SHISHAMOの魅力の探求
アーティストの名前って、不思議なものが多いとは思いませんか?
ポルノグラフティとか、アジアンカンフージェネレーション、オフィシャルヒゲダンディズム、ミセスグリーンアップル、
一体どういう経緯でつけられた名前なのか、そしてどうしてそれが不思議な魅力に溢れているのか、気になるものが多いですよね。
その中の一つで、SHISHAMOっていうバンドがあります。
今日はなぜSHISHAMOは、IWASHIではいけなかったのかについて話したいんですけども、
魚の名前をバンドにつける、それ自体結構不思議なことですよね。
見知ったものをつけるにしても、犬とか猫とか、動物の名前ならすぐイメージできるのに、あえて魚を選択する、
ギターボーカルの朝子さんがね、漢字と言葉の響きのギャップが魅力的だったって話しているようなんですけども、
私にはそれ以外の理由があるように思うんです。 なぜならSHISHAMOの音楽を聞いたときに、これはSHISHAMOっていうバンド名がしっくりくるぞっていう実感があるからなんですよ。
今日はSHISHAMOがSHISHAMOたるゆえんは何なのか、その謎を解き明かしていきたいと思います。
まず前提として、彼女たちはなぜ魚の名前を選ぶ必要があったのか。 ここにはね、彼女たちが作り上げる音楽のテーマが大きく関わっていて、
SHISHAMOの曲を聞いて特に強く感じることって、日常の小さな不安に寄り添う優しさなんですよね。
僕の好きな曲の一つに、中庭の少女たちっていうものがありまして、 それはね、あの舞台が学校で、友達といつものたまり場で話している私が思うんですね。
もしこれからね、みんな卒業してちゃんとした大人になってしまったら、もうこの中庭に集まってもこんな風に楽しくは話せないんじゃないか。
酸いも甘いも噛み分けたら私たちは変わってしまうのではないか。 きっとそうなるよな。
でも私は中庭でまた集まったなら、今みたいな話ができることを信じていたいって、まぁそんな曲なんですよ。
未来への革新的な不安を抱きながら、それでも一つ希望を持って前に進む、 その繊細な感じがSHISHAMOの魅力だと思うんですよね。
これがね、魚と相性がいいんですよ。 さまざまな塩目が入り混じる暗く冷たい海、これは僕たちが直面する厳しい現実と対比されます。
当てもなく泳ぎ続ける魚は、不安の中にいながらいずれ差し込む朝日の輝きを信じて泳ぎ続けるんです。 これがまさにSHISHAMOの世界観。
暗い現実にあっても今日をひたすらに走れば、明日の朝日がそれを少しだけ癒してくれる。 これがマッチするからこそ、魚の名前をバンド名にする必要があったわけですよね。
SHISHAMOの名前の由来
では、魚の名前をつけるとして、なぜSHISHAMOなのか、なぜイワシやヒラメではダメだったのか。 これには3つの理由があります。
その一つ目が、焼かれる魚であることです。 SHISHAMOは焼かれることを強く想起する魚じゃないですか。
生でも煮てもいける魚っていうのは多いですけど、SHISHAMOって生き生きと泳いでいる姿を想像する人よりもね、焼かれた状態の方が馴染み深くて、自然とあの美味しそうなイメージが浮かびます。
焼かれること、焦げることが前提にある。 これってロックの精神そのものじゃないですか。
SHISHAMOの音楽もね、焦げることを恐れない。 キレイごとだけじゃなくて、傷や痛みを含んだままそれでも明るく歌う。
そんな焼けた光のような質感。 焦げながらも清く淡い感じと言いますか、それが名前との結びつきを生んでいるんです。
2つ目は、美味しい小魚であること。 SHISHAMOは女性3人のバンドで、小柄な体から発せられる迫力のあるサウンドっていうギャップも
魅力の一つにあると思うんです。 これが、小魚にもかかわらず異常な美味しさを秘める
SHISHAMOっていう魚のイメージに重なるわけです。 焼かれた小さくて美味しい小魚、これと
迫力のあるサウンドを響かせる小柄なバンドっていうのが結びつくじゃないですか。 だからSHISHAMOっていうのが彼女たちにぴったりなんですよね。
さらにSHISHAMOって、通常1本だけでお皿に乗ることってあまりないじゃないですか。 2本ないし3本、そのイメージが根付いているわけです。
だから彼女たちの一体感みたいなのも表せているし、 SHISHAMOって聞いて3人がステージに立つ姿っていうのが容易に想像できる、そんな工夫も仕込まれているわけですよ。
そして最後3つ目が、SHISHAMOっていう名前の情報量のちょうど良さなんですよね。 名前のエントロピー最適値っていう考え方がありまして、
音の情報量って、なんかどうやら多すぎても少なすぎても覚えにくくなるように人間の脳っていうのはできているらしいんです。
適度な反復と変化を心地よく感じるようにできているらしいんですよね。 だから高濃度茶化テキンとか、ああいうねゴロの良い言葉ってスッと体に入ってくるじゃないですか。
SHISHAMOはまさにその最適構造にあるんです。 シ・シャ・モって3つの音節に区切ったとしたら、シの反復とモの変化。
これがちょうど良いリズムを生んでいるんですよ。 イワシって音のバリエーションが少なくて、ちょっとこう単純で直線的で印象が弱いじゃないですか。
逆にサバとかは短すぎて情報量が足りないし、 スケトーダラは情報量が散らかりすぎててスッと頭に入ってこない。
だからシ・シャ・モがちょうど良いんです。 さらにゴビのモって、音象調の観点からも可愛さを生みます。
ムーニーマン、マミーポコ、パンパース。 オムツの名前によく使われる両親音って呼ばれるマ行とかパ行。
最適なエントロピーを持ちながら可愛らしさも表現できている。 そんな完全な名前なわけですよね。
魚っていうモチーフ。それはね、人間の心を映す鏡でもあります。 シ・シャ・モは小さいけれど、しっかりと自分の信念を持って泳ぎ続ける。
その生き方がそのままシ・シャ・モの音楽の姿なんですよね。 だからこそイワシではなくシ・シャ・モでなければならなかった。
彼女たちが歌うモヤモヤした不安と柔らかな希望は、まさに魚のように静かに、でも確かに僕たちの中で泳いでいるんですね。
はい、ちょっとね、シ・シャ・モが解散するっていうことで、僕シ・シャ・モとても好きで、何度もライブにも行かせてもらって、思い出のある人たちだったんで、こういう形で話させていただきました。
もしね、あのシ・シャ・モあまり聞いたことのない方がいらっしゃいましたら、僕のね、さっき話した中庭の少女たちとか、魔法のようにとか、サボテンとか、同窓会あたりが僕は好きな曲なんで、そのあたりをね、ぜひこれを機会にシ・シャ・モちょっと聞いてみようかなって思っていただければ幸いです。
はい。
ちょっとね、最近やや忙しいんですけど、時間をとって今これを話して、いったい私は。
はい、じゃあ今日も変な話でした。ご静聴ありがとうございました。さようなら。
新潟ラジオ