一番少ない時には3%ぐらいまで左利きの人が減ったというような時期もあって、
それはなんでなんだっていう話ですけど、
これは著者もいろんな研究を引用しながら話をしていて、
一番大きかったのは、産業革命の時に、
結構複雑な機械とか道具がたくさん作られてきて、
その時にそういった道具が右利き用に設計されていたということだったり、
あとは教育が結構普及してきて、
文字を読み書きする人もかなり増えてきた時に、
文字っていうのが、これは後でまた出てくるんですけど、
右利きの人向けに作られていたものが多かったので、
そこで左利きの人は不便を知りられた。
そこで左利きの人に対して社会的に不利な圧力がかかったんじゃないかという仮説があるんですね。
あとは、これ後半の本で出てくるんですけれど、
日本でも左利きの人はお嫁にいけないみたいな、
そういう風習というか偏見というか、そういったものがあった時期もあって、
左利きはそういう意味である種淘汰されていたというような時期もあったんだというようなものを書かれていて、
結構これ知らなくてびっくりしたんですよね。
今は少なくとも私の周りで、僕も含めてですけど、
左利きだから結婚がどうだか、ネガティブなイメージってほとんどないので、
過去こんな時代があったんだなというのがまず一つ驚きでしたね。
そういった数字の部分を前を押さえつつ、
左利きの定義みたいなところも最初にしているんですね。
最初を引くと左利きというと、右手よりも左手の力を低く引くこと、またはその人というような定義なんですけれど、
実際は全てを右でやるから右利き、全ての作業を左でやるから左利きという風に簡単に二分できるものでもなくて、
ボール投げたりするのは右手でやるけど、箸を使ったりするのは左でやるとか、
そういう右手と左手を物によって使い分けている人、こういう人も結構たくさんいて、
それはこの本の中ではクロスドミナンスという呼ばれ方をしていて、結構いろんなバリエーションがあるそうなんですね。
このクロスドミナンスというのは動作によって使う手の左右が違うという意味で、
両方同じような利きとなっている両利きとは違うと。
なので左利きと一口に言っても全部の作業を左でやっているわけではない。
右手も適宜使うという人もいることは最初に前置きとして抑えておくという話ですね。
ここからは今の現代で左利きの人がどんな苦労をしているかみたいな話に入っていくんですけれど、
私自身は右利きで日常のほとんどのことを右手でやるので、想像が至っていなかったことばかりだなというエピソードが多かったですね。
例えばですけれど、まず駅の自動改札機。
あれって人が通るスペース、通路みたいなところの右側に切符を入れたり、ICカードをタッチするスペースがあると思うんですけれど、
あれを左利きの人が左手で改札を通ろうとすると、
自分の体の右側にあるスペースに左手を体の前を通してぐるっと回してタッチしたり切符を入れたりしないといけない不便ですよね。
そういうことが起きていて、最近だとそのことの左利きの人への配慮もあるので、
JRの改札とか見ていただくとわかるんですけど、ICカード、スイカとかパスモとかをタッチする部品というか、
あの部分って平らになっているのではなくて、少しだけ左に斜めに傾いているんですよね。
多分今度見ていただくとわかると思うんですけれど。
なので、そういった配慮も最低限はあるということらしいんですね。
あとJRの改札を作る側の言い分としては、
あそこのタッチする部分とか切符を入れる部分が右にあったり左にあったりすると、
お客さんが混乱したり、駅に入っていく人の動線が乱れたりするので、やめなく右側に統一しているというようなこともあるそうなんですけれど、
最近だとアップルウォッチとかスマートウォッチにスイカだったりパスモだったりを入れている人も多くて、
右利きの人は左手に時計をつけるので、
左手のスマートウォッチを体の右側にある自動改札機にかざすということをせざるを得ないようになって、
あれはある種、左利きの人が日常を受けている不便を疑似体験していると言えなくもないなと思いますね。
それから、これも非常に細かいですが、細かいけど無視できないことだと思うんですが、
お金を引き下ろすATMとかは、数字を打ち込む点キー、暗証番号だったり引き落とす金額だったりを打ち込む点キーがほぼ右側に置いてあるということで、
あれもやはり右利きが前提になっている作りになってますよね。
左利きの人があれを打つとしたら、さっき話した改札と同じように左手を右回りぐるっと持ってきて左手で打つか、
それか使い慣れていない右手で何とか打つかということになりますよね。
これも左利きの人が受けている不便の一つですよね。
もういくつか例を挙げると、文房具系、定規とかも定規に右も左もないだろうと思われるかもしれないんですけれど、
一般的な定規って0のメモリが一番左側にあって、そこから右に向かって123456ってなっていくんですけれど、
右利きの人はあの定規を左手で押さえて、0から右に向かって線を引く。
あれってすごい自然で動かしやすい動作なんですけれど、
左の人が同じようなことをしようとすると、
右手で定規を押さえて、左手で左から右に線を引くんですけれど、
この時の動きって、左利きの人だったら右から左に線を引いた方が圧倒的にやりやすいそうなんですね。
でも今の定規だと0のメモリが一番左側にあるから、それはやりにくいということがある。
それからハサミですね。
左利き用のハサミがあるという話は知っていたんですけれど、
なんでそれが必要なのかというのはこの本を読むまで理解していなくて、
音声で説明するのが難しいんですけど、
右利きのハサミっていうのが一般的なんですけど、
そのハサミって右手で持って紙を切る時に、
その切る紙を左側から見ると思うんですけど、
そうするとハサミの刃で切り取り線とか断面が刃で隠れないからスムーズに切れるんですね。
これを左手で持って右から見ると、
その切る部分が上側の刃で隠れてしまって結構見づらいんですね。
これもやっぱり右手で使うことを前提に作られていて、
左手の人は不便をしているという例の一つですよね。
というような例があって、もう一つ文房具がありますね。
メモとかノートですね。
左から右に横書きしていく場合って、
左利きの人って書き終わった部分に左手が乗るので、
手が鉛筆だったりペンのインクだったりで汚れてしまったりとか、
書き終えたばかりの部分が左手で書かれて見にくかったりだとか、
そういう面倒くささがあるんですね。
これは右利きの人が縦書きの文章を書いていくときにも同様の不便さはあるんですけれど、
現代って横書きの方がかなり増えてきてはいると思うので、
その意味で左利きの人にはそういう苦労があるということですね。
この辺はこういう不便があったというか、今そういう不便があるという話なんですけれど、
そこからもう少し昔を見ていくと、今では信じられないようなエピソードがたくさん出てくるんですね。
それっていうのは、左手で何かをすること、その左利きで日常生活を送ることが発べきものだ、
強制しないといけない、直さないといけないっていう風潮が今よりすごく強い、
ものすごく強かったことがわかるエピソードがたくさん出てくるんですね。
例えば、1980年代の30歳女性の当初で小学校入学したときに、
左利きだった私が字を書くたびに担任の先生が竹の物差しで叩いてきたと。
それを見た同級生の友達たちが、左利きって悪いんだという風に思い込んで、
左手を使うたびに悪口を言われたりとか、いじめに繋がったりとか、そういうことがあったりしたと。
ひでえ話だなと思うんですけれど、実際にこういうことがあったと。
今は教育現場ももう少し変わっていて、
左利きを無理に右利きに変えさせることは子どもに過度なストレスを与えて悪影響であるというような考え方が浸透してきてはいるそうなんだけれど、
当時はまだ左利きはもうよからぬものだから、右利きに直してあげるのが本人のためだみたいな風潮があったということなんですね。
その流れでもう一つ出てくるのが、
左利きはもう人権問題だったと、昔。
どういうことかというと、左利きはお嫁に行けないみたいな時代があったんですね。
これは戦前の話ですけれど、
左利きの女性が結婚を考えたときに、女の左利きは結婚のことを考えたらやっぱり良くないよねみたいな。
左利きの娘は嫁のもらい手がないよねとか。
結婚した後で左利きだってことが判明したら、夫の意思で離婚できたとか、信じられないようなエピソードがたくさん出てくるんですね。
マジかよって思うんですけれど。
で、結構最近までこういう話があって、
1986年、男女雇用機会均等法がスタートしたときに、
女子学生が就職活動で会社訪問したときに、面談を担当した男性の社員から、
君は左利き者なの?って。
うちの会社は客商売だし、道具の扱いも不便だから採用はちょっと難しいねって言われたっていう話があって。
左利きだから採用を断られるっていうのがまず信じられないというのと、
女の子だから特に左利きは良くないよねっていう二重の差別がありますよね。
一つの説としては、当時の嫁入り道具みたいなものが、
花嫁修行とかで使うお裁縫であったり、水地だったり、洗濯だったり、
そういう家事労働をするときの技術とか道具っていうのが、
やはり右利きのものが多かったからなんではないかっていう仮説があるんですけれど、
先ほどの文房具の例もありましたけれど、
そういう日常でよく使う道具の設計とかっていうのは、
結構こういうところを置き去りにしてきたもんじゃないかなって。
こういったような方がいろいろ活動してきて改善してきてる部分ももちろんあると思うんですけれど、
こういう左利きの人はお嫁に行けないとか、
左利きだと教室で先生に物差しで打たれられるとか、
そういうものがなくなってきたのは先人が頑張ってそういうところを改善しながら、
動いてきたからなのかなと思いましたね。
少し話題が変わって、
左利きゆえの優位性、
左利きの人だからこそできるよねみたいなことの話題も少し出てきてきて、
一つはスポーツ選手の話。
スポーツ選手というのは、
特に対戦型の競技だと、
左利きはスポーツの世界でも少数派なので、
左利きの人との対戦に慣れていない右利きの人は苦戦を強いられるケースが多いと。
特にテニスとかラケットスポーツ、
型のスポーツの選手はスポーツ選手との対戦に慣れていない人は苦戦を強いられるケースが多いと。
特にテニスとかラケットスポーツ、片手で何かをするスポーツにおいて、
そういう実例がたくさんこの本に載っていますね。
左利きの人は右利きの人とやり慣れていますけど、
右利きの人は左利きの人とやり慣れていないというのは、
全体の数を見れば当然のことではありますよね。
これは本の話題ではなくて、僕の余談なんですけれど、
僕は趣味で卓球をやっていて、卓球でも左利きは一般的に有利だと言われていて、
実際僕は右利きなんですけれど、
左利きの選手と対戦すると、やっぱり慣れていなくてやりづらいなと感じることが多いですよね。
それから卓球でダブルスをやるときも左利きの人は有利で、
正確には左利きの人と右利きの人が組むのがペアとしては強いとされていて、
卓球って自分の利き手側で打とうとするんですけれど、
なので右利きの人だったら台の左端に立って、
左利きの人は台の右端に立つ。
そうすると自分の利き手側で多くのボールを処理できるのでそういう風に立つんですけれど、
これを右利きの人同士が2人が組むと立ち位置がダブってぶつかりそうになったりするデメリットがあるんですね。
そこを左利きの人がいると台の反対側に立ってくれるので、
お互いの動きを邪魔せずにペアとして強い行動ができるということがあったりするんですね。
なのでダブルスを組むときには卓球という非常に狭い世界の話ですけれど、
左利きの人はすごく歓迎されます。
ここで一つ思い出したんですけれど、
私は結構ゲームをやるんですが、
任天堂スイッチで大乱闘スマッシュバラバラズというゲームをやるんですけれど、
ゲームのコントローラーって左手で方向を操作するスティック、上下左右を操作するスティックを動かして、
右手でAボタンBボタンというボタンを押すんですけれど、
右と左どちらが難しい操作を求められるかというと、圧倒的に左だなと思いますね。
ボタンって右手で単純に押す、一回押したり連打したりという違いはあるんですけれど、
ただ押すだけの違いで、それに対して左手のスティックってぐるっと回したり、
軽く倒したり、弾いたり、片側にグリグリっと動かしたり、一瞬だけ倒して反対側にすぐ戻したりとか、
すごく複雑な操作が求められるんですね。
それを考えると、ゲームのコントローラーって左利きの人の方が使いやすいようにできてるかもしれないなって思いましたね。
ちゃんと歴史を調べてないのでわからないんですけれど、
一番最初って多分ファミコンとかの十字キーでそんなに複雑な操作がなかったので、
右左をあまり考えずに作られたのかもしれないですけれど、ちょっとこれはちゃんと調べてみたいですね。
それからもう一つ、スマートフォンで何かしらのアプリだったり、
LINEとかなんでもいいですけれど、文字を入力して変換をして決定をするボタンとか、
何か決まってそれを相手に送る時の送信ボタンとかってだいたい右側にあるなと今気づいてですね。
スマホの画面ってどちらの左手でも右手でもどちらでも手が届くような画面の大きさではあるんですけれど、
もしかしたらあれも右利きの人が操作しやすいような風に考えられて、
よく使うボタンが右側の方に来てるのかもしれないなって今思いましたね。
この辺はスマホのユーザーインターフェースのデザインの本とかを読むとわかるかもしれませんね。
そんなこんなで左利きの人の苦労とか、左利きならではの毒性みたいなところもいろいろ語った上で、
この本の結論としては今まで色々話していたような、
左利きの人が感じている不便とかストレスみたいなものをなくして、
右利きの人だけが暮らしやすい右利き社会から左利きに優しい社会にしていこうということを言ってるんですね。
これはすごい。具体的には右利きの人でも左利きの人でも区別なく使えるような、
いわゆるユニバーサルデザインの商品を作っていくこと。
例えばコーンフレークのシスコーンっていう商品があるんですけど、
そのコーンフレークって開け口が右側と左側両方にあって、
赤ちゃんとか小さい子向きの商品なので、右利きの人はここを持ちましょうね、
左利きの人はここを持ちましょうねっていうような表示もあったりして、
こういうパッケージだとどちらの利き手の人でも不快感なく使える、不便なく使えるというようなことがありますよね。
で、それから左利き専用の道具を作っていくことも大事だということを本の中で言っていて、
さっき話したような単純な作業なら両方から開けられるようにすればいいよねとかで済むんですけれど、
職人が使うような複雑な道具だったり、そこまでいかなくても文房具みたいな細かい精密な作業が求められるものだと、
やはり左利き専用に作ったものの方が道具本来の性能を発揮できるし、
その本人がやりたいような読みかけだったり、文房具で何かしらを加工したり、線を引いたりということができるので、
左利き専門の道具を作るというのも一つ大事だよねというのを書写が提言していますね。
で、これ僕初めて知ったんですけれど、左利きの道具店っていうオンラインショップがあるらしくて、
店長さんも左利きで、左利きの人に嬉しいお店っていうのをコンセプトに、
左利きの人が使いやすくて欲しいと思えるクラッシュの道具をセレクトしていると。
これ素晴らしいお店だなと思うんですけれど、
身近に左利きの人がいる人がギフト用に使うとかもすごい良いんじゃないかなって思いましたね。
こういうものを作れるかどうかって、作ってる人が当事者かどうか、
当事者じゃないにしても知ってるかどうかで結構変わるんだなっていうふうに思いますね。
ちょっと前に別の本で、移動と階級っていう新書を読んだんですけれど、
移動っていうものをよくよく見てみると、分断とか悪さとか不平等が見えるよねみたいな本なんですけれど、
その中に出てくる例の一つで、自動車のシートベルトとかって長年一般的な成人男性の体格を想定して作られてて、
そのせいで女性の運転手が運転した場合って、
同じようなぶつかり方をした事故でも男性よりも女性の方が重傷を負う可能性が高かったみたいな話が出てくるんですよね。
これは作る側の目線に男性の目線しかなかったっていうことだと思うんですよね、一つの例として。
あと、読書バリアフリーとかの話もありましたけれど、
今の紙の本を読むのって、両手の5本指が不自由なく使えるっていう前提で作られていて、
そうじゃない人にとって紙の本って不便気が割れない人物だよねみたいな話があると思うんですけれど、
この辺もやっぱりそういうことの当事者が作り手の中にいなかったりとか、当事者じゃないにしても知ってる人がいないっていうこと、
あとはもちろん現場の制約で作りたいけどなかなかそこまで対応できないっていうのもあると思うんですけれど、
やっぱり知るっていうのが最初の一歩目なのかなと思いますね。
ちょっと話がずれましたけれど、文房具を一つにしても何かそういうのを作る人がこういうふうに割り送っている人の目線があるか、
チームの中に当事者が一人でもいるかとか、そういうところがすごい大事なんじゃないかなっていうふうに思いましたね。
まとめていくと、そういう内容の本なので、お勧めできる人としてはまず左利きの人ですね。