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2024-02-04 18:07

読書ラジオ『阿・吽』おかざき真里 前編

いつも聴いていただきありがとうございます。
なぜかエコーかかっちゃってて聴きづらかったらすいません…

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阿・吽 (1) (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL) https://amzn.asia/d/boKa8a3

(配信の冒頭部分は本の説明文・あらすじを読み上げています。)

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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書録や日々の学びを音声配信しています。
今日は『阿・吽』という漫画について話してみようと思います。
最澄と空海、二人の天才の物語が始まる。
日本仏教の要である比叡山遠略寺の階層である最澄。
神戸大師の名で日本人なら誰もが聞いたことがある空海。
レオナルド・ダ・ヴィンチにも匹敵すると言われる日本史上、比類ない天才である最澄と空海が、
まさに華麗に繊細に、そして豪快に描かれる人間ドラマです。
平安の世、当時の日本を変えたと言っても過言ではないこの二人は、その青年期は人も羨むエリートコースを歩んでいたか。
本作、「あうんはサプリ&」で、女性の心情を比例な筆地で細やかに描いてきた著者の新京地です。
ということで、サプリっていう漫画をね、私は大好きで、作者の岡崎真理さん大好きなんですけれども、
あの岡崎さんが最澄と空海の漫画を描いたということで、当時すごいびっくりした記憶がありますね。
全然、女性向けの恋愛漫画を描いてた人が、あんなこう、なんというか、土の匂い、血の匂い、そして音量漂う平安初期、仏教ですよね。
まさに仏教が起こって根付いていく、その礎を作ったと言ってもいいんじゃないかという最澄を描いた。
そして日本が誇る超天才、工房大師の空海、二人は見当師で中国にも渡ったわけですけれども、
そんな、なんというか、男臭い、血なまぐ臭い時代を描くのかと思ってね、すごくびっくりした記憶がありますね。
この漫画を編集された担当者からのおすすめ情報としては、
宿命のライバルと言われる二人は、両者を比較してみることで、それぞれの人間像や生き様が浮き彫りになっていきます。
古くは、信玄と謙信、武蔵と小次郎、スポーツでは松井と一郎、真央と金与南、
富安の瀬名とプロスト、将棋の羽生と谷川、そして最澄と空海、この二人の比較は実に面白いです。
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阿雲では、二人の生き様を岡崎真理による美麗な表現、時には衝撃的な絵で描かれます。
岡崎作品に心を揺さぶり続けてきた方、詩の作品を初めて手に取ろうとされている方、
本作、期待していただいて間違いありません。
確かにそうですね。全14巻ですでに完結している漫画になります。
この阿雲の感想を配信で撮るにあたって、ちゃんと学んでおかねばということで、
岡崎真理さんのこの阿雲に対するインタビューなんかもちょっと読んでみたんですよね。
そこに書かれていたことをちょっと情報としてお伝えしようかなと思います。
まずですね、この漫画のタイトルの阿、雲っていうのはですね、
サンスクリット語の配列で一番最初と最後の言葉なんだそうです。
阿で始まって雲で終わるんですね。
その意味っていうのは、阿っていうのはこの世の始まりを、雲はこの世の終わりを表しているということ。
そして一巻の始めに出てくる空海の言葉にこんなものがあります。
生まれ生まれ生まれ生まれて、世の始めに暗く、死に死に死に死んで、死の終わりに暮らし。
これは人は最初から最後まで何もわからないまま生まれ、
そして何もわからないまま死んでいくという意味なんですよね。
それは阿、雲にもつながっていて、それをこの漫画のタイトルにした。
この漫画は空海と最澄がそれぞれ仏教を学び、途中で二人が出会い、
密教というものに触れ、そして別れていく、そこまでを描かれていて、
本来であれば空海はもっと長く生きたんですけれども、
空海の死んでいく様というのはこの漫画には描かれていなくて、
要するに何が始まりで何が終わりかわからない、
その部分をこの漫画がたった一部を切り取って描いている、そんな漫画なんですよね。
なので岡崎麻里さんはこの阿雲という漫画を描くにあたって、
まず空海が主人公の漫画を描くということが最初に決まり、
その後ライバルとしての最澄を描いたらどうかということで、
この空海と最澄が二人が主人公のような漫画を描かれたんですけど、
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その始まりがどこで終わりがどこだったのかというのは、
史実的にも西暦800年頃の話なので明確なものがきっちり残っているわけではないし、
岡崎さん自身も歴史学者ではないので、
エンタメ的に描くとこうなるという部分を切り取って描かれたのがこの阿雲という漫画なんです。
なのでそういう視点で描かれているからこそ、
最澄と空海ってなんだっけみたいな、
仏教とか歴史に詳しくない人にも楽しんでいけるような、
そういうエンタメの漫画になっています。
私の一押しポイントは、ここに出てくる最澄がもうそのキャラクターが素晴らしい。
引き寄せられるというか、この最澄が素晴らしいので、
この漫画を読んで欲しいなって思います。
とにかく僧侶なんですけれども、
岡崎さんが描く最澄っていうのはすごく色っぽいんですよね。
サプリとか読んだことある方はあるかなと思うんですけど、
岡崎さんって女性を艶やかに色っぽく描くのがとても上手で、
その漫画に出てくる女性っていうのはすごい綺麗なんですよ。
色っぽい。
それを最澄に全て継ぎ込んだっていう感じがします。
だから本当に色気があって、
その人間性というか、
最澄はこの漫画の中でとにかく苦しむんですよ。
生きることは苦しみであるというセリフが何度も出てくるんですけど、
これでもかこれでもかというぐらい最澄には苦難ばかりが知らせられてくるんですね。
生まれはすごくいいところの息子で、
頭も良くてエリートで、
健闘士も2年で帰ってこれるような特権を持っていたぐらいの人だったんですけど、
自ら野に下り、山に籠り、
そっから先はもう苦難ばっかり。
苦人悪すぎみたいな。
運悪すぎみたいな。
そんな中にあって最澄はすごく悩むんですよね。
むちゃくちゃ悩ましく苦しみます。
周りの人がどんどん自分のせいで不幸になったり、
自分から離れていってしまったりするんですよ。
でも最澄はただ、ただただ、
世の中の人々を救いたいっていう思いだけなんです。
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で、超純粋なんですよね。
その純粋さに弟子でさえもついていけなくなっていくんですよ。
そんなところに出てくるのが、
ブッダの教えを書いた経典スッタニバータっていうものがあるんですけど、
一章の3、有名な一節なんですけど、
サイの角。
サイの角のごとくただ一人行け。
みんなと一緒に行こうとするな。
おのれ一人でただ行けっていう。
それはサイの角のごとく。
群れずにサイの角のごとくただ一人行けっていう言葉。
最澄は最後の最後でそういう境地に達して、
苦しみながらも自分が人々を救いたい。
これは天台宗という、
最澄が広めようとした仏教の宗派の教えでもあるんですけど、
人は皆仏になることができる、救われるっていうことを
最澄はどうやったら実現できるのか。
自分が求める教えっていうのは、
どの経典を見れば書いてあるのかっていうのをただただ模索しながら、
途中苦難に遭いながらやっていくわけです。
泣いたり落ち込んだり、
悲劇にあって、すごい壮絶なことばっかりなんですけれども、
その中にある最澄の、
それでも諦めないという静かに燃える炎っていうんですかね。
それが体の中に見えるような気がして、
決して言葉が多い人でもなかったんだけど、
その眼差しだったり座禅を組んでいるときの体から、
そういったものが伝わってくる、
すごい色気でしたね。
そしてそんな最澄は空海と出会うわけです。
空海と出会うことは、すなわちそれは密教と出会うことなんですけれども、
空海は最澄と同じタイミングで剣道寺、中国に渡り、
そこで中国密教の一番偉い人から、
お前すごいじゃん、みたいなことで、
密教の秘密の教えっていうものを教わって日本に持ち帰るんですよね。
空海って最澄を超える天才なんですよね。
その密教を学ぶために最澄は空海の弟子になるわけです。
最澄の方が当然エリートだし、
仏教界でも地位が高い、年上でもあるけれども、
最澄はただ純粋にその密教を教わりたい、
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自分が求めるみんなを救うための教えっていうのもたどり着くために、
空海どうか自分を弟子にしてくださいって言うんですよ。
そこから密教っていうのはこの世の真理というか、
万物の真理みたいなものが多分その教えにあると思っていて、
それを体現する、修行をしながらそういう真理を体でも心でも理解する、
理解している状態っていうのが多分密教だと思うんですよね。
それを学ぶために空海と最澄は自分の荒屋敷の中にどんどん潜っていくわけです。
それを手ほどきするのは空海なんですけれども、
それについていける最澄っていうのは空海と同じレベルの天才なわけですね。
お互いにこの深いところまで潜っていける人が自分以外にもいるということにすごい危機として、
楽しみながら自分の荒屋敷に潜っていくという修行を楽しんでやるわけです。
ただ根本的なところで空海と最澄っていうのは思想が異なるわけなんですよね。
つまり最澄はみんなを救う。
この世にいる人はすべて等しく救われなければならないという考えがあるので空海とは異なるわけです。
いざ密教を完全に教えを引き継ぐという段階でその違いが露呈して、
そこから二人はたもと分かっていくみたいなふうにこの漫画では描かれているんですけれども、
空海の教えを追いながら最澄がこれまでにない経験をしていくその修行のシーンというのは、
なんかね、いや最澄良かったねって思いましたね、心から。
空海がこの世にいて本当に最澄良かったねって。
ただその後、最澄の元から弟子が離れ空海の元に行って、
最澄が学びたかった密教の経典を空海は最澄に渡さなかったんですよね。
そんな中でも最澄はもう純粋なんですよ。
ただただ純粋にみんなを救うための天台宗というものを国内に広めていくために何とか足場を固めたい。
そのために朝廷に権限を依頼するとか、お寺を開きたいとか、そういう手紙をひたすら書くわけですよ。
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もっとうまくやればいいのにとか、空海とちょっと違ってても空海と一緒にやった方がうまくいくじゃんって思いながら、
もうそういうことは最澄はやらないわけですね。
ただただ筆をとって書きしたためていって、死の何日か前にやっとそれが許可される。
最後ですね、最澄が死んでいくシーンで空海と心の中で語り合ったりするんですけれども、
そのシーン、先に行くのかと。
最澄の方が7歳ぐらい年上なんですよね。
二人の天才だからこそ、この後この世界がどういう状態になっていくのかが、
二人には見えているという設定で、俺を残して先に行くのかと。
死んでも続けますよみたいなことに最澄は語り返すわけですね。
それが終わりのシーンなんですけれども、本当に空海主役の漫画じゃないんですね、これは。
ただただ最澄が匂い立つこの色気。
私はこういうタイプの人に惹かれますね。
ただですね、人によってはやっぱり空海が主役だなって思う人もいると思うんですよ。
この人は本当に天才なんですよね。
天性の人たらしというか、みんなが空海に協力したくなってしまうんです。
やることなすことも全て天才。
人の想像を超えていくわけですね。
空海は最澄とは違って、人を救いたいということではないんですよね。
ただ心理の方から空海に近寄ってくる。
それをせずにはいられないというのが空海なんですよね。
だから、主人公空海が魅力的でそれが面白いという人もたぶんたくさんいるんだろうなと思います。
ちょっと細かいエピソードも話したいので、今回も2回に分けて話していきたいなと思います。
ということで今日は岡崎マリさんのアウンという漫画について話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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ではでは。
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