「去り際の美しさ」への探求の始まり
自分に優しくするラジオ。この番組は、DoでもHaveでもCanでもない、Beの私たちを祝福しようコンセプトに、しなやかな筋肉のような心を目指す番組です。
こんばんは、そしてお目覚めの方はおはようございます。番組パーソナリティのソフィです。
今回は、去り際の美しさについてお話しします。ちょっとポエティックな響きですよね。
実はこれ、15、6歳の頃から考えてたことで、きっかけは森陽子さんという作家さんなんですね。
当時はもう亡くなっていたんですけど、別れ上手という本がありまして、同級生のすっごい美人な女の子に貸してもらったんですね。
なんだかわかんないけど貸してあげるよって言われて、それをきっかけにもうむさぼるように森陽子さんの書籍を読んだんですけど、
この別れ上手はですね、別れを軸に青春の日々と大人の女の恋を描くエッセイでして、
なんか出版社側の紹介では、たくさんの男たちと出会い、どこで何がどう違ってしまったのかわからない愛の破綻。
たくさんの別れを通して、恋と別れを綴る、なんかすごいドラマティックなエッセイというふうにされています。
なんかなんだろう、すごい大人びていたのかわからないけど、なんか別れのお作法、作法があるのかしらと思って、
なんかなんだろうな、結構自分はレディーとしてありたいみたいなのがあって、
なんだろうな、この本から大人の恋愛とかを学んでいたような気がします。
大人の恋愛っていうか、なんか女性の生き方。恋愛とか別れとか、女性の生き方をめぐるエッセイ集として、
なんかそうね、読んでたんだと思います。
もう単純な別れ方マニュアルではなくて、恋の幸福の最中にも別れの気配が透けて見えることもあるんじゃないかみたいなね、
そういうのを読み解いた気がします。
さて今回のされ際の美しさっていうのは、感情がないことではないんだと思うんですね。
むしろ感情はあるし、言いたいこともあるし、分かってほしいこともあると思うんですよ。
でも自分を削り続ける場所にはもう留まることができないわ、みたいな。
そういう判断をどういう態度で行っていくのか、その問いを見つめてみたいなと思いました。
別れの本質と関係性の手続き
なんでこの問いが生じたのかっていうと、
人間関係、去る人もいれば来る人もいると思うんですけど、
この別れが単なる終了ではないんじゃないかなって思ったからなんですね。
なんていうか、すごいドライな言い方すると、別れは関係の最後の手続きみたいな、
関係には始まりがあって、近づき方があって、ぐいぐい来る人もいれば、少しずつ距離を詰めてくる人もいるだろうし、
親しくなる過程があると思うんですよね。
言葉を交わして、さらに言うならどんな言葉を交わして、どんな時間を共有して、
徐々に生活の一部に相手が入ってくるわけですよね。
そしてその同時に、終わり方もあると思うんですよ。
終わり方には、その構築された関係が如実に出ると思ってて、
何を尊重してきたのか、何を曖昧にしてきたのか、
どちらの言葉が通りやすかったのかとか、
どちらが限界を迎えていたのかとか、どちらの限界が尊重されていたのかとか、
どちらの痛みが後回しにされやすかったのか、
あるいはどちらかではなく、両方を非対称ではなくて、
どれだけお互いが同じ重みでそれらを扱うことができたか、
別れの瞬間に、それまで見えなかった、あるいは見ないようにしてきたものが、
急に輪郭を持つことがあるんだなと思ったんですよ。
非対称性への疑問と境界線の重要性
今回すごい強く引っかかったのは、さっきも言ったように、ある非対称性を感じたことなんですよね。
例えば、私が別れたいと言った時、それは受け入れられなかったんだけど、
相手がきついと言った時、それは終わりの理由になったとかね。
これって私の限界は交渉材料であって、相手の限界は決定事項になったわけですよね。
これってなんかちょっと引っかかるなと思って、ただ単に相手を責めたいっていう話ではないんですよ。
相手の限界を否定したいわけでもなくて、相手にも限界があるように、相手にも事情があるように、
相手のキャッパとかもね、あるように、それはわかってる。
でもだからといって、自分の限界が交渉材料として扱われていいわけじゃないんですよね。
この交渉材料って、ちょっと待てよみたいな、何だろうな。
なんでそうなるの?みたいな。
なるんだと思うんだけど、何て言うのかな。
自分の時は、自分が主張した時は扱われないのに、ちょっとどういうこと?みたいになるのに、
向こうがもう無理だって言った時はもう無理なわけですよ。
それはもう終わらせる理由としてもう機能してしまう。
その差は何だったのかなっていうところを見つめ直したくて、
なんか無かったことにしたくないなって思ったんですよ。
なんかちょっと散歩中にふと考えてて、
なんか別れ際を考えるとき、どうしてもなんかここに戻ってくるんですよね。
なんか美しく去るっていうことはね、何も言わずに我慢して消えることなのか、
これ私個人的にちょっと違うと思うんですけど、
あとは相手を責めないためにね、自分の違和感まで消すことなのか、ちょっと似てますよね。
で、さらに相手を尊重するために自分の痛みを無かったことにするのか、
これ全部違うと思うんですよ。
去り際の美しさとは、何だろう、沈黙して自分の傷を飲み込むことではなくて、
同時に相手も相手を裁き罰し、最後に勝とうとするっていうことでもないと思うんですよ。
勝ち負けじゃないと思うから、その間に何かあるはずなんですよね。
で、その間の何かを今日は探していきたいなと思いました。
で、ちょっと定義すると、まず別れについてですけど、
別れって単純に関係が悪いことではないんじゃないかなと思って、
すごい深く考えちゃうタイプなんですけど、
別れって私にとってそれ以上に、言葉以上にね、
その関係の中にいると自分との関係が壊れてしまう場所から離れる。
これは相手との関係よりも自分との関係が壊れてしまう。
相手が嫌いになったとは限らなくて、愛情が消えたからとか尊敬が消えたからっていうこととは限らなくて、
なんだろうな、もう続けられないとか、なんだろうな、
相手を悪者にしないことと自分の尊厳を守るっていうことは、同時に成立すると思うんですよ。
この同時に成立するっていう考えが、感覚がすごい大切なんじゃないかなと思うんですね。
これを機能させるのが結構私の軸となっている境界線なんですよ。
この境界線は相手を拒絶する壁ではなくて、自分の領域を明確する線。
ここまでは私が引き受けるけど、ここから先は引き受けない。
これは自分にもあるように相手にあるんですよね。
さっきもちょっと言ったけど、相手を理解する、しようとする。
完璧に理解はできないかもしれないけど、理解しようとする。
でも相手を理解するために自分の尊厳を差し出すことはしたくないなっていうのが私の境界線。
そして同時に去り際の美しさなんじゃないかなって、この時点で私は定義しています。
だからまとめると、ここまでまとめると、去り際の美しさとは相手を罰せず、自分も差し出さず、
関係の終わりを自分のものとして引き受ける態度なんじゃないかなって思います。
別れにおける誤解と自己の尊厳
言うはやすしで、結構難しいかと思うんですよね。
結構その喪失のプロセスを経てたどり着くんじゃないかなと思うんですけど、
いきなりこういうふうにはなれないと思うんですよ。
なぜなら本当は言いたいことがあって、本当はわかってほしくて、
本当は自分が受けた痛みを相手に見てほしいから。
でも相手がそれを見られない、見たくない、見ようとしてもキャパがない、
その責任を引き受ける力が残ってないのかもしれないっていうね。
そういう場合って、相手は相手の事情とかがあるから、選択するのは自分だと思うんですよね。
さらに説明し続けるのか、理解してもらえるまで粘るのか、
それとも理解されないまま自分の境界線を回収するのか。
去るっていうのは理解、理解を諦めることではなくて、
理解されることを条件に自分の尊厳を預けないっていうこと。
理解されることを条件にすると、相手を変えようとする力が働くと思うんですよ。
自分の中でどうしても受け入れられないとか、こうであったらっていうことを、
すごくコトサラに強く持っていて、
それによって自分の尊厳が傷ついたみたいに感じてしまうんじゃないかなと思って。
でも本当は自分の尊厳って、自分以外に傷つけることができないって私は思ってるんですよね。
だから、相手を変えようとしないっていう態度って、
すごい自分を楽にすると思うんですよ。
ここでありがちな誤解をいくつか紹介したいと思うんですけど、
さっきも言ったように美しく去るっていうことは、何も言わずに消えることとは違って、
でも何も言わずに消えることが美しい場合もあるかもしれない。
常にそうとは限らないかもしれない。
なんかね、沈黙が時に有弁だったりしますもんね。
でも自己抗議になる場合もあるし、ちょっとここは難しいんだけど、
大切なのは、自分でボランティアとかのグループ開催してて、ワークショップ。
よく説明するのは、大事なのは行動よりも、
どんな気持ちでそれをしたかっていうのを大切にしているっていうことで、
その沈黙がね、自分を守るものなのか、
それとも自分の気持ちとか自分をなかったことにするものなのか、
ここが重要だと思うんですよね。
だから大事なのは沈黙したかどうかではなくて、
もっと言うとさりぎわの美しさっていうのはね、口数の少なさとも違う。
自分の尊厳をどう扱ったかだと思います。
相手を責めず、自己の感情を大切にする
結構なんだろうな、なんか誤解っていうかが結構あって、
ちょっと簡単に言うと、すごいあるんですよ。
なんかメモをしたんですけど。
相手を責めないっていうことを、一生懸命やろうとして、
自分の痛みをなかったことにするっていうのも違うと思うんですよ。
相手を責めないことと自分の痛みを消すことは別物だから、
相手を悪者にしなくてもいいと思うし、
これはジャッジしない、評価を手放すっていう私の思想の核なんですけど、
だからといって自分の中に起きたことまで消す必要がなくて、
自分の気持ちは自分の固有のものだから、
自分たらしめるものっていうふうまで私は思ってて、
自分の気持ちは何か感じたことは全然否定することではないし、
相手を裁くためじゃなくて自分を見失わないために、
それはあって当然だと思うんですよね。
自迷ったりすると復讐っていう気持ちも湧いてくるかもしれないんですけど、
痛みを記録することと復讐はイコールではなくて、
繰り返しになっちゃうんですけど、自分の尊厳を回収するっていうね、
あくまでフォーカスするのは自分でだと思うんですよ。
なんか、そうそうそう、私が行き着いたのは、
なんか、It's time to goっていう言葉が浮かんできて、
あのその時が来ただけっていうね、ただただそれだけっていう、
なんかこれがパッと浮かんできたんですけど、
なんか別れを受け入れることは無理に納得することとも違うなって、
納得できないまま終わることとか、説明がないまま、足りないまま終わること、
不完全なまま人生が進んでいくこととかありますよね。
白黒じゃなくてグレーのグラデーションがいっぱいあるわけですよね。
それでも終わる時は終わる。
終えるって決めた時は終える。
受け入れることと納得することは違う。
だからなんかこう、完全に理解し合えなくても、
完全に理解し合えることがあるのかはちょっと分かりませんが、ないと思うんですが、
去るべき時はあって、最後まで説明できなくてもそこを離れることはあって、
誰かを悪者にしなくても自分も相手もね、終わる関係はあって、
これは納得の完成材料ではないと思うんですよ。
未完成のまま自分の足でそこを出る決意。
It's time to goって言ってね、出ていく。
相手の尊重と自己犠牲の混同
最後の誤解しやすい点が、相手を尊重するんだったら自分が我慢するべきっていうところ。
これは特に注意したい部分だなと思うんですよ。
相手を尊重することと自分を後回しにすることは絶対に違うって思うんですね。
相手にも事情があるし、相手にも限界があるし、相手にも苦しさがある。
それと同じように自分にもそのことがあるわけですよね。
だからそれを相手のことを理解することと自分の限界を取り下げることは違くって、
同じように相手も自分も尊重して、そして自分の境界線を放棄せず自分に決める。
結構これが今日の中心じゃないかなと思うんですよ。
それは同時に成立するって私は経験から思います。
これこそが自分を優しくする態度だと思ってるんですよね。
例えば自分が限界だ、別れたいと言った時には受け入れられなかった。
けれど相手がきついと言った時、それは終わりの理由になった。
自分の限界と判断は相手の交渉材料となり、さっきも言ったけど相手の限界は決定事項になってしまう。
この非対称性は本当に、さっきも言ったけど私は引っかかりを感じるんですよ。
非対称?
なんで自分が言った時はスルーされたりとか、とどまらせる、ちょうまってようだよね。
になるのに相手の限界はもう終わりですっていう一方的?
対称じゃないんですよね。
こういう例がありますっていう人がいたらお便りください。
繰り返しになるけど、相手を尊重しながら自分の境界線を守るっていうことは同時に成立するから、
自分の軸である、強化しないっていう態度をね、実践する。
それがね、なんだろう、さり際の美しさにつながると私は思ってます。
まとめ:去り際の美しさとは
別に美しくあるっていうわけではないんだけれども、私はさり際ぐらい美しくありたいです。
何が美しいかは今もはっきりとわかってないんですけども、
現時点でわかっているのは、相手を罰することでも自分の尊厳を削って差し出すことでもないっていうことですね。
ただそれは、It's time to go. 時が来たということなんじゃないかなと思います。
そろそろまとめに入りたいと思います。
現時点で私が思う別れとは、
誰かを悪者にするためのものでもなく、自分の痛みをなかったことにするためのものでもない。
尊敬していたことと傷ついたことも同時に成立するし、
相手を悪者にしないことと自分の尊厳を守ることも同時に成立する。
この同時性の中で去るっていうことなんじゃないかなって考えました。
誰かを責めなくてもいい。自分の感じた違和感まで消さなくていい。
相手をもちろん尊重していい。でも自分を差し出さなくていい。
理解されなくても去っていい。説明し尽くさなくても自分の尊厳を守っていい。
されぎわの美しさっていうのは、最後まで完璧でいることではないと思います。
感情を消すことでも、未練をなくすことでも、何も言わず何も感じなかったように振る舞うことでもないと思います。
されぎわの美しさとは、相手を貶めず、自分を消さず、関係の終わりを自分のものとして引き受ける態度。
それが自分に優しくするということにつながっていくと思います。
今日はされぎわの美しさについてお話ししました。
いろんな分かり方があっていいと思います。
この配信を聞いてね、もし持ち帰ってもらえるものがあるとすれば、
私が軸にしている、評価しない態度をね、実践することだと思います。
ここまでいかがでしたでしょうか。
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エンディング
今日はこの曲でお別れです。
それではまた次の配信でお会いしましょう。
ここまでのお相手はソフィーでした。
見えないのに
打ち絶えは歌わない
Don't miss, don't miss, don't miss me
残るのが声だけ
Say this, say this, say this, breathe
流れ夜に溶ける
That big look is ride this beat
2人でいる
Don't miss, don't miss, don't miss me
そのつもりなら誓う
この先信号座席です。
この人人生座席です。
この先100キロ以上見てないです。
No map, no line, just now
迷っているのが好き
Time looks right but how
今しかいらないから
Don't miss, don't miss, don't miss me
残るのが声だけ
Say this, say this, say this, breathe
流れ夜に溶ける
Don't miss, don't miss, ride this beat
2人でいる
Don't miss, don't miss, don't miss me
そのつもりなら誓う
この先雲切れです。
実際の交通規制に従って走ってください。
この先明るい未来が待っています。
Drift, drift, don't look back
Skip, skip, run black
溶けて、溶けて、消えたまま
Don't miss, hit you tonight