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はい、みなさんこんばんは。あづの自分らしいキャリアを歩むラジオ、今夜はコラボライブを行っていきたいと思います。
ちょっとゲストの方をお迎えする前に、少し早めに立ち上げております。
はい、今日はですね、私のこのチャンネルで、私がインタビューをしていく対談企画【キャリアの話をしよう】の第10回目を迎えました。
はい、ということで、スペシャルなゲストの方をお招きしておりますので、ゆうかりさん、ちょっと招待します。
ゆうかりさん、こんばんは。
ゆうかりさん、いらっしゃいませ、いらっしゃいませというか。
お邪魔します。
いやいや、ようこそです。
いいんですか?あずさん、私ですか?本当ですか?
こちらこそ、なんかすいません、なんか突然突然お声掛けしちゃって、もう大丈夫だったかなと思いながらも。
めちゃめちゃ嬉しかったんですけど、嬉しい反面か、あずさん、メール送り先間違えてないからね。
いやいや、そんなそんな。
私ちょっと勢い余って、送った後にちょっとハッとした。ちょっと私、グイグイ行き過ぎたかなとか。
いやいやいや、めちゃめちゃ嬉しかったです。
本当ですか?
こちらこそ嬉しすぎて、もう本当に今日楽しみにしておりました。
私もめちゃめちゃ楽しみに来ました。本当にありがとうございます。
確かになんか、初めましてな感じが全然しないんですけれど、いつもお声聞いてるからかな。
さっきまで、あずさんの配信をめちゃめちゃ聞いてて。
同じです、同じです。
前から知ってますみたいな感じで。
ありがとうございます。
こちらこそ貴重なお時間をいただいて。
ゆうすけさん、こんばんは。
ゆうすけさん、こんばんは。ありがとうございます。
今日はですね、ゆうかにすっぽんっぽんになる気満々できますからね。
もう何でも何でも聞いてください。
覚悟して。
ありがとうございます。
ゆうすけさんも、もし私たちの声のボリュームとかね、なんかちょっとこっちの方が大きい小さいとかあったら教えていただきたいなと思いますが、大丈夫かな。
今日は私が脱がされる番なんです。
楽しみに参りました。
ゆうかりさんはいろんな方を脱がしてきてますからね。
今日は脱がされる側に。
初めてかもですね、脱がされる側。
ありがとうございます、ゆうすけさん。
ドキドキです。脱がされる側、初の。
ちょっと上手にね、丁寧に脱がしていきたいと思いますので。
ありがとうございます。
こんばんは、皆さま。
ありがとうございます。
嬉しいですね。
ちょっとリラックスしながらも、ちょっとずつ始めていきたいと思うんですけれども。
ありがとうございます。
どうぞよろしくお願いします。
お願いします。
この対談企画は、私がちょっといろんな人のキャリアの話を聞きたくて始めた対談企画なんですけれども。
03:07
今日10回目のスペシャルゲストということで、ゆうかりさんにお越しいただきましたので。
皆さんね、本当大好き。
ストリングフスファインダーを雇用なく愛す、ゆうかりさんを丸裸にしていきますので。
聞いている皆さんも一緒に楽しんでいただければなと思います。
ありがとうございます。
早速なんですけど、自己紹介をお願いしてもよろしいですか?
自己紹介ってあんまりしたことがなくて。
ストリングスファインダー大好きのゆうかりと申します。
自分が結構子育て、ワンオペので苦しくて、打つまでコロナが行っちゃったみたいなことがあったんですけれども。
そこからストリングスファインダーに救われ、ドハマりし。
ひたすら走ってここまで来ましたみたいな感じなんですけれども。
そうなんです。本当に自己紹介下手くそなんです。皆さんすいません。
慣れてない。慣れてない。
そうなんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
もうすぐ認定試験も変えているこのお忙しい時期にね。
本当にありがとうございます。
こちらこそです。
私もね、この対談前にゆうかりさんの配信をちょっと遡って聞いていたんですけれども。
ありがとうございます。
ゆうかりさんがこのストリングスファインダーに出会って、モノクロの世界がフルカラーになったっていう表現をされていたと思うんですよね。
何回も言ってましたね。
その変化とかすごく興味深いですし、人生変わったっていう感じが配信からめちゃくちゃ伝わってきていて。
本当ですか。嬉しい。
ゆうかりさんの例えが、表現とかがすごく上手なので、すっごい聞いてて。
本当ですか。
入ってくるんですよ。引き込まれていつも。
本当ですか。嬉しいです。
ストリングスファインダーとの出会いのところまで、後ほど聞いていこうと思っておりますので、よろしくお願いします。
お聞きいただいている皆さんも、ゆうかりさんのキャリア、変歴、変は変人の変とゆうかりさんが自ら。
変人変態でもいいかもしれませんね。
りんさんもこんばんは。ありがとうございます。
事前にいただいた情報を見て、私もかなりびっくりしました。ゆうかりさん、何という素敵なキャリアをと思いながら。
素敵ですかね。
いろいろご経験されて、走ってきたんだなっていう感じはすごく受けたんですけれど、そこを掘り掘りしていきますね。
06:02
ありがとうございます。
じゃあまずちょっと早速なんですけれど、社会人、最初のお仕事が何だったかっていうところから聞いてもいいでしょうか。
そうですね。それしかなかったみたいなところから始まるんですけど、皆さんそうなんです。
アホなことにですね、私がずっと英語がわりと好きだったんですよね。
英語会話をずっと習っていて、そんなでも好きじゃなかったんです。英語会話の先生が怖くて辞められなくてっていう。ずるずる続けてたみたいな感じで。
でもいつか海外にずっと行きたい欲があって、大学時代も絶対行くぞと思って、お金を貯めながら短期で行って、これで満足するだろうと思ったら、もっと行きたくなっちゃって。
4年の夏からですね、1年間奨学金を返せなくていいですね、お金をもらって行けるみたいなやつがあって、それを受けちゃったら受かっちゃったんですよ。
2人しか受けた人はいなかったってオチなんですけど。
でもその2人を勝ち取ったわけですからね。
ほんとラッキーで、行けたはいいんですけども、帰ってきたらもう就活も、それこそ3年ぐらいからやるじゃないですか、今もっと早いのかな。
なのでもう完璧に就活の波に乗り遅れまして、どうしようどうしよう、何の考えもなしに行ったんですよね。
で、なんかないかなって探してたら、大学事務の事務職の募集があって、もうなんでもいいからプーになる前にと思って、滑り込みでそこも受けたら、なんとか受かったみたいな感じで、なんとなど最初は事務職をかじっていたんですみたいな。
大学の事務職がスタート。
そうなんです。しかもですね、濃くなことに、一切就活してなかったんですよ。一回もしてなくて、一発目の大学の事務職を受けて受かっちゃったので。
で、事務になって、事例じゃないですけど、出た時に、なんと就職家だったんですよ。
一回もしてないのに。
一回もしてないのにっていう。
ありがとうございます。いやいやいや、中身は中学レベル英語なんですっていう。
ECD参加されてたじゃないですか、先月の。
あのゆうかりさんの英語、そういうことだったんだと思って、私腑に落ちました。
いやいやいやいや。
めっちゃくちゃ流暢でしたもん。
ほんとですか。嬉しいです。
喋る発音だけは好きで、予備校にいた時に、先生が大好きになって、どんどん喋ったら英語のが上がるみたいな、ひたすら音読ばっかり喋ってて、
09:00
その時に喋るのが上手くなったなと思うんですけども、肝心な数学とか全然やらずに、志望根も落ちるっていう、そんな人間です。
好きなところはずっと探求できるんですかね、ゆうかりさん。
そうですね。後先考えずみたいな。
嬉しいですね。ありがとうございます。
すごく聞きやすいですよね。
ほんとに英語が好きで、ちょっと留学したら、また行きたいってなって、1年休学をして、行っている間に、就活の時期が終わっていたけれども、なんとか滑り込みで大学の事務職が決まり、まさかの就職か。
地獄でしたね。何にもわかりません。っていう状況で。
どうでしたか、事務職っていう、事務のお仕事は。
学生が来るわけなんですよ。就活の相談をしにですね。1回も就活をしていない私のところに来るわけなんですよ。
そうですよね。みんな頼りにして。
そうなんですよ。毎日脇汗ものですよね。どうしよう、どうしよう、みたいな。
その時の課長がですね、あの時こそ、アズさんのような上司がいたらって、すっごい朝の配信聞きながら思ってたんですけど、すごいですね。50代過ぎぐらいの女性の課長だったんですよ。
で、バッチリもう、おそらくその高年期がガッツリ入っている。もうね、なんか目をつけられてしまって。
イライラを発散する何かがおそらく欲しいんですよね。
そうなんですよね。結構企業さんがやっぱり出入りする、大学の窓口というか、結構すごく厳しくて。
お茶出し、まあ私はPPなのでお茶出しとかをするんですけど、お茶出しの足の出し方が悪いと。
えー。
その授職課内の奥ですね、なんか説教部屋みたいな、あの三間五天じゃないんですけど、説教部屋がありまして、足の出し方一歩でそこにその課長に呼ばれるんですよ。
下手したら1時間、長い時2時間ですね、足の出し方について人は説教されるんですよ。
嘘でしょ。
今考えたら暇やったんやろうなーって思うんですけど。
いやいやいや。
そうなんです。それでもうなんかちょっと本当サザエさん証拠群じゃないんですけど、もう参っちゃって。
参りますね。
自分はね、合わないのもあったのかなと思って、もうここから逃げ出したいの一心で、ひたすらもう転職先をもうずっと探してましたね。
もうある意味初めての就職活動をしている状態ですよね。もうここから早く。
そうですね。そこから就職してから初めての就活を始めましたみたいな、学生たちとともにみたいな、そんな感じですね。
12:04
私も相談したいみたいな。
そうなんです。本当にギャグですよねっていう。
でもきつかったですね、それは。
当時はね、なんかきつかったですね。
なんかその同僚たちとかっていうのは、なんか味方になってくれるような、そういう環境だったんですか?
環境なんて、周りの環境?
私より年上で、結構何年もそのジムでずっと働かれていて。
でもなんでしょう、影ではすごいね心配して、いやゆかりさんは全然悪くないよってフォローしてくださるんですけど、やっぱりその課長に目は皆さんつけられたくないわけで、
私が一番ターゲットになっているのが皆さんも安心なので、まあそのなんか打開策というかもうないんですよね。ひたすらそれを受け続けるしかないみたいな。
いやー懐かしいですね。そんな時代がそういえばありましたっていう。
速攻1年ぐらいとか結構長く耐えたんですか?
1年間ですね。何とか途中で辞めるのはね、社会人としてダメだろうと思って、1年間は何とか耐えましたね。
めちゃくちゃ頑張りましたね。でもほんとそういう意味ではね、最初の就職先でもういきなり試練みたいなね。
試練でしたね。もうちょっと違う課だったらもうちょっとマシだったかなって思ったんですけど。
本当にその人一人が結構もう強強で。
そうですね。もう誰も逆らえずみたいな感じではありましたね。
結構古い体制な、なんか職場だったのかなっていう感じがすごく今振り返るとしましたね。
そうですね。そんなちょっと辛い、ある意味ねちょっと辛い経験からのスタートだったみたいな感じで、
社会人生活がスタートしたっていうところなんですけれど、
その転職活動をして、2社目になるところからっていうのがまたこのゆうかりさんの、
そうですね。
はい、ちょっと私もびっくりしたようなキャリアをお持ちなので。
ゆうかりさんびっくり、説教部屋からのですよっていう。
なんかもうなんでもよかったんですよね。とりあえずここから逃げたいと思って、
いろいろ転職先をネットで見ていて、パッと目に入ったのが、
インストラクターの、あ、違う、ジムのインストラクターだったんですよ。
ジムのインストラクター。
そうです。もともとスポーツ結構好きで、部活とかずっとやってて、
そこに入ったら、インストラクターの資格を取るところから、
研修費も全部出して、させてもらえるみたいなところで、
なんかそれに、あ、これだ、みたいな、またね、後先感が、これ多分適応性なんですよね。
後先感が今しか見えないんですよね。その時の手、バッと動いちゃうみたいな。
15:00
飛びつきました。
体も動かすの好きだし、いつから教えてもらえるしっていう。
全然先も後も考えないみたいな、困った小分ですみたいな。
受けて、受かって、セカンドキャリアは、ジムのインストラクター。
リンさんが全てまとめてくださっているので。
リンさんありがとう。リンさんのスペックすごい。ありがとうございます。
大変です私のこれをまとめるのはみたいな。
いやー、そうなんですよ。
でもそこからですもんね、全然ね、事務職からのインストラクターですよ。
いや、そこもまたすごいところに入っちゃったんですよ。
でも皆さんね、知ってるね、カーブスって女性専用の、よくあるじゃないですか。
あちこち紫色の。
だから緩い感じそうなと思って、私も入ったんですけど、
なんとなとまたハズレを引きまして、私の入社したところ。
あれがフランチャイズなんですよね。
そこの持ってる会社が、ガツガツのカーブスの中でですね、
同時期に全国で出展、当時はオープンテンポのスタッフだったんですけど、
一気に全国で20店舗ぐらい同時オープンみたいな感じなんですよね。
そこで競争させるんですよ。
業績を伸ばしていくみたいな、オープン前から会員数を集めるんですよね。
その私の入った会社が、常連の毎回トップの会社だったんですよ。
知らずに入りまして。
分かんないですもんね、それはね、外から。
分かんないんですよ。
蓋を開けたらえらいこっちゃと思って、5人当時オープンスタッフがいたんですけど、
毎日その件数が決まってるんですよね。
何人アポというか、お客さんを集めるオープン前なんですけども、
1日20人とかって決まってたら何にするかと言いますと、
もうあの飛び込み営業なんですよ。
どこへ?
リラさんから、ラーメン屋さんから、薬局屋さんから、スーパーから、全部入るんですよ。
飛び込みで。
飛び込みで、はい、こんにちは、カーブスです、が言いながらポカーンですよね、相手は。
無料体験どうですか?って言って、そんなことをやってたんですよね。
で、タイムリミットが大体9時から6時くらいまで働くんですけど、
そこで5人でそのアポが達成できなかったら、社長に聞かれるんですよ。
お前らどうするんだと。これで諦めるのかと。
それもイエスかハイしか返事がないんですよ。
イエスかハイ。
イエスかハイ。
イエスかハイ。
ないですよ、それしかない。
脳の選択肢がない。
だからもう頑張りますよね。
でもだんだん夜9時過ぎとかになってくると、夜のお店とかしかないんですよ。
そうですよね。
でもスナックとかバーとか、そんなところに入って、こんにちはみたいな、スナックのままもうびっくりですよね。
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あんたこんな時間に何やってんの?みたいな。
でもそれで会われんでくれて、アポ取れるみたいな。
本当に夜の12時くらいまでやってた時とかありましたね。
でも行くところも、もう範囲もあるけれど決まってるじゃないですか。だからもう1回行ってダメでもまた行くみたいな、そういう繰り返しですか?
今度ですね、お店を全部、札幌だったので結構お店は多いんですよね。
全部しらみつぶしに、もうないってなったら今度ね、小宅回るんですよ。
一軒一軒回って、もうそんなことをやってまして、おかげで全国一位にはなれたんですけども、あそこでかなり度胸が鍛えられましたね。
りんさんもゆうすけさんも、インストラクターかと思いきや、まさかの営業職ですよ。事務職だったのに。
本当にやったんですね。店舗が実際オープンして始まってからも、でもね、本当転職だなって思うぐらい、本当この仕事は楽しかったんですよ。
営業職やってると、営業職じゃないですね、飛び込みやってる。
飛び込みの時はつらかったですね。私何やってんだろう、みたいになったんですけども、そうですな、営業スキルは結構身につきました。
そこで喋るスキルも身についたかなって思うんですけど、その後は入ってくれた会員さんの接客と、サーキットトレーニングなんですけど、真ん中に入って声張り上げて、わーってお客さんを喜ばせながら、楽しく運動してもらうみたいなとこですよね。
それは楽しくて楽しくて。
教えるっていうところと、人と直接触れ合ってコミュニケーション取りながらっていうお仕事はめちゃくちゃ向いてたんでしょうね。
そうなんです。それが今のにもつながってくるんですけど、私昔から褒めるの大好きだったんですよ。
やたら友達も褒めすぎて、なんか発泡美人だよねとか、なんか裏あんじゃないの?みたいな言われるぐらい、でも見えるんですよ、そのいいところが人の。
でもなんか下手に褒めると、なんか変な人と思われるのかみたいな。でもそのインストラクターは褒めるのが仕事だったんですよね。
褒めちぎりまくっていい、その仕事が私は楽しすぎて。
会ってたんだ、ゆうかりちゃん。
すごいですね、みたいな。そうなんです。楽しすぎて。で、結構もう本当20代かなぐらいから80歳ぐらいまで年齢層が広いんですけど、私はもうおばあちゃんキラーと呼ばれてまして、おばあちゃん大好きで、おばあちゃんファンが結構いました、その頃は。
わかる、わかる気がする。ゆうかりちゃんみたいな感じで、なんかすごい来てくれそうですよね。
21:04
そうなんです。でもですね、始まってからもう営業も終わりませんで、常に常にその人数は追っていかないといけないんですよね。
そうか。
あとキャッチが始まるんですよ。
キャッチ?
外でですね。キャッチってわかりますかね、道行く人に安全アンケートお願いしますと言って、怪しいやつですね。
言いました、言いました。
あれをひたすらやるんですよ、真夏の炎天下も。真夏まだ北海道にいるんですけど、問題は冬ですよ。マイナス10何度とか。
北海道ですもんね。
そうなんですよ。プルプル震えながらすいませんみたいな。それでも足止めてくれないかと思いきや、結構ね、慌れんでマッチ売りの少女戦法って言ってたんですけど、結構冬の方が止まってくれるんですよ。
冬の方が結構アポ取れるみたいな。慌れんでホットの缶コーヒー買ってきてくれる知らない人とか。
でもそこはやっぱりゆうかりさんだからなんでしょうね。つけたんじゃないですか。なんかしてあげたいみたいな。
本当ですね。今振り返って何やってたんだろうって思うんですけど、でもその中のインスタワークの接客はすごい楽しかったです。
なんかあれですね、ラクサが仕事の中でめちゃめちゃ楽しいっていうのと、うわキツイっていうのの2曲を味わってますよね。
いやーでしたね。なんか本当心身ともに鍛えられた感はあそこでありましたね。
すごいもう会社も体育会系で、なんか決起会とかが、という名の飲み会がしょっちゅうあるんですよ。
でなんか1杯目は絶対ビールみたいな。いつの時代だみたいな。なんかね懐かしいそんな感じでした。
これキャンヤの話になってますか?大丈夫ですか?
皆さん今のところ大学の事務職からのインストラクター兼営業ですよ。
そうですね。営業でしたねあれは。
ここはどのくらい続いたんですか?
ここは3年ぐらいで、私ねもうずっとこれはね辞めたくなかったんですよ。なんですけど、なんですけど、もう辞めざるを得ない。
当時ですね、夫が、当時は彼氏だったかな?付き合ってたんですよね。
でもその頃、旦那がなぜか就職先が島根になりまして、遠距離だったんですよね。
今もそうなんですけど、旦那はずっと同じ仕事で激無すぎてですね、旦那が10キロ以上かな痩せて、そしてついに倒れたんですよ。激無すぎて。
でもうちの親もですね、当時の彼氏ですけどね、旦那のことすごく気に入ってたので、早く行ってやれと。
いいからあんたは何か言ってどうにかしてあげなさいみたいな感じで、実家を追い出されまして。
親の方が早く行ってあげなさいって。
そうなんですよ。多分このまま売れ残っちゃ困ると思ったんでしょうね、親もね。ここに着かれても困ると。
24:02
でもめちゃくちゃまだ若いですよね。だってまだ就職して、1年事務職で。
そうですね。結構浪人したり、留年じゃない、留学したりしてたので。
もうその頃で26、7くらいになってたんですよ。
そうなんですか。
そうなんです。なのでお尻を叩いて追い出されまして、親からも。
仕事も辞めて、すごかった。当時おばあちゃんたちからしなじなをいっぱいもらいました。
本当そうですよね。
行かないでよ。
ゆかりちゃん、本当に辞めたくなかったんですけども、という感じで、泣く泣く島根に行きました。
そうだったんですね。
本当になんか、すごい体力的にも、営業専職的なところの精神的なキツさもあったけど、このインストラクター業っていうのは、ゆかりさん的にはすごく自分にフィットしていたというか、楽しくて向いてるなっていう。
すごいやりがいを感じてやってましたね。結構その時は成長促進とか、ポジティブとか、目標志向とか、なんか私の人たちも喜んでたなっていう感じがすごいしますね。
ただもう一回やれって言われたら、ちょっと体力的に無理な感じがします。
夜の大会系ですもんね。夜の方もね。
そうですね。
ちょっと子育てしながらとかって、かなりハードな職業ですね。
無理ですね。
じゃあ島根にそこから移って。
島根で就職活動というか、転職活動みたいな。
そうですね。たまたま夫の仕事からの声かけられて、ちょっとこんな仕事してみないかのところで、なんとなんと次はですね、ジェラート専門店の正社員で働くみたいな。
インストラクターからのジェラート専門店。
電に飛んだんですよ。
振れますよ。いっぱい振れますよ。
ビューンとね、みんなが予想もできないところでビューンと飛んでいきますから。
結構すごい店舗で、機材とかすごかった。
ジェラート界のフェラーリって言われる、カルピジャーニっていう、すごい一台何百万ってする車何台か買えるぐらいの、その高級なジェラート作る機材とかも揃っていて、結構土日とかは他県からもお客さんが来るようなところだったんですよ。
本当に人気店ですね。本当に知る人と知るみたいなところ。
その辺ではなかなかなかったですね。かなり食材とかもこだわって、生の原料から作るみたいなところで、せっせとジェラート作って売ってましたね。
正社員も4人ぐらいいたんですよ。
じゃあ結構大きいなね。
ジェラート店にしては結構なんかね、別に1店舗だけだったんですけどもね。
27:02
リーさんありがとうございます。
サードキャリアは。
何してんだですよねっていう。
でもここでマネージャーさんまで行ったというか、最初からマネージャーさん?
そうなんですよ。私はね、いえいえもう正社員でね、下っ端じゃないんですけど、みんなとワイワイやってるのが楽しかったんですけど、なんかちょっといろいろあって、マネージャーさんがね、そのオープンの立ち上げからされた方が抜けちゃったんですよ。
で、どうしようどうしようってなった時に、ここでね、私の回復志向がね、なんかもう突破しちゃったんですよ。
回復志向さんって、穴があってなんか困ってたら、自分が埋めたくなっちゃうんですよ、なんか。
私で何か助けになれるならみたいな。自重力もないくせに、なんかね、間違って手を挙げちゃったんですよねっていう。
なんとかしなきゃみたいな気持ちに、私がっていう思いで。
そうなんでね、ディーンさん、なぜそこを選んだのですか?ですよね。
なんでも、もうないんですよ。田舎すぎて、働く場所がスーパーのおばちゃんか、なんかね、コンビニかみたいな、ほんとなんかそんな感じしかなくって、もうなんでもよかったんですよね。働けるならばみたいな。
そんな感じでマネージャーになっちゃったもんで、で、やっぱり同じ状況で正社員として働いてた中から、私がポーンって出ちゃったので、
なんかこう、やっぱり妬みというか、まあそれは言うこととか聞いてくれないですよね。かなり人間関係がその時はね、きつかったですね。
やっぱり仕切らなきゃいけないけれども、向こうもね、なんかいきなり上に立たれてもみたいで、年上の方ばっかりだったので。
厳しかったですね。ひたすらそれもまた、いやもう私は得意な営業に出ろということでですね。今度ジェラートは食材探しが大事なんですよね。今度農家さん周りが始まるんですよ。
ちょっと待って、ちょっと待って、ちょっと待って。
ジェラートの、農家周りってそのなんですか、牛乳とかってことですか?
そうですね、牛乳は入るんですけど、フルーツとか野菜だったりもかぼちゃとか栗だったり、そういう本当に生の食材から作るところだったので、それをいかに安く農家さんから跳ね物を下ろしてもらえるかみたいな。
そうそう、ゆうすけさん全キャリアがね、実は生かされたんですよ。
繋がってます。実は繋がってますね。
こんにちはーって、そうなんです。農家さんを回って、あんた誰じゃい?みたいなところから、余ってるスイカを開けてくださいみたいな。なんかそんなことをひたすらしてましたね。
いかにその新商品を出すかみたいなところが本当勝負だったので、お客さんに飽きられないように、毎月毎月新メニューを開発するんですよね。
それが結構でも楽しくもあり。
結構多岐に渡るというか、マネージャーさんの店舗のお店の人たちのシフト組んだりとか、そういうところもやりつつ、外に営業もいきつつ、メニューも考えるみたいなことまで。
30:08
そうですね、その企画なんかキャンペーン的なものから、シフトから運営、なんか全部やってましたね、気づいたら。
やってましたね。
なんか本当にいろいろな、何て言うんでしょうか、一つの企業っていうところに属しているようなのと同じぐらい、なんかいろんな部署みたいなところを経験してるかのような、あれですよね、ゆうかりさんの今までの、ここまでのスタートキャリアまで。
面白すぎて、当時は、懐かしく今思い起こしておりますみたいな。
でも、北海道から島根に行ったわけですよね。
はい。
そこって全く住み慣れた場所でもないわけじゃないですか。
そうなんです。
そこに溶け込むみたいなところで苦労とかはなかったんですか。
でも割とですね、これもまたね、てきおせちゃんがすごい聞いてくれてまして、割と学習部もあって、新しい環境、知らない土地とか好きなんですよね。
そうかそうか。
割と飛び込めていけちゃうところもあるので、逆になんかこう楽しかった感じもありましたね。
結構その島根がアイターンの方が多くて、田舎暮らししたいとか、私も一応アイターンみたいな感じで、そういった方とすごいつながって、アイターンコミュニティみたいですね。
逆にすごい楽しかったんです。
そうなんだ。
なんかこうね、やっぱり人によっては新しい土地とかって、なかなか入り込めなくて、空にこもっちゃってとか、外になかなか出れないみたいな人もいるのかなと思ったけど、
ゆうかりさんはその辺は適応性ってところで、むしろ溶け込んで。
逆にコミュニティ。
人に注意してましたね。
本当ですね。そういえばみたいな。
だからこそ、そういう営業的な言葉で。
すごい。
活かされてましたね。今気づきましたね。
でも当時はね、もちろんこのストレングスファインダーにもまだ出会ってないと思うので。
今いろんな資質の話がちょっと出てきているけれど、なんか当時は何となく楽しいなみたいな、それぐらいの気持ちでやってたんですかね。
そうですね。なんか無我夢中ですね。やっぱり目の前のことをひたすらやっていくみたいな。
適応性、目標志向みたいな感じできっとやってたんだと思います。
りんさんまたまとめを。ありがとうございます。
お好きな歯車っぽい感じより創意工夫しながら、自分であるだにトライアンドエラーでやっていくの。ゆうかりさんには向いてるかもしれませんね。
本当おっしゃる通りですね。
ですね。いやおっしゃる通りです。りんさんありがとうございます。
33:02
ここからのジェラート店でマネージャーをやり、ここはどのくらいですか。
ここはですね、正社員から到達するとここも3年くらいかな。ここも別に辞める気はなかったんですよ。
そうかじゃあここも比較的3年だからね。本当にもう自分のやり方みたいなのもある程度確立されて、かつ楽しいみたいな感じで3年経って。
そうなんですそうなんです。だんだん人間関係も最初苦しかったけれども、だんだんマネージャーっぽさも板についてきて、楽しくなってきたみたいなところとですね、ずっと子供がその頃は結婚してたのか。
もう結婚してたんですよね。ジェラート屋1年目くらいで。子供がなかなかできなくてだったんですけど、なんかある日くらいからなんか嫌に眠たいと。
なんか体も重いと。生理も来ないぞと。これはこれはってなったわけなんですよ。周りもなんかもうおめでとうじゃないみたいな感じで、ルンルンで病院に行くわけなんですよ。
で、受診科に行ったら、なんとなんと乱層脳腫ですって言われて。
地獄か。
もう天国から地獄でしたよ。もうなんか正常の乱層の倍近くもうちょっとなってて、もうあの即刻絶対安静にしてくださいって言われて。
痛みとかなかったんですか?
ちょっと痛い感じはしたんですけど、でもなんか妊娠初期の症状になんかそんなのもあるって書いてあって、それだと思って。
なんかルンルンで行ったらですね、仕事も即やめてくださいみたいな感じで、結局その動いちゃって、乱層がねじれちゃうと、もう激痛で緊急手術らしいんですよね。
でももうその芝では田舎すぎて手術できる機会がないかったんですね、当時。
今はね、もうちょっと病院もあるんですけど、当時はなくて、どうしても広島とかまでも多分ヘリかなんかで運ばれるかみたいな。
なんで絶対安静ですって言われて、もうそれで仕事もなくなく辞めるみたいな、結局毎日冷蔵庫みたいなところで働いてたので、冷えとかねああいうのもよくなかったんだろうなと思って。
またね、なんかどうしてもね。
体を酷使してたこともあって、むしゃらだったからあんまり自分の体の変化っていうか、むしろね、ちょっと嬉しいことのように。
そうなんです。
いやいやでも、相当辛かったですね、それは本当に。
結構でも振り返ると、ふるさと納税がめちゃめちゃ当たってたんですよ、当時。
なんでもう、お中元時期も朝の7時から夜の11時ぐらいまで、ひたすらその、なぜかカップ詰めが手作業なんですよね。
ああ、そういうところもやってたんだ。
36:01
そうなんです。
そんなこともして、やっぱり結構体は効いてたんだなと思って。
劇務が。
そうですね、本当に。で、辞めざるを得ないみたいな感じでしたね。
じゃあもうそれで仕事辞めてしばらく、通院というか入院とかまで行ったんですか、そうすると。
あ、なので結局手術待ちで、でもね、変なところでは受けたくなかったので、実家が北海道なので札幌の有名なところでやろうと思って。
そしたらもう3ヶ月待ちとかだった、手術が。
でも仕方ないと思って、安静にしていれば大丈夫ということで、ずっとその間泣いてたのかな、記憶が長いんですけど。
でも3ヶ月待ってる間に、なんとなんと卵巣がもっとのサイズに戻ったんですよ、ラッキーみたいな感じで。
そういうこともあるんですね。
あるらしいんです。中が血液が溜まっている状態だったら、そうやって元に戻ることもあるらしいんですけども、異物が溜まっている状態だと、それはないらしいんですよね。
でもそのどちらかというのは、手術して開けてみないとわからないらしくて、手術って言われたんですけど、私はラッキーな方で、たまたま取られずに済んだんですっていう、そんな感じでした。
はい。
じゃあ結局そこで手術はせずに、もう回復して、その後お子さん、今ね息子さんがいらっしゃると思うんですけど、無事に授かって。
その後もですね、なかなかもうできなくて、それからそこからね、やっぱり改めたんですよね。体をちゃんと整えねばいけないと思って。
やっぱりね、もともと卵巣納種とかもあったりして、やっぱり体を整えないと子どもは無理だと思って。
そこから今度はですね、ちょっとゆるくなら働けるだろうっていうので、今度はビーガンカフェのお店のパートみたいな感じで、この飲食店で働くみたいな食用場とか、飲食道元とか、東洋医学みたいな、そんなところに入ったんですよ。
これまでは、とにかく来たら働いてみようっていう感じで決めたけど、今度は自分の体のことをちゃんと整えようっていう、なんかちょっと意思を持って仕事を選びに行ったっていう感じなんですね。
そうですね。なんかわりとそういうのも好きで、結構この辺なんかオーガニックとか、結構無農薬のお野菜とか手に入ったり、なんかね、結構そんな良い環境なんですよね。それもなんか刺激されて。
ビーガンカフェで今度はパートということを始められたという。どうですか?これの働き方に変えたりとか、こういう形で食べるものとかを気にしたりとかする中で、ご自身の体っていうのはだんだん整っていった感じはありました?
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そうですね。そこで働いたおかげで、2年後ぐらいに子供がやっとできたんですよね。結婚してから6年ぐらいかかったのかな。そうなんです。そこですごい整った感があって。
当時はほんとね、味噌とか梅干しとかもね、全部自分で作ってました。ほんとなんかおばあちゃんみたいな。かなりそうですね、こだわってましたね。時々はもう肉食べないみたいなところになっちゃって、でもそれは良くないなと思って、それはやめたんですけども、かなりそこの時は余ってましたね。今は全然です。もうゆるゆる。
そこはそっかそっか。でもね、整ってお子さんもね、こう無事に授かってっていうところで。
フォースキャリアって書いていただけるとなんかかっこいい感じ。ありがとうございます。
ここでお子さんを出産してからもこのビーガンカフェっていうところは続けてたんでしょうか。
そこはですね、やっぱり出産していればまた働けない環境だったので、出産してからはしばらくゆっくりしていて。あ、なお子ママさんこんばんは。ここから聞き始めると、なお子ママさんもあれですね、何を聞いてるんだろうみたいになるかもですが。
そこからの、なぜかですね、友達、知り合いに声をかけられて、職人やってみない?って。
またね、触れ幅ですよっていう。職人やってみない?って。
はい、あの、木地師というですね、木工ろくろっていう、なんて言ったらいいんですかね。
いや、なお子ママさん全然です。嬉しいですね。
よくこう、当機のろくろは、なんでしょう、床に置いてあってぐるぐる回るみたいな。
あれが垂直に、壁にこうついてるみたいな感じなんですよね。機械があって。
そこに木を取り付けて、高速回転する木に刃を当てて掘り削っていく、立ちっぱなしなんですよ。
かなり結構重労働で。なんですけど、物作りがもともと好きだったんですよね。
いきなり物作り出てきたんですけど、実はビーガンカフェの前くらい、島根に来た時くらいからちょこちょこハンドメイドみたいな編み物だった。
染め物とかもかじってて、なんかベンガラ染めとかいう、いろいろ作ってイベントに出て売るみたいなこともしてて。
物作り好きだったので、木の器作る楽しそうだなと思って、また飛びついちゃったんです。後先考えるっていう。
お友達、職人やってみないって言ったお友達は、ゆうかりさんの今までハンドメイドの作品とかを見ていて、何かできるんじゃないかなと思って声をかけてくれたんですかね。
42:08
そうですね。その頃ですね、職人になる工場があるところにですね、糸紡ぎを習いに出たんですよね。
糸紡ぎ?
糸紡ぎ、分かります?皆さん、足踏みで毛糸作るやつです。羊の毛から毛糸作る、カラカラカラーって回しながら、あれを習いに行ってたんですよね。
そこの習いに行ってた隣に工房があったんですよね。木自身の器を作る。そこで誘ってくれた人は、その工房で働いてる先輩になる方で、女性の方で。
その方が一緒にちょっとやろうよみたいな、糸紡ぎをしてる私をですね。木のお皿作ろうや、毛糸じゃなくてみたいな感じで引っ張られまして、そんなんで始めたみたいな。
リンさん、このためのログナーさん、ありがとうございました。
ありがとうございます。私でもそうでした。一覧というか、ザーッとこれ、レターを作っておいたんでした。
ちょっとすっかり、ここまでの経緯をちょっと画面に。
ちょっとすみません、アンさん、時間オーバーしすぎてすみません。
全然気にしないでください。ゆうかさん大丈夫ですか?
私全然大丈夫です。
楽しく喋っていたらすみません。
聞き応えがありすぎちゃって。
リンさん、お間違いなくありがとう。変歴はこの変人の変であってますから、なお子ママさん。キャリア変歴は変人の変でございます。
ちょっと今、レターを表示させていただいて。ちょっと一回おさらいしてみましょうかね。
ここまでのゆうかりさんの。
そうですよね、みなさん心が違いますよね。
社会人の最初のお勤めは、大学の事務職、しかも就職活動をほぼしてないのに就職家っていうところに退属をされるというね。
そこで、ちょっと難しい人に当たっちゃって、事務職がちょっと向いてないっていうところで、転職を決意して。
2社目は、超過酷な女性専用事務のインストラクター、営業的なこともやったけれども、でもおばあちゃんたちとかおばあちゃんたちには、本当に人気者のアイドルのような存在だった。
ここは本当は辞めたくなかったんだけど、後にご結婚する当時の彼だった今の夫さんの元へ。
北海道から島根に移り、そこで最初に働いたのがジェラート専門店で、そこではマネージャーさんとして奮闘されながらも、ちょっと激無から体調を崩してしまい、
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少しお休みをした後にビーカンカフェで今度はパートをして、スカウトされてのハンドメイド作家というか、木工録の記事士に出資したというのが今までのところということで。
ありがとうございます。かずさんもまとめるのが大変でしょ。話しても。
すごい。振り返ってみて、さっきも途中でも私のここの資質がすごく喜んでたっていう話とかも出てたと思うんですけれど、
ゆうかりさん的には、このキャリアが一番自分の中ではぴったりだったなとか、後は今の自分にすごく影響してるなっていうのはどのあたりですか?
やっぱり、南香ママさんもね、おばちゃんたちのアイドルって書いてくれて、本当ね、自分でもなんですけど、本当おばちゃんおばあちゃんので、当時はアイドルだったんです。
あの頃が、やっぱり私も資質が生きてたかな、一番自分が輝いてれたかなっていう。振り返るとやっぱり、ジェラートも結構楽しかったんですよね。接客ですよね。
やっぱり人間関係構築力も多めだったので、人と関わってないとダメでしたね。職人の仕事もハマったんですけども、やっぱり最後は、一日喋らずに終わるみたいですね。ひたすら木を削り続け終わるみたいなのが、やっぱり虚しくなってきてしまって。
人と関わりたいがやっぱりありましたね。
人と関わって、あとその褒めて、人を喜ばせたいみたいな、そういうところがゆかりさんの資質がすごく活かされているお仕事なのかなっていうところなんですね。
そこからはあれですね、ちょっとこのレターの最後の方に表示してしまったんですけど、独立をされるんですね。
はい、そうなんです。
コロナ禍になって、ワンオペでうつになってしまうっていうことがあったと。
そうなんです。
夫さんがこの劇無駄っていう話は、最近の配信でも確かされてたかなと思っていて、とにかく朝も早くて夜も。
そうなんです。
お仕事で、本当にゆかりさんがずっと一人でお子さんを見ていて、子育ても結構つらかったっていうお話もされてたかなって思うんですけど、
こんな中で、どういうふうにストレングスファインダーと出会うんですか?
そうです。兄さんの質問にもあるかな。
ぜひぜひ。
結果的に何一つ無駄な経験はないと思いますが、もし過去に戻れるなら、こうしたらよかったなっていうのはありますか?っていう質問ですね。
48:00
こうしたらよかった、こうしたらよかった。
でも結果ですね、やっぱり全部が繋がって今に来てる気がするんですよね。
なのでなんかすごい後悔とかはなくて、一個一個、なんかもっと長く続けたかったなっていうのはそれぞれあったんですけど、
なんかこれをやって後悔みたいなところはないかもですね。なんか本当に繋がって今に来させてもらったみたいな感じがあります。
本当にリンさん答えになってます?
すいませんみたいな。
なんか触手的にはもう本当に全然違う触手だったり妖怪だったりだけど、経験はなんか生きてずっと繋がってる感じはありましたよね。今までお話聞いてる中でも。
最後のこの職人の仕事をしてたんですけども、これがストレングスにハマることのできた実は、かなり不積でもあったんですよ。実は実は。
そこをちょっと教えてください。
なんとなんとですね、なぜかですね、この給料体系がですね、その工房からお金をもらうんじゃなくて、島根県から助成金が出て育成事業みたいな感じでですね、毎月給料をもらえたんですよ。
それが師匠の手に入り、師匠から私に給料をもらうんですけど、なぜか現金払いだったんですよ。
十何万円だったんですけど。
毎月封筒でね、札束をいただくわけなんですよ。
昭和。
そうなんですよね。それもなかなかですよね。それも入金するのがめんどくさくて、家のへそ送り貯金じゃないんですけど、その札束を貯めていったんですよね。
夫もせっかく自分で、これから工房とか立ち上げるかもしれないし、それは自分の今後のためにとっておきないという感じで、全部その札束を家の中に貯めていたんですよ。
結果200万円ぐらいかな、貯まったんですよね。
そして、でも鬱になってしまい、やっぱり私はこれじゃない、職人ではない人と関わりたいってなったのは、ストレングスと出会った時か。鬱の時に認定コーチの方に出会ったんですよね。
もともとストレングスファインダー知ったのは、かつま塾っていうコミュニティに入ってまして、かつま、かずよさんのですね。
はい、知ってます。
どこからかな、youtubeかなんかで見て鬱の頃に、なんかもうこの現状から抜け出したくて入ったんですよね。
で、皆さん当たり前にストレングスを出されてて、出したけどわけわからず2年ぐらい放置していて、その頃に認定コーチの方に出会ったんですよね。
それは子育てでつらいってなってる時に、そこから抜け出したくてのかつま塾で、そこの中で皆さんがストレングスファインダー受けられてたから流れで受けたけど、そこでその当時は止まっていて、その後にそのコーチの方と出会うんですね。
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はい、もうなんか職人やってた頃からだいぶもうちょっと精神的に病んでる感じもありまして、もうちょっと後半は休みだったり、北海道一旦帰ったりとかなんかしながら、やっとまあ終えたみたいな2年間の研修だったんですけど、終えてもう独立前に完璧になんかもう動けなくなってしまって、その時期に出会ったんですよね、その方に。
それはなんかこう、ネットとSNSとかで見ててっていう出会いですか?
そうですね、どこからか、ほんとその時期の記憶がなんかうつろなんですけども、なんかググっててパッとその方が無料でなんか見ていただけるみたいなストレングスの解説をしてもらえるっていうのがあって、せっかく出したし、全然わかんないで放置してるから見てもらおうぐらいの明るい気持ちだったんですよね。
申し込んで実際見てもらったら、ゆうかりさんの中でガラッと何かが変わるようなことがあった。
そうですね、もう当時はなんかすごいでしょ、島根県ってもうなんか3人とか4人とか子供当たり前で、ほんとね、7人の家とか信じられます?何年前ですか?みたいな。
ほんとそんな感じの中、私は1人の子育てもまともにできない、なんかすっごい自分を責めてたんですよ。自責の念だらけでダメな母親、何もできないみたいな、できないとこしか見えてない私に、なんか当時のそのコーチの方が、ゆうかさんこんな才能持ってますよ、こんなこともこんなこともこんなことも強みなんですよっていうのをこう使っていかないともったいないですよっていうのを教えていただいて、
なんかそこで、なんかすごいでパーっとフルカラーになったというか、なんかほんと泣きそうだぐらい嬉しかったのを今でも覚えてるんですよね。
じゃあその出会ったコーチの方は恩人のような存在ですね。
そうですね、結局その方がコーチングプレイスということで後にコーチングの資格も取るんですけど、その方、そこの代表の方だったんですよね。
そうなんだ。
そうなんです、なんです。で、今ストレングスをやる、なんかストレングスファインダーでやりたいんだったらやっぱりコーチングの資格は持っておいた方がいいよっていう流れでそのコーチングとか受けるんですけども、結構な金額するんじゃないですか。
はい、私調べたことあるので。
ストレングスファインダー、コーチングの資格がお二方万円ぐらいしていて、で、実はその認定コーチも受けるんですけども、認定コーチの前にもストレングスラボっていうところで基礎から応用とかいろいろ受け、それも結構お二方万円ぐらいかかってるんですよ。
で、私ってほんとケチな人間でお金出せない人間だったんですよ。
なんですけど、なんで思い切れたかって、その札束200万円があったからなんですよ。
目の前に現金があったから。
目の前に。で、私この札束全部自分に投資しようって決めたんですよ、その時に。
54:02
へー。
もうなんか物買おうとかじゃなくて、私が成長するためにこれを全部使い切ろうって決めて、なんでガンガンその後、あの講座を受けまくれたっていうところがあったんですよね。
そのお金がもし振り込みで銀行にあったならば、全然違ったんですね。
たぶんしてなかったと思います。
ケチなので。
あ、天夏さんこんばんは。
ねえ天夏さんこんばんは。
なんとかこんな遅くにありがとうございます。
ねえねえ、お家から復活してくれてありがとうございます。
ありがとうございます。
そうなんで、すべてがこう繋がってこれたんだなっていうのはすごく。
はい、ありますね。
いやーなんかちょっとあの、なんていうんだろう、ゆうかりさんをね、こうなんかストレングスファインダーになんか導かれているようななんか、そうちょっと鳥肌が立っちゃいましたけど。
えー嬉しいです。
そっかじゃあその、もうこれが自分のために使おうって決めたお金で学びに、本当に投資にこう使って、ストレングスファインダーだったりコーチングを深めてこられたんですね。
そうですね、なんかもう必死でしたね。
なんかあの本当はバリバリ本当にキャリアウーマンになりたいってずっとなんか小学生ぐらいから思っていて、でもなんかふと子育てしてて蓋を開けて気づいたら、なんか周りの友達とか大学時代の友人もみんな輝いてる中で、私今ここで何してるんだろうみたいな。
今なんか本当になんか自分の中でラストチャンスみたいな感覚があって、今本気で何かやり出さなかったら本当にこのまま人生終わっちゃうってなんか思ったんですよね、その時。
この200万円でなんかこう、再起を果たそうみたいな。
なんかかなりそこで最後のチャンスだみたいな人生のスイッチが入った感はありましたね。
なんかそこまでこう奮い立たせてて、ゆうかりさんを奮い立たせてたものは何なんだろう。
単純にストレングスファインダーにハマっちゃったんですよ。楽しくて楽しくて勉強すればするほど、なんだろうこの面白いものはっていう、なんかもうそうなんですね飽きがこないというか、なんか知れば知るほどもっと勉強したくなるというか。
これはなんか知らなきゃ損でしょっていう、私のような人にこそ、何て言うんでしょう、当時ストレングスファインダーってどうしてもビジネスの世界で大企業で社員が受けさせられるとか、そういう組織の中でどうこうより
すごく強くありましたね。
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なんかすごい思いの強さみたいなのがめちゃくちゃ。
なんか人生の中でここまでガッとハマって探求したことって他にありました?
あ、なかったですね。やっぱりなんか好きでやっていて、ここまでこの周りの方からありがとうとか感謝されるっていうこのレスポンスが、なんかこんなにあったことは人生ではないというか、好きでやっててもそのハンドメイドなんかも楽しくてやってたんですけど、そこまでの感謝されたり、誰かの反応というかなくて、
なんかこんなに私がただ好きなことをやっているだけでストレングスという、こんなに喜ばれるんだっていうのは、なんか人生で初めてこうハマった感じがありました。
じゃあそこの、それに出会って夢中になって学んでいるうちにその鬱から抜け出せて、自分を取り戻していく感覚があったんですか?
そうですね。もう気づいたら、あれ私そういえば鬱だったよなみたいな、なんかそんな感覚ですね。コーチングがすごく良くて、講座を受けてコーチングの技術も学ぶんですけど、結局自分とめちゃめちゃ向き合う時間が多いというか、自分もコーチングを受ける回数がすごく多かったので、練習の中で。
そこでもなんかどんどん整っていき、やりたいこともクリアになっていきっていうのもすごく大きかったですね。
私ゆかりさんの配信を聞いていてね、結構初期の頃だと思うんですけど、ストレングスを知ってから苦しくなくて楽しいみたいなことをおっしゃってたのが、そこまで変わるってすごいなと思って。
そういうふうに思えるからこそ、なんかこの良さを伝えたいみたいなね。なんか、より誰かにっていう思いが強くなって、今は本当にね、もっとたくさんの人にっていう思いでやってるんだろうなと思ったので。
なんか、今の話が聞けて、やっぱそうだったんだなと思って。
嬉しいです。ありがとうございます。
でもやっぱり苦しんでたのが、やっぱり人間関係だったんですよね。結構私の資質を見ても、他人を気にしてしまいがちなものが多くて。
勝手に自分で苦しんでたところもあったりして、きつい人間関係もあったんですけども、結局ストレングスファイナルを知ると人間関係がめちゃめちゃ楽になるんですよね。
この当たりがつけられるようになる。この人、こんなこと言ってるけど、もしかしたらこの質があるからかな、仕方ないかなみたいな、逃げ道ができるっていうんですかね。
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そこでぐるぐる考え込んで、ショックを受けたり傷ついたりっていうことが本当になくなって、人間関係が楽になったのと、あとは自分のその得意を、才能を伸ばしていけるっていう。
本当この2点の利点がすごく強いなっていうのは感じました。
なんか私もますます深めたくなっちゃいました。
たくさんこのスタイフでもいろんな方とストレングスの対談をされて、これからはもうすぐ認定コーチの資格を取りに行って、いよいよゆうかりさんのサービスみたいなものをこれからリリースされていくと思うんですけれど、今はどんなビジョンを持っていますか。
そうですね、来週からね、もう認定コーチ、なんでしょうね、そうだそうだと思って。なんかのんびりしてたら、あら大変と思う。認定コーチを取って、5日間ぐらいの講座なんですけども、受けてその後にもちょっとなんかこう提出課題だったりテストがあって、8月いっぱいで取れるかなっていう感じなんですけども、落ちなければですね。
9月からはあとかりんさんからもね、コンサルとかをしていただいて、やっぱりちゃんと有料化にして、これをちゃんと仕事として長く続けていけるようにしたいなって思っていまして、なんですけど結構私のワンオペ子育てのネックなところがなかなかまだ現在進行中というか解決されていなくて。
なかなか一人で、何年生でしたっけ?
そうなんです、1年生ちょうど。
まだね。
まだだったので、なんかほんと環境がガラッと変わって、今までは保育園でずっと預かってもらえてたんですけども、ほんとなんか学童も会うところがなかなか田舎で数も少なくなくて、家で今も結構見なきゃいけない状況なんですよね。
そうですね、そんなこともあり、何か夫に任せるっていうことがほぼほぼできないので、なんでさっきも聞いていただいてた泉澄さんと室澤さんがサポートというか入っていただきながら、そのいただいたお金の一部をお支払いしてサポート業を。
室澤さんはアドバイスだけかな、泉澄さんがやってくださったりという形で9月からはサポートもしていただきながらの、今までのようなストレングスの読み込みだったり、あとはパートナーストレングスですかね、家族の絆をストレングスで深めていって、
より皆さんがやりたいことに集中できるような基盤を整えるみたいなこともしたいですし、あとはコミュニティを作りたいんですよね。泉澄さんが人妻だおっていうコミュニティを運営していらっしゃるんですけど、その他にストレングス専門の部屋というのかなコミュニティを作っていただいて、そこでより皆さんがストレングスを深めてもらったり、私も今後いろんな講座をやっていきたいなと思っていて、
1:03:20
もともと勝間塾の中で、勝間塾は好きにいろんなイベントを自分で組んで講座だったりできるんですよね。ただでやるんですけども、その他にもいろんな講座を実はやっていて、そんな感じで、そのコミュニティでその場として使わせていただこうと思って、いろんな講座をやる中でどれが重要があるのか、皆さんが求めていらっしゃるものなのかを、そうなんですね、小沢さん。
小沢さんの中で、そうチャンネルを作ってもらえることになって、その中でストレングスも皆さんに深めてもらいながら、私もまたそこから仕事としてどうストレングスを広げていけるのかを。
小沢さんありがとうございます。そうなんです。ちょっと模索していきながら、本当なんかね、全然決まってないんですけども、大体この適応性なので、動きながら何かこうやりたいこととかが見えてくるかなっていう勝負な気がしているので、今後もそんな流れになるかなと思います。
そうか。チームゆうかりみたいな感じで、ここにいらっしゃる泉住さんと丸ゼロさんと。ありがとうございます。なんかめちゃくちゃワクワクするし。
本当にこう、今までのいろんな経験からも言えるように、きっとね、これって型に決めるより、ゆうかりさんおっしゃったみたいに、いろいろいろいろやりながら、トライアンドエラーでやっていく方が、きっとゆうかりさん自身もワクワク楽しくやれるのかなって。
なんか本当コミュニティとか、講座っていうのもすごくいいですよね。ぜひぜひ。
皆さんにもストリングスの知識をどんどん深めてもらって、もうこうナチュラルに使えるというか、ところまでとか、あとはそのコーチング的なところも、ゆうてもやっぱり私もストリングスを、今でもまだまだかなっていうところもあって、使いこなせるってなるところまで伴奏したいなっていうのもあって。
やっぱり希望してくださる方には、個別で一人一人何ヶ月みたいな感じで、コーチングとかも必要かななんていうのも思ったり、いろいろ模索しております。
なんかやりたいことがどんどんどんどん出てきそうですね。
そうなんです。
それをやりながらもまだまだ学びたいみたいな、そういう学習欲もね、きっとあるでしょうから。
そうですね。
なんか私のやりたいところが、例えば企業だったり、何か自分の新しいことを始めたいとか、今の職場で働かれていても、例えば管理職を目指したりとか、いろんな方を応援していきたいんですけども、なんか具体的にじゃあどうするかみたいな、そういうコンサル的なところは、かりんさんとかね、いろんな方がいらっしゃると思うんですよね。
1:06:27
なんか私はそこではなくて、やっぱり皆さんがやりたいとかなりたいに走り出したい時に、やっぱり自分の才能をしっかりこう知ってマスターして、そして家族の夫婦関係だったりも、すごくそのストレングスで円満な状態だったら、本当に走り出した時の加速度が絶対違うと思ってるんですよね。
私はそこを整えることをさせてくださいっていうのをすごくしたくて、なので皆さんが走り出す前に私に整えさせてくださいみたいな、そこをやりたいなっていうのがすごく最近クリアに見えてきて。
いやー、整えてくださいっていう授業がめちゃくちゃあるんですね。走り出す前にっていうね。一度整えてから。
なんかこの間もお伝えしたんですけど、すごい私も今までの人生が結構苦しい時って、下りのエスカレーターを頑張って走って登ってる感があったんですよね。
そうじゃなくって、ストレングスをこう知って、自分もしっかり知って使いこなせたら、本当登りエスカレーターをスーッと登っていけるような感覚、私自身もストレングス知ってから今ここに来るまでが、なんかすごい早かったなっていう感覚があるんですよね。
しかも楽しく、なんかこう楽に来れてしまったというか。なので本当に今時間も手も足りていない、もうね、なんかそういうママさんとかパラフォーの皆さんにこそ、なんか楽にエスカレーターを、登りを行ってほしいなっていう、なんかそんな気持ちがありますね。
いやーね、本当にあの、天夏さんもゆうかりさんの9月以降のサービス楽しみになっています。
嬉しいです。
ありがとうございます。
本当にビジョンが明確になってますねっていうところで。
ありがとうございます。
なんかいろいろとこう悩んだりとか葛藤とかも配信の中でもおっしゃってたかなって思うんですけど、そんな中でも本当になんか明確なビジョンをお話してくださって、いろいろと考えて今はもうだいぶこうよしやるぞっていう気持ちで。
そうですね、本当これなんかスタイフを始めて、なんか私SNSとか全くやったことない人間だったでしょ。
ツイッターすら、ツイッター時代からもうやってなくて、フェイスブックぐらいしかやってませんみたいな。
1:09:02
スタイフというツールに出会って、皆さんに出会って、なんかその中で本当にビジョンは固めていただいたみたいな感じがすごくあります。
はい。
本当に楽しみですね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
こちらこそです。
ちょっとすいません、時間を私オーバーしてお話ししちゃってますけども、ちょっと大丈夫ですか。
私は大丈夫です。あずさもう私がオーバーしてるんです。
いやいやいや。
しゃべりすぎですいません。
もっと聞きたい。
本当にもっともっとっていうところ。
いや本当に。
すいませんなんですっていう。
ちょっと最後の方にお決まりの質問をしていきたいなって思うんですけど、ちょっとこの会談の中では皆さんに人生に影響を与えた出会いとか言葉をお聞きしてるんですけれど、ゆうかりさんの出会いとか言葉のお話があったらぜひ教えてください。
いいんでしょうか。なんか3つぐらいとか多すぎますか。
ぜひ教えてください。
1つ目は私が講座を受けまくってた時に、自己基盤講座とかっていうのがあるんですけれども、自分の基盤を整えるっていうですね。
なんかこういろんな10個ぐらい項目があってなんですけども、そこの日本の第一人者の近藤真紀先生っていう方に直接教えていただいた、私がなんかモヤモヤしてなんかグルグルなんかメンタルグルグルみたいな本当落ち着いたときにかけていただいた言葉が、やりたいこと、できること、頼まれて嬉しいと思うことだけとりあえずやってごらんなさいみたいな。
他は考えなくていいからって言われたんですよね。
本当なんか最初全然行動できずに頭でばっかり考えて動けなかったときにこれだけをひたすら考えてたらなんか動き出せたみたいなところがありましたね。
はい。やりたいこと、できること、頼まれて嬉しいことをとりあえずやってみる。
いいですね。
これなんか後々当時わかんなかったんですけど、なんか今思ったらやりたいことは自分の好きなことですよね。
そうですね。
できることがやっぱり才能とかその強みとかっていうことになるんでしょうね、きっと。
そうですね。
この3つを意識してたら本当にうまく回りだしたなっていうのはすごく感じました。
ありがとうございます。じゃあちょっとあと2つ目と3つ目もぜひ。
そうですね。
次はですね、うつのときにモノクロカラー、フルカラーにしていただいた認定コーチの花輪秀明さんという方なんですけども、
とりあえず食べれても食べれなくてもいいから、目の前に人参ぶら下げておいたらいいって言ったんでしょうね。
馬です。私は馬となってですね、人参をぶら下げて、とりあえず走り続けろと。
結果にこだわらなくてもいいから、行動にこだわりにこだわらなくてもいい。
当時なんかすごい私の最上志向だったのか、なんかまだまだいやもうちょっとこう。
1:12:00
あの、もっと自分がより成長し続けているかとかですね。
そういうのをあたりにしていたんですよね。
ばいいんだよって言われたんですね一杯 しても結果は何でもいいから人参めがけて
とりあえず走り続けてれば絶対なんとかなる からって言われて
とっ 王子なんかすごい私の最上志向だったのか
なんかまだまだやもうちょっとこうあの もっと自分がより成長してからみたいな
報道に寄せないところがあったんですよね でもその方が3割でいいから3割できたら
事故だって言われてさらにこの背中を 強くをしていただけてまたコードに
伏せたかなぁみたいなところがありました ねはい
確かに何か整ったらとか準備ができたら って思うとなんか全然前に進めないけど
とにかく走り続けてたら 何かしら変わりますしね
ここでかなりポーチははい内製ぐるぐるで 考えてばっかりで動けない問題でした
ねいや私も結構それ身長 身長がすごく上位なんですね身長さ
ねはい 結構なんかちゃんとしてからとか
はい大丈夫って安心してからみたいな感じ だからですよこれめちゃくちゃ響きます
ね
やゆうさんさん3割かしたんですよ 最初その方に6割って言われたんですよね私が
確か配信で6割で実行したらいいみたいです ってスタイフで配信したんですよそしたら
なんか次のなんかその面談であった時にあ 間違えました3割でしたって言われて
半分になっちゃった3割ですかみたいな 本当になんかだいぶそれで軽くなりました
ね ある意味見切り発車でいいってことです
よねそうですねはいそれが多分言いたかった と思いますいうことですね
ありがとうございます はいじゃあもう最後の一つですね
しつこいでもいやいやお願いしますこれは 私の大ファンのストリングスパイダーをね
日本に持ってきた森川さとみコーチっていう 方この方がいたからストリングスパイダー
が日本に広まったって言っても過言では ない伝説のコーチの方がいる足を向けて
見れない方ですね そうなんですもう本当にその方が
で私が目指すその方がめちゃめちゃ面白い 方なんですよ
すっごい面白くストリングスを教えて くれるなんで私も楽しく教えたいという
のがあるんですけども その方が自我には自分のステージが
必要って言ってくださったんですよね 私自我支出があってやっぱり自分が
輝くための居場所場所があってそこで ひたすら高校とし続けるんだっていうのを
聞いてでも私も自我に関係なくや誰でも ステージいるよなって思ったんですよ
何かここなら自分が頑張れる居場所を 見つけてそこで行動し続けてたら何かが
絶対変わるって思ってそれをやっぱり なんか
1:15:02
アラフォーマー皆さんにも一人一人の ステージを見つけてそこでこう頑張れる
ところに私も応援したいっていうのも自分 と
なんかこれからその自分が役立ちたい 人のためにもなんかこの言葉は本当に
忘れられないなあっていう感覚があります そうですねでもそのゆうかりさんがこれ
から出していくサービスの中でその人が 本当の意味でこう輝けるというか強みを
生かして活躍できる場所をなんか一緒に 見つけてあげていけるような感じがする
本当にピッタリの言葉ですね
ありがとうございます
なんかどの一つ目も二つ目も三つ目も めちゃくちゃ私にも響きました
本当ですか
俺もです
ありがとうございました
この森川コーチに会いに行ってたんでしたっけ
そうです森川コーチの
ストリングスラボっていうところを 立ち上げたのが森川コーチなんですけど
10周年記念というのが札幌で札幌の出身の方で
ありましてそこにビューンとね行って
カリンさんの独立パーティーと悩んだんですけど
っていう感じで悩ましすぎた
そっかそっか
ありがとうございました
ありがとうございます
皆さんも一緒に今日はゆうかりさんの
本当にこうフォースキャリアまで行きましたかね
なんかすごく
本当にすいませんりんさんみたいな
大変ですよね
でもそれがなんか最後まで聞くと
結果こうやっぱりずっとつながっていて
なんか今のゆうかりさんを作ってきた要素でもあるし
そこからさらにストリングスに出会って
なんかゆうかりさんの中の
なんて言うんでしょうかもう才能みたいなのが爆発して今
またそれをさらに
今度は誰かのためにっていうところに来ているのかなと思って
ありがとうございます
サービスを提供されたらもう
花池荒く真っ先に申し込みをしたいと思っていますので
ぜひよろしくお願いします
じゃあ最後にちょっとこの
今日の感想をお聞きして
締めていきたいなと思うんですけど
いかがでしたか
本当にまさにありがとうございます
なんて言ったら通じるんだろうっていうぐらい
結局なんか今本当にこうやって一緒に振り返らせていただいて
こんな振り返ること今までなかったんですよ
本当につながってたんだなっていうのが
今気づきましたね
全部無駄じゃなかったんだっていうのが
本当にあずさんの質問と深掘りさせていただく中で
本当に気づかせていただいた
より自分の中で何かビジョンとやりたいことが
本当にあずさんのおかげで強固に固まったという感じと
もうこのあずさんの雰囲気ですよ
何でしょう
お母さんお母さんみたいな
1:18:00
全部身を預けて甘えちゃっていいですかみたいな
本当に年齢的に言ったら怒られると思うんですけど
そんなでかい子供はいらんみたいな
本当に癒されて本当にリラックスして
気持ちよくお話しさせて本当にありがとうございました
ちょっとすっぽんっぽんになって風邪をひかないように
なりきりました
ありがとうございます
貴重なお話も聞かせていただいて
いっぱい辛い経験とかもあって
でもそれを乗り越えて明るくいるゆうかりさんって
本当にすごいなと思ったし
ますます大好きになっちゃいました
あずお母さん
あずお母さんですもん
今日から私の中で
本当ですか
昔から母性があるっていうのはすごくて言われて
ちょっとコンプレックスだったんですけど
なんかもう受け入れませんでした
なんかなんだろう
なんかコンプレックスがあったりしてたんですけど
いやいやいやいやもう引き込まれます
あふれ出てます
あふれ出てます
本当にもう甘えさせてください
母乳が出ないように気をつけないといけないですね
もう大変
いやもうもうもう
もう抱きつきます
りーさんまだ全然
りーさん本当に
りーさんありがとうございます
りーさん本当にいっぱいまとめていただいて
ありがとうございました
皆さんも最後までありがとうございました
りーさんごまんぼさんも最後までありがとうございました
ゆうすけさんも
ゆうすけさんもありがとうございます
そしたら皆さんね
ゆうかりさんがいよいよ来週ね
認定試験を受けられるということなので
最後にちょっとみんなでゆうかりさん頑張って
っていうエールを送ってお別れしていきたいなと思うので
絶対に合格間違いなしだとは思うんですけど
ぜひ楽しみで
これ落ちたらシャレにならんって言わな
大丈夫大丈夫
ゆうかりさん試験頑張ってください
ゆうかりさんファイト
すごい嬉しい
ありがとうございます
皆さんにパワーをいただいたので
頑張って受け止めて
来週頑張って合格間違いなしですということなので
嬉しいです
本当に皆さん
イスミレイさん
りんさん
なおこママさん
ゆうすけさん
山夏さんも最後までお付き合いいただいて
本当にありがとうございました
ゆうかりさんも本当にありがとうございます
ありがとうございます
またぜひ今後もよろしくお願いします
またお話しさせてください
皆さんもありがとうございました
ではこれで終わりにします
ありがとうございます
では皆さん失礼します
失礼します