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2024-11-18 26:14

登園拒否から療育までの道のりと心境の変化 #4

幼稚園に行きたくなくなった息子と私の記録。

サマリー

息子は登園拒否に悩んでおり、そのために療育を選んでいる。心境の変化を記録している。幼稚園生活の中での葛藤やその解決策、成長を追っている。登園拒否から療育への道のりを語り、幼稚園での経験が家族の心境に与えた影響を探っている。特に、療育センターの重要性や環境作りについての気づきが強調されている。

療育を探す道のり
こんにちは、ビンづめのつぶやきラジオのあざらしです。
以前こちらのラジオで、年中の息子が登園できなくなりまして、幼稚園に。
で、療育を探していたんですけど、
ようやくここがいいかなと思って決めることができて、来月からいよいよ通うことになりました。
はい、で、ちょっと改めてここまでの道のりと、私の心の葛藤、葛藤?葛藤というか、
心境の変化みたいなものを残しておこうかなと思って撮っています。
はい、息子なんですけど、
早生まれ、2月生まれかな?2月生まれで、ちょっとのんびりとしたというか、マイペースなところが元々あったんですけど、
不思議と入園の時は、みんな母子分離が初めてといいますか、結構泣いている子とかも多分いると思うんですけど、
息子の場合はですね、全くそれがなくて、最初からバイバイって言って、普通にバスにも乗って楽しそうに通っていたんですよね。
で、それが年少の夏休みに入って、明けたぐらいからちょっと息しぶりがあったんですけど、
結構先生が気をかけてくれていて、1ヶ月ぐらいしたらまたスムーズに登園をするようになり、運動会だったり発表会もしっかりやれてたんですよね。
それが年少の冬休み明けから本格的に行きたくないという気持ちが出てきて、
他人の先生とかに相談をしつつ、あとは幼稚園の発達相談の先生に相談したりして、
なんとか少しずつ休みながらも通えるようになっていましたが、
今思えばちょっと年少の時スムーズに行けてたのって、まだ3歳になって間もない間に幼稚園行ってたので、
あんまりわかっていなかったんじゃないかなっていうのも感じました。
で、その年少の春休み明けから息しぶりっていうんですかね、なんか息しぶりと登園拒否みたいなそのボーダーラインみたいなのも、
私あんまりちょっとなんか本当初めてのことでわかんなくって、どこまで無理して行かせるべきかみたいなのが何もわからない状態だったので、
相談しながら、最初は幼稚園バスに乗りたくないみたいなところから始まっていて、
誰かになんかされたみたいなことを言っていたんですけど、それが誰かがちょっとわかんなくて、
とりあえず縁の発達相談の先生、新日産かな、に行って、
じゃあとりあえず本人が嫌がること、嫌がっていることにできるだけ応じてあげましょうかみたいな話になり、
帰りのバスが嫌だと言っていたので、とりあえず帰りのバスだけやめてお迎えに行こうということにして、
で、あとは多分本格的に行き渋りが、行き渋りというか、行きたくないっていう時には多分お友達とも上手に遊べてなかったみたいで、
担任の先生が月っ切りで結構遊んでくれたみたいで、それで何とかちょっと楽しく通っていたのかなと思っています。
はい、なので一旦そのまま春休みに入れば、ちょっとその間に充電というか回復していけるかなっていう期待で年賞は終わりました。
はい、で、そうですね、その後そういう期待も込めて、年中から本格的に登園拒否になったんですけど、
それ以前のそのクラス発表ですね、春休み明けのクラス発表の時点で、幼稚園行きたくないみたいな、
もう園邸に入る、園の門ですか、そこに入ることすらかもう、嫌だーってずっと泣いてて、
で、みんな久しぶりに会えて、なんかこう、ね、こうだんだんしてる中、ずっと泣き叫んでいる中、
とりあえず私が息子と妹もいるので、その娘を連れて3人で行って、クラス確認して、先生とよろしくお願いしますって、
なんかあんまり深くも喋れず、もう逃げるように帰ったっていうことがありました。
それでそうですね、年中も初っ端からもう本格的に登園拒否で、全然回復してないどころか、なんか悪化してる?みたいな感じになりまして、
クラスも違うし、部屋も違うし、人数も年中からぐっと増えたんですよね。
2倍に増えたのかな、ちょっと少なかったんですよ、年少の時は。
それが2倍に増えて、で、先生も違うっていうので、もう本格的に拒否で。
で、私もまだ、なんかどうしようみたいな形で、その、あの、何ですか、とりあえずバスがまず嫌だろうから、
バスはもうやめるというか、
あ、でもどうだろう、この時まだ行きだけ行かせてたかな、バス。
なんかもう担任の先生とまあちょっと相談をしながら、
あの、まあちょっとでもね、来ることで自信につながるから、きっと。
あの、まあ一日休んだら一日きり行こうか、みたいな形で、一旦やってみましょうか、みたいな形で、
なんとか通わせているうちに、
まあ徐々に先生のこともわかってきたのか、少しずつ休みながらも、
一日保育を行けるようになっていったんですが、
ちょっと結構前向きに楽しめている部分もちょっとだけあるのかなと思いながら行かせたんですけど、
その6月にその保育さん館があって、
成長と回復の兆し
で、無事、まあ一日保育行けてるったんですけど、
そこでちょっと事件が発生しまして、
はい、えっと、すごいその光景を見ているのでずっと覚えてるんですけど、
まあ私がクラスに行った時はすごい笑っていて、
こっちを見てて嬉しそうだったんですけど、
なんかみんな、お母さんお父さんが来て嬉しくって、
テンションボルテージがガーって多分一番上に上がっている状態だったんですよね。
そんな中、みんな歌をですね、
まあ嬉しいからだと思うんですけど、
ちょっと元気良すぎて、若干叫び声的な形でシャウトしてて、歌を。
で、そういうのはすごい、これはもしかしてって私も思ったと思ったら、
あの歌い終えた後、みんなが歌い終えた後に息子がですね、
ちょっと崩れ落ちるように座り込んだ場面を見て、
あーって思ったんですけど、
でもその後、泣くことはなく、
補助の先生にちょっと立たせてもらって、
その後なんとか過ごしていたので、
まあどうかなとは思っていたんですけど、
帰る時も、帰らないでみたいな雰囲気でもなかったし、
大丈夫だったかなと思ったんですが、
やっぱそれがちょっとギリギリの中頑張っていた彼にとっては、
つらかったんですよね。
もうその翌日から、一気にその、
暗くなりまして、
うーん、拒否ですよね、もう行きたくないって。
で、だけどやっぱり担任の先生ともね、その相談をして、
休みながらも行ってるうちにまた地震がつくだろうかなと思って、
まあ暗いけど行けるなら、ちょっと休みつつ行かせようかなってやってたんです。
でもやっぱり、
その6月までちょっとずつ前向きだったはずのものがまた、
降り出し、もしくはちょっと、
ちょっとマイナススタートになってるのではないかと、
家の様子ですごくもう、
明日が来るのが嫌だから、
多分、なんかこう寝ようとしたくないみたいなところも出てきたり、
あとは下の妹に結構暴力的になるというか、
怒りやすいというか、
で、切り替えとかもすごくお風呂に入るのも、
まあいまだにですね、お風呂あんまり好きじゃないんですけど、
まあそういうお風呂の場面とか、切り替えがうまくいかないことがどんどん強まったり、
こだわりもそうですね、
強くなってきて、
これはやっぱりなんかちょっと、
このままだとダメな気がするけど、
わかんないってなって、
そこでもう1回、縁の発達相談で、
しんじさんと話をしました。
はい、で、話をして、
そこでちょっと改めて、
子供に寄り添うことが大事だということがわかってきて、
なんかそれまではなんだかんだ、
あの下の妹もいるし、
まあ私もね、その二人育児というものにあまり慣れてないのもあるし、
2歳差で結構両方ともに手がかかるので、
やっぱり幼稚園ちょっと行ってほしいなという、
どちらかというと私の都合で、
都合の気持ちの方が多くて、
なんかみんなイケてるのに、ほんと行ってほしいなっていうところが、
やっぱり子供のことを考えなきゃいけないんだなっていうことを気づかされて、
ここは息子のために、
ちょっと自分はとりあえず置いといて、
声を聞いていかなきゃいけないんだなということを教えてもらいました。
はい、なのでその後は、
もう1日保育とか母子分離とかはせず、
もうちょっと午前中朝行って、
シール貼って帰ってくるとか、
まあ終わりの回だけ参加して帰ってくるとかっていうので様子を見てたんですけど、
その際に私と離れることがあって、
単人の先生と他のベテランの先生がその様子を見てて、
これもしかしてやっぱりお母さんに言ってくれたらちょっと変わるかもなっていうのを
私は思い出したんですけど、
やっぱりお母さんに言ってくれたらちょっと変わるかもなっていうのを
私は思い出したんですけど、
で、私ももともとなんか、
この短い時間だけでこの幼稚園が楽しいっていうことは絶対思えないだろうから、
私が同席してて、ちょっと楽しい気持ちになれるんだったら
一緒にいさせてもらえませんかって話はしていたんですけど、
とりあえず午前中だけ一緒に登園して、
で、帰ってくるっていうのを過ごしました。
夏休みまで。
で、お母さんと一緒に教室に入ってみましょうかっていう声をいただくことができて、
とりあえず午前中だけ一緒に登園して、
で、帰ってくるっていうのを過ごしました。夏休みまで。
はい、で、
だけどやっぱり前、一緒に午前中だけ行くんですけど、
毎日はやっぱり行けなくて、
だけど、そうですね、1週間に2,3日?
2,3日、うん、で、時々、
行ければいい感じだったんですけど、時々下の子も一緒にいるので、
幼稚園で風邪をもらってくるんですよね。
はい、で、結局もう、
1週間ずっと風邪ひいていけなかったりして、
まあね、そういう日もあったけど、
でも最終的に夏休み前は、なんか、最後に夏祭りがあったのかな、幼稚園で。
それはもう完全に家族で行くイベントだったんですけど、
結構楽しそうにやっていて、
あ、これはすごい光が見えてきたなって、やっぱりその、
新実施の先生の専門的な知識をやってみて、
すごく良かったなという感じで、夏休みを迎えました。
良かった良かったって感じで、はい。
で、夏休み中はもうほんと好きなこと、
まあね、私一人で子供二人見てるので、
思う存分は遊ばせてはいないと思うんですけど、
まあのんびりと過ごして、
回復できました。
なので、夏休み明けは、
あの、ほんと、あ、幼稚園行く日だよねっていうぐらい、自分から。
で、え、大丈夫?ってちょっと疑いはあったんですけど、
結構スムーズに一日保育いきなりできて、
母子分離もすごいできちゃったっていう。
やったー!やったぞー!って思ってたんですけど、
まあそのままでは終わらなくて、
まあちょっとね、
あの、ちょっとトラブルがそこで発生しまして、
はい、あの髪の毛をちょっとうちの息子は伸ばしたいと言って結んでるんですけど、
まあそれもこだわりで切りたくないっていうので結んでるんですけど、
他のクラスとも一緒にやる活動があった時に、
女の子と間違えられてしまって、
ちょっと女の子はあっちだよみたいな、
男女別れて取り組むような活動の時に、
登園拒否の原因と影響
あっちだよって言われた時にも結構、
ね、あの多分彼の中で、
あの、ショックというか何も悪いことしてないし、
自分は女の子だとは思ってないので多分、
身に覚えがないことですごく注意をされたというか、
結構こう強めに言われたし、
そうですね、幼稚園の中で起こっていて、
たまたま私もそこでいたので目にしたんですけど、その光景も、
あーなんか押されてるって思って、
まあでも間違うのはね、その差別的なものじゃなくて、まだ幼いので、
見た目でとても、
あーってやっぱりなって、
その時やっぱ息子も何も言い返さず、
しかも結構その子も何も言い返さなかったので、
その子も、早く女の子はあっちでしょみたいな形にどんどん強くなっちゃって、
やっぱりその子が悪いとは思ってないんですけど、
あーってやっぱりなって、
その時やっぱり息子も何も言い返さず、
早く女の子はあっちでしょみたいな形にどんどん強くなっちゃって、
でまあ誰もそこの場面に他の大人が気づかなかったので、
助けも入らず、
はい、もうそこでまた、
ゼロマイナススタートになってしまって、
遠縁拒否、行きたくないですってなりました。
はい、でもう私としては、
ここまで時間をかけて、ちょっと下の子も連れて、
幼稚園に行って、やってきて、徐々にいけるようになったのは、
ね、多分本人にとってはすごい大変なことなんでしょうが、
まあトラブルってどうしてもねつきないから、
そこを一つでまたマイナスに戻っちゃったのを、
見て、もうちょっと私が、
限界かもってなって、
これ、幼稚園、無理なんじゃないかなって、
ちょっと、そのマイナス的に考えるんじゃなくて、
ここは多分、息子がいるところじゃないんじゃないかなっていう気持ちがそこで、
結構くっきりと私の中で出ちゃって、
若干もう私も怪しい、なんかこう精神的に来てたんとは思うんですけど、
もう幼稚園なんかやめようみたいな感じになって、
そしたら夫がちょっと待って、ちょっと待って、落ち着け落ち着け、どうどうどうってなって、
でたまたまその夏休みの時に、
療育センター、なんか縁の発達相談だと、とりあえずできることでやりましょうみたいな感じだったんですけど、
なんかやっぱりちょっと特性というか過敏なところがあるのかなと思って、
療育センターにも話をしていて、
その小集団プログラムっていうのが、その発達検査っていうものが受けられなくても、
何かちょっと自分の子に対して不安がある方が参加できる無料の、
3、4人程度かな、子どもたちで、もっと多いかな、5、6人かな、
の子どもたちで、ちょっと活動をして、
いろんな相談ができるっていう場があるんですけど、
その話を夏休み中にしていて、なんかいろいろ予定が合わなかったり、
向こうも結構ね、いろんな方が来ていて、なかなか予定が空いてなくて、
やっとその夏休み明けの中盤ぐらいに初めて行けることになっていまして、
はい、その事件があって、またゼロマイナススタートの登園拒否の状態で、
もしかしたらここなら行けるのかもしれないし、
とりあえず体験に行こうというので、体験というかそこ、そこに行こうというので、
行ったら、普通に参加初めての場所だったんですけど、
環境づくりが本当に徹底していて、子どもへの環境づくりが、
初めてだけど、すごく見通しを持たせてくれるような関わりだったり、
そもそもやっぱり大人の数が多くて手厚いんですよね。
だから、なんか失敗させないというか、困らせない。
子どもが困るようなことを極力減らしている環境づくりがされているからなんでしょうね。
息子が普通に遊んでたので、
やっぱ、幼稚園ちょっとやめるっていうあれじゃなくて、
幼稚園よりもこういうところでやる方が、
結果、近道かなっていうので、やっと領域に前向きになるというか、
そこでなんか自分の中のモヤモヤみたいな迷ってたところも、
はっきり道がクッと見えたというか、
すごくそれが、この約半年以上かな、半年以上かかってますね。
半年以上かけてやっと、迷いがなくなったなーっていうことでした。
療育センターとの出会い
で、なんかなんだかんだね、こう、なんかいろいろね、ちょっとでもいければ自信がつくからとか、
やっぱそれでも、あのね、いけるようになる子もいるから、
先生たちがこう違うこと言ってるとかは全然思っていないんですけど、
本当その子その子を試してみなきゃわからないことが多くて、
何もわからないことから始まってるので、
とりあえずなんか、息子のそばにいそうな人から聞いて、
試して、聞いて試して、みたいなことを繰り返していたんですけど、
やっとその領域センターの人につながれたのが、
長かったけど、長くて結構つらかった部分も多いんですが、
よかったなーって思います。
はい、やっぱりこうね、最初はどうしても、
自分が大変だから、行ってほしいから、
行く方向、行く方向に考えるんですよね、どうしても。
それがやっぱり専門的な方の話を聞くと、
結構考え方というかやり方が180度変わってきて、
こんなに変わるのかって思うぐらい変わっちゃって、
そこでやっぱり私の心、心というか気持ち?意識か。
意識を変える必要が必然的に出てきたなと感じました。
はい、なので最初は自分目線で考えていたんですけど、
実はあの、ちゃんと、
さあ始めからね、息子のことをもっと見てあげたら、
よかったなっていうのはすごい反省としてあって、
で、
息子のことを見る。
今まであんまりその誰かに寄り添ってきた、
人生を送ってこなかったので、
最初はすごいやっぱそれがすごいストレスが。
なんかちょっとでも泣いちゃったらもう、
なんか逆に壁になって泣かせちゃいけないっていう、
逆にね、その泣かせちゃいけないって思うと、
自分がツキッキリで先回り先回りして、
泣いてしまうと部分を取り除かなきゃみたいな、
感じになっちゃいすぎたんですけど、
まあ今はね、徐々にそのストレスの元をできるだけ減らしてあげて、
その中でなんかこうね、
ちょっと、ちょっとステップが踏めればいいなと思って、
過ごせています。
はい、ちょっと長くなってしまったんですけど、
今日はそうですね、その行きしぶりかな?
行きしぶりなのかな?
なんかその行きしぶりと遠縁拒否もね、ちょっとわかりづらいんですけど、
まあその行きしぶり遠縁拒否から、
まあ領域につながるまでっていうので、
私の体験としてここに記録をさせていただきました。
はい、
ね、
まあいろいろ他に、
あの気持ちはいっぱいあるんですけど、
今日はちょっと長くなったので、
ここらへんにしようと思います。
はい、聞いていただきありがとうございました。
ではまたお会いしましょう。
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