1. ブックカタリスト
  2. BC076 『音律と音階の科学 新..

面白かった本について語るPoadcast、ブックカタリスト。今回は『音律と音階の科学 新装版 ドレミ…はどのように生まれたか (ブルーバックス)』について語りました。

今回は、ごりゅごが5月にギターを始めてから、約半年で学んだ「音楽の面白さ」の集大成みたいな話をしました。

「音楽の上達」を目指してギターを独学する体験を通じて、ブックカタリストのように「本を読んで何かを語る」というものとはまた違う、新しい「学び方」を知ることができています。

一般的に読書という行為には、肉体的な技能の重要性はほとんどありません。

このジャンルの「学び方」は、これまでにけっこういろいろな本を読んで学んできましたが、ギターを弾くみたいな、肉体的な技能を身に付ける方法はきちんと考えたことがありませんでした。

ただ、ギターの練習を通じてわかったのは、こうした技能の上達においても、今まで学んできたような「学び方」は十分に応用できる、ということだったのです。

そもそも、たとえばギターを練習するという場合に、なにを「練習」すればいいのか。楽譜を手に入れて、音楽を聴いて、でてくるフレーズがスムーズに演奏できるようにすることは「練習」なんだろうか?

結局どんな練習も「きちんと考える」ことが超重要で、それこそが今自分が考える「大人の趣味理論」のコアになる部分なんだろうということもわかりました。

かつての自分は「うまく体を動かす」ことばかり注目していたんですが、そもそも「理想の動かし方」をわかる重要性を理解していなかった。

特に音楽(アドリブ演奏)の場合は、音楽を聴いてリアルタイムに「こういう音を出したいと考えることができること」それと同時に「この音を出したい時にどうやって体を動かせばいいのか」がわかること。

これができるようになって、自分のやりたい「演奏」ができるようになるんじゃないか。そういうことが、すこしわかってきたような感じがしています。

そして、この話は今回本編で話した内容とはほとんどなにも関係がありません。

今回の話は、是非五度圏の図を見ながら聞いていただけるともう一段階楽しめると思います。

五度圏 - Google 検索(画像検索)

今回出てきた本はこちらで紹介しています。

📖ブックカタリストで紹介した本 - ナレッジスタック - Obsidian Publish



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サマリー

第76回のブックカタリストでは、面白かった本について話しています。今日は、音階と音律の科学についてお話しします。ドレミはどのようにして生まれたのでしょうか。ピタゴラスは、街で鍛冶屋が金属を鳴らしているのを聞いたことがきっかけで、音階を見つけました。彼は金属を鳴らすときに現れる特定の倍数の音に興味を持ち、その特徴を研究しました。西洋の音楽では、ピタゴラス音律が基本とされてきましたが、純正律や改造版純正律など、さまざまな音律の概念や使用もありました。また、ヘルムホルツは32個、田中翔平は20個の鍵盤を考案するなど、音律に関する研究や発展も行われていました。このポッドキャストでは、ピアノを中心に音楽の合理化と平均率の影響についてお話ししています。

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面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト第76回の本日は、 音階と音律の科学、ドレミはどのようにして生まれたかについて語ります。
はい、よろしくお願いします。
オフ会とブックカタリスト
連絡というか、報告なんですが、 前回、ブックカタリスト初のリアルのオフ会というものが開催されまして、
みなさん、本屋に集まったら、 俺が想像しているより、みんなやっぱりいっぱい本を買う人なんだなって、 平均3冊ぐらいなんかみんな本買ってましたよね。
僕はあの日に備えて控えてたので、
そのためにちゃんと在庫というか、余力を用意していた。
オフのスイッチあそこでオンにしたという感じでしたね。
みなさん、そこそこ本を買って集まりましたけど、 意外と本以外の話をしてましたよね。
飲み会のリアルな集まりというのは、 意味のない、単位のない話に、俺は価値があるんだなって最近思うようになって、
コミュニケーションの方が対話よりも重視されがちで、
少なくとも複数、二桁人数とかいたら、 そっちを重視した方が人間関係がうまくいくんだろうなっていう。
なのでちょいちょいところどころ、そういう話ができればいいんじゃないのかな。
あとディープな話は読書会とかに参加してくださいっていう感じじゃないですかね。逆に。
確かにその通りだ。
なんかそっちの方がバランスが取れて、 人間関係的にもいい感じの距離感でいけるんじゃないかなということを思いました。
なるほど。
というので、そのうちいろんなところでまたやりたいですね。
そうですね。あともう一点追加で告知しておくと、 ニュースレター書いたんですけど、
ブックカタリストのKDP本が出版されておりますので、
アンリミテッド対応してますんで、アンリミテッドで読んでいただくもよし、
勢いよく買っていただくもよしということで、 ご確認いただければと思います。
応援していただける方はアンリミで読んで買っていただけると最大化されます。
最大化されますね、確かに。
最大化されるというのはお察しくださいということで。
という感じですかね。
音楽の本とリベラルアーツ
メインのお話なんですが、
確かね、もともと今年の5月ぐらいからギターをもう一度弾いてみようと思って始めたっていう話をして、
いわゆる音楽の本というのは、 マジで何十冊ぐらいは目を通したりしているんですが。
それは音楽の本って楽器演奏に関する本だけじゃなくてということ?
全部含めて何十冊。楽器演奏の話とか音楽一般の話とか。
初めてやっとついに出会った、ブックカタリストで紹介できそうな音楽の本。
なるほど。
例えばギターでこうしたら上手に弾けるとかは、
それをブックカタリストに紹介しても面白くないよなっていうのは一応わきまえているつもりなので。
なるほど。
いわゆる学問ジャンルとしては理系になるんですけども。
理系になるんだけど理系ではないというところがありまして。
これは前にブックカタリストで紹介したリベラルアーツ遊びを極めて賢者になる。
何回か忘れたんですけれども、そこでリベラルアーツというものが出てきて、
リベラルアーツって古代ギリシャの自由人が学ぶとされた4つの科目というものが挙げられると。
そこに数論、音楽、気化学、天文学っていうのが現代的な言葉で言うと教養として考えられていたって言われてるんですよね。
でも直感で音楽ってなんかちゃうくね?って思うじゃないですか。
あんまり思わへんけど。
そう思わないかな。
むしろ音楽に詳しいって教養っぽくないかな。気のせい?
自分が音楽っていう言葉を聞くと、ピアノの練習を聞くのが教養ではあるのか。
でも数学と気化学と天文学と比べるとものすごく異質な印象を受けていたんですよね。
だから現代の僕たちからすると、アートというか芸術寄りであって、
この数論とか天文学に比べるとジャンルが違う印象は確かにあるかもしれないですね。
もちろん教養という用語で言えば確かに含まれるかもしれないんですけど、
それも重要ではないというか、余儀でしかないというか。
っていう印象に少なくとも自分は思っていたんですけども、
今回の話、この本に書いてあったことを理解すると、
なんでそう考えられていたかっていうのがちょっと納得できるようになった気がするっていうのかな。
もうちょっとネタバレというか先の話まで含めて言うと、
大雑把に言うとドレミファソラシドってピタゴラスが作ったと言われているというか、言っていいというかそういう感じのものなんですよね。
なんで作ったというかどうやって作ったっていうことを考えると、
ピタゴラスがやっていたことっていうのがやっぱり世界の秘密を解き明かす鍵は音楽にあったんじゃないのか。
とおそらくピタゴラスは考えたであろうということがなんか想像できるというのかな。
その頃にピタゴラスってそもそも哲学者としての認識で言うと、
全ての秘密は数に宿るみたいなのが多分一言のキャッチフレーズだと思うんですけど。
我々が誰もが知っているレベルで言うとピタゴラスの法則というやつ。
それ以外にも有名なというか、おそらく後世に大きく影響を与えているのがドレミファソラシドを作ったというか発見したというか、
作ったという言い方でいいのかな。
っていうのがあって、それがどんな話だったのかっていうところから、
現代までのところをざっとあまりにも正確にやりすぎると、
俺もわからんことになるかもしれないので、適度に優しい感じでなぞれればなと思っています。
ちなみに初心情報を軽く教えていただければ。
Bluebacksの本です。
後段者になるのかな、出版社で言うと。
真相版が出たのが2018で、古い方は確か2011ぐらいだった。
2008年とかかおよそ10年前にBluebacksで出て、実際で結構人気で売れていた本みたいです。
著者は何の人だったかな、物理学の人。
専門はビーム物理と言われています。
音楽家が書いた本ではなくて、タイトル通り科学系の本ということですね。
おそらくしっかり書かれてはいないんですけど、音楽好きの物理学者。
全文とかに書かれてたんですけど、元々原稿ではフーリエ級数とかラプラス変換みたいなことも書いてたんだけど、
残念ながら編集の手によって全部消されたって言っていて。
そうでしょうな。
ただ、今回直接触れる分野ではないんですけど、確実にフーリエ級数が分かってたらもっと面白いと思います。
なるほどね。
俺も分かったって言えるレベルではないので、そこはあんまりなんですが。
今回の話で言うと直接的にはそこまで重要ではないかな。
大雑把な流れなんですけど、そもそも音楽ってこういう特徴というかこんなものがありますよね。
音楽がありますよっていう話から、ピタゴラスさんがドレミを見つけてどういうふうに見つけたのか何なのかっていう話。
そこから現在はピタゴラスが作ったドレミではないんですよね。用語にすると。
今のドレミファソラシドは。
その辺がどういうふうに変わっていったのかみたいな流れでお話ができればと思っています。
音律と人間の耳
最初にまず著者が言ってて、へーって思ったのが、音楽のいわゆる一般的な芸術の中で特徴的なところとして、まずいきなり抽象的なものから始まっているというのがちょっと変わってるよねって。
抽象的。
絵ってできる限り現実的なものを描こうとしてるじゃないですか。何か存在しているものを表そうとしているじゃないですか。
大して音楽って生まれた瞬間から現実に存在していないものを何か表そうとしていたものだった。
っていう歴史的な話なんですけど、それと同時にもう一個、著者の表現で言うと音楽とはデジタルなものであって、そのドレミファソラシドって音程飛んでますよね。
ドからレまでスムーズに音程、音をつなげるみたいなことをしていなくって、音楽というのはデジタル的な特徴を持っているというのが、まず他の芸術の分野とはちょっと異なるもの。
一般的に大体どこの民族、どこの文化を調べてみても音律と言われる、さっき言ったデジタルのどの高さの音を使うかっていうのは、どこも大体ルールが決まっていて。
ルール自体は違うかもしれんけど、ルールを持っているということは共通しているってこと?
そうそう。日本だとよく言われているよな抜き音階みたいな言葉とかって言われていて、レとラを抜くんだったかな。抜いてドレミ、ドミソラシとかにすると正確にパッと出ないんですけど、その音を適当に並べて弾くと日本っぽくなるとか。
分かる分かる。
色々ルールはあるんですけど、やっぱりどの世界も比較的そういうデジタルな音の使い方をしている。理算的な音を組み合わせて音楽を作っている傾向がある。
でも面白い。歌っていう場合さ、音楽のもっと原始的な歌っていう場合さ、僕らはそこまでデジタルに音を多分出してないよね、きっと。
でも、あーっていうふうに常に、あーまあ泣かないのか。
なんかこう形式的に音楽っていうものになってきたら、そういう音階が生まれるかもしれないけど、僕らの原初の声っていうか歌はもっとアナログやった感じが、この話とはあまり関係ないですけど、ちょっと印象を覚えましたね。
そうですね。現象で言うと多分打楽器から多分、ここでは触れてなかったんですけど、きっと打楽器から始まっていて、そこに音程がある楽器が加わってきたというのか。
なるほどね。
で、今って音楽っていうとほとんど西洋の音楽というものが音楽とニアリーイコールぐらいな言われ方をしているんですけど、これも割と西洋音楽って、世界全体を見た音楽からしたら特徴的なものらしくって。
ハーモニーをすごく重視する音楽のジャンルで、管楽器とか弦楽器とかそういったものがやっぱり割合としてすごく多い。
で、例えば日本とかって一般的にそういう和音を鳴らすっていうことはやっぱりあんまりやらないし、アフリカのイメージで言うと、アフリカとかインドってやっぱり打楽器なイメージってありますよね。
あります。
で、なんでなんかって考えるとやっぱり、もともとほとんどの音楽って即興的な音楽だったんだけれども、西洋はそのハーモニーを重視して、そういう厳密なものにすることでオーケストラみたいな、ああいう厳格なルールがないとできないものをその音楽として、そういうものが発展していった?
それはでも、まあ多分本書で振られてないと思うけど、どの辺の時代からいわゆるその西洋音楽家って始まったんでしょうね。
大雑把には後から出てきます。
あ、そうなんや。はい、じゃあ期待しておきます。
そうですね。そこも、あの実はそれがですね、後から話すんですけど、そのピタゴラス音律では都合が悪くなったというのもそういうところにあったりして。
ああ、そういうことね。なるほど。
そこがやっぱね、その人文的な面白さな気がします。音楽の。
で、あとはもう1個知っておくと面白いのが、人間の耳の特徴、人間の五感の特徴というのかな。
これはジャンルで言うと、いわゆる心理学の方に入ってくると思うんですけど、ドレミファソラシドって周波数を調べてみると、等差数列ではないんですよね。
均等に差があるわけではない。
何かっていうと種明かしをするとそれは等比数列になっていて。
日が一緒ってこと?
そう、常に日が一緒で、ドからドっていうのはちょうど周波数が2倍になるとオクターブが違うというふうに人間は認識する。
もうちょっとさらに言うと面白いところがあって、あまりに高い音とかあまりに低い音になると、だんだんわからなくなってくるんですよ。
違いが。
2倍の音になっても2倍っぽく聞こえなくなったりとか、低い音だともう区別ができない。ただの振動になってしまって音として認識できないとか、高すぎる音はやがて聞こえなくなってしまうし。
さらに、これは小ネタなんですけど、音程があると感じられる楽器と机を叩いても音程ってある感じしないじゃないですか。
うそやねん、確かに。
笛を吹いたら音程がある感じするじゃないですか。
しますな。
あれは何が違うのかというと、すごく大雑把な言い方なんですけど、笛を吹いた時って、例えばドで440Hzのラの音が鳴っているとすると、その倍の音とか3倍の周波数とか4倍の周波数とか、整数倍の音が多く含まれていると音程として人間は認識しやすい。
倍音の大小、含まれている大小によって僕らの音程感というか、あれが音だというような感じが生まれてくる。
机を叩いた時っていうのは、そうじゃない、例えば1に対して1.15倍とか1.2倍とか1.4倍とか、そういう音が多く混じるので、音程だと認識できにくい。
さらに言うと、その倍音がどのぐらい含まれているかっていうのが人間が感じる音色の違いというものとして現れてくる。
例えば同じドの音にしたって、ピアノのドの音とギターのドの音とバイオリンのドの音って違うじゃないですか。
違いますね。
何が違うのっていうと、基本的には含まれている倍音の比率が違うっていうのかな。
じゃあ、例えばデジタルコンピューティングで音作る場合は、そこら辺をいじっているってことなのかな。
そうです。さらに言うと、シンセサイザーというのは要するに倍音をいじることによっていろんな音を作ってやろうという楽器。
なるほどね。
ピタゴラスの音階の探求
その仕組みを知ると、関係ない本でシンセサイザーの仕組みとかを読んだりしていると、
確か奇数倍音が多く含まれている音にすると、木管っぽく聞こえるとか。
面白いな。
そういう色々と調べると、いろんな特徴はあるみたいです。
人間はさらに言うと、オクターブが違うだけの音っていうのは、同じ音みたいに感じるっていう特徴も例えばあったりして、
440の音が鳴っていないのに、880と1320と4倍の5倍の音が鳴っていると、鳴っていない440が聞こえるみたいな現象もあったりするみたいで。
そういうのは、イヤホンとかを作る場合に、重低音あるっぽく作るようにとか、そういうところでそういうテクニックなんかが使われるっていう小ネタというか、いろんなそういう心理学的な効果なんかも音楽では結構今は使われているみたいです。
なるほど。
っていうのが、長い前置き。
はい。
長い前置きが終わりまして、ピタゴラスさんがどうやって音楽を見つけたのか。
これはその前のリベラルアーツの本にも出てきたんですけど、ピタゴラスさんが街を歩いてたら、鍛冶屋が金属をキンキンキンキン鳴らしていたと。
で、なんかやたらといい感じに響いている時と、そうじゃない時っていうのがある。
なんだこれはどういう理由なんだっていうところが伝説に残っているというか、一般的に言われているピタゴラスがその音階というものに興味を持ったきっかけ。
はいはいはいはい。
イメージとしてはピアノをイメージしてもらう、ピアノというかギターをイメージしてもらうといいんですけど、どういう音だときれいに響くんだろうって弦を張って、ギターの弦とまったく一緒ですね。
そのビーンって鳴らした音に対して、どこを押さえて鳴らしたらきれいに響くんだろうっていうのをいろいろと実験してみた。
はい。
で、さっき言ったちょうどオクターブの話でも出てきたんですけど、その弦を1本張ってちょうど真ん中で、真ん中押さえて片方を鳴らしてやると、その同じような音が鳴っていた。
これはなんだっていうので、なんかいろいろ試してみて、どうやらなんかわかったのが、きれいな倍数で割れたところで鳴らしてあげるといい感じの音になる、元の音に対して。
2分の1で割ってあげる音を鳴らしてあげると、ちょうど1オクターブ高いドの音が鳴った。
3分の1で鳴らしてあげたら、現代のドに対してその3分の2の方がそのソの音になった。
で、ピタゴラスさんはね、この3倍っていうのがなんかいい感じの音じゃないかっていうことを考え始めたらしくて。
なるほど。
まず、ドの音というか基準になる音を考えました。
この音に対して、その3分の1で押さえた音っていうのを鳴らしてみたら、なんかいい感じの音ができたぞ。
結果で言うと、ドに対してのソが見つかった。
この次、ソの音からソの音を3分の1ぐらいのところで区切ってあげたら、鳴らしてあげたら、オクターブが上がってしまうんで後からオクターブ下げないといけないんですけど、また割といい感じの音が見つかった。
こういうことを12回繰り返したら、だいたい元の音に戻ってきた。
はいはいはい。
この音っていうのを音の基準になるような音にしてやろうっていうふうに見つかったのが、ピタゴラスが見つけたドレミファソラシドと言われるもの。
はい。
ただ、これは算数をやると分かるんですけど、要するにさっきのピタゴラスの探し方って、3倍にして音が高すぎた場合はオクターブを下げるので2で割るっていうことを繰り返しているんですよね。
はいはいはい。
そうすると、ちょっと数学的な表現になるんですけど、2のm乗分の3のn乗っていう数字に必ず全部なっているはず。
はいはい。
で、さっきオクターブ上ってちょうど振動数2倍って言ったじゃないですか。
そうですね。
どこかで2倍にならないといけないんですけど、その計算だとうまくいかないんですよ。
なるほどね。
で、ピタゴラスさんが見つけたものというのはすごくかっこよかったんだけど、実は微妙にずれてしまっていて、もうね、しゃあねえかっていうか、まあいいかっていうか、そんなもんでいいかって。
12回見つけた時っていうのが、ちょうどね、2のさっきのn乗分のm乗みたいな話をすると、2.027ぐらいの数字になってしまう。
1パーぐらい、実はオクターブ上というものがずれてしまう。
ただ、この頃はもう13個上をこれをもうオクターブ上だって決めてしまって、これがピタゴラスの音だという感じで作った。
ピタゴラスの音階の計算方法
どっかで、さらに言うと、1個の音を無理矢理ずらして長尻を合わせてしまったんですよね。
まあでしょうね、きっと。
本当は2.02ぐらいにならんといかんのだけど、最後、まあいいかっていう感じでずらしてしまったので、すべての音が等間隔で並んでいないっていうような音程ができてしまった。
で、これが後から音楽を真面目にっていうか、西洋の文化が発展していくとともに問題となってきて、どうしようどうしようって、数学系の人たちが結構研究していたみたいで。
で、そっから西洋の歴史っていうのが発展していくんですけど、ただこの3倍で見つけたうんぬんかんぬんっていうのが、実は今でもめちゃめちゃ使われているすごいもので、
ちょっとね、検索でサークルオブフィフスとか五度圏とかで調べたら出てくると思うんですけど、その五度圏っていうのとかで、ちょっとなんか検索して図みたいなものを見てほしいんですけども。
音楽理論を勉強すると、あらゆる場面で出てくるんですよ。
はい、見えました。
一般的にCが一番上にあって、G、D、A、E、B、Fシャープ、Dフラットなんとかっていう感じ。
これね、ピタゴラスさんが要するに見つけていった順番なんですよ。
Cを見つけて、その3倍周波数のGを見つけて、Gの3倍の周波数というのがDで、Dの3倍の周波数というのがAで。
これを使ってあげると、実は楽譜を読むときに、このシャープの記号がどこにあるとか、シャープが何個ついてるやつが見た瞬間にこの曲のキーってこれだよねっていうことがわかる。
だとか、コード進行と言われるやつ。
これの鉄板のコード進行っていうのが左回りに回るやつっていうものとして超有名で。
ジャズ界で言われる2-5-1っていうやつとかって、Dm、D、G、Cっていう感じで進んでいくと、音楽的にいい感じに落ち着いた感じになるっていうのかな、最後に。
これが偶然ピタガラスさんが見つけたものという人間の感覚みたいなものと、数字、そうやって実験によって見つけられた数字の順番というものが見事に並んでいた。
これを見つけたら、やっぱここにきっとなんか秘密はあるんだろうなっていうのはやっぱすごく思う気がするんですよね。
この順番でこうやって見つけてあげたら、実はめっちゃいい感じになって、しかもそれが同じものが、現代でもこの5度円というものがものすごく使われていて。
ジャズ界で言われる変な用語で言うと、裏コードみたいな名前とか、平行調だとか、ドミナント、サブドミナントみたいなのっていうのも全部隣り合っている位置関係で説明ができてしまって。
この3倍3倍っていう計算をしてあげただけで、そうやって見つけたものが音楽的にものすごく筋が通っているというか、人間が気持ちいいと感じやすいものがほとんどここに含まれていた。
っていうことが後からだんだんわかってくるというのが、ピタガラスがどこまで理解していたかわかんないんですけど、っていうもので見つかっていったもの。
で、あともう一個小ネタとして面白いのが、CからG、D、A、E、F、Bって進んでいくんですけど、5度円って。
実は現代のドレミファソラシドと違っていて、C、G、D、A、E、B、Fシャープなんですよね。
Fって外れてるんですよ。
かつてのドレミファソラシドはリディアンモードと言われるものなんですけど、ファにシャープがついてたドレミファソラシドっていうのが、ピタガラスの時代にどうやら作られていた音楽のドレミファソラシドだった。
現代は事実上残ってるのって、ドレミファソラシド、残ってるというか、最も多く使われるのって、Fにシャープがついていないやつ。
なんですけど、ピタガラスが見つけたドレミファソラシドって、現代で言うリディアンモードと呼ばれるもので、これってあくまで人間が感じる響きの感じ方なんですけど、一番明るく感じる音っていうふうに言われているみたいで。
ピタゴラスの音階の応用
ドレミファソラシドよりも、ファにシャープをつけたドレミファソラシドの方が、多くの人間が最も明るいと感じるものになっている。
さらにこのドレミファソラシドのやつも面白いんですけど、さっきの5度円でどこから始めても隣り合ってるのを順番にやってあげると、ドレミファソラシドで枠内に収まってくれるんですよね。
そのあたりもやっぱり数学の面白さ、音楽的な算数の面白さみたいなものっていうのがたくさん含まれていて、これは確かに当時何も知らずに研究してたらすげえ面白いだろうなって思うし、
ギターとか弾いてると、ドリアン、ミクソリディアン、イオニアン、ロクリアンとかフリジアンっていろんな名前がチャーチモードという名前で出てきたりするんですけど、
なんなんやねんとかよくわからなかったんですよね、そういうのも最初は。
結局、これはあくまでも感覚的なものなんですけど、シャープの音が多ければ多いほど明るい感じを感じやすくって、ドレミファソラシドって弾いた時に、フラットの音が多ければ多いほど暗いと感じやすいらしい。
で、例えばロックンロールって、よくドリアンスケールが使われるとかミクソリディアンスケールが使われるっていう風に言われてるんですけど、これがちょうど明るいと暗いの真ん中ぐらいなんですよ。
イオニアン、ドレミファソラシドっていうのは明るすぎるし、ラートカラーだからロクド、ロクリアンかなと言われるものは暗すぎる。
で、ロックっていい意味で曖昧な音楽なんですよね。
明るいか暗いかよくわからない曖昧なもの。
そういうものにやはり人間がなんとなくなんですけど、かっこよく響くものって明るいと暗いが曖昧ぐらいの音の響きだったりもして、
ロックギタリストにギターマガジンみたいなインタビューとかを読んだりすると、ここのソロはミクソリディアンで弾いたとか言ってるんですよね。
何もわからんかったけど。
っていうのもそういう風に、かつてピタゴラスの頃から見つけられたものが今でも使われているというか、そういう感覚というのが残っているっていうのは非常に面白いことだなと。
ピタゴラスが見つけたのはある意味正確ではなかったけど、別の理路がそこにあったというのは非常に面白い話だね。
さらに面白いのが、もうちょっと後の方で話す予定なんですけど、これが必ずしも西洋の人たちはこうしていたけれども、他の文化ではピタゴラスとちょっとずれてるとか、
中国なんかはほぼ同じやり方で見つけたらしいんですよね。
3分損益法というやり方で、たぶんさっき言ったピタゴラスの3倍して半分にする、3倍して半分にするっていうことをやってドレミファソラ指導を見つけたんですけど、
そこはさらっとしか触れられてなかったんですけど、中国って五行みたいなやつがすごい好まれているから、五という数字が好きだったんですよね。
だから五個見つけて終わりにしてしまった。
なるほど。
日本でも、さっき言ったヨーナヌー協会みたいな感じで、日本でもやっぱり五個見つけて終わりにしてしまった。
さらに言うと、ほとんどの音楽って、やっぱりペンタトニックという言葉でも言われているように、世界見ると五個の音しかないことって結構多いみたいで。
これはね、楽譜とかを研究するとわかるみたいなんですけど、歌でね、やっぱり七音使い分けるのって難しいみたいなんですよ。
そうでしょうね。
で、だいたいの音が五音ぐらいだと歌いやすいし、歌としても印象に残りやすいし、結局細かいことを調べていくと無限に細かいんだけど、
最低の人間が直感でわかるのは、もっとルーズなレベルでしかわかんないっぽいぞっていう。
でしょうね、確かに。
今時の流行り歌でもシンプルなんですよね、結局人の心に残るやつは。
そりゃそうだ。
そういうところも世界によって違うところと同じところがあって、でも似てるところがあって、これ言語と全く一緒だなとも思うし。
確かにね。
そうやってみんな違うように見つけてきたんだけれども、結構一緒で、ただ同時に西洋のものがあまりにも当たり前すぎてしまって、
西洋のものを正しいとしてしまうと、いろんなことの都合が悪くなる。
例えばインドとかは音がめちゃめちゃ多かったりするんですよね。
面白いな。
インドのガムランだったかな。音数忘れたんですけど、13よりもはるかに多い音の区切り方をしていて、
向こうの人たちは文化としてそれを聞いているので、ちゃんと音としてうまく理解できるんですけど、
我々の西洋の音楽しか知らない人から聞くと気持ち悪くてしょうがない。
まあそういうのはちょっと収まりが悪い感じがするよね。
日本の画学とかもそうなんですけど、画学ってなんか変な音じゃないですか。
ウィーンっていう感じの。
音律の種類と発展
あれもね、やっぱり結局西洋の平均率で表現できない音率を使っているだけで、
ピタゴラス音率が絶対だと考えてしまうとおかしいんだけれども、
そうじゃないと考えれば、やっぱり結局正しい間違っているのではなくて、文化的なものでしかなくて。
音率という概念とか、その整理の仕方は結構文カルチャー依存というかカルチャー寄りの話ということなんですね。
そう。で、究極の悩みがさっき言った2のn乗分の2のm乗分の3のn乗は必ず2にならないので。
そうだね。
だからオクターブを同じ音だと人間は考えるんだけれども、何個に区切ったとしても100%調和する数字で割れないんですよ。音楽というやつは。
なるほど。ディジタルでやる限りどこかで長尻合わせが出てくると。
どこかで長尻を合わせないと数字的に合わないようになってしまう。
予想なんですけど、多分ピタゴラスとかこういうのが結構許せなくって。だから無理数を認めなかったって言われてるじゃないですか。ピタゴラスって。
ルート2というものは必ずどこかで数字が終わるはずだって信じてたんだけど、結局現代の数学ではそうではないと言われてますよね。
っていうのと同じように、12音とかでも同じようなことを考えたんじゃないかなというのは俺の想像なんですけど。
そういうことはあったし、だからこそここに数の秘密があるんだろうなっていう。
どこかでうまく割ったら綺麗になるはずなんだけどっていう。でも綺麗に分かれなくって、一番うまくいくのは倍になったところなんだけど、でも区切れないんだよねっていう。
なるほど。
ところがやっぱその難しさというか面白さというか。
まあだから人の探求心をいつまでも引き留め続けるような対象ということだよね。これを要するに。
結局人間が和音として響きが気持ちいいのって、シンプルな倍数分数で示される音同士が鳴っている場合、適度に音が波の波長がずれていてフワンフワンフワンってハモるじゃないや。
ああいう響きの具合っていうのが数が多すぎると明らかに気持ち悪い音になるし、ほんのわずかずれているぐらいだと違う音に聞こえなくなるとか、いろんな人間の心理的な事情がある。
究極的なことを言ってしまうと人間はあんま分からんという答えにもなるような気がするんですけど。
確かに。
ただやっぱ分かる人は分かるし、結局さっきの話で言うと西洋のピタゴラスが作った音律だと、西洋音楽が発展していくとともに不都合が出てきてしまったっていうのがその後の純正律というものが生まれる由来で。
一応厳密なことを言っておくとピタゴラスが作ったのも5度純正律かと言われるもので、3倍の純正律というのか、現在の純正律というものと仕組みはほぼ一緒なんですけど。
そこがさっき言ったところと含めての話なんですけど、もう一回5度円を見てもらうと大変ありがたいんですけど、ラスタさんCのコードとかCマイナーのコードとかって言って音の配列っていうかどの音が鳴ってるかって分かりますか?
ギターの押さえるとこは覚えつくけど、音符では分からんわ。
Cのメジャーのコードってドミソ、Cのマイナーのコードってミがフラットになっていて、ミのフラット、ソになる。ほとんど同じ音が鳴ってるのにミがフラットになるとすげー暗い響きになって。
ミがフラットじゃない場合はすごく明るい感じになる。これは結局人間の感じ方だと思うんですけど、サウンドの音を変えてやるとすげー印象が変わるんですよ。音の和音としての響きの。
さっきのピタゴラスさんの発見した5度円の話なんですけど、Cから見たサウンドの音ってEの音?ミの音?なんですけど、5度円から見るとちょっと遠いですよね。
1、2、3、4番目に見つかった音だった。ピタゴラス方式で音階を作っていくと、さっき最終的に一周したら1パーずれたって言ってたじゃないですか。
近いやつはあんまりずれてないんだけど、遠いほどずれるんですよ。ピタゴラス音律というもので音を作ってやると、3度の音があんまりいい感じの音にならない。
かつての西洋の音楽ってグレゴリオ聖歌、8世紀から9世紀頃に記録が残ってるらしいんですけど、その頃はまだ一音のメロディーしか歌ってなかった。和音で歌を歌っていない。
なので、3度の音がちょっと変でもあんまり気にならなかったんですよ。
そこからおおよそ10世紀の頃にポリフォニーと呼ばれる、みんなで合唱コンクールでずらすやつ。
ああいうことを始めるようになったら、かっこよさが足りんみたいなんですよね。ピタゴラスが見つけた3度の音だとあんまり綺麗に響かない。
これどうしようかなって思って、もうちょっと3度を綺麗に響かせたいと考えて作られたのが、その純正律と言われるもの。
でもすごいよね。だってその時代までその音律って絶対的なものだったわけですね。きっと。
たぶん。
それでも実情に合わへんからちょっと変えようかって思う人が誰かいたというのはすごいなと思いますけど。
だんだん、でも何百年という単位で進んでいるので、歴史で言うと10世紀にそのポリフォニーが生まれたっていう記録と、15世紀頃からその純正律が使われたという記録があって。
純正律というやつは、要するに3度をなんとか一番綺麗に響かせてやりたい。
計算をちゃんとすればわかるんですけど、やっぱ変な数字になるんですよね。3度は本来だと5分の4とかだったかな。純正律の周波数比。
そうですね。3度は4分の5倍で響かせることができればめちゃめちゃ綺麗になるんですけど。
ピタグラスが見つけたっていうやり方をするとそうはならない。綺麗な4分の5倍にならないから、ちょっとずれるとやっぱ響きが美しさがちょっと減ってしまうんですよね。
どうやらヨーロッパの中でもイギリスとかアイルランドでケルトの音楽として、純正律5倍。3度が綺麗に響くような音律というものが使われていたみたいで、それを持ってきて使うようになった。
さっきピタグラスって3倍して半分にして3倍して半分にしてを繰り返すって言ってたんですけど、純正律というやつは大雑把な言い方をすると3の次の素数の5を見つけてきて、5倍して半分にして5倍して半分にしてっていうことを繰り返しても同じように音が見つけられるんですよ。
さっき言った5と2の複数倍みたいなことをしてやると、ぴったり綺麗な2にはやっぱりならないんだけど、まあまあいい感じでだいたい2点いくつぐらいになる。
ピタグラスさんが作った純正律だと3度がいい感じにならないので、5倍5倍で探してやろうって言って、いわゆるその純正律というものが使われるようになった。
ただピタグラス音楽も音律も含めてなんですけど、純正律ってさっき言ったようにどこかで無理矢理調子で合わせてて、綺麗なドからドまでならいいんだけど、曲の途中で転調をしてしまうとすげえ変な音になってしまう。
転調ってそんなするかって思ったりして考えて調べたりしたんですけど、楽譜の中にシャープとかフラットが臨時記号として付いているのって大雑把に言うとそれってもう転調なんですよね。
その音が入ってしまうと、純正律のさっきの辻褄合わせをしていた場合にすげえ変な音になる可能性というのが高くなってしまう。
これが嫌だからって言って、ちょうど中世の人たちは改造版純正律みたいなのをみんなしていっぱい考えている。
さらに言うと、バッハだとかモーツァルトだとかベートーヴェンとかあの頃の時代って、まだ改造版純正律の時代だったらしいんですよ。
例えばモーツァルトさんはそのミーントーンと呼ばれる音がすごい好きだったみたいで、さっきの5倍5倍5倍で作っただけだと、どこかで長尻合わせないといけないですよね。
どこでどう長尻を合わせるかっていうパターンによって、いろんなやり方がある。
ウェルテンペラメントとバッハ
極めると難しすぎるので、それ以上深掘りはしないんですけども、モーツァルトさんが好きだったミーントーンっていうやつとかっていうのは、一番優先されていたのが身を綺麗に響かせることで、層をちょっと犠牲にして、ある程度転調してもいい感じになるようにした。
すごいね。
モーツァルト、多分この頃のクラシックの作曲家とかって、やっぱり当然俺なんかと比べて何十倍何百倍と耳がいいはずで、どうもモーツァルトはミーントーンでうまく響くキーを意図的に選んで作曲をしているっぽい。
とか、他の人たちも結構そういういろんなことをやっているみたいで、ミーントーンとピタゴラス音律を合体したウェルテンペラメントみたいな、さらに間を取った置き方みたいなのもあったりして。
ウェルテンペラメントなんかは、バッハが好きだったっぽいって言われているだとか、確かアフタートークで軽く話したんですけど、バッハの平均率クラビアっていう曲があるんですけど、あれ、西洋風の曲名ってウェルテンパードクラビアって言われているらしくて。
ウェルテンパードクラビア?英語的な表現をすればウェルテンパードクラビア?ウェルテンペラメントだとか、そういうもののためにあえてそういう曲を作っているのではないか。
さらにバッハの平均率クラビアの話で言うと、もう一個違う、ベルクマイスターっていうもののために作られたんじゃないかっていう風に言われているんだったかな。
ベルクマイスターっていうやつは、シャープとかフラットが少ないようなキーの場合は和音的にきれいに響くんだけど、そういうのが多いような音とかっていうのは和音じゃなく単音で弾いた場合にきれいに聞こえやすい。
これもバッハはそれを理解した上で、キーによって和音がきれいに響く曲と旋律がきれいに響く曲を作り分けているのではないかみたいなことも。
この時代の人は音律のストラクチャーと作曲のストラクチャーを並行で考えてたってことか。
という可能性があるぐらいまでしか自分はちょっと理解できなかったんですけど。
こういうやり方が20世紀くらい頭までずっとこれだったみたいです。
ドビュッシーの頃までベルテンペラメントとかベルクマイスターみたいな音というのが使われていた。
本にも載ってたんですけど、ウェブで調べるとそういうものを公開してくれている素晴らしいウェブサイトみたいなものがあります。日本語でも。
例えばバッハのこの曲を右なんですけど、ベルテンペラメントで弾いた曲とか、ミーントーンで弾いた曲とかっていういろんなミディデータとかを公開してくれて、
ウェブでさらっとなんとなく聴いたりできたりもして、興味があったらぜひ聴いてみてほしいなと思うんですけど、他の人が聴いてくれてる方も。
自分の印象で言うと、見るからにこれは変だなって感じる曲もあるし、何もわからんって感じる曲もありました。
やっぱりそこまで含めてすごく難しいなっていう印象だった。
ベルテンペラメントにすると、なんかね変な響きだけどかっこいい感じだなって感じたりとか、
これはなんか気持ち悪いんじゃない?なんかキーずれてない?みたいに感じるとか、なんかやっぱりいろいろあったので、そういうものというのは研究しがいがあるのかもしれない。
さらに言うと、20世紀ぐらいになるとまた変な人というものが現れまして、さっき言ったピタゴラスが12個に区切るからずれるんだよ、ダメなんだよ。
もっと鍵盤いっぱい作ればいいんじゃね?っていうので、ヘルムホルツさんって名前聞いたことないですか?数学者の。
名前はある。
ヘルムホルツさんはね、32鍵盤という鍵盤を考えました。
なるほど。
さっき言った2と3だと12音で区切ったんですけど、それだとさっき言ったピタゴラスの計算で1%ずれてしまう。
次に2と3の指数が近い数字っていうのを計算してみると、2の84乗と3の53乗というものがすごく2倍に近い、1対1に近い割合になるらしくて、1.002倍ぐらい。
極論を言えば53個の鍵盤にしたらもっと変にならんくなるんじゃね?って考えたんですけど、ちょっと53は多すぎるなって思って、32個の鍵盤というものを作って。
妥協作ね。
その人はドイツなんで、ドイツのそういうところに行くと見ることもできるみたいです。そんなんが残ってて。
さらに田中翔平さんというヘルムホルツの弟子の人がいて、その人もヘルムホルツの32はちょっと無理だから20にしようって言って、20個の鍵盤っていうものを発明したりもしています。
ちょっと軽くなんですけど、こういう感じ。
ややこしい。人間に引けるものじゃなさそうな感じがするな。
人間のスキルで言ったらやっぱり結局無理なので、やはり最終的な結論として、やっぱり人間に操作できるものではなくなってしまう、これは。
そうだね。
さらに言うと、これは最後の話とも絡んでくるような話なんですけど、そもそも現代でピアノという楽器があまりにも便利すぎて凄すぎて、ピアノでばっかり考えてしまうんですけど、例えばバイオリンのことを考えてほしいんですけど、バイオリンってフレットないんですよね。
フレットないですね。
あれぴったり響くように人間がちゃんと調節してあげれば、極論、さっき言った53鍵盤よりもっと無限倍の細かな音律というものを作ることができて、できているし、管楽器も息で音が微妙にずれるっていうんですよね。
確かに確かに。
なので、いろんな音律みたいな話を言われているんだけれども、実はそこまでの時代で結構人間の力で音律は調節できてしまっていたというのかな。
ピアノによる音楽の合理化
だから楽器がもっとアナログチックだったってことだよね。
もっとアナログだったんだけれども、ピアノというものが凄すぎたというか、影響力がでかすぎた。便利すぎた。
はいはい。なるほど。
まず単純な話なんですけど、和音が鳴らせる楽器ってまず少ないじゃないですか。
確かに。
さらに言うと、さっき言った話で、バイオリンとか管楽器とかって、正確な音を出すのクッソ難しいんですよ。
難しいですね。
でもピアノって調律されてたら、そこの音をポチって押してあげれば、もうカッコつきなんですけど誰でも同じ音が出せる。
確かに。
というもので、これによって現代で言われている平均率というものが生まれたきっかけというか、原因というのもピアノだと言えるし、
ピアノというものがおそらく現代の音楽の全ての元になっているというのかな。
西洋音楽で言うとだいぶベースになっている。
社会学者マックスウェーバーさん、ピアノは音楽の合理化であるみたいな言い方をしていて。
適切な表現が。
深いなと思うんですよね。だから音楽はピアノによって合理化されてしまったんですよね。
それが正しいとか間違っているとかではなくて、現代社会と同じように音楽もそういう何かが現れて、黒船の登場によって
大きく変わってしまっている。
っていうのがすごく大きなところで、現代の平均率と言われるものというのは、
ちゃんと均等にしよう。数学で割ればええやんっていう原理で。
ドとドのシャープの音は2の12分の1乗倍っていうのかな。
1.024ぐらいだったと思うんですけど。っていうので完全に平均に分けてあげて、音が音率というものを作った。
それによってその極論を言うと、やっぱドミソは綺麗に響かない。
ただキーを変えた場合でも変なことというのは起こらないし、
こういうことを平均率というものを作ったおかげで、
発展してきたとか新しく作られた音楽っていうのも間違いなく確実にあるというふうに言っていて、
極論をするとジャズとかロックというものは平均率がなかったら生まれなかったと言える。
そのジャズ的なコード進行とかロック的なコード進行という話だったりだとか、
チャーリーパーカーのジャイアントステップスってジャズの難曲というか難しい曲というか変わった曲として有名なんですけど、
それとかのコード進行っていうのは、さっき見せた五度円で綺麗な動きしようっていう風な進行をしていて、
平均率と音楽の発展
三角形三角形三角形でコード進行を動いたらかっこいいんじゃねみたいな。
結構音楽を数学的に作っているみたいな人とかっていうのもいっぱいいるし、
音楽が好きな人は音楽理論というものは感性をダメにするみたいな言われ方をしているんだけれども、
結局人間が考えられるパターンなんてものは知れているし、
極論そうやって作った方が面白いものが作れるとかっていうこともあったりするし、
それによって面白いことが生まれたりもするし、
そもそも音楽理論というものは人間が聞いたときにうまくいくような理屈を言語化したものであって、
結局のところサイエンスじゃないっていう言い方をした変なのか、
心理学と物理学の接中案を取ったとしか言えないというのかな。
おだしょー 物理的法則だけで決まっているわけじゃないもんな。
だってこの音がきれいに聞こえるはずだからこうって言うわけにはいかんもんね絶対に。
人間の耳にとってそれが聞こえるっていうことが一つの正解じゃないけどジャッジメントになるわけだから、
数式だけで完結するものではないという意味での科学的ではないということは言えそうやね。
大平 その結局平均率というものがあまりにも便利すぎて、
さらに曲論ほとんど全ての人はほとんど全ての曲で平均率と使ってても純正率使っててもあんまわかんないんですよ。
結局そういうふうになってしまっているんだけど、
ただ同時にというか逆にというかその変な音っていう言い方になるんですけど、
西洋的な音楽で説明できない音階っていうのがやっぱ民族音楽では同時にすごくたくさん使われていて、
民族音楽をきちんと演奏しよう、ぽくなるように演奏しようと思うとやっぱり平均率は変になる。
ロックギターをやっているとブルースという音楽がよく出てくるんですけど、
ブルースってブルースっぽい音楽音っていうのでブルーの音っていう音が出てくるんですよね。
フラットファイブとファイブの間の音だったかな。
実はこれっていうのもさっき言った純正率とかの探し方の話なんですけど、
7倍7倍で探していった純正率で合う音がちょうどブルーノートの音になったりするんじゃないかとか。
各民族は各民族でピタゴラスの3倍じゃないいろんな方法で自分たちなりの音を見つけていて、
そこが文化みたいなものに大きく関連している。
ピタゴラスが3倍って言ったら、ピタゴラスが3倍って言ったからそうなっただけで、別に真理とは何も関係がないよね。
そしてやっぱり面白いなと思うのが、どう頑張っても割れないっていうのかな。
人間がオクターブの音をちょうど同じ音として認識するっていう言い方になるんですけど、
同じ音だと感じる限り、正確に割り切ることができないんですよね。どう頑張ってもきっちりと。
そこに音楽の面白さというか深さというか、どこかを諦めないといけないというか。
ある種の合理化、形式化するためには、どこかで長寿命を合わせる判断が必要で、長寿命の合わせ方で個性とか文化みたいなのが出てきているっていう話でしたね。
結局のところ、ピアノにしても曲によって調律師が微妙に調律を変えるとかやるじゃないですか。
音楽の文化的多様性
さらに言うとエレキギターというものなんて音程が合わない楽器なんですよね。
12本の太さが違う弦を直線で切って、きっちりここが何倍になるかって言ったら100%合わないんですよ。
それはもう原理的にそういうもので、結局最終的な結論で言うとやはり人がそれを良いと感じるかどうかでしかないっていう。
結局だからやっぱりあと思うのが音符で音楽を学んではダメなんだなっていう楽譜というのが。
それは非常に一側面で切り取ったものでしかないということだよね。
楽譜は構成に伝えるためには非常に素晴らしいものだと思うんだけれども、やはり音楽の本質は音にしかないんだろうなっていうことを勉強して改めて思い知ったというのかな。
結局良い音かどうかというものが曲の全てであって、
音楽理論というものは良い音をより素早くというか快適にとか試行錯誤を減らしてくれるものでしかないというのかな。
っていうもので、さらに言うと結局人間の耳というかさっきの2倍と3倍とかの原理上どこかで変なわけであって、
その変なところをどうかっこよくできるかが音楽的なかっこよさとか、ギターなんて同じ音が出る場所がいっぱいあるんだから、
やっぱそれをこの音をここの場所でこう弾くからかっこいいのであって、
同じ音符をピアノでなぞってかっこいい、それはそれでかっこいいにはなるんだけど、
ギタリストのかっこよさみたいなのはやっぱりそういう部分にあるんだろうなっていうことを思い知った感じです。
大体そんなもんかな。
だから最初のリベラルアーツ的なことで言うと、最初はその音楽構造、音楽の後ろにある構造が世界の真理とつながっている的なものがある種の教養として捉えられていたような感じがしますが、
現代でも音楽を学ぶことはある種の文化を学ぶことにつながるので、別のレイヤーでやっぱり教養的なところがあるんだなというのはちょっと話を聞いてて思いましたね。
そうですね、教養みたいな感じで言っても、やっぱり文化、やっぱり西洋音楽が強すぎてしまって、そこに惑わされないというか、もっと多様な音楽を認められることで、
まさにあれなのかな、やっぱり他の世界を知るためには音楽を知ることによって。
音楽を知ることによって西洋文化の相対化が行えるっていうことにつながるんちゃうかな、これはきっと。
ような気がしますね。日本の音楽とかも、やっぱり改めてそうやって聞いてみると、明治昭和になって作られた音楽って多分、西洋が入ってきてから作られているので、ミクスチャーなんですよね、もう既に。
で、その画学みたいな音を聞いてみると、確かに西洋音界ではないな、西洋の音律ではないなって思うし、どこに行ってもそうなんだし、さらに言うと、
黒人たちが使っていた独自の音律というものが、ロックミュージックみたいな、今一般的に最も聞かれているぐらいの音楽で、いまだに残っていて、ある意味、まだ合理化ができていないとも言えるのかなって思うし。
だからフロンティアやし、それは合理化せんと残しておくことが正しいような気もするし。
多分合理化してしまったら結局つまらんのだと思うんですよね。
うん、それは間違いないね。
音楽というか音という物理現象って、科学的に分析できて、ある種の心理に到達できそうな気がするけども、結局カルチャーという土壌倒産とどうしようもないし、
そこは何か、この話を聞いていると何か、例えばどうやらな、文章の書き方にとっても正解というのはないわけで、
カッコよく読めるかどうかという基準で考えた時に、何かその音楽的なカルチャーの需要の仕方と文体の科学みたいなんて何か通じるとこありそうやなというのはちょっと聞いている。
なんかあるかもしれないですね。カッコいい音というものとカッコいい文章というものは結局合理化されてたものではない。
ないっていうところはなんかちょっと勇気がもらえる話ですね。
うん、そのやっぱね、深いというかどんな分野でもやっぱ面白いんだなっていうことを思い知った感じですかね。こうやってちゃんと調べてみると。
この本、ちなみにもうちょっと違う内容というか、そこから和音がどうやったらなんか人間がいい感じに感じるのかとか、もうちょっといろんな話もあったりするので、興味を持たれたらぜひこれは読んでいただけると面白いんじゃないかなと思います。
ちゃんとね、不協和音とか何を気持ち悪いと感じるかみたいな話とかもちゃんと出てくるし、その西洋の音がどんな感じの、西洋じゃないものっていうのがどんなものがあるのかみたいなことももうちょっと触れられていたりもしていたかな。最初に読んだときは正直このピタゴラス音律を理解するのにすげー苦労しました。
なるほど。
ピタゴラスのコンマ、そういうのもちなみに例えばWikipediaとかでも結構調べられるんですよ。ピタゴラスのコンマっていう話だとか、そのミートーのウェルテンペラメントってウェブ調べたらちゃんとあって、すげーなって思うんだけれども、同時にやっぱウェブだけではちょっと足りないとも思うから、そこにやっぱ書籍のすごさみたいなものもあるし。
なるほど。
まあいろいろなことが。音楽も一概に、一概に言わないとか結局は心だっていうことが理論を学んでみるとわかるっていうのもちょっといい結論かなと思うんですよね。
確かにね。
最終的にはどう頑張ってもやっぱ人がかっこいいと思うかどうかしかやっぱりわからんかったっていう。
そうかっこいいの感じるのもその本人が教育の中で聞いてきた音にも影響されるというところもあるでしょうね。
文化的にさっき言ったインドの音がその西洋人には不協和音にしか聞こえないので、音楽というジャンル自体が合理化されてグローバル化されて、そのほとんどの人が同じように感じるようになってしまっているけれども、必ずしもそれだけではない。
同時に300年400年残っているバッハとかベトベー、モーツァルトあたりの曲のすごさというのかな。
そうですね。確かに。
そこしか残ってないっていうのはちょっと残念なところではあるような気もするんだけど。
それぐらいの人握りしか残らないもんなんでしょう。それはやっぱり。
なのでその人たちに勝てる曲を作るって、そりゃ相当大変だろうなと思うし。
そりゃね。
だって俺たちが生きた4,50年だけで、多分何百という良い曲はいっぱいあると思うんですよね。日本語だけで。でも残れるのはそこからどんな曲なんだろうか。
まあ偶然とか運もあるでしょうけども、1パイルはるかに少ない数でしょうね。
そんなことを妄想してみるのもちょっと楽しいのかもしれない。
なるほど。
俺たちの時代の音楽も音楽の教科書に載ってますからね。
まあそうでしょうね。
俺たちが合唱で歌わされた頃ってチューリップのあの素晴らしい愛をもう一度とか、愛のが出てきてて、なんだこれはだったけど、そこからさらに戦いが進んで。
っていう風にそういう観点で残る音楽みたいなものを考えてみるだけでも楽しめるかなと思います。
はい、ということで、Book Catalyst は番組を支援していただけるサポーターも募集しておりますので、気になる方はPodcast の概要欄などをご覧いただければ幸いです。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
01:05:40

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