その人が作った譜面。
そうそう、ブースで販売してるんですよね。
ちょっと待って、全然書けないけど、フィンガードラムの譜ってどんなふうに書かれてるの?
ドラム譜です。ドラムの楽譜をそのまま使っていて、厳密に言えばアナログのドラムとは配置が違うじゃないですか。
違いますね。
なので、フィンガードラムを上手くなるためにこういうのがいいと思うっていう楽譜を売っている。
なるほど。
まあでもその人も言ってるんですけど、ドラムの練習ができれば、ドラムの練習本をそのまま使えば普通にいいと思うので、
無数にその練習本はあるからいいよっていうふうに言ってるんですけど。
まあでもそれYouTube見た人は、どれかの選択でイスタートで選ばなあかんやったら、その人が書いた本を選ぶでしょうね、高確率で。
そうそうそう、っていうこともあるし、YouTubeをなんて言うんだろう、YouTubeで稼ごうとしていない稼ぎ方が。
広告利用したいとかではなくて、YouTubeを自分を知ってもらうための場として、そこからの派生を狙っておられる。
そうそうそう、だからすごい健全だなって思ったんですよね。
なるほどね、健全ですね、なるほど。
さらに言えば、本を買って、今まだ1回だけなんですけど、本を買った人向けに本を見ながら一緒に練習するっていうか講義をする、その本について。
っていうこともYouTubeライブでやっていて、俺は今度そういうことをやりますよっていうのが決め手で本を買って、そのドラムキットを買ったんですよね。
なるほど。
それもまた本を売るためにYouTubeを活用しているっていうのもすごい健全だなという感じがしていて。
逆に聞きたいですけど、これって健全じゃないなって思うようなYouTubeの使い方ってどうなんですか?
無数にあると思うんですけど、コンビニでクレームつけて捕まった人とかいるじゃないですか。
いますね。
コンビニのやつをお金を払わずに食べて、それをどうなるかドキュメンタリーみたいなやつ。倫理的にあれはもう結構アウトだと思うんですけど。
そうですね。
でもそれは広告に頼った形でYouTubeをやっていこうとすると、やっぱりそういうことになってしまう。
ここでいう危険性っていうのは倫理的なものも当然あるとして、YouTubeが突然広告量をやめましたってなった時に破綻してしまう危険性をはらんでいるというようなことですかね。
そうそう。だからアテンションでしか食えていない人というものはやっぱりその先がないと思うんですよね。
なるほど。今の名言でしたね。
名言だった。
アテンションでしか食えていない人というのはその先がないという名言だったと思います。
スポンサーつかないじゃないですか。そういう人には当たり前だと思うんだけど。
確かに確かに。
普段ならスラッと読み逃すところも、やっぱり注意深く読むようになるんで。
逆にあっさりした本ほどちゃんと読むようになるっていうのはあるんで。
有効でしょうね、きっと。
そうですね。読み方が変わったな。
たぶんこれは1年前だったら、あ、面白かったね。サクッと終わったなで終わっていたっていう。
なるほど、なるほど。
そうならない読み方。必ずしもそれが正しいとは思わないけど、今自分はそれが良いと思うので、そういう読み方ができるようになって良かったなっていうのはありますね。
なるほど。
あと2つ3つぐらい印象に残っていたものというのが、
れきもつさん、VRのこととかも結構いろいろやっているらしいんですけど、
さっきの基地の組み合わせ、基地のものの組み合わせっていうので、卓球かテニスの人と会話をしていて、
音楽はゆっくりにして練習することはできるんだけど、スポーツってそれができないんですよねって言われたって言って、
その言葉からすごい刺激を受けて、VRをうまく使えば、スポーツの練習というものも、スローで打つ、球を打つということも練習ができるようになるかもしれない。
もしこれができたら、確かに世の中のレベル、スポーツのレベルというような加速度的に進行を進むだろうなということも思ったし、
それだけの雑談からそこまでささっと思いついてしまうというのもやっぱりすごいなと思ったし。
思いついてしまうという表現をしましたけど、思いついてしまうんでしょうね。だから考えようとしている考えるんじゃなくて、思いついちゃうんですよね。
多分そうだと思いますね。
ある種の症状みたいなものなんですよね、これはもう。
実際にVRの話はちょうど2030年でもやってて、これからのすごく大きな影響を与える技術だよなっていうのは思ってたけど、
スポーツの練習でゆっくりっていうのは考えたことなかったなと思って。
昔のスポーツの練習ってプロコーチが横についてっていうのが一般的で、ある時代から自分のフォームをビデオカメラで撮影して、それを見て自分でフィードバックっていうのが生まれたんですよ。
それでもかなり劇的になって、プロが横にいなくても練習できるんで、相当練習の密度が上がるんですよね。
今話を聞いていると思うのは、VRのグラスをつけるじゃないですか、後ろにドローン飛ばすじゃないですか。
自分の姿を自分で見ながらフォームを改良できますよね、きっと。
できるはず。ゆっくり動くって多分スポーツで結構重要なことで、ゆっくり正しい動きができれば、あとはそれを速くすればいいんですよね。
うん、確かに。
重力が関わるようなことは無理かもしれないけど、そういう意味でもすごいなと思って。
VRの話でいうと、アメリカンフットボールのクォーターバッグがVRを取り入れていて、結構成果が出ているみたいな話とか見るんですよね。
敵がたくさんいて邪魔される中で、空いている人を見つけてその人にパスをする。
これを1個人が練習しようとするとですね、そのために2,30人の人間連れてこないといけないんですよ。
確かに。
VRがあれば、それがVR機器1台でできるようになるっていう意味で、ただそれはコストの劇的な現象でしかなくって、無限の資産があればそれはできたんですよね。
まあね。
ただこの卓球の話は絶対できないことじゃないですか。どんなお金持ちでもテクノロジーがないと。
そうですね。思考を意識的に加速できる何かがないと無理やから、まあ無理ですね。
あと球が落ちるスピードをゆっくりにするのは月に行かないとダメじゃないですか。
そうですね。
だからでも、仮に月に行ってスピードをゆっくりにして、その月でスイング慣れても、多分しゃあない。
地球に戻ってきたらまた違う筋肉の使い方をしてなあかんから、やっぱりそれは同じとこでやらんとは意味がないですよね。
地球の重力で時間軸だけをゆっくりにできるというのはすごい方法だなあと思って、こういうものがさらっと書かれているっていうのが結構すごいなあと思って。
いやでも確かにゆっくりっていうのは、スポーツが一番顕著なんですけど、まあ本もゆっくり読んだ方がいいじゃないですか。こういう意味で言うと。
そうですね。本と繋がるとは思わなかった。
例えば僕、パズドラっていうゲームをやってるんですけど、パズドラって時間以内にドロップを指で動かしてっていうのがあって、
普通にやるとあれ6秒なんですよね。6秒で5×6のドロップをうまいこと動かすんですよね。
6秒ってそんなに長くはないんです。何回かやったらある程度はうまくなるんですけど、ある程度以上には絶対にうまくならないんですよ。
なぜなら、一個一個の動作を考えてできないからなんですよね。
以前動画で見たやつ、こういうやり方がいいですよっていうのがあって、パーティーを変えることで、6秒の指の時間が30秒とかでやるんですよね。
そうすると、このドロップをこう動かしたらこうなるからこう動かした方がいいっていちいち考えながらできるんですね。
劇的にうまくなるんですよ。ゆっくりできることっていうのはね、相当に重要やなっていうのをその時感じましたね。
それがスポーツでできたらね、やっぱすごく面白そう。
行為の最終に考えられるってことやもんな。基本的にスポーツって行為した後でしか考えられなかったのが、やりながら考えられる、実践しながら考えられるってことで、だいぶフィードバックの質が上がるでしょうね。
そうそう、だからよくあるじゃないですか。それもLearn Betterで出てきたやつで、スキルを上げるときには短期記憶足りないんで、1個のことしか普通は同時に意識できないんですよ。
あと、だから無くならないし忘れないんですよね。手に埋め込んでしまえば当たり前なんだけど。
まあね、確かに手を忘れて出発する家から出ることはできないからね、確かに。
これも知らなかったけど、もう現実だったんだってことを今まで知らなかったんですよね、これは。
結構憧れていて、言ってみれば、例えばこの本でも、この本じゃなかったかな。
人間がメガネかけてるのって、もうボディハッキングじゃないですか、言ってみたら。
ただそれは外部性が強いものなので、意外と違和感なくやってるんだけど、
例えば、白内障になった人が、医療行為としてレンズを入れることとかは当たり前だったりするんですよね。
医療じゃないことに対して、日本なのか世界全般なのかわからないけど、
医療行為以外の身体改造というものに、すごく否定的な空気というものはあるような気がするんだけど、
俺の意見なんだけど、そうじゃなくていいんじゃないかなって思うんですよね。
例えばなんだけど、欧米でタトゥーなんて、あかんものでもなんでもないし、
日本だとそれやるとお風呂屋さん行けなくなるんで、やらないほうがいいんですけど。
そういう流れで、しかもスウェーデンという国は、チッポ体に埋め込むのを国として認めてしまったみたいなことをやっていたりもするわけで、
リアル広角機動体もあったんだっていうのは衝撃だったですね。
そうですね、入り口に一歩橋を埋めてますよね、それはもう。
そういう感じで、そういう言い方ではないんだけど、この本の6章っていうのが人間拡張という妄想、
テクノロジーというものは常に常識を変えてきていて、人工内耳みたいな耳の能力をアップするために、
例えば、いわゆる補聴器みたいなものとかを入れてあげて、耳が聞こえない人が耳を聞こえるようにするという言い方もできるんだけど、
例えば、日本人が英語のLとRを聞き分けられるようにサポートするツールというものだって作れるはずだよねとか、
絶対音感を身につけるためのツールというものだって作れるはずだよね。
そのうちもう脳内に英語アプリをダウンロードするみたいなことはできるようになるだろうし、
今はスマートフォンという外部ツールに頼っているんだけど、これは人間の体に別にもうだんだん人間と違和感なくシームレスにつながるようになってきているだろうねっていう。
スマホも人によってアプリが違って個性が出るものなんだから、
人体の拡張というものも色々と個性というものがきっと出てくるだろうし、そういうこともできるようになるだろうねっていう、
すごいあんま強いことは書いてなかったんですけど、多分この人はだいぶやりたいとかこういうこと面白そうだなって思っているんだっていうのは思いましたね。
ヒューマンオーグメンティションっていうスペルと、あとスクラップボックスっていうキーワードを入れてグーグルとそのスクラップボックスが出てきます。
池本先生が作られてると思います、ここは。
おだしょー 人類の拡張。
人間拡張、検索するスペルを言うとめんどくさいんで言わないですけど。
オーギュメントですね。
いろいろな事例と日本の関わっている人のページがたくさん出てくる面白いページです。
ちなみに池本先生はスクラップボックスの大ファンらしいですね。
やっぱ仲良しなんですね。
あれは確かに派手じゃないけど世界に通用するツールですからね、スクラップボックスは。
でもアメリカ人とかノートツール好きのユーザーからあんまり言及されないんですよね。
日本ツールやからか、せいか知らんけど。
僕は結構他のツールよりひとつ飛び抜けてすごいと思うんですけど、あんまり評価されてないんですよね。
ただ知られてないんじゃないかなって思うんですけど。
そういう界隈のものを見ていると、そういう界隈もなんだかんだあの界隈の中でたこつぼかしているというか。
そうでしょうね、きっとね。それはあると思う。
もうジャンルが出来上がってしまっているので、これもまた新しいものをなかなか取り入れがたくなっている。
PKMをするならこれみたいなものは結構固まってしまっていて。
なるほどね。そこもネットワークが偏っちゃってるわけだ、情報接種の。
そうそう。だからこれも外に出ないといけないんですよね、そういう同じことをやるにしても。
確かにそれはそうだね。きっと飛び抜けることは難しいよな、そういう界隈の中で同じことばっかり言ってたら。
多分日本でまだそういう界隈というものは大きくはないんだけど、もう世界レベルで見るときっとたこつぼかしているので、
スクラップボックスというもの、あと見た目もあると思うんですけど、そうだと思わなくて手を出されない。
なるほどね。
いわゆるノートツールとあれは全然違うじゃないですか、見た目が。
確かに、Evernote的ではないよね。
だから情報整理ができるという印象を受けない。
なるほど。
みたいなのはあるのかもしれないですね。
一人でも取り上げないから、知る人も増えずそのまま。
逆に誰かが一人で取り上げて、ちょっとでも知名度が出たら、あとはまたいこうかで広がっていくっていうことはあるかもしれない。
だからYouTubeを英語で発信したら、僕が発信したらいいわけですが。
著名人が取り上げれば一気に有名になる。
確かに。
でも多分スクラップボックスはあんまりそういうことに、そっちの方のマーケティングとかにお金とか資源を使わないですよね。
確かに。それも間違ってないと思うしね。
俺は個人的にWebよりもローカルの方が良かったっていうので、あんまり使わなくなってしまったんですが。
それは分かりますよ。一応チームで使うっていうことを考えたときには、ずば抜けでスクラップボックスということだけは言っておきますね。
結構最強ですよね。それは本当に思う。
一個だけ僕、この本で紹介したい文がありまして。
失敗が重要なのは、それが自分が取り組んでいる課題の構造を明らかにするプロセスだからっていう一文があるんですけど。
めちゃくちゃ深いんですよね、この文章。
これタッと書いてあるんですけど、自分が取り組んでいる課題の構造を明らかにするっていうことは、
僕は聞いてスッと分かったんですけど、こういう表現ができるんだなと思って。
確かに失敗することっていうのは重要で、その失敗から反省して強くなろうみたいな単純な話で語られるんですけど、
その失敗の構造が明らかにならない限りは何も変えられないんですよね。
だから、やってみることっていうことの縦またがここで言うと、手を動かす、手を動かして何かを作るってことは、
手を動かして何かを作るってのは失敗するってことなんですよね。
妄想は失敗しないんですよ。妄想の中は完璧で調和されてるんで。
それを作って失敗すると、そこにある構造が、その妄想ではモヤモヤしてた構造がキュッと明らかになって、
何を作るべきか、あるいはどこを変えたらいいのかが、より一段はっきりするんですよね。
これを繰り返すんですね。そこからまた妄想を立ち上げてっていうことを繰り返して物事って前に進んでいくんですけど。
だから、その想像発想力を鍛える本という側面もありながら、
実践することの大切さも両方告げている本で、この辺がやっぱり地的生産系の本の中でも優れた一冊だなと個人的に思いましたね。
そうですね。タイトルもあるけど、どうしても特に日本人側なのかもしれないけど、
妄想とか想像力、発想力には言うけど、エンジニア的な手を動かせみたいなのは、特に発想関連のことでは言われないですよね。
やっぱりその辺が、当然発想を自由に広げるっていうのは当然重要ですけど、
結局それは何かを作るためのプロセスの一環でしかなくて、やっぱり作っていく中で分かってくることっていうのが多々あるんで、
デザイン思考っていうのは基本的にそういうアプローチを含んでますけども、ここまできちんとはっきり言ってくれてる本って少ないと思いますね、個人的な印象では。
うーん、やっぱりある程度動く形にしてしまうのが結構できないですからね、自分の話でもできるようにしようと頑張りは意識はするんだけど、
本当にそのマインドセットを変えていかないといけないっていう感じで。
最初に作るものっていうのはだいたい常に不恰好で不完全なものなんですよ。
そこのちょっと残念だなっていう気持ちを超えられるかどうかなんですよね。
つまり妄想っていうのはすごく素晴らしいものじゃないですか。
で、一番最初に作るものはものすごくダサいものなんですよ。
ここのギャップに耐えられるかどうかなんですね。ここのギャップに耐えられないと前に進めないんですよ。
そうですね、それを受け入れられるある意味心の強さ広さみたいなものもいるってことなんだな。
いるんですよね、これはね。これはスタートだ、ここから始めていくんだっていう気持ちを持てるかどうかなんですよね。
そうでないと文章でもやっぱりその理想の文章が頭に強すぎて、自分で今最初に書いてる文章があまりに凌ぼすぎてもうやる気にならないっていうことが結構あって、
でもそれはやっぱりリテイクのための叩き台だと思えば見方が変わってくるんですよね。
テキストに関してもね、確かにあれですよね。本を1回作ってしまう人と結局いいものができないって作れない人とっていう。
やっぱね、もう完璧にしたら一生書けたって終わんないですからね。
完璧っていうのはある種のイデア性っていう理想の中にしかないものであって、たどりはつけないですね。
だからいいものを求めつつもリアルさにおいて不完全さを強要するっていうこの逆方向のマインドセットが同居してるっていうことが多分大切なんですよ。
そう、発明家の場合は試作で失敗すればいいけど、文筆家の場合はどこまでで公開してしまうかっていうのはね、たぶんこっちの人たちとは違う難しい悩みのあるところで。
だからこそ編集者っていうのがいるんですよね、あれは。
そうですね、これでいきましょうっていうとか、もうこれでおしまいですって言ってくれるっていうのは大事かもしれないですね。
ここを直しましょうって言ってくれるってことは要するにテストが行われて、プログラミングで言うとテストが行われてるってことなんで。
だから道々に観戦して読んでもらうよりは楽な段階で確認を取るっていう、いわゆるほうれん草って言うんですけども、行うっていう。
だから編集者をテストプログラムとして扱うっていうようなやり方をすると、いわゆるアジャイル式のマインドセットをライティングにも応用できるのではないかと個人的には思っとるとこですけども。
そうするとね、やっぱりセルフパブリッシングの悩みは一人でできなくなるんですよね。
だからやっぱセルフパブリッシングしてる人たちが何人か集まって、お互いにセミ編集者みたいな感じで言ってもらう。
個人的には内容まで踏み込まなくていいと思うんですけど、本のタイトルつけるときは、やっぱり人の意見聞いたほうがいいと思うんですよ。
本のタイトルっていうのは、さっきの話で言うと点指導が必要なんですよ。看板なので。
でも本を書いてる自分っていうのは、カリカリにチューニングしたい方なんで、悪魔が顔を出しやすいんですよね。
そうすると、それを知らない人からしたら、それのタイトルなんやねんっていうものになりがちなので。
いかに点指を持ってくるかっていう、その外部性を持ってくるかっていう。
これも多分アイディアと同じで、別の基地を持ってくる。