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こんばんは、ひとりごとの時間です。今夜は、泉について話そうと思います。 泉の水を眺めていると、
時々、あのその水がどこを通ってここまで来たんだろうと思うことがあります。 あの澄んだ水も、もともとは空から降った雨や地表を流れていた水です。
土や岩の隙間を通りながら、長い時間をかけて地面の下へと潜っていきます。 地下には水を通しやすい層と、逆にほとんど水を通さない層があります。
水はさらに下へ潜ろうとするのですが、この水を通さない層に行き当たると、そこから少しずつ溜まり始めます。
そうして溜まった水が、再び地上へ現れたものが、いわゆる湧き水です。 この湧き水には、大きく分けて3つほどの道筋があります。
1つ目は、地下が大きな器のような形になっていて、 そこへ溜まった水の水位が少しずつと上がっていき、
やがて地面の高さを超えて溢れ出してくる形です。 水槽に水を入れ続けると、
縁から静かに水がこぼれてくる。 そんな様子を思い浮かべると、少し近いかもしれません。
2つ目は、下へと潜れなくなった水が、逃げ場を求めて横へ横へと移動していき、
山の斜面だとか、崖の途中から水が滲み出てくる形です。 岩肌からヒタヒタと浸り落ちたり、
側面から流れ出したりする光景ですが、 これは水槽の側面にひびがあって、そこから水が滲み出してくる。
そんな様子を思い浮かべると、わかりやすいかもしれません。 そしてあの最後は、上下を水を通さないそうにしっかり挟まれた、
いわば地下のトンネルのような場所に水が閉じ込められている形なんです。 強い圧力がかかった場所に、近くの歪みなどでひっついひびが入ると、
水は出口を見つけ、一気に地上へと吹き出してきます。 地下の水道管に亀裂が入ってしまい、そこから水が吹き出してくる、
あの感じに少し近いのかもしれません。 そんな感じで、この地下水トンネルのようなところに自然の力でひびが入れば、
そこから湧き水として地上へ現れます。 けれどあの時には人の手で、そうした地下水トンネルのような場所まで穴を掘り、
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中にかかっている圧力を利用して水を地上へと湧き上がらせることもあるんです。 これが掘り抜き井戸と呼ばれるものです。
地面の下まで水を汲みに行く普通の井戸とは違って、 こちらは地下の圧力を利用して、水の方から地上へと上がってきてもらう仕組みとなっています。
愛媛の西条にある打ち抜きなんかも、まさにこの仕組みなんです。 名水として知られていますが、あれもあの石土山に降った雨が、
地下へと染み込み、地下の水脈を通って流れてきたものです。 地面に管を通すと、地下の圧力によって水がコンコンと湧き上がってくるんです。
人口にあの湧き水と言っても、その奥にはそれぞれ違った地層の重なりや、 水の流れというものがあります。
そんな湧き水が地上に現れ、水が溜まっていった場所が泉と呼ばれるところです。
で、僕の住んでいる地域にはこの泉が数百メートル沖、 あるいは数キロ沖にポツポツと点在しているんですよ。
地図を広げてみると、点と点を結ぶようにあちこちにあの水の湧く場所というのがあって、
僕は時々あの散歩がてら、そんな近所の泉へフラッと出かけたりもしています。 泉にはどこもあの不思議と独特の静けさがあるように思えます。
もちろんあの少し離れたところから人の話し声が聞こえてきたり、 鳥の鳴き声や風の音がしたりと、日常の音はあるんですけど、
それでもどこかのここだけ少し空気が違うなと感じさせるものがあるような気がします。 場所の佇まいも様々で、散歩道として綺麗に整えられているところもあれば、
泉を囲むように公園が広がっているようなところもあります。 木々に囲まれて小さな森の中へ迷い込んだような場所もあります。
近くにあの人の気配を感じる泉もあれば、 ほとんど誰も訪れないような、そんな静かな泉もあります。
けれど、そうした周囲の違いに関わらず、 どの泉にも共通して、どこか凛とした空気が漂っているように感じるんです。
先日も泉へ行った時、水面をぼんやりと眺めながら、 その場の空気に身を任せていたんですけど、
あの独特の雰囲気の一つは、あの澄んだ水面から来ているのかもしれません。 湧き水はあの長い時間をかけて、地層という天然のろ過を通ってくるため、
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不純物が取り除かれ、とても澄んでいます。 透明という言葉があれほど似合う水もなかなかない気がします。
しかも、あの泉の水面には、川や海のような大きな流れというものがほとんどありません。 だからこそ、あの空の気配や周囲の木々の様子なんかを、
鏡のようにそのまま映し出すんです。 あまりに静かで、あまりに澄んでいるからこそ、自分の心の内側まで映してしまいそうなところがある。
そんな怖さと美しさが 一緒にあるように思えるんです。
それではここで一曲。 鏡
春の風がカーテンを揺らし 夏の暑さに袖をまふる
少しねぼすけな顔だけど 心の天気はカラリと晴れてるよ
鏡は正直な友達 にっこり笑えば笑い返す
ご機嫌なリズムを刻みながら 明日のステップを踏んでみよう
毎日が新しい贈り物 秋の小さな赤い果物
冬の冷たい水で手を洗い 季節の真ん中でいつも素直な自分でいたいから
鏡は正直な友達 にっこり笑えば笑い返す
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ご機嫌なリズムを刻みながら 明日のステップを踏んでみよう
毎日が新しい贈り物 髪の毛を軽く整えて
行ってきますとつぶやいた なりそうだ
そういえば昔から泉にまつわる物語ってたくさんありますよね 実際にあの鏡のような水面の前に立っていると
昔の人がそこに不思議なものを感じた理由が 理屈ではなく伝わってくるような気がするんです
例えばあのイソップ物語の金の斧銀の斧 木こりが泉に斧を落とすと神様がそこから現れて
お前が落としたのはこの金の斧か それともこの銀の斧かと尋ねるあのお話です
この物語で面白いのは泉がただの水辺ではなく 人の正直さを映し出す場所として描かれているところだと思います
鏡のように澄んだ水面だからこそ 心の中まで見透かされているような感覚があったのかもしれません
それからギリシャ神話のナルキストスの話も印象に残っています
泉に顔を近づけた美少年のナルキストスは 水面に映った自分自身の様子に心を奪われ
そのままそこから離れられなくなり やがて一輪の水仙の花になってしまいます
自分を映し出す鏡としての泉の魔力がよく現れている物語だと感じます
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ちなみにあの自分のことが大好きでたまらない人を指す あのナルシストという言葉や水仙の学名であるナルシサスも彼の名前に由来しているそうです
それからのグリム童話のカエルの王様 お姫様があの大切な金のマリを泉に落としてしまい
それをきっかけにあの不思議な出来事が始まっていくお話です 昔話を読んでいると泉の底には人のいる世界とは別の場所が繋がっている
そんな感覚があのごく自然に語られているように思います 静かなあの水面を一枚隔てた向こう側に別の時間が流れているような
そんな感覚です こうしてあの3つの物語を思い返してみると
昔の人にとって泉はただ喉を潤す場所というわけではなく 自分の心や目に見えないものと向き合う場所でもあったのかもしれません
そんなことを考えながらあの先日いつもの近所の泉ではなく 隣町にある達沢泉という泉まで足を伸ばしてみました
そこはあの侵略の危機に囲まれていて小さな森の中にひっそり守られているような泉でした
目の前に広がる水は驚くほど澄んでいて まるで物語に出てくる鏡のように周囲の緑をそのまま映し出していました
あまりに静かであまりにも透明なその景色を眺めていると ここもまたどこか別の場所へ繋がっているのかもしれない
そんなことを自然に思ってしまうんです もちろん科学的に見ればそれは地層を通って湧き出してきた地下水にすぎません
けれどあの凛とした空気の中で鏡のような水面を前にしていると人はどうしてもそこに何らかの物語を感じてしまう
泉にはそんな不思議さがあるように思えるんです
今夜は泉について話しました それではまた次回