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BC140『世界自炊紀行』と『理系の料理』
2026-06-02 1:12:50

BC140『世界自炊紀行』と『理系の料理』

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面白かった本について語るPodcast、ブックカタリスト。

今回は倉下さん二冊テーマシリーズに乗っかって、ごりゅごも(無理矢理)2冊テーマ。世界自炊紀行と『理系の料理』の二冊を取り上げます。

前半は、理系の料理の著者として、当時から自分がどんな風に変化してきたのか、といった話をサラッと。

そして、そこからは世界自炊紀行を通じて感じた「規範に縛られない自炊」についていろいろ考えた、という感じでした。

少なくとも現代でも「生きる」ために生物は食べないといけないし、今のところまだ生成AIはごはんをつくることはできない。

そういった観点から見てもやはり「食べる」テーマは強いし、誰にでも刺さるコンテンツだよな、ということも感じます。

今回紹介した書籍のリンクはこちらから →📖ブックカタリストで紹介した本



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感想

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サマリー

今回のブックカタリストでは、「世界自炊紀行」と「理系の料理」という二冊の本をテーマに、自炊や食文化について深く掘り下げています。まず、生成AIの進化と、それによって言語能力の重要性が増す一方で、自己責任論が強化される可能性について触れています。続いて、著者の倉下さんが自身の料理経験を語り、「理系の料理」執筆当時の料理下手から、10年間の自炊経験を経て平均的なスキルに至った過程を振り返ります。その後、「世界自炊紀行」の内容を中心に、著者の山口優香さんが世界各地の家庭を訪ねて感じた「規範に縛られない自炊」のあり方について考察します。日本とは異なり、外食が一般的であったり、調理の手間をかけずに「生きるため」に食べるという価値観を持つ国々の事例を紹介し、食に対する多様な考え方や、日本における「料理の規範」の特殊性について議論を深めています。特に、栄養バランスや美味しさへのこだわりが、日本においては過剰になっている可能性や、食文化の資本主義的な側面についても言及し、自炊を「楽しむ」ことの重要性を説いています。

生成AIと言語能力、そして自己責任論
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。 まず今回いただいたコメント、お便りなど紹介しようと思います。お願いします。
アンフィールドロードさん。 欲求がないと作れない。いい感じのページが欲しいじゃ作れないわ。
本当そう。暇つぶしにAIに何か良いアプリのアイディアを出してもらっても、実装しようとすると、うちなるコースタルがないから、AIの推奨通りしか選択しない。そして途中で作るのをやめちゃう。
まあありがちな話ですよね、これ。 確かアフタートークで話したことだったような気がするんだけど、
AIで何か作るっていうのが、結局難しい。 結局難しいという言い方でいいんかな。
例えば2つありまして、1つがまず自分が作りたいもののイメージ、想像みたいなものを持っていることと、それを適切に表せる言語化能力。
5位と言ってもいいですけど、がないとうまくいかない。この2つが多分あって。
まずこのコースタルがないけど、生成AIがあるから何か作ろうは、すぐ挫折する。飽きますよね基本的には。
結局見抜かれるというか、それいらんやんっていうことに気づかされる。
例えばゲームを作ろうと思って、テトリスっぽいものを作ってもらって作れるんですけど、それもテトリスじゃんっていうことになるのも。
すごさはわかるけど。
作れるのはすごいのはわかるけど、でっていうこと以上にいけない。
ゲームの話しましたけど、音楽でもイラストでも同じ話で、
当人の作りたいものとそれを表す5位の高さがあって、初めて生成AIが生きるっていうことがありまして。
これはだから文章でも記事でも言えることで、いくらでもたくさん文章を書きますけど、
当人がこう言いたいっていうものがないと、その成果物のクオリティというか、その辺にあるよねっていうものになりがちというところがあるんで。
やっぱりその生成AI語の世界こそ、その人の実存的な欲望とボキャムラリーを育てていくのが大切という話になりますね。
そうですね。厄介なのが、今まで以上に言語の能力というものが非常に重要になってしまって、
そこまでは例えばその人間関係だったり、非言語の能力でも生き残れる場所がたくさんあったのに、
おそらく今後どんどんそこが減っていってしまうであろうっていう。
でも逆に言うと、やっぱり言語トレーニングをできるアイディアを手に入れたというふうに、僕はちょっと好意的に思ってるんですけど。
言語的壁打ちって対人やと難しいんですよね。
それはそうですね。
こう言ったら相手こう理解するんやけどっていうパターンを何回も試せるのは生成AIのいいところなので、
これもその人がそういうふうに使ってこそというところはありますけども、
言語的能力を高めやすい環境にもなっているかなという気はします。
そうですね。マッチョなんだけど、自分でどうにかできる要素はさらに増えている。
でも一歩間違えるとますます自己責任論がさらに強化されてしまうということもあり得る。
そうですね。テクノロジーの発展は個人をエンハンスする方向に向かい、
それは裏返しの自己責任論に結びつくというところはありますから、そこは注意は必要でしょうね。
やっぱね、まだ振り返ってみると所詮3年4年というレベルの出来事で。
黎明期のまだ零のぐらいのタイミングですからね。
なのにここまで進歩してしまいましたからね。
かつ一瞬、なんかあの俺覚えてるのがなんだっけ、
やっとGoogleの次の革命的な出来事が起こったとかって、
今からでもそのビッグテック打ち負かし得るんやと思ったけど、ほとんどは今ビッグテックだったっていう。
だからアンソロピックだけですよね。
オープンAIも一応ビッグテックスタートではないからね。
まあ資金は大量に入ってますけど、確かアンソロピックこの前黒字化したということで、
非常にビジネスとしても成功しているんですけど、
なんかニュースでマイクロソフトが、マイクロソフトやったな、
コードを使うのを、従業員に使うのをやめさせたということで、
料金代がバカにならんということらしいですわ。
そのAPIの使用量が上がっていくにつれて、いわゆる生産性が高まるんで、
作業量が濃密になると非常にトークンが消費されるので、
人件費、今までは人件費より安かったけど、
最近人件費よりAPI処理が高くなってるからどうにかしようという動きも、
もうこのタイミングですでに出てきてるみたいですね。
実際今現在の、多分あの量をあの値段でやれるは、
結構もうおかしいよねっていうレベルにはなっていると感じるので、
あっという間に水月期間が終わってしまう可能性がありますね。
やっぱその金がないとAIすら使えんっていう。
悲しい資本主義というね。
今しかなのでのし上がれるタイミングはないけど、
そういう風に野心を持って考えれば。
確かに。
「理系の料理」と著者の料理遍歴
ということで、今回は第140回。
久しぶりというか初めてかもしれない料理テーマの話をしようと思いまして。
はい、料理テーマ。
世界自炊機構と理系の料理について語りたいと思います。
はい、お願いします。
そもそもっていうか、一応大事なことなので言っておくと、
私も何冊かいわゆる商業出版の書籍を書いたことがあり、
さらに言えば、理系の料理という辞書を
世界で一番料理が下手な人が書いた料理の本なのではないかと思っているという
特殊なポジションの本を書いていて、
実際自分自身の話をして別にスキルがあるとか、
上手に料理が作れるとか、
創造性ある料理が作れるとかっていうような要素は、
はっきり言って限りなくゼロに等しいと自分では思っているんですけども。
一応これで約10年、
奥さんと半々で交代しているので、
ほぼほぼ2分の1なんですけど、
10年間2回の夕食を、
多分実質休むことなく作り続けている。
結婚してから始まったってことかな?
そうですね。そこは理系の料理にも書いてあるんですけど、
料理のスキルが平均的な男性よりも相当低かったところから始めて、
今だったら平均程度の知識とかスキルとかならあるんじゃないかなと思うようになっていて、
別によしよしはどうでもいいんですけど、
おそらく今でもほぼ毎日料理を作っている男性とか日本だとおそらく少ないと考えれば、
僕はそっちやな。
性別限定で言えばトップ10%くらいになるのかもしれない。
なるほど。
というぐらいの前提ステータスであると。
さらに自分語りが続く感じになるんですが、
最初はめっちゃ面白かったんですよ。
料理スキルがレベル1の時ってことね。
できなかったことができるようになるとか、
あと同時に分かることもめちゃくちゃたくさんあって、
これは特性かもしれないけど、分かるという行為はすごく楽しいんですよね。
こういうことをするとこういう味になるのかとか、
逆に例えば外食に行った時にこれってどうやって作ったらいいのかみたいなこととか、
そんなことを考えたりもしていて、
最初の2,3年くらいはとても楽しかった記憶があります。
ただ、10年何かを続けるってやっぱりクソ難しいと思うので、
だんだん飽きてくるし、パターン化してくるし、
これ以上何か新しい料理に挑戦しようみたいな行為をすることも限りなくなくなってくるし、
作ることが嫌だとは言わんけど、あんま面白くないというか、
少なくとも刺激に満ちた好きな行為ではなくなった。
いわゆるルーティン化していくということですね。
そうですね。っていうような感じがあった中、
ちょうど今年の頭、もうちょっと前かなぐらいだったと思うんですけど、
ちょっとずつやる気が回復してきたというか、
きっかけは知り合いの家に行って飯を食わせてもらったとかで、
こういうたくさん作れるのいいなとか、
自分じゃない人の料理を食べたことでちょっと刺激を受けて、
そこから自分もこういうことできるようになりたいなとかちょっと思うようになったりして、
めちゃくちゃ頑張っているでもないし、
めちゃくちゃ嫌だっていうレベルでもないけど、
もう一回見直してみようぐらいのやる気が出てきている。
なるほど。
「世界自炊紀行」に見る規範に縛られない自炊
そういうタイミングで読んだのが、この世界自炊気候っていう本で、
この著者の山口優香さんという方も、いわゆる料理を仕事にしている方?
俺よりはきっとはるかに料理がうまいはずだと思います。
その出版社とかPR会社とかそういうところから独立をして、
初心者向けの自炊レッスンみたいなことを職業にしている方みたいで。
料理教室で教えてるみたいなイメージ?自分でやってるみたいな?
おそらく本を読んだ感想とプロフィールなどから推測するに、
割と実存的な料理の話とか、料理を作れることが目的とするというか、
料理を作るという行為を、自炊っていう言葉の方がおそらく近いのではないのか。
自炊を教えるという言い方なのか。
ニュアンスはわかる。
ハンバーグが作れるようになるじゃなくて、
冷蔵庫にあるものでご飯が作れるようになるみたいなことを
生き方として重視しているという印象?
極端単純に言うと生活力を上げるということですね。
そうですね。その過程で生きるとはどういうっていうか、
料理どうしたらいいんだろうとかっていう話だったり、
やっぱり教えてると一番言われるのが、
こんだて考えるのが大変とか、
いつも作る料理が同じものばっかりになってしまって、
まんねり化しているっていう悩みが、
日本の少なくとも著者が出会ってきた人たちの多くは、
そのようなことで悩んでいる。
なるほど。
おそらく、俺もものすごくわかる。
悩むというほどではないけど、
さっきも言ったように、
だいたい同じものしか作らなくなっているし、
新しいものを積極的に作ろうという気にはあんまりならないし、
大してバリエーションはないけど、
今日どうしようかなっていうことには意外と困ったり、
なるほど。
っていうようなことが多いんですけど、
著者は、それを世界と比較して客観的に見てみようみたいなのが、
この本でやっていることというのかな。
世界料理というよりは、
世界の家庭の自炊環境を比較してみようというような感じなのかな。
そうですね。実践方法としては、
何らかの手法で、その国の家庭のご飯を食べるところ、
作るところに一緒に紛れ込ませてもらって、
そこの家でご飯を作っているところを見せてもらって、
一緒にご飯を食べるっていうのを、
本に書いてあった話だと、
12カ国、38家庭を訪れ、
いくつかは削られていて、
12カ国のうちの24組のレポートみたいなのが載っているという感じ。
一応フィールドワークということだよね。
そうですね。カラーが表紙で16ページくらいあって、
本文550ページ超厚い。
クッソ分厚くて、
これは自分の正直な感想なんですけど、
冗長であるとは感じました。
それは仕方がないね。
これも自分の感想なんですけど、
そんなに筆力があるような感じはしなくて、
体験として非常に貴重だから面白いんだけど、
文章として夢中になって読むという、
そういう本ではなかった。
学術的な説明的な記述が多いからということではなくて。
おそらくそうではないですね。
めちゃくちゃ平易な日本語で書かれています。
まず一つは俺が予想するになんですけど、
いい子ちゃんすぎる書き方があるっていうの。
当たり前だけど取材相手のことを悪く言うみたいなことはないし、
その表現の柔らかくし方とかいうのかな。
あとは結局なんですけど、
俺の中で同カテゴリーである高野秀幸さんとかと比べると、
自分のダメなところをほとんど書かない。
書く場面がないではあると思うんですけどね、この本では。
でもいい子ちゃんであるという要素とか、
ちょっと長すぎるんじゃないっていう要素はありつつも、
これはやっぱりバリエーションがたくさんあることがおそらく大事でもあるし、
で、著者も明確に割り切っていて、
あくまでも自分が取材したという事例だけで、
これが普遍化できるものではないと。
っていう前提にして、
でも12ヶ国24組回ってみると、やっぱ傾向みたいなものはあるし、
そこから発見みたいなものはあるし、
それを読むと多くの人はかなり肩の力が抜けるというのかな。
すっきりした感じで追われるんじゃないのかなっていうのが最終的な結論。
【佐藤】ちなみにその学術的な興味というと、
回っている国の世界の分布というか、
比較的散らばっているのか、特定の地域、国、文化圏が多いのか。
【寺田】えーと、アフリカがないです。
【佐藤】まあだから日本人が比較的行きやすい国が多いということかな。
【寺田】とはいえざっと述べるんですけど、
台湾、韓国、ポルトガル、スペイン、フランス、トルコ、イタリア、メキシコ、ペルー、
もう一回アジアに帰ってきて、タイ、ベトナム、ラオス。
【佐藤】ということは東南アジアを含むアジアとヨーロッパと北米?南米?
【寺田】南米ですね。なので言ったらなんですけど、まずアラブ圏に行っていない。
旧ソ連地域行っていない。
メキシコは行ってるんで北米は行ってるけど、アフリカ地域が全然行っていない。
という意味で正直これもまた平等よりはちょっと遠い。
【佐藤】でもこれだけでも多様性があるということだよねきっと。
【寺田】そうですね。多様性がある。結論だけで言うとですね。
自分が思って感じたところで言うと、超極端なことを言えば日本以外結構似てて日本だけ違う。
【佐藤】日本だけ違うんや。
【寺田】そのぐらい言ってもいいんじゃないかなっていう印象だったかな。
あともう一個これもおそらくなんですけど注意しないといけないのが
こういう取材を受け入れてくれる人っていわゆる先進的な現代的な考えを取り入れているという方が多く
LGBTQなカップルとかビーガンに酔っているもしくは肉を極力食べないようにしているみたいな意識の人が多くて
そこももうちょっと割引いて考えないといけないというところはあるんじゃないかなっていう
【佐藤】日本に取材に行ったときに受け入れてくれている家庭があったとして
それが日本の平均とどれくらい距離があるのかはちょっとわからないということだよね
【寺田】そうですね。日本からランダムで2家庭って言って
そんなわけないだろって思うでしょっていう
絶対平均かなってできないことは目に見えてわかるじゃないですか
【佐藤】大阪と東北でも多分違うよねきっと
【寺田】俺たちはそのレベルの解像度が正直ないので
そこに行ってその人がいたのが大阪に相当するような場所なのか
東北に相当するような場所なのかとかもわかんないので
そういう感じで読むという前提にはなるんですけど
世界の食文化比較:台湾、韓国、ポルトガル、スペインなど
1個1個簡単に
もう1個あった
これもかなり余談に近いんですけど
12個レシピ載ってるんですよ
Amazonのレビューの話なんですけど
文字が多くて読みにくいとかね
レシピが少ないとかね
これは理系の料理でも同じことを言われました
それはもっと薄いんだけど
料理の本という用語を求められるものが全然違うっぽい
これは予想なんですけど
結局そういうこと言われて無理やりレシピ入れたんじゃね?っていうぐらい
自分は別に何もいらんと思うけどなっていうこの要素
自分で作ってみたい人がいたときにレシピが全くないのはさすがに不親切だろうみたいな
編集的判断があったかもしれないね
っていうところがやっぱり所詮日本の歪み的なものでもあるかもしれないし
そこも特殊性でもあるかもしれないしっていう感じなんですけど
まず最初に著者が言ったのが台湾
ここもまず大前提として超屋台文化
東南アジア全般で全部言えることなんですけど
基本的にさらに日本と違って台湾韓国両方ともそうなんですけど
共働きであることが日本よりもはるかに先に進んでいて
例えば台北とかでアパート借りようとしたら
いわゆるキッチンみたいなものは全然なくて
自分もあれですね
一回台湾に行ったときに何だったっけ
借りるやつ
部屋借りるやつ
名前出てこなくなっちゃう
使ってなさすぎてわからなくなっちゃう
普通の人の家借りるやつとかあったんですけど
いわゆるキッチンみたいなものって
実質的に存在していなかったりして
こういうとこも大事なことなんじゃないのかなと思うんですけど
台湾の価値観で言うと
まず家で飯なんて作らんことが普通なんですよね
外食が高いという考えすらも間違っているというか
概念としては正しくなくて
さらに仏教とか道教とかの影響もあって
ベジタリアンな人も結構多かったりして
逆に言うとだから自炊する人というのは
ある意味で好んでこだわりがあってやっている
みたいなタイプの人も多いっぽいし
台湾で言うとあえて自炊するという感じになるわけだ
買ったほうが安いように自炊するのは
作ることに喜びとか楽しみが見出せているとか
まずその段階でやはり
いかに俺たちの価値観が前提が硬すぎるかというのかな
一人暮らしで毎食コンビニで買ってますって言うと
なんかちょっと自堕落な感じで受けられるよね
でも本当にこれをコスパという言い方したらあれだけど
コスパタイプは考えたらコンビニのほうがだいたい安いと思うんですよね
コメしか食わんとか
そういうのだったらいいかもしれないけれども
一人暮らしで何ならコンビニのほうが何なら栄養とかも
ちゃんと考えられているかもしれんし
っていうような前提が全然違う国よりも
でもやっていたりするし
一個一個全部詳しくはいけないで
こういう感じで進もうと思うんですけど
韓国なんかもやっぱそういう特徴が割とあって
韓国も同じく共働き超当たり前の国家
でお父ちゃん母ちゃん家にいないことが普通だったりして
さらに言うと
外食した方が何ならやっぱ野菜がたくさん摂れるぐらい
副菜がいっぱいついているから
健康なら何なら外食の方がいいとも言えるぐらいの国で
自炊をしていたりする
でちょっと厳密に覚えてないんですけど
韓国とか台湾とか案外誰から料理習ったのって聞くと
父ちゃん母ちゃんじゃなくて
おばあちゃんがご飯作ってたから作ってるみたいな感じの話
共働きやからでしょうねきっとそれは
だったりそのルームシェアしてる人の片方だけ
料理得意だから
ルームシェアなんだけど私は料理作るけど
もう片方の人はただ食べるだけで
極端なことを言えば食べるだけの方も
別にひけ目も何も感じていない
というような生き様が当たり前だったりとか
そういうまずいろんなゆるさが結構ある
でその後に出てくるポルトガルとかに行くと
ここのやつなんかねすげー印象に
自分のすごい印象に残ってたんですけど
市場に行って魚買ってきて魚オーブンで焼いて
それ食っておしまいみたいなイメージで
そのなんか例えば台湾とか韓国はやっぱ
自炊しなくていいのにしているから
比較的傾向としてはなんか日本に近い
凝った料理なんですよ
イメージなんですけどね何品か料理があって
そのいろんな野菜がたくさんあって
みたいな感じなんだけど
このポルトガルの確かそこはゲイのカップル
とかだったと思うんですけど
その市場行って買い物してくるけど
魚焼くか肉焼くか
あとパンとワインでおしまいですみたいな
たしかギリシャもそんな話が聞いたことあるな
魚にオリーブオイルで焼いて食べるだけ
みたいなそういう聞いたことあるな
そんでねやっぱ美味しいっぽいんですよね
違う美味しいっぽいじゃないな
そこも出てくるんですけど
この後の人たちの特に面白いのが
極論その美味しいを求めていないみたいなやつ
極端に言えばカロリーが手に入ってたらいい的な
生きるために食って
違うな
過剰に美味しくなくてよくって
そういうことかはいはい
そのなんて言うんだろうな
なんかやっぱ食というものに対して
考えている感覚が多分全然違いすぎる
もちろん美味しくないのと美味しいのを比べたら
美味しいのがいいと思うけども
美味しさのためにそこまで手を尽くすような
欲望はないということだよね
そうそうそう
例えば美味しくするために
日々の生活が犠牲になるんだったら
そんなもん美味しくなくてええわ
ぐらいな考え方というのかな
例えば
そこってやっぱ日本の価値観ではやっぱ
ない気がするんですよね
そうですね
なんかそのやっぱ
イメージなんだけど
美味しくなくってごめんねみたいなのとか
もっと美味しいものを食べさせてあげたい
けれどみたいな
子供にコンビニのご飯を買ってくると
それは悪いことのように言われてしまう
みたいな価値観とかもあったりすると思うけど
そのどこもね
そのヨーロッパ全般はやっぱ
全然気合が入っていない感じがあって
ポルトガルで言うとやっぱ
ここはかなり
これは豆知識的な話ですが
日本の食の感覚とすごく合うものが多いみたいで
魚が豊富で
さらにヨーロッパの中では一番米を食べる国で
その
あらゆる料理にバカり合うっていう
その干しだらみたいなやつが
塩漬けの干しだらみたいなやつが登場する
みたいな特徴はあるんだけど
基本的に日本人好みの味付けのものが多かったり
あとこれは予想ですけど
江戸時代に唯一まともに合法してたのがポルトガルなので
そこから影響を与え合っていて近いとかもあるのかもしれない
とかっていう感じで
ポルトガルも
やっぱその
自分はね
それがまず最初に良いなと思ったのが
その豪快ですらない
雑なご飯の食べ方というのかな
日本基準で言うと雑な感じ
魚焼いて食ったらうめぇじゃん
しかも豪華なことに毎日そのベランダで食べてるらしくって
でも普通に考えてもそれは美味しいんだろうね
まあ日本人が食べてもきっとそれは美味しい
多分美味しいと思う
毎日それでいい極論
肉か魚買ってきてオーブンで焼いて
あとご飯を炊いてたかな
ちょっと忘れたけど
食べればそれでOKみたいな感じとか
スペインとかも
そういうニュアンスがあるし
ここは面白いのが
朝ごはん食べて
午前中におやつ食べて
昼ごはん食べて
午後におやつ食べて
夕食食べてみたいな
昼でもしているし
夕食とかは夜10時とかに食べていたりもするぐらいなんだけど
世界5位の長寿国ぐらいの
結局いろんな科学間違ってるんじゃね?っていう
三食定期に食えみたいな話があるよね
夜食べてはいけないっていう話もあるけども
そんなことは何もしなくていいし
これも小さなノウハウなんですけど
もう曜日ごとにメニュー決めといて
月曜日はこれを作る
火曜日はカレーを作る
水曜日はなんかみたいな感じを
ずっと回しているみたいな
それしかしていなくて
そのことについて何も本人たちは
いわゆる不安とか不満とか
めんどくさい
めんどくさいではないな
いわゆる罪悪感みたいなものは一切存在してないし
だってそれで楽だからいいじゃんみたいな
僕もそう思うけど
異国日記っていう漫画で
作家の女性が主人公やんけど
もう全く同じで
1週間のこんなデメリューが決まってて
あとそれ繰り返すだけっていうのが
ちょっと変な人
仕草として紹介されるけど
別に変じゃないよねと思うけどね
細かいことを言うと
特に日本の場合
式で取れるものが違うから
良くも悪くも厳密に同じものを作るのは
難しかったりはするんですよね
パターン化しておいて
夏はそうめん食べたいけど
冬にそうめんを食べたいかと言われると
大抵の人はそうは感じないだろうし
そういうもちろん気候の影響とか
そういう歴史的なもの
文化的なものみたいなことは
いっぱいあるだろうけれども
そういう感じで別に
食べる方法すらも気にしていないというか
食べ方すらも気にしてないし
結局その同じパターンを繰り返した方が
これは著者の予想なんですけど
そっちの方が料理おいしくできるよねっていう
毎回同じものを作っとるんやから
その料理はより洗練できるわけで
ということは
下手にいろんな料理に手を出しまくるより
ずっと同じの作っといた方が
おいしいという観点ですら
幸福なのかもしれない
確かに
日本だとあれですね
日本における料理の規範性と資本主義
よく言われるのがなんだっけ
一人暮らしの時にカレーを作って
1週間それを食べ続けるとか
鍋作って1週間それを食べ続けるとかっていうのが
何て言うんだろう
貧しい暮らしの象徴みたいな
言い方をするイメージがあるんですけど
おそらくそこもやっぱ
茶運違うというか
その感覚が
どっちかっていうと世界標準
世界の多数派に近いんではないのか
そういう食事の方が貧しいという考え方そのものが
貧しい
貧しいと感じる時点で貧しいのはほぼ間違いない
そのぐらいそういう
何て言うんだろうな
自由じゃないか
結局その3カ国4カ国ぐらいの
作っている人見ると
一個一個は別に
何て言うんだろうな
事例としてそこまで極端に珍しいとか
変わった影響を受けたっていう感じではないんですけど
ちょっとずつ長いなりに
こういう人もいるんだね
こういう人もいるんだねみたいな感覚は結構ある
あったかもな
読んでいて
フランスなんかも
美食の国としてやっぱ有名だと思うんですけど
結構フランスとかこれは
フランスだけ出てきた話フランスだけだったのかな
やっぱ日常とパーティーじゃないんだけど
そのハレと毛の概念がおそらく今の日本より強くあるような
ところも地域もたくさんあるイメージ
日本も元々っていうか
かつての江戸時代の農民社会とかだと思うんですけど
普段は一従一切
米と魚と汁があって十分でしょっていう
鯖じゃないな魚はないなとさらに言えば当時では
米と汁があって十分でしょ米じゃない飯と汁ですね
多分白米は食えてない
で祭りの時だけいろんなものがたくさん出てくる
とかっていう感覚がフランスも割となんかそういう要素が強いようなイメージで
ホームパーティーみたいなものを週末にやったりすると
なんかその豪華でいっぱい料理作ったりするんだけど
普段はマジで夜ご飯ワインとチーズとパンをかじっておしまいみたいな
朝はそれなんだったかな
そういうレベルの晩ご飯っていうのかな
マジで何にも作ってないんですよね
買ってきたパンと冷蔵庫に入っているのかなチーズと
食べてかじってちょっとワイン飲んで
そんで晩ご飯以上っていう
日本だと多分それはやっぱおそらくなんだけど
貧しい晩ご飯になりそうだなって気がするし
少なくとも手抜きだとは評されるでしょうねきっと
そういうようなこともごくごく
おそらくこれは書いてあったところからの推測ですけど
それは珍しい事例ではなさそう
そういうのがごくごく普通みたいな感じで
でトルコなんかでもやっぱそういうようなイメージが多くて
さらに多分フランスもトルコも共通しているのが
自分たちが食う料理と有名だから観光で観光客が食う料理みたいなやつは
かなり違うっぽい
何て言ったらいいかな
外食で納豆定食は今吉野屋とかであったりするけど
そういうのって普通食べんよねって
逆に家で寿司なんて食わんよねっていう
普段の食べ物で家で寿司作る人はいないわけじゃないと思うけど
みたいな感覚でやっぱ結構どこの国でも多分そうで
基本的にやっぱ観光美食の国と言われていたって
普段そんなものを日常的に食べているわけではない
っていうのがすごく当たり前っぽいし
外国人の目線だからそれはひょっとしたら気づけることなのかもしれなくて
例えばヨーロッパから日本に観光にやってきて
家でご飯食べるの見て
お前たち家で寿司は食わないのかって言われても
寿司は外で食うもんだよなっていう感覚みたいなのも
変な思い込みから解消されるような気もするというのかな
みたいなのもあるし
次のイタリアなんかは特にそうだし
これも世界で共通していることだと思うんですけど
自分たちが食べてきた料理が基本的に変わっていないっぽい
数百年レベルで
その地域地域の食事がずっと続いてる
特にイタリアとか多分ドイツもそうだと思うんですけど
もともと一つの国家になったのってまだ歴史が浅いんですよね
イタリアもジェノバがあってミラノがあって
シチリアがあってとかそういう感じで
シチリアって違ったっけ?まあいいや
そういう感じで地域ごとに食の文化として
めちゃくちゃ普段食べているものとかが違っていたりとかしていて
少なくとも著者が言った
やっぱイタリアの何個かの家庭とかの普通の料理を食べると
全然地域ごとに食べているものが違う
みんなピザ食ってるのかというと
そもそも別にみんなピザ食わんし
あれも極めてイタリアの限られたエリアの
そういうところでナポリでナポリピッツァがあるわけで
ナポリのピザなわけですよ
ミラノのなんかなわけ
ミラノフードリアは嘘やし
なるほどね
例えばなんだけど
おそらくそれが日本に当てはめるとしたらやっぱ
東京の人はそんなにたこ焼きを食わんと思うし
東北の人が焼酎を毎日飲むかっていうと
あんまりやっぱ飲まないだろうし
そういう地域差みたいなやつも結構強いし
日本だと今やそれが何て言うんだろう
どこの家庭でも世界中の料理を作って食べているというのか
という国家になってしまっているけど
そういう家庭はここまで出てきた中で
完全にゼロなのか分かんないけど
全然なかったみたいで
だから気になったらアメリカのニューヨークの家庭がどうなっているのか
つまり先進国の前の方にいて
世界中の情報が当たり前に入ってくる国というか地域でどうなのか
それも日本と同じなのか
やっぱり日本だけが特徴的なのかちょっと気になったね
想像なんですけど
アメリカで言うと外食で世界中のもの食べてそうだけど
作ってないんじゃねえかなっていう想像ができるかな
本当かどうか分からんけど有名なやつって
アメリカ人のお弁当がポテトチップスとバナナだっていう
俺それはさすがに嫌だなって思うんだけど
で日本人の弁当というものがとてつもなく世界で最先端をいっている
みたいなこともあるからやっぱ
そういうなんて言うんだろう
多分なので日本だけなんじゃないのかなっていう
そういういろんなものを世界中の料理が当たり前に作れて
材料が比較的容易に手に入って
そして日常的に外国文化のものを食べている
豊かであろうとは言えますよね
そうですね間違いなくその多様性という点では豊かではあるけれども
でもじゃあ毎日米と味噌汁ではダメなのかっていうところが
やっぱ結局疑問というか考えていたらいいんじゃないかというところでもあるのかな
何でもありだからこそこれだっていうスタンダードが
逆に定まらないということだよね
そうですねで例えばそれは
これももう1個自分が面白いなと思った特徴があったところなんですけど
その著者がその後メキシコに行った時
メキシコのご飯っていうのが
トルティーヤに何か挟んどいたらソンデー
チーズ挟んどいたらソンデー
ここの国か忘れたんだけどさらに言うと
ちゃんと座って食べるみたいな感覚すらなくって
なるほど
なんかテレビ見ながらパン出してきて
南米、東南アジアの食文化と日本の特殊性
パンにイメージ日本人のイメージなんですけど
日本で言うならばテレビ見ながら食パンとソーセージ出してきて
食パン折ってパンに挟んで
立ったままテレビ見ながらそれ食べて5分でご飯終了みたいな
そういうのを別にさらに言えば
一応日常を見せるとはいう取材なわけじゃないですか
そういうところでも別にそれを普通に多分思って
普通にやっていて見せられているという感覚
これも日本と違うなと思って
確かに
日本だともしそれをやることがあったとしても
なんかねやっぱ取材されたら見せんと思うんですよね
その家庭が食を囲む
まず食卓という言い方しますけど
食を囲むシーンを多分作るよねきっと
とか普段いつも通りなんですとか言いながら
やっぱ見栄の張ったものを作ってしまうというか
確かにね
なんかそういうところを全然気にしない文化をだったり
逆にトルコとかでもそうなんですけど
たまにものすごく手のかかるものみたいなものも
作っていたりもするみたいで時間かけて
ただ例えばそれ1回作ったら
やっぱ何回も使い回してっていうか
それをちょっとリメイクして食べるみたいなこととかも
やっていたりもしているし
そういうバランス感覚みたいなやつもあるのかなとも思うし
ペルなんかも割とそういう感じで
ここはでもそんな印象が残ったっていう感じではなかったな
やっぱねこの辺になるとだれてくるんですよね
読んでる側も
ペル料理に対しての持ってる前提知識が全くないから
イメージが浮かばないね
ペルは確かペルは違ったかな
ここ日本と割とつながっていたんじゃなかったかな
かつて日本人が第二次大戦前とかに
ブラジルとか南米とかに多く移民として行った時期とかがあって
ちょっと本に書いてあったことだったか忘れたんですけど
ペルとかにも日本的な料理とかがあったんじゃなかったかなっていう
メキシコも南米も割とそういう
ある意味もともと土着の人たちと外部からやってきた人で言うと
アメリカとはまた違う形で合体の仕方をしていて
これはあくまでも印象でなんですけど
結構良い意味で特徴があって
ヨーロッパではありえないような組み合わせっていうか
料理のパターンみたいなのは南米とかは結構あるっぽいですね
メキシコももともとのアステカだったっけ
もともとの料理にアメリカ文化の影響が強く混じって
独特の料理みたいな形が出てくる
あとメキシコだとテキーラとかもそうですよね
おそらく他の地域ではあまり飲まれていないけれども
メキシコでは異様に有名でみたいな
そういう南米は日本からだと極端に遠いので
全然行く気にならないというか
かなり縁が薄い地域ではあると思うんですけど
料理はこの辺に慣れてきて
印象度で言うと少ないんだけど
面白さで言うと変わったもので言うと
南米が一番変わったものっていう感覚が一番多かったかも
なるほどね
なんでこれ甘いの?みたいな料理とかも確か出てきた気がする
でもこれ意外とうまいんやみたいな
我々の常識とはだいぶ違うもの
もうだいぶ雑な感じになってくるんですが
あとタイとベトナムとラオス
バンコクタイで面白かったのが
タイも同じく台湾と同じく超屋台の国家なので
基本外で大体足りるんですけど
外が混みすぎてて渋滞でくっそ大変だから
外に出たくないから料理を作るみたいなパターンだったりだとか
これはベトナムだったと思うんですけど
ベトナムのイメージでそこら中をバイクが走りまくっている
そういうとこで出されるご飯とか嫌だよねっていう理由で
衛生的な観点で外食ではなく自炊を選ぶ
みたいな考え方もあったりとか
ラオスの場合は著者が予備知識なしで向かっていったみたいな感じで
著者自身もちょっと飽きているのかもしれないし
あえてそうしたみたいに言っているけど
自分もあんまり印象には残らなかったんですけど
最後の終わりにみたいなやつがやっぱ一番学べたというか
綺麗にまとめてくれていて
ここまで書いてあったことはすごく体験談で雑多なことで
整理がしがたかったんですけど
最後のまとめみたいなやつをざっと紹介すると
まず言えるのがどこの国行っても料理をめんどくさいと思う人いるし
忙しいからなかなかやれんっていう人もいるし
家族のこの人はこれ好きだけどこの人は嫌いだからめんどくせえ
みたいなことはやっぱ存在をしているらしい
同時に毎日毎食こんだてが違うとか
旬のものを食べるとか
栄養バランスを毎食考えるという概念すら
日本以外ではほぼ見られなかった
あとはさっき言ったようにレパートリー増やすんじゃなくて
循環でいいよねっていうのはやはり
どこの国でも結構そういうことをしている人が多かった
少なくとも毎食なんか違うご飯が出てくるというのは
世界の基準で見た限りで言えば
実質日本しかないというか日本だけがとても特殊なパターンらしくて
でも江戸時代は多分日本の食事もそうやったわけで
どっかのタイミングでこうなったってことよねきっと
ラシタさんが調べた料理研究家の云々みたいな話とかと
ひも付けるといいかもしれなくて
ここにまとめに書いてあったわけじゃないんですけど
料理の規範、栄養バランス、そして「美味しくなくていい」という価値観
もう一個それとつながって非常に面白いなと思ったのが
こんなに料理の本がある国もないらしいです
そうでしょうね
本屋さんに行ったら料理本ってコーナーがあるでしょ
何ならしかも一番売れてる漫画雑誌料理ぐらいが
三大ジャンルなんじゃないかっていう
雑誌の中でもあるから料理は
料理のどこだったかな
韓国だったかだと思うんですけど
そこの家庭に行ったら料理の本が置いてあって
何冊かはハングルだったんだけど
あと日本の料理の本だったりするらしいんですよね
そのぐらいおそらく韓国で料理の本というものは
普通売ってなくて
料理研究家という概念もたぶん存在できないよね
たぶんニッチすぎて
たぶんなので極端なことで料理系YouTuberなんて
日本にしかいないのかもしれないしそれは分かんないですけどね
チャンネル的に言うと世界に発信できるから
他の国にいてもおかしくないけど
たぶん主たるユーザーは日本人
料理の本がどっちもだと思うんですけど
確かにアメリカは結構あるわけ
ここまでのレシピ本はないけど
料理本は結構アメリカにはある
アメリカって言っても多分そのニューヨーク近辺やと思うけど
でも他の国の話はあんまり聞いたことないね
そうですね料理の本とかレシピみたいなのは
なんとなくやっぱ世界でもあるんですけど
あとこれは自分が読んだ印象だけど
ほとんどの取材に行った人は
レシピとかはやっぱ見ないっていう派閥の人が多かったかな
ばあちゃんから習ったもので自分で作っているとか
いわゆる勘で作れるっていうか
俺は調味料とか書いてないもので作れるのって言ったら
もう味噌汁等あと何があるだろうぐらいしかないんですけど
そういう感じでやっぱ料理というものがそもそも特殊であるし
あとなんて言うんだろうな
結局目的ではないというか
より効率的というかより実利に寄っているというか
結局だから多分ずっと同じの食ってたら飽きはするんだけど
1週間のパターンやったら飽きんでしょって思っている人が多そうな印象
実際それで飽きないんでしょうねもちろん
ずっと同じはやだけどだいたい同じでいいよねって
多分みんな思っていて
なのでだからたくさん覚えるんじゃなくて
数種類の得意なメニューがあればそれでいい
っていう考え方が全般的に多かったっぽい
必要やったら外食多いとかは別に外食先選べるわけだし
晴れ時計の話で言うとたまに晴れの日があるから
そのパターンから逸脱するっていうことが起こるし
手前の自分の家の家庭料理がパターン化してても
本当の意味での固定化っていうのは多分なくて
ある種アクセント的に違う料理を食べるっていうのがあって
それ全体で大きなリズムが多分作られてるんでしょうね
さっき言った栄養バランスっていう話でもあるんですけど
そういうことを気にしていない人がやはり多い
著者が一番おそらくやめといたほうがいいっていうか
気にすんなっていう話で言うと
こんだてはまだしも栄養バランスを日本は一食単位で取ろうとする
西洋とか今は取材してきた人は
1日とか1週間っていうスパンで
大体バランス取れとりゃ十分でしょって考えている
っていう著者が感じたと言っているし
俺が思うに何も気にしてないんじゃないかとほとんどの人は
ただ何も考えていなくて
結果的に大体バランスが取れているだけなんじゃないのか
少なくとも伝統的な料理を繰り返し食べているのは
自然淘汰的に言うとその料理はある程度バランスが取れた
生き延びられている料理なんですよね
結局一つはこれ良いことでもあり良くないことでもあって
日本の料理って旬というものがあるから
その季節に美味しいものというのが明確にあって
当たり前だけどそれを選んだ方が
バランスよく美味しく感じられる
美味しいし安いし基本的にコスパがいい選択だと思うね
ただそういう生き方として豊かではあるんだけど
それをみんなに共生するものでもそもそもないし
それが辛いという考え方はあるし
何よりも一番面白かったのが
美味しくなくていいと考えている人がいっぱいいる
まずいのは困るけどということはあるよね
それはもちろん食事なんやから
だから過剰な美味しさがなくていい
でも例えばやっぱり美味しいんでしょうね
根本的に違うんだと思いました
俺も美味しいものを求めすぎているんだろうなと同時に思わされた
食事として生じているラインっていうのがだいぶ低いところにあって
もちろんそれで十分だという価値観
食事に人生の豊かさを求めなくても
その他のところに豊かさがあるから満足できていると言えるかもしれないけど
どっかの国の価値観とかは何食べるかじゃなくて
みんなで集まって食べることこそが重要で
そのために誰かが疲弊してしまったら一番間違っているみたいな感じのことを言っているし
みんな特に美味しく作ろうとしていないとか
料理がぬるくても別にええとか
俺めんどくさい人でね温度すげえ気になるタイプで
そうめんは水じゃなくて氷で冷やしたいし
味噌汁はその100度に近い温度で飲みたいと思うし
それは確かにめんどくさいわ
それは俺の好みなんだけれども
自分は相当めんどくさいし
美味しいという考え方が日本の平均とは多分違うとは思うんだけど
世界の平均とも相当違うものなんだなということがやっぱり思い知らされるし
美味しくしないといけないという前提やめたら
料理クッソ楽やでっていう感じのニュアンスが一番面白かったかな
確かにね
日本における料理規範の形成とジェンダー
気になるのはそのような規範性がいつどのように生まれて
僕たちの中に植え付けられてきたのかというのが気になるね
明らかに江戸時代とかは違うかったわけで
レシピが多いというのはさっきも言ってもらったけど
多分各家族からのおかげで
母親とか祖母から料理を教わる機会がなくなって
新しい家庭を始めなければならないと
奥さんが家にとっついて
そこで伝統とさらにもともとはその家の味があったけれども
なくなって新しい都会に移り住んで4人家族で住むという時に
新しい味新しいその家の伝統料理を始めから作らなきゃ
時々にやっぱりレシピがあった方がいいよねっていうのはあったと思うから
その辺の生態というか
人口推移みたいな家族構成みたいなものと
レシピ文化っていうのは多分こうしてるような気がしますね
おそらく戦後に生まれて一瞬で文化と化した
その文化じゃないな習慣となった
共通認識となったジャンルなんじゃないのかなっていうのは
自分は思ったりはするかな
例えばオレンジページとかレタスクラブとか雑誌を読んでると
毎週コンダテが出てくるわけですよ新しい面
毎週か各週か知りませんけど
そうすると何か作ろうという気になって
やっぱり違った料理を作るのはいいことだという風になってしまう
当然その新しい料理を作る方が物が売れるわけで
市場的には嬉しいから資本主義的ではあるよね
資本主義的な料理に最も読されているのが日本であるという言い方は
何か一定程度できる気はしますね
だからそれを本当に逆に言うと趣味でやるのはいいと思うんやけど
本来趣味でやることを家庭の一般常識とされるのは困るよねとは思いますね
友働きがなんなら進まない理由とか
あと日本で言われている出生率減少の理由とかも
俺別にそういうことに興味はないんだけど
その観点でも言える気がするんですよね
ご飯を作らねばならんということを規範化することによって
子供を作れなくなってしまう
別にそれぞれどっちが正しいとかではないんだけれども
そこすらも規範として結びついているというのか
しかも日本の場合は言及はされないけど
女性が料理を作るっていうのが
カギカッコつきで多分ニュアンスであるんですよね
いまだにね
僕結婚してからからもう20年ぐらいか
ほとんど毎日料理作ってますけど
大先輩ですね
そういう話を例えば他の方にすると
すごいわねって言われるんだけど
でもさ
主婦の方々はさ
それ普通にしててさ
すごいねとは言われないわけね
そこなんですよね
そこの非対称はまだ残ってるなと感じますね
俺もねほぼないけど
奥さんが友達とかに
その旦那が2日半分料理を作っているって見ると
人間性などを考慮せず
素晴らしい旦那ですねっていう
その表現で褒められるんですよね
そこは本当なんて言うんだろうな
別にただの
それもグルーミングだと言えばそれまでだから
そんでいいんだけど
逆で奥さんが
半分ご飯を作らされているんですっていう言い方をしたら
そういうふうに
暗黙的にこっそり悪く言うというか
それはねえみたいな感覚っていうのが
ありそうな気がするし
ある程度根強い
変わりつつはあるとは思うけども
でも文化的にまだ残っているというのはあって
誰かが料理を外食でいいっていう考え方はまずあるとして
最近YouTuberでも
手抜き料理というとあれですけど
もっと簡単でいいっていうか
あと土居先生とかはもうそんなに品目いらんでいいよ
11歳で全部味噌汁にぶっ込める
あれは本当に合理的でそうだと思うんですよね
日本の場合ってもう丼っていう丼ぶりものの丼っていう非常に
対戦の考え方があって
ご飯の上におかず乗っけたらもうそれでいいっていう
それ一品できましたっていう
しかも栄養バランスが素晴らしいまで
そこも含めて日本の最先端
行き過ぎている料理文化は一周回って
シンプルでもそこそこ整理しているというところに
回帰するんじゃないかな
してきているんじゃないかなと思う
確か定食文化みたいなやつも
研究するといろいろ出てきた気がするんですよね
定食というものが言ったら
料理の多様性と「楽しむ」ことの重要性
悪く言えば規範を生み出しているし
画期的な料理のシステムでもあった
結局のところやはり規範が強いところ
自分はねもう一個さっきも言ったけど
やっぱその栄養バランスなんて
ええんやっていう
その毎食さらに言ったら
これ教育だと思うんですけど
まず学校給食がすざまじいバリエーションじゃないですか
栄養士さんが
でもあれは千里のために栄養士さんが専属で
それを考え続けて作られたコンダテであって
毎日違うものが
毎回限りなく完璧な栄養バランスで
さらに最近息子の給食とか
いわゆる世界の韓国系のなんかとか
和を重視しつつもやっぱ非常に
俺たちの時代よりはるかに豊かなコンダテが出てきていて
なるほどね
それを当たり前とか
規範として見せられたら
学校給食で違うのが出てきているのに
家庭料理が違うのが出てこないと
どういうことやっていうことになってしまうわけですね
同時にやっぱ食育が大事であるという言い方間違っちゃないと思うし
それは確かにそう思う
でも規範になっているのは
学校給食ではないかという可能性もあったりして
我が家の場合
学校給食でめっちゃバランスいいもの食っとるんやから
週に何回か別に晩御飯なんて
栄養バランスなんてどうでもよくていいよねっていう感じのこと
俺は思っていたんですけど
もっと極端なことを言えば
これを読んで思ったのが
だから給食食っとるんやから
栄養なんてどうでもいいやぐらいの言い方で
いいんじゃないかと思ってね
まあそうやね
結局栄養バランスが崩れすぎるのがもちろん問題なわけじゃん
ビタミンを全く取らない食事ってのはまずいわけやけどさ
なんかこうね栄養バランスって言ったときに
なんかイデアが生まれて
ある点に向かって
もう一回そこに行かないとダメみたいな
批判性が生まれるんですけど
そこはなんか弱める必要がありますね
必要とされる栄養素っておそらく
ほとんどのものがめちゃくちゃ少なくて
あの
なんて言うんだろう
国家が推奨している
このぐらい取りましょうとかでもあるけど
言ったらなんだけど
ミリグラムとかの話だったりするわけじゃないですか
なんならビタミンとかマイクロでしょ単位
だから適当に野菜食うときはもうええみたいな
多分あるし
ちょっとぐらいなくても問題ねえし
その塩とかもね
それはこれとは違う話なんですけど
塩分取りすぎは
自分は血圧が高い傾向があって
最近塩分みたいなのを気にしたりとかしていて
確か日本が推奨している
その塩分摂取量の上限値が8グラム
とか10グラムだったかな
でこれは世界で見てもめちゃくちゃ高いらしいんですよね
でえっと
スーパーで売ってる
ラーメンをスープまで合わせると
だいたい平均して8から10グラムぐらい塩入っている
ラーメン1日に1回でも食べたら
もうあと塩味ダメなんですよ
そういうことになるな
っていうぐらい過剰に塩分取りすぎているし
さらにこれは生成AIに調べてもらった話なんですけど
生物として生きていくために必要な分量で言うと
1日1グラムもいらんらしいんですよね
なるほどね
逆に言えば人間そのぐらい余分に食っても死なんとも言えるし
確かに
かつての人々がどれだけ味のないご飯を食べていたのか
多分極端なこと言えば
現代の社会で塩とか醤油を一切使わんくっても
食物に含まれている塩分だけで
味的には満足できるはずで
なるほど
世界で見れば全ての食事はやっぱり古代人から見たら
全部とんでもなく塩味が効いていて
美味しいというふうに言えるのかもしれないし
そうでしょうねきっと
って考えたらやっぱり
大してうまいもの食わんくっていいんだよなとか
あと極端に自分もちょっと薄いとか
全然気にしないで生きていけることがいいよねとか
だからやっぱり
例えばドーナーアジアとかの屋台で外食するっていうのと
日本の外食するでは多分意味合いがだいぶ異なるというか
味付けが濃いんだよね基本的にね
資本主義な味付けなんですよね
基本的に毎日食うことを意識して作られてないというかそもそもが
提供する側は毎日来てもらうために
印象に残るために濃い味にしないといけない
でも成分的に言うと毎日食べるように設計されてないということで
だから外食が良くないという言い方は分からんではないんやけど
でもバランスの問題はあるよねとは思うけどね
いろんな人が言ってるのがやっぱ結局コントロールできるのは
自分で作ることになるのとか根拠信用ができるというのかな
そのある程度までは
っていう観点ではやっぱり自炊はできた方がいいだろうし
サバイバルという観点では何かの時に
生き延びられた方が便利ではあるし
あとはやっぱ面白がれるかじゃないかなと同時に思って
面白がれなかったらもうルーティンでいいってことだと思うねこれは
それがもうベースラインで面白くしたいんやったら
料理を覚えましょうっていうことだと思うんですよね
家庭科のやっぱご飯の作り方とかは
やっぱね規範性が強すぎるというかそれで言うと
自分が覚えているのはなんか味噌汁みたいなやつを作った時に
なんか全然味しねーなーとか思ったやつに
本だしを入れたらなんか味噌汁の味になったって思って
家庭で覚えた味噌汁の味がそれやからね
そうそうそう
でもまあ極端なこと言えばだからだしなんてなくったって
味噌汁は成立するわけで
そうやね
とかなんかあと覚えてるのがお茶の入れ方みたいなやつなんですよね
3つ器があったら半分半分にして戻しましょうとか
それはやっぱり生き方のマナーであって
なんかこうサバイバルとか豊かに生きるという言い方をしたら間違っちゃいないんだけど
楽しめる人がそれを趣味としてやるのはもう全然問題ないけど
やっぱり一般的な規範性として押し付けられた時に
日本人ってそれをあんまり通達しないから
そうするのが当たり前っていう普通に普通化現象
普通化現象が起きてしまう
全然普通じゃないっていう
それは日本の中でも普通じゃないし
世界で見た時にもっと普通じゃないというのが
この本性見たら分かるってことだよね
そうですね
日本で見たらだし
それはやっぱね結婚した時にすげー思いましたね
ご飯の普通がいかに違うのか
うんうんまさに
前に話した川なんですがカレー作ろうって言って
はるなさんがいきなり牛肉を買おうとし始めて
この人はどういう高貴な生まれの生き物なんやろって
京都の人はそうじゃないかな
関西はカレー牛肉なんですよ
というか肉という用語が牛なんですよ
そうだよね
東京はカシワって言うし
ブタンと来たけどブタマンって言うけど
ブタはブタって言うよね
関東は肉まんなんですよね
そこは明治期の文化があってみたいな話で
ただ少なくともそこでちゃんと話を寄せれば
こいつはおかしい奴だっていうところで終わってしまうわけで
なるほど
逆に言うと
カレーが牛もしくはブタということが
相当偏った考え方なんだっていう
まあそうだよね
どちらが正しいではないので
そういうことなんかも日本国内ですら起こる?
だってひき肉使うパターンと使わんパターンでも
もう派閥があるからね
さらにそのカレーというのはまた日本独特のカレーであってみたいな話でもあるし
確かに確かに
結局そういう多様な経験をすることなんだろうなとも思ったりも
そうだよね
っていうので何が正しいとか
自分がやっぱり思った
そうですねバランスと美味しくなくていいかな
印象をまとめるならば
やっぱり料理の規範を作る人が料理を作る人でないといけない
マナー講師と一緒の印象が起こっているのかもしれない
作らない人が何言ってもさ
確かにそうであったらいいよねっていう理屈ができるわけやけどさ
自分が作る人になったらさ
いやそんなん全然無理ですよっていう現実とのライン引き戻すわけやん
やっぱ規範作る人と作る人の思想が一致してないところに問題が多分あるよねこれは
という意味で著者がやっぱり切り込もうとしている
別に著者は自炊を多分好きでやっているし
割とそこを職業にはしているので
ポジショントーク的なニュアンスがないわけではないと思うけれども
とはいえやっぱりその多くの人がきっと悩んでいて
日本ではなんだかんだ自炊をする方が多数派ではあって
そこを悩みを解決する位置上にはなるんじゃないかなと
確かに確かに
思いました
ということで今回のご意見ご感想などあれば
メールのお便りフォームだとか
ツイッターブルース会でハッシュタグカタカナブックカタリストにお寄せください
感想お便り励みになっておりますので
サポータープラン等々と合わせてご検討いただければと思います
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました
ありがとうございます
01:12:50

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