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2025-04-20 11:40

神道にはなぜ教えがないのか#42

30代男性B型は「ある」ことよりも「ない」ことに価値を見出す

サマリー

神道には教えや救いがないとされており、特にその背景には日本人のライフスタイルが影響していると言われています。また、神社には静謐な空間が存在し、その空間のないことから生まれる価値が強調されています。

神道の教えとは
神道の教えって皆さん知ってますか? 仏教は悟りを開くとか、キリスト教は汝の隣人を覆うとか、宗教って教えとか救いみたいなものをだいたいあるじゃないですか。
ただ、神道って何を教えとしていて、どういう救いが与えられるのかって、かなり謎に包まれてませんか?
初詣に行くだけでなんだかスッキリした気持ちになれる経験な神道信者の僕たちですが、 神道が何なのかっていまいち分かってないですよね。
そこで少し前に、神道はなぜ教えがないのかっていう本を読んだんですよ。 神道のことに少し詳しくなれば、どうせ行くお参りにもありがたみってものが増して、人生はかどるかなぁとか、まあそういうふうに思ったんですね。
しかしですね、神道って本当に回祖もいないし、救いもないし、さらには教義もないらしいんですよ。
僕たちが知らないんじゃなくて、そもそもないらしいんですよね。 歴史を遡ってもよくわかんないっていうのが実際のところで、
他にもね、神道についての本読んだんですけど、 神道に教えがないのは、他の宗教伝来までに日本人のライフスタイルにも完全に組み込まれていたこととか、
教義と救いのある仏教が影響力を持った時に、教義も救いもない神道と争う理由がなくて、うまく融合していったことだとか、
たびたび日本政府が国家をまとめ上げるために神道を保護したこととかね。 こういう複数の要因が重なり合って、現代に至っても回祖も教義も救いもない得意な宗教として存在しているらしいんですよ。
さらに神社って建物がひしめく今の世の中で、独特な存在感というか空気感みたいなのがあるじゃないですか。
お寺とか教会ももちろん独特といえば独特なんですけど、神社ってそういった他の宗教施設とは何か違う、謎めいた空気みたいなものを感じませんか。
これを神道にはなぜ教えがないのかの著者は、神社がない場所だからっていう考察をしてるんですよ。 今の僕たちって常にある場所で生活してますよね。
何かしらがある場所。家や職場はもちろんですし、通勤の電車、スーパーデパート、まああと街灯きらめく街中とかね。
どこに行っても喧騒があって、それから逃れることはできない。 ある世界っていうのを全身に浴び続けていますよね。
しかし神社にはないんですよね、それが。 回祖も教えも救いもない宗教施設で
神社の本殿にはね、神のよりしろになる場所はあってもそこに神がいるわけじゃないですし、 神様の通り道があってもそこに神様がずっといるわけでもないと。
観主さんっていうのも神道においては、儀礼方法を知っているアマチュアみたいな立場らしくて、 神にその身をすべて捧げているとか、そういった風習もないんですね。
そうなってくるともうね、神社って何にもないじゃないですか。 でもだからこそ現代において価値が生まれているんだって著者は言ってて、
何もない場所でこそ初めて考えられることがあったり、 静謐な空間に身を置いてどこか懐かしさみたいなのをね、覚えたりだとか、
ないからこそ特別、それが神道、神社であると。 まあそういう内容がね、書かれてたんですけど、
ないことの価値
これ結構共感できますし、ないことに価値を見出すって、 身近な例で言うとミニマリストとかも同じじゃないですか。
必要最小限のもので生活することで、 ノイズをできるだけ排除して新たな価値を生み出していると。
こういったライフスタイルとか精神性みたいなのが、 現代でもね注目を浴びている事実っていうのはあるわけで、
少し前にフランス人は10着しか服を持たないっていう本が大ヒットして、 調べたところによると、
シリーズの累計発行部数は100万部を超えているそうなんですよ。 これも服を限定して所有することに価値を生み出している。
いわば服がないことに価値を見ていると言えると思うんですよ。 だから物やサービスがね、たくさんあることが当たり前になっている現代において、
心に残るような極上の体験っていうのは、ないことに詰まっているんじゃないかなって思ってて。
〇〇があるっていう世界はもう頭打ちで、これからは〇〇がないってことが人生の輝きを生むんじゃないかなって。
例えばですけど、時計がないホテルとかあるとするじゃないですか。 そしたら時計がある方が便利なのは間違いないのに、
まるでね、ホテルから時間を忘れて楽しんでくださいっていう 極上のおもてなしを受けているような、そういう感覚になるじゃないですか。
あえて時計をなくすことで非日常だとか特別感を演出する。 どうですかね皆さん。これね、僕たちの心を動かすのはないことによる価値なんじゃないかなって思うわけです。
他にもね、 電波がない山奥のリゾート地とか、不便なのは間違いないんですけど。
情報端末から解放されて、澄み切った空気を五感すべてを使って味わったりだとかね。 運ばれてくる食事をいつもより美味しそうに感じたり、
時間の潰し方もスマホばっかり触ってたもんだから、 すっかり忘れてしまってて、
山の色合いのグラデーションだとか、夕暮れ時オレンジや紫色に変化する空を眺めたりとかね。 心の底からリフレッシュできたりとか、まあしそうじゃないですか。
こういった具合でですね、今日はないことについて考えていこうと思いまして、 今挙げた2つの例はイメージしやすかったかと思うんですが、
もっと細かく、こういうものもなくしていいんだと。 ちょっと発想が変化するもの、そういったものをね、これから紹介していきたいんですが、
例えば、土足エリアがないホテル。 入り口で靴を脱いだら、あとはすべて裸足でお過ごしくださいと。
スリッパもありません。食事もお風呂もすべて裸足。 まるでね、同心に帰ったような気分にね、させてくれて、自分の無邪気さみたいなものが引き出されたりとか、
そういうね、サービスを受けることができると。 あとは皿もスプーンもフォークもないレストラン。
これ実際にダンシングクラブっていうカニ料理屋さんでやっているらしいんですけど、 テーブルに敷かれた透明のクロスの上に料理をぶちまけて、それを両手で思うまま食べる。
いやなんか一度体験してみたいな、そう思わせる何かがありますよね。 あとは具がないラーメンとかね。
麺とスープ、ラーメンの本体のみを食らってほしいっていうテンション、意気込みを感じながら ラーメンを食べると。
最近はお肉のみを焼くだけのすき焼き屋さんが流行っていたりしますし、 コストカットと特別感の両取りができて、意外といいんじゃないかなって思うんですよ。
あとはね、扉のないトイレとかもどうでしょうか。 扉があって当たり前だと思っていませんかね。
じゃなくしてしまえばいいんですよ。 一つ一つのトイレは道のりが螺旋状に渦巻いていて、外側からぐるぐると方を進めると一番内側に便器が鎮座している。
そのあの最中にね足音が聞こえてきたりとかして、 螺旋状ぐるぐる回ってくる足音を
まるで野生動物が無防備な状態に捕食者に睨まれた時のような、 そんな
本当の身の危険っていうのを覚えながらすると。 このワイルドな気持ち、だからサファリパークとかでこれを採用すれば、施設とのシナジーが生まれて心動くこと間違いなしですよね。
あとは壁のないマンションとかね。もうお隣さんとの垣根も文字通りない。 横長に広がるガチワンルーム。
シェアハウスではないんですよ。ただ壁がないだけ。 開放感にあふれて一人暮らしでも寂しくなくていいですよね。
底がない靴もいいと思いませんか。都会はどんな足触りがするのか、皆さん興味あると思うんですけども。
電車に乗ってもいいですし、自転車のペダルがどんな形をしているのか体感するのも素敵ですよね。
土足禁止のホテルにもこれなら履いたまま行けますから、特別感とオシャレ両方を楽しむことができますよ。
ショッピングモールの照明をなくしてみるっていうのも一つの手ですよね。 手触りや匂いを頼りに歩いて、一体何の店かもわからないまま商品を手に取ると。
嫌が大でもいつもとは違う基準で物を買うことになりますから、必ず新発見にね、たどり着けると。
五感を制限するという意味では、音のない音楽フェスとかもどうですか。 クラシックの世界には無音を楽しむものもあるというじゃないですか。
みんなが音を出さないように行動して、ステージの上に立つミュージシャンも沈黙を貫く。 こんな体験したことありますかね。
だからそれでいえば、このポッドキャストも音がないポッドキャストとして 極上の体験を皆さんにお届けできる可能性があるんですね。
だからこれ意外といいんじゃないですか。 ちょっとやってみますか。
無音のポッドキャスト。 今あなたの脳内に直接語りかけています。
ここは無音を聞き入った先にあるもう一つの世界。 神の世界です。
これからあなたにこの世の真理を神の啓示として授けます。 心して聴いてください。
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神でした。
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