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日々お伝えしているニュースや話題の中から一つのテーマに絞って、専門家や当事者に話を聞く週替わりの特集コーナー
Weekly Close Up。博多の夏の風物詩博多祇園山笠が7月1日開幕しまして、まさに今山の帰還中ということになりますね。
イネスコの無形文化遺産にも登録されておりまして、15日早朝に行われる
追山がクライマックス、フィナーレということになります。今週はその山笠が行われる山のまち博多を歩くというテーマでお送りします。
私、田端と、そしてこの春から福岡にやってきました新人の中井アナウンサーを連れて、考古学が専門で現在も発掘調査に関わっているこの方と一緒に歩いて学んでいきます。
福岡市経済観光文化局文化財活用部、市籍整備活用課の本田光二郎さんです。
串田神社にやってまいりました。本田さん今日はよろしくお願いします。
やっぱり山笠といえば串田神社が欠かせない場所になりますね。
串田宮は天平法治元年757年にこちら創建されたというふうに伝えられているんですけれども、実際発掘調査でもその痕跡はまだ見つかっていない。
周辺で行われた発掘調査の結果から言うと古墳時代には串田が建っている土地というのはもう陸地化しているというのがわかってきている。
古墳時代にはもうすでにここに人が住み始めて重要な場所になっていたというのも最近の調査ではわかっています。
昔はどんな地形だったんですか?
以前までは中川が串田区あたりに使って、川の流れで全部引き抜けて来られていないんじゃないかというふうに考えられたんです。
ですけど発掘調査をしてみるといやいやいや、弥生時代から古墳時代は土器が出てきたり、家が出てきたり。
ここはもうそういう古くから安定した場所だったというのがわかっていました。
今もそういう名残っていうのはこの辺にあるんですかね?
串田の裏手、川端商店街に降りて行く階段があるんですけども、焼き餅屋さんがあるところ。
あの段差が昔の地形を表している段差じゃないかというふうに言われます。
移動してまいりまして、串田神社の西側の門のところには建っておりますが、
ちょうど門を出て行くと下に降りれば串田の焼き餅。
さらに奥に進めばエスカレーター通路を通ってキャナルシティの方に行くっていう場所ですけど、
この辺りにその痕跡が残っているんですか?
博多の町ってあんまり起伏がないんですけど、ここだけは1メートル50センチぐらいの段差があるんです。
この段差って何なんだろうと思って周りの地形図を見ていくと、
こちらから北側の方に向かっていくと同じぐらいの段差がずっと続いてきます。
途中でなくなるんですけど、実はこの串田宮の横にある厳選小学校の跡地で額調査をした際に、
この並びと同じ沈み位置ですね。
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それは11世紀後半の港の施設の一部だったということが分かりまして、
そこは国指定として保存されているんですけども、
おそらくそういった形で港に付随する擬音舎、原江の施設としてこの串田宮がそこにあったんだというのがそこで分かりました。
目の前をすぐ川が流れてたりしたということですか?
そうですね。大きな船は片湾に停めて、小さな小型船で乗り付けて、
この串田辺りに上陸していたというのが分かった一つの証拠になります。
今この串田神社に立ってみて若井さん、周りは川らしきものがあったと思えないよね?
全く思えないです。水があった気配がないです。
周りは今はもうビルなどがたくさん建っているわけですけど、
随分様変わりしてきたわけですね、今に至るまで。
はい、そうです。
水が湧き出ている音が聞こえるかと思いますが、
ちょうど配電の右手のところにあるこの井戸、どういうものなの?
ここですね、地下水を汲み上げて出している井戸なんですけれども、
串田の井戸は塩分高い水が出ている。
博多の真ん中、いっぱい井戸が掘られているんです。
実は侵略によって塩分濃度が高くなっている。
それがなんということになるんです。
この足元にある水中の海水と真水が濃度の次第で高さが分かるんです。
たまたまこの串田さんの井戸というのが海水の方から水を上げているので、
海水が高い水が出ている。
かつてこの辺りにかつて作られた水?
そうですね、今でこそこういう理屈化していますけれども、
この串田周辺でいけば縄文時代の初めぐらいまでは作られた水というふうに、
かつて作られた水だからと。
じゃあそれを証明するかのような水ということなんですね。
中井さんに問題です。
この配電の上の方に彫刻がありまして、
風神大神がありますよね。見えますよね。
見えます。
何か普段見る風神大神と何か違うのか?
目元に何か手が行っていますか?
目元に手が行っています。
そう。
わかる?
泣いてるんです。
泣いてるんじゃない。
あっさんでーってしてます。
そうなんですよ。
この風神大神の風神様は、
あっかんべーをしたちょっとユーモアースな彫刻になって、
この辺りが博多の遊び心が現れているので、
ぜひ参拝ついでそこも見ていてほしいですね。
さて、今度は串田神社の外、ちょうど山道のところに出てまいりましたけれども、
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この辺りの見どころとどうなるんですか?
はい。今の博多の町割は太鼓町によって、
秀吉によって作られた町なんですけれども、
実はこの串田の前、この山道付近にですね、
博多で一番最初に作られた道路があったという風なのが博多町でございます。
そう考えてもやっぱり太鼓秀吉の時代から、
串田神社という場所、そしてそこを結ぶ道路というのは重要な拠点だったということなんですかね?
はい。やっぱり人々の生活の中に信仰が根付いていますので、
そういった自社をすごい大事にしていたというのが博多の人の特徴かなと思います。
串田神社の境内、北側のところに東名殿というですね、立派な施設ができているんですけれども、
ちょうどその東名殿と昔の霊仙小学校があったところの間の通り、
これがどういう言われがあるんですか?
この道路自体もですね、今の現在の太鼓町らとは全然違う方向をとっているので、
いつからこの道あるんだろうというのを我々もすごい気になっていました。
霊仙小学校跡地の中で見つかった石積み港ですね。
港の痕跡と実は直角に交わるのがこの道路なんですね。
そういった昔の区画というのが残っている道路じゃないかということで、
もしかしたらこれも鎌倉時代以降ずっと続いている古い道の可能性がある一つになります。
へぇー。通常のアスファルトで舗装された道路だけど、
中井さん見てみて、何か鎌倉感じる?
鎌倉は感じないですね。全く。
だよね。見てもそれがわかるわけじゃないんですね。
はい。もう残念ながらですね、残された遺跡というのは地下にきちんと保存されていますので、
地上ではなかなか見えないんですけれども、若干向こうに川に向かって低くなっていっているので、
もしかしたらそれも名残なのかなという場所の一つです。
もうね、何の変哲もない道路なんですよ。
気づくわけもない、何か案内弁が出ているわけでもなく、
ただ地層とかを調べていくと、鎌倉時代の頃に作られた道路なんじゃないか。
その奥には川端商店街があるので、そっちに向かって緩やかに下っていっているんですよね。
それがかつての船着き場になっている跡なんじゃないかというね、
へぇーっていうことがいっぱいありました。
街歩きする際の参考にされてみてはいかがでしょうか。
明日以降も続きますのでお楽しみに。
福岡市経済観光文化局文化財活用部、市籍整備活用課の本田浩二郎さんに話を伺いました。
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