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2022-11-20 18:38

02:Base Side Farm, The beginning

就農当時30代女性が東京都で新規就農しBase Side Farmを始めたきっかけについてお話します。
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この番組は、東京で新規収納した私、あつえと、
Base Side Farmのサポーター、アメリカ在住のまやこさんと一緒に、
新規収納してからの5年間の思い出や、
Base Side Farmのこだわりをおしゃべりしながら紹介する、
秘密基地のような自画自賛番組です。
ちなみに私の本名はあつえですが、
番組では、高校時代からのあだ名のあつえちゃんと呼ばれています。
Base Side Farm, The beginning、
新手の中二病みたいなダッサイタイトルなんですが、
このポッドキャストをさ、ちょっとした名詞代わりにしようと思うのね。
なるほど、なるほど。
Facebookとかインスタも、農園の雰囲気伝える名詞みたいなもんなんだけど、
直接会ったり、インタビューでさ、
どうして農家になったんですかとか、何年目ですかとか、いろいろ質問があるの。
そうね、私の質問があるもんね。
でしょ、そういうのって。
聞きたい、いろいろ聞きたい。
っていう人がどんどん現れるので、
ここで答えを一つ作っておいて、
これ聞いてくださいってできるようにしようかなって思ってて。
こういうのってさ、国際結婚のネタでもよくあるんだけど、
本当に100回ぐらい聞かれるので。
我々国際結婚もしてるので、いずれその話もしようかなと思うので。
うん、しましょう。
では早速まゆこさん、聞いてみてください。
そうですね、質問第一ね。
どうして農家になったのっていう。
あれじゃない?
私たち、私が知ってるアトリちゃんは農家とは全く、農業とは本当に関係なさそうな感じで、
虫も嫌いだったり。
だから農家になったって聞いたときは、あらどうしてって思ったのよ。
その話をちょっと聞きたいなと思います。
なんだってなんだけど、答えとしてはなんとなくなのね。
なるほど、なんとなくね。
もうちょっと教えてよ。
だからこう、他の人とかだとめちゃくちゃ野菜が好きでとか、農業が好きでとかっていう、
いろいろ熱い思いを持って始めるっていう人がいろいろいると思うんだけど、
なんとなく選んでしまって、もうやってみたいレベルで始めてしまったっていうところ。
しかもうち、いわゆる農家じゃないし、実家が農家ってわけでもなくて、
いわゆる自分で授業ゼロからスタートする新規収納っていうところなんだけど、
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これを始めると、なかなかどっから話すって話になってきてさ。
そうね。
舞妓さんとの出会いからとか。
舞妓さんあんま収納に関係ない。
いや、わからないよ。昔のなんか。
そうだね。わからないとは言ったけど、たぶん私は関係ない。収納には。
だからその後よね。出会って、収納に至るまでに、どんなこう、何ていうのかな。
何があったの?って思って。
だからちょっとそこを、その流れをざっくりとね。
普通に高校卒業して、大学行って、大学も普通の文系の歴史系の大学行って、
その時歴史とか好きで、農業とか全然。
でも一瞬だけね、実は東京農大いいなって思って、
でも数学と理科が全然できなかったから、
数学と理科の受験科目がないが、都市デザインみたいな学科が確かあった気がするんだけど、
そこに行こうかなと思ったけど、普通に別の歴史の大学に行って、
そこで普通に演劇部やったり、カメラ部入ったりして、
カメラが結構好きで、カメラ屋さんに入ってからのイギリスワーホリ行って、
フランスのワーホリに行って、
そのワーホリの時にちょこちょこと農的な暮らしを体験してさ、
夫婦とかってよく聞くかもしれないけど、
今度それもまた詳しくいずれ機会があったらお話しようかなと思うんだけど、
そんなところで帰国して、働きながらも国内でちょいちょい農家さんのところを手伝いに行って、
いつかこんなふうに暮らしたいなーなんて思ったわ。
そういうことがあったのね。
そういう農的な暮らししてる中で、
その夫婦なんだけど、日本の夫婦結構緩くて、
カレー屋さんの一時的住み込みで働くっていうのがあって、
全然夫婦の農的な暮らしではなかったんだけど、
自営業されてるっていうところで、なんか面白くて、
そこで聞いた話、言葉に、日本は失敗できる国って言葉聞いて、
そっか、なんだいいんだ、妙に納得しちゃって、
その時ちょっと農業とかやってみたいかなってうっすら思ってたんだけど、
じゃあやってみようかなって背中を押された感じ。
そうなのね。
カレー屋さんが結構ターニングポイント的な立ち位置をね、
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この言葉を聞いて、ちょっと背中を押されてっていうところだからね。
でもまあ、踏み切れないか、もやもやとかいろいろ考えながら、
35歳ぐらいまで普通にオンエールしてて、
最後に勤めた会社派遣だったんだけど、
外資ってまあまあ厳しいところ。厳しいって言っても、
ブラックとかじゃなくて、自分の能力以上のレベルで、
毎日つま先立ち歩きしてる感じ。
すごく鍛えられて、すごい勉強にもなったし、
自分の語学力もアップして良かったんだけど、
これ続けるのしんどいなってなって、
結構後先考えずに辞めてしまって、
その時、夫と結婚してたから、
空には困らずってなった時に、
もう日本は失敗できる国って言葉を思い出して、
その時国分寺に住んでて、
週末農業講座みたいなのに行ってて、
それでできるとは思わなかったけど、
もうちょっとそっち方面に傾いてて、
で、職がない時期とか、
いざ農業やろうと思った時にさ、
北海道とか長野とかも、
いろいろ考えたのね。
聞くからに美味しそうじゃない?
ほんとそんなレベル。
でも、うち夫、キャメロンがさ、
オーストラリア人で英会話の先生やってて、
で、やっぱり英会話教室が多い東京がいいよねってなって、
で、私も、キャメロンも田舎好きだけど、
そこまでの田舎好きじゃない。
セミ都市部の方がいいみたいな。
あんま都市、都会から離れられないって感じ。
なるほど、なるほど。
で、2015年頃当時、東京だと、
まず農業やろうってなった時に、
東京農業会議所っていうところに、
農業やりたいですって相談しに行くわけ。
で、そこで研修先を見つけてくれて、
で、2年間研修して、
その間に農地を見つけるっていうのが流れになるの。
で、そこで紹介されたのが、
東京都西多摩郡水穂町のポンドファームさんっていうところで、
で、そこで2年間研修、
研修といってもカリキュラムがあるとかじゃなくて、
正社員として、いわばいきなりOJTってやつ。
投げ出される感じかな。
投げ出されるというか、でもそれは、
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やっぱり会社の会社、人様の事業の一員としてやるから、
自分でゼロからやるわけじゃないから、
これやってくださいって言われる指示があるから、
そういう使い方を一から教えてもらってっていうのは。
ほうほうほう。
あ、そういう。
それこそ窯の使い方とか、トラクターの動かし方とかを、
いろいろ教えてもらって、いろいろ栽培のこととか。
ただやっぱり圧倒的に規模が違うとか、
目的、目標とかが違ったりとか、
もろもろ違うから、
それをいざ独立して一人になった時にどんだけできるかっていうと、
なかなか違う部分はあるけど、
その2年間あるだけで、
1年の流れが2回経験できるから、
去年こうだったよねっていうことがすごい勉強になって、
自分だったらこうできるかなって2年目ぐらいになって、
ようやく考えられるかどうかっていう微妙なところ。
でも2年あったら、去年はこうで、
ちょっと今年はこうだからっていう、
ちょっと経験したっていう、なんていうのかな、
層ができる感じよね、1年目の層、2年目って。
それでそういうことがあったのね。
なるほどです。
それで2018年の2月に正式に農地を借りて、
ベースサイドファームがスタートってなる。
なるほど。おめでとうございます。
で、ベースサイドファームっていうのはさ、
そもそもどういう意味なのかなって思ったのね。
ベースサイドのベースサイドって何よって。
あとね、ベースサイド何?っていうのをまず1個あって、
おめでとうございますなんだけど。
あとさ、研修卒業するじゃん。
で、なんで水穂町に留まったのかなと思って。
さっき東京がいいっていう話はしてたんだけど、
私の中で水穂町なんて聞いたことなかったし、
あといちゃんの地元から水穂町って結構離れてるじゃない。
だから水穂町、水穂町って。
ちょっとあれだったんだよね。
水穂町どこって感じ。
私もほとんど農業考え始めて、
で、ちょっと研修とか考えたときに、
今研修中でもうすぐ就農っていう方のお話を聞いたときに、
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その人がまさに水穂町に住んでて、
水穂町って思って。
東京の市町村区って八王子と奥多摩ぐらいしか知らなくて。
水穂町っていう謎の街が突然地図に現れたみたいになって。
そうそう、そうだね。
で、研修したところがまさに水穂町で、
大体そういうのって私の場合だと、
水穂町内のお話が来るっていう。
なるほど。
やっぱこっからいきなり北海道とかってなかなかない。
で、かつ場所的にも、東海、新宿まで電車で行けるし、
車でも行けるし、実家に車でも行けるしっていう、
うちのね、お殿じゃなくてね。
ああ。
っていうところで、
で、最初に、
ほんと農地って縁、五縁で、
最初に農地の話、研修中に来たんだけど、
それが結構家から離れた同じ水穂町なんだけど、
トトロの森みたいなすごい森に抜けた先で行ったっていう、
ちっちゃい三百坪の、三百坪って言うと、
どんぐらいだろう、三百坪なんだけど。
で、ちっちゃい畑で、しかも水道もあまりにないし、
ちょっと距離と環境がね、同じ町の中でも、
やっぱちょっと遠い部類に入ってて、
で、そこはちょっとお断りして、
ちょっとどっかもうちょっといいのないのかなって思ったときに、
別のところを紹介していただいたのが、
今の第一号の場所。
なんと横田基地のすぐそば。
で、そこがちょうど当時住んでたところからも、
まあまあ近くて、まあいいかなっていうところで、
交通の便もよかったしっていうので、借りることになって、
っていうので、横田基地のすぐそばっていう立地が一つ決まって。
それで水穂町のとこに縁があったってことなのね。
そうそう。なんで水穂町かって言うと、
そういった御縁があって、
ベースサイドファームっていう名前のところなんだけど、
これがまたちょっといろいろあって、
で、野後だって開業するときに、
税務署に開業しますって出すんじゃない?
で、そこで一応野後とか、
まあそれだけじゃなくて、
今後自分の分身として名乗りを挙げていくっていうところで、
それが必要になってくるんだけど、
いろいろ考えたわけさ。
その場所が決まるまで。
ジュラントファームとか、
なんか日本語で馴染みやすい、
私の旧姓の伊藤で伊藤農園とか。
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あるある、だと思うんだけど。
で、ただ私たちが考えてたのが、
お客さんは日本人だけじゃなくて、
日本在住の外国人にも知ってほしいから、
外国人にも覚えやすい名前にしたい。
そうすると自動的に横文字。
かつ複雑きっかいな横文字じゃなくて、
日本人にも馴染みやすい簡単な名前。
っていう結構絞られてきて。
ほうほうほう。
で、ジュラント農園みたいなんで、
結構揺れてた時期もあったんだけど、
研修中に、
英語が使える野菜の通販が少なくて困ってるっていう、
外国人の方のお話を聞いたことがあって、
で、それで英語ができる野菜の通販ができるアピールで、
東京ベジボックスもいいよねって一瞬考えた。
うんうんうん、いい。
だけど、ちょっとどうかなっていうところで、
それはボツになって、
で、場所の名前とか雰囲気が伝わる名前で、
で、考えた時に、
昔よく遊びに行ってた東京ドームの、
全然野球ファンじゃないんだけど、
そこにあったカフェの名前がベースサイドカフェだった気がするの。
で、それを思い出して、
野球のベースね、
野球全職のあれのベースのベースサイドカフェ。
聞いて、あ、ベース?ベース違いだっけ?
あれじゃね?って思って、
で、横田基地、すぐそば、基地、ベース、
っていうところで、ベースサイドファーム。
そこか。
そうそうそう。
なるほどね。
それで、それでベースサイドファーム、
その基地の横にあるファームっていうこと。
そうそうそう。
あ、なるほどなるほど。あ、繋がったわ。
そういうことだったのね。
そうかそうかそうか。
で、そのカフェはあんの?今でも。
恐ろしいことに検索してみたんだけど、出てこなくて。
とんでもない思い出修正で、
私が妄想してるだけかもしれないっていう疑惑もあるので、
ちょっと皆さん検索してください。
覚えた人いたら教えてください。
知りたい知りたい。
だってちょっと今こう知ってちょっと行きたくなるもんね。
今でもあるのかなって思うし。
出てこないのよね。
でも私が知ってるも東京ドームじゃなくなってるしね。
あの周り。
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そうだね。時代がね。
変わってきてるかもしれないからね。
そうか。なるほど。でも分かりました。
そのアトレちゃんがどうして農業に入っていったのかも分かったし、
そのベースサイドファームが、
ベースサイドファームの野望のことも分かったし、
ちょっと質問に答えてくれてありがとうございました。
いえいえいえ。こちらこそありがとうございます。
というわけで、以上でベースサイドファーム初めて物語でした。
はい。
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