エッセイの内容と自己発見
ベルノート、この番組は、師父であり木工作家である鈴木健太が、日々感じたこと、考えたこと、大切にしたいことをトツトツとおしゃべりするポッドキャストです。
今日は一つエッセイを取り上げたいと思ってまして、自分が書いたものなんですけど、
今、フライヤーブックキャンプっていうオンラインの講座があって、その中で哲学者の谷川よしひろさんが講師されている講座に参加してまして、
その講座では、外の世界を描き写すことで、自分を自己発見をしていこうという講座で、その中でエッセイを書くっていうのが課題としてあって、
その中で書いたものを読み上げていこうかなと思っているんですけど、
最近、自分というものを認識というか知る上で、自分を直接見ることはできないというか、
自分を見ようとしたときに直接見える部分は限られていて、自分の顔を見ようと思ったら鏡を見なきゃいけなかったりして、自分の顔は直接見れないわけですよね。
なので、自分を認識するということは他者、自分以外のもの、例えば鏡だったりとかを介して得た自分という断片をつなぎ合わせて、
想像すること、イマジネーションとクリエイトの想像することでしか自分を認識できないんじゃないかなと最近考えていて、
そう考えたところにその世界、外の世界、自分じゃない外の世界を描写することで自分を知るという講座の内容が今の自分にぴったりだなと思ってこの講座に参加しているんですけど、
その中で課題としてエッセイを一つ書いたので、今日はそれをまず読み上げようかなと思います。
エッセイのタイトルは、「料理の原点。夜ご飯食べたいものある?」と子どもたちに聞く。
小学3年生の娘はとんかつ。1年生の息子はお魚。それぞれ食の好みが正反対だ。
とんかつを作り、白身魚のフライを作る。妻からはそんな面倒なことをしなくてもと、言われるまでそんなに面倒なことだと思っていなかった。
食べたいものがあるならできるだけそれを食べてもらいたい。そう考えていた。
この考え方は母の影響だろう。自分も3人兄弟で食の好みがそれぞれ違う。
でも食卓にはそれぞれの好みに合わせた料理が並んでいた。
無意識に受け取っていたものが自分の中に蓄積されている。
料理をするようになったのは大学生になり、一人暮らしを始めてから。
母が料理をする姿を見たり、料理番組は好きでよく見ていたが、それまで料理をしたことはほとんどなかった。
でも自分は料理ができると根拠のない自信はあった。
初めて作った料理はハンバーグ。まずは自分の一番好きなものを作ろうと。
作り方は今まで見てきたので頭の中にある。
あとはその映像を自分の体を使って再現するだけ。そんな感覚だった。
玉ねぎをみじん切りにして飴色になるまで炒める。
ひき肉に卵、パン粉を入れてこねる。
成形したハンバーグをフライパンで蒸し焼きに。
頭の中で描いた完成図に向かって自分の手で食材を変化させていく様子が楽しかった。
そこに難しさや大変さは感じなかった。
完成したハンバーグは美味しかった。
自分で作ったということを抜きにしても母が作るハンバーグと遜色ない出来だったと思う。
好きなものを好きな味付けで好きなだけ食べられる。自分が料理をする原点だ。
もしあの時に作ったハンバーグが美味しくなかったら、料理を好きになっていたのだろう。
たとえ美味しくなかったとしても、料理を嫌いにはなっていないだろう。
調理過程が楽しかったから。
頭の中で想像したものを自分の手で具現化していく作業が楽しい。
料理の底が好きなんだろう。
こんな感じのエッセイを書きまして、
味の描写と他者との交流
その講座の中で他の受講者の方たちと共有して、いろいろ質問を受けたんですけど、
その中で言われて確かにと思ったことがあって、
味についての描写が全くないですよねって言われたんですよね。
料理について描いたエッセイなんですけど、
その料理の味についての描写が全くなくて、
言われるまで僕も気付かないというか、気にしてなかったんですよね。
あえてその味について描かなかったわけではなくて、
描こうとすら思ってなかったというか。
料理について描写をしようと思ったときに、
味についての描写は自分の中になかったということが、
すごく不思議な感覚というか、言われて気付いたことだった。
なんでなんだろうなと思って考えたときに、
味はそんなに自分の中で重要ではないのかと思ったりもして、
自分の中でおいしいとかおいしくない基準はあるんですけど、
自分の好みの味を具体的にどんな味なのかって言われると、
多分言葉にできないんですよね。
なんとなくこの味が好きみたいなのはあるんですけど、
その味が多分解像度が荒いんでしょうね。
多分味についての描写がないんだろうなと思って。
エッセイを書いてみてというよりかは、
書いたエッセイを他の人に読んでもらって、
質問だったり、これってどういう意味ですかみたいに聞かれることで、
新たな自己発見というかはやっぱりすごいある気がしていて、
それは多分自分が他の人のエッセイを読んで何か質問することでもそれはあると思っていて、
自分が興味を持つ箇所と他の人が興味を持つ箇所が違ってたりとか、
自分はそうは思わないみたいな、
人との違いで自分を知るみたいなところがあるなあと、
自分を知る作業というか、仮定というか、
白いキャンバスに何かものを描くときに、
周囲を黒く塗ることで描きたいものを浮かび上がらせる感じといったんですかね。
自分ではないものがはっきりしてくると、自分がはっきりしてくるみたいなイメージですかね。
漢字を一回の最初のキャンプの講座を受けて感じたことですね。
やっぱり人って自分を知りたいというか、自分が何者かみたいな、
自分がどんな人か知りたいというのもあるし、
それを知ってもらいたいみたいなところもあるかなと思うので、
今回はエッセイを書いたものを読み上げてみたんですけど、
キャンプでは文章というか文字にして共有しているんですけど、
このポッドキャストは多分音声だけになるんですよね。
多分、わからないですけど、音声だけで聞いた印象と文章、文字があって、
文字で読んで受け取る印象が違うのかなと思ったりもするんですよね。
一緒かもしれないんですけど。
エッセイについての感想とかもコメントとかいただけたら嬉しいなと思います。
これで終わろうかなと思います。
最後まで聞いていただきありがとうございました。