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2020-11-24 58:31

【ブックカタリスト 】愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学

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こんにちは、ごりゅごcastです。
今日は、ものかきの倉下忠則さんと読書ポッドキャストの打ち合わせ予備会ということで、倉下忠則さんに本を紹介してもらうというのをやってみたいと思います。
倉下さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
2週間ぐらい前に、倉下さんの打ち合わせキャストっていうポッドキャストで、私、ごりゅごがフードテック革命っていう本を読んで、それについていろいろ語るっていうのをやらせてもらってですね、
今度は順番を逆にして、倉下さんにごりゅごキャストで本の紹介をいろいろやってもらう。
これがうまいこといけば、定期的に新しいポッドキャストを立ち上げて、本について語るっていうのをやろうと思っておりまして、今回はその練習みたいな感じでやってみたいと思います。
はい、よろしくお願いします。
早速というか、あれなんですが、今日紹介いただける本を教えてください。
はい、出版社がインターシフトという会社から出ている、10月発売のひらがなでタイトルがMOD、ミックリマークで、ダニエル・ゼットリー・マーマンさんとバイキル・イーロングさんの協調の本ですね。
多分MODというタイトルだけでは、やっぱりわからずに副題があるんですよね。
はい、秘書副題が愛と創造を支配と進歩をもたらすドーパミンの最新の科学という副題。
こっちのほうがメインっぽいタイトルですけど、がついてますね。
タイトルから想像するになんですけど、ドーパミンということに関することが、ドーパミンがどういうものなのかとか、どういう作用をするのかっていうことを教えてくれる本っていう認識でいいんですかね。
はい、間違ってないです。脳科学の話で人間の行動や決断に対してドーパミンがどのように作用しているのかというのを明らかにする本です。
脳科学とかそれ系って最近というか、一番有名なところでファスト&スローというやつがあるんじゃないかと思うんですが、それとはだいぶ違う、似たような要素はあったりするんでしょうか。
似たような要素はあるんですけども、ファスト&スローというのが、森子さんお読みになりました?
だいたい読んだんですけど、途中で止まっていて、最後まで読んだかどうかちょっと覚えていない。
一応、システム1、システム2という用語はご存知ですか。
大丈夫です、そこは。
ファスト&スローはシステム1とシステム2という対立構造で脳の働きを説明してるんですよね。
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もちろん頭の中にシステム1とシステム2っていうものがあるわけじゃなくて、ある種の機能の総合的なものをシステム1と別の働きをシステム2と呼んでるんですね。概念化してるというか。
だから実際にどんな物質が働いてるかっていう話はファスト&スローでは行われてないんですよね。
ああ、そっか。
行動の部分、結果とか判断がどんな風な偏りを持っているのかっていうのは説明してるんですけど、脳のメカニズムの中には入ってないんですよね。
そうか、その因果みたいなところには全く触れてないですね。こういう時には脳はこういう反応をして、こういう間違いを犯すっていうことは言ってるけど、それが何によってどうなるかみたいな話は確かに何も出てきていない。
ファスト&スローを書いたダニエル・カーネマンというのは行動経済学っていう学問の学者さんで、経済学って名前がついてますけど、どっちかっていうと認知心理学とかっていう方向に近いんですね。だから、脳科学ではない。
そうですね。この手のものって今までずっと行動経済学で今までの常識だと思っていたものは違ったっていう話はいろんなのは見るけど、確かに脳科学視点からそういうファスト&スローみたいなことを書いている本っていうのはあんまり知らないかも。
で、この本は脳の中でどういうドーパミンがどのように作用して人間の行動を要因しているか決定しているかっていうことが解説されてるんで、だから重なる部分はあるんですけど、アプローチ、本の内容的にはかなり違いますね。
これだけ聞いた段階で俺は結構いいな、これちょっと読んでみたいなって思っているんですが。
はい。
ドーパミンって言葉を聞くと受ける印象がなんかそのドーパミンがドバドバ出るみたいな、それによって快楽が得られるっていうものなんじゃないかっていうのが一般的なイメージで、俺もそうイメージしていたら説明文にいきなりドーパミンはよく言われる快楽物質ではないと書かれてるわけなんですよね。
一般的にそのドーパミンと快楽、ドーパミンが出てる間は人間は快楽に満たされていて、ドーパミンが切れると快楽がなくなるから、よりドーパミン欲しがるっていうようなメカニズムがドーパミン登場時には理解されてたんですけど、実はそうではないと。
じゃあなんやねんっていうところから本書は始まるわけですね。
ドーパミンの話をしてもいいんですけども、もうちょっとこの本の話をしておくと、この本って僕が買った本じゃなくて、実は半元さんから憲法として送られてきた本なんですよね。
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めっちゃたくさんじゃないし、憲法で送られる本はいくつかあるんですけど、それを全部読むわけではなくて、やっぱりある程度の取捨選択というか選別が行われるんですけど、
なぜこの本を読んだかというと、当然ドーパミンに惹かれたのもあるんですけど、推薦者がラマ・チャンドランっていう人と、ダニエル・ピンクって人と、デイビッド・イーグルマンって人がいるんですけど。
ダニエル・ピンクは日本でもちょっと有名ですよね、多分。モチベーション関係の本とか確か書いてると思うんですけど。
あとラマ・チャンドランっていうのはね、脳の中の幽霊っていう本を書いてるんですけど、これが抜群に面白いんですよね。
デイビッド・イーグルマンっていうのも脳の本を書いていて、あなたの脳の話っていうかな、確かそういうタイトルの本ですけど、これも面白いんですよ。
この2人が推薦本を書いてるのであれば、おそらく面白いだろうという期待を持って手に取ったんですけど、間違いなく面白かったですね、やっぱりこれは。
推薦者のその2人、ダニエル・ピンクじゃない2人っていうのはどっちも脳科学の人?
脳科学者かどうか臨床の方だったような気もするんですけど、2人とも脳の本を書かれていて、極めて面白いです、どちらも。どちらの本を読んでも間違いなく面白いと思います。
脳つながりで全部面白い人が面白いって言ってるから、これもきっと面白い。
面白いだった。こういう選択は結構重要なんで。今度は中身の話なんですけど、そのドーパミンって結局なんやねんって話なんですけど、期待誤差なんですよね。
期待誤差?
期待っていうのは、未来に期待するところの期待ですよね。誤差っていうのはずれなんですよね。
ドーパミンが反応するのは期待したものとずれた現象が起きた時にドーパミンがブワッと出てくるんですよね。
じゃあ一般的に嬉しいとかプラスのポジティブな感情だけじゃなくて、ネガティブな感情になった時にもドーパミンは出てくる?
はい、そうです。期待したものとずれた時に反応すると。その反応が行動を呼ぶ。行動って呼ぶってことは、いわゆるモチベーション、動機づけになるわけですね。
じゃあ現状を認識して、現状と違ったっていう場合に行動をしないといけないっていうきっかけになるもの?
そういうことです。だからこそタイトルにあるように、例えば進歩っていうのはまさにそのギャップ問題を感じた時に、この問題を解決しなければならないという気持ちによって改善が進むわけじゃないですか。
例えばですけど、全てが満ち足りてる人がいたとしますよね。その人は多分進歩しないんですよね。
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それはもうそうですよね。普通に考えてそうですよね。
そういう人間の行動が、そのドーパミンがどれだけ強く採用しているかに関わっているっていう話で、いろんな分野で、この分野ではドーパミンが多いとこうなってるみたいな話がいろいろ紹介されていくわけです。
で、入りはいきなりありがちなっていうかわかりやすいであろう恋愛とドーパミンの話。
ファスト&スローがシステム1とシステム2を対比させたように、本書ではそのドーパミン回路、ドーパミンが採用する回路とそれとは別の回路、それ以外の回路を、
H&Nか、NOW&HEREの頭、頭文字を取った、H&N回路っていうもので対比させてるんですね。
基本的にこの2つは強調していくこともあるけども、大体は対比する。片方が強まればもう片方が弱まってしまうっていうまず構図を持ってます。
これが本書の理解の結構重要なところなんですね。
すごい大雑把なことを言うと、変えようとするドーパミンと今を保とうとするH&N。
H&Nのバランスがあって、バランスということは片方が強まれば片方が弱まるし、もう片方が強まればもう片方が弱まってしまうっていう調和の中で人の行動が決定しているっていうまずその構図があるんですよね。
これが構図その1で、後で出てくるんですけど、そのドーパミンの中にも2種類あって。
欲求ドーパミンと制御ドーパミンっていう2つの構造でそのドーパミン回路っていうのはできている。これは2段階の構図。
そのドーパミンの内側の構図なんですけど、とりあえず一番大きな構図はドーパミンとH&N。
ヒアナウって呼びますか。ヒアナウ回路っていうものの対立でできていると。
で、先ほど言ったヒアナウが活性化している時っていうのは、今満ち足りてる感じなんですね。
満ち足りてる感じ。もう何もいらない。今の自分でいいっていう、いわゆるマインドフルネス?
ああ、そういう感覚になるんだ。
マインドフルネス的なものがあれを目指すのは、要するにそっち側の回路を強めようっていう動きなんですね。
ああ、そうか。確かにそうなのかも。
具体的に化学物質というとセロトニンとかオキシソシンとかエンドロフィンとかそういう物質なんですけど、
例えば自分の子供をハグしている時とかに感じる圧倒的な満足感っていうものがそちらですね。
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それは非ドーパミン的な回路が活性化しているってことなんですよ。
最初に恋愛の話が出てくるんですけど、
この話の第一章の要点は恋愛と愛の違い。恋と愛の違いですかね。
わかりやすいというか、よく引き合いに出されそうな感じ。
恋モードっていうのは憧れや期待が稼働していて、いわゆるドーパミン活性なんですよね。
結婚にしたらわかるんですけど、結婚っていうのは日常の繰り返しじゃないですか。
そうするとドーパミンは活性しないんですよ。
そうするとドーパミン以外の何かがないと愛が続かないんですよね。
恋愛は得意だけど、恋は得意だけど愛が続かない人っていうのは、
そのドーパミンの作用が強すぎてヒアナウがなかなか作用しないタイプの人みたいな言い方ができる。
切り替えができないというか、本書で言うと恋愛のスタートって、
ドーパミンを非活性にするなんて言い方ができないわけで、恋の始まりはドーパミンなんですけど、
どこかの時点でそのドーパミン的解を諦めてヒアナウに移行するっていうことがうまくできた場合に、
長い結婚生活が成立すると。
ここでの問題はドーパミンっていうのはさっき言ったように期待誤差なんですよね。
期待誤差ということは毎日繰り返されるものは期待誤差が生まれないわけで、
ドーパミンはこれでよしって言わないんですよね。
ということはドーパミンだけでは人間は満足を手に入れられないんですよ。
幸せというものはそのH、ヒアナウというものが幸せで、幸せを作る元になるのはドーパミン?
幸せを掴む行動を起こすのはドーパミンなんですけど、
だからドーパミン過剰になってしまう例で挙げられているのが要するにプレイボーイと呼ばれている、
女性を引っ掛けるたびに新しい人に声をかける人っていう。
あの人たちは女性を誘ってOKをもらったらもう終わりなんですよね。
そうか。もうそこで次はいらない。
だから期待誤差がそこで終わってしまうんで、新しい獲物でまた新しい期待誤差を得ないと自分の中では納得できない感じが続いてしまう。
ドーパミン中毒みたいな。
みたいなそういうところがある。
そういうのが確かに活動的ではあるんだけど、下から見たらすごく女性にモテるんやけど、本人は納得できる幸福感は得られていないと。
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ここが難しいところやっていう話なんですね、第一章。
そうか。きっと大事なのはドーパミンとヒアナウをちゃんとバランスよく作用させられるようにすること。
だからある場面ではそのドーパミンによって動き、俺を継続したい、その状況を長続きさせて満足感を得たい場合は、
そのドーパミン的な行動を一旦やめてヒアナウに身を任せるっていうスイッチができないと、
この本のタイトルのMODっていうのはそういうことなんですね。
MOD、MOD、MOD、MODっていうふうにずっとMODの連鎖になってしまうと。
樽を知るみたいなやつなんだ。
そうですね、そういうことです、そういうことです。
ただその樽を知るっていうのは要するに樽を知るだけではやっぱり先ほど言ったように進歩が止まってしまうんで。
この本じゃ別にドーパミン的なものを否定してるわけじゃなくて、その行き過ぎは良くないよっていう話なんですね、要するに。
重要だっていうふうにはもちろん言ってるんですよね。
もちろん、もちろん。
中毒にならないように気をつけないといけないっていうふうにも言ってるってことなんですよね。
そういうことです、そういうことです。
あと気になるのがですね、まずは聞いていて気になったのが、どういう時にドーパミンが出るとか、どうしたら出やすいとか、そういうのはあるってことなんですか。
はい、一応マウスでは実験されているようです。
例えば、ラットの中に、ラットケースの中に餌を突然落とすとドーパミンがフワーって出るんですよね。
ギャンブルやん。
で、食べるじゃないですか、食べてる間も未知の食べ物を食べてるわけでドーパミンが出てるんですけど、同じことを繰り返すと食べ物は食べてるけどもドーパミンは出てないんですっていうことがあるんだってことです。
そこから期待誤差っていうものが提唱されてるわけですね。
で、よくランダム強化っていう心理学でも言われるんですけど、ランダム強化が強いのもこの期待誤差が常に起こるからなんですよね。
定期的に必ずじゃなくて、何回かに1回ランダムに上手くいったり上手くいかなかったりすると、そのドーパミンが止まらなくなるんですね。
だから、人の行動を動かすために、そういう期待をどう操作したらいいかっていう話でもあるんですけど、これは。
なんかもうまんまギャンブル中毒に陥っていくのはドーパミンからなんだっていう。
そうですそうです。まさにそれを刺激している。
で、結局満ち足りることがないからモットーになるから、どんどんお金は追い込まれていくわけですね。
ギャンブル中毒になっても結局幸福にはなれないっていうことを科学的にも言えてしまっている。
言えてしまっている。
いわゆるヘロインとかの麻薬って、まさにドーパミンを刺激するんですけど、
あれって環境の情報に対して、例えばエサが落ちてくるとか大当たりが当たったっていうに対してドーパミンが刺激されるのではなくて、直接ドーパミンを増やすんですね。
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薬物、いわゆるドラッグ。
だからその環境がどうであれドーパミンがドバドバで出てきちゃうんで、その制御が効かないんですね。
フィードバックサイクルが動かないんで、周りの情報があると例えば慣れるじゃないですか。
さっき言ったように同じことが繰り返されたら慣れるんですけど、その回路を経由せずに直接ドーパミンを刺激するから、一生慣れないんですよね。
ただドーパミンが刺激されるだけで、もっとドーパミンが欲しいとなってしまうと。
だから薬物の中毒とさっき言ったプレイボーイと似てるけど、より劇的に効くみたいですね。
薬物をやってしまうっていうのが直接的にドーパミンを発生させているから。
そうです。だから逆に女性を引っ掛ける行為はもしかしたらどこかで飽きるかもしれないですけど。
その行為自体にもう一段階上のところで飽きが来る。
ということはあり得ますけど、薬物の場合はないんですね。時間に刺激されてるんで。
だからやめられなくなるというのがもう次元が違うというか、やべえぞっていうことなんですよね。
決定的なんですよ。それはもう意思の問題ではないんですね。
意思に頼ったらダメだっていうのはね、今の時代にいろんなところで言われていて。
そうです。
意思に頼る仕組みを作った時点でもう何か間違っているんだっていう。
かなり容易な仕組みにはなるでしょうね、おそらく。
なんかそもそも最初にこのドーパミンっていうタイトルと話をイメージしていたのは、
ドーパミンをうまく活用することでうまくいくっていうイメージを持っていたんですけど、ちょっと反対側なんですか?
どっちだかというと反対側。
ドーパミンに中毒になってしまうと危ないから気をつけないといけないみたいなニュアンスの方が強い感じなんですかね?
どちらかというとね。
当然でも逆に言うと現代社会っていうのがドーパミン過剰になっているというふうに見て取ることも多分できて、
例えばCMとか広告って何してるかっていうとドーパミンを刺激してるんですよね。
もっといい生活が待ってますって。
だってあなたは今の生活でいいですけどこのカバン買いましょうっていうのは無理じゃないですか。
そうか、もう日本語のそのもっとっていう言葉がめっちゃ象徴しているんだ、そのすべてを。
そうそう、だから現代に普通に生きててもややもうドーパミン過剰に多分足を踏み入れちゃってるんではないかなっていうふうには感じますね。
割とそこに継承をならしていて、もっともうちょっと抑えないとやばいぞっていう。
そこまではっきりとは言ってませんけど、読んでるとそんなふうには感じますね。
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ただここで次の話になるんですけど、さっき言ったようにドーパミンも単純な回路じゃなくて、
その欲求ドーパミンっていうのと制御ドーパミンっていうのがあるらしいですね。
欲求ドーパミンっていうのはさっき言ったようにダイレクトに何かを欲しがる未来を希望して行動に出る、
エサ箱に向かって走るような行動を制御するんですけど、制御ドーパミンっていうのはどちらかというと、
計画とか長期的な展望に基づいて何かをアクションを起こすための準備を整えるための機構らしいんですよ。
ただ単純にモッドっていう言い方をするのに計画的なモッドの方もいる。
そうそう。モッドと言っても計画的なモッド。人間が予定を立てたり計画するときに動くモッド。
それがないとなかなかできないらしい。動物と人間の大きな違いも多分その辺にあって、
長期的な計画を立てられるか立てられないかってだいぶ違うんで。
だからドーパミンっていうのを全部敵にしてしまうと、非計画的になってしまうんですよね。今さえあればいいっていう風になっちゃうんですよね。
その桃源郷に暮らしている、ユートピアに暮らしている限り、人は幸福かもしれないが果たしてそれは本当に幸福なのかっていう。
だから3ヶ月先に向けて勉強するとかいうこともできなくなるし、
だからさっき言ったそのHere and Nowっていうのと欲求ドーパミンと正義ドーパミンのその3つのうまい行動によって人間の行動と計画ってできてるんですよね。
計画を立てるっていうのも言ってみたらというか、ドーパミンの作用によって行動を立てるっていうことだってことですよね。計画を立てるか。
行動立てようという気持ちになる?動機づける?
うん、だからすぐやろうっていうドーパミンと計画を立てようって思うドーパミンがある。
だから計画を立てるっていうのは何をするかっていうと、計画を立てて今持ってないものを得ようっていうことじゃないですか。そういうのを動機づけるわけですよね。
そうか、だからその直球なモットだけではないものもあって。
あるんですよ。だからどちらに偏りすぎても、これも欲求と正義をどちらも偏りすぎても実はダメなんですよねっていう話も書かれてて。
欲求ドーパミンが強すぎるとさっき言ったようにプレイボーイみたいになって、正義のドーパミンを強くなりすぎると計画ばっかり立ててしまう人?
典型的な実行しない、やるだけの人になっちゃうということなんで、これもやっぱり両方の調和が必要っていうのは書かれてますね。
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で、そこからその2つがある上で、ドーパミンのすごい発想が生まれる源になったり、保守とリベラルがドーパミンが作用する、なんかその辺はなんとなく想像ができるのかな。
さっき言ったように、もっと求める気持ちと発想が結びつくのはなんとなくドーパミンイメージできると思うんですよ。
難しい話なんですけども、発想がすごい人って、極めて発想がすごい人ってだいたい変人やったりしますよね。
イメージはある、常識的ではないからすごい発想なんだっていう気もするし。
その常識的ではないっていうのは何かっていうと、他の人と何が重要かっていうところが価値観がずれてるというふうに言えなくもない。
何が重要かっていうのが、ドーパミンの作用と実は関係してて、当然なんですけど。
さっき言ったように、期待誤差って言いましたけど、人間何もかもに期待してるわけじゃないですよね、当然。
自分にとって重要なもの、生命の維持とかに関わる重要なものに対して脳は判断をするわけですよね。
だから、ドーパミンが働く対象っていうのは、そのバックグラウンドで、これは重要、これは重要じゃないっていうものに背景があって、そのドーパミンが作用してるんですね。
発想がすごい人とか、もっと言うと、いわゆる心が壊れている人っていうのは、重要である回路がちょっと変わってたり、むしろあるいは壊れてたりするんですね。
壊れてるとどうなるかっていうと、あらゆるものが重要に感じられるんですよね。
あらゆるものが重要に感じられると、あらゆるものからインスピレーションがやってくるんですよ。
ああ、そうか。ドーパミンは機体と違うものってことなんだから、すべてのものにアンテナを張ることができている。
だから、ものすごいインスピレーションがやってくる。要するに、肺になる薬物をやった時はそうなるらしいですけど、あらゆるものが自分にとって重要なメッセージを発しているように感じらせるよね。
それが、いわゆるインスピレーションの元になると。で、それが病的にいくと、あらゆるものが自分に話しかけているように感じられるっていうまでいくと、それはもう病気なんですよね。
あの電波が聞こえてくるようになるっていう。
聞いてくるっていう。それも要するに何が自分にとって重要かのフィルターが少し壊れてても、大量に流れ込んできちゃってるからそうなってしまっていると。
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だから、想像と狂気っていうのは、正常なドーパミン処理と壊れているという点では似ていると。
うーん、そうっすね。
逆に、ドーパミン、さっき言ったヒア&ナウの状況は、ノンイマジネーションというか、インスピレーションの元はないわけですね。さっき言ったように、満ち足りてる人っていうのは満ち足りてるんで。
インスピレーションの元は得られないんですね。
ドーパミンが一番正常な人間の中で活躍して、さっき言った重要と非重要が壊れてしまっている時っていうのが、実は夢の中なんですよね。
あー、なんかそう言われてみると、そうっすね。何でもあるし、はちゃめちゃなことがどんな理屈ででも起こるっていうか。
僕らが普通生きてる時って、目に入る情報とか耳に聞こえてる情報によって現実を固定してますけど、寝てる時ってその互換が一旦オフになってるんで、もう好き勝手に情報処理が行われちゃうんですよね。
だから夢っていうのはインスピレーションの元になるんですよね。
ドーパミンが出るか出ないかのフィルターみたいなのも、じゃあ寝てる間に夢を通して作られている?
で、それが弱まってるんでしょうね、おそらく。重要か重要じゃないか判断が出てる時はかなり弱まってるんでしょうね、きっと。
で、その情報を元に判断をさせるようにして脳内が整理されて。
で、その整理の合間に何か僕たちの頭の中に閃くものが出てくると。普段は表に出ない何かが出てくると。
ということは、ドーパミンが脳内を整理され尽くしていてしまっていれば、ドーパミンはあまり必要がなくなってしまう?
おそらくそうでしょうね。脳内と環境が整備されていたら、つまり毎日同じ生活をしている場合は、もうドーパミンの出る膜はないんで。
その期待こそがゼロになってしまうんで。それはそれで多分幸福な生活ではあるんでしょうね。
Here and Nowがちゃんと活性化している限りでは。
あーなんかあるかもな。幸福っていうのでずっと同じ毎日で幸せじゃないんですかってよく聞かれるみたいなのを、
俺も聞かれたりするし、で俺は幸せだと思いますみたいなことを実際自分でも言っていたりしていて。
じゃあそれはこの理論によればやっぱ正しいってことなんですよね。
正しい。でその質問をする人が欲しているのは、そのドーパミン的な楽しさはあるんですかっていう含みも多分あるんですよね。
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そうか、ドーパミンが出ていない生活をしていて、人類としてそれで幸福なのかっていう風に感じるってことなんですよね。そういう聞き方をする人は。
おそらくはね。だから別にどちらも間違いではなくて、やっぱり人類の総体としてはその両方によって進歩してきた。
芸術が生まれてきたっていうのは確実にあるわけで。個人としては確かに一人がそうやって閉じこもってても別にいいけど、
今までの人類は両方の働きによって生まれてきたんで、必ずしも全順位がそちらに向かって進む必要はないなとは思うんですけども。
でもなんかやっぱ言われてみると、現在になるとやはりドーパミンを出させようとする刺激というものが過剰にありすぎて、
それによってやっぱりその欧米でさっき言った瞑想とかヨガとか禅とか、そういう思想が流行ってきているっていうのはこのドーパミン過剰に対して、
やっぱりそれは今までの人類的には歴史的にはやりすぎているんじゃないかっていう反動だっていうふうにも考えられるってことなんですかね。
僕はそのように読みましたね。このドーパミン系の筋の話も面白いんですけど、冒頭にもう一個そのドーパミンに関する話があって、
ちょっと漢字なんですけど、身体近傍空間と身体外空間っていうのがあって、身体は身体ですね。近傍というのは近いって意味です。空間。
身体外空間の外は外ですね。簡単に言うと自分の近くの空間か、自分の外の空間かっていう認識のことです。
で、この2つによって実は脳内の処理が違うのではないかっていう話が非常に面白くて。脳内の処理が違う。
本書の話でいうと、近傍空間、自分の体に近い、あるいはもう自分の体そのものについて考えるときは、さっき言ったhere and nowが活性化して、自分よりも外、外空間について考えるときはドーパミンが強くなるっていう話なんですよ。
それは人間がそういう性質を持っている? 持っているということです。例えば、すごい狩りをしていた人類の頃って、今手に持っている食物っていうのは食べられるもんじゃないですか。
でも、3メートル向こうの木に生えている果物は、手に入るかどうかまだわからないですよね、全然。たどり着く前にライオンに襲われるかもしれないんで。
だからそれは期待なんですね。手に持っているものは今、3メートル向こうは期待なんですよ。で、期待っていうのはさっき言ったように、今じゃないものだからもっとなんですよね。
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ここでは3メートルの距離っていうのは、3メートルの距離を移動するための時間が必ずセットになっているんですね。距離と時間っていうのは人間の中では等しいとすると。遠いものは時間的に時間がかかるし、時間がかかるものは遠いってことなんですね。
で、そういうものは全てドーパミンの作用の中にあって、自分が今すぐできることは、ヒア&ナウの回路が優先になるっていうのがまず話のスタートなんですよね。
たとえばなんですけど、パソコンとかを使ってても、2,3手間でゲットできる情報と5手間ぐらいでゲットできる情報って距離感じません?
まあなんか簡単に言うと、楽ちんなのとめんどくさいのみたいなのはあるかも。
なんか遠くにある感じしますよね。数手しか違わないのに。あるどこかで行き地があって、急に遠くなるんですよ。あるところを過ぎると。
その感覚として遠くに感じるっていうことですよね。
自分の外にあるように感じるんですね。逆にワンショートカットで出せるので、自分の内に、手のひらに、手の中にあるような感じがしますよね。
あー、その感覚はわかるかも。その手のひらにあるというか、身体の延長に近しい感覚というのもあるかもしれない。
で、それしてる時はすごくホームにいる感じなんですけど、それより外に行かないような感じがする。わざわざに距離の移動のような感覚があるんですよ。
あー、言われるとそういうのはあるかも。
だから本当に物理的な距離だけの話じゃなくて、先ほどのように時間と距離のセットがあるものは、自分より外のことなんですね。
で、これは話を補強すると、例えば親しい人、何考えてるのかがわからんっていうんじゃない人って、心理的って近いって言いますよね、だいたい。
心理的なんて距離なんですよね、あれ。距離っていうのは要するに。
あー、しかも日本語でもそうなんだ。
自分の手の中でいる人、つまりこの人たちは何を考えてて何を考えてないかだいたいわかる人っていうのは距離が近いんですよね。
うん、親しい人って言うし、近しい人って言うし。
そうじゃない人は遠い。これは身体外にいる人たちなんですね。
結局、確かに人間の脳の中でその2つは別に扱われてるなっていうのはちょっと納得できるんですけど。
さっきアメリカで前的なものがブームっていう話があって、特にGoogleとかがさっき言ったマインドフルネスとかを熱心にしているって言いましたけど、Googleの社員って多分常にMODなんですよね。
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うーん、すごいわかる気がする、想像だけど。
で、しかも彼らはパソコンで何かデータを作りますけど、彼らの身体近傍空間に何かが残ることはないんですよね、コードって。
自分の外にプロダクトを作るんですよね。だからH&Mが仕事のどこにも発生しないんですよ。
だからそれを求めてその善、座禅とかマインドフルっていうものが。
あれによって脳のバランスを戻そうとしてるんでしょうね、きっと。調和を。逆に大工さんって、特に自分の小さな道具を作る人、職人さんっていうのは必ず自分の手に取れるものを作るじゃないですか。
あれはだから、さっき言った制御ドーパミンとか、要求ドーパミンがありつつも、仕事が終わったらきちんと手に残る満足感がそこにあるんですよね。
だからこれは調和した仕事の仕方なんですよ。逆に言うと、IT開発って非調和的というか、ドーパミンに寄りすぎた仕事の形になってて、結局そういうふうに人類は進化してこなかったからそうなっちゃってるんですけど。
だから人間的に合わない仕事なんですよ、あれは。 言ったらGoogleとか大手のITみたいなものをすぐ辞める人が多いっていうのも、そういうことがあるのかもしれない。
おそらくは。だからお客さんにありがとうって言ってもらえないじゃないですか。その近しい距離でありがとうって言ってもらえないでしょ、きっと。
そんな些細なことなんだけど、人類が健全に生きるにはすごく重要だってことなんですね、それが。
だからドーパミンに寄りすぎると結局、さっき言ったように満足感とかがないので、ずっと渇きの状態なんですよね。高揚感はあるけど満足感はないっていう状況なんで、そりゃ精神に悪いだろうなとは思いますよね。
そうか、それもそれを聞くと、じゃあ果たして俺はどういう仕事をしていったらいいんだろうかっていうきっかけ、考えるきっかけになりますね。
家で家族がいて子供がいる人はそういうとこでバランスを取れると思います、きっと。
逆に言えばドーパミンが、そっかでも現代社会で言えば相対的にドーパミンは少ないかもしれないけど、人類の歴史から言ったら別に何も少なくないんですよね、たぶん。
例えば俺の生き方は。きっと少なくないと思う。
じゃあきっと例えば目指さなくてもいいんだ、そんなにこれ以上のドーパミンを。
そうそうそうそう、おそらくは。普通に生活してたらややドーパミン有為になってるんで、だから現代人が車とか使うから運動した方がいいよっていうのと同じレベルで、ちょっといつもよりはそのヒア&ナウを意識する生活を取り入れた方がいいですよっていうアドバイスはできるかもしれない。
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それは職業選択とかその生き方にも関わってきそうな。
うんそう、だから最終的には満足っていうのはヒア&ナウを刺激しない限りは満足っていうのはないっていうことはかなり重要なトピックでね。
だから高揚感と満足は一致してないっていうことはこれかなり重要な指摘だと思います。
で、あとこれはメルマガに書いた話なんですけど、片付けの魔法っていう近藤真理恵さんのコンマリリュウっていうのがあって、日本でもかなりヒットしたんだけど実はアメリカの方がもっとヒットしてるんだよね、世界レベルで。
うん、めっちゃ見たいですね、ネットフリックスで番組まで作られたりとか。
でコンマリリュウってどんなやつか知ってます?コリさん。
俺が知ってるのは、ときめくものは残してときめかないものは捨てるっていう基準しか知らないんですけど。
なるほど、あれやるときに一気に片付けるっていうのが一つテーマなんですけど、片付けるときどうするかっていうと、捨てるものっていうか整理したいものを一箇所に集めて、一個一個手に取って感謝して捨てましょうって言ったら。
感謝してってましょうなんだ。
はい、でまあそれって結構ちょっとスピリチュアルな感じがしますけど、まず手に取るっていう行為がさっき言ったように近傍空間に引き入れることなんですよね。
で感謝するっていうのは、そのあった出来事を振り返るってことじゃないですか。
これはつまり未来とか期待じゃないんですよね。
むしろ今を起点とした昔なんですよね。
ということはドーパミンを刺激してないんですよね。むしろ逆。
Here and nowを活性化させてるんです、あの行為は。
あの行為というかその育成技術は。
で、ドーパミンが強くなってるとどうなるかっていうと、もっとの気持ちが強い。もっと気持ちが強いっていうのはどういうことかっていうと、このアイテムはいつか使えるかもしれない。
別の使い方ができるかもしれないって思っちゃうんですよね。
ってことは絶対に捨てられないんですね。
ドーパミン過剰の時って整理できないんですよ。整理っていうか片付けできないんですよね。
片付けもできないし捨てる決断も捨てることもできない。
だからあれはものすごく真っ当なやり方なんですよ。
物事を整理、整頓、捨てたりする場合には、そのドーパミンが出ない環境を作れと。
そうでないと結局いつか使うかもっていうもっとの気持ちがある限りは、人はそれは捨てられないと僕は思うんで。
だからそこから見てもあれは非常に優れた効果やし、アメリカで受けてるっていうのは多分その背景、物消費が日本よりも激しい背景が多分あるんやろうなと僕は思います。
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さらに激しいしさらにもっとっていう風になっているだろうし。
だからあれをやったら心落ち着くと思いますよ。だからセラピー的な何かは多分あると思います。
そうか、実際に全部集めて1個1個手に取ってっていうこと自体がもうセラピーの効果を発揮している。
だからもっといい未来をしましょうって言うと物を捨てられないんで。
だったら今のあなたはここに生きてるじゃないですか。新しいものなんていりませんよねっていう風になれば物を捨てられるわけだよね。
Here and nowって結局満ちたっている人なんで。それは多分精神的にもいい影響は多分生まれると思うんですよ。
あるかもな。アメリカ人が全員やることリストに入って終わらないものっていうのがガレージの片付けみたいに言われているとかっていうのを見たりするんで。
アメリカ文化とも相性がいい。
って言うとこれもまた日本的な文化から見直すところが本当にいっぱい出てきそうですね。座禅がなんで流行るのかがわかるし。
座禅っていう行為そのものだけじゃなくて現代社会における座禅っていう見方をしたら多分納得できることが多いと思うんですよね。
なんかでも禅が生まれた頃からもうドパミン過剰になってたんじゃないですかね世の中は。
多分。だから商売ってものが生まれてしまうと広告とか宣伝とかってのが必ずセットで生まれてくるから広告の歴史とそれに対抗する技術っていう歴史は歩みは多分一緒なんでしょうけど。
現代はだから広告が強すぎるんですよねやっぱし。
ようやく最近そのあたりのことも例えばこういうことが分かったりだとかそういう禅のムーブメントだったりとかで変わりつつあって。
だからあと同じ金棒と神体外空間の話で言うとこれも非常に納得したんですけど、哲学とか倫理の問題でトロッコ問題っていうのがあるんですよね。
有名なやつですよね。
あーご存知ですよね。
スイッチをONにしたら死ぬけどどうしようっていう。
ほっとくと5人死ぬ。かなり無効で5人死ぬ。
今1人ここで突き落とすと1人死ぬだけで済むと。
でも最大多数の最大幸福っていう命の価値が10日だとしたら5人死ぬ方がいいけどそれ難しいよねっていうのはこれも同じ話なんですね。
近くにいる人って金棒空間なんてとてもじゃないけど押せないんですよね。
でも5人の先って見守るだけやから別にできちゃうと。
逆に言うと1人を殺すって決断が司令室の中でボタンを押すだけやったらおそらくできるやろうっていう話なんですね。
45:02
おそらく多分僕もそれはできると思います。
だから倫理観を考える中で目の前にいる人の扱いと統計的な処理の扱いって同じに置いたらダメなんですよね。
ありますね。何人死んだっていうのが5人死んだっていうと悲劇なんだけど10万死んだとかいうともう別の世界の出来事になってしまう。
死者を統計にしてはいけないみたいなことだったりとか。
目の前の人間に対して何ができるっていう問題設定でない限り倫理的な問題って全部数学的な問題というか
1人の命と5人の命比べたら5人の命助けた方がいいですよねっていう数学的問題になってしまうんで。
人間の真理って2つあるんですよ。
中傷を扱える5人の方が大切だねって思う気持ちとやっぱり1人が大切だねっていうこの両方の気持ちを持ってて人間なんで。
統計だけで考えると片方が完全になくなってしまうんで。
これはだから人間的な倫理にはならないんですよね。
この両方を扱える倫理でないと多分意味がないというか。
自動運転とか考えるにしてもデカくなるというか重要そうな問題だと思いますこれは。
だからこの近傍空間っていうと近傍外空間で脳の処理が違うっていう話はこのドーパミンの話だけじゃなくて結構視野の広い話になってるなと思いましたね。
いろんなことに応用できそうですね。
単純に仲間を守るみたいな仲間をかばってそうなってしまうみたいなのもそういうことなんだろうし。
おそらくはそうでしょうね。
世の中そこら中から批判されてもなぜか友達だけはいつまでもかばってくれたりだとか。
そういうのも近傍空間にいるとそうだっていう風に。違うかそれはちょっと違うのか。
でも身近にいる友達は多分友達じゃなくても結構見捨てられないけどもし地球の裏側にいるときはまあしゃあないなって思うというようなことはあると思いますよ。
そうかそういうのもあるかもしれないですね。
さっき言ったようにヒア&ナウっていうのは今とか人間の感覚の互換が活性化しているときにヒア&ナウなんですけど。
逆に言うとドーパミンって抽象的なんですよね。抽象性を扱うときに活性化するんで。
大体いわゆる天才と呼ばれてる学者さんはこちらが強いドーパミンが強い。
だからドーパミンが強くないと何年かかけて論文学とか多分できないんで。
おそらくは。あれはモットーの仕事なんでどう考えても。
だから割と愛しないの言葉が引用されてて。
私は人類を愛しているか人間を憎んでいるっていう話はこれは非常に面白いんですけど。
48:02
彼らは抽象は理解できるんですけど具体が理解できないんですよね。
あーっていう意味なんだ。
人類という相対は抽象的に私は守りたいと思うけど、そこにいるリアルな人間はちょっと話しかけないでくれって言うんですよ。
ドーパミンが優位になってしまうとそういう人間になってしまう。
でもそれは避けられないんですよね。だから窃盗になってる。
ラシタさんが本をいつまでも直してしまうっていうのもドーパミン型だから、そこで火穴を作用させるようにすればここで完成ってできるかもしれない。
そうか。この原稿でいいんですよって誰かに言ってもらったらいいんでしょうねきっとね。
そういう肯定感あったらたぶん確かにそうかもしれない。モットーが再現なく刺激されてる気がするな。
確かに。すごいですね。直接的に仕事に役立つかもしれないことが。
確かに。抽象の話の関連で言うとリベラルと保守っていうのがドーパミンに影響されやすいっていう話で。
保守の人ってhere and now 優位な話ですね。身の回り目の前に見えてることを守りたい。今ここにある現実を守りたい。
ドーパミンが強い人ってリベラルというか、革新派?改革派?もっと良い社会を求めるっていう風になってるっていう風に分類できるって話と、
あと政治の話の最後に進歩って話があって、これはかなり大きな話なんですけど、
ドーパミンが新しいものを求めるっていう気持ちがあるならば、例えば人類の出発点って、
どこかわからないですけど、南アフリカかどこかの地域から始まって、今全世界に広がってるじゃないですか。
例えばアメリカにいる人たちはすごい距離を移動してきた人たちの子孫なんじゃないですか。
ということは、住んでる民族によってドーパミンの具合が違うのではないかって考えたんですね。
へたしたら人種差別につながりそうな。
実際にそのドーパミンの部分が多少違うのがあったらしいんですよね。
特にアメリカって移民ばっかりなんで、移民っていうのは新天地を求めてきた人たち、つまりドーパミン有意な人たちだったっていう仮説を立てて、
調べてみたところ、おそらくそうではないかということも提言されています。
そこまで踏み込んでしまっているんですね。
こういうふうに愛っていうところから始まって、人間の創造性とか、あるいは物事を計画して自分の支柱に収めよう。
つまり計画っていうのは身体外空間にあるものを身体近傍空間に持ってこようとする試みですよね。
そういう計画って呼ばれているものは。
政治におけるドーパミンの作用の違いとか、
ドーパミン回路を多少刺激するような質問とか環境設定にして投票してもらうと投票結果がちょっと変わるらしいんですけど。
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それも結構怖いなと思うんですが。
あと人類の進歩っていうのがドーパミンによって支えられてきた。
だって新天地に行く人たちが一人もいなければ、我々はここまで発展しなかったわけなんで。
それはもう間違いないですね。
ドーパミンっていうのが我々のこの現代とつながっている、実質的につながっているってことはおそらく言えるだろうって話が1章から6章までで。
最後の章が調和っていう話で。
ここまで言ったように、両方一緒に働かせるのが大切だよねっていう話で。
一応著者なりに提言があって、何をしたらいいのかっていう時にいろいろあるんですけど。
僕が一番いいなと思ったのが創作、創造、クリエイション、クリエイティブなもの。
手を動かして何かを作って手に残るものを残すっていうような行為を日常に入れていくことがいいのではないか。
新しくものを作るっていう時は高揚感がありますよね。
実際に作る過程も試行錯誤があって楽しいし、終わったら手に残るものが残ってて、いわゆるヒア&ナウの満足感になると。
実際に何を作るとかっていうのは分からないですけど、その流れ。
ドーパミンを刺激して高揚感を得つつ、最後に手元に何かヒア&ナウを刺激できるものを、もしなりわえにできるとしたらその人は幸せでしょうね、きっと。
そうか、そのデジタルな生活物はそういう意味で身体的に触れられないっていうのはちょっと苦しいというか不利なんですね。
特にヒア&ナウを刺激するのは個人とか中小じゃなくて個人なんですね。
だからさっき言ったようにアクセス数5万とかでも言ってもヒア&ナウは何も刺激されないんですよね。
モットーにしかならない。
例えばリアルイベントで会った人とかに、いやブログ面白いですよって言われたらめっちゃヒア&ナウが刺激されるんですよね。
ああそうか、リアルイベントとかをやりたくなるのは多分じゃあそういうことだってことですね。
個人の声、だから多分メールとかでもいいんですよ。
個人のリアルな声がこっちに来るのと、数値としていくらとかいくら儲かったっていう話とは別の人間の満足感を刺激するんで。
だからこういう言い方するんですけど、PV稼ぎのブログってなかなか続かないんですよね。
その満足感が減らないから。
ああ、そっちしか、ドーパミンしかないから。
そうそう、もっともっとにはなってアクセスもっと欲しいけど、何回やってもすごく虚しいっていうことになってしまう。
いいですね、そういう話にも繋がるっていうのはめっちゃいいですね。
54:01
この点はだから、我々特に仕事としてとか生活環境においてドーパミンは有意になってるけど、そのヒーアンドナウ的なものが何もないなっていう場合は、それを取り入れる生活をした方がいいんじゃないかなっていうのと、
やっぱり自分がさっき言った本作りっていうのは、まさに本作りの最中はドーパミンバタバタ出てるんですけど、
本を出し終わって、はーって行き着いて、本買いましたとかツイッターとかで言ってもらったり、面白かったですってメール書き対すると、すごく報われた気になるんですよね。
だからこれは、ドーパミンマウンテンを登って、ヒーアンドナウ丘に着地したみたいな感じなんですけど、それがずっと繰り返されて今まで続いてるんですよね。
メルマガとかもそうなんですよね。あれただ書いてるだけじゃなくて、やっぱり感想のツイートとか、時々感想のメールとかもらえたりするんですけど、それがもしゼロやったらかなり続けづらかったんじゃないかなと思いますね。
シンプルなあれですね。反応をもらえるからやる気になるっていうのは、誰にでも言えることで人類の基本的な原理なんだっていう。
その反応がさっき言ったように数字だけではダメなんですよね。リアルな人の反応、そこにいる人の反応。
100いいねとはだいぶ違うっていうね、こうでしたっていうコメントは。
だから反応が欲しいとか反応をもらえるからっていう文脈で大雑把に括ってしまうと見えなくなってしまうんですよね、そういうのが。やっぱり誰かに喜んでもらえる仕事っていうのが一番簡単で原始的なものがやっぱりいいんですよね。
例えばそれで前回の話とつながるんですけど、料理とかは近い気がするんですよね。
自分の手で物を動かして作って、それを近しい人と一緒に食べることで、そこはもうまさにヒアアンドナウに来るだろうし、作っている時は新しいものでもあるし。
なんかおいしいものを食べたいっていう最初の欲求ドーパミンが入って、次に料理をする時に計画立てるじゃないですか。手順というか、この時に制御ドーパミンが動いて、いろいろ作って食べる時でヒアアンドナウになって、まさに言われたように調和がそこにありますね。
そうか、やっぱり忙しい人類の簡単な解決策は料理を作れってことですね。
そうやと思います。逆に自動化してしまうとヒアアンドナウがどんどん逃げていくんですね。
だからまた別のどこかでそれを探さないといけなくなってしまって。
そうそうそうそう、結局。
そうか、簡単なことだってことですよね。簡単な解決策が料理を作るようにすることで、多少ドーパミン型の生活を改めるきっかけになるかもしれない。
そうそう、あと困ったことはDIYで解決するとかってもう一緒ですよね。何でも外注しないとか。
3Dプリンターなんかも言ったらそこに近いのかもしれないんだ。
うん、確かに。
自分で作ったものですごい簡単に、しかも多分幸せを実感しやすい。
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確かに。
このパーツでめっちゃ便利になったんだよねっていう。
だから作ること、自分で作ること、何かを作り出すことっていうことに含まれているこの全工程が、人間の精神の調和にとっては多分いいっていう話は、なんかどっかで一回してみたいなとこの本を読んでちょっと思いましたね。
物書きとして感じていることとしては。
はい、面白そうでしょ。
面白そうだった。
はい、という感じで30分の予定だったけどやっぱり1時間になりましたね。
こんな感じでどのぐらいのペースで、できれば週に1回ポッドキャストを更新できるといいなっていうので、今後も続けていこうと思いますので。
新しく始まった時はTwitterとかポッドキャストなりブログなりなんなりで告知をすると思うので、ぜひそういったものをフォローなどしていただけるとありがたいです。
ということで今日は物書きの倉下忠則さんに、もっと愛と創造、進歩と支配をもたらすドーパミンの最新農科学という本について紹介していただきました。
倉下さんありがとうございました。
はい、ありがとうございます。
58:31

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