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2024-09-23 41:28

【読書ラジオ】『冬の伽藍』小池真理子

いつも聴いていただきありがとうございます。
悠子の感情に寄り添って振り返ればまた別の感想が出てくると思いますが、かなりディープな小説なので配信で語るのを躊躇してしまいました。唯川恵さん曰く、"極上の女と男の小説"です。


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冬の伽藍
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(配信の冒頭部分は本の説明文・あらすじを読み上げています。)

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00:06
こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は、小池真理子さんの『冬の伽藍』について話してみようと思います。 煉獄の中で、私は天井の果実を口に含んでいた。
夫を事故で失った高森ゆう子は、薬剤師として勤めることになった軽井沢の診療所で、医師兵道義彦と出会う。
彼もまた、妻の美風友を自殺で亡くしていた。 義彦に恋心を抱きながら、高職なその義父、英二郎の誘いを拒みきれないゆう子。
エロスに酔い立つ長編恋愛小説。 ということで、
すごいものを読んでしまいましたという感想です。
今日は9月22日なんですけれども、昨日今日で妹と富山に一泊旅行に行ってまして、
私は北陸新幹線で富山に向かったんですけど、軽井沢駅を通過するんですよね。
駅はね、この冬の画欄読みながら、まだちょっと余裕があったので、
あ、軽井沢駅通過した、みたいな、アウトレットの裏側走るんだ、ぐらいの余裕があったんですけど、
帰りはですね、富山駅から乗って、でもかなり気になってたページから、また読書再開したので、
もうずっと没頭して、読み終わった時、自分が新幹線どの辺通ってるのかっていうのは全然わからないぐらい。
で、読み終わった後もちょっとぼーっとしてしまって、新幹線からね、こう流れている景色をただただ見て、
いや、これはすごいものを読んだなぁっていう、
余韻というにはちょっと激しすぎる、あの感情に浸っていたっていう感じですね。
すごく感動してボロボロ泣いたというわけでもなく、悲しすぎて胸が痛いとかでもなく、
あの、なんていうかこう、放心状態。
すげーな小池麻里子さんって思ったっていう。
しかも、私は文庫本を買ったんですけれども、文庫解説はゆいかあめぐみさんなんですよ。
で、またこの解説がすごい、うわぁ、そうだよなぁっていう解説を入れてくれていて、
本当にね、すごいっすね、やっぱりね。小池麻里子さんとゆいかあめぐみさんのね。
で、ちょっとその、ゆいかあめぐみさんの解説のところで、
03:06
えっと、ちょっとそっから入ってみようかなと思うんですけれども、
結局心を揺さぶるものは心でしかないのだ。小池さんの小説を読むために私はいつもそう思う。っていうね。
確かにもう、相当心揺さぶられる小説だったなぁと思います。
この小説ってその、もう、非日常の極みというか、絶対こんな設定ありえないよね。
一人の女性の人生に、次から次へとこんなことが起こるなんて、
小説の中でしかありえないよねっていう設定が作られている中で、
その主人公の優子が、自分が、自分の中に沸き上がってくる感情と、ずーっと向き合っていくお話なんですよね。
青年医師の氷戸義彦だったり、その技風の義理の父親の英二郎から、そのアプローチをされて、
それぞれの男性は魅力的ではあるが、問題は優子の心の中に何が沸き上がっていて、
それが優子をどのように行動させているかって、一貫してそういうことでしかないわけですよ。
極限状態、非日常の極みのような場面設定をすることで、小池麻里子さんが優子をそういう形で追い込んでいくわけですね。
で、そこで撮る女性優子の心の動き、行動っていうのはどういうものなのかっていう書いてあって、っていう小説なんですけれども、
それに対して結城川恵美さんの解説の中ではこんな風に書かれてます。
以前小池さんと対談する時に、女にとって男がどういう男であるかなんて関係ない。
問題はその男に向ける自分の感情がどういうものであるか、そこに全てが集約されているという会話をしたと。
女に生まれた感情はまさに生き物となって女を翻弄する。女が対峙しなければならないのは男ではなく、そういう自分自身なのだ。
で、これはまさにこの小説の吉彦と英二郎からアプローチを受ける優子のことを言ってるわけなんですよね。
06:02
じゃあどんなお話なのかっていう中身の部分に触れていきたいんですけれども、今回私この小説すごくね、付箋をたくさん貼りました。
こんな長編小説なのでね、590ページほどある長編小説なので、当然付箋の数も多くなるんですけれども、そんなに貼るかっていうぐらい貼った小説でしたね。
やっぱりね、小池麻里子さんの文章がすごい、すごいドラマチックに書かれてて、緩急っていうんですかね、正反対、対局にある意味の言葉をすぐ間近に置いて、そういう文章がすごく多い。
で、構成全体も、最後のラストに向かっていく段階に近づいていけば近づいていくほど優子自身に語らせないっていう構成をされてるんですよ。
というのも、これって第1章、第2章、第3章でできていて、第1章は優子の視点で優子が語る、優子の物語なんですよね。なんか私も優子だから、ちょっとなんか混乱しますけど、主人公の優子さんですね、高森優子さん自身が自分のことを語る。
で、第2章は手紙のやりとりに変わるんですよ。なので、その行動だとか、実際に発した会話みたいなものは描写されなくて、ただ優子と、その優子が手紙を出している相手からの返信の手紙っていうのが書かれているのが第2章になるので、
優子自身の行動とか感情からちょっと距離を取り始める小説の構成としてそんな手法を取られてるんですよ。で、第3章はさらに優子の親友である節ちゃん、節子の語りに変わってしまうんですよ。
で、節子から見る優子なので、もう優子の心の動きがどうなのかっていうのはもう全く語られなくなっていくんですね。ただ、読者が知りたいのは、後半のその手紙のやりとりをしている最中の優子だったり、最後節子の視点から語られている優子の感情の方が読者は絶対見たいし知りたいはずなんですよ。
でもそれをストレートに書いてくれない。だからより知りたくなってしまう。第3章とかその手紙っていう文体を通してしか私たちは優子がどういうことを考えているのかっていうのを知れないし、最後はもう予測するしかなくなっていくっていう。
09:11
で、どんどん気になる気持ちが高まってきて、物語はもうラストに向かっていく。で、どんどんこの冬のがらんっていう小説の物語の中に自分自身がもう入り込んで抜け出せなくなっていくっていう読書体験だったなーっていう感じなんですよね。
で、そんなことを付箋を張ったところからちょっと振り返りながらお話できたらなと思っていて。
で、いつもはなるべくそのネタバレをしない配信にしてるんですけれども、今回はちょっとだけややネタバレの部分が入ってしまうかなということと、あとはその長編小説でここはこういうふうに読んだとか振り返りながら今日はあの感想配信を撮りたいので、いつもよりちょっと長くなってしまうんじゃないかなと思います。
お付き合いいただける方はお付き合いいただけたらなと思います。
で、サクッと終わらせたい方はね、ここまで話した内容でも結構興味持っていただける方多いんじゃないかなと思いますので、一旦ここで聞くのをストップしていただいて、読んでみてからこの後聞いていただくのもいいのかなと思います。
ということで、じゃあ中身に入っていきます。
冬野ガナンは第一章、第二章、第三章からなる小説なんですけれども、第一章の場面は1983年、主人公のユウコの語りから始まっていきます。
ユウコが軽井沢の駅に到着した時から物語は始まる。
特急列車を降りると冷たい空気が肌を刺した尖ったような空気だったということで、ユウコはある事情を抱えて勤めていた病院を辞めて、軽井沢の診療所に薬剤師として勤めることになって、この駅に降り立つんですね。
その機会を作ったのは親友の節子なんですよ。
もともと節子が勤めていた診療所なんだけど、交代しようと思って別の人に薬剤師、仕事を引き継いだ後、その人がある事情で事故があって勤められなくなったということで、
じゃあユウコはどう?ということで節子から勤められて軽井沢に来たユウコなんですよね。
ここで出会うのが兵道義彦という青年医師になります。
12:01
小さな軽井沢の診療所で二人きり医師の義彦と薬剤師のユウコですね。
最初に付箋を張ったのは兵道義彦とユウコの一番最初の出会い。
義彦はイケメン設定なんですよ。
ユウコはその美しい長相を無感動に眺めながら軽く微笑んで見せた。
早く仕事になりたいんです。
兵道は気だるそうに瞬きをし、そうしてくれればこっちも助かりますよと素っ気ない口調で言ったっていうね。
忘れたい過去を抱える二人で、人との関わりを断ちたくてそれぞれの事情があって、それぞれが人嫌いになっていて、
それで軽井沢にいる二人なので、二人とも距離を保ちながら仕事仲間として円滑にしていきたいという思いが滲み出ているシーンですね。
ユウコはその美しい義彦の顔を見ても何も思わない、無感動に眺めながら軽く微笑むっていうね。
すごく冷たい空気が二人の間に流れているんだろうなっていうのが伝わってくるシーンですよね。
とはいえ口では意気込みのようなことを言っている。早く仕事になりたいんですとか、そうしてくれればこっちも助かりますよ。
ただ態度は無感動だし、気だるそうだし、素っ気ない口調で話すっていう。
この一文の中にいろんな大曲にある表現、ギャップが書いてあって、そういう一文だなぁと思いながら、
ちょっと前にね、センスの哲学で文章そのものを楽しむリズムとかビートとかうねりだとかそういうのを読んでいたので、
まさにこの表現はそういうことを感じさせる文だなぁと思いながら見てましたね。
続いて、実はゆう子が抱えていた過去っていうのがね、あらすじにもありましたけど、夫事故で亡くしているんですよね。
結婚して3年目、突如ね、ゆう子の夫くにおがですね、交通事故で亡くなってしまうんですよね。
その時のゆう子の死因が語られているところに伏線を張りました。
その時、顔の奥底に広がった冷たい感触は未だ、ゆう子の優しい甘やかな思い出の数々に意地悪くくさびを打つ。
人は死ぬとゆう子は思う。必ず死ぬ。
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どれほど愛していても、どれほど愛おしく思っていても、どれほど心躍る思い出の数々を共有しようとも、人生には残酷にも突然幕が下ろされるのだ。
ここはですね、一つ最初のドラマチックなシーンですよね。
甘い、優しい、愛していても死ぬっていう冷酷な言葉でね、その文章には必ず対比の表現を入れているんじゃないかなって思い始めて伏線を張ってるんですよね。
小池麻里子さんって、ゆう子を極限の状態に追い込んでるんですよ、この小説全体を通して。
一人の女性の短いその半生の中に、こんなドラマチックな出来事、どちらかというと不幸寄りの出来事が次々と起きるわけがない。
節子とゆう子、親友の二人なんですけれども、節子はそういう不幸は降りかからないが、ゆう子にだけ降りかかるっていうね、っていう一文をどっかに小池麻里子さん自身が書いてるんですけど、
そうしているのは小池麻里子さん自身なんですよね。だからめちゃくちゃ怖いなと思いましたね。
そうやってゆう子を追い込んでいくことで、二人の男の間で揺れる女の感情、最初のゆうかめぐみさんの解説にもありましたけど、問題はどういう男がゆう子に寄ってきているのか。
アプローチしているのか、その男に焦点を当てるのではなく、問題はゆう子の心の中にあるのだっていう極限状態を作ることで、より意地悪くですよね。
ゆう子がどういう行動をとるか、逃げ場をどんどんなくしていってさあどうだというようなね、そういう追い込み方のされていく第一章でしたね。
あとはすごくね、これはなんか想像がつくなリアルだなと思ったシーンですね。
ここはですね、直前に吉彦の義理の父親である英二郎に突然腕をつかまれているんですよね、ゆう子がね。
で、その後窓のない狭苦しい頂材室の蛍光灯の明かりの下、まるで待っていたかのようにゆう子の箔のボタンが取れて床に転がり落ちた。
ボタンはくるくる回りながら頂材台の下の方に転がっていったっていう一文。
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まるで待っていたかのように。
で、この後ボタンが落ちて床に転がり始めてくるくる回りながら頂材台の下の方に転がっていったそのボタンを大きく膝を曲げ腰をかかめてそれを拾いながら、
その格好をした時に、同じこの格好をした時に英二郎に腕をつかまれたっていうことをゆう子は思い出すんですよね。
で、それをまるで待っていたかのようにっていう、そのゆう子が思い出すその機械を作ることをまるでボタンが狙っていたかのように取れて床に転がり始めるっていうね。
これはだってもう小池真理子さんがそう仕組んでんじゃんみたいな。
もうこのシーンはですね、目の前にそのシーンが浮かぶような描写で、という感じでどんどん唸るわけですね。
あとはですね、これは興味深いなと思ったシーンなんですけれども、ゆう子がクニオのエピソードを第一章の前半部分は結構思い出したりするんですけれども、
クニオが好きだった本、トーマス・マンのトニオ・グレーゲルという本について思い出す場面があって、
クニオが亡くなった後もゆう子は何度も暗記してしまうほどこのトニオ・グレーゲルという本を読み返すんですよね。
クニオが盲線を引いた文章、さあやっと結論です。
リザベーターさんよく聞いてくださいよ。私はこの人生を愛します。これは一つの告白です。
この告白をお受け取りになってしまっておいてください。まだ誰にもしたことのない告白です。
その後赤いボールペンを使って、私はこの人生を愛しますという部分に二重線が引かれているという描写。
私はこの人生を愛しますという言葉、あんまり聞かない言葉だなと思ったし、きっとこのフレーズはこの後の展開、
もしくはこの小説全体を貫くテーマの一つでもあるんだろうなと思って付箋を貼りましたね。
もう20分も話してしまっています。大丈夫かなこのペースで。
あとはですね、やっぱりその1983年の物語、その時、明礼の女性の裕子の物語なので、やっぱりこういう固定概念が設定されているんだなと思って付箋を貼った部分ですね。
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永次郎が突然裕子の家に押しかけてきてね、いや強引なんですよこのおじいは本当に。
もうこの辺りね読んでて結構ヘキヘキしてくるぐらい強引な永次郎と拒めない裕子。結構ねイライラしてながら読んでるんですけれども。
その強引にやってきた永次郎を玄関先で追い返せない裕子。それはなぜかというと、こういう固定概念があるからですね。
17、8の潔癖さだけを信じている少女なら、あるいはそのようなことをしても許されるかもしれない。
だが裕子は結婚経験のある28歳の女だった。どうこうした非常識な潔癖な振る舞いは病的だと思われるばかりか、後々物笑いの種になってしまう。
もうこの時点では、よしひこと恋人になっているから永次郎のことをね、きっぱり拒んでいいと思うんですよ私は。
そもそも連絡もないし逃げに押しかけてくるジジイなんて非常識だし、勘弁してよと思っていいと思うんだけど。
その良識ある女性、大人の振る舞い、懐の広さを見せないといけない。それが大人の女性みたいな固定概念がきっとあるんだろうなと思って。
そういう設定があるんだろうなと思って。いや下らないなと思いながら読んだシーンでしたね。
でもそうやって裕子はですね、永次郎を拒みきれないんですよ。
で実はそういう固定概念を言い訳にして、拒みきれない自分の女性の部分が永次郎に惹かれてしまっているということをね、自分でも認めたくなくて、言い訳を使いながらこうやって永次郎とよしひこの間で揺れる自分をごまかしている裕子なんですよね。
でその後はですね、よしひこと裕子ってお互いに惹かれ合っていくんですけれども、なぜか一歩踏み込んだ関係になろうとしないんですよね、お互いにね。
でそれはそれぞれが3年前に自分の結婚相手を失ってしまっていて、その過去から完全に逃れきれてないのに新しい人と恋愛することに躊躇しているようでもあるっていうね。
あとは仕事仲間なのにっていう思いもあるのかな。
であの、そうは言ってもそのよしひこと恋愛関係に陥るわけなんですよね。
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でそのなんというかクライマックスのようなところのシーンですよ。
二人はそのまま床に崩れ落ちた。舞台の上にゆっくりと降りてくる鈍調のように裕子の意識には幕が下ろされた。
この小説はね結構ね、その幕を下ろすだとかね、鈍調っていうシーンが要所要所で出てきます。
でこの時点ではね、そうとは知らずに付箋を張ってるんですけれども、その後のこの一文がすごく気になりました。
裕子は闇に漂う小舟に乗って満ち足りた気持ちのままゆらゆらと果てしのない旅に出る自分を思い描いた。
これはよしひこと裕子で、すごくこう盛り上がってる二人ですよね。
体も心も通じ合って、今が最高マックスみたいな、ここからどんどんぶち上がっていくわよみたいな感じの時にの表現なんですよ。
だから満ち足りた気持ちのまま、ゆらゆらと果てしのない旅に出る自分を思い描いた。
でその後に続く一言がすごい衝撃なんですよ。
それは死での旅にも似ていたって書いてあるんですね、小池丸子さんが。
えーってなりますよね。
死での旅にも似ていたって。
だから、最高マックスなんじゃないのって。
そこに死での旅にも似ていたって一言入れるっていうのは、なんかすごい不穏だなと思って。
やっぱね、こういう緩急がつきまくってる文章ですよね。
幸せな表現の後には必ずこう、不幸の影みたいなものをさっと仕込んでおくみたいな。
でこの後ですね、ゆう子はね、結構嫌な女になっていくんですよね。
でその吉彦の、なんていうか、オスの、獣のオスを思わせるあからさまな欲情を嬉しく受け入れつつ、それに気づかないふりをして、
ゆう子は先生待ってちょうだい、私は手にポットを持っているのよ、火傷しちゃうわとかって言っちゃうっていう。
すげー嫌な女になっていってるみたいな、そんな描写があって。
でその後あの、若いね、吉彦の患者にもすごく嫉妬していったりとかして、ゆう子はね、どんどん嫌な女になっていきます。
でそしてその義父の英二郎からのアプローチも、ちょっとずつこう受け入れてしまう。
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自分の体へのその侵入の震度っていうものを徐々に吉彦に、吉彦じゃなくて英二郎に許していくゆう子っていうね。
どこかで英二郎の束の間の愛部、馬鹿げた大行な口説き文句、地獄の底まで追いかけてきてくれそうな大胆な高顔無知な執着心を求めている自分に気づく。
自分自身のその悪魔性こそが全ての問題をくすぶらせ、解決の道を閉ざしていることはもはや自命の利であった。
いやー、だからどんどん読んでいる側に、ゆう子ってすげー嫌な女になっているよ、悪魔だよ、この人こそが不幸の元凶なんだよって書き方をこうじわじわじわじわ増やしていって、
で小池麻里子さん自身はそういう、それを悪魔だとかね、そういうふうに言うんですよね。
でもどうなんでしょうね、地獄の底まで追いかけてきてくれそうな大胆な高顔無知な執着心を求める自分。
そういうアプローチされたことないからどう思うんだろうって思いますけど、だからこういうね、ほとんどの人が味わったことのない異常な状況を作ってるんですよね、小池麻里子さんね。
ゆう子だったらそれを嬉しく思ってしまう、求めてしまうっていう自分。
でどんどんゆう子おかしくなっていくんですよね。
堕落してしまいたかった。綺麗事はたくさんだった。もっともっと落ちていって、さらにひどい言葉、聞くに耐えないようなバリゾー言を吉井子に向かって投げつけ、
永次郎から頻繁に電話がかかってくる事実。夏の夜、大日向のアパートの外廊下であるいは薔薇が咲き乱れる別荘の庭の片隅で永次郎の相棒を受けたことをあからさまに告白してしまえればどれほどすっきりするだろうかと考えた。
もうたどり着いてるわけですね、ゆう子はね。自分が求めているものをね。
でも絶対に自分からは動かないんですよ。それは堕落したいからなんですよね。
どんどん自分を落とし入れてくれる状況をどっかで自分自ら作っていってしまっている。
それを回避する方向に動かない自分自身っていうね。
家族動魔しながら、その吉彦の亡くなった元妻ですね。未風流に近づいていく自分が恐ろしかったっていう。
吉彦はその失った妻の面影をゆう子に見ていることは、ゆう子もよくわかっていて。
で、自分もその未風流に近づいていこうとしている。
30:03
それはもう、その先は地獄しかないとわかっているのに、そうしてしまうゆう子。
で、未風流と同じように、同じような道をたどってしまう自分自身からも回避しないゆう子っていうね。
本当に異常な状況だなという風に呼んでいきます。
で、第一章の最後ですね。ついに事件が起こるわけなんですけれども、それが起きたところでこの第一章は終わるわけです。
で、第二章はその手紙のやりとりが始まるんですね。
で、ここで冒頭言ったように、ゆう子自身が書いた手紙の中には、ゆう子の心情だったり、その事件の後のゆう子の行動、それは何を思っていたかっていうのが書いてあるんですけれども、
手紙の文面でそれが伝わってくるから、第一章ほどのリアルさがないんですよ。
で、読者は知りたいんですよね。なぜゆう子があんな行動したのか、よしひ子があんな行動したのか、栄二郎はどうだったのかっていうのを、
あの第一章のような誰かの語りで、当事者の語りで聞きたいのに、そこからどんどん距離を取っていく。
取らざるを得ないんですよね、手紙だから。すごくもどかしい気持ちになっていきます。
そして、第3章ですね。節子の語りで最後の物語、ラストに向かう物語が描かれていくっていうね。
で、ここはね、節子視点でのゆう子しか語られないんですよね。
ゆう子がその手紙のやりとりが一段落して終わった後、どういう心境なのかっていうのももうわからない。
で、ラストに向かっていくストーリーの流れの中で、ゆう子が何を思っているのかっていうのも、節子が想像する域でしかわからない。
で、それは節子の理解であって、ゆう子の内面ではないわけですよね。
よしひっ子の内面でもないわけなんですよ。
そこが一番知りたいのに、そこをゆう子に語らせないっていう小池麻里子さん、めちゃくちゃ意地悪だなと思ったし、
なんか、より読者は必死に一文字一文字を追っていかざるを得ないわけですよね。知りたいから。
33:05
だから、すごく巧みな書き方、構成の仕方をされてるなぁと思いましたね。
で、第二章、第三章もいくつか付箋を貼って、その部分もお話ししたいんですけれども、
さすがにそれを話してしまうと、完全なネダバレになってしまうので、この辺でやめておこうかなと思います。
いやぁ、あとはですね、この第三章の最後、ラスト、これがね、こういう終わり方をするんだっていうね、
ほんとに、なんか、すごいものを見てしまったなぁと思いましたね。
で、ゆいかめぐみさんは文庫解説の中で、ラストのことをこんな風に話されています。
最後の数行に胸が熱くなり、いつか文字が滲んでいた。この美しい結末に涙することのできる自分が嬉しかった。
大丈夫、私はまだ失っていない。大切なものを感じる力をちゃんと持っているっていうね。
でも私はそういう、そこまでの信行にはなれなくて、もう本当に小池麻里子さんに翻弄された小説だったなぁと、ただただ、もう、なんていうか、感覚しましたっていう感じでしたね。
で、最後のね、第3章で、その第1章で出てきた、あの、よしいことゆうこの、まあ、あの、思い出というかエピソードがね、あの、ちゃんとこう出してくれるんですよ。
で、そういう優しさも小池麻里子さん持ってるんですよね。だからね、ほんとに揺さぶられます。
あの、二里静香っていうね、あの、花が第1章にエピソードで出てくるんですけれども、それがね、第3章でも出てきて、すごくなんか嬉しい気持ちになったし、ああそうだったよなぁと思って、私はここで、あの、涙しましたね。
で、もう一つは、えっと、そうですね、あの、もう一つは言えないんだけどなぁ。
その、第3章は、節子の、あの、語りなんですけれども、なんかね、後半はね、節子の語りだから、どっちかというとね、節子に感情移入しちゃうんですよ。
で、その節子が泣くシーンがあるんですよね。で、この人はあの、なんていうか、徹頭徹尾や、すごく明るくて、不幸な優子を励ましたり、笑わせたり元気にさせるすごくいい、あの、友人なんですよね。
36:13
で、その節子が泣くシーン、まあ、節子の目に涙が滲むシーンっていうのがあって、そこはね、私は泣きましたね。
だから、その、この、よしひこと優子の物語を、最後節子の語りで、最後まで語るっていうことは、その、当事者の気持ちが語られず、読者としてはすごく、こう、やきもきして、
いや、知りたいのそこなんだよって思いにもなるんですが、それをずっと二人を見てた友人の口から、こう語らせる、その優しい眼差しの節子の視点で語らせるっていうことは、これは優しさでもあるのかもしれないなとも思いましたね。
そう、だから、この小説は、本当に小池丸子さんに翻弄されて揺さぶられて、で、すごいこう、文章自体にうねりがあるし、構成自体もすごくね、近い距離で書いたり、すごく離れて書いたりみたいなことで、
あの、本当に振り回されるというか、物語に没入してしまわざるを得ないような小説で、あと映像化はきっと難しいんだろうなぁと思う。
これが、その文字でこの物語が表現されていて、でも私はこう読み終わった後、その優子と吉彦の、あとは英二郎とか節子の行動だったり、その軽井沢の一つ一つのシーンが目に浮かぶような気もしてるんですよね。
その描写の素晴らしさ、展開のドラマチックさ、読者自身の感情を揺さぶってくる、その文章の流れとかリズム、やっぱり素晴らしい小説だったなぁと思いますね。
いやーすごいものを見てしまった。前半はもう本当途中でやめてやろうかなって思うぐらい英二郎に、もう本当気持ち悪いわって思うぐらいだったんですけど、やっぱり最後まで読むとその印象もガラッと変わるというか、
39:09
この独語感、読書体験を味合わせるための、やっぱり場面設定、場面展開として英二郎必要だったんだなぁっていう。
まあ要するに有子を追い込んでいくっていう、女一人を追い込んでいって、そこに浮かんでくる感情とか、月を描かす行動は何なのかっていうのをどんどん炙り出していく、で追い込む、行動させる、感情を暴き立てるみたいな、すごい小説だったなぁと思います。
本当一言ではね感想言えなくて、でどこが良かったかっていうのも、なかなかこの辺でしたみたいな当たりをつけるのは難しいのでつらつらと語ってしまいました。
今日40分ですね。過去最高なんじゃないですか。一冊の小説でこんなに話したの。
いやでもね、もっとね、もっともっと話せると思いますよ。
ということであのすごい小説を読ませていただきました。
あのこの小説をね、あの紹介してくれた方がいらっしゃったんですけれども、あのー、やっぱ心に残る小説と言われて、冬のがらんが出てくる。
まあ第一章ではもう、こんなのが好きなのかなーってちょっと、ちょっとね私にはピンとこなかったけど、読み終わった後となっては、やっぱり私もあの心に残る小説としてやっぱ冬のがらん、あのー刻まれたなーという思いです。
いや本当にご紹介いただいて嬉しかったです。ありがとうございました。
ということで今日は本当に長い配信になってしまいましたが、小池まりこさんの冬のがらんついて話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。ではでは。
41:28

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