけど。
人間の行動の8割9割が習慣、最初は目的があったけども後々なくなっていった繰り返される行為で構成されていて、それが脳がどういうメカニズムによって生まれているのかっていうことを解釈してるんで、だから人間の振る舞いについての本ですね。だから総合的に言うと。
人間の振る舞い全てか。
習慣と脳の科学
人間の行動が9割習慣できてやったら、人間の9割については大体この本でわかるっていうことですね。
面白いな。この手のジャンルが好きな人にはきっと面白いやつですね。
この本は普通に習慣系の本として、実用的な意味での習慣の本としても役立ちますし、人間の行動とか、思考まではいけませんけど、知性的な働きとか脳がどう動いているのかっていうのを興味があったら、この本は普通に一押しですね。ちょっと未出処方価格ですけど、それ価値がある本。
一応最後の方で言ってて面白かったなっていうのが、これだけわかるようになってきたのに、どうやって習慣を変えるかっていうのが恐ろしいほど進歩していないっていうのをどうにかしていかないといけないよねみたいなところで終わっていて、これもまた深いというか、そこは全然なんだなっていうのをちゃんと言ってしまっているし。
結局答えはなんやねんみたいなことを求めてしまうと、この本はあかんっていう風になってしまうので、そこは気をつけないといけないかなっていう。
この本も最初の、著者が書いてますからね。ちまたで言われてる習慣法を蹴散らすような内容で書いてあって。基本的に、正しいと思われてるけど間違ってるようなことが書かれてて。部分的に、脳のおめかしに関してここまでは言えるよっていうのがあるのと。
あとちょっとSF見えてますけど、記憶を消すことで習慣を消すっていう。習慣が学習されたものであれば、学習を解きほどくことで習慣がなくなるっていう話があって。僕らは記憶っていうのはハードディスクの中にあるデータのように感じるけど、実際そうじゃなくて近いんかな。
データのファイルでも読み込みするときに、うっかり間違えるとデータ消えますよね。それと似たようなことが起こることがあると。それを操作的にやると、ある部分の記憶だけを消すことも一応理論的には可能であるっていう話があって。
この収録の一個前のときに聞いたから結構前ですけど、スーパーで窃盗をやめられない人が、そういう病気な人がいて。その人の習慣というか、やめさせるためにその考えを使おうと実験してる日本の研究者の話がありまして。
さっきコンテキストの話をしましたけど、そういうスーパーでまんべきやめられない人って、無人のスーパーの映像を見ただけで物を取りたくなる気持ち、脳のどっかが活性化するらしいんですよ。で、そういう映像を見せた後に認知的にややこしい課題をやってもらうんですって。
そうすると、そのさっきの記憶の部分が、結合が弱まることが起こり得るっていう発見だったらしいんですよ。
イメージはできますね。本を読んだ上でだと。
どのぐらい再現性があるかわからないけど、これはでも面白い話だなと聞きながら思いましたね。
こっからあれですね。やっぱ10年20年でそういう業界がこれから増えていって、その習慣を変えていく方法っていうのが医学的な意味でも出てくるだろうし、期待はできるような気はしますね。
僕らの日常的な習慣はともかくとして、生活習慣病につながるものとか依存症に時間につながるようなものに関しては、ちょっと科学的な解明を待ちたいところですね。
いくつかちょっとテクニックみたいなやつは載っていて、自精神はやっぱトレーニングすることは基本的には難しいんで、環境を変えようっていうやつ。
ビルパワーとかにもあったやつですね。結局。
意志力が強いと思われている人っていうのは、意志力が強いんじゃなくて、意志力がいらない環境を作ることが上手い人?
意志力を使わない環境を作ることが習慣になってる人かな。
とか、マインドフルネス的なものっていうのは、今のところ研究っていうのが大体効果がある前提で調査されているものばっかりで、否定的なものは発表されてないっぽいですよっていうような話とか。
この本の中にもビジネス寄りの結果、ビジネスにとって好都合な結果ばっかりが発表されやすいバイアスがあるというようなことが書かれてましたね。
あとは用語として、イフゼンプラーニング。
これは有名ですね。
もしこうなった場合には、自分はこうしようっていうのを可能な限り言語化しておくことで、その習慣的な行動になりにくくなるっていうのと、
コミットメントデバイスっていうので、失敗したら自分がやりたくないことをやるっていうことをみんなにコミットメントしておく。
社会的に強化するってやつですね。自分の行動っていうあたりが、現段階で効果があると言われているっていうやつで、正直ありふれたものではあるなっていう感じがしますね。
習慣系の話では大体書いてあることで、実感としてもあれですけど、そういう方法しか今のところはないんだろうなっていう感じ。
習慣改善のテクニック
当たり前ですけど、脳のメカニズムが定着化されているのをちょっとしたテクニックで一発で改善できるというのは無理な話なので、そういうことをやるしかないでしょうね。
プランニングでしょうね。自分が思ったのは、こうなった場合はこうするというものをできるだけたくさん書いておく、想定をしておくっていうテクニックとしては平凡なものぐらいかなっていうところかな、具体的な話で言うと。
まあ、でもそれも結局さっき言った、チャンク化されてしまう行動に割り込みを入れるということだと思うんで、そのイフ・ゼンプランっていうのは。しかもそれが、脳内の言語処理で可能になってしまう不思議。だって考えただけですよね、イフ・ゼンプランって別に。
一回考えとくと、ちょっとシナプスはあるんでしょうね。
考えたものをマイクロマシンにして注射した行動で変わるんやったらわかりますけど、考えただけで変わるっていうのが、変わるっていうか、こう影響があるっていうことが人間の不思議ですよね。
たぶんあれなんでしょうね。考えるっていうので、すでに一回行動したに近づくんだろうなっていう、結局は。
おそらくそれに近いでしょうね。動作する、いわゆるミラーニューロン的なものが言語だけでも起こって、シミュレーションみたいなのが起きてるんでしょうね。体が動くのに近いことが起きてるんでしょうね、きっと。
スポーツの業界でイメトレというものがいかに有効かみたいなことはすごく言われているので、その手の考えとくみたいな大雑把な言葉なのに、そんなのがすげえ有効だっていうのはなかなか面白いなと。
考えておくだけで何かを変えられるっていう話が仮に死んだとしたら、自由意志なんですかね、それはね。自由意志の範囲ですかね。そうやって考えることもやっぱり自由意志じゃないですかね。
考えるということ、そっか、あれですね。ちょうどね、それで言うと、詳しくはアフタートークで話そうと思うんですけど、会話を哲学するという本を読んで、意識させてしまうということで自由意志をコントロールしようとする。
という、シェイクスピアのマクベスとかで出てくるんだったかな。その奥さんに疑いを持たせようとするための会話の持っていき方っていうのとかもあって、難しいですね。自由意志なのかどうなのか。
そこを今後気になるテーマとして置いておきます。
ということで、今回はこのぐらいにしておきたいと思います。
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それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
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