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2021-11-25 18:24

#283 カトリック神父に学ぶ「話を聴く技術」とは?

毎週末2万人以上が訪れるサン・ファン・デル・バレ聖母大聖堂。

そこに勤めるホルヘ・ゴメス神父は、最長1日12時間も人々の告解を聴き続けています。

ゴメス神父にとっての「話を聴く技術」とはいったいなんなのか?

詳しくお話しします。

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アツの夫婦関係学ラジオです。このラジオでは、妻との関係内容に関して向けに、夫婦関係の改善のヒントになる発信をしています。
ちょっとまた風邪をひいてしまいまして、昨日放送できなかったんですけど、ちょっと今日からまた再開したいなと思います。
ちょっと聞き苦しいかもしれませんけどお願いします。この間のリッスンという本の中からいくつか紹介をしていたんですけど、今日もですね
このリッスンという話を聞く技術について書かれた本ですね。ここの中から気になるトピックをですね、ちょっと抜き出して話したいなと思います。
国会って言葉ご存知ですかね。教会で懺悔をするためのスペースがあるじゃないですか。僕本物見たの一回しかないんですけど
結構大きめな教会ですかね。の中にある1対1で神父さんと一緒にその小さな
デーマボックス2つ分ぐらいのスペースの中に入って式があるんですよね。式があって相手の顔とかあんまり見えないようになってるんですよね。
そこで神父様に罪の告白、懺悔をするための部屋なんですけど、その行為を国会って言うらしいんです。告白の国に回答の回。
回か、答えっていう回ですね。その国会って呼ぶらしいんですけど
懺悔と国会というのも神父さんってすごい聞くわけじゃないですか。
1日何十人とか何百人とか聞くわけなんですけど、こういった神父さん、カトリックの神父さんが
人の話をたくさん聞いてるわけですよ。その時にどういうふうに話を聞いているのかとか
カトリック神父にとっての話を聞く技術とは何なのかってことを今日も話したいなと思います。
日誌の中に出てきた教会テキサス、アメリカのテキサスにあるサンファンデルバレ聖母大聖堂
サンファンデルバレ聖母大聖堂っていうすごい発音しづらい名前の教会なんですけど
ここがですね、すごい広いんですって。アメフトの競技場ぐらいの広さらしいんですよ。
アメフトって言っても僕もよくわかんないけど、たぶんサッカー場?Jリーグとかやってるようなサッカー場ぐらいの広さの教会なんですね。
サンファンデルバレ聖母大聖堂っていうのがあるんですけど、ここめちゃくちゃ大人気で世界中から人が来るらしいんですよ。
その人なんと毎週末に2万人以上が訪れるっていう。毎週末ですよ。毎週末に2万人が来る教会ってどんだけって思うんですけど
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まあそれだけ大人気なんですよ。なんでそんなに人気なのかというと、アメリカには他にも有名な教会ってたくさんあるんですよね。
ヨーロッパにも有名な教会たくさんあるんですけど、なんでこの教会こんなに人が来るのか。
この人たちの目的何なのかっていうと、観光じゃないんですって。観光じゃなくてお祈りに来るんですって。
お祈りに来ると言うんだけど、本当は話を聞いてもらいたくて来てると。つまり国会をしに来てるんですって。
2万人の中の多くの人は国会をしに来てると。
ということで、毎週末2万人近くの人の話を聞きまくってるんですよ。この畑井としんぷさんってすごくないですか。
めちゃくちゃ多いですよね。もちろん一人でやってるわけじゃないですけど、国会室っていう、残儀室って言った方が僕らは理解しやすいですけど、国会室が6個あるんですって。
6部屋あって、ローテーション担当してて、3時間のシフト制になっていて、最長を1日12時間やるんですって。
長いですよね。普通のさらに今は8時間勤務だけど、それを超えて12時間。12時間って朝の8時から夜の8時ってことですよね。
めっちゃ長いですよね。朝の8時から夜の8時までずっと人の話を聞き続ける。すごいですね。
こんなことをやってる人たちがこのサンファンデルパレ政府大政党にはいらっしゃるわけなんですけど、
ここに働いているというか、こういう勤めている神父さんで、ホルヘゴメス神父さんって方がいらっしゃって、
この方が言ってるんですけど、日に日に国会に来る人は増えていると言うんですよ。どんどん増えてると。
この人長く勤めてるんですけど、今まで働いていた経験から、どんどんどんどん最近すごい人増えてるんだよねってことを言ってるんですよ。
それについてこの人が言ってるのが、どうしようもないくらい誰かに話を聞いてもらいたい。
その様子はまるで傷を負っているようです。瀕死の重症と言ってもいいくらいですと言ってるんですね。
まるで夜戦病院に来るかのようだと言ってるんですよ。 みんな心に傷を負って瀕死の重症のような形でやってくると。
そしてさらに言ってることがですね、
話したい人はたくさんいますが、聞きたい人はごくわずかです。そしてここで目にするのはそのために苦しんでいる人々なのです。
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私は国会で好きなように話してもらいます。でも私は話をしていません。おそらく彼らの話を聞ける状態に私自身があること、
それが彼らが求めてやまないことなのでしょうということを言ってまして
要はですね、話したいと、自分の話を聞いてもらいたい、言いたい、話したい、聞いてもらいたいという人はすごいたくさんいるんだけど
だけど話を聞きたいと、私に話を、あなたの話を聞きたいです、誰でもいいから話を聞きたいですという人は本当に少ないし
周りでも話を聞いてくれる人がほとんどいないっていうことなんですよね。神父さんの言ってることっていうのは。
さらにこの神父さん言ってるのが、この世界では聞くことが危機に陥っているなど思うようになりましたということを言ってるんですね。
毎週末2万人近くの人の話を聞いていたら、その話を聞いてもらうために何千人もいったい列をなしている姿を見たら確かに
この世の終わりじゃないですけど、どれだけ人々は話をしたいんだろう。
どれだけ人々は話を聞いてもらえてないんだろうというふうに思ってしまいますよね。
これだけ多くの人は自分の話を話したい、聞きたい、つまり自分のことをわかってもらいたいということなんですよね。
そういう人はたくさんいるんだけど、聞きたい、わかってあげたいという人の数が少ない。授業と教育全然マッチしてないよっていうことですよね、要は。
これだけの国会を聞き続けているホルフェ・コメソ神父。
この国会を聞く準備とは一体何なのか。つまり話を聞くための技術とは一体何なのかってことですね。本の中で書かれてまして。
これが夫婦関係においては妻の話を聞くこと、もしくは夫の話を聞くことにも通じるかなと思うんですよね。話を聞く技術。
難しいじゃないですか、人の話を聞くのって。聞き続けるの難しい。どっかで何か言いたくなっちゃいますよね。
いやいやちょっと待って、いや違う、俺はこう思うんだ。言いたくなっちゃう。僕も言いたくなりますもん。
だけどカタリックの神父さんって国会室の中で自分の意見言えないんですよね。それはそうですよね。だって懺悔に来てて、でもなんかね、懺悔する人ほとんどいないんですって。
妻の告白する人ほとんどいなくて、何の話しに来てるのか僕もわかんないですけど、でも多分誰も話聞いてもらえないようなことをここで言いに来るんでしょうね。
多分自分の悩みとかそういうことを話したくて来るんだと思います。
で、そんな話をね、例えば、人参との居酒屋で困ってますとか、妻とうまくいってませんとか、夫とうまくいってませんとか、親子関係で困ってますとか、
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そういったことをこの懺悔室で、国会室で神父さんの話をしたら、いやいやお前は間違ってるとかね、いや私はそう思わないとか、神父さんが私はそう思わないとか言われたら嫌じゃないですか。
そういうことしないんですよね、神父さんは。そういうことしない。もう全部受け止めてくれてる。それがホルヘゴメオスさんが言う、彼らの話を聞ける状態に私自身があること。
話を聞ける状態に私はあるんだと言ってることだと思うんですよ。余計なこと言わない。ただ聞き続けるってことが。
じゃあこんなに毎週末に2万人近くの人が話を聞いてもらいたいと言ってやってくるこの人たち、
一体どんだけすごい技術持ってるんだって思うじゃないですか。でこれ、特別な講習とかないんですって。神父さんの国会には話をこうやって聞きなさいとか、
懺悔室でこうやって振る舞いなさいとかって講習はないんですって。じゃあどうやってそれできるようになったんですかって話なんですけど、それは
自分が定期的に国会することが大事なんですって。自分が定期的に懺悔をすることが大事だと。
それで謙虚な心で他の司祭の前に座り、自分の罪を告白しなければいけません。そうすることで国会を聞く立場にいる時、深い思いやりを抱けるのですということを言ってるんですね。
ゴメス神父は。
で、これって、つまり自分が国会をした時にすごい聞いてくれるわけですよ。その神父さんが。他の司祭って神父のことですけど、
他の神父さんは、すごい僕やったことないのでわからないですけど、たぶんひたすらうんうんってそれでとか言って、なんかひたすら傾聴してるんでしょうねきっと。
すごい聞いてもらえる、受け入れてもらえると。自分を受け入れてもらえたというその感情がすごく大事だと思うんですよ。
ここで自分が国会するというのは弱さを見せるってことなんですよね。
こんなことをしてしまいましたとか、こんなことになってしまいましたとか、こんなことで困ってますとか。
弱さを見せることじゃないですか。国会室でマウンティングしないんですよね。私ってこんだけできるんですよね。自慢する場所じゃないんで。
自分の弱さを見せる場所なんですよ。自分がどれだけ弱いのか、どれだけ傷ついたのかっていうことをさらけ出す場所なんですよね。
ちょっと言ってみたいなと思うんですけど、そういった弱さを見せるっていうことを自分で
自分で経験すると他の人が弱さを見せた時に受け止めることができるんですよね。
感事戦をもって尊重することができるんですよ。自分が弱さを受け止めてもらえた経験があると。
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誰かに優しくなれるんですね。誰かに優しくされることで自分も誰かに優しくなれるみたいな、
多分こういうのに近いのかもしれないんですけど、その優しさって何なのかっていうと、それは誰かの弱さを受け止めることであったり、誰かの意見を尊重することであったりとか
するんだと思うんですね。そういった話を聞くことが上手になるためには、話をして受け止めてくれることが大事だと。
つまりはですね、誰かに話を聞いてもらうってことが大事なんですよ。すごいシンプルな答えになるんですけど、
毎週末2万人近くの人たちの国会を聞き続けている、懺悔を聞き続けている神父さんたちは、
自分自身も懺悔をすること、自分の罪を告白すること、自分の弱みを見せる、自分の弱さをさらけ出すことによって
他の司祭、他の神父さんに自分の心を受け止めてもらえた、そういった経験をもとに他の人にも話を聞ける、
そういった準備が整うんですね。他の人が弱さを見せた時に、
感事性を持って尊重するってことができるようになる。自分がされることによって。
すごいシンプルですよね。自分も弱さを見せる、誰かの話を聞いてもらう、その繰り返しなんだなってことは、すごいこの本を読んでいて、僕は思ったんですよ。
で、その夫婦関係で悩んでいる時、例えば妻との関係で悩んでいる時とかに、その妻に対して弱さをさらけ出すってことって結構難しいと思うんですよね。
自分はこんなことで困ってるとか、あんなこと言われて嫌だったとか、いろいろあるじゃないですか。妻と関係で悩んでいることって。
で、それを妻に話してしまうと、妻が何言ってんの?って怒られたりとか、喧嘩になったりとか、
そうじゃないって言われたりとか、今はそんな話したくないとか、やめて、私を責めないで、みたいなことを言われたりとか、あると思うんですよ。
で、そうなると話聞いてもらえないので、そういう時は他の人でもいいと思うんですよ。
他の人に対して、誰か自分の話をすごい聞いてくれる人を見つけて、その人にひたすら自分の話を聞いてもらって、受け止めてもらうと。
そういった経験を得ることによって、妻の弱さっていうのも受け止められる、妻が弱さを見せた時に、感事性を持って尊重することができるんだと思うんです。
自分自身が弱さをさらけ出すことに慣れていれば、受け止めてもらえることに、そしてその時に温かな感触を心の中で感じることができたならば、妻に対しても同じようなことができるようになるんだと思うんですね。
ということで、カトリック神父に学ぶ話を聞く技術とは、ということですごいシンプルだったんですけど、
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自分は定期的に懺悔をしてますと、自分の罪を告白することで、国会を聞く立場にいる時に深い思いやりを抱けると、
話を聞いてください、神父様の話を聞いてくださいと来た人に対して、自分自身も国会をすることによって深い思いやりを相手に抱けるようになるということだったんですね。
なので夫婦関係、妻との関係を悩んでいる場合でも、自分の弱さを誰かにさらけ出すと、弱みを見せると、そういったことの繰り返しによって、
妻の言葉、妻の心、妻の弱さ、妻が弱さを見せた時に、感じせんを持って尊重することができるようになる、思いやりを抱けるようになるんだということだったんですね。
これって結構あるなって僕は思うんですよ。 自分が100%裸になって弱さをさらけ出すっていうことってなかなかないじゃないですか。
この経験が自分自身が誰かに対して思いやりを抱く大きなきっかけになるんですよね。
僕もノートのサークル機能を使って、カウンセリングのようなこと、アドバイザー的な感じの方が近いですけど、やってますけど、
やっぱりその話を聞いてもらうことによって、前に進めることもあるなってすごい思うんですよね。
僕大したことそこまでやってないんですよね。 話を聞いてその人の場合とか、その人たちの夫婦関係の場合に何をどうしたらいいのかっていうことを
最後に僕なりの思うことを伝えたりはするんですけど、だけど多くの場合は皆さん自分で気が付くんですよね。
そこに、こうすべきなのかなとか、こういうふうに思ってたのかなとか、妻はこういうふうに感じていたのかなとかってことに自分から気がつかれることが本当に多くて、
これって多分、僕に話をしてくれてる間、僕の話をしてる中で、妻に対しての思い入れを抱けたりとか、ちょっと心が広くなって、
あの時妻が言ってたことに対して、あの時はすごい瞬間的に怒りで反応しちゃったけど、よくよく考えたら、
そんなことしなくてよかったなとか、こういうふうにすべきだったかなとかっていうのが見えてくるんだと思うんです。
話をする中で見えてくる。それは多分、自分の心が満たされていったりとか、癒されていったりとか、尊重されていったりとかっていう過程を経て、
妻のことも冷静に見れるようになるのかなって僕は思ってるんですね。
なので、誰かに話を聞いてもらうことっていうのはとても大事かなと思っています。
もしそういった方が近くにいない方は、僕が話を聞きますので、いつでもこの僕のノートサークルを使ってください。
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はい、ということで、今日はカトリック神秘に学ぶ話を聞く技術とはということでお話をさせていただきました。
妻とか関係悩む方の参考になれば幸いです。
はい、ということで、今回も最後までありがとうございました。また明日お会いしましょう。さようなら。
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