忍者のイメージと実像
こんばんは、ひとりごとの時間です。今夜は忍者について話そうと思います。
忍者といえば、黒小族で屋根を架け、木から木へと飛び移り、闇に紛れて手裏剣を放つ、
そんな物語の中の姿を思い浮かべる人も多いかもしれません。 けれど、ああした姿は、舞台や映像の中で映えるように育っていったイメージでもあります。
実際の忍たちは、どちらかといえば、今で言うスパイに近い存在だったようです。
敵地に入り込み、人の動きを探り、噂や空気を持ち帰る。 目立たず疑われず、必要な情報だけを届ける。
派手な戦いより、誰にも気づかれずに戻ることの方が大切だったのだと思います。
まだ、忍者という呼び名も定まってなかった頃から、聖徳太子に使え、各地の様子を探っていたと伝わる人物がいました。
大友の細人。 記録に残る日本最古の忍びとも言われています。
この時代の忍びは、山で修行を重ねる山節や修玄者たちと、どこかの地続きの存在でした。
険しい山々を歩き抜く足腰、薬草や天網への知識、そうした蓄えが後の忍術の土台になっていたとも考えられているんです。
戦国時代の忍びと著名な忍者
時が流れ、あの戦国の世になると、忍びたちは伊賀や甲賀といった土地に寝下ろしていきます。
外から攻め込まれにくい土地で、自分たちの暮らしを守るために工夫を重ねるうち、独特の戦い方や情報を集める工夫が磨かれていきました。
やがてその技は戦国大名たちにも頼られるものになっていきました。 徳川家康のあの伊賀護衛を支えた服部半蔵や、
北条氏に支えた風馬の小太郎、 これらの名前もそうした時代の中で語り継がれてきました。
ただあの忍びにとって大事なのは、戦うことより生きて戻ることだったのかもしれません。
江戸時代の忍びの役割の変化
剣を抜くのは最後の最後だったとも伝えられています。 やがて戦のない江戸時代になると、忍びたちの役目も少しずつ変わっていきます。
お庭番として各地の様子を探ったり、薬売に姿を変えて諸国を歩き回ったり、
人々の噂や土地の空気を静かに集め、それを幕府へと伝える、 そんな役割を担っていたようです。
忍びの役目も戦うことから、人の動きを見守る方へと移っていったんだと思います。
けれど明治維新を迎えると、古い制度とともに忍びの仕組みも大きく姿を変えていきました。
現代に残る忍者の知恵
主君を失い、組織としての忍者は次第に表立った歴史から消えていきます。 それでも知識や技術そのものが途絶えていったわけではなかったようです。
大正から昭和にかけては、陸軍中野学校のような情報教育の場にも忍びの知恵との共通点を見る人がいます。
また最後の忍者と呼ばれた鋼牙流の藤田細子は、忍術を古武術としてだけではなく、生き延びるための知恵や人の心を読む術として語っていたそうです。
黒松賊は姿を消し、手裏剣の代わりに紙やカメラ、あるいはキーボードを扱う時代になっていきました。
けれど人混みに紛れ、目立たずに情報を集め、静かに役目を果たす。 忍びの気配は形を変えながら残っているのかもしれません。
僕たちが思い描く忍者の戦いは、派手な剣捌きや超人的な身のこなしに彩られています。
けれど実際には彼らの強みは知恵にあったとも言われているんです。 例えば火薬の扱いです。
焼石や硫黄を調合し、あいつのためののろしや姿をくらますための煙幕を生み出す。 そうした工夫は敵を混乱させ、自分は安全に離脱するためのものでもありました。
また水グモのような忍具も、ただ奇抜な道具だったわけではなさそうです。 水やぬかるみを渡るために
浮かび方や重さの配分を考えて作られたとも言われています。 さらに忍を支えた者の一つに薬の知識がありました。
長く動き続けるための氷牢岩は保存のきく形態触でしたし、 薬売や医者として土地へ入り込み、人の話を聞き取ることもあったようです。
姿を変え自然に人の輪へ紛れ込む、そういったところにも忍びらしさが見えてきます。
そうして彼らが最も避けたかったものは真正面からの争い事でした。 敵に見つかった時点で失敗、そんな考え方も伝わっています。
暗闇に紛れる音響の術も魔法のようなものではなく、人の目の癖や思い込みを利用した工夫だったのかもしれません。
忍びたちは単なる戦う人というより、観察し考え、相手の心理を読みながら動く人たちだった。
そう考えると彼らの姿は、今私たちが思うスパイという言葉にかなり近いものだったように感じられます。
忍者の知恵と現代への応用
こうした忍者の知恵は昔話として片付けられない部分もあります。
むしろ、慌ただしく情報が行き交う今の暮らしの中にも、どこか通ずる感覚が残っているように思えるんです。
例えばの忍には、三病という忌ましめがあったと伝えられているんです。
恐れ、侮り、考えすぎ、恐れて動けなくなること、
相手を軽く見て油断すること、考え込みすぎて気を逃すこと。
どれも忍が一番恐れていた心の乱れだったのだと思います。
また、食べ物にも気を配っていたようです。
ニラやニンニクのように臭いの強いものを控える悟訓の考え方は、
大衆を抑えて潜入を助けるだけではなく、感覚を鈍らせないためのものであったとも言われています。
兵牢岩もあの限られた荷物で長く動くための工夫でしたし、
今の保存食や携帯食にも少し通ずるところがあるのかもしれません。
また、あの独特の歩き方や防犯の知恵も意外な形で今に残っていたりします。
手足を揃えて動かす難波歩きは疲れにくく、音を立てにくい歩き方として語られることがありますし、
床が鳴ることで人の気配を知るうぐいすばりの廊下も、侵入者を察知するための工夫として、防犯として知られています。
庭に敷く防犯砂利なども音で異変を知るという発想の延長にあるんだと思います。
忍者は消えたというより形を変えて残っていた。
そう考えると、忍は刀を振るう人ではなく、静かに情報を扱う人たちだったのだと改めて感じるんです。
そして、その感覚は案外今も私たちの暮らしの近くに残っているんだと思います。
それではここで一曲。
縁川
好きな方から食べなさい
笑った目尻の深い窪み
お昼寝のスヤスヤ寝息
そっとかけられたタオルの匂い
起こさないよそろり足音
静かな午後の陽だまりの中
誰にも言わない
心の奥にそっと置いて
小さな明かりを灯すように
明日の無事を願っている
目には見えない先に咲いた花
踏まないように避けて通る
そんななんでもない仕草が
僕の毎日を作ってきた
誰にも言わない
心の奥にそっと置いて
小さな明かりを灯すように
明日の無事を願っている
目には見えない
陽だまりが揺れる中で
またひとつ
暖かな日が過ぎゆく
忍術書『万川集海』とその精神性
さてあの忍者のことをもう少し詳しく知ろうとすると
よく名前の上がる一冊の本があります
万千周回
江戸時代にまとめられた忍術書です
伊賀や甲賀に伝わっていた知識や技術を書き残したもので
忍の手引書のような存在として語られることがあります
そこには夜の城へ入り込むための工夫だったり
人の気の反らし方
火薬の扱いから天候や星の読み方まで
様々な知識が細かく記されています
読んでいくと忍が単に身軽な戦う人ではなく
情報を集めるために多くの知恵を使っていたことが見えてくるんです
今でいうスパイの仕事に近い部分もかなりあったんだと思います
ただこの本で印象的なのは
忍術そのものよりどう使うかという考え方かもしれません
全22巻あるうちの冒頭では精神という言葉が語られています
どれだけあの技を持っていても
私欲のために使えばそれは忍びではなくただのぬすっとになってしまう
だからこそ人知れず動く者ほど自分の心を厳しく整えなければならない
そんな忌ましめが静かに書かれています
敵に見つからず人を欺き時には影に潜む
そう聞くと忍者にはどこか危うい印象もあります
けれど晩戦集会を読んでいると
彼らは好き勝手に動く存在ではなく
むしろ自分を抑え続けることを大切にしていたようにも感じられるんです
忍術の派手さよりもその奥にある静かな緊張感のようなものに目が向くかもしれません
そこには名も残らぬままこの国の裏側を歩いていた忍びの気配がまだ少し残っているような気がします
まとめ
今夜は忍者について話しました
それではまた次回