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1/5_晴盆さん-岸野さんのクロストーク
2026-06-01 34:01

1/5_晴盆さん-岸野さんのクロストーク

2026年5月。オンラインで収録しました。品川区で活動される晴盆さん。墨田区を中心に活動する岸野さん。今までは挨拶した程度の関係性だったんですが、私(ヒデドン)がぜひ二人の対話を聞いてみたい。で実現しました。なんだかんだで、オンラインしたのは150分。言い出しっぺは私なんですが、どう編集(カット)していいのか、途中から分からなくなったので、ほぼノーカットで5回に分けて配信します。盆踊りが中心ですが、いろいろな話をしました。


<初回の要約>

ヒデドンは、盆踊りを運営する岸野さんと晴盆さんには、活動地域やスタイルは違っても根底に共通点があると感じ、二人をつなぐ対話を企画した。晴盆さんは、品川区の盆踊り会場が減っていく危機感から、90歳、100歳になっても近所で踊れる場を残したいと考え、2019年から地域密着の活動を始めた。コロナ禍ではオンライン練習会を行い、再開後は地域イベントの需要の高まりを受けて活動を広げていった。

岸野さんは、子どもの頃から墨田区の盆踊りを自転車で巡り、曲目を記録してきた。既存の盆踊りに新しい音楽を取り入れたい思いを長年持ち続け、日本橋や高円寺の大盆などで、地域の文脈を壊さずに新しい盆踊りの形を実現してきた。

二人に共通するのは、外から派手に変えるのではなく、まず椅子運び、練習会、ゴミ拾い、町会との関係づくりなどを通じて信頼を積み上げる姿勢である。盆踊りを続けるには、音楽や企画力以上に、地域の順序、空気、長い時間軸を尊重することが重要だと語られている。

感想

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00:02
今日は、東京の岸野さんと晴盆さんにオンラインで繋いで、3人で僕らの時代をやりたいな、と。
僕らの時代だ。憧れだわ。
今日ちょうどセント入ってて気づいたんですけど、なんでこの企画を思いついたかっていうのは、
一番最初は、ちょっと思いつきだったんですけど、その思いつきを2年ぐらい前に東京の人に話したら、
それって、2人って接点っていうか共通点あるのかな、みたいな感じで言われて、
そういう見方もあるんだっていうふうには思ったんですけど。
俺がちょっと整理しようか。
ヒデドンが盆踊りをオーガナイズっていうか運営をしている晴盆さんを知っていた。
で、同じように盆踊りのオーガナイズ運営をしている岸野さんも知っていた。
この2人には接点があるのかどうかっていうことを思いついたわけね。
お互いに、岸野さんはね、月に2回会う期間もあるんですけど、
晴盆さんとも2回結構長く話している中で、
結構多分表面上はあんまり接点というかエリアもフィールドも違うような2人だけれども、
僕はすごい根底の方では繋がりがあるなっていうふうに感じてて、
思い出あったり。
そこをちょっと今回、もしかしたらないかもしれないですけど、
共通点はないかもしれないけど、あるかもしれないなっていうので、
やっぱりやってみたいなっていうので、今日はよろしくお願いします。
つまり晴盆さんと岸野を話させてみたいってことね。
そうですね。
お互いそれぞれどんな思いでやってるかっていうことを聞き出したいってことね。
そうですね。もしかしたら、というか僕は接点があるような気がしてるんで、いいところです。
なので次は晴盆さん、自己紹介お願いします。
私ですか。
品川区のボードラーの晴盆と申します。
最初はそのツイッターで、晴盆っていうのは個人名でボードラーネームとして活動してたんですけれど、
2019年あたりからちょっと品川区のボードリ会場がどんどんなくなっていく現状を垣間見て、
それで2019年から晴盆っていう練習会からスタートして活動しております。
03:06
ほぼほぼ品川区界隈で、もともと自分が盆踊りが趣味になって、
その盆踊りをするにあたり、90歳、100歳になっても、
ヨボヨボになっても踊りに行きたいなって思ったときに、
自分の家の近くで盆踊り会場が存続してないと困るっていうのかな、
品川区、もうほんと地域密着で活動をしております。
2019年で始めて、すぐコロナになっちゃったと思うんですけど、
コロナ2020年ぐらいからどうだったんですか?
でもギリギリ、
コロナになる前がもう盆踊りが瀕死の状態で、
揃いの浴衣のおばさまたちがすーって踊ってて、
子どもたちは誰一人踊らないとはいえ、
たまに踊りたいという方が後ろからついてて、
酔っ払いがついてて、何となく会場にはなるんだけど、
ファミリーとかは踊らないし、
もう盆踊りなくてもいいんじゃないみたいな、
世間的なのがコロナ前だったんですけど、
そこからコロナに入ったじゃないですか。
でもそのときに活動し始めたときに、
品川区の自分の周りの盆踊り、掲示板貼ると、
結構ライダスしてくるっていうか、
私も本当は盆踊りやりたかったんだっていう人たちが、
何人か何人か集まってくれて、
とはいえコロナでピタッと止まるのはもったいないから、
晴れ盆としてはオンラインで皆さんと、
でもおばさまばっかりだから、
でもスマホの練習になるじゃんっていうので、
スマホのつなぎ方から結構電話したり、
LINEしたり、丁寧に皆さんに周知して、
で、ちょっとオンラインでその晴れ盆のチームは、
なんか時間決めてやってたみたいな感じでしたね。
コロナのときはね。
で、明け始めると、
今度はね、みんなイベントが枯渇しちゃってるから、
何かやりたいっていう施設さんとか、
みんなどっかで行って、
なんか楽しみたいっていうニーズがすごかったじゃないですか。
で、その頃が橋場のハッティーサイトの盆踊りの運営さんが、
たまたま知り合いだったんですけど、
その知り合い経由でそのお話いただいて、
06:02
橋場で3日間施設でちょっと任せてもらえて、
やらせてもらってから、
どんどんイベント復活しましたねって感じでしたね。
で、現在に至るっていう感じなんですか?
そうですね。だからコロナのおかげで盆踊り、
どこで、
あの時代どこで何やっても全部盛り上がるじゃんっていう感じがしますよね。
今も盛り上がりは盛り上がってるけれど、
コロナ時代は何やっても盛り上がってましたね。
どちらかというと。
えー。悪い面だけでもないっていう感じもある?
うん。やっぱりみんなやりたがってたみたいな。
イベントなくなっちゃったから一切。
フィジカルに集まることが禁じられたりしたので、
コロナの時期は。だから集会したりすることがダメだったんですよね。
禁止令出たからね。
僕も随分イベント中止になりましたもん。
コロナの時期は。
そのときにやっぱりみんな、
いや、集まるのって大事だよねって気づいたんですよね。
それが良かったんじゃないかなと思いますよ。
特に目的がなくても集まって、
一つの場にみんないるって尊いことだよねって気がついたんですよね。
だからとても良かったと思いますよ。
日本で戦後にジャズブームっていうのが起きたんですけど、
戦前にはジャズっていうのは結構日本の中で受け入れられて、
みんなジャズ大好きだったんだけど、
戦争になってから禁止令が出たんですよ。
英米の音楽ダメだって言って。
禁止令で一度禁じられたもんだから、
終戦になったら一大ジャズブームっていうのが起きたんですよね。
だからそんなのとちょっと近いかもしれないです、感覚としては。
確かに。
じゃあそんな岸野さんお願いします。
僕自分でですね。
いろんなところで話してるけど、子供の頃から盆踊り、地元のね。
特に牛島神社っていうのの宇治湖が墨田区で、
墨田区の真ん中らへんのも京都みたく5番の目になってるんですよね、道路が。
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そこも戦争でやけの原になっちゃったから、
区画整理で5番の目になってる。
そのあたりが大体牛島神社と亀戸天神の宇治湖なんですけど、
それが9月の第2週に一斉同時多発盆踊りっていうのがあるんですよ。
30カ所ぐらいの矢倉が、
もう辻々に立って、道の。
通りを2つ離れたところの矢倉の音が聞こえてくるみたいな感じで。
それを子供の頃に自転車で回って、
トラックリストを作るんですよ、何の曲がかかったかっていうのを。
今だと矢倉に張り出されたりするでしょ、踊る曲みたいなの。
昔はそんなんなかったから、
1カ所に張り付いて曲順を書いていくしかないわけですよね。
それが30カ所あるから、
結局そのトラックリストを書き出すのに30年かかってるんですよ。
そこから先は、どの会場で何時ぐらいに何がかかるから、
自転車で全部回るようになったんですけど。
今や張り出されるんでだいぶ楽になってますけど。
地元の盆踊りをとにかく回って踊ってたっていうのが、子供の頃からあって。
ひとつ後悔してるのは、
若い頃に青春18キップとかで偶像とか行って、
いろんな地方の盆踊りを体験するっていうのをしとけばよかったなあっていうのを、今にして思いますけど。
とはいえ、そういう役割だったんでしょ。地元のことをやれっていう。
で、いろいろ回ってくうちに、
なんで盆踊りでずっと東京運動、炭鉱節、焼き節、そんなのばっかりで、
新しい曲で踊んないっていいのに、その割には人こない人こないって言ってて。
例えば、当時大瀧英一さんとか、高校生ぐらいのときにレッツオン・ダ・アゲインとか出してた。
一方で僕はロックとかそういうものもたくさん聴いていたんで、普通に音楽ファンでしたから。
こういうものも出てきてるよって、そうじゃなくてももっと売れてる歌謡曲でも盆踊りできるんじゃないかとか、
懲戒に話するんですけど、婦人部のマダムが、
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誰が振付すんなよ、誰が振付を教えんなよ、みたいな感じで、なかなか動かなかったんですね。
何十年も動かないわけですよ。ずっとアプローチしてるんだけど。
どうしたもんか、こういったものは動かないんだなと思いながらも、好きだから手伝ったりはしてたんですよね。
餅つき大会だなんだっていう。
マダムをいろいろ懐中しようと思って、スーパーのチラシとか見て、
十の付く日はスーパーで卵が一パック100円ですよとか、お得情報をいろいろ覚えて。
とはいえなかなか動かないんですよ。
でも全然動かないから、どうしたもんかっていうときに、
そこでレコードコンビニっていうのがあって。
どこでですか?場所はどこですか?
浜町っていって、日本橋のほうなんですよ。
そこでコンビニなんだけどDJイベントやったりしてたんですよね。
いいですよね。
そこの町会が、日曜日に盆踊りやるんだけど、土曜日の段階でもう矢倉組んでるから、
お前らなんかやれって言ってきて。
やってきたと思って。
いくらプレゼンしても押しても何も動かなかったところが、
向こうから話がやってきた。
なんかやってみろみたいな。
そういうもんなんだなと思って。
とはいえいろんなところで盆踊りやりたいって不意地をしてたから、
やってみろって話は来たんだと思うんだけど。
で、全然自分の住んでるとことは違う日本橋っていう地域で盆踊りをやることになったんですよ。
そのときも、丸っきり矢倉にDJセット組んで、
いろんなDJたくさん知ってるから、ハウスとかそういうのをDJ呼んで、完全に若者向けのものもできたんだけど、
あえてそれはしないで。
ご当地音頭、日本橋美人音頭っていうのをみんなで覚えて踊れるようにしましょうみたいなのをやったんですよ。
ちょっとだけ自分のエッセンスも入れたんですね。
じゃないと、おばあちゃんとかが、急に若い人たちが今年から変なこと始めたみたいになっちゃうから、
それは避けたい。
15:00
で、日本橋美人音頭を踊れるようになったんですよ。
その後、DJでムードマンっていうのがいるんですけど、リキッドルームとかでDJやってるハウスとかのDJなんですよね。
昔からの友達なんだけど、彼が日本橋の森下あたりに住んでたんで。
昔。で、ムードマンも回してよって言って、そこから一気に洋楽の時間ですみたいな、DJタイムですみたいになったんだけど、
それまで日本橋美人音頭の振付で踊ってた人たちが、その洋楽に合わせてワニだって踊りだしたんですよ。
やった!その時、歴史が動いたって感じで。
皆さんこの後、日本橋美人音頭の振付で踊りましょうなんて、一言も言ってないんですよ、僕は。
何も仕掛けてないんですよ。
だけど、自然にそうなったんですよ。
で、「これはいける!」と思って。
自分が長年夢見た、こうあればいいなって言ったことが、自分が何も言ってないのにそこで起こったんですよね。
で、その時ちょっと楽類しましたね、さすがに。
夢を見てる。そう、夢を見てるんじゃないかと思った。
その時の映像って残ってますけどね。
おー、いいっすね。
ワニ鳴り出して、「うわー!みんな踊りしてる洋楽で!すげー!」
すげー!うわー!とか言ってんすよ、俺が。
10年くらい前の話ですけどね。
すごい。
で、それを見に来ていた、ある公園地で八幡神社のネギさんがいたんですよ。
その方が、2週間後に公園地で盆踊りやるんで、神社で。
こういうのはやってほしいって言うんですよ。
おー。
それが今いわゆる大盆と呼ばれている公園地。
そのネギさんは音楽ファンでもあるんですけども、
ちょっと噂を聞きつけて、ここに何かあると思ったらしくて来たんですよ。
で、2週間後だけど、「やります!やります!何とかします!」
2週間後に出れる人をちょっと何とか手配して、
それで公園地八幡神社大盆っていうのが始まったんですよ。
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そこも結局、昔は踊りの場が20、30であったんだけど、
踊りのほうが一重できるのがやっと、町会の人たちにしか来ない。
もう今や、公園地の大盆といったら、
人が整理するのが大変なぐらいなものになってしまったということで。
2週間後だったからね、できることしかできなかったんだけど、
次の年、それでまたさらに次の年って、どんどんいろいろ企画を盛り込んでって、
自分が考える文法で書くある意志みたいなものを、そこに投入していったわけですよね。
その中でいろいろ勉強していた。
一度やってみて動画を撮ったりすると、それをたくさんして、
日本各地でこういうのをやりたかったんですよ。
ちょっと来て相談に乗ってくださいみたいな話をたくさんいただくようになって、
それでいろんなとこ行って、
メガヒッズ盆踊りっていう、洋楽とかヒッズ曲の形式で踊ろうっていうやつを定着させていったっていうのが、
大まかな流れですね。
そういうお話を、ハレボンさんが一番最初にオンラインにしたときに、
記事かなんかで読んで、
っていう話をぜひちょっとハレボンさん、もう一回。
僕のことを記事で読んでってこと?
そうです、そうです。
盆踊りを活動する上で、岸野さんは必ず出てくるわけですよ。
その時に、やっぱり岸野さんをピックアップした記事を最初読んだときに、
あれって大盆だったのかな?
なんか、やっぱり懲戒のお手伝いをしているときに、
やっぱり盆踊りって、自分から言っても誰も聞いてくれなかったから、
まず椅子を運ぶことから始めた。
おーそうか、やっぱ岸野さんもそうなのかってちょっと感動しかったっていう。
そうなんですよね。
まずは関係づくりというか、顔を覚えてもらって。
本当ですよね。
それはね、今ひしひしと感じてます。
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てことは、ハレボンさんもそういう状況にあるというか。
そうですね、だからもう私、今ほぼほぼやっぱり懲戒さんのやり取りが多くなってきて、
懲戒さんはね、外からただお邪魔しますって言うだけだと、
やっぱりよそ者なんですよね。
その地域の空気感とかもわからないで、ただやるだけっていう団体さんも、
もちろんあっていいと思うんですけど、
やっぱなんかね、なんか派手な人が来たって終わっちゃうんですよ。
分かりますね。
それが嫌だから、なんとなく婦人会の人たち、まず練習会からやって、
なんとなくおしゃべりして、
で、なんならそこの地域の餅つきもそうですけど、
ちっちゃいイベントあったりしたらちょっと遊びに行って、
なんかやりますよみたいな。
でも私嫌いじゃないから、結構好きなんで、
そういうところで、なんか棒踊りだけじゃないけど、いい子じゃんみたいな、
ちょっとなんとなく踊ってくださいって。
大事ね。
悪い子じゃないみたいな。
それで棒踊りになると、結構それで信頼してくれるのか、
じゃあやってあげようかなって思ってくれるみたいで、
そうそうそうそう。
そこから、だから結構ハレボンの場合はすごい口コミで、
結構いろんな懲戒者さんが、
ハレボンさんよかったよーっていうので、またお声掛けいただいてっていうのが結構多いです。
ありがたいことに。
最近、
ひでたんはよく知ってると思うんだけど、
僕は聖火大学で学生さんたちと一緒に、
一乗児の鉄線踊りっていうのをやってますよね。
そのときに、
学生さんたちと一乗児のゴミ拾いとかもやってるわけですよ。
それで顔を覚えてもらったり、関係作るっていうのをしてるんだけど、
先生これなんでやるのか意味わかりませんみたいな。
関係構築ということがね、
やっぱりSNSの時代で育った子はわからないみたいなんですよね。
だから何によって結束してるのかみたいなものがわからないんですよね。
だからそういうとき説明するのは、
例えば推しのアーティストのチケット買うときに、
ファンクラブ特典があったりするでしょ?先行予約できたりするでしょ?
そのためにファンクラブに入ろうみたいな、一段階手続き踏むじゃないですか。
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そんな感じで、これは一つの手続きなんですよみたいな説明をして、
なるほどーとか言ってね。
だから関係構築は難しい。
岸野さん何がやりたいの?自分から何やりたいと言わないんですよ。
ただ黙々と言われたことだけやってるという感じ。
困ったときに、これできますよみたいな感じで言うみたいなスタンスですね。
なるほど。
でもそのタイムラインがものすごく20年とか30年やってるのがすごいなって。
そこは普通できないような気がするんですよね。
そうなんだよなーって。
でも目指してるとこが明確にあるから、全然大丈夫ですよ。
あと慌てないっていうのが最近は考えてるね。
今年はここまではやる。今年はダンシングヒーローをやるとこまではやる。
そうですね。
3年後ぐらいにここまでいってればいいかなみたいな感じで。
ちょっとずつ小出しにしていってるみたいな。
昔はね、やりたいこと盛り盛りに言って、
これできますよ、これやりませんかみたいなガツガツしてたんだけど、
最近はむしろゆっくり3年後にここかなぐらいな感じでやってますね。
それは晴本さん今すごい納得されてますけど、
いや納得ですよ。
心当たりがあるんですかね。
すごいありますよ。
本当の一番最初に自分の本当の地元の盆踊りを
まずはちょっと少しずつ変えていきたいなって思ったときに、
まず町会長に相談をして、
でそこの国松にの小学校の地域コーディネーターさんに相談して、
でちょっと順序立てていったんですけど、
どこの答えもご夫人方が、やっぱ若い子がポンって入ると、
ソース感になるから、長い目でゆっくりやるといいよしか言われなくて、
今まだ7、8年ぐらいは経ちましたけど、
まだね単行武士の音源を踊りやすいのに変えただけっていう。
それがねやっとできたみたいな。
昔から使ってた音源から踊りやすい音源に変えたって感じですか?
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何度かわかります。
本当はね、エビカニクスとか子供が喜びそうなのを、
本当はみんなで踊りたいなっていうのがあるんですけど、
それをポンって入れちゃうとダメだし、
様子見様子見、ちょっと夫人方の練習会にも顔見知りが増えてきた3年目、4年目あたりで、
実はちょっと単行武士もっと太鼓の人が叩きやすい音源あるんですよみたいなのをこだしにして、
それにしてみようかみたいになってやっと変えられたみたいな。
そうですね。
すっごい長いスパンだなみたいな。
そうですね。
僕も隅田区地元で音楽フェスの音響の手伝いとかをしてて、
篠野さんに音響を頼むと音が良いんだよみたいな評判があって、
同じ隅田区でもバスに行かないといけない亀沢4丁目町会というのがあるんですよ。
そこは僕が住んでるわけじゃなくて、
だけれども、4年前、5年前から、亀沢4丁目町会の盆踊りの音響一式頼まれた。
自分でも太鼓の近くにモニターを置いて、
坊主のスピーカー4発で、コンサート用の音響のやつ。
子供たちが叩きやすくなったとか言って、ノリノリになった。
結構、世間的に亀沢4丁目町会、音良いぞって、曲も良いぞって、
すごい人が集まるようになったんですよね。
盛り上がるようになったんですけど、
私が住んでる自分の町会では、音響に手は出せないんですよ。いまだに。
それはもうずっと音響係をやってる人がいるから、
もう数年だとは思うんですが、とはいえ、手が出せないんです。
そんなことがいまだに起こってますからね。
先ほど町会長さんにお話をしてみたいな話をしましたけど、
話を通す順番もまた大変なんですよ。
大変ですね。わかりますね。
商店会とかに、やる場所は商店会の場所だから、話を持って行っちゃったりすると、
30:03
その後町会長さんから、俺は聞いてないよ、みたいな。
怖い怖い怖い。
怖い。ほんと怖い。それで無くなっちゃったりしますからね、一気にね。
出禁になったりしますから、下手すると。
あいつ何やってんだと。
あいつ何やってんだってことになる。
積んでるとこだから、ほんと怖いんですよ。
ほんとですね。確かに。
だから、まず誰に話をしたらいいんですか、みたいなことを、
相談できる人間を頼っていって、
順番聞いて、企画書書いて、話を通して、
カジオリ持って、みたいなね。
ほんとそうなんですよね。
人海に話して。
それでまた、町会でお祭りのときに御習儀を、葬の金とか出すじゃないですか。
それも結構まめにやってるんですけど、
結構金額が難しいんですよね。
今年すごくお祭りでお世話になったからって言って、
やや大きめのお金を出しちゃうと、
ちょっとちょっと、名前が出る順番があるんだから、
みんな出したいけど我慢してるんだから、
まずこんだけじゃないとダメだよって言って。
一足飛びに出せないよって言われて。
無作法で失礼いたしましたって言って。
今は大きいの一枚で大丈夫になってるんですけど、
それまでちょっとね、
せっかくお祭り任されたんで飛び越えちゃって、
ちょっと出しちゃったり。
それダメなんですよ。
ダメなんですね。
出せばやらせてくれるってもんじゃないんですよ。
これ気をつけなきゃいけないとこで。
本当ですね。
それよりも関係構築でどんだけ信頼を得てるかってことなんですよ。
確かに確かに。
今の話を受けてハレボンさんどうですか?
関係構築ができてるからこそ、
そうやって飛び越えちゃダメだよって言ってくれるじゃないですか。
関係構築できてないとそれぞれ言ってくれなくて、
フェードアウトされちゃうから。
すごい分かります。
だよなって。
逆にでも知らんがなっていうのがいっぱいあったりして。
33:03
知らんがなっていう。
そこはひたすら頭下げてブサフォ失礼いたしましたね。
全部飲み込んでやるしかない。
ありますね。
目的は棒踊りをやることなんだから全然そんなの我慢できますよ。
うんうんうん。確かに。
でも今お話聞いてて思うのは、
やっぱりめんどくさいことであったり、
でも地元であったり地域でやりたい。
ある程度今だったら特に東京だと予算があって、
当てはめるだけの棒踊りも多分あると思うんですけど、
なんでお二人は地域であったり、
地元であったりでやりたいのか、
っていうのを改めてお聞きしたいなっていう。
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