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2024-09-24 1:01:08

BC098 『ATTENTION SPAN(アテンション・スパン) デジタル時代の「集中力」の科学』

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面白かった本について語るPoadcast、ブックカタリスト。

今回は、『ATTENTION SPAN(アテンション・スパン) デジタル時代の「集中力」の科学』について語りました。

スマホの登場によって、私たちにどんな変化が起こっているのか。

iPhoneが出たばかりの頃の自分は、それによるよい変化にしか注目していませんでしたが、最近はそこから起こる「よくないこと」にも注目するようになってきました。

特に、スマホという「最強の暇つぶしツール」を手に入れた我々は、いつのまにかほんのわずかな時間の退屈を耐えることができなくなり、結果的にこれまで以上に「退屈」という問題に悩まされるようになっている。

そんな問題意識を持って、この本を読んだ印象です。

自分が変わったなあ、と思うのは、こういう「〜について考えるためにこの本を読もう」みたいな観点で本を選ぶことができるようになった、ということです。

自分の読書力が上がったかどうかは、客観的に評価する手段はないんですが「気になってることを考えるために本を読む」ことがきちんと言語化できるようになったというのは、明確に進歩だと思います。

これは、ちゃんと他人に誇れる変化。

なんだかんだもう、100回近くもずっと本について話してたら、なにか変化はあるよね。それを身をもって体験できたことは大きいです。

ブックカタリスト100回記念イベント

というわけで、詳細はまたお送りする予定ですが、まもなく到達するブックカタリストの100回を記念して、東京のどこか(東京駅近辺の予定)で、100回到達記念イベントを行う予定です。

テーマは「ブックカタリストの語り方(仮)」

開催日は、11月17日の午後から夜にかけて。

詳細が決まり次第、またご連絡いたします!

今回出てきた本はこちらで紹介しています。 📖ブックカタリストで紹介した本 - ナレッジスタック - Obsidian Publish



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サマリー

デジタル時代の集中力に関する科学を探求する本『ATTENTION SPAN』が取り上げられています。このエピソードでは、集中力の短縮について考察し、集中を妨げる要因や集中力を回復する方法が語られ、心理学や神経科学の視点から深掘りされています。デジタル時代における集中力の重要性や、SNSなどのデジタルメディアが集中力に与える影響も検討されています。特に、集中力を高めるためのリズムやルーチンの重要性が強調され、アルコールの影響についても言及されています。 また、デジタル時代における集中力の低下とその原因についても探求され、マルチタスクや中断の影響、環境の整え方や主体性の重要性について議論されます。集中力と自由意志の関係についても考察され、主体的に行動することの重要性が論じられます。さらに、さまざまな活動を通じて得られる評価や幸福感についても考えられ、現代社会における多様なアプローチが求められています。

デジタル時代の集中力
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第97回の本日は、
ATTENTION SPAN デジタル時代の集中力の科学について語ります。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
いろいろ、goryugoの体調不良などがあって、一回間がいたんですが、
はい。
まあ、同じようなペースで続けていきたいと思います。
はーい。
はい、えーと、今回紹介するのは、
ATTENTION SPAN、日経BPから出て、2024年の3月に出た本ですね。
ほうほうほうほう。
で、いわゆる、まあよく言われてるのが、メールが出てきて、SNSが出てきて、
人間はみんな集中力短くなったよね、集中力持たんくなったよね、みたいなことが、
いろんなところで言われていると思うんですけども、
それを割と真面目に考えて、どうしたらいいのかな、みたいなことを考えてみようという本かなと。
これタイトルの、ATTENTION SPAN、アテンションが集中ということですよね。
で、SPANって言うと間とかっていうのが、
感覚みたいなイメージ。
うん。
2つ繋げると、これどういうニファンスのタイトルなんですかね。
なんて言うんだろう、注意を向けるのと気が散るのって意外といっぱいあるっていうか、
次のアテンションに向かっていくSPANが短くなったという受け取り方かなと思っています。
はい、了解です。
でね、ページ数自体はそんなめちゃくちゃ多くなくって、364ページぐらい。
まあまあ。
まあ多いんですけど、地獄のように多いわけではない。
そうね、はい。
なんですけど、すごくボリュームが多かったっていう印象があって。
ほう。
1個1個も難しいわけではないんだけれども、すごくたくさんいろんなことが書いてあったっていう印象で。
密度が高いという感じ?
だと思うんですよね。
予想なんですけど、ブックカタリスト始めたばっかりの頃の自分だったら、結構これはわからんな、難しいなって思ったんじゃないかなという印象もあって。
おー、なるほど。
ちょうどちょっと前にナレッジスタックでポッドキャストをやっているんですけども、そこで飯田さんに紹介していただいた構造を読むみたいな読み方。
はいはいはい。
そういう、今何の話をしてるんだろうみたいなのを忘れてしまうと、あれこれ何の話だっけ?ってなりがちになる。
わかるわかる。
そういう意味では難しい話はしていないんだけれども、難しい本だったのかもしれない?
集中とその障害
そうか、だから結構細かい話とか注釈とか中とか深掘りするものがあるから、現在視点を見失いがちやけども、案外そこにはまり込まずに読むことができたと。
できるように昔に比べてなったんじゃないのかなと。
それは単純に読書力が上がったと言えるでしょうね。
そうだと仮定すればなんですけどね、結局純粋比較ができないので、多分そうなんじゃないかなという印象はあります。
ちょうどこれをきっかけにというか、この辺りの最近例えばスマホ時代の哲学っていう本を読んだりだとか、SNSの哲学っていう本だとか、監視資本主義っていう本だとか、
あとブックカタリストで紹介した暇と退屈の倫理学、倉下さんが紹介してくれたやつですね。
その辺りとも大いに絡んできそうで、現在のつまらんとか退屈とか暇とか孤独とか、スマホの登場によって発生し始めている問題みたいなものを考える一つの観点としても非常に良い本だったのかなと。
ちなみにこの本の著者はほにゃららの科学とタイトルがあるんですけど、学者さんなんですかね。
この本自体は確か一冊目の本とかだったかな。カリフォルニア大学アーバイン校なんとかなんとか特任教授みたいな心理学者、情報科学者という感じですかね。
大きくですね、十何章まであってすげえたくさん章があるんですけども、一部二部三部という感じに分かれてます。
大雑把に言うと、第一部というのが集中ってどういうものなのだろうかというか、集中というものについて真面目に考えてみようというイメージ。
それは哲学的な議論というよりは、人間の心理機構とか神経機構とかに関しての話ってことかな。
そうですね。この本はそんなに哲学的な内容はないですね。心理学とか脳神経科学とか、実験によって分かったことみたいなことが多いかな。
そういう学術的な観点での集中というものは何なのかというものと、第二部が大雑把に言うと、いわゆる集中の敵はどういうものがあるのか。
第三部というのがそれを踏まえて、じゃあどういうことをしていったらいいんだろうかっていうのを考えてみましょうねっていう大きな流れになってます。
ということは、集中を中断させるのはあんまり良くないということは、集中することは良いことだということが一応基本的な方向性としてあるってことかな。
そこがですね、そうではないところが良いところだなと思います。
例えばで言うと、後から出てくる話なんですけど、最強の集中状態フローってありますよね。
時間を忘れて没頭するみたいなやつ。
あれってこの著者は、いわゆる仕事でそんなことはできないしならないし目指さなくていいって言ってるんですよ。
なるほど。
確かに、例えば俺が執筆をしているだったら可能性はないとは言わないんだけど、やっぱりフローというものは基本的に多分ね、身体動作を運動を伴うものじゃないと起こり得ないよなっていう印象はあるし、
いわゆるデスクワークとかをしている限りにおいて、そこは意味がないまでは言ってないけど、それが正しいとかそういうことは少なくともやめといた方がいいって言っているし。
大雑把なことを言っておくと、例えば仕事を中断させられるって一言で言えば悪な印象があるじゃないですか。
そこもそうじゃなくて、必ずしもそれだけではない。
どっちにも良い悪いあって、なので全体的な印象としては、わりと決めつけがちなことを良い意味でどっちもあるんだよって言ってくれたかも。
バランス感覚は基本ですね。
そうですね。例えば集中は正しい、素晴らしいことだ、1日8時間の仕事時間ずっと集中しているべきだなんてことは、おそらく不可能なことは多くの人が想像できるじゃないですか。
そういうような話にもなっていて、逆に言うとやっぱり難しい理由なのかもしれない。
集中しましょう、集中の邪魔はこれです、これはやめましょうって言われたら簡単なんだけど、あんまそうは言ってくれないっていう意味での難しさはあったかもですね。
大雑把に、まず集中ってどういうものなのか、いろんな観点から考えてみましょうっていう感じなんですけども。
まずそもそも集中するという行為は脳みそのいろんなネットワーク、複数のネットワークがたくさん働いて同時に起こる体系的な活動で、単純なものではない、簡単なものではないっていう言い方になるのかな。
っていうことが前提としてあって、これはよく言われてることだと思うんですけど、意思力とかと同じような感覚で、集中ってこの本で書かれてるのは認知リソースというものが使われる。
これはよく言われてるのがRPGでいうMP、マジックポイントみたいなイメージで考えるといいですよっていう言い方がされるんですけれども、実はそこまで単純なものではなくて、タスクの種類が違うと使われる認知ソースの種類がちょっと違う。
だから再びファンタジーで言うと、炎の魔法に使えるMPと氷魔法に使えるMPが違うみたいな感じ。
さらに言うと、ファイナルファンタジー3とかウィザードリーみたいに、僧侶魔法と魔法使い魔法は分けられている。勇者魔法と。MPは一箇所から出てくるわけではない。
仕事の話で言うなら、例えば人と会って話すMPと書き物をするMPと考え事をするMPはそれぞれ分かれているみたいなイメージなのかな。さらに言うと、そういう似たようなやつがごちゃごちゃになると相互に干渉が起きやすいっていうのかな。頭の中がぐちゃぐちゃになりやすいっていうのかな。
炎タスクAと炎タスクBの場合、頭の中でそれらのタスクについての認知が混ざり合ってしまう。
そういう感じですね。まずよく言われているタスクを切り替えるってどういうイメージなのかなっていうのもイメージとして面白かったんですけども。
あるタスクをこなそうと思ったら、脳内のモードを切り替えないといけない。そのモードの入れ替えっていうのが、この本の言い方で言うと、心の中にホワイトボードに、これを注意しましょう。今からこういうことをするので、こんなことに気を付けましょう。
次こういうことをやるときには、こんなことをしないといけません。ということを毎回書かないといけないというイメージで。
アプリケーションで言うと、それが立ち上がるたびにメモリに何か背景で読み込まれてる感じか。
そうです。まさにそういう感じ。メモリを消費するんですけど、メモリがさっき言った話で言うと、CPU、コンピューターは1個のメモリで全部どうにかするんですけども。
これもまたイメージなんですけど、執筆メモリ、対話メモリ、なんとかメモリ。もちろん明確に区分ができるわけではないので、大雑把にこの辺が執筆のメモリで話をするときと被ってる部分とか、もっと境界は曖昧なものだとは思うんですけども。
その得意な分野っていうところにメモリにロードしてあげないといけない。
単純に言うと、脳で言うとその辺のネットワークが活性化して別のネットワークが休むみたいなことが起こるということだろうね。
たぶん同じようなネットワークを使う仕事というのが、なので認知リソースが同じような認知リソースという言い方になるんじゃないのかなと。
厄介なのが、どうやらイメージで言うと認知リソースの消費というのはこのメモリのロードをするときにとてもたくさん使うっぽい。
あー、つまり車で言うとエンジンをかけるとき、冷房で言うと一番最初に始動させるときにパワーを使うのと同じような構造があると。
そうですね。だから同じことをある程度続けていれば、そこまでメモリは消費しないんだけれども、一回中断して別のことをやって、また元の仕事に戻るとなると、言ったら二回余分なメモリのロードが発生するわけですよね。
なるほど。ホワイトボードで言うと書いて消してまた書いてっていうのが起こると。
集中力の回復
そう、イメージで言うとホワイトボード一番いいんですけど、書いて消して書くなんてすげえ嫌じゃないですか。
脳内でそんなことをやっているイメージっていうのかな、タスクを切り替えるというのは。
さらに言うと、やっぱり慣れないことをする場合は、そこにたくさん書かないといけないとか、濃く書いておかないといけないとか、毎回毎回メモリを参照しないといけないみたいな感覚じゃないかと思うんですけども、
やっぱりこれもまた当然認知リソースがたくさん消費されてしまうっていうのがまず前提の知識としてあって、もう一個重要なのが、それってどうしたら回復するのっていう。
減少すると言われている認知リソースの回復方法。
ファイナルファンタジーとかウィザードリーとかはエーテルを飲むか寝るしかないですよね。一般的に我々も寝たら治るっていうふうに言われているんですけども、そうじゃないところでもある程度の回復ができる。
イメージとしては、例えばマインドフルネスみたいな、瞑想をするみたいな、MP回復に寄与しているイメージがありますね。
そうですね。この本で書いてあった話で言うと、例えば20分間自然に触れることだとか、のどかな場所での休暇もその認知リソースの回復にはいいって言われているんですけど、もう一個興味深いのが、頭を使わない単純なゲームでも認知リソースは回復するって言ってるんですよ。
頭を使わない単純なゲームの例とかあります?
この本に書いてあったわけではないんですけど、いわゆるスマホポチポチゲー、キャンディークラッシュとかっていうのが、急速になるっていう言い方をしていて。
頭を使ってないわけだから、メタファーで頭を使ってないって言ってるけど、つまり認知リソースを激しく消費してないってことだよね。
そう。それがまず結構大事なことなんじゃないのかなと思っていて。
例えば、最近の自分が興味を持っている分野の話で言うと、スマホでポチポチなんかゲームしてるのなんて時間とエネルギーの無駄でしかないという言い方をしがちなんですよね。
はい、わかりますよ。
実際、マッチョな人たちは、「そういうものは全部消せ!」みたいな言い方をすると思うんですよ。
そうですね。
全て有意義なことに時間を使うことが最善ですって言ってるんですけど、それをやってたら集中が持たないんですよね、人間は。
そうですね。
という意味で、少なくとも例えばSNSをダラダラ見るとか、そういうキャンディークラッシュを休憩時間に5分10分プレイしているとかっていうのは、少なくともこの本では悪だと言い切っていない。
どころか、いい休憩だととすらなりうる。
ただ、ダラダラ見なきゃいけないわけよね、TwitterとかSNSとか。見て、深刻なツイートについて考えだしたら、それは休みになってないってことですよね、きっと。
そうですね。この後の話なんですけど、もちろん休憩としてSNSが悪いわけではないんだけれども、やっぱり罠がいっぱいあって。
ちょっと休憩しようと思ってTwitterを見たら1時間経っていたわ。誰が考えたってやっぱりダメじゃないですか。誰が考えたっていいのかな。
区切りみたいなのがいるってことだよね。
そういう罠というものも、少なくともまずちゃんとわきまえておきましょう。これも前提知識として言語化して整理しておきましょう。
というので、ちゃんと出てきていて、大雑把に出てきた罠が4種類ぐらい。ここで説明されていたものが。
1つがフレーミングエラーみたいな言い方をされるんですけども、自分が今からやろうとしていることの価値とかかかる時間を間違えてしまうこと。
例えばTwitterを見ることを5分間の休息のつもりで始めるんだけれども、ついなぜかそれが一番重要なことであるかのように間違えてしまうというのかな。
もう1つが同じくこれも非常に似たような話であるんですけど、単純作業の集中の罠という言葉があって、これは第2のフレーミングエラーみたいな感じになる言い方があるみたいなんですけど。
例えばTwitterを見てダラダラといろんな豆知識とか手に入ったりしますよね。こういうことをしたらすごい役に立つぞとか、こんなことが面白いぞみたいな、そういう簡単に得られる。
見方によってはやっぱり結果が得られているという言い方もできるんですよね。成果が得られているとか。こういうちょっとした報酬がいっぱいあると、ついついそこに熱中してしまう。
本来は休憩だったはずなのに、この単純作業による報酬によって幸福感を得られてしまって、そこから離れられずにずっとそこに居続けてしまう。
さらにSNSとかの最近のオススメとかいわゆる一般的なタイムラインって、その能力が最大限になるように工夫されているので、何も考えずにやってしまったら間違いなくこれはそこに休憩のつもりだったものが休憩ではなく、それが仕事になってしまいがちになる。
さらにSNSだと、やっぱりこれは人間の差があるんですけど、人に対して社会的なつながりを重視する生物なので、人間というものは。
あの人最近どうしてるんだろうという心が当然働いてしまうので、やっぱり人間関係とか、そこをさらにいいねがもらえて嬉しいだとか、そういうのが、さらにSNS全般に言えるんですけどランダム報酬なんですよね。
集中力のリズム
ランダム報酬ってパチロとか社交士、ギャンブル系のやつでも必ず言われていることなんですけど、波がある方がハマってしまう。
で、Twitterも同じく、その波の作り具合によってさらにハマってしまうという罠にかかりやすくなる。
さらにもう一個、マインドワンダリングという言い方がされているんですけど、何か注意が別のところに行ってしまうというのかな。つい今やっていることから離れてしまうっていう効果もあったりして、
これら全部、分かっていれば大丈夫というか、分かっていてもやめられなくて引っかかってしまうことでもあるんだけれども、分かっていて気をつけることである程度防げるようになるものでもある?
たとえばTwitterする前にタイマーを仕掛けるみたいな超シンプルなことだけでも、実は脱線していることに気づけるということはあるね。
意識的に脱線することは多分この本の解釈する限り大いにやるべきで、ただ帰ってこれるようにする工夫をしておけというのが大事なこと。
なるほど。
これももう一個よく言われていることなんですけど、人はコントロールできない、どうしても注意が勝手に向いてしまうという、外因性注意というものには抗えないということが人間の性質として存在しているので、当たり前なんだけど、目に入るものを、集中削がれるものを視界に入れたらいかん。身の回りに置いといたらいかん。
はい。
これも基本的ではあるんだけれども、注意しておきましょうねっていうところですね。
なるほど。
ちなみに面白いんですけど、酒を飲むと注意がいることはできなくなるんだけど、注意しなくてもいいことっていうのはアルコールを摂取していてもほとんど能力には影響がないらしくて。
じゃあポチポチゲーはできるわけだね。
そう、できると思うし、実際できる気はするし。
この辺りがアルコールの特殊な能力というか、自動処理できることというものは、いわゆる認知、上手に認知を使ってあげれば自動処理で、認知エネルギーなしでもできる仕事があるというふうにも見れるのかなと。
だから、車の運転はほぼできてしまうわけだね、要するに。
でも注意が必要な、つまり自己理想な外部に対して注意を振り分けなきゃいけないものにリアクションできないから、生で運転できるけど注意に反応できないというので、やっぱり運転してはいけないということになるわけですね、これは。
そうですね。だから自動処理だけなら、多分運転ならできるんですよね。危険に注意せず。
それは確かにある。
主に注意と集中の話。もう一つは、いわゆる集中というのにリズムがあるんだよということですかね。
これもいろんな人の、この人結構いろんな会社とかに協力してもらって、こういうソフトを使って、どんなふうか見せてくださいとか、後ろから観察させてくださいみたいなことをいろんなところでいっぱいやっていたりするんですけど、
今から仕事を始めます、集中力全開ですなんて人は限りなくゼロみたいで、集中力を高めていくには徐々にっていう言い方をすればいいのかな。
ちょっとずつ集中力が高まっていって、多くの人のリズムというのは、例えば9時5時仕事の場合、イメージなんですけど、9時から10時は集中力を高めるタイム、10時から11時ぐらいまでが集中できるタイム、11時から12時までがそろそろ疲れてくるタイム。
で、午後はどっかにもう1回ぐらいちょっと集中できるタイムがあるみたいなイメージかな。
それは体のバイオリズム的なものなのか、その認知リソースにエンジン、温まるのにエンジンがかかる的なのか、どっちの要因が強いんでしょうね。
この人でいうとね、観察からそうだったみたいなところで、なんでなのかみたいなところは、やっぱりバイオリズムみたいなところなのかなっていう言い方かな。
まず大事なことは、いきなり集中なんてできんよっていうことでもあって、さらに言うと、なのでそういう儀式とか、プロプレイヤー、スポーツのプレイヤーたちが集中力を高めるためにいわゆる儀式みたいなことをやってるんですよね。
この本には書かれてなかったんだけれども、我々が日常の仕事において言えるので言うと、本格仕事に入るまでのルーティンみたいなものを作っておくというのは非常に効果が高いことなんじゃないのかなと。
あとは仕事の記録を残して、自分が集中できている時間帯と操舎の時間帯を理解しておくことも結構大切かもしれませんね。
記録の話はこの本全般を読んでいてずっと思ってたことなんですけど、最も重要なのはロギング仕事術だと思いました。結論で言うと。
一言の答えで言うなら、何してるか全部記録を残しておいて、そこから考えていきましょう。それが集中力対策としての最大の仕事術ですという読み方ができました。
あと、慣れも退屈も悪いわけではないという話で、一般的にこの集中力と熱中の具合というので、4つの感情で分けておいて考えると、また集中への理解が高まるという言い方で、
4小弦のマトリックス。難易度が高い子とか低い子とか、熱中度が高い場合と低い場合によって4つの感情というものがある。難易度が高いものに熱中していると、それはいわゆる没入と言われる状態。難易度が低い状態で熱中できているのは慣れている。
難易度が高いけれども熱中できないというものは不満に感じて、難易度が低くて熱中もできないものというものを退屈だと言える。
これも一個覚えておきたいのが、一番認知リソースが減るのは不満な状態なんですよ。すごく全部当たり前っぽいことなんですけど、難しいことをはまれずにやっているというのは、すげえエネルギーを消耗してしまう。
集中力を高める方法
どこかでは必ずやらないといけないとは思うんですけども、仕事の場合によっては。逆に言うといかにこれを減らしていくか、慣れとか退屈というのが悪いことのように見えるかもしれないんだけれども、実は難易度が低くても熱中してやれていることって結構楽しんでやれているという言い方もできるし、
これは自動処理に近い行為なので、認知リソースの消費も少ないんですよね。おそらく感情的な入りやすさで言うと、当たり前なんだけど、慣れから没入に持っていくというのが集中力を高めるモードとしても非常に重要で、
なのでまず簡単なことで、さっと熱中というか、無心になってやれることからちょっとずつ難しいことに入っていくことで、1日の流れみたいなのは、そうやって作っていくといいんじゃないのかなというのは、ここに書いてあったわけではないんですけども、そういう印象はあったかなと。
集中とか、集中の準備運動みたいなイメージを持っておくといいってことかな。
そうですね。それも同じく、よくラスタさんと話に出てきている、いわゆるフリーライティングとか、例えばロギング仕事術で言うと、まず頭に今から何をやろうかというのを脳内で妄想するだけで、妄想じゃないや、予定だけでいいので文字にして書き出していく。
これって多分慣れたら、慣れの分野でいけると思うんですよね。難易度は高くない。確かに。
でも、何をやろうと思っているかを書くことで、結構熱中度は高く保てることができる。
5分、10分、今からこういうことをやろうと思う。これはこんなことが難しそうだけど、どうしようかな、こんなことをしたらいいのかな、みたいなところから書き始めて実際に仕事を進めていくというのが、集中の観点での仕事の進め方として最強なのではないか。
実際、自分がやっている感じで言うと、さっき言ったホワイトボードとかメモリーに読み込むということを補助している感じがするね、自分自身で。
そうですね。最初にちょっとずつできるだけ楽にメモリーをロードしているのかもしれないですね、今のやり方みたいなのだと。
やり始めればやる気になるとかっていうのも、やり始めることでちょっとずつメモリーにやるべきことがロードされていって、それによってメモリーロードという負荷が高い行為を、少し負荷を下げられるから実際にやれるようになるみたいな見方もできるのかもしれない。
そうですね、確かに。
で、集中に関して、まだいくつか集中の基礎知識、マルチタスクに関しての話。
マルチタスクと中断の影響
これはよく言われている話であんま深掘りしようとは思わないんですけども、いわゆるマルチタスクって当然同時に何かをやっているというわけではなくて、素早く複数のことを切り替えているだけで。
2016年から21年ぐらいの調査によると、コンピューターの画面が大体47秒ぐらいで別の画面に切り替わっているらしいです。
そのぐらい一つのことをやり続けていられないというのかな。
わからんではない。
マルチウィンドウとかが当たり前になっているし、何か見ながら何かっていう風になって平均を取るとこういう風になりやすいのかなとは思うんですけど、
本に書かれている全部の話で言って、やっぱりめちゃめちゃすごい勢いで、一個一個のこの時間というのはちゃんと統計として減っていっているというか短くなっている。
みたいなものがあるし、さっき言ったメモリの労働の話で当然認知リソースも追加で消費するし、ストレスも上がっていきますよみたいな話があります。
あとはもう一個中断の話。さっき言った仕事を中断させられるとか中断するっていうのが必ずしも悪いことだけではなくて、
さっき言ったように休みとして認知リソース回復するっていう効果もありますよとか、
社会的な繋がりから距離が置けることによって新しいアイデアが生み出せられるようになる。
トイレに行くといいアイデアが思いつきやすいみたいなものの西洋的な言い方なのかなという感じでもあるんですけど。
1個面白かった、2個面白かった話があるんですが、中断の原因が価値がある行動であった場合、それはポジティブな感情になりやすいっていう研究があるみたいで。
例えば困っている人を助けるみたいなそういうこと?
例えばそうですね。逆に言うと、今熱中している仕事の最中に上司がちょっとなんかこれやってくれないかっていうのは価値がない行動の代表的なやつですよね。
だからその行動している当人が価値が感じられないってことだよね。
価値がある原因、何かがあればそれは非常にポジティブな感情になりやすいっていうことと、もう1個が外部要因での中断っていうものがあったりすると、体がそのリズムを覚えてしまうらしくて。
例えば1時間おきに上司が今の仕事終わったのか今の仕事終わったのかって言われると、人間はまた1時間ぐらい経ったときにまたきっとあいつが何か言ってくるかもしれないなみたいな予測ができてしまうらしくて、言われてないのにそこで集中が切れてしまうという性質がある。
人間の学習能力の高さには驚かされるね。
それと似た話なんですけど、この本では最軽肉効果っていう終わらせないやつ、あいつを悪い言い方しかしていないような印象があって。
よくある仕事術で仕事を途中ぐらいで中断しておくと、まだやらなきゃいけないなって思えるから、次回再開するときに再開がしやすくていいよっていうのが、自分がこれまでによく見た仕事術とかそういう系の本で言われている話なんですけど、
この人はね、それは良くないことだみたいな言い方をわりと強く言っていて、ずっと認知リソース使い続けているからね、それっていう言い方なんですよね。
言いたいことはわかる。
その中途半端なものを残しておくというのは、ずっとあれやらんといかん、あれやらんといかんというものが頭から消えないということで、もちろん次に続きが早く始められるかもしれないんだけれども、残っているということは認知リソースがそいつのせいでずっと減り始めてるんだよっていうイメージ。
1時間おきに上司に言われるとかっていうのも同じような原因らしくて、結局また1時間後にあいつ言ってくるかもしれない、1時間後に備えておかないといけないなっていうことが、無意識で脳にその認知リソース使って残り続けてしまう。
これは社会的な環境というか、かなり集中を維持していくためには重要なことじゃないのかなというふうに思うんですけども。そういう外部からの中断というのが非常に人間には大きな悪影響を及ぼし得る。
もう一個恐ろしいことに、そういう中断をすると早く終わることすらあったりするらしいんですよね。逆に。
時間がなくなるから集中度が上がるみたいなことなのか。
認知リソースと集中力
必殺技としてはありかもしれないんだけれども、当然必殺技にはダメージを伴うわけで、中断、意図的に中断を挟むことによって結果的にタスクが早く終わるということもあるんだけれども、これは負荷が大きいし、苛立ちを生みやすいし、プレッシャーとストレスを増やすことにつながりやすい。
直接言ってたわけじゃないんですけど、多分最軽肉効果もこれなんじゃないかっていう感じ。
中途半端に残しておくことによって、総合的に早く終わるかもしれないんだけれども、それは結構負荷が高い仕事のやり方っぽい。
簡単に結論が出せるわけではないんだけれども、少なくともそういう仕事を途中で残しておくというテクニックが正しいだけではないんだぞっていうのは割と重要な意見なのではないかなと思って。
一応僕の考えを述べさせていただくと、中断しておくと再開しやすいっていうのはあるわけですよね。
逆を考えるとわかるんですけど、結局中断してない以上、キリの良いところで終わるってことは、次の仕事のスタートはキリゼロから始まるわけですね。
成果ゼロから。つまりスタートのこれやらなあかんっていうものが巨大サイズになるわけですけど、キリが悪いところで終わらすと、
一番最後のちょっとした作業から始めたらいいから、実際にやり始める心理的な障壁、ハードルみたいなのが低くて済むから、仕事術効率的には良いと。
しかし、さっき言われたように、あれもせなあかん、これもせなあかんと残ってしまうことは不合理であると。
だからこれね、二つ方法があって、一つはものすごく些細なところで終わる。中途半端なところで終わる。
例えば、文章で言うと、最後の苦痛点の丸を描くとか、そこをやらない。そうすると大したことじゃないと思っているから、脳は別に覚えないんですね。そこに注意を払わない。
でも実際に作業を始めるときに、ものすごい簡単なところから始まるから、エンジンを描きやすいという方法が一つと、もう一個は描くんですよね。
中途半端に終わらせるときに、ここまであった、次はこれからだと書いておく。そうすると脳って、書いたことはだいたい記憶にあまり乗せないんで、
そうすると中途半端なところからしつつも、しかし心理的な負荷は減るっていうのをハイブリッドで使えるっていうのが実体験としてはありますね。
で、全くもっておっしゃる通りで、著者が書いていた方法もそれです。
そう、さっき言ってしまいました。はい、すみません。
なのでやっぱりロギング仕事術なんですね。
最軽肉効果のネガティブな要素を減らすことは、ここまでやったよってことをちゃんと書き残しておきましょう。
これだけで脳は負荷を感じにくくなって、結果的に中断というものをネガティブな作用として起こしにくくなるというのかな。
で、おそらくなんだけどやっぱり続きから始める的な話で言うと、メモリに書いておくことでメモリロードが楽になるっていうのが一番重要なことで、
悪い最軽肉効果というやつはメモリに専用し続けてしまうというのかな。
で、それを書いておくことで、イメージなんだけど外部ハードディスクにバックアップしておくみたいなイメージかな。
そうすると脳内からは一回消せるんですよね。
ゼロからロードするわけじゃないので、コンピューターの例えで言うと、CPUリソースをあまり消費せずにリソースがメモリのロードができる。
そこがうまく集中ができるようになるためのコツというか、結局答えっていう言い方ではないんですけど、書いておくことが大事だよっていうのがここでも出てくる話で。
そういう風に中断っていうのも必ずしもなので、まずノウハウとしては中断がある場合にはどこまでやったかというのを何とかして書いておく時間を取るということと、
主体性の重要性
あとさっき言った価値ある行動であればポジティブな感情になりやすいというのを自分を騙す方法にも使えるというか、
ちょうどいいタイミングで休憩の理由ができたなと考えてやれば、それはおそらく価値ある行動だと感じやすくなるんですよね。
これはじゃあもうせっかくだから休憩しようぐらいでいいんじゃないかと思って。
じゃあここまでやったっていうのだけ記録に残しておかないといけないなっていうのがその仕事術的な取り入れ方なのかなと思います。
それは結局そのある外的要因で、しかも一見自分にとって価値がない行為を価値があるかのように語り直すことっていうのは主体的に自分が環境に対して積極的に行動しているということだから、
何か自己高揚感もね多分上がってくる気がするね。
その辺りが本来的なライフハックなんじゃないのかなと思っていて。
なんか真のライフハックとは、やっぱりそういうすごい大したことないものを考え方一つで価値あるものに変えるっていう。
誰かに邪魔されたというのは、ちょうど集中が切れかかっていたから休憩をしようというサインだった。
それを知っておくだけで多分相当変わるんじゃないのかなと中断が多いような環境にいるような人は。
少なくとも過剰にネガティブな感情に動かされる率は減っていくでしょうねきっと。
っていうのがあるんじゃないかなと。
集中を意図しない、集中切れを防ぐことに大事なのはモチベーションと認知リソースであるっていう言い方をしていて。
本には書いてないんですけど結局モチベーションも認知リソースも単純な話なんですけど健全な肉体がまず大前提として存在していて。
ライフハーク的な観点ではさっきみたいな話があるんですけども。
やっぱりよく寝ておくこととか元気であるというのが一番重要なことなんではないのかなと。
あとはこういうふうにあんまり話さなかったな。
コンピューターの登場によってどんどんどんどん俺たちって一つのことに集中できる時間がどんどんどんどん短くなっているっていうのは全然話してないんですけどここまでの間にも10回くらい本の中では書かれていたんですよね。
マックルーハンという社会学者によるとテクノロジーは感情と思考の新しい構造を生み出すものだっていう言い方をしていて。
俺たちって印刷技術がなくなるまでページで考えるという概念がなかったっぽい。
印刷というものによって人はページの枠組みに合うように考える、視覚考え事をするようになってきて。
インターネットというものが登場したことによってこの集中の向き方とか対象とか頻度というものは大きく変わってしまっていて。
ニュアンスとしては避けようがないという話だと思うんですけども、俺たちがインターネットとかスマートフォンというものを手に入れてしまったことによって
一つのことに集中し続けられないというこの感情とか思考の構造というものはもうおそらく社会的に変えようがないというのかな。
なので結局社会が悪いとか言っていても何ともならないので、そこに合わせてやっていくしかないと。
そのためにどういうふうに考えようかなっていうところで、いくつか答えというか最終的な解決策で言うと、
著者が言っていたのは主体性というキーワードが一つの答えというのかな。
簡単な言い方をすると、自分でやったって思えることが、自分でそうしたということがうまく集中し続けられる重要な理由というのかな。
環境に動かされたんではなくてという感じ?
そうですね。自由意志を持って行動したと感じられることというのがうまく集中が続けられるというのかな。
そういうことに直接的にデジタル時代において集中力を上手にコントロールするために重要なことというのか、主体性を持った行為ができること。
主体性と集中力
しかし現代思想で言うと自由意志などないという人たちがいて、それは集中力がどんどん細切れになっているこの文化と関係があるのかな。
本の中でここはちょっと哲学っぽい要素はあった感じではあるんですけど、この人が言うにはやっぱり主体性があると感じられればそれでいいみたいな。
本当の自由意志なんて哲学の世界でも答えが出ていないので、現場の話で言うと自由意志があると思える行動ができることが解決の鍵になるというのかな。
つまり僕の用語で言うとコントロール感という感があればそれでいいということか。
ということですね。主体性がある行為というのは4つの特徴があるという。これはアルバート・バンデューラさん、確か哲学者でしたよね。社会学者だったかな。
アルバート・バンデューラさんという人が、主体性があるという行動には4つの特徴があると言っていて。
一つは意図性があること。自分の意図を持ってできているということ。もう一つが事前の考慮ができていること。
衝動的にやったわけではなくて、どうしようかなって上で決めるということができたというのかな。
もう一つが自制があるということ。自らやめることができるというのか。そういうイメージかな。
最後が内政と修正行動という言い方をしていて、反省して帰り見て、今度からはこうしようと思えるようになること。
この4つを意識してあげることというのが重要なことなのではないのか。主体性を持った行為というものにつながるのではないのか。
という言い方と、もう一つがバランスをとろうと。これは直接的な主体性に対する答えというよりは、集中のもう一つの答えなんですけども。
さっき言ったように、集中っていろんな認知リソースがやることによって、いわゆる使える集中力が違うというのかな。
そういう意味で、いろんな集中をバランスよく使い分けてあげること。脳神経科学的な話で言うと、交換神経に大きく作用する部分と
副交換神経に大きく作用する部分のバランスをとってあげよう。これがパフォーマンスを上げるためのコツだという言い方をしていて。
ストレス化にあるということは、当然交換神経圧倒的優位の状況なわけで、集中している場合というのも大抵の場合は交換神経優位な状態になっていると思うんですよね。
じゃなく、もっと柔らかい言葉を言えば、もうちょっとリラックスする時間をとろうという言い方にもなるんですけど。
でもそれは神経の側面から同じことを言っているわけね。
そうですね。なので、スマホをポチポチするのは、確かに副交換神経っぽいリラックス、ヒーリング、その緩やかな集中というものが、
なので、ちょっと本に書いてあったというわけではないんですけど、そっちの集中はそっちの集中で、多分使うエネルギーが違うから悪くないんですよね。
なるほど。
そのリラックスした集中という言い方になるのかな。なんか変な感じなんですけど。
その熱中の種類みたいなものもいろいろなものがあったりするので、そういうさっき言った、結局休憩というのも思いっきり副交換神経の活動ですよね。
どんなことにでも言えるんだけれども、逆にずっと休憩しているというのは当然副交換神経しか使わないことになってしまうので、良くないということも想像できるし、
1日中同じ仕事をしていたらおそらくあんまりよろしくないんですよね。作家が1日8時間も10時間も執筆だけやっていられるかって言ったら当然そうではないとかでもあるし、
ある意味結論としては平凡というかありきたりな言い方にはなるんですけど、同じことばっかりやるんじゃなくて、いろんなことをバランスよく1日の中でもやっていこう。
だから行動活動のポートフォリオというのをちゃんと見直そうという話ですね。
幸福感とデジタル社会
結局そのために大事なことは何やったか記録することなんだなっていうところに戻ってくるんですよ。
偏りがあること自体が自覚されへんと直しようもないもんね。
そう1日の中でさらに言うとやっぱり仕事だけじゃなくて1日全部がいるんじゃないかと思うんですよね。
まあそりゃそうだよね。仕事しか記録していないと言ったら交換神経の記録しかないわけだからな。
例えばその家に帰ってずっとブログを書いていればそれはそれでまたハードなわけじゃないですか。
だから休憩の時間とかプライベートの時間に何してるかも鑑見した上で判断しましょうということか。
一つのことだけやるよりも結局MPは限られているんですよ。ただMPはジャンルに分かれている。
なので似たよう違うジャンルのMPを使ってやればこれは自分なりの解釈なんですけど1日のパフォーマンスはその方が最大化できるわけで。
まあパフォーマンスは間違いなくそうやね。あれ自分の話になるけど。
例えば執筆作業ですごくくたくたになったとするじゃないですか。
そうすると夕食の買い物に行った時にこんだてが考えられないんですよ。
何を作ったらいいのかわからない。でも家に食材があって料理をすることはできない。
だからこれはMPが違うというのは感じますね。
そうですよね。しかも料理ってある意味集中してますよね。
そうそうしてるしてる。手順を頭に浮かべて段取りはしてないけどさっき言ったような選択とは違う集中の仕方をしてるなという感じですね。
そしてそのやっぱ執筆で疲れていてもそこはさほど負荷を感じずやれることでもあって。
おそらく料理しかしていないと多分やっぱまたねダルクなるのは想像できるんですよね。
結局だから1日ずっとパソコンの前に座っているというのがよろしくないという言い方もできるし。
仕事だけじゃなくてやっぱり多様な趣味を持っていろんなことに手を出してみるっていうことが集中力の観点からでもいいことが多そうだなと。
急速になれば認知リソースは回復するので、多分なんだけどそういう料理をしている間に執筆リソースは回復しているんですよね。
むしろ何もできなくてただ向かっているよりも当然その方が総合的に見て料理も出来上がるしエネルギーも回復するしいいことばっかりで。
例えばその執筆リソースが減っているのに執筆し続けるというのは時間の無駄以上にメンタルに来るんだよね。
できない自分というのに直面させられるので。
気分を切り替えて何か成果物が、料理で成果物が生まれると単純にメンタルヘルス的にもいいんで、総合的にいいことが多そうですね。
そうですね。この本ではなく、スマホ時代の哲学で話されていたことで言うと、何かを作るというのが現代のストレス社会における大きな解決策というか、そういうきっかけだみたいなことは言われていたので。
ちょうどコロナ禍の時に流行った趣味というのは、全般的にその傾向があると思っていて、何かを作り出したい、人との触れ合いと同時に人間には何かを作ったりする欲求みたいなものがあったりして、そこが暇と退屈の倫理学の答えの一側面なんじゃないのかなということも思っていて。
それはやっぱり、いわゆるアレントっていう人が仕事の内容を4つに分類して、活動とかっていうのを分類した時に、作るというのはあんまり高く言われなかった。
下に置いてましたよね。
でもあれは僕は逆転させるべきじゃないかなというのを最近考えてますね。
誰かも言ってましたよね。なんか最近読んだ本、何人か書いていたような気がした。そのことは。その活動が重要だみたいな言い方ばっかりなんだけれども、個人的にもやっぱり何かを作るに近い行為というのは、最も充実できる。
本を作るにしても絵を描くにしても音楽を作るにしても行為だとも思うので、そういう意味でも、大きな話で集中だけには収まっていなかったような印象もあって、最後の方とか切り口として集中なのかなっていうようなところでもあったんですけど。
その点が難しいかな。一個一個の言っていることは、そこまでめちゃくちゃ難しいとは思わなかったんだけれども、総合して話そうとすると、なかなか難しかった部分は多い本だったかなと。
ある時間集中力が上がったら良いですよという話だけではなくて、例えば価値あるという行為は、価値と自分が何を価値を感じているかということと結構密接に関係してくるし、割と幅広い話になりがちですね、これは。
そうですね。あと、触れなかったんですけど、ビッグファイブっていう性格分類みたいなやつの、そこの話とかもちらっと書いてあったりして、こういうパーソナリティの人は調べてみたら集中に関してこういう特徴があったみたいな話だとか。
あと恐ろしい話だったりするんですけども、Facebookで他人と交流した場合と直接会って他人と交流した場合っていうのを、15秒おきにその人の写真を撮らせてもらって、プラス経験サンプリング法っていうこの方法まではきちんと調べてはいないんですけども、
その方法で幸福感っていうものを調べてみたらしいんですよね。瞬間の幸福だけでいうと、会った時の方が大きかったんだけれども、1日が終わった時の満足感というのは対面での交流よりもFacebookの満足感の方が高かった。
なるほど。
著者の予測なんですけど、結局Facebookで誰かにいいねするとかコメントするとかって、自由じゃないですか。いつやってもいい、いつ辞めてもいい。さらに単純じゃないですか。こういうことって意外と人間は幸福に感じやすくなってしまって。
実は単純な活動っていうのが、この著者が測れる幸福感なんですけれども、複雑で高度なことよりも単純な活動の方が幸福感を味わいやすいらしいんですよね。
それはイメージとしてはわかるわ。
ただ、俺が思うにこの幸福感というものが、人生トータルで見た自分が考えている幸福とイコールでつながるものではないようにも思っていて。
以前どこかで幸福という概念に疑問を持っているということを話しましたけど、それに近いね。だからそういうのも幸福と言えてしまうのであれば、その幸福の追求は果たして真の幸福なのかというのは思うね。
その笑顔の時間が多かったことを幸福にしましょう。この計測の仕方は多分ニュアンスとしてはそれに近いですよね。この実験の計測は。
で、安易にじゃあやった、俺リアルで会うよりフェイスブックだけにしようって。そんな答えがおそらく正しくはないのは直感的にはそう思うじゃないですか。
ということはこの罠としてやっぱり簡単なこと単純だからスマホに熱中してしまうとも言えるし、これが幸福だと感じやすくなってしまう。
表面上の幸福としておそらく幸福であることは事実で、ただそこだけにとらわれてしまうと結局本質的なというか、そんな簡単には測れない幸福みたいなものがわからなくなってしまいかねない。
だからたぶんずしっと心に残る幸福っていうのはそのトータルで読んだら幸福と呼ぶけどその内実には多分いろんなものがあるんだよねきっと。
その中には煩わしさもあるし憎たらしさもあるしみたいなのをトータルで見たときにそれは言えない感情っていうのがあって、それはだからさっきの測定法では多分簡単には測れないところがあるでしょうね。
そう、というのが簡単に答えが出せなかった本という意味でやっぱ良かったのかなと。
大体そんな感じです。
集中力の話ではあったんだけれども、総合的にやっぱり現代的な問題にどう向き合うのかっていうニュアンスがわりと強かったかな。
ということで、ブックカタリストは番組を支援していただけるサポーターも募集しています。
詳しくはポッドキャストの概要欄をご覧いただければと思います。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
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