初詣の準備
あけましておめでとうございます。ビン詰めのつぶやきラジオのあざらしです。本年もよろしくお願いします。
新年最初のラジオ、ちょっとしばらく時間が空いていたんですけども、 初詣についてちょっとお話をしたいなぁと思って今撮ってます。
ちょっと初詣の前にですね、去年の秋ぐらいからそのティーチャーティーチャー村で、お金の教育トークのところで、
かやぶささんという方が、ちょっとタイトル忘れちゃったんですけど、この本を読んだらいいよっていうので、
本を読み始めたのがきっかけで、その時にオーディオブックを契約したんですけど、
それからですね、すっごいよくて、オーディオブックが私に舵をしながら本を読めるので、すごくそこから本を読む習慣につながりまして、
結構本を読むようになりました。
オーディオブックでも聞くようになったし、それが結構メインだったんですけど、
それからやっぱり派生して、普通の本も読むようになりました。
どちらかというとちょっと苦手だったんですけど、この活字を読むのが。
だけどこう隙間時間で読むと、中途半端にちょこちょこ読む形にはなるんですけど、
逆に集中力が高まって、短い時間でシャシャシャって読む感じになって、すごく本を読むのが好きになりまして、
本を読むようになったんですけど、最近子供へのまなざしっていう本をよく読んでいるというか、まだ読み始めたばっかなんですけど、
その中ですごく印象的な言葉があって、今の入院時期の子供たちに向けて、
私がありたい姿勢っていうので、印象に残っている言葉があります。
その言葉をちょっと紹介をしたいなと思いまして、
どこだったかな、ちょっと読みますね。
読みます。
ほぼさんや先生方によく言うのですが、子供たちから思い切り依存される保育者になってください。
そして思い切り反抗を受け止められる先生になってほしいと。
ちょうどピッチャーの素晴らしいスピードボールをしっかりミットに受け取ったキャッチャーの喜びのようなものです。
育児や教育をする時にはそんなゆとりが欲しいのです。
これを読みましてですね、キャッチャーという言葉がすごく具体的でイメージができて、
入院時期の育児は、まずは人を信頼できることがすごく大事だよという話をこの本の中にしていて、
それがどうしたらいいかというのは、このキャッチャーにすべて集約されるのかなと、
私はまだ読み始めたばかりなんですけど、すごくこれが印象に残っていて、
この言葉自体が入院時期もそうなんですけど、
思春期のお子さんを育てる親御さんにも受けたメッセージというところにも書いてあって、
反抗できるっていうのはある意味信頼してるからこそできるものだなと思うと、
そこで拒否するんじゃなくて受け止めてあげるっていうのがすごく大事なんだろうなと思って、
すごく私のしばらく子育ての指針にしようかなと思って読ませていただきました。
でですね、今4歳の息子、もうすぐ5歳になるんですけど、結構時にこだわりが強くて、
あと2歳の娘も自我が強く、今ピークかな、第一次反抗期かな、いやいや期ですごく反抗するので、
特にこの言葉が響きました。
そんなキャッチャーであろうという気持ちを持って初詣に臨んだんですが、
公共交通機関の苦労
そこですごくドタバタがあって、燃え尽きるほどキャッチしたので、その時の話をしようかなと思います。
初詣がですね、結局ちょっと帰省ができなくて、家族4人で過ごしました。
せっかく家でのんびりしてるし、ちょっと遠出、初詣してみようかというので、
バスに乗って電車に乗って行こうという計画をなんとなく立てていました。
ただですね、息子が以前より結構公共交通機関の乗る時にこだわりが発生する事態が結構ありまして、
例えば古い型番の電車は電車にしか乗らないとか、
あとは何だったかな、優先席じゃないと嫌だとかね、電車の場合だったらっていうのがあったんですけど、
そこら辺は結構和らいできていて、電車にはあまり疲れると結構その優先席に座りたがるんですけど、
通常状態、元気がある時ならば結構和やかに乗れるなっていうのは思っていたので、電車は結構クリアしていたんですけど、
バスが結構なかなか難しくて、運転席の真後ろの一人席か、その反対側の一人席、ちょっと高くなっているところ。
あそこが好きなんですよね、あそこ乗りたいみたいな話があって、すごく気持ちわかるんですけどね、特別感あるし。
実はそのバスに乗ると、そこが本当に座れないとすごい大変なので、しばらく電車に乗る時も駅のそばに車を停めて、電車に乗って出かけてました。
ただこの時、私たち夫婦はなんかおかしくて、去年の年末にだいぶ、家の中ではちょっとずつこだわりが薄らいできてまして、
幼稚園という刺激から遠ざけたこと、幼稚園に行かずに自宅保育に切り替えたことと、あと個別領域でちょっとずつ自信をつけていっているところで、結構いい感じに家の中ではこだわりが薄らいで、できることも枯れなりに増えてきていたので、
これもしかしたらいけるんじゃないみたいな話になって、なんかね無謀に何も対応策も考えずに、普通にバス乗れるっしょみたいな感じで、たぶんしばらく外出してなかったから、なんか忘れてたのかな、今思えば何事かって感じなんですけど、
なんか普通にバス乗っていけるっしょみたいな感じで行ったんですよね、そしたらもうそこから悲劇の始まり、何も言わずにバスに乗ったんですけど、私たちの住んでいる家は駅からすごい近いわけじゃないけど、
バス停にしたら3,4個前、駅から3,4個前のバス停に乗ることになるので、しかも休日だとまあまあその席、前の席は座れないんですよね。
で、だから乗った瞬間もちょっとあれ?みたいな感じになって文句を言い始めました、不満で。そこ座りたかったのに、座りたいのに人座ってる?みたいなことを結構言っちゃってて、あーって思ったけど、まあなんとかこう気を紛らわしながら、あ、あそこに何かあるよとか言いながら、
外の景色を注目させながらこうなんとか気をそらしていたんですけど、バスが終点に着いて降りようってなった時に、降りたくないってなっちゃって、全部やり直すみたいなことを言い始めたので、あーだめだったかーって思いながら、
まあでももう泣いてるとこを無理やり降ろすしかないので、とりあえず降ろしてもやっぱ泣いてて、まあとりあえずもうそのまま電車に乗って行ってもいいことないから、もうそこはちょっと一旦諦めて、ちょっと落ち着くまで駅周辺で過ごそうかって言って、
まあちょっとそのうちに早いけど、ちょっと先に昼ご飯済ませてみて、もし元気そうならちょっと電車乗せてね行ってみてもいいしって思って、まあその時一旦考えようみたいな話にして、
はい、その駅周辺で昼ご飯を食べることにしました。
はい、そこの昼ご飯もですね、ひともんじゃくありまして、前日の夜からなんか急に夜ご飯にチャーハン食べたいって言い始めまして、息子が。
で、その時ちょうどもうちょっと夜ご飯ミートスパゲッティを作って作り上げたところで、ちょっといきなり言われてもうちょっとご飯炊いてないしみたいな話をして、えーってなったんですけど、まあなんとかかんとかこうね文句を言われながらも、まあ食べてもらって済んだんですけど、まあ次の日は絶対チャーハンがいいって話になって、朝昼夜全部チャーハンだみたいな話をしていて。
めったにあんまりそういうこと言わないんですけど、なぜかたまたまそういう話になってたので、その日の朝もチャーハンを食べ、昼ももちろんチャーハンを食べることになってたので、まあチャーハンがあるお店を探しました。
で、まあもうちょっと遠出できないだろうし、まあせっかくだからつって、まあいつものなんかこうチェーンというよりはちゃんとした中華屋さんに並んでみたら、えびチャーハンが飾られてたんですね。
そしたらもうやったえびチャーハンえびチャーハンみたいな形になってすごく息子喜んでいていたんですけども、並んでてもですね一個に呼ばれないんですね。
なんでだろうなーって思いながら過ごしてたら、同じように他の並んでたお客さんが店員さんに聞いたら、ちょっと年始ということもあり予約が結構いっぱいすでに入っていて、
ちょっと12時のお客さんが終わり次第にご案内できますという話をされたんですね。
そしたらはい、その時点ちょっと11時過ぎみたいな形で、ああちょっと12時まで待たないけない、しかも終わり次第ってことは実際に食べれるの1時近くかもなーって思うとちょっと嫌だなーって思ってお店買いたいなーって思ったんですよね。
でもなんかもうえびチャーハン食べる気満々なので、もうえびチャーハンの店を探すことにして、だけどちょっとまあね、そこでずっと待つのも大変だからとりあえず同じお店の中、ちょっと商業施設だったので、とりあえずおもちゃコーナーに行って遊んでもらってる間に夫がここ来て、えびチャーハンの店を探してもらって。
幸い徒歩10分ぐらいのとこにそのお店があったんですよ。だけどまた待たなきゃいけなかったらどうしようっていう恐れがあったので、とりあえずごめんだけどちょっと見てきてもらってもいいかなという形で見てきてもらって、運良くもう並ばずにいつでも入れるよって言われたんで、そっちに行きました。
息子もまあえびチャーハンということなら納得してお店変更大丈夫だったんですよ。本当によかったと思って。で行って、えびチャーハンを頼んで食べたんですけど、娘がちょっと食べムラが今あるので、ラーメンと餃子をだいたい頼むんですね。
そしたらもう息子がですね、僕もラーメン食べたいなーって言い出したんで、まあじゃあラーメンとえびチャーハン頼もうかーって言って、私はまあどっちかもあるだろうしって思って追加でなんかちょっと頼んで、まあ余ったやつも食べようかなって思ったら、結構そこの中華屋さん一皿が多くてですね、結構ちょちょって頼んだら結構大量に来ちゃって、まあギリギリみんなで食べれたんですけど、
まあね、ラーメンとえびチャーハン頼んだら結局えびチャーハン3口しか食べなくて、まあラーメンはちゃんとしっかり一人前食べてくれたんですけど、ちょちょ3口って思ったんですよ。今までのあれなんやったんって思いながら、まあでもそんなことはね言わず、美味しいよーって言いながらまあ食べて美味しく食べて、まあなんとかことを終えました。
はい、良かったです。ちょっとイエーってなったけど、まあでも美味しかったんですごく良かったなと思いました。
はい、でその後結構そうやってまあね、私たち自身もバタバタしながらこう昼ご飯を終えたので、ちょっと疲れてたし、で息子たちもなんかこう疲れてるし、ちょっと意外と時間もかかって、今から電車に乗っていくことはないなーと思って、
不安定な昼食後の決断
まあ家の方に向かって歩きながら、すごい近いわけではないけど、まあ歩いていけない距離でもないし、歩きながらちょっと近くの神社に寄って帰ってこうかなーと思って歩き出したんですよね。
そしたら電車乗りたいって息子が言い始めて、で娘も電車乗りたいみたいな感じになって、電車ってなったんですけど、多分予定をちゃんと覚えてるんですよね。
なんかこう一応事前に電車に乗って遠くの神社さんに今日お参りに行くよ、初詣行くよって話をしてたんで、ちゃんと覚えてるんですよね。だから電車乗るんでしょう?みたいな形になって、ちょっと夫婦の間でこのまま何とかやり過ごそうかみたいな感じに一瞬駆け巡ったんですけど、
本を読んでキャッチャーという言葉がすごく私の心の中に刻まれてたので、昼ごはんもキャッチャーしたし、ここもキャッチャーするかと、ちょっと私は何か炎が燃えてきて、
遠くまではもうちょっと時間的に行っても疲れるだろうし、それはちょっとやめようかなって思うけど、一息となりなら電車を乗ることは叶えられるかなと思って電車に乗りました。
電車に乗ったらそこから始発でバスが出てたので、バスでも息子の好きな席に座れました。
見れたし見れたし、始発でちょっとバス20分くらい待ったんですけどね、だけどそこも遊びながら待ってくれて、大人2人いるので夫がちょっと息子と娘と遊んでくれてる間、私はちょっとふーって一番先頭を待ちながら、無事好きな席に座れました。
はい、その時に家の方に向かってバス乗ってまして、着いたのが3時ぐらいだったので、もう帰ってご飯も作らないし、とりかけないし、夜ご飯もあるし、このまま帰ろっかなと。
まあもう今日は初詣諦めようかなと思って帰ろうって言ってたら神社行きたいってなって、あーそっか覚えてるもんねーって思って、もういいよ、今日はやめとこうよっていう話もしたんだけど疲れてるからもうみんなやめて帰ろうよ今日はって言ったら神社行きたいみたいになっちゃって、
だけど私もうちょっと、その頃にはキャッチャーの炎が消えかかってて、あーってなっちゃって、だから夫がじゃあ息子と一緒に行ってくるよみたいな形で言ってくれたので、じゃあ私は娘と先に帰ろうかなーって言って帰ろうとしたんですよね。
そしたら今度娘が、私だけ帰るの嫌だみたいな感じになって、行くーってなって、あーそうかーってなって、結局4人で家から近所15分ぐらいのところまで歩いて神社に向かい始めました。
はい私はもう、あーもうさすがに無理だわーってなんかこうわーって言いながら、まあなんとかこうやって一緒に歩いていって、あーもう疲れたなーって言いながら、まあねー頑張ったしねー初詣行こうかーみたいな感じで言いながら、なんかちょっと愚痴っぽくあーって言いながら、ちょっと歩いてましたね。
でもう最後ちょっと極めつけだったんですけど、神社の前に、まあ程よく大きい公園がありまして、息子が公園来たーいちょっと遊びたいって言って、もう私そこでもう夫に、ごめんちょっと私あそこのベンチで明日の定してくるわーって言って、
なんかすいません明日の定全然読んだことがないんですけど、そのラストシーンの燃え尽きたぜっていうのは、そのええとセリフだけは知ってて、はいなんかそのイメージで言っちゃったんですけど、なんかこうね、なんか気安く言ってたらなんか本当申し訳ないんですけど、そんな感じでベンチで、なんか本当同じような感じで座ってたみたいです。
なんかもう本当思い出したらちょっと笑えるんですけど、キャッチャーであれ続けれなかった、もうやり切ったのかな、あれ続けようとしてやり切ったからかな、わかんないですけどこうやって、燃え尽きてました、数分。
子供たちもね夕方で疲れてたんで、まあ思いっきり遊ぶというよりちょっと程よく遊んだら満足したみたいですぐ終わったんですけど、でまあでもその時にちょっとはーって思いながら、頭の中を駆け巡ったのは、まあ息子や娘がね見通しが持てなくて、こうあーってなっちゃうのと一緒で、
キャッチャーとしての気づき
自分も同じように子供によってその予定が狂わされるとこうやってあーっと泣くことはないけど、やっぱり疲れるんだなと思って、一緒だなと思って、私息子とか娘の気持ちすごいよくわかるってなりました。
多分一緒な感じなんだろうなと思うのと、私も子供一緒だなと思って、そこでちょっと理解が含まれたのと、
そうですね、あとやっぱりそうだな、あの普段平日は一人で子供二人見てるので、ここまで燃え尽きれないんだよなってやっぱり思って、
この日はね、休みの日は連休はやっぱり夫がいてくれるし、こうやってね散々キャッチャーして疲れて翌日もちょっとバトンタッチして休憩したりもできるっていう安心感があるからこそ、
ここまで燃え尽きれるっていうのもあるとすごいありがたいなって思うし、いい日だったんだなってそこでちょっと思いました。
普段はどちらかというとキャッチし続けてあげたいけど、
し続けてあげたいというか、したいんですけど、
やっぱり一人で二人見てると私が燃え尽きるわけにはいかないので、
ある程度セーブして、ちょっと自分の中でもここまでは譲れるけど、ちょっとごめん、ここはごめんお母さんちょっとね、ちょっと私の自我を優先させてくださいみたいな形で結構セーブしているところがあって、
不完全燃焼感があるなと思いました、その時に。
それはそれで結構ちょっとモヤモヤというか、やりきれない自分にこうなんだろう、
罪悪感じゃないけど、なんかこうネガティブというかなんだろうな、こう、
自己嫌悪か、自己嫌悪をするんだなっていうのを感じましたね。
はい、なのですごくそこでちょっと、ちょっとそこで俯瞰して自分を見ることができて、
ちょっと元気出て神社行って最後歩き出して行って、大吉が出た。
少し元気になって、帰り道もみんな疲れたからってコンビニでそれぞれスイーツを買って、
帰ってめでたしめでたしっていう形で終わりました。
はい、なんか結果とすれば家から15分歩いて15分の神社に行って帰ったんですけど、
まあその過程がすごくノーミスだったなっていうのと、
そうやって何気ないことだけど、
受け止めてあげることがきっと伝わればいいなとか、
そういう日常が意外と大切なのかもなとか、
なんかどっかに行ったっていうことばかりじゃなくて、
その家庭、子どもがどれほど満たされているかも結構大事かなと感じた一日でした。
あとキャッチャーであり続けるのは大変です。
はい、なんか、
療育の先生とその後ちょっとそういう話をしてたんですけど、
やっぱり大人も子どももみんな自我があるので、
自我バーサス自我になっちゃうと大変だ。
そこをどちらかが双方かもしれないけど折り合いをつけながら成長していくんだろうなと思いました。
私はこれまであんまり自由に生きてきたからそこら辺の折り合いが上手に突き出てないのかもなと思いながら過ごしましたね。
はい、いっぱい勉強になりました。
大変ですけどまた燃え尽きながらくすぶりながらキャッチャーという言葉を思い出して、またキャッチャーしながらまた燃え尽きながらくすぶりながら、
ご育てを大切な時間、かみしめてやっていけたらいいなと今年の目標としてやっていきたいと思います。
ここまでちょっとダラダラと長く話してしまって、聞いていただいてありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ではまたお会いしましょう。