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今日も一日ありがとうございました。この放送は、NFTにハマった建築設計者がNFTやWeb3、時々建築の話をする放送です。よろしくお願いします。
今日は、私の恩師についてお話ししようかなと思います。 よろしくお願いします。今日は、どちらかというと建築よりの話で、Web3、NFTの話は全く出てこない。
私の本当にプライベートな話になります。よろしくお願いします。 この話をしようと思ったきっかけは、今日が5月13日の月曜日なんですけども、この土日で東京、私の地元である東京に帰っていました。
なぜ帰っていたのかというと、私の恩師の死の深いが行われていました。 その名の通り、私の恩師は大学の恩師なんですけども、私の大学の恩師は3年前に他界していまして、その頃はコロナがあったので、
そういった死の深い的なものができなくて、ようやく3年越しに、そういう死の深いが催されたわけです。
私は関西に住んでいるんですけども、東京に帰って、その死の深いに出席してきました。
そこで、当然、私の恩師にお世話になった人たちがいろいろ集まって、私の恩師に関するいろんな話をしたりとか、私自身も学生時代のことを思い出していたときに、いろいろな考えさせることがあったので、それについてお話ししようかなと思います。
まず、私の大学時代の恩師は、私の人生を変えた人物の1人、トップ5ぐらいに、家族以外、他人で私の人生を変えた人の中でトップ5ぐらいに入る人物かなと思います。
どんなことがあったのかっていうのをちょっとお話しして、私の恩師がどういう人だったのかっていうのをお話しして、その中で人生に関する教育みたいなのをちょっとお話しできたらなというふうに思っています。
まず、どんなことがあったのかっていうのは、まず私の大学時代に遡るんですけども、私は建築学科に入って、大学4年間過ごして大学院まで行ったんですけども、その大学院の研究室、もうちょっと言うと卒業論文ですね、卒業論文の研究室を決めるのにちょっと迷っていました。
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で、私はもともと建築が好きというよりかは、数学とか物理が好きだったんですね。それで、その数学とか物理の技術が建築を守ること、自身から建築を守る、建物を守る、人の命を守るっていうのに、私の好きな数学とか物理が使われているっていう、そこに惹かれて建築の道に進んだんですけども。
なので、あまり建築っていうのが、そんなに好きでもなかったし、詳しくもないっていう感じだったんです。それで、大学の前半の3年間ぐらいを過ごしていて、4年で卒業論文を書くときに研究室を選ぶんだけど、どうすればいいのかっていうので、
一つは、本当に構造技術、耐震技術みたいなのを極めている、すごい研究している研究室っていうのも当然あって、そっちの方が私の物理とか数学が好きっていう方向性と合っていたので、私は当然のようにそっちに進むのかなと思っていました。
それまでは、3年になるまでは、私の恩師の存在も知らないぐらい、授業とか多分あったのかもしれないんですけども、名前とかぐらいは知ってたと思うんですけど、その人が偉大な設計者で、数々の賞を取っていて、いろんな有名な建物を建てている設計者とは知らなくてない状態でした。
そこで研究室を選ぶときに、そういう先生がいるんだっていうのをそこで初めて知ったわけですね。
そこで初めて、ただの物理とか数学を使った建物を守るみたいな、そういう局面だけではなくて、もうちょっと建物をデザインするというか、建物の形を決めて、中身を決めて、空間の人の過ごしやすさを決めてっていうのにも構造、物理、数学、
それから来る技術というか、知識というか、やり方というのが使われているというので、そこを初めて知ったんですね。
そこで私は本当の意味での建築というものに興味を持ち始めて、これ大学3年の後半ぐらいなんですけど、そこから建築そのものを好きになるようになったんですね。
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そのきっかけをくれたのが、私の恩師になります。そこから研究室に入って、物理、数学を使った、なんて表現したらいいのかわからないですけど、建物の強さを決めるっていう方法だけではなくて、建築そのものの空間を作るとか、
外観、デザインを決めるとか、そういった面にも興味を持って、そこにも知識とか自分の力というのも身につけることになりました。
そこで過ごした経験があるから、私は今建築の設計をする職に就いていますし、いろいろ設計して、自分が設計した建物はこれだと言える建物も残してきているわけです。
おそらくこの出会いがなかったら、もうちょっと研究よりの建物を作るような川下での活動ではなくて、もうちょっと川上の世に出る前の前ぐらいの研究ですね。
うちの会社にも研究をしている、研究開発している部隊がいるんですけども、そっちよりの未来が待っていたのかなというふうに思っています。
そっちはそっちでいいと思うんですけども、今の職、建築を設計するという職に就いているのは間違いなく今の私の恩師の影響に出会ったからかなと思っています。
私の恩師は多分研究室に入ったぐらいでももう65とかそれぐらい行っていたんですね。
私が研究室に入って5年後ぐらいに70になって研究室を畳んだのでそれぐらいですね。
勝手なイメージなんですけども、65ぐらいになって当然自分でご自身で大学の先生でありながらご自身で設計をしている設計事務所も構えている方なので、
今現在というか私が学生の時ですね、その時もバリバリ設計者としても現役ですし、当然過去にいろんな建物を建ててきた経験もあるので、
そういった65歳ってどんな人なのかなと思うと、私の偏見だと自分のやり方みたいなのを確立して、もうこれをやっとけば鉄板だろうみたいなそういったやり方があって、
それを淡々とやり続けるみたいな、それでいいものを作るみたいな、そんな感じなのかなというふうに思っていました。
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私の先生は全くそうではなくて、その時、大学にいる時、65過ぎてもすごい好奇心旺盛で、新しいもの好きで、新しいやり方とか新しい社会情勢とかそういうのも好きで、
どんどんなんか好奇心あふれて、いろいろ学生は当然自分より30、40以上か、自分より40以上離れた子どもたちにいろいろ聞いたりとかするのも好きで、そういった方でしたね。
私が先生の特徴を一つ挙げるならというと、好奇心旺盛という特徴を挙げるかなというふうに思います。それぐらいいろんなことに興味を持って、本を読むのも好きな方で、研究室の中にはいろんな本がありましたね。
よく建築をやっている人の大学の先生の部屋みたいな研究室とか、あとは設計事務所でもそうですけど、建築系の雑誌を置いてあるが、ピチーと本棚に並んであるのが割と一般的なんですけども、うちの研究室も当然雑誌とか置いてあったんですけども、建築じゃない、全然違うような本というのが置いてあって、
全部先生が読んだ先生の私物なんですけども、それを読んで、それが置いてあって、先生がお勧めのがあったら、これお勧めだから読んでみなよみたいな学生に進んで回っているみたいな、そんな感じでしたね。本もよく読む方でしたね。
そんな先生でした。なので、常に新しいことに挑戦して、あとあれですね、一つ割と口癖のようにおっしゃってたのは、とりあえずやってみたらいいじゃんっていうのを口癖のようにおっしゃっていましたね。
うちの研究室はそんなに歴史がないので、簡単に言うと研究費みたいなお金的な面ではそんなに潤沢にあるような研究室ではないので、例えば実験がしたいですみたいになったときに、とりあえずやってみればいいじゃんで、実験ができる環境ではなかったんですよ、金銭的には。
なかったんですけども、それを知ってか知らずか、とりあえずやってみれば、とりあえず実験してみたらいいじゃんみたいな感じで、いろいろとりあえず解析してみたらいいじゃんみたいな、そんな感じでとりあえずやってみたらっていうのがすごい印象的でしたね。
なのでちょっとその精神も、私の今を作るような精神になっているのかなというふうに思っています。
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そんな感じの先生でしたね。
私が大学を卒業したのが10年前なので、ちょっと正直な話を言うと、今まで言ったような先生が好奇心旺盛だったなとか、とりあえずやってみたらみたいなそういう精神とか、
あとは私が建築のことを好きになった先生との出会いの中で、出会いをきっかけに建築のことを好きになったことっていうのが、だんだん忘れ去られてきたような感じがあって。
それでの土日の先生お忍会だったんですけども、その忍会でその10年間でそれが薄れていったそれらが、すごい鮮明に蘇ってきて、ちょっと今節字が正されるような感じになっています。
その中でやっぱり印象的だったのが、その忍会で飲食パーティーみたいな感じなんですけども、先生にお世話になった方々っていうのが当然いて、その方々ももうおじいちゃんおばあちゃんなんですけども、私から見たらなんですけども、
建築業界では名乗ったその人たちも、いろんな賞とか取って雑誌とか載ってる設計者なんですけども、その人たちが先生にお世話になったっていうので、ご参加してくださって、コメントなんかも当時スピーチされていて、そこで割といろんな人が口を揃えていうのがやっぱり、
先生は一般的な設計にこだわらずに、新しいチャレンジングな設計をしていたっていうのが、もう皆さん口を揃えておっしゃっていたようなことですね。
これは私が学生の時に抱いた先生の印象とぴったりで、もう落ち着いちゃって、自分の型を見つけちゃって、それを淡々とこなす設計者ではなくて、好奇心旺盛でいろんなところに手を出して、いろんなことに挑戦するような先生だったっていう印象と全く同じ印象のコメントっていうのを、
この土日の忍部会でそのお世話になった方々、おじいちゃんおばあちゃんがおっしゃっていて、そこでハッと思い出されましたね。
10年前の私の学生時代のことか、私はこのチャレンジングな先生のもとで育ったんだというふうに、世辞を延ばされるような、そんな気持ちになりましたね。
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その記憶がやっぱり10年間で薄れていたっていうのを自覚していたので、ちょっと考えを改めさせられたというか、初心に戻らされたような忍部会でした。
その先生なのでというか、結論はないんですけども、その土日でのことを踏まえたのもありますし、前回の放送でゴールデンウィークをきっかけに子どもと過ごす時間の大切さを再認識したっていうお話をしたんですけども、
それを踏まえると、ますます今の自分の働き方というか、建築の向き合い方とか設計との向き合い方もそうなんですけども、そういった面をちょっとまた一度改める、考えを改め、考えとか行動をですね、改めるチャンスなのかなというふうに私は今思っています。
なのでちょっと今も決めてるんですけども、これ次回の放送で話そうかなと思うんですけども、ちょっとした取り組みをしようかなというふうに思っています。
そんな会社に辞めますみたいな、そういう取り組みではなくて、ちょっとスモールスタート的になるんですけども、こういったのをちょっとやってみようかなというのが今あるので、この場で宣言したりすることで自分の首を締めて、その取り組みの継続性というのをちょっと高めて、
それなりの期間継続して、その取り組みをちょっと行って、実験的に行って、どうなるかなというのを試してみたいなというふうに思っています。
なのでちょっと次回はその取り組み、ちょっと自分が新たにやろうとしている取り組みっていうのを話しようかなと思っています。
ということで今日は恩師、私と大学時代の恩師についてちょっとお話しさせていただきました。
その思い出、大学時代の思い出とともに、一昨日あった恩師、お忍び会でちょっと感じたことっていうのをお話しさせていただきました。
それをちょっと感じて、今後の私の人生というか身の振り方というか歩き方というかをちょっと見直そうかなというふうにも今思っているので、
そのあたりの今後の自分自身を考えるきっかけになったマドリン寺の忍び会でした。
ということで今日は終わりにしたいと思います。お疲れ様でした。またね。バイバイ。