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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを配信しています。
今日は、岡崎真里さんの『阿吽』という漫画、後編ということで話していきたいと思います。
前回はですね、この『阿吽』という漫画がどういう魅力なのか、
そして、私の一押しキャラである最澄について、もうただただ熱く語るというだけの回でしたが、
今日、今回は、私がちょっと話したいシーンをですね、1,2,3,4,5,6個ぐらいかな、ありますので、ちょっとそれについて話していこうと。
まず、1巻目ですね。
阿吽、まだ最澄と空海が青年だった頃ですね。
最澄と空海も、子供の時からもう天才だったわけです。
で、最澄はエリート、空海は名もなき青年だったんですよね。
で、そんな中、空海はですね、もう退屈だったわけです。
自分を満たすものが何もない。
何を読んでもすぐ覚えてしまうし、理解できてしまう。
だから、誰に教えをこうても、何を読んでも全く満たされない。
すごく孤独で、自暴自棄の中にいたわけです。
で、そこで空海っていうのは、空海は、まだ空海という名前もなく、真央と呼ばれていた時代ですけれども、
ゴンゾウオショという人に出会うんです。
で、このゴンゾウから言葉を渡されて、空海はそれを毎日一つ持ち帰って、
読んでもすぐに理解してしまう言葉だけど、
ゴンゾウの口から音として聞き取ったその言葉っていうのは、
また、感じ方が違う。
そんな風に大事に、自分の中に種が一つ一つ根付いていくように、
ゴンゾウの言葉を持ち帰っていく。
その関係はまるで命綱であるかのように持ち帰っていくわけです。
そして、それでも超天才なので足りないわけですね。
空海を満たしてくれるものがないわけです。
そこでゴンゾウは仏教の経典を空海に渡すわけです。
ただ、これを見るには覚悟がいると。
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今これを手にしたら、もうお前は戻れない。
深い深い道に踏み出すことになる。
甘美な生活諦め、地位を捨て、家族の期待にも応えられない。
血を這うところから始めなくてはいけない。
お前ほどの天才が世に出ればエリートで出世も叶う。
それを全て捨ててでもこの経典を手に取る覚悟があるか、
みたいなことをゴンゾウ言うんですけど、
空海はさっと手に取ってしまうわけです。
覚悟などするまでもない。
その時ゴンゾウが言う言葉が、
才の角のごとく、ただ一人行けという言葉なんです。
ここから先空海は、
さらに孤独の道を極めることになるだろう、
というゴンゾウの言葉です。
それを、ただそのまま行けと。
空海はもとよりそのつもりだったのかもしれないんですけれども、
ここで空海の歩いていく道が決まったシーンでもあるのかなと思います。
スッタニバータの才の角という章から、
この才の角のごとく、ただ一人行けという言葉があるんですけれども、
この漫画で、このシーンで書かれている言葉は、
全て生き物に暴力を加えず、
全て生き物を悩まさず、
こう望まず、友も必要としない。
才の角のごとく、ただ一人行け。
むさぼらず、虚言せず、
格級に負けず、装飾せず、
曇りと幻影を払え、
この世の中でこだわるな。
才の角のごとく、ただ一人行け。
魚が水中で網を破り、泳ぐように、
火が既に焼いた場所に戻らぬように、
結び目を引き裂け、
才の角のごとく、ただ一人行け。
そして空海は、その言葉の通り、
仏教の道を歩き始め、
まさに才の角のごとく、ただ一人行く、
彼の人生が始まっていくわけですね。
ここはグッときましたね。
こうして空海の人生が始まったとも言えるシーンだったのかなと思います。
そしてこの同じ一巻でですね、
実際は史実に基づけば、
こんなタイミングで空海と最澄は出会ってないんだろうとは思いますけれども、
空海が最澄を見るというシーンが最後、表現されます。
最澄はですね、山にこもって、
もうずっと経典を勉強するという人生を歩んでいたわけですね。
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周りで人が死んでいくわけです。
罪もない人が足痛げられていく。
それでも誰に対しても同じように接して、
一人一人を救うということを求めて、
最澄は学んでいる中で、
山の中の池で水浴びをするわけですね。
そのシーンがですね、本当に美しい。
最澄というのは実際にすごい背が高い方だったみたいなんですけれどもね、
岡崎さんが描く最澄はね、超イケメンなんです。
本当に、本当にイケメン。
その目元はね、ちょっと憂いがあって不死目がちなんですけれども、
体格はやっぱり修行しているお坊さんだから、
もうすごい筋肉流々なんですよね。
ただ線が細く描かれているんですよ。
だからですね、その儚げな雰囲気と、
その実際の肉体の力強さの対比がですね、
すごい魅力的なんですよね。
だからこのシーンですよ。
何ページかちょっと書いてないかわかんないけど、
最澄が水浴びをしているシーン。
そしてその後、大きな木の根元で最澄が座禅を組んでいるシーン。
これを空海が見るわけですけども、本当に高豪しく美しい。
これを見れただけでこの漫画読んでよかったなと思いますね。
これを見た空海も美しいって言うんですよ。
本当に一巻だけでも見てほしいですね。
もう匂い立つような最澄です。
本来であればね、お坊さんはそういう色欲は持ってないわけですから、
それを見ている私たちがそんな風に思うっていうのは、
本当に悔い改めようと言われるような行為なんですけれども、
やっぱりそこは岡崎さんが円溜めで描いているから、
やっぱりこの最澄の色気っていうものが、
この漫画の本当に大きな魅力の一つだと思いますね。
そして2巻ですね。
2巻ではこんなシーンがあります。
最澄がですね、山で弟子たちを修行しているわけですけれども、
その生活っていうのはね、すごい生産なものを強いられるわけです。
逃げ出すものもいるんですけれども、
逃げ出す時に食料を根こそぎ持って行かれて食べるものがなくなってしまうとか、
逃げ出したものもクマに食われて病気になってしまうとかね、
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怪我したところからウジが湧くとかね、
そんな状況の中で弟子の一人にヌスットが含まれているわけです。
殺すことも意図はないんですよね、この人はね。
そしてそんな場面でヌスットがですね、最澄に対してカマを喉元に突きつけながら、
自分たちが生きていくためには、こいつらを殺すしかないと。
殺してやらないと恨みを持つ。
一番めんどくさくない、もったいなくない、つまり美しいやり方がこいつらを殺すことだと。
そんな風にね、最澄の喉元にカマを突きつけながら言うわけです。
弟子が、最澄様、これでもみんなを救うとおっしゃいますか?って言うんですよね。
この弟子もひどい怪我を負っているわけです。
最澄は究極の選択を迫られるわけです。
自分が本当に人を救えるのかっていう場面ですよね。
自分も死んでしまうかもしれない、弟子たちも殺されてしまうかもしれない。
それでも自分の教義というか教えを捨てないのかっていうことですよね。
そこで最澄はもう泣きながら、それでも救います。
それでも私はみんなを救います、というんですよ。
このシーンがですね、この最澄っていうのはもうずっとブレないですね、この漫画の中で。
どんな苦難にあっても最澄はブレない。
ただただ教えを求めて学び続けるわけですけれども、
そんな最澄の覚悟が存分に見られるシーンだったなと思います。
その後のシーンですね。
弟子の一人を背負って最澄は暗闇の山の中を歩いていくわけです。
山の斜面は一定方向に傾いているわけではない。
足裏の感触を頼りに下る方に動いても、いつの間にか山頂方向に進んでいることもある。
やがて天と地の上下感覚もなくしていき、宇宙に放り出されたかのような。
さっき言った一巻のね、サイの角のごとくただ一人池ですよね。
そんな最澄の覚悟が見えるシーンがありましたと。
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で、ちょっと飛びますね。
次は10巻です。
10巻でですね、この物語が進んでいって、
空海と最澄が塔に渡って戻ってきた後のお話なんですけれども、
橘の勝子という当時の佐賀天皇の皇后でもあった人と空海は距離を近くするわけですよね。
勝子さんというのはですね、皇后という位の高い人にしてはすごく珍しく、
この世に絶望している人なんですよね。
自分は何の気転もなく暮らしているんですけれども、
一歩外に出れば我視している人たちがたくさんいて、
貴賓とか天才で苦しんでいる人がいる。
この世は一体何なんだろうみたいなことを思うわけです。
それに教えるのが空海というふうに、この漫画の中では表現されていて、
勝子さんはですね、史実で本当にあったかどうかというのはちょっと分からないんですけれども、
勝子さんは言い言として、自分が死んだら自分の遺体を裸のままその辺の町の道端に捨ててくれというわけですね。
実際にそうされたそうなんです。
その勝子さんの肉体が朽ち果てていって、
カラスとかに追わまれていく様というのが絵に残っているという逸話があるそうです。
そんな変わった工房なんですよね。
もう一人ですね、勝子さんは実在する方なんですけれども、
もう一人女性でですね、実在しない新宇津さんという人が出てきます。
この人はですね、空海を導き荒野山に密教を根付かせるという契約をするんですけれども、
新宇津というのは女神のような、ちょっと神のような存在なんでしょう。
人には見えないし、腕を切られても再生するみたいなね、
ちょっと非現実的なキャラクターとして描かれるんですけれども、
時には女性の姿で、時には少女の姿で空海と交わっていくわけです。
そして空海は新宇津とこの荒野山に、この地に密教を根付かせて、
自分の教えで世界を変えていくということを契約する、
新宇津と契約するのと、カチコさんとはカチコが求める答え、
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それを一目でわかる仏の世界というのを見せるという約束をするんですね。
空海がこの二人の女性と約束をするということが描かれているシーンなんですけれども、
それぞれに約束をして、そうすると、新宇津とカチコはうんって答えるわけですね。
それはですね、この漫画の運の運の方なんですよ。
世界の終わりの運、世界のことわりだったり、それを変えていくための始まりを
必ず二人に見せるということを約束した空海。
そして二人の女性にうんと言わせた。
ここはすごく意味ありげで、この漫画には女性があまり主役級で出てこないんですけどね、
カチコさんと新宇津さんというのは結構主要人物として描かれているんですけれども、
まるで男性だけで世の中を作っていったり変えていくことはできないわけですね。
そして終わりを託すのは女性であったというところがすごく面白いなと思いまして、
このシーン付箋を貼りましたね。
伝わっているのかな、この私の熱量が。
そして11巻、最澄が空海に弟子にしてくださいと言われてですね、
二人でダイブしようと言ってね、修行していくシーンですね。
ここが本当に神秘的で、密教を極めるとこういう境地まで行くのかなという、
想像の世界でしかないわけですけれども、
そんなことが伺えるようなシーンでした。
空海と最澄は向かい合って座禅を組んで座っているわけです。
雫が落ちてきて床が溶けていくわけですね。
いつの間にか水面にいるかのような、
その波紋を起こしていく大きさ、タイミング、それを空海と合わせる最澄ですよね。
空海は喜ぶわけです。
同調してそのまま一緒に来てくれと言って、
溶けた床に水面に手を突っ込んでですね、
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最澄は返事をせずにその目だけでいいですよと答える。
この目もすごく挑戦的でですね、
こんな最澄の野心的というかね、挑戦的で、
ただただ今から起こることにワクワクしているかのような、
そんな目っていうのがですね、もうどっちが弟子か師匠かわかんないですね。
最澄の方が深くて捉えどころがないような気もしますね。
そして二人は沈んでいくわけです。
空海が没入していく同じタイミング、同じ深さで最澄も潜っていく。
空海はただ自分のスピードで潜っていくわけですけれども、
最澄は空海を見ながら潜っていくわけです。
だから二人の目線が交わることがないわけですよね。
その最澄の目がですね、本当に美しくて、
こんな目で見られたら多分死んじゃうんじゃないかっていうぐらいのですね。
そして一番深いところまで行って二人はようやく目を合わせて、
よしもっと行くってどんどん潜っていって、
無限にたどり着くわけです。
そんな二人のシーンですね。
これが密教なのかと。
そして最も深いところまで潜り、
潜ったときに最澄は空海の中にあるものを見つけるわけです。
その腹の中に持った種は何だ。
空海はそこでドキッとするわけです。
これは中国密教の経過大和書から引き継いだ密教の種なんですよね。
これは簡単に人の目に触れさせるわけにはいかないわけです。
最澄は超純粋バイオな男なので、
興味があれば知らずにはいられないわけですよね。
無意識のうちにその空海の中に見える種子に手を伸ばそうとする。
それを空海は拒否して感情識を早めると。
密教の正式な引き継ぎとしての感情識という儀式があるんですけれども、
感情識を早めるという決断をするわけです。
本当は1ヶ月後の予定だったんですけれども、明日やるぞと。
これは経過大和書に中国で明日やるぞと言われたときの再現でもあるわけですね。
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すごく空海は興奮しているわけです。
明日やるぞと。
ここまでたどり着ける男というのは自分以外にいなかったはず。
それが目の前の最澄がそれをやってのけたということに興奮しているわけです。
明日と言われた最澄はすごく冷静沈着だけど、すごく挑戦的な目ではいと答えるんですよね。
このシーン、2人の天才が交わって同じ深みなのか高みに到達するシーン。
空海の眼差しと交わらない最澄の相手をずっと見据えて、
この人から全てを学んでやろうという目ですよね。
これが素晴らしいシーンだったなと思います。
ということでどうでしょう。
私が付箋を貼ったシーンというものをちょっと紹介してみましたが、
うまく伝わっている自信がないですね。
好きすぎて、話しストーリーの面白さというものを全く話さず、
好きなシーンを抜粋して話してしまいましたので、
どんなお話なのか気になる方は漫画喫茶にでも行っていただいて、
全14巻を借りてきて読んでいただきたいですね。
読み出したら止まらないですから。
休日、何時間か籠っていただいて読んでいただきたいなと思います。
とにかくこの最澄を見てほしいですね。
また最澄空海以外にも魅力的な当事人物ってたくさんいるんですよ。
なのでみんな間違ったことを言っているわけではないんですよね。
ただ生きづらい世の中であって、
そこに救いを求める仏教というものが
どうやって起こっていったのかというものを俯瞰してみれば
わかるような気がする。
そんな漫画なんだろうなと思います。
ということで、自分の好きなキャラとかですね、
必ず見つかる漫画だと思いますので、
ぜひご興味ある方は読んでいただきたいなと思います。
ということで、2回に分けて岡崎麻里さんの
「あうん」という漫画について話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではでは。