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2022-01-18 1:07:22

BC029『NOISE: 組織はなぜ判断を誤るのか?』

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今回は、三人の行動経済学者による『NOISE: 組織はなぜ判断を誤るのか?』を紹介します。

『NOISE 上: 組織はなぜ判断を誤るのか?』

『NOISE 下: 組織はなぜ判断を誤るのか?』

上下巻の本ですが、話題が巧みなのでさくさく読める本になっています。

概要

行動経済学では、これまでずっとバイアス(認知バイアス)がフォーカスされてきた。しかし、ヒューマン・エラーを構成するのはバイアスだけではない。ノイズもある。

バイアスが「偏り」だとすれば、ノイズは「ばらつき」となる。そのノイズも、悪影響を及ぼすし、その大きさは想定されているよりもずっと大きい。にもかかわらず、ノイズにはあまり注目が集まっていない。

それはまずプロフェッショナルが下す判断が、統計的に検証されることが少ないので、そもそもノイズが見いだされにくいのと、もう一つには、後から振り返ったときに、私たちは判断が適切であったのだとという物語(因果論的思考)を作りやすいからである。

本書は、そうしたノイズの性質を解き明かすと共に、その具体的な測定方法を明示し、その上でどうすればノイズが減らせるのかの施策を提示している。

論調としては、著者らは「人間らしい」判断ではなく、シンプルなルール、アルゴリズム、機械学習などの判断を用いることを進めている。そうした判断にも課題はあるが、少なくともノイズがない、という点では大きな意義がある。

しかしながら、組織にそうした機械的判断を導入するのは簡単ではない。特に、マネジメント層が行う判断であればあるほどその傾向が出てくる。よって、著者らは人間が判断を下すことを前提とした上で、ノイズの提言に役立つ方法を紹介する。

目次

* 二種類のエラー

* 第1部 ノイズを探せ(犯罪と刑罰;システムノイズ ほか)

* 第2部 ノイズを測るものさしは?(判断を要する問題;エラーの計測 ほか)

* 第3部 予測的判断のノイズ(人間の判断とモデル;ルールとノイズ ほか)

* 第4部 ノイズはなぜ起きるのか(ヒューリスティクス、バイアス、ノイズ;レベル合わせ ほか)

* 第5部 よりよい判断のために(よい判断はよい人材から;バイアスの排除と判断ハイジーン ほか)

* 第6部 ノイズの最適水準(ノイズ削減のコスト;尊厳 ほか)

* まとめと結論 ノイズを真剣に受け止める

* ノイズの少ない世界へ

倉下メモ

ポイントは、人間が判断を下すと、避けがたくノイズが生まれる、という点。判断のための具体的な指針が定まっていない対象について、人間は恣意的な重みづけを行うのですが、それが「揺れる」ことによってノイズが生じてしまう。機械的(あるいは官僚的)と呼ばれるような判断でない限り、常にその危険性はつきまといます。

そこで第一として、「人間が判断しない。あるいは機械的に人間が判断する」という方策が出てくるのですが、個人的にはあまり楽しくない方向性です。効率的かつコストも安いでしょうが、逆に言えばわくわくするような面白さがそこにはありません。また、本書でも簡単に触れられていますが、『あなたの支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』で指摘されているような怖さもあります。

今後、プロフェッショナルの判断領域に機械的な判断がどんどん導入されていくだろう流れは止められないでしょうが、そうではない判断領域、もっと言えば個人の人生における判断において、そうした機械的なものを導入するのではない方向性も考えておきたいところ。

その視点から言うと、本書の後半で提示される「尺度」を定めることはおそらく有効でしょう。また、「積極的に開かれた思考態度」は、日常的な情報処理や知的生産活動においても活用できるものだと思います。

どういう施策を取るにせよ、人間の判断にはノイズが入り込む、ということを前提として、まさに本書が提示するように「手洗い」のようにノイズ削減に取り組む、という姿勢が大切なのでしょう。



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サマリー

第29回のポッドキャストブックカタリストでは、「NOISE: 組織はなぜ判断を誤るのか?」について話がされています。この本では、バイアスとノイズに焦点を当て、組織における判断のばらつきや影響について考察されています。ノイズやバイアスによる判断の誤りの原因について説明があり、システムノイズ、レベルノイズ、パターンノイズの3種類のノイズや、楽観バイアス、認知バイアスなどのバイアスがあることが紹介されています。しかし、ノイズは重要視されず、ノイズが気づかれないことやプロフェッショナルの判断が評価されずに放置されることがあるため、プロセスの評価や予測的判断の危うさも取り上げられます。組織の判断においては、不確実性に対する心理的報酬から判断が誤ることがあるため、個人の判断についても同様のことが言えます。また、因果論的思考と統計的思考の2つの思考プロセスが存在し、統計的思考による判断が求められることがあります。そのため、統計的思考を持つことが判断のノイズを減らし、自己啓発に役立つことができます。組織の判断にはブルシッドジョブの問題もありますが、AIの導入には時間が必要です。著者は人間の判断を否定せずに、具体的な提案をしています。また、予測が上手な人の思考プロセスを紹介し、弁償法的事情努力や積極的な開かれた思考態度が重要であるとしています。多くの著名な科学者はこれを実践しており、独立した判断を行うことができます。

ノイズとは何か
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。第29回の本日は、ノイズ、組織はなぜ判断を誤るのかについて語ります。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今週は倉下のターンということで、ノイズという本を紹介します。
鞘川書房から発売されている、結構最近出た本でして。
11月だったと思いますね、発売は。
そう、去年の年末ぐらいですね。初日情報を書き忘れましたが。
12月10日の初版となってますね。鞘川書房から出てるハードカバーで、上下巻のちょっと分厚めの本になっております。
どっから行こうかな。まずタイトルなんですけども、日本語版やとノイズで副題が、組織はなぜ判断を誤るのかと。
現代の方がノイズは一緒で、flow in human judgmentと。
で、ちょっとニュアンスが違うんですね。flowってflowじゃなくてflaw。flowって発音するかどうかわからないですけど。
計画にある失敗というか疎後というか弱点みたいな意味という言葉で。
human judgment、人間の判断における脆弱性みたいなニュアンスで、組織っていう言葉が現代の方にはないんですよね。
あれですよね、多分なんだけどやっぱビジネスに売れたいからそういうタイトルにしてるんですよね。
おそらくこれビジネスニュアンスを踏まえてということなんでしょうけど、でも本文を読むと、確かに本書の中で扱っているのは組織の中における判断なので、
語訳というわけじゃなくて切り口を変えたタイトルの付け方という感じです。
もっとやっぱ現代の方が人間に焦点を当てているんですよね。どっちとも確かに読んだ印象で言うとそれはあるのかもなという。
で、内容に入る前に著者、共著者が3人おられまして、その辺の話からいきたいんですけども、まず1人目ダニエルカーネマン、ノーベル経済学賞を受賞された方でして、これは我々の中ではファストアンドスローという超有名作がございまして。
こういう本が好きなら絶対と言っていいぐらいのレベルで読んでいる本ですね。
一応行動経済学というか人間のバイアスを体系的にまとめた最初の本。日本語では多分そうやと思います。
人間の思考というのは2つのタイプ、システム1とシステム2からできてて、システム2をよく使うといいんだけど、それは非常に時間がかかる。
人間はシステム1という素早い思考を有効活用しているんだけど、そのシステム1って結構ミステイク多いよねっていう、バイアスかかってるよねっていうことを定義した、提示した本を書かれたのがカーネマンさんと。これが1人目と。
キャサール・サンスティンさんという方が、この方も3人とも行動経済学というか認知系の人なんですけども、リチャード・セイラーという方と実践行動経済学入門という本を書かれてまして、それ以降、ナッジという概念をよく主張されている方です。
ナッジもこの浮く形とて何度も出てきてますけども、いわゆるリバタリアンパターナリズムと呼ばれる非常にややこしい概念なんですけども。
用語にすると難しいですね。
人パターナリズムっていうのは、ある種権威のある父親のように、こうするのがいいからあなたこうしなさいと人の選択肢を奪う代わりに良い方向に導こうとする姿勢と。逆にリバタリアンっていうのは、個人が自由なんだからどんな選択についても制限を与えてはならないという立場。
リバタリアンパターナリズムは選択肢そのものは自由に与えるけども、人間が持っているバイアスの力をうまく利用して良い方向と思われる選択肢を取りやすいようにしようっていう、愛の子のような非常に面白い方法論で、それがナッジ、背中をちょっとこずくっていうような意味でナッジと言われるのを提唱されている方です。
ナッジというのは、めっちゃ簡単に言えば政府が補助金を出すみたいなイメージですよね。
イメージとしてはね。望ましいと思われる方向に誘導するための施策ないしは、物事のデザインの仕方っていうことですね。
やり方はめっちゃあるけど、そのお金を出すみたいなのがだいたい繋がっていることが多いかなって。
そうですね。
タバコにはどんどん税金を高くしていくとかもそうかな、言ったら。
そういう制度的なものと選択肢の設計の仕方、一番最初のものが選ばれやすいから最初に持っていくっていう、簡単に言うとUIですよね。
UIのデザインの仕方を好ましい選択が行われやすいようにしていくみたいな方法論ですね。
3人目がオリビエ・シボニーさんということで、賢い人がなぜ決断を謝るのかという本を書かれています。
僕この本はちょっと読んだことがないんですが、これもタイトルからするように人間の決断における疎後というか、多分これもバイアスを扱った本だと思います。
みんなこの業界の本をいっぱい書いている人たちですね。
そうですね、プロフェッショナルアポロフェッショナル。
スーパーオールスターな感じですよね、言ったら。
さっき挙げた全ての本は、基本的に人間の認知バイアスが話のベースで、認知バイアスっていうのはどのような種類があって、それはなぜ起こるのかっていう話から踏まえて、どのような対策をしたらいいのかっていう方法論まで含めた提示がされている本なんですけども、
本書はそのバイアスではないものにこの3人が注目を向けていると。だから続編というよりは新しい展開、新しい方向性を提示した本であるというのがまず第一ポイントかと思います。
シーズン2。
シーズン2ですね。
2かな、言い方そうですよね。
2話というよりはシーズン2という感じですね。
上下間なんで、章がすごくたくさんあるんで、全部フォローするのはあれなんで、章の上の。
20個ぐらいありましたっけ、章の構成を。
章の1つ上の階層の部構成だけちょっと見ていきますが、全部で6部構成になってまして、第1部がノイズは想定されているよりも多いという話。
第2部が人間の判断。第3部が予測的判断。第4部がノイズの生じる根本原因。第5部がいかにノイズを減らすのか。第6部がノイズの適正水準ということで、判断とノイズっていうのが全体を通すテーマです。
この6つの部とは、別に仮に下下がこの本を3つに区切るとしたら、3つのテーマがありまして、1つ目がまずそのノイズとは何かっていう話。
ノイズとはどういう性質のもので、どのような原因で起こってくるのか。
ヒューマンエラーっていうことなんですけども、そのヒューマンエラーの中にあるノイズに焦点を当てている。
2つ目がそのノイズをどのように測定するのかっていう方法論の話で、これは数学的なあるいは統計的な話が結構出てくるんで、人によってはちょっとうってなるかもしれないです。
最後3つ目がノイズが起こるとして、そのノイズをいかに減らすのかっていう実践というか方法論が提示されていて、大きく2つあって、アルゴリズムを使えっていうのと、アルゴリズムを使わないで人間の判断をどう生かすのかっていう2つの主軸が提示されている。
大きく見て、この3つが話題になっている本と捉えてもらって大丈夫だと思います。
ノイズを測定する方法論
今まで最初に言ってたのが、バイアスというのはめっちゃ注目されたけど、実はもう1個大事な間違いというのは人間をよくやっていて、それがノイズなんだぞ、みんな気づいてなかったでしょっていう感じで、説明から解決策まで話してくれるような感じですよね。
そうですね。あなたたちがずっとバイアスはバイアスは言ってたからっていうことなんだけど。
たぶんそうだ。それは間違いない。ずっと言っとったけど、まだあるんかいっていう。
重要な話は、ノイズっていうのは注目されてないけど、案外バイアスと同じぐらい悪影響を与えてるんだっていうのが本書の主張の1つで、そのメカニズムというかカラクリみたいなも提示されていくんですけど、
これまで僕たちこの分野ではバイアスは良くないと言ってきましたけど、ノイズに注目しようと提案しているのが本書と。
バイアスからノイズへの転換っていうところが本書の大きな位置づけですね。
判断なんですね。本書が扱うのは判断。この判断って言葉の定義が難しいけど、人間が知性を働かして行う測定のことという定義がされていて非常に難しいんですけど、
将来どうなるかとか、この本とかこの人の価値はどんなもんかっていうことを考える行為ですね。考えて結論を出す行為が判断と。
その判断におけてある種の偏りがある。その判断が一方向、どちらかの方向に偏っているのがバイアスであると。
対してノイズっていうのは偏りじゃなくて散らばり、ばらつきなんですよね。今までは偏りの方だけ見られてきたけど、その散らばりっていうのも実は結構大きな問題だという問題提起から入ってます。
で、ばらつくこと自体は良いこともありますし悪いこともあって、良いことで言うと例えば本書にもあるんですけど、映画評論家の、評価のが人それぞれ違うのは良いことですよね。
一生だったらお前たち何のためにおるんやってなっちゃいますよね。
こういうのは望ましいばらつきなんですけど、望ましくないばらつきっていうのは、例えば裁判官が刑を下す時に、例えば懲役最高25年までの刑があるとして、それが2年から22年までの幅があったら、これかなり困る話で。
同じ罪なのに1人は懲役2年って言われて、1人は25年みたいなことを言われたりするっていうのが結構あるってことなんですよね。
こういうばらつきはもちろん望ましくないですし、公平でもないと。これの問題は、ばらつきが平均とった時に、2年と25年やから27割に14だから平均14だねっていう話にはならないってことなんですね。
それで許されたらダメですよね。
経営を受けている人はそれぞれ2年と25年という実経を受けているので、これはばらつきが総裁されないタイプのばらつきなんですね。
ばらつきの結果が総裁されない。同じように、例えば保険料の見積もりっていうものも、安すぎたら会社が損しますし、高すぎたら契約が結べない。
だから、その2つがちょうどいいとこにあって、平均とったらちょうどいい金額見積もってますよと言われたところで、1回1回の判断で結局契約的に損が発生してるから、全然総裁されない。
こういう案外見えないノイズによる経済的な影響、ないしは不公平っていうのが起きてるのに、僕たちは案外それを見ていない。ないしは過小評価してるという問題的が本書にはあります。
さっき言った組織の話なんですけども、本書のタイトルに組織というのが出てくるんですけども、そういう、例えば裁判官に関して言ったら、2年と25年の幅があるとはあまり想定してないというか、平均的にみんなだいたい同じ事案であれば同じ経営を下すだろうと期待しているところが僕たちにはあって。
それは要するにプロフェッショナルっていうのは、そういう同士の同じ傾向を持つ判断を下してくれるだろうという期待があるけど、案外そうはなってないと。プロは思っている以上にノイズに晒されてるっていうこと。
だからそういう一つの組織の中にあるシステムの中で行われているたくさんの判断が実はばらついてるよと。それはシステム的に見て問題だよねっていう話なので、日本語のタイトルでは組織という名称が出てますし、本書の中でもいわゆる組織とかプロフェッショナルの判断を重点的に扱ってます。
だからあまり個個人の生き方の問題ではなくて、結構ビジネスサイドあるいは行政サイドの話あるいは実例が多いですね。本書では。
そうですね。出てくるのが最初に裁判保険病院みたいな、あと企業の買収案件とかなんかそんなも出てきましたっけ。
だからそのまま直接個人の話に引き受けなくてもいいんですけど、組織体を見たときに、しかもその判断を下すプロフェッショナルが中にたくさんいる組織を見たときに、そこにあるノイズっていうのに注目しましょうと言ってる本なんで、結構だから人間、人文的でありながら要素的にはビジネスショーのコーナーに並んでてもおかしくない内容だと思います。
そうですね。確かに言われてみると、読んだ印象としてあんま俺には使えねえなっていう感覚はすごくあって、そういう意味で読むのに実例、具体性を伴っていないから読むのに苦労したなっていう感覚はあるかも。
そこをどう読み解いていくかなんですけど、最初にノイズ、バイアスとノイズの話からいきますが、バイアスっていうのは偏りで、ノイズっていうのは望ましくないばらつきのことだと。
そのノイズ、ばらつきなんですけど、これ本章の一番肝というか面白いところは冒頭なんですよね。冒頭に射撃の的の話が出てきまして、これでもここで言うときっと面白くないんでやめますから。
たぶん立ち読みできるんじゃないかと、立ち読みっていうか試し読みで入ってるんじゃないですかね、これって。
だから序章の十何ページぐらいに射撃の的を使って、ノイズとバイアスっていうのがどういうものかが図示されてるんで。ここがつかみが非常にうまくて、誰が書いてるのかは知りませんが。
ファストアンドスローもつかみがうまいんで、そこをたぶん読んでもらったらここの話はすごくわかりやすいと思うんですけども、そこは一応飛ばしまして。
ノイズの種類
本書で解説されているノイズの種類っていうのをまず見ていくんですけども、まず一番大きな括りがシステムノイズって言われて、
多数のプロフェッショナルが一つの組織の中にいて、たくさんの案件について日々判断を下すんだけど、そこにあるばらつきのことがまずシステムノイズと定義されてます。
そのシステムノイズがまず大きく2種類ありまして、レベルノイズっていうのとパターンノイズっていうのがあるんですよね。レベルノイズっていうのがくじ引きみたいなもので、
例えばどんな犯罪に対してもやや甘めな判決を出す人と、どんな犯罪に対しても結構きつめの判決を出す裁判官がいるとすると、
そうすると同じような犯罪であっても、その裁判官の当たり方によって出てくる契機がぶれてくるわけですね。これがレベルノイズ。
あれですよね。俺たちの話でいうと、例えば学校の先生であの人は常に甘い評価を下してくれる人っていうのと、常に厳しい評価を下してくる人っていうので、これで同じ通知表つけられたらかなわんやんっていう感じのやつですよね。
そうですね。だから人の違いによるばらつき、当たった人によるばらつき、いわゆる現代日本で言うとガチャって呼ばれてる現状ですよね。
ガチャですね。先生ガチャ、裁判官ガチャみたいな感じ。
ガチャみたいなところがレベルノイズであって、もう一個パターンノイズというのがありまして、これがややこしいんですけど、レベルノイズがいろんな人の中にあるノイズやとしたら、パターンノイズは同一の人の中に起こるノイズで、
さっき言った甘い、全体的に甘い結論を出す人の中でも、評価だけはものすごく厳しくつけるとか、そういうふうに基準がある部分だけブレるっていうようなパターンが、そういう個人の中にある揺れがパターンノイズで、そのパターンノイズの2種類ありまして、もうここで話がややこしいんですが、
機械ノイズって機械っていうのはチャンスの方ですかね。機械、マシーンではなくて、機械ノイズっていうのと、あと安定したパターンノイズというのがありまして、安定したパターンノイズっていうのが、さっき言った同一の人になる、ある特定の事柄に対する特別な反応、それは毎回そうなるんですね。
この人は全般的に裁判では甘い評価をするんだけれども、さっき言ってた放火火をつけたことだけはめっちゃ厳しい判決をする。
毎回必ずそうなるっていう特別繰り返されるパターンが安定したパターンなんです。機械ノイズっていうのは非常に厄介なんですけど、自分のお気に入りのサッカーチームが勝った次の日は判決が甘くてるみたいなのが機械ノイズで。
他にもいろいろありますよ、もちろん。その人の生活環境とか得ている情報とか、あるいはその他の出来事に関して出てくる判断のぶれで、これは再現性がないというか、全く同じ事柄に対して別の判断も出てくるということで、ばらつきがあると。
この3種類。レベルノイズと機械ノイズ。安定したパターンノイズという3種類がありますよと。これは要するに、特にパターンノイズの方は人間的ですよね、要するに。人間の価値観とか、あるいは情報摂取による判断のぶれっていうのが諸に出てきてしまうと。
で、さっきも言ったようにそれは良い場合もあるんですけど、裁判官はやめてほしいよねっていうところですよね。基本的にそういうのは、昔は想定されてなかった。プロっていうのは均一の答えを返すと思われてたけど、とある裁判官が問題提起をしまして、あまりにもぶれが大きいんじゃないかって調べてみたら、実際ぶれ出たと。結構許容できないぶれがあったっていうところが提示されて。
だから、そのノイズっていうのをどう測定していくのかっていうのが次の話になってきます。
もう一回複雑だったので、ダイヤストノイズをもう一回ちょっとまとめてみたらいいんじゃないかなと思ったんですが。
じゃあまず復習しましょう。まず一番大きなカテゴリーとして、ヒューマンエラーというのがあります。人間の判断に起こる望ましくない結果ですよね。本来求められているものからのズレっていうのがまずヒューマンエラーがあると。
間違いを犯すという言い方でもいいんですかね。
そうですね。その大分類の一つ階段を下に降りましょう。中分類に行きました。中分類の中にはバイアスとノイズがあります。
間違いの中にはバイアスとノイズの2種類がある。
バイアスの種類
バイアスは偏りのことですね。偏りっていうのは、ここもこの射撃の話をできるとすごく楽なんですが。
一方向に固い。例えば、楽観的がいいか。例えば僕たちは計画を目標を立てる時って絶対に楽観的に立てますよね。想定されるものよりは。
っていうのは人類が持つ楽観バイアスと呼ばれるやつですね。
こういうふうにあるものが適正とされるものよりも、常に同じ方向でずれてしまう。楽観方向やったら楽観方向にずれてしまう傾向。
特にその認知的な能力によってずれてしまうものをバイアス。ないしは認知バイアスと言います。
これはこれまでの著者らの本で散々語り尽くされてきたんで、本書が軽く触れられる程度に終わっていて。
本書が注目したいのはノイズとバイアスとこうしたのバイアスの方。
バイアスっていうのはさっき言った求められているものからのずれではなくブレかな。
日本語にするとずれとブレか。
まっすぐ狙ってるんだけどちょっと中心からずれちゃってるよっていうもののずれがノイズなんですね。
これX軸Y軸使うとすごく簡単なんですけど、X軸Y軸を想定したときに座標00が求めている望ましい答えだとしたときに、
ある人が決定すると必ずXYプラス領域に行ってしまうっていうのがバイアス。
ノイズっていうのは00を狙ってるんだけど01とか10とかちょっと違った方向に行ってしまう。
判断がまっすぐにならずに評価がブレてしまうっていうのがノイズだと。
本書はこのノイズに注目してできれば撃退したいっていうことを模索していく本で、
ノイズの中身についてレベルノイズとパターンノイズですけど、これ一旦忘れてもらって。
おだしょー まあそうですね。みんないろんなブレ方があるっていうぐらいでいいかもしれないですね。
大平 そのノイズにもいろいろパターンがあるよということだけ覚えていただければいいです。
ノイズとバイアスの無視
ここで難しいのは、ノイズっていうのは一応もしかしたらあるだろうと思われてるけど、
その影響が低く見積もられていることが多いと。でも実際はそれよりも悪影響は大きいと。
で、さっき言ったようにノイズがあると。で、いろんな方向にノイズがあるから平均したら総裁されるじゃんっていうのはならない場合があると。
で、なぜそのノイズっていうのが起きて悪影響があるのに無視されているのかということなんですけども。
2つ想定されている原因がありまして、まずそもそもノイズだと気づかない。
ノイズだと気づかない問題がありまして、射撃の例あるいはX軸でもいいんですけど、
試行回数が1回しかない場合ってノイズって見えないんですよね。
そのダーツのど真ん中を狙ったんだけど、ちょっと外れちゃって外側にぶれた場合に、それは果たしてただの失敗なのか何なのか、
そのぶれてるのかずれてるのかもわからない。
わからない。そう、例えば銃を死者撃つ時に、真ん中を狙って撃ったとする。で、ずれたとする。
で、狙いが悪かったのか、その銃の照射が悪かったのかってわからないですよね。
銃の精度が低いとぶれてしまいますよね。
そうし、自分の狙いが悪いとぶれてしまうと。で、1回だけの試行やとそうやってわからないですね。
逆に死者が何回も行われたら、5回も6回も行われたら、その弾のまっすぐの近くには行ってるんだけども、
その弾のギリギリ真ん中よりも外れてしまうっていうのと、
撃ってるんだけど常に同じ方向に弾が外れてしまう。
これは多分、後者の場合は銃の銃身がぶれてるんでしょうね、きっと。
そういう感じで、複数回あれば初めて見えてくるものでも、1回しかない場合って、
なかなかそれがノイズであるとかどうか、そもそもがわからないっていうのが1つと、
プロフェッショナルの判断って基本的に評価されないんですね、判断そのものが。
フィードバックがないというか、さっき言った裁判官の判断でもいいですし、
保険会社が保険料を決めるでもいいんですけど、担当者が決めて、それで終わるんですよね。
決断を下して終わると。その決断が例えば同種、同じような状況で、
他のプロフェッショナルがどう判断を下したかっていう、
自分の判断とそれがどのように食い違ってるのかっていうのは、基本的に検証されないんですね。
僕たちはプロに任せて、そのプロが判断したものが正しいとして、そのまま過ぎていくことが多いと。
だから判断を下している人も正しいとは思っているし、正しいと思っているがゆえに検証しないんですよね。
あれですね、Learn Betterで出てきたフィードバックというものがいかに学習に重要なのかというのと、
フィードバックがないからそのプロフェッショナルの能力が上がっていかないというか、間違いに気づけない。
間違いに気づきない。
間違っているとしても、原因がバイアスであったのかノイズであったのかも全く見えてこないまま、ずっと放置されているという状況。
特に僕ら個人のような判断よりも、むしろプロフェッショナルの判断の方が向上しにくい傾向があると。
ノイズって結構悪影響があるけど、無視されてきた歴史があるのではないかと書かれてまして、おおむねそうだろうとこれは思います。
あともう1個あったのが、1回しか判断ができないことがあって、それをノイズなのかバイアスなのかが判断ができないから難しいみたいなのもあったと思うんですけど、
コロナの場合に国境を閉じたことが正解なのかどうなのかは、閉じなかった場合を実験できないので分かりようがない。
さっき言った評価とか判断とかプロフェッショナル判断っていうのを評価をどう評価するかっていう問題がありまして、
2つ方法論がありまして、下した判断の結果から評価する方法。
良い結果になったから良い判断だねっていう方法と、判断を下したプロセスを見てそのプロセスを評価する方法。
この2つを用いないと、特にさっき言ったように1回切るのとか、あるいは結果が出るまでどうも言えないものに関して言えば、基本的にそのプロセスを評価するしかなく。
僕たちは案外そのプロセスを評価することを忘れがちなんですよね。
あと難しいんじゃないですかね。結果の評価なら超簡単だけど、プロセスってどう評価したらいいかわからないですよね。
だからその話は後半に出てくるんですけど、プロセスの評価の話も出てくるんですけど、評価するための方法も一応あるよということは提示されてます。
一応、この人で言う判断についてもうちょっとだけ踏み込むと、プロフェッショナルが下す判断っていうのは2種類あるとされてまして、
一つが予測的判断というもので、将来どうなるか、これがどうなるかっていうことを考える判断で、
もう一個が評価的判断と言われてもので、その人物がどんな能力を持っているのかとか、好ましいのが好ましくないのかっていう判断を下すと。
例えばある人を雇うとか、あるいは将来を期待して雇うとかいう状況のときには、この2つの判断が総合的に動くと。
問題は予測的判断なんですよね。ある事柄の将来的な展望をその時点で、現在の時点で下すっていうことなんですけども、
僕らも非常に日常的によくやってますけど、これってこうだろうとかこうなるだろうとかって思うわけですが、
現実的に考えてその判断はどこまで正確かっていうと、かなり危ういですよね、正確性に関して言えば。
それはもちろん色々な理由があって、十分な情報を得ていないとか、判断を下すためのスキルが磨かれていないとかもあるんですけど、
基本的に未来って未確定なものでして、不確定性原理を挙げてもいいですし、色々理屈はあるんですけど、
未来のことは基本的には分からないはずなんですけど、僕らは予測的な判断を下すと。その上、その判断に異様なぐらいに強い確信を持つんですね。
それはそうだろうっていうぐらい強い気持ちを持ってしまうと。
本書ではそれを内なるシグナルと呼ぶんですけども、将来に関する難しい判断を下すと。
組織と組織外での判断の類似性
本来僕たちは未来については無知なので、客観的無知という表現が本書で出てきますが、確定的な答えっていうのは得られないはずなんですよね。
現時点で未来について考えても得られないけど、ある程度考えると、これはこうだっていうふうに確信が出てきて、それが本書でいうと心理的な報酬になっていると。
これは十分ついつまがったから、これはこうなるし、そのための理由はこうだからって思ったら、僕たちは満足してしまうと。
それについてはもうそれ以上は考えなくなるっていうことが起こると。
この点が僕は組織の判断とは別にして、個人の生き方とか個人の判断についても全く同じように言えることかなと。
組織のために優秀な人材を雇うとかいうことよりも、もっと程度は低いですけど、僕たちは日常的にいろんなものの評価的でも予測的でもいいんですけど、判断すると。
そこに一定のついつまがあると、分かったっていう気になって、その分かったっていう気は精神的な報酬になって、満足して終わると。
これが分かったつもりなんですよね。分かったつもりの病というか。分かっていないはずなのに分かったことにしてしまう病っていうのがここで起きてて。
知ってるつもりとすごくそれも似てますよね。
知ってるつもりは、もちろんそこから先が展望されてて、結局自分の無知を知ることで初めて次に行けるんですけど、
その内なるシグナルの満足感に得られることによって、僕たちはもうそれ以上進もうとしないんですね。
つまりそこからもう一回自分の無知に気づくためには、自分が積み上げた理解っていうのが一通りチャラにしなきゃならない。
つまり精神的な満足感を一回壊さないといけないんですよね。
それは別に本書で語られているわけではないですが、我々が無知に陥りやすいのはその心理的な報酬の影響のせいではないかなというのをちょっと感じているところです。
絶対これは成功するって自分の中で確信が得られたから、もうそれ以上考えることをしなくなってしまうんですよね。
その確信が多分だから脳に報酬を与えてるんですよ。
だからこれは心の持ち方というよりは、そういう物質が出てしまうんではないかなと。
きっとというか間違いなくそういう物質は出てるんでしょうね。
だからわかるという快楽に溺れてしまって、わからない地点に引き返せなくなってしまう現象というか。
心理的報酬と判断の誤り
だからプロフェッショナルの場合はより顕著に、さっき言った経済的な問題が出るから今ここで取り上げられてますけど、
個人における判断でも多分同じことが起きてて、
僕らの計画とか予定とか目標とかに関していろいろな問題が出てくるのは、
おそらくそういう心理のメカニズムによるのではないかなと一つ思った次第ですね。
1年の抱負とかそういうのもなんとなくその辺にちょっとつながるような気がして。
と思います。
1年一生懸命考えて自分にとっての理想の1年を思い描き、
今年の抱負はこれにしようって、その場合はバイアスだと思うんですけど、
ものすごく反感的なバイアスがかかった状態でできると思い込んでしまって、
そこから一歩疑うのがすごく難しい。
難しいですね。
目標を立てる時も、例えば新年の目標を立てましょうっていう文章を読んだ後と、
なんかすげーネガティブなニュース記事を見た後では、その目標の強度は多分違ってくると思うんですね。
これがノイズなんですね。
さらに日本人は正月はいい気分になってますからね。
本章でも語られてますけど、バイアスかノイズかがわかりにくい事例はあるんですね、当然。
判断しにくい事例はあるんですけど、やっぱりその状況、環境によって考えが変わってしまうっていうことがありまして、
例えば1年の目標を立てようっていう話の場合って、実際1年の目標ってリアルにシミュレーションしようと思ったらめちゃめちゃ難しいじゃないですか。
無理ですよね。どう考えたって無理ですよね。
なので僕たちはもっと単純に、こうしたいだけでこのようなことが可能であるっていうことを全て捨てて、こうしたいということだけで目標を立てますよね。
これが判断におけるショートカットしてしまうトラップというか。
因果論的思考と統計的思考の違い
たぶん1年の目標について考えたら、少なくとも3ヶ月ぐらいは経たないと無理だと思うんですよ。
その年の3ヶ月過ぎたぐらいで、ようやく今年について何か言えるぞっていうくらいなんですけど、僕らはもっともっと早めに判断を下して、
もうその判断が新しいものとして過ごしてしまうっていう、これはプロフェッショナルも関係してますけど、個人の人生にも関係してて、
それがフィードバックがないんですね。比べるものもない。大抵の場合。
それぞれ1年の目標を共有して、それの進着を1ヶ月ごとに報告し合いましょうっていう回はないじゃないですか、基本的には。
普通やないですよね。普通かどうかは分からないけど、俺の周りには聞いたことないですね。
だから目標を立てるっていう、その目標立て方のプロセスそのものがフィードバックかかってないんですね。
だから僕たちは毎回同じことをしてしまうんですよ。
結局独立な判断。組織じゃなくて1人で行う人間の中でもいろんな多数の判断があって、
それは結構バイアスもありますけど、ノイズの影響もあって。
ノイズってさっき言った機械ノイズの場合の場合って、その判断を起こした日の体調とか、直前に見た情報とかでブレてしまうんですよね。
だからある日、たまたまそれやったからそういう目標になったっていうことを僕たちは案外軽視してしまっているなというところが、この判断に関する難しさなんですけど。
もう1個、本書ではさっき言ったプロフェッショナルがテーマになってるんですけど、ここは結構大きな問題提起されてて、
集合値っていう、ギャザーナレジかな?わからないですけど、集める値ですよね。
集合値っていうものはいいよねっていうことは結構検討されてまして、
例でいうと肉の重さを当てるゲームって多数人間を集めて、その平均とったら結構いい線いくっていうような実験というか研究結果を発表されてるんですけど、
一方で、組織の中で例えば会議でもいいんですけど、人集まって何か決めるって案外うまくいかないというか、結構うまくいかないことがあって、
この2つの違いって何だろうかっていう話なんですけど、独立してるかしてないかなんですよね。
小個人の意見が他人に惑わされずに独立してるかどうか。
例えば会議で順番に喋っていくときに、AとBについてどう思いますか?みたいな、賛成で賛対ですっていうような意見があって、
1人目の人がかなり力強くAっていいですよねって言ったら、2人目の人はどうしてもそれに引きずられてしまう傾向があるらしく。
仮に2番目の人がその意見に引きずられたとしますよね。Aっていいですよねってつい言っちゃったとすると。
そもそも3人目の人はもう2人が言っちゃってるんで、そうですよねって言わざるを得なくなって、
個々の人、2人目の以降の人って判断してないんですけど、終わってみたらものすごい強い意見が形成されているということがあって。
この偏りを平均したところで、総裁されないですよね。だって偏ってるから。
全員があれですよね、例えば紙に書いて一斉のお出でドーンって見せれば全然違う結果になったかもしれないのに、1人目がAがいいって言っちゃったから。
聞いた人間はそこに引きずられる。だから判断が独立しないと。
さっきゴリコさんが言われたように、判断を独立させたら結構集合値に近いものになると。
だから会議のプロセスそのものも、実はプロフェッショナルが10人集まって判断しているように見えて、一番最初に言った人の意見がただ強調されているだけっていうことが起こりやすい。
これも結局、多分個人についても言えると思うんですよね。
というのもさっき言ったテンションが高い日に立てた目標っていうのを、僕たちは次の日以降も引きずるじゃないですか。
で、しんどくなるんですけど。結局、独立せないんですよね、判断が。
自分って本当はいろんな価値観があるはずじゃないですか。中に眠っている価値観っていうのが。
でも一番最初信念に立てた力強い光輝く目標に、その他のこの細かい自分が引きずられていくというか。
差異が消えていくようなところがあって、たぶんね、構図的には一緒だと思うんですよね、これ。
みんな最初の段階で、そうですね、そこに引っ張られてしまう。
でもそれはあれですよね、上手く使えば、抱負の話でいうと上手く使ってやったらいい方に持っていけるやつですよね。
もちろん、はい。だからオリンピック選手なんかはもう自分の実生活すべてをある一つの種目に捧げるわけじゃないですか。
そういう時には多分強力な方法なんですよね。
こういう一年発起というか、一回決めたことをそのまま諸子貫徹か、諸子貫徹的なものって、そういう時にはいいんですけど、逆にナチュラルに生きている人にとってはちょっと強すぎる制約になってしまうという気はします。
生き方に苦しみは生みそうですよね。
本書で専門家と呼ばれている者も自信満々に喋ってるけど、そんな大したことないよねっていう話はあるんですが、それは一つ置いておきまして。
ここまでの話でよく判断という言葉が出てきましたけども、判断を支える思考、考えるというプロセスが2種類出てくるんですね、本書で紹介されてる。
一つが因果論的思考って呼ばれてて、いわゆるストーリーテリングってことですね。こうなったのはこれだからこうだっていう、人間のベーシックな思考法だと思います、これは。
ありとあらゆるものに因果を見ると。因果を見るからこそ多分科学は発展してきたんですけども、その因果って正しいかどうかは別なんですよね。
その時点で自分が持ってる情報で追妻があえばそれが正しいっていう風に感じてしまうと。
手持ちの情報が少ない時でも人間は追妻をひねり出すのがすごく上手いんですよね。
例えば星座とかもそうじゃないですか、星の星座に形を見るって、あれもだいぶこじつけですよ。
あれは相当暇だったんだろうなって思いますよね。
でも結局人間って意味のないものに意味を見出す力を持ってるってことですから逆に言うと。
それは現実の世界の出来事でもそうなんで。
大抵それって因果、例えば前からライオンがやってくる、おそらくこのまま行ったら僕は壊れるから逃げるみたいなストーリー思考は単純な世界では非常に有効なんですけども、複雑な世界ではちょっと成り立たないところがあると。
で、因果論的思考に対比する形で出てくるのが統計的思考と呼ばれるもので、これが非常に重要で、たぶん本書の一番のキーワードになるかなと思うんですけど。
簡単に言うと、ストーリーではなくて、例えば事例、多数の事例で考えるってことかな。
例えば、ある企業の中にいて新規事業を立ち上げようとすると、それがどのくらい成功するかを計算しなさい、確率を出してくださいと上司からレポートを提出を要求されたとすると。
で、その時にストーリー思考の場合は、その事業はこういう魅力があって、今現在市場こうなってるから、これはうまくいくだろうと考えるパターン。これが因果論的思考なんですけど。
統計的思考は例えば、自分たちと同種の企業が同じような新しい事業を展開したときに、どのくらいの割合で失敗してるかっていう事例を集めるところが始めるんですね。
で、おそらく3割ぐらいは成功してるから、おそらくその3割という基準をベースに自分たちの企業の特性とかを加えて数字を調整していく。
3割に対して35%にするとか、逆に言うと28%に下げるとかっていう調整をすると。
で、因果論的思考はそこの土台を考えないんですね。平均したら大体3割ぐらいっていうのを考えなずに、こんなに魅力的な事業アイディアなのだから、おそらく9割ぐらいは成功するだろうって考えるのが因果論的思考なんですよね。
で、さっき言ったようにこっちがどちらかというと人間としてはナチュラルなんで、その思考がおそらくノイズとかバイアスを生みやすいので、できるだけ統計的思考にしましょうと。
似たような事例を集めて、そこに起きていることを見て、自分自身が置かれている状況に適合しましょうと言われている考え方で、これが一番必要度が高い考え方ではないかなと思います。
簡単にストーリーを作って、適当な話をデッチ上げて、確率を思いつきで数字を言ってしまうのを、他の数字を参考にして比べてみましょうっていうやつですよね。
統計的思考と自己啓発
そうですね、非常にシンプルな、要するにまさに統計学的な考え方をしましょうということ。日本でも統計学は最強の学問であるっていうような本が多分昔出てましたけども。
流行ってましたね、当時。
でもこの考え方は、初等教育ではたぶん習わないと思うんですよ、おそらく。
あと大人になってもみんなやってないから、教えられないですよね。
もちろんストーリー思考で言うと、非常に、その思考って満足感が高いんですね。ストーリー思考って因果が繋がったような感覚があって、非常に満足感が高いんですけど、やっぱりブレが大きいし、さっき言った判断の偏りがかなり強いんで。
物事を、事象を捉えるときに、もう一つの選択肢として統計的思考っていうのを身につけておこうという提案。
それは企業の中で、例えばさっき言ったノイズによるマイナスを減らすっていう実務的なこともありますし、自分の人生をどう捉えるのかっていうことも関係してまして。
因果論的思考で言うと、自分の人生は一つしかないわけですから、大体ヒーローになるか悲劇のヒロインになるかっていうことが多いんですね、絶対的に。つまり自分の人生を特殊に預かってしまうっていう。
でも、似たような状況に置かれてる人の事例を集めてみたら、案外そうでもないっていう思考の転換がありまして。こういうのは個人の生き方の中でも結構有効ではないかと。
自分だけが不幸だと思って物語は簡単に作れてしまうけど。
そういうことです、そういうことです。
統計を見てみると意外とそうでもない。
もちろん実際に統計的データを取らなくても、身近な人とか周りの人に話を聞いてみたら、そこまでではないなみたいなことがわかるし、それがわかることである種の重荷から解放されるという点はあるんで。
これ結構ある種、自己啓発の下毒剤的な意味合いもありそうな気がします。
なんかね、それで思い出したのが、確か昔、大学時代の友達に会った時に、友達が割と早く結婚してたんですけど、早々に離婚をしていて、なんか大きな事情でもあったのかみたいな感じのことを聞いたんですけど。
いや、確率から言ったらそんなもんだみたいなことを言っていて。
割り切ってますね。
大体3人に1人が今の時代でいうと離婚をしていて、共通の知人の名前を挙げられて、共通の知人10人ぐらい挙げて、3人ぐらい確かに離婚しているその経歴があって。
だから確率から言ったらめっちゃ妥当で、何も珍しいことでもなんでもなく、言ってみれば多分、俺が悪いとか相手が悪いとかそういうものでもないみたいなニュアンスを含んでたと思うんですけど。
精神的に健全ですよね、そう考えた方がきっと。
一つの事例として、確かにそれは、離婚をしてしまうと不幸だと考えてしまうとやっぱりよろしくないので。
日本の離婚率は30%あるんだから、30%なら当たるよなって言えばちょっと納得できるような気もするし。
そうですね、そうでないと人口の30%が不幸やって話になってしまいますからね。それはあまりにも極端な。
逆に言うと人口の30%が不幸やって考えたら、もうなんかその不幸って呼んでるものもなんか相対化されそうな気がしますけど。
相対的に不幸でもないですよね。
だからやっぱりそういう物事の、人は常にストーリー思考になってしまうが故に、下毒剤として統計的思考を持っておくっていう。
ワクチンではないけども、対抗剤として持っておくっていうのは、本書を読んでてもやっぱり有効やなとは感じました。
この辺だいぶノイズについて喋ってきたんですけど、一番重要なところはそのノイズをいかに減らすかですね。
ノイズっていうのがあるにして、ノイズっていうのをいかに減らすかって。
本書の主要な中心の主張は、人間が判断するなっていうことなんですよね。
ただ、人はそれを受け入れられないって言ってましたよね。
一応ベースで言うと、人間の判断があるところには必ずノイズがあると。
だからそのノイズがもし許容できないのであれば、もう人間に判断さすべきではないと。
人間が判断しないってのはどういうことかっていうと、すごくシンプルなルールを用いて判断すると。
こういうことを言うと、チェックリストをチェックして答えを出すような単純なことは人間の知性を貶めることだ、みたいな話は絶対出てくるんですね。
人間って様々な物事に配慮して適切な判断を下せるから人間ってすごいんだよねっていう話なんですけど、
様々な対象をどのように選び、それをどう重みつけするかっていうのが人間の知性の働きとして生まれてきて、
その知性は揺れてしまうので。
だからその人間の判断の豊かさが結局ノイズを生むと。
豊かさっていうのはつまり判断の幅でもあるわけで、その幅があるをかけてノイズが生まれると。
だからその豊かな判断をせずにルールをシンプルにすればするほどノイズっていうのは減っていくし、その究極形がアルゴリズムやと。
アルゴリズムってコンピューターを使った判断には大きく2つありまして、
事前に定められたアルゴリズムに沿って判断するようにするか、
ないしは機械学習によってその判断プロセスそのものを向上させていくか。
それぞれに問題とメリットがありますけど、それは本書で論じられてるんで別にここでは触れませんけども。
先ほど小林さんが言われたように、最適解がアルゴリズムだとしても、僕らはそんなに簡単には受け入れないと。
特に判断を下す、プロフェッショナルの組織の中で判断を下すような人たち。
いわゆるマネジメント層は、おそらくはそんな簡単には引き受けないだろうと。
結局彼らの仕事の、彼らの存在意義っていうのが人間的判断を下すことだからなんですね、基本的には。
でもあれですね、それを思うと最近よく言われているブルシッドジョブというものは全部それで。
そうですね。
その人たちをなくせば、世の中は大きくスリムにできるのかもしれない。
ブルシッドジョブとAIの導入
ただでも、そういう人たちの幸福はどうする問題は残りますよ。
そこはまた違う種類の悩みで。
最近、ヒューマンカインドとレイゾクへの道を読んでから、ベーシックインカムのこととかをよく考えていたりしていて。
そういうところにもつなげられるというか、すごく批判を生じの上で言えば、そういう人たちが全く仕事してもしなくても一緒なのに、しているというのが間違っているのではないかという。
でも例えば、ベーシックインカムで最低限の生活ができるとするじゃないですか。
はい。
でもそれは果たして幸福なんだろうかという問題が僕はありまして。
今の価値観をまるっと大きく変え切らないとダメですよね。
そうですね。そうですよね。やっぱり人間が社会にコミットしている、他社に向けて仕事なりをしている感覚によって得られる幸福感というのは間違いなくあって。
1年間生活できるお金をあげるから、あなたは仕事しなくても、いやむしろ仕事すべきではないですよって言われた時に、多分尊厳というのは既存される気がするんですよね。
でも今の自分だったら、もうずっと本を書くわってなるんですよね。お金を稼ぐことを考えずに。
それはもうちゃんとあるからですよね。
でも40年かけて見つかりつつあるぐらいのレベルなので、20年前にそれができたかって言ったら無理ですね。
しかも今、プロフェッショナルの組織の中にいて、普段そういう仕事をして立場を築いている人は急に別のことってなかなか難しいんで。
移行するにしても時間は必要でしょうね。そういう価値観の移行とともに、その人たちの生活が動いていくような移行期間があって初めてそこに行けると思います。
だからAIが人類社会に馴染むのも、逆に言うと時間があれば何とかなるっていうふうにも言えるかもしれないです。
なんか愛の遺伝子なんかだと確か割とAIの判断を信じるのが当たり前ぐらいな世界観で確か書かれてましたよね、漫画のやつ。
日本のSF作品って結構多くて、サイコパスっていうのも渋谷システムのほうがあって、あれは単純なAIじゃないんですけど。
でもあの社会では、わりかし機械が判断することを受け入れると。あと、名前忘れましたけど、似たようなやつは多いですね。
あれなんですかね。日本は傾向として、お神の言うことなら受け入れられるみたいなのはあるんですかね。
おそらくそういうことだと思います。だから、欧米特にアメリカは個人の自由意志っていうのをめちゃくちゃ尊重していますから、より受け入れがたいでしょうね、きっと。
この本を読んでいると、著者3人は言ってないんだけど、もう判断なんてAIにした方がいいよって思っているんじゃないかと思ったんですよね、全員が全員。
ただ、そこの主張で覆われるんじゃなくて、人間が判断するときにここを気をつけたらいいよっていうところをちゃんと提示してくれてるところが本書の優しさかなと思います。
そうですね。そんな言われたってできんわっていうやつをちゃんと、じゃあこうしようっていう提案があるってやつですね。
そうですね。いろいろな提案があって、それはちょっと組織レベルで導入するものなので、個人としては簡単ではないんですけど、尺度を決めるっていう話がありまして、
例えば、Amazonのレビューの使えなさって、星5が何を意味するのかが人によって違うじゃないですか。
当たり前だけどそうですよね。
星5がちょっといい本より上の人もいれば、人生に一冊の本だっていう人もいるわけだよね、5っていうのが。
なので、例えば段階的な評価、レベル付けするにしても、その5が何を意味するのか。
さっき言ったように、この本は是非とも他人に勧めたい本である5っていうふうにして、4はお金出してもう1回買ってもいいよ、4とか何でもいいんですけど、
具体的な尺度とセットで段階的評価をすれば、さっき言った個々人における評価のブレっていうのはだいぶ吸収されると、
ゼロにはならないけどノイズっていうのはかなり減るみたいな話があります。
その辺は具体的に本書を読んでいただければいいんですが。
予測が上手い人の思考プロセス
面白かったのは、予測が上手い人っていうのがいるらしいですね。
人間っていうのは、この予測的判断があって、特に非常な客観的に無知に晒されているので、
大概ろくでもない予測をするんですけど、ごく稀に非常に高い予測をすると。
しかもその人たちは予測のプロフェッショナル、そういう研究機関で働いている人とかではなくて、ごく普通の姿勢の人でも予測が上手い人がいると。
そういう人たちがどんな思考プロセスかっていうのを軽く触れられてるんですけど、
名前としては3つキーワードを拾ったんですけど、「弁償法的事情努力」っていうのがありまして、
弁償法って、おりこさんご存知ですかね。
最近だいたいまあまあ理解はできました。
ヘイゲルのやつで、2つの矛盾したことを組み合わせていく上の世界が開かれるみたいな。
そういうことです。だから、自分はAだとまず思ったら、Aを否定するものを自ら探しに行くと。
で、その2つがもし見つかったら、じゃあAとAじゃないが、もし同居するんであれば、
何か自分の見てる視点が足りてないんではないかと思って、
よりアウトライナーで言うと1つ上の階層に上るようなことをするっていうことを、
自分で努力していくっていう。
他人から示されるのを待つのではなくて、自分で積極的に自分の考えを否定しに行く努力。
否定する材料を探しに行く努力をするっていうことが弁償法的事情努力です。
それのパラフレーズなんですけど、積極的に開かれた思考態度っていうのがありまして、
示すものは一緒ですね。
自分の結論に、自分が出した、一番最初に出した結論に固執しないっていうことで。
僕が知る限り、著名な科学者の人はだいたいこれですね、こういう思ってありますね。
これができるから多分やっぱり著名なんですよね。
と思いますね。
反対意見とかを述べられた時に、無期になって否定するってことはまずなくて、
それ面白いですねって言って、自分の持っている考えとの接合点とかを探し始めるっていうことを、
すごくナチュラルにやられている方が多くて。
そういう人たちは、自分のノイズなりバイアスになるもの以外の情報を取り入れてから、
新しくまた考えを構築するんで、当然バイアスもノイズも減ってくると。
単に他の人の意見に迎合するわけではないんで、判断が独立してるんですよね。
自分の判断はここにあると、他の人の判断はまた別にあると。
組織の判断誤りと思考態度
その判断を踏まえた上で、新しいことが何か言えないかっていうのを常に模索していくっていう態度を持たれていると。
だから予測が上手いと。
そのような考え方を永遠のβ版と本書では呼んでて、
β版はコンピューター系に詳しい人なら馴染みの表現でしょうけど、
製品版の前っていうことですよね、β版っていうのは。
未完成なものっていう意味で。
自分の思考内緒やそこから出てきた結論、判断っていうのを完成品にしないってことですね。
常にβ版に置いていく。
つまり常に改善の余地があるものとして扱うと。
これはもうノイズとかバイアス関係ない話で、
まっとうな思考、まっとうかな、健全な思考、どう言ったらいいんかな、スマートではないんやけど、
良き思考、グッドな思考を維持するためには、この態度は多分欠かせないもので、
本書で一番赤い線を引きたいのはこの箇所でしたね。
日本人はこういうのが嫌いな印象があって、一度言った意見を曲げるなみたいな。
そこは気をつけないといけないやつですよね。
結局よく言われる第二次世界大戦の日本軍の敗退の原因ってなったもので、
それですよね。
楽観的な予測に固執して、現実的な結果のフィードバックを得られなかったっていう。
それが歴史的にどこまで遡れるのかはわかりませんが、失敗の本質とかいう本もありますけども。
こういう感性に至らない状態で常にバージョンアップしていくっていう心掛けというか、
チェックリストの重要性
思考態度を持つっていうことが、ノイズだけじゃなくてバイオスを減らすことにも多分役立ちますし、
科学的な態度って常にそういうことですし、科学者ってそういうもんですからね、基本的には。
だから、どうしたら学べるのかっていうものは難しいですけど、
本書の中でも、そういうことで重要だねって書かれてて、うんうんそうだねと納得した次第です。
本書の解決策、システム的に解決する方法は書かれてるんで、
組織の中のバイアスを減らしたいと思われるのであれば、その方法論を導入されるといいと思います。
個人で適用する場合は、先ほど言った永遠のβ版っていう考え方をどうにかして脳内にインストールできたら、
多分何かしらの形で役立つんじゃないかなと思います。
あともう一個個人的に書いてあって、すげえ良かったなと思ったのが、
新生児が生まれたときに異常がないかどうかチェックする、チェックの評価方法っていうのが、
明確な基準が5個ぐらいあって、それぞれに1点から5点の点数をつけて、
何点より高かったらちょっとおかしいかもしれないから調べないといけない。
そうじゃないんだったら、新生児の個性のばらつきだと判断してOKだと決める。
そういうチェックシートを個人レベルで作るのはちょっと難しいとは思うんですけど、
チームなんかではそういうものもかなり価値はあるんじゃないのかなっていうのを思いました。
それはあると思います。だから標準状態、自然状態の人間の判断とか評価っていうのはすごく幅が広すぎるんで、
チェックリストを使うことである短さに限定して、それがノイズを減らす原動力になってくれるというか、
枠組みになってくれるという働き方で、さすがにやっぱり先ほど言われたように個人の個々のいちいち判断で
そんなチェックリストを作ってはいられませんが、逆に少し敷衍して捉えたら、いかに判断の幅を少し狭められるか。
無限の思考ではなくて、自分が例えばある仕事をやるかやらないかを決めるときに参考にしたいチェックリストを作っておくとか、
日々の生活よりはちょっと中長期的な決断が迫られるときに役立てるようなチェックリストを自分で作っておくということはできるかもしれないですね。
因果論的思考と統計的思考
そうですね。それに言うと、倉下さんも確か最近話していたし、俺も最近ニュースレターとかに書いたりしていたんですが、
1年のテーマみたいなやつ、そういうのは判断基準のブレを、あれはどっちかというとバイアス、ノイズでもあるか。
そうですよね。判断の基準として一つ、自分で中心を作るというイメージなのかな、判断するために。
そうですね。
っていうのもブレを減らせそうですよね。
それがないとやっぱりブレますよ、特に。難しい問題ほどブレますね、当たり前ですけど。
あと苦労が減るんじゃないか、意思力の消耗が減るんじゃないかっていう気もするんですよね、そういうのを作っておいたら。
測定はできないですけども、そうですね。だから悩むのにかかる時間は、そう時間は絶対減るでしょうね。軸があるので、その軸に沿って決めるだけなんで。
やっぱりその判断の難しいところは、どこをまず重視するのかを決めるところから始まるんで。
だから要素が10個あったとしても、10個のうちどれをセンターに置くのかっていうことからまず考えなければならないので。
最初にもうセンターが決まってるから、フレームがあるわけで、そこで判断の枠組みが狭まるっていうことはあるでしょうね。
だから必ずしもチェックリストに必要なくて、さっき言った判断を補助するものを持っておくってことですね、だから。
会社で言うと社務、社税みたいなやつは割ときっと、原理的にはそういう目的があったはずなんですよね。
ただ多分あれはまだ広いんですよね、判断の幅が。
中小度が高すぎる気がする。
もうちょっと狭めると日々の判断に役立つってところだと思いますけど。
そうやって考えると、あれですね、やっぱ一冊の本でチームっぽかったけど個人にも活かせそうなことはいっぱいありそうですね。
僕はもうはなから個人で役立つことはないかなって思いながら読んでて。
さっき言った因果的論思考と統計的思考っていうのと、永遠のベータ版っていうのが身につけられますし、身につけたいものでもありますね。
そうですね、そこは結構マインドセット的なもので、1日2日で身につくものではないですからね。
これ難しいのは因果論的思考法っていうのはどういう点かな、外部がないんですよね、外がない。
統計的思考っていうのはさっき言ったように複数の事例を集めるということなんで、因果論的思考にハマっているほど因果論的思考から抜けられないんですよね。
難しいけどそうですね。
今自分が因果論的思考にハマっているなって気づけたらもうそのちょっともう統計的思考に動いてるわけですよ。
そうなったらあとはもう一歩なんですけど、でも普通自分がストーリーを考えてるってまず認識しないんですね。
だから最初はメタ、自分がどんなふうに考えてるのかを把握するところが多分スタートになるんでしょう、きっと。
そこはあれですね、そうするとやっぱシステム1、システム2の話にもう一回戻ってくるような感じですね。
システム1がストーリー思考ですね、どう考えても。
なのでそこを理性の方で判断できるようにしようっていう感じなのかな。
そうですね、だからその理性の出し方っていうのが要するに統計的に考えることが一つパターンとしてあるよっていうことが、より解像度が高くわかるという感じじゃないですかね。
なかなか難しい本だったのですが。
この本は結構組織向けに書かれてるっていう点もありますけど、でもまあさすがに面白くは読めましたけどね、文章としては。
難しいけどわかりやすい、それは変な感想なんだけど、違う、わかりやすいけど難しいかな、自分の感想でいうと。
確かね、カーネマンのファスト&スローも人によって結構評価が分かれまして、僕はかなり面白かったんですけど、ちょっと難しかったですっていう声も聞きましたんで、これ多分カーネマンが書いてるんでしょうね、ほぼほぼ。
難しいという言葉の定義がないから、それもまた人によって大きく意見が分かれるんだろうなっていう。
すっとわかって、明日から使えるっていうタイプの簡単さはないっていうのはありますけど。
はないですね、そうですね。
でも物事を判断したり、人間が判断するというのはどういうことが行われてるのかっていう理解と、それを補助する、AIを使う、アルゴリズムを使わずに補助するためにはどんなものが用いられるのかっていう一つのツールと考え方を導入できる本ではあるんで、中長期的に効いてくるタイプの本ですね、この本は。
そうですね、そしてブックカタリスト的にはきっとそういう本を読んだ方が良いことが多いのではないかっていうのはありますからね。
そうですね、せっかく本会で取り上げるんであれば、それぐらいの難易度の方が好ましいでしょうね、きっと。
やっぱり今日から使えるやつは3日後ぐらいに使えなくなっちゃいますからね。
そういうのはもうYouTubeでたくさん動画が上がってるんで、別にわざわざ我々がやる必要はないだろうなと思いますけど。
はい、そんな感じですかね。
はい。
ということで、感想や質問などがあれば、ハッシュタグカタカナでブックカタリストをつけてTwitterでつぶやいていただけると、ゴリゴとクラシタが確認して紹介したいと思います。
この収録の後には本編で語られなかったアフタートークも収録していますので、気になる方はサポータープランのご加入などをご検討いただければ幸いです。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
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