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MAYO
Beside the Seaside プロデューサー兼 家業アトツギの永野 真代です。
MISAKI
アートディレクター兼デザイナーの 髙橋 美沙紀です。
MAYO
東京と茨城の海沿いの街との、
2拠点生活のようなものをしている私たちが、
人生のA面、B面、C面について、
あれこれと語る、言語化雑談番組です。
MISAKI
変わった。
MAYO
2拠点生活のようなものをしている私たちです。
MISAKI
のようなものをね。
MAYO
のようなものをしているんですよ。
MISAKI
久々に笑った。
主語デカさんの特徴
MAYO
今日は、人のフリ見て我がフリ直そうシリーズの、
主語デカさん。
主語デカさんって聞いてわかる?
MISAKI
あれかな、それは、
あなただけの感想なのに、
例えば、女性全般とか、男性はそうですよとか、
女性はこれ好きですよ、みたいなことを言っちゃう人かな?
MAYO
違うんです。
MISAKI
あら。
MAYO
聞いてください。私の主語デカさん。
MISAKI
歌番組あるよね、そういうね。
MAYO
たぶん、一般的には、
ミサキさんが今言った、
n=1の話をn=100に持ってく人、みたいな。
主語大きいな、みたいな。
MISAKI
はい、そうだと思ってましたが。
MAYO
私の主語デカさんは、
ほとんど、もしくは完全に人の意見やアイディアなのに、
パブリックや第三者にシェアするときに、
私たちはこう思いました。
主語に自分を入れ込むばかりか、
アイドルグループのセンターがごとく、
自分の意見のようにのたまってしまう人です。
つまり、その人がいいなって思ったことは、
自分と他者との意見やアイディアの境界線をあいまいにさせる人。
MISAKI
はい。
MAYO
事例で言うと、
主語デカさんの行動の例
MAYO
ビジネスの集合研修とか、
今みたいなトークセッションみたいなときにも、
よく起こりがち、目撃するんだけど、
あえて今、私が通っている大学院っていう場面で、
事例にとると、
大学もしかりだけど、グループワークって結構あると思うんだよね。
それなりの人数の学生さんが、
履修している講義だと、
じゃあ、4,5人で1つのグループに分かれて、
ディスカッションして、
ディスカッション終わったら、メインに戻ってきてもらって、
各グループ、どんなことが話し合われたか、
何組かシェアしてください、みたいなときに、
顕著に主語デカられるんですけど、
例えば、グループワーク中に、
AさんはAっていう意見を言って、
Bさん、Cさん、DさんはそれぞれBCDっていう意見を言った場合、
その中でも、CさんのCっていうアイディアが、
みんなが考えつかなかったようなものだったり、
いろいろ出たみんなの意見を包含してくれる、
包み込んでくれるような、メタ認知的意見だったりして、
ディスカッションが盛り上がるみたいな、
素敵な意見だったとするとき、
その盛り上がっているときに、
あ、今のCさんの話を聞いて、
さらに私はこう思いました、とか、
いやいや、さらに私は違う意見も思いつきました、
みたいなふうに盛り上がればいいんだけど、
特にその、みんながいいなーって思っているところに、
参加もしてないのに、
急にメインセッションに戻った後のシェアで手を挙げて、
私たちのグループでは、Cっていう意見になりました、みたいなことを、
スラスラ持論のようにしゃべっちゃう子とかが、
けっこういますっていう。
MISAKI
そうですか。
ワオ。
MAYO
これ、今事例を大学院にしたけど、
全然ビジネスとかプライベートでもいて、
いやいや、どっちかっていうと、その意見は、
あなたじゃなくて、別の人ですよ、
っていうときに、私だったら、
A、B、Dっていう意見が出たんですけど、
その中でもCさんが、Cっていう意見を言ってくれて、
みんなで、ああ、なるほど、こういうことかっていうふうに、
こんな解釈ができたグループワークでした、みたいな形で、
ちゃんとCさんをメンションする。
か、自分の意見じゃないけど、自分の意見じゃないからこそ、
Cさんへの敬意を表した上で、まとめたりする。
私はただただこのグループを代表してシェアしているだけであって、
私の意見ではない部分もあって、
でも、私はここ素敵だと思った。
そこには私が入っていいと思うんですけど、
Cさんそのものの意見やアイディアに対しては、すごく敬意を表す。
感謝をする。
ようなシェアの仕方をするし、
そういうふうなシェアの仕方をする人に対しては、
すごく素敵だなって思うんですけど、
そういういいなって、結構みんなが思っているぞとか、
自分も思ったぞって時に、急に主語の境界線が曖昧になって、
まるで私がアイドルグループのセンターですっていうように
MISAKI
代表して。
MAYO
代表してしゃべっちゃうみたいな。
なんならその盛り上がっている時に何も話しませんでしたよね、
何も提供しませんでしたよね、みたいな人までそうなっちゃう人いるなっていう。
だからずっとこれまでも何個か話してきたシェアのお作法じゃないけど、
意見表明のお作法みたいなのにも、
好かれるシェアの仕方、好かれないシェアの仕方ってあるなって思った。
MISAKI
マヨさんも最初言ってたかもしれないけど、
自分と他者の境界線がやっぱ曖昧なのかなっていう気はするよね。
曖昧にして外に向けてしゃべっちゃうっていうのが問題なのかなっていう気がするよね。
私はここまで思いました。
Cさんのこういった意見があってっていう線引きが上手くできてないというかさ、
Cさんの意見をいいと思ったから、それはつまり私の意見でもあるみたいなさ。
MAYO
すごく誤解を恐れずに言えば、ずうずうしい人なんだなっていう感じかな。
一言で言えば結構ずうずうしい。
いいところばっかり、まるで自分の手柄のごとくしゃべってるのと同じだから。
それでどういう人にそういうことする人多いのかなと。
どういう傾向がある人に主語デカさんいるかなっていうのを考えたら、
やっぱりいいこと言いたがり、マウント取りたがり、表明したがりな人に多い。
グループワークで話をして、このグループの発表とてもすてきで、
他のグループにもきっと学びがあるだろうから発表したほうがいいって思ったら、
私がAさんだったら、Cさんぜひ発表してくださいよって推薦すると思うんですよ。
することなく、自分で発表しちゃってる時点で、相当いいこと言いたがり、マウント取りたがり、表明したがりな人だなって思っちゃうし、
そういう人って身の丈以上の自分でありたいっていう、自己愛に満ちた人なのかもなっていう気はしてます。
MISAKI
それはさ、発表するのはAさんって事前に決まってたわけではないんだよね。
MAYO
決まってたわけじゃないことが多いね。
MISAKI
多いよね。
主語デカさんの境界曖昧性
MAYO
決まってたとしたら、尚のこと準備できるじゃん。
メモも取れるしさ、Aさんはこういうこと言った、Bさんはこういうこと言った、Cさんはこういうこと言った。
それで議論はこうなったってさ、逆に客観的に記録取れるはずだよね。
MISAKI
うん。本当、人の振り見て、我が振り直せがすごい身に染みてるんだけど、どうかな。やってきてないかな。
私、なんか多分、今初めてマヨさんの話を聞いて、その事象を知ってるってことはさ、私がね、なんか絶対やってきてるよね。
無意識にやってきてる。
見たかな。
MAYO
でも、今なんとなくこの話を聞いて、見た見たじゃなくて、やったやっただとしたら、やってるのかも?
MISAKI
そう。やってるくさいと思って。
すごく、これまで史上一番自信がないね。
そうだよね。議論を通じて得たアイディアなのに、自分が出したアイディアですみたいな、やってきたような気もする。
で、多分、マヨさんみたいにそういう問題点にも気づいてないと思う。本来だったらこうするべきだよねっていう、お作法的なものも知る機会、というか気づく機会がなかったから。
MAYO
すごい、まさかミサキさんにこんなに刺さるとは。
なんか、どっちかっていうと、ミサキさんは、この主語デカさんのメインストリームっていうよりは、派生系というか類系で、
違う意見を言っていたはずなのに、なんか違う意見、自分とは違う意見の人に対して、そうそうそうなんですよって言ってることがあって、え、どっち?みたいなことはある。
MISAKI
あれな。
なんか、そこが、主語が曖昧、境界が曖昧という意味では似ていて、
MAYO
あれ、例えばミサキさんがAって言ってて、私がBって言ってて、私はBっていう展開をしてるんで、うんうん、そうそうって言ったら、え、待って待って、Aって言ってたよね?みたいな。
っていうことは、今までの収録でも何個かあったよね?
MISAKI
あった。
MAYO
それについてはね。
主語が、境界が曖昧になる。
主語曖昧系の人への対処法
MAYO
の、ちょっと類系というか、派生系かなとは思った。
MISAKI
多分、こんなに染みてるのはそういうことだと思うのよ。
うん、その話を聞いて、ドンピシャでそれってわけじゃないんだけど、なんかその似たようなことであったぞっていうのをやっぱり自覚してしまったから。
MAYO
うーん、そうかも。
結構、確かにミサキさんもあれなのかな、自己愛との戦いをしている人だから。
そういう傾向にあるのかな。
MISAKI
あのね、
そう、今の話とはちょっとずれるかもしれないんだけど、
本当、時々自分の意見、私がいいと思っていることは、他の人もいいと思っているはずっていう風になる。
本当、それこそ、自分と他者の境界線がぐっちゃっ…、てか、ないよね。
で、それで判断して行動してしまうっていうことがあって、
で、相手から、いやそれ、私全然求めてないですよ、むしろ迷惑ですよって言われて、初めて気づくっていうのを何度かやっぱり繰り返してきてるから、
曖昧系、主語が曖昧系の人は、結構、こう言ったら変かもしれないけど、親近感があります。
MAYO
うーん。
主語デカさんは、もやもやを残すし、
ミサキさんの派生系を何と名付けたらいいのか、あれなんだけど。
MISAKI
そうだね。
MAYO
主語曖昧系。
主語曖昧系の人には、困惑を招く恐れがあるね。
一つの処方箋は、身の丈以上の自分でやりたいっていう自己愛をいかに手放せるか、かもしれないし、
何度も言ってるように、やっぱ知的謙虚さっていうところを自分に刻み込む。
これは私への自戒の念がめちゃめちゃこもってるんですけど、
知的謙虚さは大事だよなっていうのを、
人の振り見て、我が振り直せシリーズではいつも思う。
MISAKI
まだ自分にインストールしきれてない部分が、私はまだあるんだろうね。
こういう話をしてきて、学ぶ機会はすごいあるんだけど、
まだまだ修行中の身ですわ。
MAYO
気づくとできるはまたほんと別って、
子供が塾で習ってくるような格言が身に染みる40代ですって。
塾の先生に言われちゃったんだよみたいな。
分かるとできるは違うんだって。
MISAKI
分かる、それ今私です。
ほんと身に染みるのが最近だね。
タハ…
MAYO
タハだねっていう、
本当に我が振り直せる40代になりたいですっていうお話でした。
MISAKI
なりたいです。
MAYO
番組では皆様からもお悩みやエピソード、トークテーマを募集しています。
メールアドレス、bcside2@gmail.comです。
MISAKI
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それではまた次回。