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伊達政宗が作った四ツ谷用水と、国が作った戦災仮設 川内追廻住宅と。
2026-10-11 38:51

伊達政宗が作った四ツ谷用水と、国が作った戦災仮設 川内追廻住宅と。

仙台の有名な観光地にはもともと、終戦後に住宅営団が作った仮設住宅があり、つい3年前まで人が住んでいました。

また、1600年代に伊達政宗が指示した用水路は、300年経った今でも流れていて、工業用水として活用されています。

フォトウォークをきっかけに興味を持ち、調べるうちに、自分が住む町の歴史をもっと知りたくなりました。

「川内追廻」wikiはこちら↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/川内追廻

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サマリー

歴史が苦手だった話者が、仙台でのフォトウォークをきっかけに、身近な町の過去を地図や博物館の展示から調べ始める。仙台の地名に残る商店街と侍屋敷の区別、川内追廻住宅の由来と、戦後の応急仮設住宅が約70年間存続し、2023年に最後の住民が退去した経緯を語る。追廻住宅は住民が契約に基づいて暮らし、自費で道路や水道を整備していた一方、都市計画上は早くから緑化予定地とされ、市との移転交渉が難航した。東北歴史博物館で見た松島・塩竈の歴史や、仙台藩が白い鹿を神聖な存在として幕府に献上しなかった逸話も紹介する。さらに、伊達政宗が指示し、完成まで約100年を要した四ツ谷用水が、動力なしで現在も仙台市内を流れていることを知る。本流7.2キロ、支流を含め約44キロに及ぶ用水は、地形の傾斜を利用して水を流す設計で、震災時にも機能した地域があったという。四ツ谷用水の保存を求める団体の活動に触れ、話者はその存在を伝えることも支援になると考える。仕事中心で地元の催しを見過ごしてきた自分を振り返り、仙台の店や場所、地域イベントを知る中で、町をよくしようと動く人々に励まされ、今後は古地図を手に写真を撮りながら地域の魅力を発信したいと話す。

フォトウォークから始まった仙台の歴史探訪
アスチャンネルのアスです。 私は学生の頃、歴史があんまり好きじゃなかったです。
なぜかというと、本当かどうかわかんないものを記憶しなきゃいけないじゃないですか。 こうだと思われるみたいなことを頭に叩き込んでいくことがあんまり好きではなかった。
どちらかといえば、 そうかもしれないけどこうだったんじゃないかっていう方に想像が及んでいってしまって、
はっきりしないのに確定することが嫌というようなところがあり、 あんまり得意じゃなかった
ということがあります。ところが、最近突然に全く興味のなかったことに興味が湧いてしまい、戸惑いつつも面白いなと思っていて、今日はそれについて話します。
ちょっとそれるんですけど、私、 ゲイと女の5点ラジオっていうかの有名なポッドキャスト番組の
小生おじさんコンテストっていうのがあったんですけど、それで賞をいただいたことがありまして、それはその小生おじさんになりきった創作を
ノートなりなんなりで発表するみたいな内容だったと思うんですけど、 それの冒頭を読み上げます。
小生、気になったものはとことん調べ尽くさなければ気が済まない立ちで、 深く探求するゆえに派生した別ジャンルへの物事にまで研究対象が移り、
調べ物に対しては再現がない、何事にも興味がつきない人生であると重視しながら、 そろそろ年齢の衰えに応じたスローな暮らしをしたいものだと考えてもいる。
っていう始まり方をしているんですけど、これは実はまんま自分のことを語っています。 興味があることを調べるじゃないですか。
そうするとその中にまた違うことが気になったりして、それを調べるじゃないですか。
そうすると永遠に興味対象がつきなくて、大変なんです。 だからそういうのを抑えないと、そろそろ年も年だしみたいにこれ書いた時多分思ってて、
けどなんかそれは止められるもんじゃないなっていうふうに今回、 しみじみ思って小生おじさんコンテストに出したこのノートの記事のことをすごく思い出しました。
ことの発端はXのフォローしていただいている方、 同じ仙台市に住んでいる方がいらっしゃって、
その方が、 仙台でファトウォークをしましょうと誘ってくださったことがきっかけでした。
ただ写真を撮って回るだけのことだったんですけれど、 この方が仙台地図散歩という本を持ってきてくださったんです。
それは伊達山三室が作った城下町の地図をまとめた本です。 元禄時代に作られた地図なんですけれど、
今の仙台市の地図とそれと同じ場所を切り取った 元禄時代の地図とを見開きページ左右で分けて解説してくれている本です。
それを持ってきてくださったんです。 それがすごく興味が湧いてしまい、自分でも手に入れました。
これも絶版になってて売ってなくて、古本屋さんを探し回って、 付録で大きな地図が付いてきてるんですけど、それもちゃんと付いてるやつを探して購入しました。
隅々まで見てると本当に面白い。 こんなにハマると思いませんでした。
ただ子供の頃から地図見るの好きだったことを偉い思い出しました。
この地図を見ながら歩き慣れた街を二人で歩いていたんですけれど、 その時にフォロワーさんが教えてくださったことがすごく感銘を受けました。
地名と街並みに残る商店街・侍屋敷の記憶
仙台の町の地名って何々町っていう町の漢字が、 町の町と一町二町っていう豆腐を数えたりするときの町っていう漢字の町とで、二種類あるんです。
気にも止めてなかったんですけれど、確かにそうなんですよ。
で、それの理由が町の方は町屋と言って商店街のことを指していて、 簡単な町っていう漢字の方の町が付いている地域は侍屋敷だったっていう名残だったそうなんです。
だから商店街があった地域と侍が住んでた地域とで地名が漢字で分けられていたそうなんですけど、
実は駅前のアーケードの中にその名残があって、 アーケード街のタイル地の模様と、
あと上を見ると天井のラインをよく見ると、 そこのラインが境目だったということでデザインされているそうなんです。
知らずによく歩いていたのをわざわざそこに見に行ってみたら、 へぇーって思って、
家に帰ってからその場所を改めて地図で見たりなんかしていたら、 歴史をすごく感じて、面白いって思いました。
川内追廻住宅の過去と戦後の暮らし
それでその写真を撮った後に、新しくできた。 新しくできたと言ってももう3年前になるんですが、
緑彩館っていう施設ができたんです。 そこは、
青葉城、有名な正宗像のあるところから見下ろした眼下に広がる地域って、
広瀬川っていう大きな川沿いの地域です。 そこに大きな公園とおしゃれな建物、カフェが入っていて、
そこで一休みしたんですけれど、 そこはSNSで写真を見たりして、
おしゃれなお庭があるところだなっていうのはわかっていたんですが、 私のイメージではそこっていうのは追い回し住宅っていうのがあるっていうイメージでした。
その追い回し住宅っていうことを、その場所にも石碑として残っていて、 どういう場所であったかっていうことと、
そこで歌われていた歌、とんぼんにまつわる歌だったように記憶してるんですけど、 そこに住んでた方が作った歌の石碑が置かれていて、見てきました。
で、このことをその後友達にお話ししたら、 追い回し住宅って何?って言われたんです。
その友人は20年以上仙台に住んでいるにもかかわらず、知らなかったんです。
で、逆に言うと20年しか住んでないから知らないんだっていうふうにも思いました。
私、若い頃にそれこそ仙台城に登って、 山の上にあるので景色を見ようと思って仙台駅の方を見下ろすと、
ちょうど足元あたりにそこだけ時代が止まったような団地があるんです。
で、かつては多分たくさん家があったんだろうに、 もうポツポツとしか家がなかったり、
ブルーシートで囲われたりとかしていて、 なんだかちょっと寂しいような雰囲気がそこの団地にはあったんです。
で、それがすごく記憶にあって、 なんとなく視線をもっと遠くにやれば、
街が望めて綺麗なんですけど、 足元の方に目をやるとちょっと寂しいなっていう感じがして、
なんかまだ綺麗に整地されていないような雰囲気が、 私が青葉城に登った時っていうのはそういうイメージがありました。
これは私の知識では戦後に被災した人々のために作られた仮設住宅地っていうイメージです。
で、そのためにあくまで仮設住宅だったからインフラとかが整備されなくて、
仙台市と住民との間で話がまとまらない、合意されないままに、 住民が独自にインフラを整えて住んでいる場所みたいなイメージだったんです。
ところがなんか今回これ気になったので調べたらそうじゃなかったんで、 面白いなって思って、ちょっと皆さん興味あるかわかんないですけど、
私が面白かったのでお話ししておこうかなって思います。
それからこのお友達に追い回し住宅のとかっていう話をしたときに、 面白いねって言ってくれたんですけど、
ところで追い回しって何から来て追い回しなのって聞かれて答えられなかったんです。
なんで追い回しっていうのかなっていうことですよね。
古地図でたどる追廻の軍事施設と由来
これについてなんですけれども、 フォトウォークに行った後に地図について調べていたら、
仙台市の歴史民族資料館というところがあるんですけど、 そこであまたま仙台古地図の旅っていう特別展をやっていて、
歴代の仙台市の地図を展示しているっていう展示会だったんです。
まさに自分のためのような展示だなと思って行ってきました。
そして図録を買ってきたので今手元に歴代の地図があるんですけれど、
これを見て追い回し住宅がかつては何て呼ばれてたのかなっていうのを調べてみました。
そしたら1947年に戦後の都市計画として追い回し住宅があった場所に、
すでに緑化予定地っていうふうに書いてあったんです。
びっくりしました。
戦後の都市計画の中にすでにここを公園にする予定があったんだっていうことです。
戦前はどうだかっていうと、1926年ではここは追い回し練兵場って書いてあって、
練習の練に兵隊の兵で練兵場です。
1900年は陸軍練兵場ってなっています。
1897年には陸軍射的場、射的場って書いてあります。
いずれにせよ徴兵制度があった時代にはこの場所は河原沿いだったので、
軍事施設のような使われ方をしていたんだなって思いました。
もっと遡っていったら、1691年、1692年くらいの元禄時代の地図を見たら、
そこに大馬形宗っていう字が初めて出てきます。
この大馬形宗っていうのがどういう意味なのかなっていうのを、
私そんなに歴史が好きじゃないからわからなかったんですが、
好きな方はなるほどって思うのかもしれません。
調べたらこの大馬形宗っていうのは、
宅配便が来たので受け取ってきました。
桃鉄のやつですね。
大馬形宗についてなんですけど、
江戸時代の幕府や諸藩において、
軍場、城場の管理や育成、長居などを専門に担当した
下級武士の集団っていうふうに、
これはインターネットの情報をお借りしました。
将軍や大名が乗るための育成、体調管理、馬術指導を行っていた、
人たちが住んでた地域だったと。
追い回しっていうのは、おそらくそこから想像するのは、
馬がいた、馬を飼ってたところだったから着いたのかなっていうふうに想像しました。
こんなふうに自分が住んでて馴染みのある場所が、
過去どういう風だったのかなっていうところから歴史を追っていくと、
歴史という見方が変わって、
学校で習ってた歴史、暗記をすることということから、
違う目で歴史のことを思って、
途端に興味が湧いたということです。
それで急にそっちの方に目が行ったのか、だからなのか、
その後、この興味が湧いた前後で、
自分の近くで歴史にまつわる展示っていうのがたくさんやっていて、
いい機会だったので足を運びました。
松島・塩竈の歴史と白い鹿の逸話
一つは、松島塩窯展、歴史・人・美術っていう展示が、
これは東北歴史博物館っていう、ここでそういった展示をやっていました。
タイトルにある通り、美術も取り入れられていて、
塩窯と松島が霊場だったっていう、
霊場って多分、今でいう恐れ山みたいな意味で、
あの世とつながってるみたいなことを指すんじゃないかなと思うんですけれど、
そういう場所として平安時代から親しまれている場所だった、
というふうに展示で書いてありました。
それと景色がすごくいいので、
その黒田賀城、近くに田賀城っていう地域があって、
そこに昔、国の機関が置かれてたそうなんですけど、
そこに仕事で来ていた人たちが、
観光として寄っていた場所が松島だったりっていうこともあったそうです。
で、いろんな人が塩窯から松島までの地域を絵にしたり、
ガイドブックみたいな感じで巻物にしたりして売っていたそうで、
それが今も残ってるっていうことで、
いろんな時代の松島・塩窯創刊図っていうのが展示されていました。
これもまた面白かったです。
その展示の中で印象に残ったのが、
昔仙台藩があった頃、そこに白い鹿が現れるっていうことが有名だったそうなんです。
で、それを幕府に献上した方がいいよっていうふうに、
国の機関の偉い人が伊達家にアドバイスしたらしいんですけど、
それに対する伊達家の返事が展示されてて、
確かに仙台には白い鹿がいるんだけど、
それは神的な存在なんでちょっとあげられませんっていう返事をしてるんですよ。
これは住んでいる人たちも徹底しているから、
捕まえようとして死刑になっている人もいるから、
さすがに幕府が言うことでもちょっとみたいな返事を書いてて、
で、それならしょうがないねってアドバイスしてきた側も答えていった手紙のやりとりが展示されてて、
面白いなって思いました。
あと自分は友達がすごく歴史好きな友達が親友だったので、
それにまつわる話も嫌ってほど聞かされたり、
なんか放課後にわざわざその歴史的場所をその子が見たいっていうから一緒に見に行ったりとかした記憶があるのに、
何一つ頭に入っていないっていうのが改めてびっくりしたり、
それから何なら担任の先生が自分らが卒業すると同時にその学校を辞めまして、
東北歴史資料館に転職したんですよ。
そんなもんですからその先生に会いにこの東北歴史博物館とか、
東北歴史博物館には卒業後にも先生に会いに遊びに行ったりしていたんですけど、
特に歴史には興味がなくてただ先生に会いに行ってたみたいな感じだったり、
博物館っていう名のつくものはただただ好きでなんか静かだし、
いろんなものが見れるし面白いから歴史に関わらずどんなことでも面白そうなもの興味があるものがやってたらすぐ行くんですけど、
苦手だなって思う分野のことってこんなに頭からすっぽ抜けてるんだなっていうことを改めて感じたりして、
今回このフォトウォークをきっかけに新たな興味が持ててとても嬉しく思っています。
追廻住宅が約70年存続した経緯
追い回し住宅ができた時の話に戻ります。
かつて仙台市も戦争の被害を受けまして、
1946年に国の住宅英団っていうのが戦争被災者のために応急仮設住宅として、
この追い回し住宅地を設置しました。
かつては4,000人が暮らしていたそうです。
それで最後の一軒が立ちのくのが2023年の2月で、約70年間ここには人が暮らしていたんです。
この住宅英団っていう言葉なんですけど、私今回これを調べるまで知らなかったんですけども、
1941年に軍事工場労働者などへの住宅供給や住宅不足の解消を目的とした国策法人っていうふうにインターネットに教えてもらいました。
自分の祖母も天北の方の出身なんですが、女学生時代に仙台にやってきて住み込みで鉄砲の弾作る工場にいたっていうふうに話を聞いたので、
そういう人が住む場所なんかを住宅英団が管理してたんじゃないかなって想像します。
簡単に作る仮設住宅のノウハウっていうのが今も活用されていて、職人不足だったり人不足だったりっていう時だったと思うんですよ、戦争に借り出されているから。
その職人の腕に頼らずに工場で部品を作ってきて現場で組み立てるっていう技術っていうのがこの時開発されて今も活かされているっていうふうにインターネットで知りました。
追い回し住宅の話に戻るんですけど、1946年に設置されたこの追い回し住宅は1951年にGHQに命じられて解散させられるんです。
この住宅英団が解散させられるんです。
それでその時に住宅英団は仙台市にこの家を買い取ることを要望するんですが、当時の市の財政状況から実現しませんでした。
で、しょうがなく住民たちがなけなしのお金で買い取ったっていう経緯があったそうです。
住民は国と借地法に基づいた契約を結び、借地料を支払いながら自費で住宅の補修整備を行ってきたっていうふうに書いてありました。
しかし1946年に冒頭にお伝えした通り、ここは公園にするっていうことが都市計画として既に決められていたために
仙台市はここの場所をあくまで仮設の住宅地っていうふうに考えていったっていうところが問題だったようです。
市民は税金を納めているにもかかわらずインフラ整備がされなかったために住んでいる人たちで資金を渡し合って道路を舗装したりとか水道を引いたりとかしたそうなんです。
で徐々に国と住民との確立ができていって、国が移転を持ちかけたりしても交渉は難航したっていうことです。
この経緯については wikipedia を参考にさせていただいたんですけど、このページの方に良いリンクが貼ってあって、
2015年の読売オンラインというホームページのリンクが貼ってあるんですけど、
ここにバラック小屋状態だった戦後の追い回し住宅の写真と2015年に改めて撮った住宅の様子の写真が掲載されています。
貴重な資料だなというふうに思いました。
こう調べてみてわかったのは、私はもう勝手に住み続けてるって思ってたんですよ、そこの住民たちは。
ところがそうではなくて、しっかりと契約もされた上で住んでたっていうことが驚きました。
さらには1970年には新築を許可されたっていうこともあったらしいんです。
そのために住民たちの当仙台市の間でこの場所についての把握が混乱したというか、どういうことっていう風になったりしたっていう時期もあったようです。
住んでいる人たちからしたら、生まれた時からずっとそこで暮らして育ったっていう人ももちろんいるわけで、簡単に引っ越せないっていうのはありますよね。
なので2023年に立ち退いた後、その場所で4月に行われた仙台市全国都市緑化フェアっていうのがありまして、
115万人が来場したそうなんですけど、恥ずかしながら自分の地元のイベントだったのに。
だから緑化フェアっていうのは聞いたけど、全然私興味がなくて行くことはなかったんですけど、115万人も来たんだっていうのに驚きましたが、
その場所は追い回し住宅があった場所を綺麗に整地して行われてフェアだったはずなんですが、
そこに直前まで、直前の2ヶ月前まで住民が住んでいたっていうことを知って驚きました。
都市計画っていうのが、歴史民族資料館の仙台古地図の旅っていう展示の一番最初の展示スペースにその都市計画の地図が載っていたので、興味深く見たんですけれど、
伊達政宗と四ツ谷用水の仕組み
これ、たまたまもう少し先月か先々月かな、何かで興味があって、今現在の都市計画っていうのをこの間見たばっかりだったんですよ。
自分の住んでいる場所ってどういう扱いなのかなっていうのが興味があって見たんですけれども、
そういった計画っていうのが遥か昔から存在して、それに従って進められているっていうことがとっても面白く感じました。
遥か昔っていうのは伊達正宗のことになるんですけど、正宗時代からそうで、
伊達正宗は1567年から1636年の間に生きていた人ですが、
その時に支持した都市計画が100年にわたって作られたっていうものがあって、
具体的に名前を言うと、四ツ谷養水っていうものなんですけれど、これもご存知の方いらっしゃいますでしょうか。
この正宗政権の頃に正宗が支持して完成するのは100年後なんですけど、
なんと今でもその四ツ谷養水自体は動いているというか流れているんですよ、存在しているんです。
何の機械も使っていない、ポンプとかがあるわけじゃないのに、
川から水を引いたのを市内7キロほどに渡って流れ続けているんです。
ものすごいことだと思うんです。
これについてもフォトウォークの時にフォロワーの方が持ってきてくださった地図をよく見ると、
養水の場所が水色で表示されていて、ここが流れてたんだなっていうのがわかるようになっています。
それが今現在もあるっていうことです。
これまた何というタイミングなんだろう。
この四ツ谷養水のパネル展示っていうのがまたタイムリーにこの間あったので、見てきました。
そしたら、自分が行ったタイミングで展示ブースを管理している方とその仲間みたいな人だけになっていたためか、
ものすごく詳しく説明してくださったんです。
それがものすごく面白くて、つい夢中になって一枚一枚教えてもらいました。
300年も続いているこの養水路、本当に素晴らしいなと思ったんですが、
それをそのままその方にお伝えしましたら、
そうです、こんなに素晴らしいものなのに、今の市長はこれを潰そうとしてるんですっていうようなことを突然熱く語られまして、
どうやらこのパネル展示を行っている人たちはこの四ツ谷養水を守る会的な団体だったみたいで、
潰さないでほしいっていうことを市にも何度も要請しているんだけど聞き入れてもらえないんですって悔しそうにお話しされていました。
私にできることって何だろうってその時思ったんですが、
なんか署名運動とかもちろんされているそうです。全然知らなかったけど、されてるけど聞き入れてもらえなかったって言ってて、
なんかできることないのかなって思ったけど、私にはこうやってお話しして、
ポッドキャスト上で人に知らせることぐらいかなと思ったから、ちょっと触れておきたいなと思いました。
四ツ谷養水は仙台市の北の方に五六っていう地域があるんですけど、すごい山の向こうなんですよ。
仙台市から来るまで20分ぐらいかなかけて山を越えていった向こうからわざわざ引いてくるみたいなイメージです。
仙台城は仙台の町を見下ろす山の方にあって、ちょっと距離があるんですよ。
この城下、城の真下には広瀬川っていう川があるんで、なんでわざわざそんな遠くの山から引いてこないで、
広瀬川から引けばいいじゃんって思ったんですが、それも知識のない私なのでそのまま素直にその
パネル展示の係りの方にお伝えしたら、いい質問ですねって言ってくださって、
この動力ない時代に水を流そうと思ったら、傾斜を利用する必要があるからわざわざ山の向こうから引いてきてるんだっていうことを教えてくれました。
仙台の平野っていうのは、北から南にかけて傾斜しているのと、
西から東にかけて、なんて言ったんだっけな、暖球って言ったのかな、丘?
とにかく斜めになっているっていうことですね。それで太平洋側に平野が続いていくっていう形をとっているので、
だからあえてその北西の方向から道をうまくくねくねと
使ってくると自然と傾斜を使って水を流すことができるっていうことを伊達正宗が考えたんだそうです。
それを支持した現場監督みたいな人がいて、その下にもう一人実行した人がいるっていうことで、
その人とこの3人でもって計画実行した。
で、正宗が亡くなってから全部完成したっていうことでした。
7.2キロに渡って本流が流れていますが、支流も含めると44キロ高あるそうです。
それから一番高いところから一番低いところまで25メートルあるんだそうなんですけど、
私、そんなにあるんだって言っちゃったんですけど、7キロで考えてって言われて、確かにそうかと思って。
25メートルの高さって言われるとビルだと何階ぐらいかなみたいなイメージで高いなって思っちゃったんですけど、
7千メートルを考えて、それの25メートルって考えると本当にわずかな傾斜なんだなっていうことに気がついて、
それをジグザグジグザグっていう風に上手いことを使って流れるように掘ったんだそうなんですよ。
で、あと一部ではわざと1回深く掘って噴水みたいに水を落として跳ね上がらせるみたいなカラクリも作ってあるそうなんです。
そういうのをうまく活用して流していると。
全然知らなかったからびっくりしました。そうなんだと思って。
それを残念ながら埋め立ててしまうっていうのは安全上の問題とかいろいろあるのかもしれませんけれど、
冒頭に挙げた都市計画というのに基づいて行われるんだとしたら、
この追い回し住宅のように何年かかっても結局は国の指示通りに実行されてしまうことなのかなっていうふうに思いました。
大震災があった時なんですけど、血水道とかも全部止まってしまって水を流せなくなったので、
一時期、水洗トイレは流さないようにしてくださいっていうような指示があったんですけど、
この四谷養水が通っている地域については流せたらしくて、インターネットで見たんですけど、
そういう視点で見たことがなかったから、そうなんだと思って、改めて動力を必要としないものって、
だから大地震があっても影響を受けないってすごいことですよね。
地元を知り、地域の活動を応援する
私は四谷養水よりも定山掘りっていう方が印象が強くて、
四谷養水のことを定山掘りのことと混合していたというか、間違えて記憶していたんです。
今まで言ってた四谷養水っていうのは仙台の中心部を通っているんですけど、
海沿いの方を通っている運河みたいなのがあるんですよ。
私、よくバイクでツーリングしたりするときに、その掘り沿いを走ったりするのが好きなんですけど、
自分のその知識っていうのは、それはそれこそ伊達正宗が木材を運んだり、お米を運んだり、
船から何か物資を運んだりするときに使った運河だ、みたいな記憶があって、
てっきりこれのことを四谷養水、同じものだっていうふうに思ってたんですけど、
なんか別のものでした。
それを今回知れたのだけでもすごく勉強になったなと思って。
見ていたら、今この定山運河、定山掘りって呼ばれているものですが、
ここを船に乗って見学できたりする見学会があるみたいで、
そんなのもあるんだっていうふうに改めて見て、面白いなって思ったり、
そういう活動をしている人がいることすらも、イベントがあることすらも今まで見てこなかったから、
参加したくなりました。
働いているときって、本当に私、何て言うんだろう、ハードワーカー、
まさにハードワーカー、真面目なサラリーマンだったものですから、
脇目も振らずに働いてきたっていうところがあります。
その最中は何ともそれを思っていなくて、
人は真面目に働くものっていうふうに思っていたので、
何の疑問にも思わなかったんですけど、
日、祝日は必ず仕事で休むことがなかったので、
そういったイベントには目もくれることもなくて、
興味を持っても行くことができないから、
見ていなかったっていう部分があったかなって思います。
連休が取れると県外とか海外に遊びに行ってしまうことが多くて、
仙台って何もないよなっていう盛大な勘違いをしていたなっていうふうに
改めて思っていて、給食してすぐの頃に
フォロワーさんがわざわざ北海道から遊びに来てくれたんですけど、
その時に北海道の子なのに仙台のことをすごく調べてくれて、
この店、この場所、このイベントっていうふうに興味を持って、
ぜひ行きましょうっていうふうに誘ってくれて行ったところ、
全然知らないでいたお店とか食べ物とか場所っていうのをその時初めて知って、
仙台ってこんなにいいところだったんだっていうのをとっても驚いたんです。
そのおかげでちょっと興味を持って、
情報サイトをインスタグラムで登録したりなんかしてチラチラ見ていたんですけど、
そうすると自分が見てなかっただけでいいところがいっぱいあるし、
自分より若い世代の人がいろんなイベントをしてるっていうことに気がついて、
アイデアが素晴らしいイベントをたくさんしてるんです。
すごいなというふうに思います。
そういう人が自分の住んでいる周辺にいるんだ、
自分の地域にいるんだっていうことがすごく心強いというか希望が持てるんですよ。
それだけ今までの仕事で結構心を痛めて、
希望を失ってきたっていうことがあるのかもしれません。
働きすぎてしまったんだなっていうふうに思います。
ちょこちょここういった博物館とかイベントとか、
SNSで知った今まで見ようともしなかった場所や、
おしゃれな店とかカフェとかレストランとかそういうところに足を伸ばして知っていくと、
その場所を良くしようと思って、
面白いことを考えて実行している人がたくさんいることに気がついて、
とっても素敵だなって、私もそういうのに参加できたらいいなっていうふうに思います。
私もここの町から出たことがないし、住みやすくて好きな場所だから、
自分が住んでいるところの良さっていうのを発信する行為っていうのはとても応援したくなります。
今の私の状況ってすごい不安定な、この後どうなるのか転職することになると思うんですけど、
たぶんそういうイベントを行っている人たちも、
とりあえずやってみようでやってるんじゃないかなって、
その話を聞いていると感じていて、
何か大成功する三段があるから始めてるっていうよりは、
目的がこの子の良さをみんなに知ってほしいっていうことから、
とりあえずやってみようっていうことをやっているうちに、
周りに仲間ができてきて、助けたり助けてもらったりして、
広がっていくっていうことをやっているように見えて、
すごく素敵だなって励まされているので、
自分もそういうことができたらななんて最近思うようになりました。
しばらくはこの古地図を見ながら、そこの場所の写真を撮りに行きたいなって思っています。
なんかこう、写真撮るの楽しいとか好きだとかって言っていたおかげで、
フォトウォークに誘ってもらったりしたので、
発信することってすごくいいことだなって思いました。
一人で黙々と楽しむこともいいんですが、
好きなことは好きって言っといたほうが、
それが好きな人がそばに来てくれるんだなっていうことが学べて、
SNSとかこういうポッドキャストでの配信とかっていうのを
初めて本当に良かったなって思っています。
じゃあ今日はこんなところで、長々と聞いてもらえてありがとうございました。
ではでは。
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