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2026-01-13 10:00

ことばの匂いのこと

ことばは、意味だけでできていない。

散歩や下駄箱、牛乳配達。暮らしのなかで当たり前に使ってきたことばが、いつのまにか別の役割を与えられ、別の匂いをまとっていく。その変化を否定も肯定もせず、静かに見つめながら、ことばが背負ってきた時間や風景に耳を澄ます一篇。

消えていくのではなく、居場所を移していくことばたちの話。

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こんばんは、ひとりごとの時間です。
今日は、ことばの匂いについて話そうと思います。
先日、おそば屋さんでそばをいただいていたんですけど、
ちょうど隣の席に座っていた年配のおじいさんがいらっしゃいまして、
お店の女性に、
お嬢さん、このだし巻きおいしいね。
これお土産にできる?って聞いていたんですよ。
ありがとうございます。お土産は一つでよろしいでしょうか?って、
女性もあいそよく返して。
そのやりとりがすごく心地よく聞こえてきたんですけど、
持ち帰りでもなく、テイクアウトでもなく、
お土産という呼び方、それがすごくいいなって思いました。
言葉って、あの、意味だけではなくて、
匂いのようなものをまとってるって思うんですよね。
辞書に書かれた定義なんかとは別に、
その言葉が置かれていた時間だとか、
使われてきた場所だとか、
いわばその言葉がまとっていた空気のようなものなんですけど、
それらが混ざり合って、
匂いのように感じられることがあるんですよ。
あの、僕なんか、散歩という言葉を聞くと、
当てもなく歩く感じを思い浮かべるんですよね。
途中で自分なりの些細な気づきがあったり、
空き地の向こうに猫を見つけたり、
そこにはの寄り道の匂いだとか、
のんびりした匂い、気まぐれの匂いがするんですよ。
ところが最近は、散歩という言葉が、
ウォーキングとほとんど同じ意味で使われることが増えた気がします。
健康のために歩く、運動としての歩行。
そこにはの健康や日課の匂いだとか、
少しスポーツのような匂いもあったりして、
散歩という言葉が元々まとっていた、
あちこちブラブラする感じや、
目的のなさや余白の匂いは少しずつ薄まっているように思えるんですよね。
言葉の意味の幅が広がるというのは、
こういうことなんだろうなと思います。
広がる代わりに、中心にあった匂いが薄らいでいく。
下駄箱なんて呼び名も、多分同じなんだと思うんですよ。
下駄を入れていた箱が、靴を入れる箱になって、
家の作りが変わって、暮らしが洋服になって、
でも下駄箱という呼び名だけは残りました。
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靴箱と呼ばれることもあるし、
シューズボックスなんて呼ばれることもあるんですけど、
結局それらは同じものとして呼ばれてるんですよね。
けれどあの下駄箱という言葉がまとっていた、
木造の家の玄関の空気感だとか、
ドマのひんやりした感じだとか、
下駄を履いていた頃の暮らしの気配は、もうそこにはないんですよ。
入れるものが変わり、暮らしが変わり、
実際には使われなくなっても、
言葉だけが残ることもあるんですよね。
靴箱、シューズボックス、下駄箱。
それぞれ違う匂いをまとっていたはずなのに、
いつの間にか同じものとして呼ばれるようになった。
そういう姿を見ていると、少し寂しい気がします。
それではここで一曲、「夜明けの途中」
そういえば、牛乳配達という言葉も、
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今はそういう場所に立っている気がするんですよね。
牛乳配達という事業自体は、今も続いてますし、
むしろあの昭和の前世紀からは、
一度大きく縮んだ後、また盛り返しているんだと聞きます。
ただ、運ばれている主役はかつての牛乳ではないんですよ。
健康飲料だとか、機能性飲料とか、
そういったものが中心で、
届け先も昔の幅広い家庭というより、
中高年の方々の健康習慣に寄り添ったものになっているって聞きました。
瓶の蓋は紙ではなくなって、
木箱は簡易なクーラーボックスになっているんだとか、
安全で合理的なものに変わったんだそうです。
それは時代に即した自然な流れで良いことだと思うんですよね。
けれどあの、その姿からは、
牛乳配達という言葉がかつて連れてきていたあの匂いは、
もうほとんど感じられないんですよね。
早朝に配達していた頃の空気感だとか、
玄関先の木箱のある暮らしだとか、
牛乳瓶があった時代の感じは、もう役目を終えているんだと思うんです。
だから最近は、牛乳配達ではなく、
定期宅配とか単に宅配と呼ばれることが多いんだと聞きます。
その方があの今の実態にはよく合っている気がします。
出前とデリバリーが違う匂いを持っていたり、
お持ち帰りやテイクアウト、お土産といった言葉が、
単なる言い換え以上の差を感じさせるように、
呼び名が違うと浮かんでくる風景まで違ってくるんですよね。
牛乳配達という言葉が連れてくる匂いは、
今の姿とは少し違うんだと思います。
でもそれは、言葉としての価値を失ったということではなく、
生活の風景を十分に背負い切ったということなんだと思います。
だから僕は、牛乳配達という言葉を無理に引き止めなくてもいいのかなぁなんて思っているんですよ。
今の事業は定期宅配という呼び名でいい、
その方がしっくりくる気がするんですよね。
牛乳配達という言葉は、その匂いと一緒に、
ひっそりとした場所に居場所を移してもいいんじゃないかなって。
使われなくなることと、消えてしまうことは違うんですよね。
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暮らしの中で前に出る役目を終えても、
ふとした瞬間に思い出される匂いがなくなるわけではないんだと思います。
その居場所を引き止めすぎないこと、
そういう距離感があるのもいいかなって思います。
言葉はその匂いと一緒にあるとき、生き生きしてるんだと思います。
散歩には散歩の、ウォーキングにはウォーキングの、お土産にはお土産の。
それぞれの匂いを大切にすること、それが言葉を生かすことなのかもしれません。
今日はあの言葉の匂いについて話しました。
それではまた次回。
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