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2026-01-13 1:11:55

BC130 2025年の配信を振り返る(後半)

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新年がスタートしました。

年末恒例の「一年の配信を二人で振り返ってみよう」企画の後半戦は年をまたいでの配信です(案外これは良いかもしれません)。

今回は、2025年の7月から11月までの配信を振り返りました。

もしご興味あれば、以下のリンクからそれぞれの配信に飛べますのでチェックしてみてください。

* 2025年07月01日 BC117『締め切りより早く提出されたレポートはなぜつまらないのか』

* 2025年07月15日 BC118 いま、あえて芥川賞を読む

* 2025年07月29日 BC119『ゼロからの読書教室』から考える「本の読み方」

* 2025年08月12日 BC120 2025年上半期の振り返り

* 2025年08月26日 ゲスト回BC121 五藤晴菜さんと『書いて考える技術』

* 2025年09月09日 BC122『私たちの戦争社会学入門』

* 2025年09月23日 BC123『「書くこと」の哲学』

* 2025年10月07日 BC124『ランニングする前に読む本』

* 2025年10月21日 BC125『とっぱらう 自分の時間を取り戻す「完璧な習慣」』

* 2025年11月04日 BC126 『汗はすごい』

* 2025年11月18日 BC127『哲学史入門Ⅳ』

* 2025年12月02日 BC128『NEXUS 情報の人類史』

読み手のプリズム

自分で話していて気がついたのですが、「書き手としても面白く読みました」という発言をよくしています。本を読んでいるときは、意識していないのです。ただ読んでいるだけ。でも、無意識の構えとして「〜〜として読む」というのが働いているようです。

一介の読者として、純粋に読む。同じ書き手として、「書き方」に注意を向けながら読む。その分野の初心者として、教えを請うかのように読む。

このような姿勢・構えの違いで、本から得られる成分というのは違ってきます。

つまり、一冊の本というオブジェクトがあり、そこに自分というオブジェクトが接触したら「内容」という均一のデータが取得できる、というのではなく、あたかもプリズムのように向ける角度によって得られるものが違ってくる、というイメージです。

こういう角度で読んだらこういう面白さがあるし、別の角度で読んだらまた違った面白さがある。

これが読書の楽しみでもあり、またそういう読み方が多くできるほどその本は豊かな内容を含んでいるのだと言えそうです。さらに言えば、他の人に向けて「こういう角度で読んでみたら面白よ」と伝えるのが批評という仕事なのだとも思います。

それとは別の「〜〜として読む」もあります。たとえば「教養書として読む」とか「小説として読む」とか「SFとして読む」とか「前衛小説として読む」といったことです。これも構えの一つですね。こうした構えによっても、読書体験は違ってきます。

たぶんさまざまな読書術(ペンを引く、メモを取る)のもっともっと手間に、こうした「〜〜として読む」という話があるのだろうと思います。



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サマリー

このエピソードでは、2025年の配信を振り返りつつ、さまざまな本や文学について話されている。特に『サピエンス前史』や『芥川賞』に関する読み解きや興味の広がりが紹介されている。ポッドキャストでは、読書の楽しみやその方法、未来の出版についての考察が展開されている。後藤春菜さんとのゲスト回では、考える技術や出版の形式が持つ影響について議論が行われている。また、戦争社会学のテーマも取り上げられ、戦争に対する理解を深める重要性が述べられている。2025年に向けた書くスキルの重要性やコミュニケーションスタイルの変化について考察され、特にデジタル執筆と自己表現における運動との関連にも触れられている。このエピソードでは、健康や運動に関する体験や考え方が語られ、ジョギングや体調管理の重要性、自己評価や他者とのコミュニケーションについての洞察もシェアされている。2025年を見据えた倫理や哲学に関する深い考察が紹介され、AI民主主義の可能性やリアルイベントの意義についても触れられている。職業や日常生活で役立つノウハウも考慮されている。

お便りと読書の楽しみ
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。まず、今回いただいたお便りなどを紹介しようと思います。
はい、お願いします。
はい、ことりさんから128回で、その本の中で一番大きな軸は何かについて自分なりに読み解いたことが言えないとまとめて語ることができないとgoryugoさんが言っていたのだが、
最近、読書メモを作っていく中で、私が感じていたことを言語化してもらえて、やっぱりそうだんだなと嬉しく思った。
で、これが非常に楽しいんだよな。しかし、どうにもこうにもまとめきれなくて、次の本に移行したくても抜け出せず困っている。
その時にこれそれまでを思い出せるように記録しておくというのが最善なんだろうけど、復活の呪文がうまく作れない。
なぜならまとまっていないから。結局中断して他の本に移行したら最初からやり直しになるんだろうか。高い策のアイディアは欲しい。
私はどこかで紹介してくれないかなっていうお話です。
お悩み相談っぽい感じがしますけど。
そうですね。まず前提として、多分細かなニュアンスは違うかも。大きなニュアンスとしては知らないですけど、あんまりこういう感じのことを言ったかなっていうのがあんまりきちんと記憶になくて。
確かサピエンス前紙の時はうまく語れなかった。面白かったしか言えなかったという感じ。
別に否定するって言うと変なんですけど、言葉のニュアンスで言うと自分はあんまりこういう感覚ではない。
まとめきれなかったという感じはなかったってことかな。サピエンス前紙を読んだ時も。
自分なりに読み解いたことが言えないとまとめて語ることができないみたいな感覚っていうのは多分すでに小鳥さんが自分が思っているから、そういう解釈で受け取ってもらえたのかなっていうニュアンスがあって。
何て言ったらいいんやろうっていうのはちょっと悩ましいんですけど。
何か主体となるその本の主体となるメッセージみたいなものをちゃんと分かっておかないと語れないっていう話が確かあって。
そうですね。大きなメッセージが1個ないと1個と語るのが難しいみたいな。だから言ってることはこれですね。
メッセージの受け取りイコール読み解きという風に受け取られて、実際そういうことでしょ。これはきっと。
そうですね。そうだとするとそうなんだけど、まず1つは結論から言うと、
ゴリゴさんが紹介しているAtomic Thinkingっていう方法を使えば解決すると思いますっていうのがまず第1の結論かな。これは結構マジですね。
結局、自分なりに読み解いたことがあるっていうよりも、個人として一言で言えばこれが一番面白かったっていうのを見つけられればいいと思って。
これが一番面白かったって見つけるってことは、細かな面白かったことをいっぱい見つけて、その中で一番見つけたら見つかるやんっていう。
とりあえずその本はokにして次にいける。
だとすると、やっぱり別に全体とか気にせず、気になることを1個ずつ細かな単位で集めていけばよくって、
極端なことを言えば、全部読まんくっても1章だけ読んだ中で一番面白いことが1個見つかったらそんでいいんじゃないかとも言える気がする。
あとさらに言うと、これもまた自分のテクニックなんですけど、やっぱそれをObsidianのSpaceとRepetitionプラグインと合体することで、
何冊も本を読みながらこれができるようになった。
なるほど。
っていうのはあるかなっていう。
ザカイ作のアイディアとしてはナレッジスタックの有料プランに加入するといいと思いますっていう感じにはなるんですが、
結局、集団とかあんまりそのニュアンスはないですね。
それは僕も、他の本に移行したら最初からやり直しになるかっていうと、たぶんならないんですね。
書いてあればならないですね。脳内で覚えておこうとしたらなりますね。
でも忘れてるかもしれへんけど、最初からやり直しという同じことの繰り返しじゃなくて、
別の形の読み返しをしてるんで、ある段階でやってたことをもう一回やるというよりは、
新しい2026年の自分としてもう一回その本に取り組むということで、
別に中断とか停止とか再開とかじゃなくて、その時その時で読み直していると思えば別にそれでいいんじゃないか。
別の本とかを読んでその本に帰ってきたら、うまくまとめられてなかった自分の考えが、
うまくまとまるように変身しているかもしれないんで、
だから別にどうしてもそのタイミングでまとめられなかったら、
あんまり気にする必要なく次の本に行けばいいんじゃないかなと個人的には思いますね。
小説と文学の探求
あと同時に自分の経験で言うと、全然次の本に行けなくてもよくて、
なんなら極論年に2、3冊でもいいから、
そういうすっげえ1冊をたくさん読んでみるは、
それはそれでめちゃくちゃ身についたことが多かった気がする。
なるほど。
欲張らないということも大事なのではないか。
次の本に行こうしないことと、適度に諦めることのバランス。
そこが難しいけどね。
もちろん難しいんですけどね。
でも月に1冊は俺ちょっと贅沢ぐらいなんじゃないかなって思いますね。
でも普通に働いて、休みとか夜帰ってからの時間でこういう読書をしようと思ったら、
月に1冊ぐらいでも結構負担は大きいと思うね。
3ヶ月に1冊読めたら優秀ぐらいでいいんじゃないかなっていうぐらいの距離感じゃないかなって感じですかね。
ポッドキャストアワードに投稿してくださった方とか、
特に期待ポッドキャストがないからブック語りつを全部聞き直してくださるという方とかがたくさんいて、
なんかあれですね、年末年始はやっていてよかったなぁ感がありますね。
はい、ということで終わったんですが、
2025年の振り返りの残り半分を終わっていなかったので、
改めて、改めてじゃないですね。
新年をもう一度スッキリと始めるために振り返りをやろうと思います。
というか本来1年の振り返りっていいよね。本来は。
日本人の心としては年内に済ませたいんですよね。
でもね、たぶん僕は新年新しいことを考える、始める前に振り返った方がいいと思うんで、
実はこれ1月とかにやった方がいいんじゃないかなと思うけど、まあいいです。
こうやって挟むぐらいにいいのかもしれないですね。
後半は117回から128回、十何回。
まず最初に117回締め切りより早く提出されたレポートはなぜつまらないのか。
これは僕が紹介した本で、なかなか煽ってきているタイトルですけども、
個人的には新書というレベルの中で、結構ガチでタスク管理、タスクマネジメントの話が出てくる軽裕な本でして、
ある種、この分野を知っている人であれば普通の当たり前の話が結構語られるんですけども、
それとは別に本書で指摘される2つのパターン、進め方のパターン。
先送りしてしまう人と先に出会う人の2つを見たときに、
現実社会で言うと先々進める人が仕事ができるタイプとして扱われるけども、
果たしてそんな単純なものなのだろうかという問題提起みたいなものは、
多分現代社会で非常に重要な指摘で、先々進める人って多分思いつきやすいと思うんですけど、
程度は抑制的には持った方がいいということと、
あと本書の一番最後に出てきた2つのタイプを一緒にタスクリストを検討することで、
お互いの観点を取り入れることができるんじゃないかという話が出てきまして、
これは実用書の話でもあるんですけど、
社会学的とか人文的にも引きつけて考えられるんじゃないかなと思うんですけど、
2つの異なるタイプがお互いの性質を踏まえた上で相手と関わるっていうあり方は、
仕事の職場内で例えば作業を進めることだけじゃなくて、
人の生活において自分の考えを広げるとか、
他者を知るみたいな意義としてもあるんじゃないかなというので、
結構いろんなことを広がることを考えた本でしたね。
個人的に面白かったのが、これに興味を持って、
ブックカタリストの読書をしてくださっている方が何人か読んでいて、
全然響かないという人とめっちゃ響いたという人に綺麗に分かれていて、
それが結局前倒しタイプの人には響き、
そうでないタイプの人には響かないという極めてありふれた結論なんだけど。
この本は元々前倒しするタイプの人だったし、
その子にある問題意識みたいなものが中心ですし、
そもそも先延ばしの人はずっとこの社会の中で悪いもの扱いされてきたわけですから、
本書の意義としては前倒しの問題点みたいなものを
扱っているところにあるんじゃないかなと思いますね。
同じく前倒しをすることにネガティブな要素があるなんて
一ミリも考えたことがなかったから。
そういうタイプの人が本当に存在しているんだっていうのもちょっと驚きだったかもしれない。
自分も前倒しだからわかりますけど、やっぱり落ち着かない。
本当に常にちょこちょこ先々のことを考えて、
時間を行為で埋めようとするというようなところがあるので、
これはあんまり良くないなと思います。
どっしり構えづらいとかそういう感じになるのか。
物事によってはそういうタイプの処理の仕方が向いていることもあるけども、
例えば知的精査みたいな時間的スパンが必要な行為にとって、
それはあんまり良くないと思うんだよね。
それはおそらくそうですね。
そうですよね。だからそういうふうにホワイトワーカーにおける仕事術っていうのは、
事務を行う時には多分違うアプローチが必要みたいなことも多分言えるかもしれないね。
はい、ということでその次が118回。
タイトルは今あえて芥川賞を読む。
はい、変わるぞ。面白いタイトルだよな。
自分がこれの影響、何の影響って言ったらいいんだろう。
文学を芥川賞にもちろん興味はなかったんですよね。5年前10年前は。
確かラシタさんの影響で東京のやつなんだったっけ。
あれをなんとなく話を聞いて、
これめっちゃ風光のテーマと似ているよねっていうところから興味を持ち、
読んでみたら、物語として面白くないものがちゃんと面白く読めた。
面白くないって失礼かな。
エンターテイメント成分の薄い小説ということでね。
なんかその、なんていうんだ、ハラハラドキドキだとかどうなるんだろうとかそういう要素ではないものが、
面白く読めるようになったという発見からちょいちょい興味を持っていろいろ読んでみると、
確率、打率…ぐらいだったんですけど、めっちゃ面白い作品に出会える。
っていうので、読める限りのものを読んでみて、何を学んだかとか、
何ならこういうところにいろんな問題意識とか、問題意識を見つけるきっかけになるっていうのか。
っていうのでもなかなか、
平均的にやっぱ売れてない印象はあるんですけど、
非常に価値のあるものである、楽しめながらお勉強になるというのが、
分かりやすく体験できた感じがする。
っていう意味で、今後もできるだけ芥川賞とか追っかけていきたいですね。
多分これを、この回を収録した後に、僕もフィードバック影響を受けて、
ゲーテはすべてを言ったと、あとデートピアもかな、確か。
その後に読んで、やっぱそれぞれ特徴のある作品で、文学的で文化的なものが多く、
しかもどちらも短くその日のうちに読める程度なので、
この回でも言いましたけど、文学初心者は芥川賞から入るというのは、
そんなに間違ったガイドラインではないかなというのは確認しましたね。
おもしろくないって思わんかな。
ほぼなんでしょうね。
でも文学を手に取ろうと思っているその人は、
おそらく縁ために何かを求めてるから文学を読もうと思っているはずで。
あれかな、文芸なら直樹賞でいいけど文学なら芥川賞か。
もしだから文学みたいの触れてみたいという、
でもさすがに例えばロシアのロシア文学の超大な作品はちょっとなみたいな時に、
しかもあの人の名前が覚えにくいし、文化が違うから、
超えなければならない隙がとても多いことに比べると、
現代の2020年の芥川賞の場合、知っていることが多いというところからやっぱりなじみやすい。
分量的にも文化的な近さで言っても、文学第一歩としてはなかなか悪くないんじゃないかなと思いますね。
っていう印象はありますね。
読書教室の考察
はい、この次がゼロからの読書教室から考える本の読み方。
はい、ドクショザルさんが書かれたゼロからの読書教室という本があり、
その本をベースというか起点にして、本をどんなふうに読んだらいいのかということで、
シックなレベルで考えていこうということで。
この本すごい良い本で、このポッドキャストを聞いている方はある程度本読みの方は多いと思うんですけど、
本を読みたいけど苦手意識があるという方のその苦手意識の得のに非常に最適な本で、
ほにゃららしなくてもいいと。例えば全部読まなくていいっていうのが第一回なんですね。
初めから読まなくていいとかって、そのほにゃららしなくてもいいと。
逆に読書に苦手意識を感じている人は読書というのはこういうことをしなければならないという規範肩びらを着ているわけですけども、
それを一個一個丁寧に読み解いていくと。
しかも鳥と女の子の会話劇で進んでいくんで、それこそ中学生レベルでも全然読める形で文体で書かれているんで。
一応重厚性がターゲットですけど、普通に大人が読んでも面白い本だと思います。
確か本編では第一部の話しかしませんでしたけど、第二部は本の探し方。
いわゆるレファレンスの使い方とかっていう本格的な本読みになって以降の話が。
第二部以降は大人の本読みでも、
特に普段あんまり、例えば書店に行って新刊コーナーで見つかる本しか読んでないみたいなタイプの人にとって、
そんな本の探し方があるんだというふうに本の間口を広げてくれる本でもあるんで。
第一部、第二部を通してどのレベルの読書人にも役立つ内容ではないかなと思いますね。
ゲスト回と考える技術
読書団さんの本に外れはないという前提でいくと、やっぱりそうなんだろうなっていう。
これまで読書団の著作を振り返った時に、アイディア対善、問題解決対善、読学対善は全部クソ分厚いわけですよね。
しかも内容、日本語が難しいわけではないけど難しいか。
結構人文的な話を参照してて、読書好きな人にとっては面白く読めるけど、これから読書好きな人にとってはちょっとハードルが高いと思うんですけど、
この本は本当に読みやすい。彼のブログを読んでいるような面白さがあるので、
その意味でファンの方も別に読めますし、
今これから子供に一冊、読書好きな子にスッと差しておきたいようなタイプの本ですね、この本は。
これが119回で、120回が忘れてたけど、2025年上半期の振り返りをやっていたんですね。
やりましたね。
覚えてないんだっけ?
何を喋ったかは覚えてないです。
やったか?やったか?から覚えてないな。
結局こういうのが何なら大事なんだよっていう、やっぱり1割は振り返り使っていいという本があって、
だとすると年間26回だと2回か3回ならいい。
いいというか必要ぐらいですよ。
そうですね。そっちの方が重要っていう感じですね。うまく回していくためには。
だって今、僕こうやって喋って思い出して、自分の記憶が強化されているのを感じてますからね、今。
やっぱりするのとは全然違いますからね、明確に。
はい。
で、121回がゲスト回、後藤春菜さんと書いて考える技術。
はい。久々のゲスト回でしたね。
そうですね。ゴリゴさんのパートナーさんが書いて考える技術っていう、
いわゆる文章だけじゃなくて図とか線を使ってうまいこと、考えをはかどら、進めていく方法っていうのかな。
っていうのをセルパブで作って、さらに言うと連想を活用するという点で、
執筆者としてとても良い手段だなと思ったりして。
これ確かもう、つい最近Kindle版出たんでしたっけ。
12月にKindle版を出したのかな。
結構スパンありましたね。
マーケティングとしていうんだろう、非常に良かったんじゃないかなと思っていて。
はいはいはい。
結局Kindleを使う理由は、届かない人に届いてほしいわけで。
そうですね。
届く人にKindleで届ける必然性が、個人レベルの仕事をする場合にとても低い。
やっぱ届くものを売っておいて、届かない範囲としてKindleに頼るってすれば、
もちろん両立としてもやっぱり利にかなったものになるし。
そうですね。
最初に売っている売り方は買い切りにしているので、
Kindle最近ダウンロードできるようになったっていうので、ちょっと形は変わりつつ。
そうですね。
あるんですが、そういうこと抜きにして、
区別、距離が近い人から優先してやっていくみたいなのが、
何十万何百万と売れるものではないものの売り方の形としては、
良い可能性としても、良い試みになったのではないか。
ちなみに4ヶ月ぐらい経っているのかな。
うん。
ゴルゴさんは連載を本にするっていうのは活かせてます?
今、はるなさんのニュースレターで、
Obsidianをまとめておりまして、
ナレッジスタックに書かないようなこと。
はい。
それは10回ぐらいやったらうまくまとめられないかなっていうのは考えています。
細かい話だけど、ナレッジスタックの連載でやっていることとは何か違うわけ?
やっぱり楽しくやるためには、手加減したくないという言い方になるのかな。
分かった。
やっぱり俺が面白がれないと嫌で、
肩肘張った書き方ができないんですよね。
なるほど。
で、そっちは意識して、できるだけ…
はいはい。
文体とかを変えるつもりはないんだけど、対象としているタイプが違う。
なるほど。
で、それを自分のやっているニュースレーターではそういうことはやっぱり書きたくないし、
書かなくていいようにしたいから分かれているって感じ。
話を聞いていたものは、連載的なものを書いて本としてまとめる場合、
ゲスト機構の方がまとめやすそうやなということ?
そうですね。そうではないかというのは明確に思います。
自分の場でやったらうまくいかんのじゃないか。
そうだね。自由に書けるがゆえに、毎回バラバラでまとまりにくいけど、
連載とか他のところで、そこにいる読者さんに向けて書くと、
コンテンツとしてまとめやすくなりそうだなというのは聞いてて思いました。
そういうやり方はいいんじゃないのかなっていう。
あと一等級よりマシになったけど、KDP自体を根本的に頼るものではなくなってきているなっていう。
商業で出すなら知名度が上がる価値があるし、
戦争社会学の考察
自分で売るなら別のやり方をしていった方がいいんじゃないのかなっていうのは、
だいぶ感じ始めていることかな。
で、122回が私たちの戦争社会学入門。
大和書房って読み間違えていたけれども、
大和書房のシリーズっていうのかな。
早稲田の先生が語っているシリーズの中で、
テーマが戦争社会学という、すでに名前からして難しいというか、
何なら現代もこれを名前にするだけで語りづらいというのかな。
まあそうだね、確かに。
戦争は悪いことだ、やったらあかん、以上とかっていう、
例えばツイッターではそうなりがちというか、
それ以前というかそこから議論が進まないのではなくて、
少なくともこの本はその戦争はなくなっていない、
あるという前提から考えていこうっていうのを、
まず最初にそれを言ってくれるという時点でとても学べる本だったというのかな。
それだけでも。
さらにその前提としていろいろ考えることはいっぱいある。
ちょうど正月もあれですよ。
大統領が強制的に、強制的にって言うのか。
自分は政治要素が強すぎて語れるほどの意見とか知識はあるかって言われるとないんですけど、
少なくとも正しい正しくないで、
二文論で言えるようなことではない。
そういうことを考えていくためにも、そもそも戦争ってなんやねんっていう、
あれももはや現代の戦争に近いものだとも思ったりするので。
確かにそうかも。
たぶん戦争社会学入門の3年後になったら今回の話とかもテーマと切り口としては含まれてくるんだろうなと思うし、
21世紀セカンドクォーターの戦争か、たぶん。
なるほど。
みたいな意味でも、結局倫理として戦争がいかんなんて言ってしまったら、
少なくとも現在でも起こっているんだから、
価値はできないっていう意味でもやっぱ重要。
考えておくことの価値はあるんではないかな。
そうだね。戦争は良くないは正論やけど、そこから殺気に進めへんもんね。
社会は正論だけでは進まない。
どういう力学で動いててっていうところをちゃんと見ていかないと、
実効的な政策も立てられへんし、前向きな議論もできないし、
特に本当に日本ではこの、
戦争というのが日常と一番距離があるキーワードじゃないかなと思うんですけども、
だからこそ本を読んで学ぶ価値があるんでしょうね、きっと。
なんかね、どの総理の時代だったっけ、
ウクライナ、ゼレンスキー大統領に必勝者文字を送ったとかっていう、
日本はそういう恥ずかしいことをやってしまったりしているので。
なるほど。
それは俺明確に恥ずかしいと思うんだけど。
もう勝ち負けじゃないでしょうっていう。
そうやな、確かに。
そうならないためにはやっぱり考えておかないといけない。
確かに。
はい、で、123回書くことの哲学。
はい、書くことの哲学ということで、
執筆、幅広い意味でのライティングということではなくて、
僕の解釈で執筆というようなことだと思うんですけども、
いかに書くかというのは、私たちの書けなさはどこから来ているのかということを探求していくタイプの本でして、
技術というのは上手い人が書いた文章をお手本にして、
それをこういうふうに書きましょうと言って、
僕の感じで言うと、そういう至難書を読めば読むほど、文章って書けなくなっていくんですよね。
つまりさっき読書の時にも言った、規範性が生まれてしまう。
そうすると、規範のことばかりが頭に昇ってしまって、
自分が文章を書くというための認知的エネルギーがほとんど動かなくなってしまう。
だから、そこをいかに解体していくかという。
そもそも言葉と私たちというのはどういう関係にあるとか、
言葉を使うとはどういうことなのかということを原理的に考えていくので、哲学という言葉がついてますけど、
僕はほとんど実用的に読みまして、
いかに書けないにあったときに、どう書くことに。
書ける体に。
ある種のマインドハックではあるんやけど、
精神論というよりは、自分の中にある書きたい芽。
芽が、芽っていうのは植物の芽ね。
枯らさないように力を入れるためのノウハウが多く語られていまして。
文章作法のノウハウ書を読んで書ける人はいいんですけど、
書けない人はこういう本をとって、
やっぱり一回自らの規範性と向き合うことで書けるように。
書ける体になる。
メタ認知を働かせることなんですよね。
自分の書けなさを探るというか、
そういうことができるかどうかが結構大きな一歩じゃないかなと、
振り返っても思いますね。
自分はいわゆるその、
規範が理由で書けないということを、
残念ながらなのか幸いにしてなのか、
マジで味わったことはなくて。
それは多分やっぱり文章作法の本をあんまり読んでこなかった歴史があるんじゃない?
きっと予想より。
多分一冊も読んだことがないと思います。
だからそこはやっぱり自由に書ける体であった。
規範が嫌いだった。
だからそういう状態にある人はいいけど、
やっぱり日本人だけなのかどうかしらけど、
やっぱり最初にそういうことから学ぼうとする人が多く。
そうなるとますます書けなくなって。
文法レベルの話もそうですし、
例えば物語はこういう風に書いた方がいいとか、
こういう風に書かない方がいいっていうアドバイスって、
世の中でいっぱい溢れてるんですよ。
全部話すと一文字も書けなくなりますよね、多分。
場合によって相反するアドバイスになるんで。
真逆のことを言っていると思う。
どうしたらいいのかっていうことになるんで。
やっぱり自分の心にある書き方が起点として。
書くスキルの重要性
もちろんその技法とかは随時参照するのはいいんですけど、
まず書けるということがあった後に、
どう直していくかっていう観点で参照すべきであって、
起点がスタート地点が規範になってしまうと、
当然のように書けなくなってくるということを
改善できるし。
あとやっぱりその文章を書くっていうことを仕事にすると、
やっぱり日本語を自明のものとして扱わなくなってくるというか、
言葉が当たり前じゃなくなっていく。
だからつまり文化人類学みたいに言葉を観察する人になる。
そうなると語彙も広がるし、文章表現もうまくなるし、
他の人の文章を読む力も上がっていくんで、
僕らが日常的に当たり前にやってることを
当たり前じゃないものとして捉え直すということも
本書として書かれてるんですけど、
これは基本的なトレーニングとして非常に
習慣かな、習慣というか姿勢というか、
そういう態度を持っておくことはプロというとちょっとあれですけど、
もの書きを一つのスキルとして捉えるときに
重要な観点かなと思います。
そうですよね。自分の場合、運良く書くことに関しては
学ばなくても自分の中ではできたので、
いわゆる教える側としてはいろんなものが足りない気はしていて。
そうですね。書けなさがわからないと書けなさにはアドバイスできないよね。
理系の料理とかそういう真逆のことが基本的に得意なので、
書くことを教えるのは一番下手な教える領域なのではないか。
書くことそのものを教えるのがそもそも難しいから、
書けなさを解除するしかないというか、どっちかっていうと。
そこのノウハウは実際に教えてあるからだろうなというのは思いますね。
あと最近、ちょっと余談的な感じなんですが、
大事なんじゃないかなと思っているのが、
意外といろんな方々が書くのに時間がかかっている。
めちゃくちゃ時間がかかっている。
例えば日記の文章とかってこと?
そうそう。ディスコードなんですけど、
誰々さんが入力していますってディスコードってタイミング被ると出るじゃないですか。
出ますね。
自分が入力していて、他の人と数回やり取りをしている間、
誰々さんはずっと入力をしていて、
出てくる文章というのは投稿する分量と大して変わらないぐらいの分量。
1パラグラフとか2、3文章ってことね。
イメージなんですけど、自分の中でそれは2、3分かからず書けるんですよね。
それもイメージなんだけど、時間がかかっている人は10分で終わらない。
おー、なるほど。
これはコミュニケーションで苦労する。
テキストベースのコミュニケーションですごく苦労して大変だろうなっていう感じがあって。
確かに。
そこはやっぱり練習して、しゃべるだったら多分そんなことはないはずで。
まさにそういうことですね。書くの時にする規範というのがあるんですね。
それは結局、もちろんいろんなスキルだと思うんですけど、ぐちゃぐちゃでも気にしないというスキルとか。
っていうのもやっぱり、こういう時代はもはや音声よりもテキストやり取りの方が多い時代においては、
綺麗に書けると同時に早く書けるっていうのも非常に重要な能力なんだなっていうのを思うようになったっていうのかな。
綺麗に書ける能力って多分そんなに必要じゃないというか。
この本にも出てくるんですけど、その綺麗な文章は突き詰めると生成AIになってくるわけですよね。
3行渡してこれで頼むって言って。
その人ならではのゴリッとした感触がある文章、そういう文体を伴った文章の方が価値があるし。
だから、文章が上手い下手は文章の中身の後についてくるものやから。
何か良いこと言うことではあるんですよね。
難しいのと書くことっていうのがやっぱりいろいろと奥深いのと、ずっとやっているから
いろんなことを忘れてしまっているなっていう感覚を。
かけなさで苦労、そのレベルで2,3,4,5,10分かかるというようなかけなさは確かにあまり経験しない。
そういうチャットの場では気にしないが先に来るもんな。
正しいか正しくないか分からないけど、多分俺もラシタさんもそうしていますよね。
相手の理解力を信じる。
文脈前提で喋るしね。ある文脈がある前提で。
だからブログの文章とか本の文章でつまずくはないけど、ちょっと時間がかかることはあるけど、
ツイートとかディスコードでつまることはないね。
コミュニケーションの変化
言っていないと、日記と同じじゃないですけど、
昨日こうこうこういうことをやって、こうしたらこうなりましたぐらいのイメージかな。
ここは課題だなと思ったみたいな話とかっていうのが素早くかけることって重要じゃないな。
とても役に立つスキル。
それは結局試行速度の速さでもあるよね。
多分その言語が出てこないなのかな。
頭の回転が速いって言ったら文章としてまとめるのが速い。多分ニアリーイコールだと思うね。
リアル会話ほど早くなくていいじゃないですか。
ここで悩んでいいわけだけど、
フォトキャストで30秒間が空くのはあまり良いとは思えない。
確かに。
っていう意味ではやっぱり練習である程度上達できるだろうし、練習する価値があることなんじゃないかなっていう。
特に僕らはほとんどデジタル執筆。
やっぱり原稿用紙万年筆世代の書くとはやっぱりその書くの行為のリアリティが違う気がするんだよね。
向こうの人たちから言わせれば、こんな時代の魂の持っていない行為よっていう。
でもやっぱりデジタル世代ってさ、まず書いてから考えるっていうスタイルだと思うよね。
ほぼ、むしろ書いたから考えられたぐらいのイメージ。
文章を頭の中で完成させたから書こうとするとやっぱり時間がかかってしまうなと思うね。
だから小さな単位で書いていくとかそういうことも含めてなのかな。
思うね。この前僕自分でちょこちょこ書いてるんやけど、
人が日記どう書いてるのか知らんけどさ、時系列全く無視して書いてるなって自分で思ったのよ。
だいたいまず夕食から書くのよ僕、日記。
なぜなら一番覚えてるから。
近いからね。
で、夕食のことを書いてると、例えばその後に何杯飲んだとか、その前に夕食の前に買い物に行ったみたいなことを連想的に思い出して。
で、思い出したらデジタルテキストやから上に書いたらいいわけですよね。
前のことは上に書いたらいいからっていう風に思い出した順番に書き並べていくっていうことを自然にしてるなと思って。
日記から書けない人は必死に思い出そうとしてるんじゃないかなとちょっと思った。
俺ちなみにね、全部ね、タスクも見ながら書くっていう技があるので朝からできる。
キーを残してある。
そういうのは確かにね。
だから思い出せるところから書けばいいというようなこの楽なデジタルライティングは、その執筆しやすさに繋がっていく。
そこもひょっとしたらあれですよね。やっぱ俺たちぐらいの世代までは当たり前だけど紙に書かされていたから。
確かに。
デジタルで文章を書いてないんですよね。やっぱ。
そういう意味だよね。だからその報告書とかフォーマットが決まっているものは書いてたかもしれんけど、
自分の思いを綴るっていうことをデジタルでやったことがない人は結構いるかもしれないね。
まあその辺をあれですね。やっぱそれは自分の中長期のやっぱ目標というかやりたいこととしてその教えるっていうと偉そうだけど教えられたらいいなっていう。
はい。で、124回ランニングする前に。
あれですね。一言で言うとスロージョギングっていうやつが面白いよって思ってやるようになったよっていう話で。
今日そういえばちょうどだいぶ長期間休んでいて、久しぶりに走りました。
なんかついにやっぱ目覚めたなって感じがして。
何に目覚めた?
運動してないと調子が悪いということが分かるようになった。
なるほど。なるほどね。
そのとか例えばなんかこう気分が良くないなっていう時は運動が足りていない。
なるほど。
本能って言えばいいんですかね?言い方として。
本能ではないよね。たぶん。
本能じゃないな。その感覚と運動不足を結びつけられるようになった。素早く。
なんか嫌な感じだなっていうことの自分の場合のかなりの割合は運動不足だった。
血流が悪い。
まあそういうことね。
血流を改善するだけでかなりイライラする気持ちが収まるとか。
なるほど。
その体が、首が疲れたすらも運動していないせいだったりとか。
はいはいはいはい。
ことが分かるようになってきて。
それがやっぱ自分の場合で言うとやっぱずっと前から知ってはいた
有酸素運動と筋力トレーニングの両方をやるようになったおかげだと思いました。
なるほどね。
それだけでは自分の場合は多分足りない。
なるほどね。
身体値っていうのが上がってきてるわけね。自分の身体に関する知識というか知恵みたいなのが上がってくる。
センサーがもうちょっとAVになったって感覚がある。
あとそれを、センサーがAVになった。それを認識できるようになった。
僕の言い方をさせてもらうと語彙が増えたという感じがしますが、ある表現ができるようになったっていう感じがするね。
これあれのせいやなって知覚認識できるようになったという広がりは、スキルが上がったというか大切なことですね。
いわゆる算数の勉強ができるようになったとは全然違うできるようになった感じっていうのかな。
そういう感覚はあって。
ちなみにやっぱね、加齢を思い知ることはすげー多くて、いろんなところが痛くなる。
無理をしないで続けないといけなくて、これが10年前ならずっと毎日続けて、とにかく数字を良くしていくことが目指せた。
今だと1ヶ月続けてすっげー数字良くなってくるんだけど、ちょっと足が痛くなる。
休んだり、強度を下げたりして、プラ等に相当する期間を非常にきちんと乗り越えていかないといけない。
これは例えば20歳、高校生ぐらいまで運動していた人が40歳過ぎてから運動し始めて、同じようにやれない不満みたいなものっていうのもやっぱり味わいやすいし、
簡単に無理して怪我してしまうなぁと思うし、この成績じゃないところでの評価みたいなのがやっぱり大事なんだろうなっていう感じかな。
成績じゃない評価軸を自分の中に持つというのは、運動だけじゃなくて、生きること全般において。
生きること全部ですね。本当に。例えば年収で評価したら人類つまらんからで生きるのが。
運動と自己表現
僕この前、だいぶ前からアクリル絵の具描くみたいな話してましたけど、成績評価したらいいのか?
そうだと思うけど、そんでいいと思う。
非常に面白いし、評価軸を豊かにすることによって自分の人生が豊かになっていくと。
僕たちは評価軸人生を遅らされるわけですよね。日本社会に生きていると。
成績評価、それは学生の頃から多分ある種の会社員に入ってもずっとそれだと思うんだよね。ある種の成績として。
会社員なんてもうまさにですもんね。
営業成績とかもまさにそういう感じじゃないですか。
それはそれで一つ、ある種の能力市場においての判定指標ではあるけど、それだけが人生だとやっぱり寂しくなってくるんで。
だから趣味の運動で、読書でもそうだよね。
差数を追い求めると虚しくなってくるというのも同じ話で。
そういうのとは違う軸をどうやって作っていくかというか、自分の人生で育んでいく大人の課題ではありますね、これは。
趣味の読書ってやっぱりそこで難しいのが、極端なことを言えばジョギングの方が簡単で、成績は。
読書なんて本当に差数以外の成績を出せないですもんね。
数値がないもんね。
勝った本の差数とかお金とか、そういうのは数値ができるけど、それ以外の一切の数値は受け入れんからね、基本的には。
そういうものほど難しいのか。高度であるとも言える。
高度ではあるけど、それをするしかないというところはあるかな。
質的なものしか残されてないという意味で、排水の陣的な感じではあるけどね。
運動と健康の重要性
それを楽しめないと、想像なんだけど、40を過ぎてからの後半生が楽しめなくなってしまうのではないか。
お金はお金で、持っててもどんどん減っていくという恐怖にまみれることにもなるから。
仮に1億10億持っていたとしても、やっぱ減ることは怖いから、できないなりにうまく。
そういうのが自分から求めてやるというよりは、体が痛いからどうのこうのみたいな。
嫌悪なしにそれと向き合うという形になってくると思うけど。
そういう体験をしている人が1人でも知っていると、そういうことなんだというロールモデル。
いきなり何の情報もなく40代でそういうのに遭遇するよりは、ちょっと安全マージンが効いているような気がするね。
こういう人が周りにいると。
そうですね。
俺は風邪をひいたりとか、年末は1週間2週間ぐらい。
寒くて嫌だから、せめて散歩だけにしようと思って。
歩くだけを続けていて。
久しぶりに走って、案外走れた。
とか、あともうやっぱ早く一切目指さなくなって。
目的が今は何に。
そういう言い方で言うと、完全に気分を良くするために走っている。
なるほど。
っていう意味で、健康とは多分違うんですよね。目指しているものが。
結果としての健康は得られるかもしれないけど、健康になろうとは思ってないってことね。
健康的にしてやろうとしているわけではない。
生ネグさんが前に参加してくれた時だっけ?
ジョギング自体が目的になっているとかって言っていて。
厳密に一緒ではないけど、自分もそれに近い感覚なんだなっていう。
どっちかっていうと、ジョギングをすることで気分が良くなることが目的になっているではあるんだけど。
短期的に帰ってくると分かるようになった。かもしれない。
何よりも、中断したけど復帰してるってこと自体がすごいなと思うよ。
大抵の場合、流れていくもんやから。
そこはこう。
こうそのものに価値を感じているから、復帰できるんやろうなと思います。
そうですね。そこは勉強した効果はあって。
なるほど。
歩いても心拍100なんですよね。110かな。せいぜい。
130になるんですよ。
はい。
どう考えてもそっちの方が運動量は多いだろうなっていう。
間違いないね。
で、主観的疲労は変わらないので、それなら走るかっていう。
そういう風に変化しているのは良いことだし、こういうのってやっぱり健康の…してる俺かっこいいっていう理想像から入ると、中断したらダメなわけですよ。それはもう。復帰できなくなる。
それでできる人なら良いと思うけどね。
でも、何かしらで中断するやん。人間って。
うん。続けられん。そんな上手く続けられん。
そうなった時に自画像が壊れているのを直視した運動みたいな虫っていうのは、継続においては非常に弱いというか脆いかな。脆いので。
そうですね。ロバストとか冗長性とかそういうのはいるかもしれない。
そういうときはやっぱり行為そのものにどっかで価値を感じるところにシフトする。シフトできたら続きやすいんじゃないかなと思います。
そういう意味でやっぱり、案外これも紹介したら流行ったと自分の中で思っているんですけど、いい距離感なんじゃないか。
誰でもできるは言い過ぎだけど、多くの人が取り組みやすい種目であり、苦しくないものである。
はい。
で、125…
自分の時間を取り戻す完璧な習慣。
はい。時間実態全という本の新しい本ということで、この本も紹介して結構いろんな人が読みましたよという話も聞いて、
良かったですというコメントが返ってきたので、非常に良い本を紹介できたと思うんですけど、
なんていうんですかね。
この本なんですけど、やっぱり一番気に入っているスタンスがこの押し付けがましくなさとマニアックな自覚っていうこの2つが成り立っているところで、
この方法こそが人生をほにゃらにするたった一つの方法だというスタンスを取らないけど、
好きにしてくださいほど自由でもなくて、僕はこれがいいと思うんですっていうオタク語りのこの距離感っていうのが、
ノウハウ本としてはこれぐらいが一番いいんじゃないかなという、物書きとしての評価ですけど、感じた本。
内容も非常に重要というか、ライフハックで語られてきたことの良い部分を抽出していると思うんで、
時間をどう使うのか、特にハイライトっていうのを決めて、それに合わせて進めていくっていうところは普通に使えますし、
もう1個は本編でも言いましたけど、
ノウハウをどのように実践していくのかっていうところで、実験する気持ち、試す気持ちでやっていきましょうというその進め方、
特に多くのノウハウ本は方法が提示されたら、これはできて当然みたいな感じで進むわけですけど、
ゆっくりいろいろ試してできることを増やしていくっていう感じで人間っていうのは学習していくんで、
そういう当たり前のことを、ちゃんとリアリティのあることを提示してくれているという本でも、
他方面からこの本は良い本だなと思うんで、復刊されて良かったっていうことを教えてくださいっていうところですかね。
おれは本は読んでないんですけど、話で聞いたハイライトという概念を真似してみたら、
割と良い感じに物事が進むようになった感じがあって。
今日1日仕事始める時にハイライトを見出すみたいな?
うん、1個しかやらないように決めて、これだけやれたら良いでしょうっていうのとか、
あと実験的に朝に決めるの難しいから、前日に次の日の分を決めておく。
できなくてもいいと思いつつ、1個ならしゃーねーからやるかって朝に思える。
と、決断のリソースが減るので着手しやすいのではないのかみたいなのは、
もうちょっと自分なりの良いやり方が整ったら、ちゃんとまとめられるかもなんですけど、
キーワードとしてそのまんまハイライトっていうキーワードをそのまま真似したのは自分的には良い。
なるほどね。やっぱりおっしゃられたけど、ハイライトを決めてやったらちょっと気分が良いんですよね。
もうね、そんだけできたら十分なんですよね。
この気分の良さを作れるということなんですね。自分でデザインできる。
で、それができてない状態ってどうなったら気分が良いのかを自分で決めてないということですから、
他人任せなわけですよ。ある種状況任せ、他人任せな。
自分の心を自分でコントロールできなくなっている。
だからコントロール性が失われているということだと僕は思うんで、
一個だけやって、できなくてもしゃーないとくれて、できたらいい。
というのがこの一番ミニマムな主体性を発揮するということだと思うんですよ。
そこから始めて、だいたい調子に乗って密度が増やして、どっかダメになるんですけど、
そういうことを繰り返しつつ、良い落とし場所を見つけていくというのも実験的な進め方だと思うので、
まず1個からやる。
あとね、1個やるとね、さっきの調子に乗ると同じなんですけど、
もう1個くらいやってもいいかと思えるとか。
それはさらに言うとボーナス枠なので。
2個やったらすげーやん俺ってことになりますからね。
2個なんてありえない評価ですからね。
すげーやん俺ってナロシスティックに聞こえるけど、そうじゃないんですよね。
これってセルフケアなんですよね。
自分で自分を褒めることができるかどうかって非常に重要なことで、
それができない人ってさっき言った規範性なんですよ。
人間はこうあるべきだみたいな。
他者が決めた規範でしか自分を評価できない。
やっぱりしんどいわけで、そこを何とか控えすときにそのハイライト的なもの、
あるいはその習慣の主体的であるということもそういうことだと思うんですけど、
ライフハックの実践
そこを一回自分軸に引き戻そうということだと思うんです。
それがたぶん現代的なライフハックとかセルフマネジメントの起点になるんじゃないかなと思います。
別に仕事に限る必要もないでしょうからね。
台所を片付けるというハイライトでも全然よくてですよ。
それやったらすげーやって自分に褒めるってすごいんですよ。
それって本当に生命活動に関わらないわけじゃない。
引っ掛けられてから逃げるとかは違うわけじゃないですか。
台所を片付けても。
台所を片付けに行くってもしない。
でもそれでもやったっていうことはすごいことを成したと改めて言えますし、
僕からしたら世の中に子どもを育てている人はみんな異業を成しているという感じですけど、
当人たちはまだ足りない。
もっと理想的な親っていうことのギャップで苦しんでいるとしたら、
やっぱり自分で自分を認めてあげないと、
たぶん子どものことも評価できなくなるんじゃないかなと思って。
それは親子の関係だけじゃなくて上司と部下でもいいですし、
チームのリーダーとメンバーでもいいんですけど、
自分を褒められない奴が他人を褒められるわけがないだろうってことですよね。
そういうとこはコミュニケーションのスタートとしても自分を褒めるっていうことはできた方がいいんじゃないかなと思いますね。
はい。で、126回。汗はすごい。
これはまんまドストレートに言って言うか、ランニングの経験を持って、
大体その同じような分野のことに興味を持ち、
読書会でこれも教えてもらった本なんですけど、
すごいというタイトルというか、確かその時に紹介してもらった内容っていうのがやっぱり興味深いなというか、
汗のこと分かってないよなと思ったんですけど、
読んでみると、まず大前提として当たり前だと思っていた感覚はほぼ全部真逆だった。
はい。
その、頭とか脇とかは汗はめちゃくちゃ書かない場所だったんですよ。
はい。
で、それを読んでみると、
汗のこと分かってないよなっていう、
極めて当たり前に感じていることだらけだったんですけど、
その、頭とか脇とかは汗はめちゃくちゃ書かない場所で、
ただ、排気、換気されないからすごく汗をかくように感じた、
みたいな話とか、やっぱトレーニングすれば汗はかけるとか、
日本でいうとやっぱお風呂の習慣というのは、
夏も冬も問わずニューヨークだね、お風呂じゃなくて。
ニューヨークというのはめちゃくちゃいいトレーニングになるんだろうなっていうことも実感したし、
熱中症とか風邪とかそういうものの理解が深まったとかもあったかな。
で、今日とかもやっぱ寒いって思いながら、
15分か20分ぐらい経つとやっぱ汗かくし、
指冷たいのとかもすごく汗かくんですよね。
はい。
そのぐらい熱という概念が人体にも適応されてるんだなっていうのも分かった気がする。
理屈としては分かってても、意識はしないよね、そういう熱みたいなものはね。
動いたら熱くなるから排熱してやらないといけないぞっていうのは、機械も人間も実は全く一緒だった。
無意識で動作されてるから、それが動いてるとは僕たちは思ってないけど、
どんどん熱は排出されてるわけだね、僕たちの体の中で。
何よりも垂れてくる時点で、それはエラーっていう言い方は悪いけど、
まだうまく機能していないことを知っている。
タイミング的には真夏に話せた方が良かったんですけど、興味を持ったタイミングがこの時だからしゃーない。
いやでも準備としてはいいんじゃない?夏場よりも。
だって汗のトレーニングを考えると、ちょっと前からやった方がいいわけで。
今の時期は入浴しといたらだいぶ効果的でしょうね、きっと。
127回、哲学史入門4。
1から3を軽く紹介した後に4を紹介しまして、倫理の話で、様々な倫理の正義論とか、ケアの倫理とか色々話を紹介したんで、
どこも面白いし、僕の興味のテーマの延長線上にもあるんですけど、
まとめるのはやっぱり一番最後に出てきた話で、色々な正義論とか合理主義とかケアの倫理論とかありますけど、
どれが正しいんですかという考えではなく、それぞれの主義とか思想とかっていうのが適切に適応される場面があるんではないか、
場面というかレイヤーというか層があるんではないかという話が非常に印象的でして、
倫理と哲学の進展
これまで学んできたことがそういう視点で統合できるのも面白いなと思って。
例えば関東の倫理学を読んでいると、あまりにも極端なんですよね。
嘘をついてはいけないっていう話。
殺人者があなたの知り合いの住所を聞いてきて、嘘をついてはいけないと言われて、
本当にそれが倫理なのかっていうことを考えてしまうけど、
裁判所とかのレベルでそういうような倫理化を求めるっていうのは正しいかもしれないけど、
それは個人には持ってこれないよなっていうずっとモヤモヤした感じがあったんですけど、
その領域ごとに適切な考え方思想っていうのがあるって見たときに、
人類の哲学の地の歩みっていうのは、
それぞれに異なる領域の思想を育ててきたんだなというふうに振り返ると、
地の層ができているんだなというのを感じまして、
そのまとめが一番この本で印象的だったんで、
多分これは倫理だけの話じゃないなとは思うんですよ。
多分いろんなところで適用できて、
今僕が考えているノウハウ系の話、知的生産とかセルフマネジメントでも、
哲学と倫理の考察
多分いろんな層でいろんな考え方が成立する。
だから一つの物事の処理の仕方だけで、
全ての層を大理論みたいなものは多分なくて、
だとしたらそのそれぞれ層に適切な考え方とかを、
持ってくるのがいいんじゃないかなというふうに、
自分の仕事にも引き付けて読みましたね。
倫理っていうのが、
お題カテゴリーとして哲学に入るって、
自分の中でそのレベルで昔は分かっていなかった。
なるほどね。
道徳になってしまうんですよね。
でも正直さらに言うと、小学校の道徳とか悪い意味で、
その真の意味での倫理を学べるのって、
学校の勉強では社会じゃないですか。
そういうところから、やっぱ人文学というもののことを、
自分は知らんかったんだなっていうのは、倫理とか、
そういう話をしているとすごい思い知る感じがするな。
倫理の歴史とか学んできても、
結局何が正しいのっていうふうに、
多分思ってしまうと思うんですけど、
他のもっと倫理的な学問を学んでる人からしたら、
結局真理って何なのって話になってくるんだけど、
多分そうではないというところに、
気づくのが多分倫理という学問ですね。
やっぱ答えが出ないことを考えることが重要である。
答えがないからこそ、
ある考え方を参考にして考えられるようになる。
だから答えを得るためじゃなくて、
自分で考えるためのきっかけとか、
手がかりを得るために学ぶというところ。
そのための学問という感じですね。
それは倫理だけじゃなくて、
哲学そのものが多分そうやと思うんですけど。
ちょうどさっきの成績とか評価とかの話ともろつながるんですけど、
なので結論だけ早く言われて、
結論を言ったら意味がないですからね。
そうやね。逆に言うことをしてしまうということになるんで。
そういう時に、いやいやちょっと待ってよというふうに、
ブレーキをかけるのが、
ナイス倫理の仕事ですからね、きっと。
ちょうど128回がネクサス情報の人類史なんですが、
ちょうどそのブレーキみたいな概念がネクサスの中で、
自分が割と重要だなと思ったことの一つ。
本編でどのくらい触れたかちょっと覚えてないんですけど、
やっぱ民主主義っていうのが、
効率が悪くって急に進みすぎなくって、
しながら決めないといけない。
そこで即断即決ができないと言えばいいのか。
そこが資本主義の優れたところだ、
みたいな言い方をしていたという感覚があって、
その観点でも倫理とドストレートにつながっている。
倫理的社会を進めていこうとすると、
今のところ資本主義みたいな概念とか、
現代の社会制度っていうのが最高ではないけど、
これよりマシなものが見つからない。
だからAI民主主義みたいなものがなせるのかどうか、
なってくるでしょうね、きっと。
それがなせないとしたら、
多分人間の倫理というのはことごとく無視されていく社会になるでしょうし、
だからそういう価値を僕たちが信じて、
票に変えられるかどうかというところも、
多分問われているんだと思いますけども。
そうですね、ちょうどやっぱり21世紀セカンドクォーター、
25年でどうなっていくかめちゃくちゃ変わりそうですからね、単純に。
どんどん即決答えに行く方向もありつつ、
例えばAIを使って時間をかけて学ぶっていうことも
使えるわけじゃないですか、AIそのものは。
使い方次第ですね、基本的には。
時間をかけて何年に何回も何回も
しつこく議論する相手にもなってくれるわけですね、AIというのは。
人間相手では無理な打ち返しというのが可能なわけで。
だからやっぱり最終的には僕たち、まだAIは道具の段階なのでギリギリ。
使う人のあれによって変わっていく、
まだ完璧には定まっていない段階で、
何を選ぶのか、僕たちが。
AI民主主義の可能性
そういうところは多分正面切って考えなければならない問題で、
それはやっぱり哲学の歴史とか人類史とか社会学とか、
人間とは何だったのかということを
多分考える必要があるんじゃないかなと思いますね。
っていうのが大きく2025年のやつかな。
もう一つが関西でリアルのイベントもやりましたよねっていうのは
後半にやったんでしたっけ、いつだったか忘れちゃったんだけど。
えーっとね、多分前半やったんじゃなかったかな。
前半ですね、これを見ると。
多分前半ですね。
2月にやってますね。
触れるの忘れてただけで。
そうか、確か年末に100回記念のイベントを2024年末に東京でやって、
関西で5年の2月にやったのかな。
1年にこれぐらいのイベントがあったら、
おんのじぐらいかな。
そうですね、半年に1回、1年に1回ぐらいがリアルイベント。
リアルはリアルで、ネット便利だけど価値はありますからね。
これも時間をかける価値というかね。
手間暇かける、コストをかける。
会ってしゃべった時に上手くしゃべれるかどうかはわからないというリスクを引き受けつつもやることっていうね。
オンラインならね、つまらんかったらもう切るとかしてしまえば
帰るのは面倒だから、少なくとも往復時間は損してしまう。
そうしたらやっぱり前向きな人であればその時間を楽しもうと、
自ら楽しもうという気持ちが練習できるとしたらそういう場ですよね。
スイッチ切れる空間では練習する機会がなれないんで。
そう、やめてしまう。
主催的に参加した方が結局面白いっていうことを身にしみて思い知らされるというのか。
なるほど。
結局のところ、主催者が一番楽しいのはほぼ間違いなくて。
リアルイベントの価値
それは間違いない。
そうそう。
じゃあ主催者でなく参加する側として、あと何ができるかっていうと可能な限りコミットをする?
そうやね。
っていうことになりますからね。
そういうのはリアルの場も限界があって、
どこでもいつでも何回でも行けるわけではないですけども、
何か機会があればやりたいですね、イベントは。
もしこの辺でやろうぜとかそういうのがご意見があれば、
日本国内なら多分俺はどこでも行けます。
何回もやる場合ってさ、イベントの趣旨というかテーマというか、
だってずっと僕たちの語り方をするわけにはいかないじゃないですか。
何か定期的に集まれる名目があったらいいんですけどね。
これもまたイベントを主催してやっぱり思うのが、
いわゆるオフ会だけだとやっぱり参加しづらい人が多くて、
本編がないとダメなんですよね。
立前としても本編はいるんだよね。
っていうのは普通にオンライン配信をすればいいんだけど、
オンラインじゃないのは収録をすればいい。
リアルの場合収録難しいんだよな。
キーグ的な問題もあるしね。
パソコン、マイク、それぞれマイク持ち寄って、
ダイナミックマイクとかならまだだいぶいいんですけど、
今我々が持っているのがコンディショナーだし、
そういうところも時間をかけて整えていけば。
テーマは、頑張れば何か思いつける自信はあるので。
そうなんだけど、毎回何か思いつかなきゃいけないっていうこと?
なんか定型が一個気楽やなと思っただけなんだけど。
あー、その使い回せるテーマ。
そうそうそう、そういうこと。
使い回せるテーマか。
でも僕語り人の語り方な気がするな。
最近どう変わったっていう。
あー、なるほどね。
でもまあ、この読み方か、本の書き方とか、本の選び方とか、
読書メモの書き方ぐらいしかないもんな。
前はこうだったけど、最近はこうやって配信していますっていう。
配信とか準備とかですよね。
そうだね。
準備の仕方とかは、多分言語化すると結構変わったりもして、
準備の仕方も大きな意味では変わっていないけど、変わっている。
だから、繰り返せるのはそれなんじゃないですかね。
なるほどね。
それしかないというのか。
そうだよね、それしかないよね、基本的に。
はい、という感じで、今年、2005年、今年じゃないですね、去年は。
去年は大体こんな感じだったっていうお話でした。
来年に、今年向けて何かこれしたいみたいなのあります?
抱負ではないけど。
ブックカタリスト的な何かで。
特にない?
なければいいよね、別に。
全然違うんだけどね。
生成AIで何か作るのが超楽しくってね。
それをブックカタリストにも応用できるかなっていうか。
プログラミング的な?
そうそうそう、そういう感じ。
そういうのは、直接本を読むでは全然ないんですけど、
今年めっちゃやりたいことですね。
僕らが読んだ本とか情報を詰め込んで、
質問したら本の名前を答えてくれるプログラムとかは?
ブックカタリスト、ブックガイド。
ナレッジスタックポータルは作っていて、
ブックカタリストポータルは勝手に作ってもいいかもと、
俺は思っていました。
喋った内容から、ある程度コンテンツが切り出せるので、
そこからその本を探せるとか、
そういうことはできるかもしれない。
何しろこのメインの配信しているサブスタックは、
アーカイブ性が非常に悪いので。
ブログと一緒だけど、全部そうですね。
何らかの方法で整理しないとダメだなっていうのは、
アフタートークで語りましょう。
そうですね、わかりました。
ということで、今年もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ご意見、ご感想、あと明けましておめでとうございます、
一言でもハッシュタグでツイートしてくれると嬉しいので、
ハッシュタグがついていれば嬉しいので、
ぜひぜひよろしくお願いします。
それでは、ありがとうございました。
ありがとうございます。
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