バスケットボールの発祥とアメリカのビジネスライクな運営
こんにちは、しゅらです。
今日のしゅらの今ここラジオは、バスケの話をしたいと思います。
バスケットのワールドカップがありまして、
オリンピックのパリ五輪の出業権を男子が取ったということで、
テレビにも中継されて盛り上がっていますので、
ちょっと便乗させてもらおうかなと思います。
私は体育大学を卒業したので、スポーツ全般大好きでして、
バスケは大学の時には科目として取らなかったんですけど、
スポーツ全般見るの大好きなので大好きですし、
バスケの歴史とかそういうのは学んでいたので、
歴史といっても詳しくはないんですけど、
皆さん知ってたらバスケを楽しめるかなというので、
しゃべってみたいと思います。
バスケの歴史ですね。
まずバスケのそもそも発祥なんですけど、
発祥はアメリカですね。
アメリカの体育教師、体育の先生がバスケットボールを考案しまして、
教育のために使おうと言って、
バスケットボールを考案して広めていったのが発祥になります。
アメリカから発祥ですね。
なので先生が考案して広めたということで、
発祥がアメリカというのもあるんですけど、
サッカー、フットボール、ヨーロッパで発祥、
発祥は中国のケマリ発祥と言われてるんですけど、
ヨーロッパで主に今の現代のフットボールが発祥したイギリスですね。
イギリス、イングランドの発祥のフットボールと比べるとですね、
イングランドというかヨーロッパのフットボールは工場の労働者とかですね、
あとは、工場に限らないんですけど、
ある属性の人たちがクラブを作っているんですね。
そのクラブ、地域だったり、
教会とかそういったところのクラブ同士が対戦することで、
盛り上がってきたという歴史があるので、
まず地域だったり、そういったものが根にあるので、
なかなかそのクラブを移転するということはないんですけども、
アメリカはですね、ビジネスライクなところがあるので、
フランチャイドという形で、
手を挙げたところにバスケットボールのクラブが来るというような形になっています。
なので、そのクラブが街を移動するということもありますね。
有名なところで言えば、
ラッパーというかヒップホップのJDがクラブを買って、
確かNetzだったかな?
昔はニュージャージーネッツって言ってたんですけど、
今はブルックリンネッツって言って、ブルックリンにクラブがあります。
ニュージャージーからブルックリンにクラブが移ったということですね。
オーナーが変わってかな。
そういうビジネス的な側面も非常に柔軟な、
NBAとしては柔軟なバスケットボールになっています。
競技人口もね、実はサッカーよりも多いです。
バスケの方が多い。
確かそれは笹川スポーツ大団の資料か何かに書かれていました。
バスケが多分世界でナンバーワンの競技人口を誇っています。
そこから、発祥から一気に飛んで、
さらに国も飛んで日本に戻ってくるんですけど、
日本におけるプロリーグの遅れ
私が一番最初に見に行ったバスケの試合というのは、
新卒で就任した長野で、
BJリーグというリーグの試合を見に行きました。
新州ブレイブウォーリアーズですね。
今回のワールドカップでも活躍したジョシュ・ホーキンソンが所属していたチームでもあるんですけど、
私が見に行った時は、もちろんホーキンソンはいなくて、
ホーキンソンはその時だと18歳とか、もっと前かな。
たぶんまだまだアメリカで大学に入ったか入ってないかのレベルだったので、
私が見に行った時は、デレク・ライビオという外国人選手がいたかな。
でも新州ブレイブウォーリアーズというチームの試合を見に行ってました。
ちなみに、ブレイブウォーリアーズでMCをやっている三井純さんという方が知り合いで、
見に来なよということで行ってみたというのがきっかけで行きました。
その当時はBJリーグというリーグだったんですね。
実はその時、日本にはバスケのいわゆるトップリーグが2つありました。
それがJBLと今言ったBJリーグですね。
JBLというのは主に実業団のチームが所属しているリーグですね。
例えばトヨタとか、愛信とか、東芝も有名なところです。
エネオスとかもあったのかな。
女子はエネオスがあるので男子はちょっと分からないですけど。
主に実業団のチームがベースとなるトップリーグ、JBLというリーグがありました。
これはもちろん昔からあって、そこが一番いい選手を取っていったんですけども、
やっぱりバスケのレベルを上げていくにはプロ化しなきゃいけない。
プロでやっていくのが一番だということで、
JBLをサッカーのJリーグのようにプロ化していこうよという話が、
もちろんずっと昔からJリーグが成功したときからあったんですけども、
ただ、Jリーグはある意味バブルというかうまくできて、
日本代表がかなり、Jリーグ発足前は世界でもかなりレベルが低かったし、
かなりの危機感というのがあったわけなんですね。
かつ、ヨーロッパとかその辺のプロリーグのノウハウというのを、
だいぶJリーグの関係者の方が学んできて、一気にプロ化することができたんですね。
時期的にまだまだバブルが弾けてはいたんですけど、
まだまだスポンサーさんがお金を回す体力があったところでプロにプロ化できて、
Jリーグは一気にプロ化できたという話なんですけど、
そこが他のスポーツはなかなか遅れた部分があって、
バスケットというのも遅れてしまった一つですね。
やっぱりいきなりプロになるとクラブの経営が成り立たないんじゃないかとか、
そもそも興行する設備ですよね。
やっぱりJリーグというのはワールドカップを誘致するというのがあったので、
それに応じてスタジアムを作ったりとか、
ある意味パッケージで進めていった部分があるんですけども、
バスケはなかなか関係者の思惑が一致しなくてですね。
実業団でやっていった方がいいんじゃないかということで、
セミプロというか、実業団の中にもプロ契約する選手が出てきてはいたんでしょうけども、
なかなか全部をプロ化するというのができなくて、
ただやっぱりそこではダメだという考えの方がいてですね。
半分JBLに対抗する形でBJリーグというのが勝手に立ち上がりました。
プロリーグですね、これは。
プロなので試合の演出とかも全然違うんですよ。
バスケの試合、今のBリーグ見てもらったら多分わかると思うんですけど、
スタジアムのMCとか音響、音楽とかも入って、
すごいエンターテイメントとしてやっていこうみたいなリーグだったんですね、BJリーグは。
JBLはすみません、私はテレビで見ただけなんで、そこまで生で行ったわけじゃないので、
バスケットボールのリーグ統一騒動(前編)
そういう風に演出をちゃんとやっているところもあったのかもしれないんですけども、
企業スポーツということで、企業同士のどっちが勝つかみたいなのがメインで、
お客さんを楽しませるというよりは、その企業に所属しているというか、
企業同士で今でいう都市対抗野球みたいな形で、企業の応援団が盛り上がるみたいな形ですかね。
なので、他の観客はその盛り上がりにつられて乗ってくれればいいという形で、
あんまりエンターテイメント要素っていうのをしっかりやっていなかったリーグかなと。
ただその評価は、選手は強くしていかなきゃいけないので、
強い選手はどんどんそっちに所属するっていう形になってたんですけど、
やっぱりエンタメとして、NBAを参考としてプロでやっていかなきゃいけないよねっていう、
BJリーグっていうのが立ち上がったんですね。
トップリーグが2つのリーグに分かれるっていう事態になりました。
そこで問題になったのはですね、国際バスケット連盟ですね。
国際バスケット連盟から、日本のトップリーグはJBLかPJリーグなのか、
どっちなんだってことで、どっちかにしろっていうことで、統一しろみたいなお達しが来ます。
やっぱりそれはね、トップリーグが2つあるっていうのは非常に分かりにくいですし、海外から見ても。
選手もね、どっちに所属していいのかっていうのが、選手からしても分かりづらいし、
JBLからPJリーグへの移籍っていうのは、ある意味タブーというかですね、行ったり来たりできないんですよね。
PJリーグからすればJBLの人来てくださいね、みたいな感じなんですけど、
JBLからすれば新参者のリーグに行ったらもう許さないみたいな感じで、
選手を囲い込んでたしがあります。
傍観してたところから、ただの1ファンから見てそういうイメージがありました。
そういう対立があってですね、主導権争いみたいなのがあって、
でもそれを見兼ねた国際バスケット連盟から、ついにリーグを統一しなさいっていうお達しがありました。
そうしないとオリンピックに出さないぞっていう、予選も含めてですね、出さないぞっていうお達しがありました。
その時、男子はそんなにオリンピックに出てなかったので、
そんな困るっていう、それはもちろん困るんですけど、選手は困るんですけど、
そんなオリンピックに出てないっていう状況だったんですが、一番困ったのは女子ですね。
女子も出さないっていう話になったんですよ。
女子はリーグが一つのリーグしかありません。
女子のリーグは実業団がベースのリーグですね。
やっぱり女子はなかなかプロが難しいということで、
そういうリーグは立ち上がらずに、今でも多分実業団をベースとしたリーグでやってるんですけど、
ただ女子は男子に比べて、やっぱり世界でまだ戦える状況だったので、
女子がオリンピックに参加できないっていうのは非常に困ると。
だから女子の選手からも男子のトップリーグなんとかしてくれみたいな話が持ち上がって、
何度かJBLとBJリーグを統合しようという競技が、競技っていうのは話し合いですね。
が何度も開催されておりました。
おりましたというか、一番で外からしか見えないので、
何回か競技しましたっていうニュースを、何回も競技してますみたいなニュースを見ていたんですね。
結局ですね、それが決裂します。
決裂というか、うまくまとまらずにですね、理事が辞任したりですね、いろいろなことが起きます。
Bリーグの誕生
それでどうなったかというと、どう今のBリーグにつながったかというと、
Jリーグを立ち上げた時の功労者で、功労者というか、真ん中にいた川口さんですね。
日本サッカー協会のJリーグのチェーマーもやっていた川口三郎さんがBリーグのトップに就任してですね、
まさにトップダウンですね。
もうすべこと言わずやれと、ついてこいと。
やっぱりJリーグを立ち上げたノウハウがあるので、バスケのためにやろうということで、
川口さんしかいないみたいな形でですね、川口さんを引っ張ってきた人がいたんでしょうね。
フォロワーとして働かれた。
この状況は川口さんに、ある意味実績があるわけですからね。
実績があると言っても、Bリーグが成功するかどうかわからないんですけども、
でもそれでもやってくれるという川口さんを連れてきてですね。
川口さんがやればですね、メディアも注目するし、いろんなところでやっぱりバスケ以外の
協力も得られるので、川口さんが来てですね、バスケのトップリーグを改革していきます。
それでできたのがやっぱりBリーグですね。
Bリーグができて、やっぱり一つにまとまったことでですね、
選手も非常にわかりやすくなりましたし、多分そういうのがね、
うだうだ考えなくてよくなったので、どんどん今の発見につながっているという形になっておりますね。
そこは本当に直接あったと思うんですけど、
次回に続きます。