1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. チッペさんゲスト#3~思い込み..

チッペさんゲスト回の3回目

女性が話したくても男性が受け入れないイメージがある?

余裕が無いというファクターがあって、相手のことを考えるところまで行けない

メタ認知して思考を広げた時に大抵のことはちっぽけだと、立ち返る瞬間があればいい

時代や国によって男女の役割がパッキリ分かれていた経緯もあり

社会的にそうあるべきという動きへの違和感や、平等と公平の違いもある

バイアスがかかり過ぎるって危険性にも意識を向けた方が良くて

相手との感覚の違いを擦り合わせる必要があるが、自分の気持ちに気づいてないような…


収録日:6月4日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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サマリー

ポッドキャストでは、性別の問題について話し、女性側へのバイアスや男性側の出しゃばりについて考える。また、シュウとショウは未知の理への道のりについて対話している。

男性と女性の対話の差異
シュウとショウの未知の理への道のり
シュウとショウの未知の理への道のり
この番組は、文字通り、シュウとショウの気が向いた時に
適当に好きなことを話しながら
まだ知らないことあり、つまり
未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、二人のむちっぷりを探すだけの気のままな旅
ゆるーくお付き合いいただけたら、うれしいです。
前回からの続き
時代というか
男性でそういうふうに対話が大事って
考える人ってどれくらいなんだ
ごめんなさい、また男性とか言ってしまって
現実にありますから、男性っていうのは、世の中に
私の少ない経験の中でやってますからね
女の人は話したいと思っても、男の人が受け入れないのは
あるあるなイメージがありすぎてしまってですね
ついちょっとそういうふうに言っちゃって
だから素晴らしい
目の当たりにさせていただきました、ありがとうございます
そういう方はおられるだろうなーってふんわりは思ってますけど
おられるんだ
うれしいです、とっても
それは、でも、なんていうか
あれですよ
自分のため、自分のためですからね
そうそうそうそう、それは
自分のためというか
男性と女性の性別の差異
ですです
自分のため、あなたのため、自分のため
こうじゃないですか
だからその
古い世代の男の人の話で言うと
そう思ってないから
寄り添わなかったり、受け入れなかったりするの?
ってことですか?
そればかりではない
基本的には
僕としてはですね
基本的に
選んで近くにいるわけじゃないですか
寄り添いたくないとか
受け入れたくないとか、対話したくないみたいな気持ちは絶対なくて
でしょうね
それがうまくいってないだけ
っていうのが多分大前提としてあるとは思うんですけど
そこにやっぱり余裕が
精神的な余裕があるかっていうのは結構大きいファクターだと思うんですよね
結構、ともすれば
いろんな仕事だったりなんかですね
そういうので余裕がないと
子供たちに大きな声を出しちゃったりするときもあるし
何かしらそこの余裕がないと
相手のことを考えるというところまでなかなかいけないし
そもそもこの社会が余裕がないふうになっちゃってるというか
そこら辺を
修法とか聞いてですよ
急に出てきた
今の資本主義社会の術っていうのはわけじゃないし
もっと大きなところで考えたときに大事しないといけないことだったりとか
そういったところに目を向けられるようになればですね
だいぶ違うと思うんですよね
そういう意味で古典ラジオとかも
メタ認知みたいなところは
余裕ができやすいというか
正直自分が今勝手に余裕がないって思い込んでるだけで
思考を広げたときに
何でこんなことでテンパってんだろうとか
いっそ焦ってるんだろうとか
男女平等の社会的な動き
大抵のことちっぽけですもんね
でもそれでも日々のことで
頭が支配されちゃうんで
そこに立ち返る習慣だったり
きっかけがあるとですね
だいぶ違うんだと思うんですけど
だから言いたかったこととしては
そもそも
どういう年代の人とかっていうのを置いておいて
みんなそうしたくてしてるわけじゃないし
なりたくてなってるわけじゃない
だと思うので
そうですね
そんな感じ
ありがとうって
そうですよね
しょうもさんが途中で言われた余裕があるない
余裕が世の中に生まれてきて
しょうもさんみたいな風に
考えることができる人が生まれる余白が
世の中にできたっていう風にも思えていて
途中でちっぺんさんが男性とか言っちゃったっておっしゃいましたけど
今は男性と女性をあんまり
差別的に扱わないようにする余裕が出てきた
そもそも男性が優位だったことが
正しい間違ってるっていう判断はあんまりしたくないんですけど
ただその中で
悲しい思いをしてきた女性がいっぱいいたってことにはもちろん
好き嫌いっていう表現もまたあれですけど
自分の感情として目を向けたい
それこそ自分が目を向けたい部分ではあるんですけど
そこのところが
なんか最近すごく難しいなと思っていて
今そういう風な時代的にそういうことを考えられる余裕が出てきたから
考えられるんだなっていうことをすごく僕は意識して
いろいろ考えられるんですけど
すごく僕は意識していて
映画で台湾を日本が占領していた時期があるんでしたっけ?
僕ちょっと歴史が詳しくないんですけど
日本が統治していた時代がある?間違ってたらごめんなさい
なんかそんなのありますよね
だと思うんですけどその時の日本が台湾を占領した時の話だと思うんですけど
見たんですよ
セディック・パレっていう映画かな?
真の人みたいな意味なんですけど
セディック・パレっていうのが真の人っていう意味なのが
台湾語ではないのかな?わかんないけど
原住民みたいな人なんですよね台湾に住んでいた
だからそれが…わかんない台湾語だったらごめんなさい
本当に弓矢とかで猪とか鹿を捕って暮らしていた
いろんな部族がその場所にいて
そういう部族たちを日本軍が侵略して占領していく中での
最後の抵抗を描いたような映画だったんですけど
それを見ると本当に男は役割として狩りに出て
狩りで獲物をいっぱい取ったりだとか
別の部族の人の首を取ったとか
そういうことがめちゃくちゃ評価されていた時代というか
そういう部族だから世界全体の時代という意味で言うと
だいぶ最近なのに昔からの流れが残っていたと言えるんでしょうけど
その中では基本的に男性女性の役割がぱっきり分かれているように
僕から見ると見えるんですよね
それが自然だったんだろうし
その中で本当にそういうコミュニケーションが大事とかいう価値観は当時なかっただろうなと思って
それをやってたらむしろ生き残れなかっただろうなとか
でもそういう流れが多分日本にも昔あっただろうし
それは多分遺伝子的にすごく残っているんでしょうけど
今は時代的に余裕が出てきたからそういう形にこだわらなくても
似たような動きを男性も女性も似たような動きをしていても
それが可能になってきたっていうことであるような気がして
でもその過去の流れみたいなので未だに色濃く残っちゃっている部分みたいなのに対して
単純に善悪みたいなので切り捨てるっていうのが
ちょっと僕の中ではその映画を見た時にまたさらに違和感が残ったんですよね
それはそういう昔の風習を残していこうとかそういう話じゃなくて
そういうことをちゃんと踏まえる人が増えた方がいいんじゃないかなっていう感覚
それを踏まえた上で自然なそれぞれの今の時代に
自分の気質だったり性別もそうですけど
それに合った形でみんなが対応の中で
それぞれもう今は余裕が出てきたから傷つけ合わずにやっていけるんだったらその方がいいよねっていう
新しい形を探していくときに
そういう過去の流れみたいなものもちゃんと把握した方がいいんだろうなっていうのをその映画見てすごく
思ったっていうなんかちょっと
うまく言えたかわからないですけど
そういうことも最近思ったりしてますね
その辺も難しいですよね
結局やっぱそこ
社会的にそこを意識しようねみたいな動きっていうのは
社会的っていうよりも個人ベースで社会現象みたいになっていくっていうのは健全だと思うんですけど
社会的にそうあるべきだみたいな動きがちょっと今はあって
それはそれでそれぐらいドラスティックにしないと虐げられてるというか
虐げられてると言うとまだ違うかもしれないですけど
当然の権利だと思えるようなことを受けられなかったりとかっていう場面もあるんでしょうけど
結局その当事者がどう思ってどうしたいかっていうのってそれこそやっぱ対応だと思ってて
本当にそう思う
それも場面場面だと思うんですけどねTPOだったり
なんかあんまりこうカチッと論事入れるべきで論事入れるものでもないなとやっぱ思ってて
極端な話すると本当に男女平等みたいな話からしたときに
すっげー重たい荷物とかを運ぶとかっていうのに
本当に同じように何をもって平等というかですけどね
だから平等っていう言葉を使うんであれば
それぞれの筋力体力に合わせたものを運ぶっていうのが平等っていう意味になるかもしれないですけど
また平等と公平みたいな言い方もあるじゃないですか
よく例に出されるのが
平等の方かな
平等が例えば客席から何か試合を見たいというときに高さの踏み台が身長が違う3人がいて
それがみんな同じ高さになるように踏み台の高さを変えて支給するのが公平でした
みんな同じ高さの台を分ける方が平等という話になるんで
じゃあさっきの話からすると男女平等みたいな言い方すると
それは多分あんまり個人的にはサブ好きな世界ではないし
一方で自分の意思としてどう思うとかっていうよりもちょっと善悪的な社会的に今そういう流れになってるから
何て言ったらいいんだろうな
本来は男性も女性も公平に会った方がいいような状態が
思い込みの差異
女性側にバイアスがかかりやすい状態になるかなみたいな感じもあったりしてて
あんまりそこを行き過ぎるとどうなんだろうなと思うところもあったり
難しいですね何て言っていいかちょっと伝わってるかわかんないんですけど
身の回りのことで思う男からすると
例えば親戚付き合いというかその中でいろいろ
大丈夫かな
なんかチカチカなりましたね
なんか食事とかいろいろして
なんかこう衰事系のこととか何か肺腺とかっていうのが結構女性の皆さんが率先してやってくださったりするわけですよ
それは全然そういうのが当然という話じゃないから
この動くべきって言ったら個人的には動いた方がいいなと思うんですけど
動いてくださる女性からした時に動いてほしくないみたいに思われる女性もいたりするかなというので
なんかこう女性像としてこうありたいだとか
プライドとかって言ってもいいのかもしれないですけど
っていう場合もあったりする気がしてて
どこまでこう出しゃばっていいかっていうのが
出しゃばっていいかっていう言い方もあるんですけど
そこを気にしたりする時があって
そこのところどうなんですかねどうなんでしょう
それこそコミュニケーションな気が
結局そこはもうだから本音を普通に話してどうしたらいいですかっていうのが一番いいんですけど
これもあんまり本当はオープンでは出さない方がいいかもしれない話なんですけど
僕今から言う話が
コミュニケーションと思い込み
ただ今はそれをフラットに冷静にこういう風な状態だったなって過去を振り返るっていうただの事例として話すんですけど
僕はですね食卓を同時に囲むことが一番望ましいと思っていたタイプだったんですね
それに対して上さんは温かいうちに食べるこれが史上名題だったところがあって
多分お互いにそういう風に育てられたんだと思うんですよ
で上さんはその台所にあんまり立ち入ってほしくないというか手を出してほしくないというタイプだったんで
皿洗いとかそういうのは全部手伝ったんですけど
その料理に関しては一切こうむしろこう任せてほしいというか
冷蔵庫とかもあんまり触らないでほしいみたいなスタンスだったんで
それは全然僕は合わせてたんですけど
だから料理をするのも上さんになるんですよね
だからその料理をして食卓に出すんですけど
やっぱり一気に全部をバーンと出せないじゃないですか
順番に出来上がってくるじゃないですか
上さんとしては温かいうちに食べてほしいから
出したそばから食べてほしい
私は一番最後に食われるからそのタイミングで自分は食べるから先に食べ始めてって言うので
そこを大事にっていう感じだったんですけど
僕の中では冷えていっても全然一緒にいただきますして一緒に食べる方が幸せっていうところで
そこはなかなかずっと折り合いがつかなかったっていうことはありました
僕もすごく未熟でした反省してますみたいな話です
全然なんも危ない話じゃなかったでしょ
そうですか
ごめんなさい
それは皆さん女性って言ったらあれか
ご飯作る方というかご飯を作られた方は
たぶん温かいベストな状態で食べてほしいっていう思いはやっぱりあると思います
うちのセラビもやっぱり温かいうちにっていうのを結構言ってるので
一番美味しい時に食べてほしいってことですよね
だと思います
しゅうさんの気持ちもすごくわかる
そんなに冷えててもみたいなむしろ冷飯の美味しさみたいなのもあるよねみたいな
これわかります?冷飯の美味しさってありますよね
わかりますよ
歯ごたえが増すしみたいな
石飯とか冷えてるのが好き
ぐらいだから全然待ってるし一緒にいただきましょうみたいなのを僕は結構言い続けた方でしたね
なるほどですね
面白い
例えば私のパートナーに言えば温かいうちに食べてって言ったらありがとうって食べちゃう人ね
それだったらよかったですよね
噛み合ったんですね僕のとこも
僕も全然先に食べちゃいますよ
でも子どもたちも早く子どもたちのご飯を済ませたいっていうのもあったりするんですけど
しゅうさんの話聞いて確かにそうやなって思いましたよ
そこが一番みんなでコミュニケーション取れるとこだし
僕も食べてって言われますけど
どれぐらいでことが済むのかとかそれ次第でですね
考えたりするんですけど
次も
お互いでも思いやってるっていうのはそうですよね
あなたに欲しいときに食べて欲しいから温かいうちに食べてっていう思いやりですよね
しゅうさんもあなたご飯作ってくれてお疲れ様
一緒に僕待ちたいから一緒に食べようよっていう思いやりでしょう
両方とも思いやっているんですよね
のはずだったんですけどね
でもなんかこうやっぱり相手も同じはずだっていう思い込みがお互いにあったと思います当時
相手も同じっていうか自分の感覚の方が正しいはずだになってたかもしれないですね
もしかしたら
これは神さんとの間だけ
神さんとの間だけじゃなくて父親との間でもよくありましたね
はずっていう言葉には注意しないといけないと思って
はずっていう言葉には注意しないと
そうですね
つもりね何とかのつもり
結局なんですかね
なんで確認をこたっちゃうんでしょうね人間は
はずとかつもりって結局確認すりゃいい話なのに
多分何かしらいろんなところでエラーが起きるじゃないですか
はずつもり
でも僕これね自分の気持ちに気づいてないって思うんですよね
その瞬間は
自分がそういうはずって思い込んでることに気づいてない
多いですね
今振り返るとそんな感覚なんですよね
これちょっとまた極端な例ですけど
僕ね中学2年生の時にありがたいことに
アメリカにホームステに行かせてもらったんですよ
当時すごく
日本の時代的にも
潤ってた時代でうちの親父の商売的にも一番
次回へ続く
27:26

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